新世紀の「週末ボランティア」
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「孤独死」が出た部屋(左), 住宅への坂道(右) (2003.3.22)
復興住宅は,被災者もそうでない人も,年齢・家族構成などが異なった人たちが入る。神戸市の住宅政策の所産だ。自然発生的な地域コミュニティーではないので,住民間の人間関係の構築は易しくない面も少なくなく,希薄になりがちだ。住宅へ至る急坂の途中で休憩できるようベンチがある。 (2003.3.25)
※「ちょっとカー」に関する記事は,「「ちょっとカー」レポート」に移動しました。
名谷駅東住宅(左), ラジオ局の取材(右) (2003.7.26)
名谷駅東住宅は神戸市営地下鉄名谷駅からペデストリアンデッキなどで結ばれており,以前からあった公営住宅に復興住宅が加わっている。徒歩圏内にあるとはいうものの,高齢者などには,駅近くへの買い物もつらいことがある。また,神戸市営地下鉄の料金の高さゆえ,この近くから三宮方面への交通費は高くなり,須磨区内でもとりわけ不便なところとなっている。これは住民のみならず週ボラメンバーの財布をも直撃する。そのため回数券を共同購入するなどの自衛策を講じている。
本格的な夏の暑さに見まわれた7月26日の訪問活動には,AM神戸(ラジオ関西)の西條遊児さんらが訪問活動に加わりつつ,メンバーに取材を行った。この内容は,8月4〜8日「早起きサラダ情報局」という番組の「おむすびほっかほっか訪問」(6:32〜40)というコーナーで紹介された。
名谷駅前に集合(左),終了ミーティング(右) (2003.6.14)
週末ボランティアの訪問活動では,訪問先のお宅に上がり込んで長時間にわたって話し込むなどじっくりとお話を伺って,充実したものになることもあれば,訪問先が留守であったり,震災について話すことを避けたがることから,訪問活動がうまくいかないままに終わることも少なくない。この日ラジオ局が同行したメンバーが訪問したところは,運悪く後者のパターンが多かった。 (2003.9.3)
HAT神戸・脇の浜住宅 (2003.12.10)
HAT神戸は,三宮から東南方向に直線距離で約2kmにある復興住宅群。市営・県営・公団と設置主体が異なる棟が複合している。設計は安藤忠雄の手になるという。
JR三宮駅前にて,通行人に呼びかけをする東條健司代表 (左)(2003.12.13), レクチャー風景(2004.1.10)
名谷駅東住宅・ベルデ名谷訪問の際には神戸市営地下鉄名谷駅に集合していたが,今回のHAT神戸・脇の浜住宅訪問に際しては,JR三宮駅前の元噴水広場に集合し,訪問前レクチャーや参加者の自己紹介の後,バスで現地に移動した(以前のHAT神戸訪問時は灘駅集合)。
JR三宮駅前からバスでHAT神戸に向かう (2003.12.13, 2004.1.10)
JR三宮駅前からHAT神戸に向かうバスは,途中他の公営住宅や県立美術館をまわり,直線距離の何倍かの道のりを経て最終目的地に向かう。また終バスが4時台と異常に早い。
訪問宅前からの眺め(左),南隣に建設中の公務員住宅(右)(2003.12.13)
居住性・機能性という点では「?」。工場跡地を利用してつくられたこの住宅群は,都心部への直線距離が短いにも関わらず,バスや道路の利便性が悪く,近くて遠いところとなっている。このアクセシビリティーは,住民のおかれている個々の情況の違いをいっそう顕著なものにしている。
コレクティブハウス棟への「予告チラシ」入れ (2003.12.13)
週末ボランティアの訪問活動では,毎回の訪問対象家庭に,事前に「予告チラシ」を配布している。これが住民の方々に安心して訪問ボランティアに扉と心を開いてもらう上での重要アイテムとなっている。
HAT神戸・脇の浜住宅10号棟は,高齢者世帯だけが集められた「コレクティブハウス棟」であり,侵入者対策として,棟の入り口をオートロックのマンションのように閉め切っているため,他と趣を異にしている。隔階にコモンスペースがあり,12月27日からの訪問活動では,個々に住民の方にきていただいて,お話し伺いを行った。当初は多くの見学者などが訪れたものの,最近ではそうしたものもほとんどなくなり,「コレクティブハウス」の本来のあり方や理念から乖離した現状と住民の方々の本音ともいうべき声を聞くことができた。 (2004.1.15)
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訪問活動のための現地設営準備(上),訪問活動の合間(下),訪問先となった棟(右) (2005.4.9)
神戸行きも最近は他の所用と一緒にすることが多い。この春はかなり寒い時期が遅くまで続き,4月になって急に暖かくなった。この日は訪問・お話し伺いできた戸数は少なかったものの,それなりに充実したものといえた。
HAT神戸・脇の浜住宅は,県営・市営に加え公団と,異なった運営主体からなる。このうち公団住宅を市が借り上げたものがある。そうしたところは市営住宅並に家賃が抑えられているが,将来的には公団住宅並にはね上がってしまうことが避けられない情勢だ。そうなると住民の中には家賃の支払いが不可能になるところもでてこよう。公営住宅では通常考えられない,こうした不安を抱え日々を過ごしている人も少なくない。 (2005.4.29)
神戸市営筒井住宅 (2006.1.14)
週末ボランティアでは,それまでのHAT神戸・脇浜住宅にかえて,2005年春から筒井住宅への訪問活動を続けている。筒井住宅は,HAT神戸同様,三宮から東に2kmほどのところにあるが,復興住宅として早い時期に建設されたところだ。そのため,施工不良ではないかと思われる部分も少なくないという。
訪問先を確認(左),インターホン越しに会話(右)(2006.1.14)
訪問活動に先立って,表札や郵便受から居住者名などを確認し,訪問予定のお宅に予告チラシを入れてあるので,いきなりの飛び込み訪問ではない。訪問はまずこれを確認しながら行う。留守のお宅もあれば,インターホン越しの会話で終わることもある。留守の場合は訪問したことを示す「留守シート」をドアポストに入れておく。
お話うかがい風景(左),留守シートを記入(右)(2006.1.14)
この日私が参加した班では,訪問先のお宅が,いったん訪問したところ留守だったものの,間もなく戻ってこられたため,玄関先で45分ほどのお話うかがいとなった。また別のお宅では部屋にあげていただいて45分ほどのお話うかがいとなった。「1.17」を間近にしての訪問とあって,いずれも内容の濃い,それだけ深刻でありながらも力強いお話であった。
「終了ミーティング」にかわる「交流会」(2006.1.14)
訪問活動終了後は再び勤労会館に集まり,支援シートの整理をしたり,それぞれの班が訪問して伺ってきたお話の内容を報告し合い,経験交流を図る「終了ミーティング」を行ってきた。最近では充分な成果が得られないことや,他のメンバーや班の訪問結果までしっかりと受け止めることが困難なことも増えてきたため,2006年最初の訪問活動からは,訪問活動の整理や後片付けとあわせて,参加者の交流をはかる「交流会」にかえることとした。 (2006.1.20)
HAT神戸・灘の浜住宅訪問からは新世紀の「週末ボランティア」訪問活動篇・2をご覧ください。