2008 神戸・週末ボランティア
News and Reports
We love KOBE Weekend Volunteer

阪神淡路大震災の被災地・神戸で今なお復興住宅への訪問活動を続ける「神戸・週末ボランティア」の活動報告です。
Blog This is 神戸・週末ボランティアもよろしく!

(年別に古い記事から順に番号をつけていますが,新しい記事が上になるように配置しています。)
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第476(新生第34)回訪問活動

新生週末ボランティア第34回目となった12月13日の訪問活動は,終日12月とは思えないほどの暖かな好天に恵まれたなかで,初参加者や最近になって参加するようになったメンバーに加え,マスコミ3社が同行取材して行われ,長時間にわたっての「お話し伺い」も多く,質・量ともに充実したものになりました。

マスコミはいずれも「1.17」に向けての特集記事のための取材のためですが,中には,最近神戸に赴任してきたばかりなので,それに先だって被災者・被災地について学ぼうと参加したという記者さんもいました。私たちも初心に返って学びの姿勢を新たにしたいものだと思いました。

訪問活動終了後は,いつも活動場所に自宅を提供してくださっている倉谷さんが誕生日を明日に控えていることから,一同で「「ハッピーバースデイ」を歌って前祝いとしました。さらに私は,前回の訪問活動で記念写真を撮影したお宅を訪ね,できた写真を差し上げてきました。またそこでも話しこみそうになってしまい,何とか切り上げて,新生田川沿いと国道2号線を走って,勤労会館に戻り,終了ミーティングに駆け込むという慌ただしさの中で,この日の活動を終えました。

また今回は,訪問活動に先立って,来年1月に予定している集会概要の私案を発表しました。皆さんのご意見を集約しながら,充実したもににしていきたいと思います。

この日の訪問活動のうち,私が伺ったものを簡単に報告しておきます。

・70代夫婦2人暮し,中央区で全壊。都心近くの商店街で長年家具屋を営んでいて,今もご主人が製作した,長年大切に使われてきた数多くの家具に囲まれて暮らしている。店の跡地を月極駐車場にしているが,周囲がさびれていて,空きが出ると次がなかなか決まらない。避難所での最初の夜は気が張っていて寒さを感じなかったが,次の夜は寒さで震えが止まらなかった。ポートアイランドの仮設住宅では,いろいろな人に助けられてありがたかったが,夏の暑さ,ベニヤ板のホルマリン,大きなネズミが動き回る物音などに悩まされた。4年前に脳梗塞で倒れ右半身が不自由となり,外出することがいっそう少なくなったご主人にお話し伺いをしていたところに,買い物から帰ってきた奥さんが加わり,新聞2社の取材が入りながらの,2時間半余りにわたるお話し伺いとなった。

2008/12/15  ↑TOP


09年1月集会私案

阪神・淡路大震災 追悼と討論の集い2009 14年目の被災地から

それぞれの被災,それぞれの難儀 〜「後期高齢者」も「アラフォー」もたいへんや〜

 神戸・週末ボランティアでは,「1.17」に先だって,これまでの訪問活動を顧みて問題提起を行うとともに,被災者・市民・ボランティアの交流の機会をつくりたいと思います。

 また約1年後に訪問活動500回を迎えることとなるなかで,被災地の復興,被災者の生活再建を,ともに展望していきたいと思います。

・黙祷

 私たちの活動で忘れてはならないのは被災者の中に尊厳を見いだすことです。それは,生きている方からのお話し伺いを通じて,犠牲となった方に思いをいたすことでなされるものであることを,はじめに一同で確認したいと思います。

・基調報告

 2008年週末ボランティアの活動報告

 2007年に活動体制刷新についての抜本的な取り組みを行って以来,原点に立ち帰り,新生週末ボランティアとして再出発しました。虚心坦懐に「お話し伺い」を続ける中で得た,今日的意義と課題について考えていきたいと思います。

・問題提起

それぞれの被災,それぞれの難儀 〜「後期高齢者」も「アラフォー」もたいへんや〜

 私たちが復興住宅への訪問活動−「お話し伺い」を続ける中で,さまざまな,深刻化する情況に遭遇します。しかもそれは特定の層に限らず,さまざまな世代が,さまざまな難儀をしてきているということです。

 たとえば,「後期高齢者」(75歳以上)は,被災当時からすでに高齢者で,他の世代にもまして,「自助努力」に困難が伴い,サポートのニーズが高かったといえるでしょう。またこの世代は,相次ぐ負担増を,これまで求められてきた上に,さらにそれに追い打ちかけるように強いられながらも,自ら声を上げ,それに抗する術が,その下の世代(「前期高齢者」など)以上にとりにくくなっています。

 現在「アラフォー」な世代(40歳前後)は,震災当時にその年代であった世代とともに,セイフティーネットから漏れ,ヨリいっそうの「自助努力」を強いられながら,かかる情況を理解されないまま,抱え込むことが多く,今なお生活再建を果たせぬまま呻吟し続け,さらには家族もろとも苦闘している,深刻なケースもあるといってもいいでしょう。

 それぞれの世代の被災者が,それぞれの難儀を抱え苦闘してきたことに今一度思いをいたしていくことの必要性と重要性を,改めて痛感します。

・自由討論と交流

 被災者のナマの声を伺い,また,ボランティアが平素の復興住宅訪問活動において続けてきた「お話し伺い」のなかからレポートし,被災地・被災者の現状についての理解を広げ深めながら,被災者間,被災者とヴォランティア,その他参加者との交流をつくり出したいと思います。

・閉会あいさつ

 訪問活動500回に向けて

 昨2008年最後の訪問活動で通算477回を数えており,約1年後には訪問活動500回を迎えることになります。本集会の最後に,これをも展望しつつ,この1年間の抱負と決意を明らかにしたいと思います。

2008/12/13 ↑TOP


第475(新生第33)回訪問活動

新生週末ボランティア第33回目となった11月22日の訪問活動は、多くの初参加者を交えて行われました。彼らは、その創業者夫妻が、芸術家や革命家らを支援したことで知られる、東京を中心に食品業を展開する企業の社員で、「社会貢献」の一環として、関西地方の事業所に勤務する社員がヴォランティアを体験し、それを社内報で紹介するべく広報担当者が同行取材するというものでした。

紅葉の名所に多くの観光客が出かけるような、好天の3連休の初日とあって、留守宅の多さも懸念されましたが、昨年同時期に比べやや高い在宅率の中、お部屋にあげていただいて長時間のお話し伺いを実現しました。また、以前のHAT神戸・脇の浜住宅への訪問活動以来、一部の参加者が交流を持ち、前回の訪問活動で再び訪問させていただいたお宅に、今回も初参加者とともに伺って、一同で記念写真を撮影するなど、ヴォランティアと住民・被災者の方との交流をさらなるものにしました。

今回もまた「毎日新聞」の同行取材があり、活動当日の予告・紹介が掲載されたのに続き、翌23日の神戸版朝刊紙面では写真入りで掲載されました。各紙とも来る「1.17」に向けて特集記事に取り組んでいるところですが、平素の訪問活動に同行し、ヴォランティア参加者と同じ視線で捉えて記事にしてもらえることは、おおきな力添えになるものです。

阪神大震災:週末ボランティア、きょう訪問活動 /兵庫
阪神大震災:週末ボランティア、被災者の聞き役に 一人暮らし女性「寂しい」 /兵庫

・80代女性、一人暮し、東灘区で被災。玄関に通じるふすまが開かなかったので、窓の鉄格子の間から辛うじて脱出。高知の実家に避難したが兄夫婦に気兼ねしてまもなく神戸に戻ったら、避難中に自宅が解体され、家財道具などを持ち出せなかった。戦中から戦後にかけて、洋裁の内職で徹夜したり、自分の食べる分がなくても子どもに食べさせたりするなど、苦労しながら5人の子どもを育て上げた。そうした経験から「自由とわがままの違いが解っていない」など、「今の家庭教育はなっていない」と厳しい意見も。内職で貯めたお金も夫の葬式代で消え、今は年金だけで暮らす。腰を痛めて外出に歩行器を使う以外は、長年病気知らずで、顔色や肌のつやなど、その年齢とは思えないほどのお元気さだが、家族でにぎやかに過ごした日々を懐かしみ、「このごろしんどい」と、自立生活の継続に不安をのぞかせる。

2008/11/26 ↑TOP


第473(新生第31)回訪問活動

新生週末ボランティア第31回目となった10月25日の訪問活動は、暑すぎも寒すぎもしない、秋の過ごしやすい気候の中で行われました。そのため、住宅の前のベンチで、住民同士で談笑する中で、あるいはご自身で記入された支援シートをもとにしてのお話し伺いもありました。散らかっているなど、家の中に招き入れるのはちょっと…という事情ながらも、私たちヴォランティアに話したいことがあるということでもありました。

このほかにも上がり込んでの長時間にわたるお話し伺いや、短時間ながらも簡単な安否確認もあり、具体的な支援ニーズはともかくとして、いずれも私たちヴォランティアに信頼と期待をよせてくださっていることを、肌で感じさせてくれるものでした。

今回も、終了ミーティング時に、久しぶりに顔を出した古い参加者の姿がありました。特定の参加者に、週末ボランティアの活動以外の用があってのことのようですが、かかるものとのけじめを厳に求めるとともに、せっかく来たのですから、訪問活動に参加したメンバーの報告などを聞きながら、この間の週末ボランティアの活動の資質向上や、被災者・市民との信頼関係の構築への取り組みについての理解を、少しでもしてもらいたいところでした。

週末ボランティアの活動以外のとのけじめという点では、9月13日の第470(新生第28)回訪問活動においても看過できないものがありました。訪問活動の便宜を図って場所を提供してくださっている住民の方のお宅で、初めての参加者との交流をしていたところ、自らが所属する党派の機関紙を何人かの参加者に配布し、ちょうど撮影しようとしていた記念写真に、あたかも自らも参加者に一員であるかのごとく収まろうとした者がいました。

去る7月の2008年週末ボランティア総会でも確認したとおり、また「復興住宅訪問活動について」でも述べたとおり、私たちは、訪問予定のお宅に投函する予告チラシにおいて「宗教や政党など全く関係の無い民間のボランティア団体」とうたっています。少なくとも活動の全過程において、かかるものとして行動することはもちろんのこと、李下に冠を正すがごとき行動も禁物です。

信頼関係の構築がお話し伺いの大前提であり、活動の基本であることを、今一度確認したいと思います。

・80代男性、中央区で被災。労働組合の組合長を12年やって、会社にいうべきことを言い続けてきた。息子さんやこの復興住宅に駐在するヘルパーさんが、低賃金で不安定な雇用にあるので「今の若者はかわいそう」。高齢者が多い住民にはとりわけ「言葉をかけることが大切」。住宅入口前のベンチに座り、住民の方と談笑する中でお話しを伺う。
・70代女性、一人暮し、東灘区で全壊。助け出されるまで6時間ぐらい生き埋めになっていた。京都府の息子さん宅に避難、走る電車を見ると「あれに乗れば帰れるのに」と涙が出た。北区の仮設住宅では、寒い冬に風呂の湯が冷えたり凍結した水道管が破裂したりして困ったが、周囲の人やボランティアの優しさが救いだった。戦後の引きあげで苦労したので、震災のときは落ち着いていた。震災前からのリウマチに加え、近年はさまざまな病気を抱えている。昨年、バス停で遊んでいた子どもがぶつかってきて骨折、骨がつきにくく今年再入院、今もリハビリが続く。ご自身で記入された支援シートをもとに、住宅前のベンチでお話しを伺う。

2008/10/31 ↑TOP


第470(新生第28)回訪問活動

新生週末ボランティア第28回目となった9月13日の訪問活動は,猛暑もやや和らいだ中,常連参加者,久しぶりの参加となるメンバーに,2名の女子大生が初参加してくれての訪問活動となりました。

訪問前のレクチャーでは,東條代表ら作成の「今週の資料」とあわせて,新サイト収録の「復興住宅訪問活動について」を使って,初参加者に活動の流れと概略を説明しました。

少女時代に被災経験の記憶があるという彼女らはいずれも大学の夏休み明け近くで,一人はボランティア活動に関する課題のために参加したという,目的意識のハッキリした姿勢で臨んでくれました。もう一人は夏休み明けに前期末試験が迫っているという中での参加で,前回の受験生同様,自分がたいへんなときにあっても,人の役に立とうと,笑顔を絶やさず臨んだ姿勢には頭が下がる思いがしました。

今回は,3連休の初日となり,留守宅や,あからさまな訪問拒否こそ少なかったものの,短時間の安否確認的な訪問となったケースが多かったのですが,そういった中でもいくつか,震災にとどまらず,人生について学ぶことの多い成果を得ることができたといえるでしょう。

2008/09/15 ↑TOP


第469(新生第27)回訪問活動

新生週末ボランティア第27回目となった8月23日の訪問活動は,依然衰えを知らない猛暑の中,連参加者が協力して「お話し伺い」を実現し,長時間にわたるもの,内容充実したものも多く見られました。そのうちのひとつを紹介しておきましょう。

・80代 男性,夫婦2人暮らし。中央区で全壊,住んでいた借家は再建されず。復興住宅は,孫がきたときや仏壇の置き場所のため3DKを申し込んだらなかなかあたらず,2DKに申し込んでやっと入居できた。震災に遭ったが「神戸は第二の故郷」として気に入っている。訪問したボランティアの一人が同じ南国出身とわかり,うち解けたお話し伺いとなった。

訪問活動と終了ミーティングの後,被災地での救援物資の搬送や配給のボランティアにながく携わり,現在は地域住民のための移動サービスをしている,週末ボランティアの活動に協力してくれたメンバーを訪ねました。

関西ではこの日の前後に地蔵盆を行うところが多く,活動拠点にお寺を使わせてもらっていることから,彼もまた昼からずっとそれにかかり切りだったとのことでした。地域に密着して地道に活動を続けながら新たな人材を獲得しつつあると,正常化の成果を上げつつある新生週末ボランティアの,お互いに近況を語りながら,エール交換となりました。

地蔵盆 (HARA Hideki's Blog)参照

2008/09/08 ↑TOP


第468(新生第26)回訪問活動

新生週末ボランティア第26回目となった8月9日の訪問活動は,猛暑とお盆休みのためか,お出でにならないお宅が多いなかでも,常連参加者・初参加者が協力して「お話し伺い」を実現し,また不在ながらも「支援シート」を自ら記入しておいてくださったもあり,被災者・住民の方へから信頼と期待を実感されてくれるものがありました。

昨年同時期においてもそうでしたが,お盆休みにかかるため,列車の指定席をとるのが難しいのみならず,高速道路の大渋滞のため,高速バスの到着が大幅に遅れることが懸念されましたが,今回は,石油価格の高騰のため高速道路の交通量が激減し,渋滞が少なく,私が乗った高速バスも軽微な遅延にとどまりました。

今回は,受験勉強真っ最中の県立高校3年生2人がはじめて参加してくれました。東條代表が訪問活動について丁寧に説明していました。訪問前レクチャーにおいて,最近よく行われているような,特定の参加者が「今週の資料」にある「訪問お話し伺いのコツについて」などを棒読みするようなものが不要で,あまっさえかかるレヴェルに参加者を落とし込めることが失礼であるとすら思われました。「お話し伺い」においても,さまざまな話題を引き出し,受け止めようとする姿勢が印象的でした。彼らが目指す大学に無事入学し,高校の友人だけでなく,新たに得るであろう学友ともに,また参加してくれることを期待し,彼らの志望校合格を祈りたいと思います。

このところ初参加者には,新生週末ボランティアの活動や「お話し伺い」をよりよく知ってもらうべく,今年1月5日に行った「訪問活動450回記念追悼と討論の集い 13年目の被災地から 〜「高齢者」となった被災者のこれまでとこれからを中心に〜」及び,7月に行った週末ボランティア総会で配布した「2008年週末ボランティア総会資料」を差し上げていますが,毎回の全ての参加者のために,被災地・被災者をめぐる情況を知り,「お話し伺い」の資質向上に役立つであろう資料を差し上げています。

今回差し上げたのは,新サイト「This is 神戸・週末ボランティア 〜すべての「不都合な真実」に捧ぐ」にある「復興住宅訪問活動について」と,関西学院大学災害復興制度研究所ニュースレター「FUKKOU vol.6」にある「足湯が拾った“つぶやき”読み解く研究報告」です。前者は前回訪問活動以降改良したもので,文章を解りやすくし,写真を精選したものです。早速初参加者への説明に役立ちました。後者は「お話し伺い」自体とその成果のまとめ方,さらには他の団体・個人との連携などの参考になるでしょう。

・70代男性,東灘区で全焼。水が出ず消防もなすすべなく,残骸をじっと見ているしかなかった。避難所では電気が使えず不便した上,天井が高いため寒く,朝しもやけになったことも。仮設住宅には行かず県外の公営住宅へ。仮設住宅解消が優先される一方で,県外避難者が後回しにされたようで,復興住宅になかなかあたらなかった。受験勉強真っ最中の初参加者が,さまざまな話題を引き出そうとした姿が印象的な「お話し伺い」であった。
・50代女性,中央区で被災。その時は子どもも小さく怖がってよく泣いていた。一番困ったのは水がないことで,寒さにふるえながら2人の子どもとともに順番を待った。住んでいた文化住宅が古く死んでいると思われたため,友人がみな様子を見に来てくれたのがうれしかった。

2008/08/10 ↑TOP


新生週末ボランティアreportsのお知らせ

新ウェブサイト「This is 神戸・週末ボランティア 〜すべての「不都合な真実」に捧ぐ」では,訪問活動の流れを説明するページ「復興住宅訪問活動について」を制作しました。7月26日の訪問活動に参加された方には紹介しましたが,その後,文章・写真を精選し,分量を抑えて解りやすくしました。プリントアウトしての利用にも配慮しています。

また,6月28日・7月12日・7月26日の訪問活動の報告を掲載しています。あわせてご覧ください。

2008/08/08 ↑TOP


第467(新生第25)回訪問活動

新生週末ボランティア第25回目となった7月26日の訪問活動は,HAT神戸・脇の浜復興住宅への4回目となりました。前回同様,いやそれ以上の猛暑の中で「お話し伺い」に向かいました。

お宅に上がり込んで2時間ほどうかがったメンバーもいましたが,私がうかがったところは,いずれも20〜30分と,比較的短時間ながら,震災にとどまらず,さまざまな問題提起を受けたといえるものでした。最後に簡単に紹介しておきましょう。

・60代女性,一人暮らし。中央区で被災。長く住んだ市営住宅は,ここより丈夫な造りで震災の被害もなかったが,建て替えのため最近この復興風宅に移ってきた。職業柄気が強いという。訪問したボランティアの一人と同い年とわかり話が弾んだ。
・60代女性,一人暮らし。長田区で被災。気を遣うため身内の家には長居せず。被災時現役世代で優先されなかったため,希望者が少ない仮設住宅,竣工が遅い復興住宅を選んで応募した。

2008/08/06 ↑TOP


第466(新生第24)回訪問活動

翌日に総会を迎えたこの日も通常通りの訪問活動を行いました。7月12日の訪問活動は,新生週末ボランティア第24回目,ちょうど満1年にあたります。昨年の総会以来の解体的再生の成果と地平を確認する機会となったといえるものでした。

HAT神戸・脇の浜復興住宅への訪問は,週末ボランティアとしては3回目になりますが,私としては,2回目となりました。今回は,訪問先の復興住宅が工場だった頃,そこで働いていたという男性と,今春神戸市内の女子大を卒業したばかりという女性の2人の初参加者を迎えました。

訪問前レクチャーを終えて訪問先現地に向かおうとしたところ,利用すべき路線バスが停留所で減速もせず通過し,一同置いてきぼりを喰らい,臨時に後続便を出してもらいましたが,現地到着と訪問活動開始が若干遅れました。

猛暑と留守宅の多さのため,件数こそ少なかったものの,訪問を待っていてくださった方のお宅に上がり込んで1時間余りの「お話し伺い」が実現しました。「お話し伺い」させていただくことが多い高齢者よりは比較的若い,まだ「中高年」といった方がいい年代の方がおかれた,厳しい情況を改めて思い起こさせられるものでした。

2008/08/06 ↑TOP


第465(新生第23)回訪問活動

新生週末ボランティア第23回目となった6月28日の訪問活動は,HAT神戸・脇の浜復興住宅への2回目となりましたが,残念ながら,例年この時期に集中して行う仕事のため,どうしても抜けることができず,今年もあいにく不参加となりました。7月12日・26日の2回にわたって「今週の資料」に「お話し伺い」のまとめが出ていますので,少人数のなか,まとめをするのが大変なくらいに,豊富な成果があったことが解ります。いずれここでも紹介したいと思います。

2008/08/06 ↑TOP


2008年週末ボランティア総会報告、新ウェブサイトのお知らせ

すでに東條代表からの報告も出ているように、7月13日に2008年週末ボランティア総会が行われました。

昨年同様今年も私案を用意して臨みましたが、今回は特に、この1年あまりの取り組みと成果を確認し共有するべく、資料を準備しました。こちらは総会に参加されなかった方だけでなく、これから週末ボランティアに関心を持ち参加してくださる方のために作成したものでもあります。提案内容及び資料の概略は、既出の「2008年週末ボランティア総会提案 (私案)」の通りです。

すでに出されている報告のうち、若干注意を要する点をいくつか。

私が準備した資料は、上述の趣旨から、量・質ともほとんどが「方針」というより「総括」のためのものです。

総会議事では、「方針」として、

「週末ボランティアの活動は、お話伺いを起点として、コミュニティーの創造・構築住民の主体性発揮のサポート行政監視政策提言などに及ぶものである」こと、その「活動の目的は、被災地の復興と被災者の生活再建に貢献・寄与することであり、「被災者の中に尊厳を見いだす姿勢が求められる」といった、基本的な「活動の目的・趣旨の確認」をまずもって行ったこと、

「宗教や政党など全く無関係の民間のボランティア団体」と、訪問予定の住民宅に投函される「予告チラシ」に記されているよう、政治党派や宗教団体とは無関係・中立で、行政の下請のごときでもない言動と姿勢を堅持することを確認したこと、

これらを抜きにしてはなりません。

東條氏の報告では、「新指導体制」といった文言が見られますが、これについては「ボランティアに「指導部」も「体制」も要らない」との意見がだされたため、代表・会計(満場一致で再任)に「事務局」を加えたものも「役割分担」であって、「指導部」でも「体制」でもないことを確認したとすべきところです。

「取材等の受入」の項では、媒体の種類・ジャンルによる適否の例を挙げましたが、○が原則可、×は原則不可、△は内容により適否を精査・判断すべきものであって○・×の中間という意味ではないこと、媒体の種類・ジャンル双方の観点から判断するものであることを申し添えます。議論の中で、「媒体の種類」のうち「○新聞など」とあるところ「など」を削除、「△」の事例に「雑誌、映画」を追加すべきとなりました。

また、東條氏の報告にある「他団体との交流・連帯」とあるのは「他団体などとの交流・連携」の誤記と思われます。

今回の総会には、連絡がうまく行き渡らなかったのか、今年になってから新たに参加された方の姿がありませんでした。これからは訪問活動やその他の行事に参加するにとどまらず、清新な視点から意見と知恵を出し合い、ともにグループとしての神戸・週末ボランティアの活動を担い参画していくよう、呼び掛けたいと思います。


ここからは新ウェブサイトのお知らせです。

これまで個人サイトHARA Hideki's Roomでヴォランティア関係の記事を掲載してきましたが、このたび、神戸・週末ボランティア関係の記事を移動し、新たなウェブサイトとして制作することにしました。

新ウェブサイトは「This is 神戸・週末ボランティア 〜すべての「不都合な真実」に捧ぐ」と名付けました。URLは http://kobe.cool.ne.jp/weekend-volunteer/ です。

新世紀の「週末ボランティア」訪問活動篇」・「新世紀の「週末ボランティア」訪問活動篇・2」・「「ちょっとカー」レポート」・「新世紀の「週末ボランティア」行事・イベント篇」・「週末ボランティア仮設住宅訪問100回に際して」・「阪神淡路大震災10周年を前にして」・「「週末ボランティア」正常化闘争の軌跡」は、新たなサイトに移動・集約しました。今回の総会の報告もこちらで追加しています。

今後は活動紹介や仮設住宅訪問の記録なども加えていく予定です。

2008/07/23 ↑TOP


100万人のキャンドルナイト・生活保護申請支援・出張足湯ボランティア

今日6月21日は夏至の日です。これを中心にいくつかの行事や動静を紹介しておきます。

100万人のキャンドルナイト

前々回の訪問活動日である5月24日は,夜にかけて雨が強まったなかでも、G8環境相会合にあわせていくつかの催しが行われていました。「G8ライトダウンフェスタ」の一環として行われた「100万人のキャンドルナイト in kobe」もその一つでしたが,あいにくの大雨のため中止になったものと思い,足を運ばなかったのですが,翌日の新聞報道で規模縮小しながらも行われたことを知りました。

100万人のキャンドルナイト in kobe http://candlenight-kobe.com/
ポートタワーも消灯 神戸でキャンドルナイト http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/0001071529.shtml

また先週から今週にかけて,大阪〜神戸で同様の催しが行われていますが,メインは夏至の日です。全国各地で大小さまざまな取り組みが予定されています。近くで行われていれば是非一度,ご参加ください。

100万人のキャンドルナイト http://www.candle-night.org/jp/

「でんきを消してスローな夜を。」

生活保護申請支援

以前、生活保護行政に関して、ほかならぬ受ける側であるところの神戸市当局者−職員自身が作成した「要望」−−自作自演の茶番劇のシナリオ−−に、週ボラの宣伝のためと称して賛同団体に加わるよう強要し、誰の賛同も得られず一蹴された者がいたことは、記憶に新しいところです。その一方でマトモと思われる取り組みもなされていたことが報道されていますので、紹介しておきます。

生活保護申請、法律家が支援 兵庫で21件「逆転」受給 6/19 神戸新聞
http://www.kobe-np.co.jp/news/kurashi/0001152017.shtml

生活保護の受給希望者に法律家が付き添い、役所での手続きを援助する活動が広がっている。北九州市で二〇〇五年、申請を拒まれた男性が孤独死したことをきっかけに昨秋、「近畿生活保護支援法律家ネットワーク」が発足。いったん申請を拒否されたケースのうち、兵庫の二十一件をはじめ大阪、京都、奈良、滋賀、和歌山の二府四県で計八十一件の受給を認めさせた。「泣き寝入りせず相談を」と呼び掛ける…

出張足湯ボランティア

HAT神戸灘の浜住宅で、ふれあい喫茶「神大喫茶」を続けている神戸大生グループがおり、ここでも一度足湯をしたことがありました。彼らと同じ神戸大学生のグループが、能登・中越に続いて、岩手・宮城内陸地震の被災地でも足湯を行ったことが伝えれていますので、紹介しておきます。

足湯で被災者癒やす 岩手・宮城地震神大生が出張 避難所のお年寄り「孫できた」 6/19 読売新聞
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/hyogo/news/20080619-OYT8T00029.htm

岩手・宮城内陸地震の被災地で、神戸大の学生が出張足湯のボランティアに携わった。学生たちは「避難生活が続くと、心も体も疲れがたまってくる。必要があれば、今後も被災者を癒やしに行きたい」と、阪神大震災を機に生まれた足湯の輪をさらに広げていくつもりだ…

2008/06/21 ↑TOP


第464(新生第22)回訪問活動(速報版)〜生活保護申請支援と神大生足湯

今日6月19日は、太宰治の桜桃忌、軍政当局によって自宅軟禁中のアウン・サン・スー・チー女史の誕生日です。

新生週末ボランティア第22回目となった6月14日の訪問活動は、前日来の所用のため神戸市内にいながらも、終了ミーティングのみの参加となりました。これだけであっても仕事先の理解と協力のたまものと感謝になければなりません。

HAT神戸灘の浜住宅への訪問活動を前回(5月24日)で終え、同脇の浜住宅へ移っての第1回目の訪問活動となった今回は、倉谷さんのお世話になりながら、2名の新たな参加者とともに、充実した訪問活動が実現できたことが、終了ミーティングでの報告と、それ以前に参加者の姿からして解るものでした。

とりわけ印象に残るお話伺いもあったようです。初参加の女性が再訪問を約するほど、うち解けて親密になったようです。まとめもいずれ出されるでしょう。

参加回数にかかわらず、訪問活動から学び被災者・住民に役立とうという姿勢で臨む参加者と、自らのために利用しようとする者の姿勢のちがいは、その眼が端的に表しています。一人一人が訪問活動に臨んだ姿を、そこから推し量ることができます。

そうした姿勢を大切にし、スキルアップにつなげ、その成果をしっかりと現実化するために、お話伺い〜終了ミーティング〜支援シートのまとめ〜要約にいたるプロセスをトータルな観点からレヴェルアップを図れるようにしていきたいと思います。

個々の訪問活動の要約に際しても、住民の方との信頼関係の構築、学び役立つ姿勢の反映、虚心坦懐なお話伺いに立脚した問題提起が肝要です。宣伝のために人目を引くことや、政治的利用のために挑発的誇張をしたり、行政当局におもねて問題を糊塗したり矮小化したりすることなど、いずれもあってはなりません。

以前、生活保護行政に関して、ほかならぬ受ける側であるところの神戸市当局者−職員自身が作成した「要望」−自作自演の茶番劇のシナリオ−に、週ボラの宣伝のためと称して賛同団体に加わるよう強要し、誰の賛同も得られず一蹴されたのにも懲りず、後日それをダシに自己宣伝ならぬ自己宣伝をする者がいたことは、記憶に新しいところです。その一方でマトモと思われる取り組みもなされていたことが報道されていますので、紹介しておきます。(以下略)

2008/06/19 ↑TOP


第463(新生第21)回訪問活動(追加)〜100万人のキャンドルナイト

6月14日の「今週の資料」に掲載された,5月24日の訪問活動の記録です。

・70代女性。夫婦二人暮し。東灘区で被災、全壊。小学校に避難し、六甲アイランドの仮設住宅に3年間生活。ご主人は、窮災時に肺炎を患い、5年程前に入院し、退院後も体調が悪く、現在は、認知症で、心臓と前立腺が悪い。週3日デイサービスや看護士に頼んでいる。介護経験から、介護は、最初から頑張らない事だと分かったそうです。ご自身も病院通いで、貧血、栄養失調、手足が浮腫んで、ご主人より多くの薬を服用している。
・90代男性。家族と一緒に暮らす。漉区で被災、全壊。震災の2日後に弟さんが住む、三木市に避難し、仮設住宅には住んでいない。8年前と去年と2回、脳梗塞を患う。普段は、家族と一緒に暮らす。ヘルパーは、頼んでいない。今まで何とか精一杯生きて来た。週1回、足のリハビリをしている。タバコは、週5、6本に抑え、お酒は飲まない。野球と相撲観戦が、趣味とのこと。
・女性。夫婦二人暮らし。ご主人は、70代。灘区で被災、自宅は、傾く。学校に避難しポートアイランドの仮設住宅に入居し、こちらには、補欠で入居できた。薦災時は、体が弱く、寝たきりでした。現在、ご主人は、10年前に脳梗塞で右半身が麻痺している。仮設住宅時に、腸が痛いので手術してから、体調が患い。ヘルパーに頼む事を嫌がっていたが、やっと頼む事に理解した。ご自身も、声帯と甲状腺にガンが見つかり、咳が酷くて、坐骨神経痛を患っている。
・70代女性、1人幕らし。灘区で全壊。地震の時は立っていられなかった。家は崩れたが衣装だけ出せた。みんなえらい目に会ったと思う。近所でもタンスが胸に倒れて来てなくなった方がいた。消防車を呼んでも水が出なかった為、被害が広がった。高校から六甲アイランドの仮設に移った。主人が震災の2年前に亡くなり娘さんは20歳の時に無くなった。隣近所の方とも良く話される。仮設は楽しかった。今も元気と、訪問のあと向かいの部屋へ出かけられた。入居したとき6800円だった家賃が今は25000円である。
・70代、男、2人去らし。中央区で借家半壊。仮設が当たらず2年ほどマンションを借りた。8回申し込んで漸く当たった。震災まではスナック、そのあとは警備の仕事をしていた。何よりお元気で、地域のために活動している事に感動した。震災当時、三宮地下街では停電の為、食料品を捨てると言うので、それを沢山貰って嬉しい事も有った。高校生がHAT神戸に話しを聞きに来ると言う。

夜にかけて雨が強まった5月24日は,G8環境相会合にあわせていくつかの催しが行われていました。「G8ライトダウンフェスタ」の一環として行われた「100万人のキャンドルナイト in kobe」もその一つでしたが,あいにくの大雨のため中止になったものと思い,足を運ばなかったのですが,翌日の新聞報道で規模縮小しながらも行われたことを知りました。(以下略)

2008/06/19 ↑TOP


第463(新生第21)回訪問活動 (速報版)

新生週末ボランティア第21回目となった5月24日の訪問活動は,所用のため,勤労会館前には行かず ,直接現地に向かい,皆さんと合流して訪問活動に入りました。

今回は,住民の方のお身体・健康の都合で「お話伺い」が難しいケースに遭遇することとなりまし た。概要は,私が参加した分の要約を載せておきましたので,ご覧ください。

またあわせて,これまでお話し伺いをさせていただいた住民の方や,ふれあい喫茶「神大喫茶」を 続けている神戸大学生のメンバーらと,これまで活動の中で撮影した記念写真を差し上げながら, さらなる対話と交流の深化を実現しました。

このHAT神戸灘の浜での活動の締めくくりとして,有終の美を飾るにふさわしいものとなったといえ るでしょう。同時にこれは,この間1年余りにわたって進めてきたところの正常化−清浄化の闘いの 里程標でもあるといえるでしょう。

この間の総括と今後の活動にたいする展望を,来る7月13日に予定されている週末ボランティア総会 に向けて,まとめていくとともに,その過程においても適宜公表・公開していきたいと思います。

・70代女性,東灘区で被災。認知症のご主人の介護がたいへん。自分の言うことを聞いてくれず, 話が合わないので淋しい。ご主人が寝ているため,戸口で小声でお話を伺う。
・90代男性,灘区で全壊。近所もお互いやられているので協力しても大変だった。「なぜ私が今日 まで生きながらえてこられたか」といえば「支えがあったから」。8年前に脳梗塞で倒れ,昨年再発 ,今もリハビリを続けている。その後遺症のため,話しづらい様子中でのお話し伺い。
・70代 女性,灘区で被災。家は傾き,屋根に穴が開き,雨で家財はダメになった。避難所では,ご 主人はお弁当を配ったりしていたが,自分は体調を崩して寝ていたので,震災当時のことはあまり 解らない。年金暮らしで,2人の医療費・入院費がたいへん。2人各々が身体悪くなっていく。調子 がつかめずイライラする。甲状腺ガン寸前というほどにのどを痛めていて,話しづらそうな中での お話し伺い。

2008/05/26 ↑TOP


本日(08/05/24)の訪問活動

今日で約2年間にわたるHAT神戸灘の浜への訪問活動を終えることになります。
締めくくりにふさわしく,有終の美を飾る訪問活動を実現したいものです。
今回は所用のため,現地で参加される皆さんと合流したいと思います。

今朝の新聞に「生活保護費から賠償金差し引く セクハラ敗訴の羽曳野市」という記事がありました。 生活保護や行政当局にたいする姿勢を考える上で参考にしたいものです。

http://www.asahi.com/national/update/0523/OSK200805230091.html

生活保護の申請をした女性(44)への職員のセクハラ行為をめぐる訴訟で敗訴し、 110万円の損害賠償を支払った大阪府羽曳野市が、訴訟費用を除いて女性の手元に残った 約24万円を「収入」とみなして生活保護費から差し引いていたことがわかった。 専門家は「嫌がらせとしか思えない」と指摘している…

東條さんが外部ML等に前回の訪問活動の集約と今回の案内を出してくれていますので, 紹介しておきます。最後の2件は,私が「第461・462(新生第19・20)回訪問活動 (速報版)」で紹介したものと同じ件ですが, 「お話し伺い」にたいする姿勢の違いが端的に表れていて興味深いです。

------- Forwarded message -------
From: 東條健司
Subject: [mlx:582] 今週の週ボラ
Date: Fri, 23 May 2008 16:03:00 +0900

今週の週ボラは5月24日(土)午後1時から神戸市勤労会館の1階ロビー集合で す。
次は6月14日(土)午後1時、神戸市勤労会館に集合ください。

先週の訪問は参加者9名で、以下のようでした。

・ 60代、長田で被災。夜勤で外にいて助かる。だが家具・衣類等は一切持ち出せ ず。50年前からギターを弾いている。4曲ほど引かれ歌って喜ばれる。仮設は鹿の子 台で大変でした。友達が出来行き来している。去年腰の骨折交通事故にあい、今も痛 む。困っている事、家賃が今月から上がって3万円になった。ともかく癒しの1時間 であった。
・ 80代、東灘で全焼。店も家も失った。周りの家を助け歩いたら、うちが貰い火をし て全焼した。地震の教訓は、余計の事はするなと言う事。父は94歳で亡くなったが、 商売は手広く才能もあった。私も元気で恵まれていたが、5年前に胃の手術をして全 摘をし、以来水もグイッと一気に飲めなくなった。今は奥さんと2人暮らし。娘さん も2人よい所に嫁ぎ良くしてくれる。兄弟は12人おり、3人目。始めボランティアなん かイランと言ってたが、最後は握手で分れた。
・ 80代、灘で被災。ご主人が倒壊した家に挟まれ、救急車も来てくれない。近所の 人が怪我した家族を病院に運ぶ時に連れて行って貰った。病院では廊下にマットをひ いて、沢山の人が寝せられていた。立花の病院に転院して、11月15日に亡くなった。 昭和13年の水害、空襲、地震と怖い目にあったが、空襲が一番こわかった。焼夷弾が 背負っていた赤ちゃんとお母さんとの間におち、スルメのようにぐるぐると身体がま がって焼けたり、友人も沢山なくなった。赤い着物が好きと言う彼女は、沢山の話し を残してくれた。50分の間。熱い握手。
・ 40代、東灘で文化半壊。井戸水・火は薪で風呂に入った。親戚が集まって助けて くれた。当時3〜4歳の娘と2人暮らし。こちらの住宅は住みやすい。水・電気・人の 繋がりが大切。店も在るので。でも地震があるとあるとカタマッテしまう。救援物資 をもらい感謝。20分。
・ 80代、妹さんと2人暮し。灘区の市住にて被災。今は膝に故障があまり出歩けな い。でももう少し若い頃はボランティアをしていましたと、明るい声で話してくれま した。
・ 80代、男、東灘で全壊、1人暮らし。6人兄弟。18歳で入隊。丸7年。インド ネシアやジャワ島で食料輸送。復員後実家で結婚。その奥さんは震災1年前に亡く なった。2年間の人工透析の後だった。子供は男3人。自分が命あるのは度胸のあっ た艦長のお陰と、海軍時代の話しに話しが弾んだ。家賃が当初7500円から24711円に あがった。お元気そうで、1時間半のお話しの後、皆さんにとドリンクを沢山いただ いた。
・ 40代、灘区で全壊。避難所は1日のみ、子供の声がうるさいと追い出された。5月 に脇の浜の仮設に移るまで兄の所などにいた。物資は自分で調達し、市からの援助はな し。今も近所付き合いはない。母子家庭の為働いているが、厚生年金加入により手取 り3万円減少。3年前脳梗塞を患い、脳の梗塞が大きくならない様注意している日々。 男子優遇社会に不満。子供等の為頑張っている姿が共感をよぶ。ボランティアは余裕 がないと出来ないとしみじみ。1時間以上の心にのこるお話しを、伺った。

2008/05/24 ↑TOP


第461・462(新生第19・20)回訪問活動 (速報版)

新生週末ボランティア第18回目となった4月12日の訪問活動は,前日来の仕事が長引き,訪問活動に も終了ミーティングにも間に合いませんでしたが,終了後に合流したメンバーから,充実した訪問 活動であったと聞いています。お話し伺いの概要は,今年から新たに参加してくれたメンバーの手 でまとめられ,しっかりとした記録になっています。4月26日の「今週の資料」に掲出され,訪問活動の充実の ために活用されています。

同じく第19回目となった4月26日の訪問活動は,GWに入りながらも在宅率が高く,内容的にも充実し たケースが多い訪問活動となりました。この回については,東條さんがお話し伺いの概要をまとめ ,5月10日の「今週の資料」に掲出してくれています。

さらに同じく第20回目となった5月10日の訪問活動は,訪問予定戸数を少し欲張ったこともあって, やや慌ただしいところもありましたが,各グループとも長時間にわたるお話し伺いを実現し ,終了ミーティングでの集約が追いつかないほどに,充実した活動となりました。

私がうかがったところを要約しておきます。

・80代男性,一人暮らし。東灘区で全壊。この復興住宅に入居した当初の家賃は月額7500円だった が今年24700円になった。生活費は軍人恩給があるので特に困っていない。ヘルパーは頼まず,家事 は自分でこなす。18歳で海軍に志願し,奇跡的に復員できたことや,戦後,神戸に出てきて仕事を しながら,独力で勉強したり,技術を身につけたりしたことなどを伺う。
・40代女性。灘区で全壊。避難所では,幼かった子がうるさいと追い出された。仮設住宅から通う 児童がほかにいなかった上,母子家庭であったことから,小学校で子どもがいじめられた。派遣か ら契約社員に身分が変わったが,社会保険で天引きされて手取りが減り,厳しい。子どもが18にな ると母子手当を打ち切られる上,学費が大変。3年前に脳梗塞を患い,今も腰と膝を痛めている。パ ソコン習いたいがお金がかかるので…。市の福祉担当者は「働け!」というが身体が続かない。

後者のケースは,高齢者とはかなり違った情況におかれたケースで,別の意味での深刻さをもった ものといえます。また,私が以前

弱者イジメの現状固定化策動を許さない! ここがおかしい!「生活保護の運用に関する要望書」
http://harayuan.hp.infoseek.co.jp/volunteer/yobo.html
で採り上げたところの,「いっそう厳しい大衆収奪にさらされ,本来であれば生活保護などの公的 支援策を享受すべき立場にありながら,逆にそのための費用負担を強いられる側におかれている」 ケースでもあります。

これを通じて,現実から学ぶ立場を再確認したいと思います。

次回は,約2年間にわたるHAT灘の浜への訪問活動の最終回を予定しています。有終の美を飾るにふ さわしい活動を実現したいと思います。

2008/05/20 ↑TOP


4月26日の訪問活動

今日,長野では,厳戒態勢のもと,聖火リレーが行われようとしています。
私は,宗教指導者であるダライ・ラマがチベットに,少なくとも現体制下で 認められている以上の自由をもたらすとは考えませんし, チベットへの抑圧によって政権基盤を固めた胡錦濤の指導下にある 中国政府−中国共産党を支持するつもりもありません。
今回各地で行われてきたところの聖火リレー妨害の政治的背景を 冷静に洞察する機会とし,これを週末ボランティアの活動に臨む姿勢にも 反映させていきたいと思います。

「政擾化」に流されたり,与したりすることなく, 情況から学びとる姿勢を堅持することの必要性・重要性が 今まさに問われていると言わねばなりません。

前回の訪問活動は,前日来の仕事がのびて,参加に間に合いませんでしたが, 終了後,何人かの方と合流し,様子はうかがっていました。質・量ともに充実した訪問活動が実現できたことは喜ばしいことです。

今回は,好天のGW初日とあって,在宅率が懸念されます(昨年同時期は新規お話し伺い0)が, 参加者一人一人にとって,学びの機会として有意義な活動が実現していきたいと思います。

2008/04/26 ↑TOP


第459(新生第17)回訪問活動(速報版)

訪問活動を終え,翌日都内に帰ってきたら,桜が咲き始めており,速くも満開近くなったところもあります。

新生週末ボランティア第17回目となった3月22日の訪問活動は,予想以上の暖かさのなかでの訪問活動となりました。

かつて週末ボランティアが仮設住宅訪問で訪ねた地である神戸市内からきた新たな男性2名に加え,前回レクチャーに参加されたご婦人が,はじめて訪問活動に参加されたほか,今年になって参加された方々も,なじんでこられたように思われました。

この日は,神大喫茶に加え,同じ神戸大学生グループによる足湯が行われており,そこに参加された方も多かったようで,お話し伺いが実現したところでは,喫茶−足湯に行く方が多い層以外の方や,そこから帰ってきたばかりという方もいました。また,前回活動時にお留守だったお宅で,訪問要請があって伺ったところもありました。

このところ住民の方の反応が良くなっているとの印象をもつ参加者も多いようです。新聞に相次いで掲載されていることも大きな理由として考えられます。とりわけ最近の「朝日」の効果は,それまでをあわせた以上といえるでしょう。こうして勝ち取ってきた信頼をさらなるものへと構築していきたいものです。

なかには調子に乗ってテレビにも…といった考える向きもあるかも知れませんが,それはどうでしょうか? テレビの取材となると,訪問活動それ自体がやりづらくなることも充分考えられますが,テレビ出たさに不真面目な参加者がやってくることも懸念されます。またバラエティー番組など,ふざけたものがやってくることや,局や制作会社によっては,まじめなジャンルの番組で取材した映像を,ふざけた番組に使い回すことも,多々あります。

信頼・信用という点では,テレビよりも新聞によるものの方が優位にあると考える向きが多いことから,「朝日」を含めた各紙が好意的に採り上げてくれている現状では,今よりプラスになることは考えがたく,むしろマイナスの方が多いといえるでしょう。ここはひとつ慎重に行きたいものです。

終了ミーティングは,参加者一人一人が集中してくださった結果,充実した内容となりました。

先月上がり込んでお話し伺いさせていただき,参加者一同で記念撮影した住民の方の御主人さんのお通夜が行われることがわかったため,終了ミーティングの後,東條代表と私がHAT灘の浜に再び向かい,参列してきました。「また寄ってください」とのことでしたので,落ち着かれた頃を見計らってお訪ねしたいと思います。

なお,終了ミーティングでは,時間の制約と集約・報告すべき訪問活動が多かったことから,他の用件・課題について話し合うことはできませんでした。そのため,当面するものを列挙(一部再掲)しておきます;

・現在訪問中のHAT神戸灘の浜9番館の終了(2〜3ヶ月)後の訪問先について

> > 以下のような選択肢があります;
> > ・HAT神戸灘の浜10番館(市借り上げの公団住宅)
> > ・筒井住宅(灘の浜の前に1度訪問)
> > ・HAT神戸脇の浜(倉谷さんがお住まい。これまで2度訪問)
> > ・コミュニティ春日野(市借り上げの民間マンションの復興住宅,全48戸,未訪問)

・ボランティア保険について

現在加入中のものが3月末で切れるため,4月以降の継続についての手続きなどが課題となります。当日配布した「今週の資料」では,加入推奨とあわせて「毎回ご加入受付します」とありますが,新年度分の受付体制はできていません。また,活動当日申し込みを受け付けても,正式手続き完了の翌日からでないと発効しないため,当日については補償対象外となるなど,実効性とともにさまざまな問題を引き起こす可能性があります。東條代表・佐治会計の手間・負担もあります。そこで,今後新規に週ボラを通じて加入受付をすることについては,見直す方向で検討したいと思います。また,現在週ボラを通じて加入しているメンバーについては,東條代表・佐治会計と連絡し,別途連絡・案内するようお願いしました。

※個別に,もしくは他団体を通じて加入されている方で,新年度も継続される方は,各々の参加団体や手続き先にてお願いします。その際重複加入のなきようご注意ください。
※これから新規に加入をされる場合,地元の社会福祉協議会に直接申し込み・手続きされるのが確実と思われます。
※ボランティア保険の内容はこちらを参考にしてください。
http://www.tcsw.tvac.or.jp/pdf/fukusi/volunteer-200305-hoken20.pdf
 (東京都内受付のもの,他の道府県でも基本的に補償内容は同じ)。

3月22日
・70代男性。灘区で全壊。三女の太ももに家の部材が刺さり,鋸で切って3時間後に救出。手術まで1月待たされ,3ヶ月後に退院できたときはうれしかった。家族で入った避難所の小学校の廊下が狭く寒かったため,落ち着かなかった。西区の仮設住宅,大阪の文化住宅に入ってからも生活が大変で,毎日苦労の連続だった。広い部屋で隣近所ともうまくいっているので,この復興住宅に入居できてよかった。3年前に奥さんを亡くしたとき150人もの人が来てくれ,そのときの写真集を見せていただいた。
・女性。長田区で全壊。西区の仮設住宅を経て,この復興住宅に入居して10年目。目が不自由で,白内障の手術をしたばかり。
・60代男性,一人暮らし。震災時は三田市在住で被害はなかったが,道路が壊れ物資の支援が大変だった。若い頃は土木工事で激しい仕事をしてきた。今は肺が悪いのが気になる。遠くに行くと息切れするので車いすを利用。時々淋しくなるので茶飲み友達が欲しい。楽しくいろいろな話しをされ,初参加の大学生を励ましてくださった。
・80代女性,一人暮らし。東灘区で被災。スポーツが得意だった少女時代,結婚後間もなく日中戦争となり,身重の奥さんを残して応召した太平洋戦争でご主人が戦死したため短かった結婚生活,店を焼かれた神戸空襲,戦後の食糧難…。辛く苦しかったことも語るなかで表情は明るくなっていった。前回訪問時留守だったため再訪問の要請を受けてお話し伺い。
・70代男性,一人暮らし。中央区で被災。震災時,スーパーから食料がなくなっていて,液状化現象で噴出した泥水の中を長靴で歩いて水をもらいに行った。娘夫婦が宝塚から歩いて食料と電気コンロをもってきてくれた。奥さんの上にテレビが落ち,胸を痛がったが,医者に診てもらったのは1月後になったことが災いしてか,病状が悪化し1年ほどで亡くなった。内装工事の仕事をしていたが,震災で仕事がなくなり,「震災で(人生が)ころっと変わってしまった」。生きる意欲をなくしたところから立ち上がって新たな生活を始めたところ,オートバイで事故に遭って,足を60針程度縫い,踵の骨がなくなるほどの大けがをし,歩けるようになるまで1年半ほどかかった。
・40代男性。中央区で被災。震災後は地下鉄の復旧工事に忙しく,ほとんどうちに帰れなかった。
・59代女性。須磨区で被災。震災の時,数珠繋ぎのダンプカーがきたようなゴォーっという音がした後,突き上げられた。避難所となっていた近くの小学校でもらったのはパンと折りたたみのレインコートだけで,これは今も使わずにとってある。ご主人は舶載コンテナを運ぶ運転手で,震災で神戸港の岸壁が崩壊して仕事がなくなったが,補償・手当などはなかった。「家をなくした人に援助があって仕事がない人に援助がない」ことの不条理さを,少し涙目になりながら話された。
・70代女性,一人暮らし,長田区で被災。「長田の火事は今でも涙する」。訪問活動と同じ時間に行われていた,学生ボランティアによるふれあい喫茶と足湯から帰ってきて間もなくお話し伺い。詐欺などの悪質訪問者が多く悩まされ,一人暮らしゆえの不安は大きい。週ボラの訪問は予告チラシが入っていたのでドアを開けた。震災時,テレビが落ちてきて右手を負傷,出血が多く苦しみ,その傷が今も残っている。

2008/03/26 ↑TOP


第458(新生第16)回訪問活動(速報版)

新生週末ボランティア第16回目となった3月8日の訪問活動は,寒さもやわらぐなかでの訪問活動となりました。
東京からの久々の参加者に加え,宝塚から来られたご婦人がレクチャーに参加され,次から訪問活動に参加してみたいとのことでした。

またこの日は「朝日新聞」記者が同行取材し,翌9日の朝刊に早速記事を載せてくれました。またアサヒ・コムにも10日付で出ています。
【HAT神戸の10年】悩み聞き 訪問458回 2008年03月10日
http://mytown.asahi.com/hyogo/news.php?k_id=29000220803100001

復興公営住宅が立ち並ぶHAT神戸では、週末になると多くのボランティアが被災者宅を訪問して悩みを聞いたり、催し物を開いたりしている。「週末ボランティア」(東條健司代表)もその一つ。8日午後、訪問活動に同行させてもらった…

この「朝日」記者は,独力で被災者・被災地問題に取り組んで,質・量ともにすぐれた記事を出していますが,これまで週末ボランティアへのコンタクトはありませんでした。これまでの自身の取材で,週ボラについても相当調べていて,昨年までの異常な活動情況と正常化−清浄化への取り組みについても知っていたことでしょう。この日のお話し伺いは,後述の通り,必ずしも震災ヴォランティアとして充実した内容といえない面もあるものですが,そうした中でこれだけの記事を作成したことは,事前の下調べがかなりなされていたことに加え,今回の週ボラを好意的にとらえ,しかも相当な実力がある人だということが解るでしょう。

この日も記事の締め切りのためか,途中で帰社し,終了ミーティングがまさに始まろうとする頃に電話で確認を求めてきました。こちらの頭の中でもまだ集約できていない情況でしたが,この対応を通じて,頭の中を整理して集約を進めることができました。こうしたものも励みになります。取材要請があった時点で早めに連絡をいただければ,もっと丁寧な対応ができたかと思われる点が惜しまれます。

「朝日」の震災関係記事一覧 http://mytown.asahi.com/hyogo/newslist.php?d_id=2900022

訪問活動が早めに終わったため,終了ミーティングを早めにスタートし,限られたお話し伺いながら集約・共有することで,参加者の学びを深めるとともに,お話し伺いのうち震災以外の部分をいかにとらえていくかといったような課題もまたハッキリと出てきたように思われます。

終了ミーティングでは,現在訪問中のHAT神戸灘の浜9番館の終了(2〜3ヶ月)後の訪問先について,東條代表から提起されました。
他に出された意見も合わせると,以下のような選択肢があります;
・HAT神戸灘の浜10番館(市借り上げの公団住宅)
・筒井住宅(灘の浜の前に1度訪問)
・HAT神戸脇の浜(倉谷さんがお住まい。これまで2度訪問)
・コミュニティ春日野(市借り上げの民間マンションの復興住宅,全48戸,未訪問)
灘の浜10番館は,これまでの市営住宅とちがい,被災者や見込まれるニーズは少ないというのが,今回の提案にいたった直接的な理由のようです。

この提案をめぐって,最年長の参加者から「(未訪問箇所へ)突撃!」との意見が出される一方,若年の参加者が空疎な形式論ならぬ形式論を振りかざして再々訪問に執着する姿が見られました。私自身の意見はともかく,前者に敬意と賞讃を表したいと思う一方,後者の新たな情況から学ぼうとする前向きさと謙虚さの欠如には,怒りを通り越して呆れさえします。

コミュニティ春日野については,今回同行取材した記者による以下の記事が参考になるでしょう。

高齢化進む復興住宅の1年を追う 2008年03月08日
http://mytown.asahi.com/hyogo/news.php?k_id=29000230803080001

阪神大震災で自宅を失った被災者のために建てられた災害復興公営住宅で高齢化が進んでいる。街開きから10年を迎えたHAT神戸内に、象徴的な復興住宅がひっそりと建つ。神戸市が民間マンションを借り上げた「コミュニティ春日野」(48戸、9階建て)だ。同住宅の1年を追った…

3月8日
・90代女性,東灘区で被災。心臓ペースメーカーを入れていて,歩くのも苦しいほどだが,ここは近くに病院があり,週2回ほどヘルパーさんが来てくれ,24時間体制で見守ってくれるので安心。
・80代女性,灘区で全壊。震災時,目を覚ますと壊れた天井から空が見えていた。動けなかったが近所の人が助け上げてくれた。家財を奪われたことから人間不信に。「何とかやっていけたらいいと思って…でももういい加減(お迎えに)来てもらわないと」と,くよくよしないしないつもりでも不安になるときがあり,夜は精神安定剤がないと眠れない。週3回ヘルパー,週2回デイサービスを利用。
・80代男性,灘区で被災。「13年も放ったらかしにしといて今頃何の用やねん」と言われたが,訪問活動の趣旨を説明しお話を伺う。震災時,近隣の人が避難する中,自身は親類に助け出されるまで4時間ほど冷蔵庫の下敷きになったままだった。このときからの人間不信からか震災についてはこれ以上話さず。5年前交通事故に遭い,以来杖が必要になったが,3日間意識がなく傷だらけになりながらも骨折しなかったことに医者が不思議がった。少年時代から得意だった剣道や,戦時中軍需工場で厳しい監視下で危険な作業に携わったことなどのお話を伺う。

1月5日の集会に参加してくださった方の自宅が,3月4日夕方全焼しました。お会いすることなどあればお見舞いをいっていただければと思います。

2008/03/11 ↑TOP


第457(新生第15)回訪問活動(速報版)

新生週末ボランティア第15回目となった2月23日の訪問活動は, やや不安定な天候と厳しくなる寒さのなか実現することができました。

留守宅が多いことは予想されていましたが,限られたチャンスを活かすという点では, 一定の前進は見られたといえるでしょう。

早くに予定された訪問を終えたため,脇浜の倉谷さん宅に移動しました。 倉谷さん宅初訪問となる2度目の訪問活動参加者は,倉谷さんの話にも熱心に耳を傾け, 引き続き誠実で真摯な姿勢で臨んでいたのが印象的でした。

まとまった時間のお話し伺いができたのは3戸,ほかに 住民自身記入の支援シートをもとに対話を実現したケースが1戸ありましたが, 充実したお話し伺いとするには困難がともなうケースも含まれる中で, 参加者のお話伺いに臨む姿勢の向上という点で,向上が見られたことは, 今回の訪問活動の意義といえるものです。

前回同様,このところ定着してきた,落ち着いた,和やかな雰囲気が若干損なわれたのが残念です。 参加に臨む姿勢について,一部参加者にたいしては,引き続き猛省を促したいと思います。

・60代男性,灘区で半壊。阪神高速そばにある運送会社でリフトに乗っていたときに地震に遭い,目の前の電柱が1mが沈んだのを見た。被害を受けた会社の片付けに1月間通ったが,その間の給料は出なかった。避難所に物資を届けに行ったとき喜ばれたのがうれしかった。震災の日の夜中になってやっと母を避難させ,以後遠方の避難先から,震災後何日も火の手が上がっていた長田などを通って職場に通った。今身体は悪いところだらけで,特に永年の激務や事故のため腕の自由がきかず,あまり仕事はできない。
・60代男性,一人暮らし,長田区で被災。震災時は単身赴任中で神戸に残った奥さんが被災。赴任先から神戸に帰ったが,仕事のため間もなく赴任先へ。今は永年勤めた会社とは異業種の接客業に就いている。奥さんとは半年前に離婚。人に騙されたことも多かった。今は日々健康であればいい。これまでの仕事などから得た人生の教訓を,出勤前の限られた時間で語ってくださった。
・70代女性。「健康と思っていても一年ごとに薬の種類も多くなり…足腰が弱くなったらどうしようかナァと思うことがあります。特養にはいるには時間がいるときいています。この待ち時間をどうするか,今の所不安な一点です」とご自身で記入された支援シートをもとにお話し伺い。ヘルパーに来てもらったことはない。その日その日をちゃんと生きられればいいと思うが,日々老化を実感し,かかりつけの医師・病院を決めなければと思っている。
・80代女性。被災後の避難生活や現在の家事などは娘さんがやってくれている。早寝を心がけ,身体は悪いところはない。買い物ぐらいしか外出はせず,近所づきあいはほとんどしない。テレビを見たり編み物をしたり,好きなことをして過ごしている。

2008/02/23 ↑TOP


第456(新生第14)回訪問活動(速報版)

新生週末ボランティア第14回目となった2月9日の訪問活動は, 訪問開始前の午前中から雪が降る中で,地元からの初参加者,前回の初参加者, 久しぶりの参加者らとともに行われ,厳寒の中にも心温まるお話し伺いを実現しました。

繰り返すまでもなく,現在の週末ボランティアは以前のそれとは違います。 決して後戻りすることがあってはなりません。別のものと考えてください。 参加に当たっての心構えも,それにふさわしいものが求められます。

以前からの参加者にはとりわけ,新たな参加者の模範となってもらいたいものです。 そういった方に,もしくはそういったコンディションの時に,参加してもらいたいものです。 このところ定着してきた,落ち着いた,和やかな雰囲気が若干損なわれたのが残念です。

前回で8番館の訪問を終え,今回からは西隣の9番館の訪問に入りました。 同番館は介護支援施設が設けられていたり,低層階がバリアフリー化されていたりするなど, 要介護者・障碍者向けのつくりになっており,居住者も必ずしも震災被災者とは限りませんが, 震災との関連如何に関わらず,しっかりした「お話し伺い」を心がけたいものです。

・70代男性,灘区で全壊。震災時長男が大腿骨骨折,その痛みでガンに気づかず手遅れとなり亡くなった。 「自分は運の良い人間」と,震災で助かったことに感謝して,元気で前向きに,豊かな人生を送っているご様子。
・70代男性,灘区で被災。龍野に避難,西区の仮設住宅を経て,この復興住宅へは竣工時から入居。 はじめは買い物に不便感じたが今は大丈夫。 重度障害の奥さんがデイケアを受けている間にご主人自身の通院をされている。
・80代男性・70代女性夫婦,中央区で一部損壊。ご主人は定年まで会社勤めをしていたまじめな人で, 仮設住宅では自治会長をしていて,住民の仲も良かった。 この復興住宅の間取り,特に台所の使い勝手の悪さが気になる。
・60代夫婦,北区で一部損壊。ご主人は20年来半身不随で,震災時は大事を取って一時避難所へ。 永年住み慣れた場所では植木いじりをするなどしてリハビリになっていたが, 2年前ここに来てからはあまり外出もしなくなった。
・70代女性。90代の夫と暮らす。西区の仮設住宅を経てシルバー枠で入居。 認知症気味ながら体力は依然あったご主人の介護をしてきたが,最近ご主人が体調を崩し入院,容態が心配される。 仮設住宅の時,ご近所の方をよくお世話され,公的支援を求めて上京したことも。その頃の写真を大切にしており, 同行したメンバーと久しぶりに再会,新たな参加者とともに記念写真を撮影。

このところ毎回の「速報版」として掲載している「お話し伺い」の記録は, 毎回の終了ミーティングの報告に基づいて作成しています。 完成された支援シートと照合して,年ごとに記録としてまとめ, 資料として活用できるようにしたいと考えています。

前回及び今回の訪問活動の様子を撮影した写真ができました。 最後に訪問したお宅で撮影した写真は,バックに写った洗濯物が気になるため, ネガからスキャンしてトリミングしたものを焼き増しして,差し上げることにします。

2008/02/13↑TOP


第455(新生第13)回訪問活動(速報版)

今日の訪問活動は,寒さが身にしみる天候でしたが,東條代表が復帰し, 大学などの学年末試験の時期に当たることもあって, 前回のような学生の参加者はありませんでしたが, 地元神戸市東灘区・芦屋市から青年2名の初参加者をむかえて行いました。

留守宅が多く,在宅であっても安否確認程度の対話しか行えず, 新たなお話し伺いはできませんでしたが, 先般の「読売」記事に写真が掲載された住民宅を,初参加者を交えて再訪問し, 自らも少年時代に被災した経験を持つ初参加の青年と交流を持つことができました。

今回の訪問活動の最大の意義は,人の役に立ちたいという真摯な姿勢とともに, 人の痛みをわがものとして受け止める,誠実さと優しさを持った 初参加者に恵まれたことにあるでしょう。

こうした参加者を迎えることで,非常にいい雰囲気の活動が実現できました。 こうした姿勢を,これまでの参観者一人一人が学び共有することで, いっそう充実した意義あるものにしていきたいと思います。

2008/01/26 ↑TOP


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