新世紀の「週末ボランティア」
行事・イベント篇

最近の「神戸・週末ボランティア」の活動の中で,折に触れて行ってきた行事・イベントに関するものを集めてみました。

「神戸・週末ボランティア」訪問活動300回記念討論集会「ボランティア8年から見えたもの」
過去シートを読む会訪問討論会 「この街は、生きていて良かったと言える街になったか…」
週末ボランティア10年目の集い週末ボランティア総会11年目の被災地を考える追悼と討論の集い
12年目の被災地を考える追悼と討論の集い2007年週末ボランティア総会

「神戸・週末ボランティア」訪問活動300回記念 (2001.7.28)
At the 300th Visit Activity of "Weekend Volunteer in Kobe"

震災が起こった1995年から毎週土曜日に訪問活動を続けてきた「神戸・週末ボランティア」は,2001年4月から,毎月第2・第4土曜日の隔週の活動体制となり,引き続きねばり強い活動を続けている。7月28日(土)には,ついに300回目を迎えた。それを記念して,住民とヴォランティアの交流と親睦を図る茶話会が開かれた。


会場となった名谷駅東口住宅とその集会所 (2001.7.28)


会場風景 (2001.7.28)

約50名の住民と,約30名のヴォランティアが参加。報道陣の取材も受けた。

活動を続けてきたことの意義や,その中での熱い思いを語る東條健司・週末ボランティア代表。
対話と交流のきっかけを作ろうとしたが,いつの間にか独演会に。東條はん,やりすぎでっせ!


最後に記念撮影。

初参加の高専生,常連,久しぶりの参加者など,さまざまなメンバーが集った。

大震災 週末ボランティアが300回迎える」 (神戸新聞 2001/07/29)

討論集会「ボランティア8年から見えたもの」(2003.1.18)

週末ボランティアの1.17メモリアル行事として,「ボランティア8年から見えたもの」と題した討論集会が行われた。最近&古くからの週ボラ参加者に加えて復興住宅住民の方,様々な方面で活動されている方などを交えて,被災地8年目の現状を確認し,9年目の支援活動のあり方や課題を展望した。


会場風景(あすてっぷKOBE:左)と懇親会(右) (2003.1.18)

被災地・被災者とヴォランティア活動を考える総合討論会ということで,特にテーマを限定したわけではなかったが,主にこれまでの仮設住宅&復興住宅の訪問を振り返って,その意義を確認し,あり方を改めて考えることが中心となった。また,平日昼間の新たな活動「ちょっとカー」の現状報告なども行われた。

復興住宅において,家賃滞納者が増加したり,住民間の行き違い・対立が深刻化していることなどが報告された。週末ボランティアとしては,外からの視点と立場を最大限活用し,こうした住民間の相剋・分断を阻止し,安心・快適に生活できるコミュニティーの創造に寄与してゆくことが,新たな課題となろう。 (2003.2.3)

過去シートを読む会 (2003.8.30)

2003年8月30日(土)13〜17時,神戸市総合福祉センター4階の第1会議室にて,これまでの訪問支援シートなどの膨大な資料を読む場を設けられた。この3週間前の8月9日に訪問活動が350回を数えていることから,その記念行事ともいえよう。


会場風景 (2003.8.30)

マスコミも取材に訪れた。机の上は資料の山でうまった。懐かしい場面やシリアスな場面を思い出したりすることも。

「支援シート」とは,週末ボランティアが仮設住宅や復興住宅を訪問した際,個々の訪問先で伺ったお話の内容や情況をまとめたもののことだ。様々なケアやサポート,行政当局をはじめとする各方面への要求を集約するにあたっての基礎になるものだ。プライバシーに関わるもの故,その内容は外部に公開することはないが,旧い仲間の訪問活動を知りたいというメンバーの要望や,資料整理の必要から,取扱いに注意し,日時場所限定で目を通す場を設けるべく,この機会をもつことになった。

会場となった会議室は,週末ボランティアがこの8年間に蓄積してきた,「支援シート」をはじめとする,まさに宝の山というべき膨大な資料によって埋め尽くされた。震災時の生々しい記憶,仮設住宅での生活再建の展望が見いだせない不安の日々の想いや生活情況,復興住宅での人間関係構築や地域コミュニティー参加への不安,行政当局などへの様々にして切実な要求内容……,ヴォランティアがその時々に聞き取った内容が詰まっている。訪問先の住民の方々の姿とともに,訪問活動に参加したヴォランティア・メンバーの姿も彷彿させる。

これらの価値は,単に8年あまりという期間にわたって続けられてきたことによるのではなく,その間に多様な参加者を擁してきたことによる。まさに老・壮・青の三結合である。訪問先の住民もまた多様な存在であることに変わりなく,それを受け止める側の力量もまた多様性のうちに可能となるわけである。これを継続的に実現してゆくことが,今後の課題であるとともに,活動の展開・発展を展望させるものだといえるのである。 (2003.9.3)

訪問討論会
「この街は、生きていて良かったと言える街になったか…」 (2004.1.10)

2004年1月10日,この年第1回目の訪問活動日に,恒例の「1.17」関連行事にかえて,週末ボランティアでは訪問先のお宅を会場として討論集会を行った。


討論集会後の記念撮影。HAT神戸・脇の浜8棟108号室,倉谷さん宅 (2004.1.10)

「この街は、生きていて良かったと言える街になったか…」というテーマのもと,10年目を迎える被災地に相応しい「被災者とボランティアによる討論」の場を持つべく開催されたこの討論集会では,副題にもあるように「10年目を迎える被災地から、大地震活動期の日本への提言」をめざすものであった。


討論集会 (2004.1.10)

この日の討論をもとにまとめられた提言は,以下のようなものだ;

「被災者とボランティアの討論会」からの提言(抜粋)

 10年を迎える被災地から全国の方々へ「被災地神戸の再発見」に来てくださ い。

 都市化した日本が未だ経験したことのない大地震活動期に備えて、南海地震・東海地震など予想される大災害への教訓が一杯に詰まっている、阪神・淡路大震災被災地を再び訪れてください。
 それどころでなかった9年を越えて、被災地はいま語れる言葉に満ちています。被災地の生の言葉を聞いてください。多様で多岐に亘る被災地の言葉の中から、これからの日本に必要なことを学び取ってください。10年目を迎える被災地神戸の「再発見」に来てください。

かかる「被災地神戸の再発見」の呼びかけと,そのための情報発信と媒介の担い手としての週末ボランティア及び一人一人の参加者の役割と責務は大きいといわねばならない。 (2004.1.15)

週末ボランティア10年目の集い (2005.1.16)

阪神淡路大震災10周年のメモリアルデー前日である2005年1月16日,週末ボランティア10年目の集いが,三宮の神戸市勤労会館4階特別会議室を会場にして開かれた。ここで「今後の被災地訪問支援活動を、より自主的により工夫をして継続」との方向を決めた。あわせて10周年記念誌が発行された。


集会に先立ち参加者全員で全ての犠牲者とその後に健康を崩して亡くなられた方々などへ黙祷。

例年「1.17」前後には,神戸近辺で旧い仲間と思いがけず出会うことも多い。この会でも,かつてともに活動した仲間の懐かしい顔を見ることとなった。


会場風景。神戸市勤労会館4階特別会議室にて (2005.1.16)

10年目の被災地では,復興住宅5年間の孤独死が327人と,仮設住宅5年間の孤独死者数233人を大きく上回るものとなり,神戸市内の一般住宅を含めた孤独死も前年を2割上回る最悪の428名にのぼり,西宮市の災害復興住宅で昨年11月,独り暮らしの男性の白骨遺体が発見されるなど,時と共に震災被害が滲み出し広がり始めており,昨2004年の総会で,これまでお話し伺いに徹してきた週末ボランティアも今後,被災地高齢者見守りのオンブズマンとしての役割も担うべきであることを話し合い,今日まで延べ383回の訪問支援活動の継続を維持してきたことが,東條健司代表によって報告され,それに続いてこれまでの活動や今後の展望などについて話し合われた。

会場では,これまでの仮設住宅・復興住宅訪問で蓄積された支援シートを要約してつくられた資料を回覧し,支援ニーズの変遷をたどったりしながら発言が続き,仮設住宅訪問に参加していたメンバーから,その後の自分の仕事に活動経験が活かされたことが報告されるなど,新しく参加したメンバーとの経験交流の場となった。

これまでの活動を振り返る中からつかみ取るべき教訓も多い。情況が変化する中で,多くの参加者を得て長期間にわたって活動を続ければ,無謬ということはありえず,失敗や誤りは当然にも起こる。そもそもおよそヴォランティアたる者,情況に自らを投げ込み,相手の尊厳を見いだし尊重することが求められ,それを通じて自らのレーゾン・デートルや尊厳を自覚し,それが主体性を高め再生産することへと,個々人はもとよりグループとしてつながってゆかねばならない。その点で,活動やその対象を自らの享楽の具とすることや,参加者の能力や可能性を発揮し向上させする上で妨げとなるような活動の進め方は,あってはならないものである。こうしたことを繰り返してはならないのはいうまでもない。これからの活動のあり方を模索する上で,看過することなく,真摯に受け止めて克服し,それを活かさねばならない。

ここで最も重要なのは,週末ボランティアの特性が何であるかを確認し,それを活かしつつ,独自性・主体性を発揮してゆくことである。そのなかで大きな要素となっているのは多様性であるといえる。これまで多くのさまざまな立場の参加者を得たことによるが,これからはひとくちに高齢者などといってもその内実の多様化が飛躍的に進むことが予想される。そうなれば支援ニーズが多様化されるのみならず,それを受け止め発掘する側も,自らの側の多様性をもってすることが求められよう。

それとあわせて,地元はもとより,遠方からも多くの,しかも継続的な参加者を得ていることも忘れてはならない。このことが,被災地の声を広く伝えることに寄与してきたのみならず,地元では言えないことをも声にし,できないことを可能にしてきたのである。またあわせて,被災地のさまざまな情況に対し,ヨリ多くの視点を獲得してきたのである。今後もこうした外からの眼を活かしてゆくことが求められよう。

「10周年」という区切りを利用し,天皇来神や国連防災世界会議の誘致などをもって,「復興」をアピールし,震災を過去のものにしようとの行政当局者の思惑を,現実は許すものではないという情況が,今なお進んでいることを忘れてはならない。その中で震災以来の10年は何だったのか,「ヴォランティア元年」といわれた1995年からの10年で,ヴォランティアたる者は何をしてきたのか,またそれをめぐる情況はどうであったのかを,改めて一人一人が問い直してみる必要があろう。 (2005.2.11)

週末ボランティア総会 (2005.7.30)

週末ボランティアでは,年1回総会を開き,活動の総括や方針,お世話役の人事などを決めている。例年6月に行われることが多かったが,2005年は7月の第5土曜日に開かれた。


会場風景。神戸市勤労会館にて (2005.7.30)

阪神淡路大震災があった1995年以来,訪問活動や諸行事に参加してきたものの,この何年か,総会に参加できなかったところ,報告や議事録から「何でそんなことが起こるのか?」・「何だこりゃ!」と思わせられることが多くなったため,もはやこれ以上放っておくわけにはいかないと思い,酷暑の中,万難を排して参加した。

現在,週末ボランティアがおかれている情況,特に被災者・被災地においてどれだけ信頼されて(あるいは失われて)いるかを,一人一人の参加者が,週末ボランティアを離れた視点・立場から,素直かつ謙虚に耳を傾け,活動内容及びそれに臨む姿勢を,客観視して点検することを,私は呼びかけた。

あわせて「?」・「!」について質したところ,一部参加者が言い訳・コジツケ・スリ替えをもって回答する場面もあった。なお,この日の総会については,半年近く経った現在でも,内容に関する詳細な議事録や報告は出されていない。出されていないこと自体が意味するところについて思いを致さねばならない。

「お話うかがい」を出発点にして,相手の中に尊厳を見いだすという基本を再確認することの重要性を,それから乖離した言動がいかに危険であるかということとあわせて,遅きに失したのではとの懸念とともに,痛切さをもって思い知らされた1日であった。

11年目の被災地を考える追悼と討論の集い (2006.1.7)

週末ボランティアでは,仮設住宅を訪問していた頃,まだ松の内である年始第1回目は,通常の訪問活動にかえて,簡単な行事をしたこともあったが,今2006年は,「1,17」記念行事にかえて,「11年目の被災地を考える追悼と討論の集い」を行った。


討論集会後の記念撮影。HAT神戸・脇の浜8棟108号室,倉谷さん宅 (2006.1.7)

今回は,準備・集合場所として,訪問活動のレクチャーや終了ミーティングで利用している,三宮駅近くの神戸市勤労会館の会議室を準備した。


準備風景。神戸市勤労会館,大安亭商店街にて (2006.1.7)

勤労会館から討論集会の会場までは,バスで移動したが,私を含めた一部別行動メンバーは,商店街に立ち寄り,買い出しをした,ここは,現在訪問活動を行っている筒井住宅にも近く,三宮から筒井住宅やHAT神戸に至る途中にあり,復興住宅に限らず,地域住民にとって重要なところだ。


会場風景 (2006.1.7)

会場となったのは,2年前の訪問討論会と同じ,HAT神戸・脇の浜住宅の倉谷志之武さん宅だ。車いすでの生活に配慮して,バリアフリー化されている。張り紙やチラシを見て飛び入り参加した住民の方の姿も。

今回は,特定のテーマに基づいて議論するというよりも,現在の被災地をめぐる現状や課題について,広く意見や情報を交換する場とした。

まず,集会のはじめに,震災で犠牲になった方々への追悼の意を表すべく一同で黙祷し,東條健司・週末ボランティア代表が,復興住宅へ入居した住民が,行政当局への遠慮から口をつぐまざるを得なくなっている現状があることを紹介して,基調提起の代わりとした。そのため,被災当時の情況に関する話題は,直接的にはあまり出なかったが,被災者・被災地としてに留まらない現状に関する諸般の問題が話題にのぼった。

そのうちいくつかを挙げると,年金,生活保護,公営住宅入居者の家賃滞納や家賃減免策といったところが主で,決して新しい問題ではないが,それらの深刻化しつつあることを浮き彫りにするものだ。また,住宅の欠陥に関する問題も話題にのぼり,復興住宅が工事を急いだあまり,早くから瑕疵の存在が懸念・指摘されていたことが報告されるなど,時節にちなんで広く知られるところとなった問題の根の深さと身近さを,改めて思い知らされた。

最後は恒例の記念撮影となった。


討論の整理 (2006.1.7)

夕方,倉谷宅を後にし,準備に使った勤労会館へ。討論内容の整理を行うとともに,参加者の意識向上をめぐる論議の場ともなった。

復興住宅の課題は 住民とボランティアが集い 神戸」 (神戸新聞 2006/01/08)

 (2006.1.20)

12年目の被災地を考える追悼と討論の集い (2007.1.6)

週末ボランティアでは,阪神淡路大震災から干支が一回りする12年目を迎えて間もない2007年1月6日,昨2006年と同様に,復興住宅の一室で「12年目の被災地を考える追悼と討論の集い」を持った。


恒例となった記念撮影。HAT神戸・脇の浜8棟108号室,倉谷さん宅 (2007.1.6)

週ボラメンバーらは三宮に集合して,バスでHAT神戸・脇の浜住宅に向かった。到着後すぐ,会場として提供していただいた倉谷志之武さん宅で手分けして準備した。集会には週ボラメンバーの他,被災者運動や支援活動を続けてきた方や復興住宅の住民の方など十数名が参加した。報道陣も昨年以上にやってきた。


三宮から倉谷さん宅に向かう参加者 (左),会場前での準備 (右,2007.1.6)

予定していた14時頃から集会は始まり,震災を改めて想起し犠牲者を悼むべく参加者一同で黙祷を捧げた。黙祷の時間がいつもより長く感じられたのは私一人の思いこみではないようだ。震災を過去のものとして,人々の意識の中から拭い去らせていこうとする今日的風潮,とりわけ行政当局の施策の冷酷さが,討論に入る前から参加者に意識されていたことの現れだ。

従来からあり深刻化しつつある問題が,討論の中心となったことは言うまでもない。そのいくつかを挙げてみよう。震災以後年月を経れば当然にも高齢化が深刻な問題となるが,かつては現役世代だった人もリタイヤし,さらには老老介護が増えるなど,経済面・身体面などあらゆる面で厳しい情況になっている人が増えている。

かつての仮設住宅訪問時からの重要な課題であったものの1つにコミュニティーの[再]構築がある。仮設住宅ではゼロからの出発であったが,自然に生まれ時間をかけて成長・成熟していった地域コミュニティーとは全く似て非なる,行政側の都合による一方的施策の所産である住民構成のもとにある復興住宅では,むしろマイナスからの出発と考えた方がいいだろう。

被災者である公営住宅入居者にたいする家賃補助打ち切りを忘れることはできない。従来でも年金や生活保護で生活する住民への補助・援助は十分でなかったが,それに追い打ちをかけるものだ。そのため公営住宅に居住し続けられなくなった人が後を絶たずいっそう増えている。

また,個人情報保護を口実にサポートはもとよりコミュニケーションにすら支障が出ていることについての報告や,行政との関係のあり方,スタンスや臨む姿勢に関する意見,震災直後から活動を継続しているところが週末ボランティア以外ではほとんどなくなっている中での,他団体などとの協力・連携の可能性を模索する発言も出た。

このほか新たに遭遇した問題としては日本テルペン化学工場跡異臭事件がある。これは昨2006年春に1年あまりの訪問活動を終えたばかりの筒井住宅の隣接地で発生したもので,永く樟脳精製などを行ってきた工場の跡地を再開発のため掘削していたところ,土壌に浸透・蓄積されていた化学物質が飛散し,近隣に異臭を放ったものだ。夏に向けて異臭は激しくなり,住民の中には,工事が行われている平日の昼間はうちにおれなくなるまでになった人もいた。これについて当初問題はないとしていた神戸市当局の姿勢は,市民記者の報道や共産党系市議の追及によって厳しく批判された。週末ボランティアでは,訪問活動を終えた後に深刻化したことから,住民が声を上げたり,行政当局に突きつけたりするにあたって,後手に回ってしまった点が悔やまれる。

化学工場解体で異臭 中央区」 (神戸新聞 2006/09/23)・
神戸・化学工場跡地解体で異臭!市民らが体調不良訴える」(ライブドア・ニュース 2006/09/29)・
神戸・化学工場土壌汚染、市は「健康被害なし」と広報」・
神戸・化学工場の異臭問題、市議らが市に申入れ」(ライブドア・ニュース 2006/09/30)


会場風景 (2007.1.6)

倉谷さんも自身の被災体験を話した。定年を間近に控えた航空機パイロットだった倉谷さんは,出勤しようと家を出たところで地震に遭った。迎えに来た車が,地震で突き上げられて運転手の足の上に落ちた。足を複雑骨折した運転手をやっとのことで病院に連れて行ったら,多くの負傷者でごった返しており,重傷者を優先したため,簡単な応急処置程度のことしかしてもらえなかった。

灘区にあった自宅は全壊,以後テント生活で年月を過ごす。さらに慣れない西区の仮設住宅での生活が続いたため身体をこわし,車いすでの生活を余儀なくされるに至った。そのためこの復興住宅への入居に際しては,バリアフリー化された部屋となった。1階にある倉谷さん宅の玄関には段差がなく,そのままの高さで室内に続いている。一方和室がある一角は通常の部屋と同じ高さになっているので,テレビスタジオにあるホームドラマのセットのような造りだ。


倉谷さんに取材する新聞記者(左),集会が紹介されたテレビ番組を見る参加者 (右,2007.1.6)

今回は昨年以上に多くの報道陣が取材に訪れた。そのなかでも地元神戸のUHF局・サンテレビは17時30分からのニュースで早速取材映像を放映した。

報道内容を見ると,この集会で取り上げられた事柄のうち,各紙とも復興住宅の家賃問題にウェイトが置かれていることが判る。倉谷さん自身も補助打ち切りによって負担が倍増した当事者だ。取材を通してそのナマの声に触発されたことによろう。

復興住宅、問題今も」──訪問支援の市民グループ、HAT神戸で意見交換
  (日本経済新聞 2007/01/07)
阪神大震災:12年目の被災地の課題などを討論 週末ボランティアが市民集会 /兵庫
  (毎日新聞 2007/01/07)
復興住宅で被災者らと課題話し合う 週末ボランティア」 (神戸新聞 2007/01/07)

マスコミ関係者であれば自ら取材してかかる問題を見つけ出すこと自体は当然にも難しいことではない。だがそれには必然的に報道する側の立場で接し,その視点から情況を描出することになる。一方「お話し伺い」を続けてきた週末ボランティアには,これとは別の立場や視点があり,それをもって被災者・住民に接し,心を開いてもらうことで,ヴォランティアならではの情報収集・発信を可能にするのだ。今回の集会は,こうしたヴォランティアの立場・視点を報道陣に提供する場となった点でも意義あるものだといえよう。

現在の週末ボランティアには,自らの情報収集・発信能力についての謙虚な反省と,それを維持・発展させていくための,被災者・住民との信頼関係が課題であることを,改めて想起させられた。しかしながらそれ以上に,被災者・住民自身が主人公として自ら声を上げるためのサポーターとしての役割が,仮設住宅訪問活動の当初からあったことを忘れてはならない。あわせて,信頼関係の中で心を開くことから始まるヴォランティアならではの方法と視点がもつ意義がある。週末ボランティアには,こうしたいわば触媒としての役割があり,今後いっそう重要になるであろう。

 (2007.1.10)

2007年週末ボランティア総会 (2007.7.15)

繰り返しになるが週末ボランティアでは,例年6月末近くに総会を開いて,活動の総括や方針,お世話役の人事などを決めている。今年の総会は例年より半月以上もずれ込み,京都では祇園祭の宵々山にあたる7月15日になってようやく開催にいたった。

今回はとりわけ週末ボランティア正常化の上で極めて重要なものであるので,万難を排し,また2007年週末ボランティア総会提案を準備した上で参加した。


総会後の記念撮影。神戸市勤労会館にて (2007.7.15)

前日は大型台風接近のため,訪問活動中止を決めたほどの荒天であったが,この日の神戸は,台風一過の青空が広がり,交通事情が心配された関東地方からの参加者も無事来神し,ともに議事に参加し,週末ボランティアの解体的再生に向けてとりわけ重要な今回の総会をともに実現した。

総会では,まず東條健司代表から,HAT神戸灘の浜住宅に入るようになってからの,この1年間の訪問活動について,訪問戸数や参加者数などについての報告がなされた。ここで,活動体制見直しに関する2月以降の試みについて,活動の質の向上と参加者の定着がみられることが報告された。次いで会計担当者からの会計報告がなされた。これらをうけて各参加者による,活動の総括・感想に関する発言を通じて,今後の活動の向上のための討論を行った。


議事の様子 (2007.7.15)

今回の総会での重要な決定事項のひとつは「副代表」の廃止だ。従来内部的にも対外的にも週末ボランティアを代表していない上,その役割がハッキリ規定されておらず,またその人選についても大いに疑問があるもので,週末ボランティアを代表するにふさわしくなく,その呼称を悪用している者もいるような情況であったため,これを廃止し,代表が欠けたり任に当たれない場合は必要に応じて,代表の指名により代表代行をおくこととした。常置する他のお世話役である代表と会計は従来通り継続とした。

もうひとつの重要な決定事項は,長年にわたって週末ボランティアの活動の質を低下させ,信用失墜をもたらしてきた人物にたいする活動参加全面禁止だ。上述の提案とともに,件の人物にたいする副代表辞任および活動参加全面自粛勧告もあわせて準備・事前発表したが,総会の場では,件の人物の活動参加に臨む姿勢・態度が,活動の質の低下と信用失墜をもたらしたものであり,度重なる注意・警告にたいしていささかも悔悛がみられなかったことはもちろんのこと,その他の破廉恥な行為についても追及・糾弾し,採決をもって,件の人物にたいして,週末ボランティアの一切の活動への参加を2年間全面禁止することとした。

今回の総会は,週末ボランティアの活動の質の低下と信用失墜をもたらしてきた原因を取り除いたという点で,積年の問題に真正面方向き合い,解決に向かって着実な一歩を踏み出したといえるものであった。あわせて,かかる問題を生じさせてきた週末ボランティアの体質を改善させるべく,解体的再生をはかる上でも前進が見られたといえるものであった。もちろん限られた時間ゆえに,活動の自己点検や質の維持・向上に関する具体的レヴェルの議論を詰めてゆくまでにはいたらなかったが,週末ボランティアの活動において基礎的・根底的に求められるものであるところの,参加者が活動に臨む姿勢の重要さ,とりわけ人間の尊厳を見いだすことの意義についての共通理解は進んだといえよう。

 (2007.7.20)

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