阪神淡路大震災10周年を前にして

 1995年1月17日未明,関西地方を突如として襲った阪神淡路大震災から,早いもので間もなく満10の歳月が過ぎようとしていいる。しかしながら,被災者の生活再建が未だ成らざることを示すものが確乎として存在し続けることを,またそれが新たな問題を惹起し,潜在化されたものも含めて拡大再生産されつつあることを,語り得ないところに,重大かつ深刻な問題があるといわねばならない。

 震災後早い時期に“復興”した三宮などの市街地中心部と,震災でもっとも激しい被害を受けながら,その後も強行され続けている区画整理などのために依然として空き地が目立つ長田とを対比すれば,この矛盾が都市景観のなかで可視化されていることがわかる。


三宮・神戸マルイ前にて (左,2004.1.16),JR新長田駅北側 (右,2003.3.22)

 震災当時高校教員をしていて,間もなく予備校講師に転じ,大学院受験の準備をしていた私が震災ヴォランティアと関わったのは,同年の秋,「神戸・週末ボランティア」のメンバーが被災者への公的支援を求めて上京したときであった。直接的即自的行動にとどまらず広く被災者の生活再建のための情況変革をめざす姿に接したからといえる。冬には仮設住宅訪問に参加した。市街地から離れた郊外につくられた仮設住宅を初めてみたときは,あたかも収容所のごとく眼に映った。以来ほぼ季節ごとに仮設住宅,後には復興住宅への訪問活動に参加して現在に至っている。


公的援助実現のための署名集めに上京した週ボラメンバー (左,1995.10.22),
公的援助を求めて大蔵省前で声をあげる被災者 (右,1996.3.5)

 もちろん神戸に行くばかりが活動ではない。公的支援を求めての被災地からの上京活動のサポートなど,在京での取り組みも少なくなく,これは私にさまざまな啓示を与えてくれることとなった。

 訪問活動をはじめとした取り組みを通じて被災者・被災地と関われば,震災で失われたものに思いを致し,それによって予期せず狂ってしまった多くの人生と不断に接することになる。そして今なお「1.17」を背負い続ける人生があることを思い知らされる。さらには彼らをして震災後長きにわたってかくあらしめる情況を通じて,それを一語で表現することを躊躇させるような重みを持った「人間の尊厳」について,考えさせられる。

 そのなかで必要かつ重要と思うものは,まず,「volunteer」という語本来の意味であり,その名において活動しようとする者が備えるべき自発性を尊重すること,それを持ち続けること,さらにはそれを主体性の次元へと高めることだ。

 そうした自発性・主体性は自らについてだけではない。活動において関わり働きかける相手のそれをも同時に尊重することが含まれるということを,忘れてはならない。これを通して相手の尊厳に思いを致るのだ。決して相手を自らの活動の客体・対象として,一方的に受動的立場におとしめることがあってはならないということだ。


仮設住宅 (1998.9.5)

 週末ボランティアに関していえば,これまでに多様な参加者を得たことで,自他の主体性を相互に高めあう可能性を持っていたといえよう。少なくともそのことを覚醒する契機をもたらしていたといえよう。しかしその一方で,一部に,自らの楽しみの具に利用するという誤りがあったことを真摯に顧みることも必要だ。相手の尊厳を見いだし,相互に共有し尊重しあうことで乗り越えてゆかねばならない。

 2004年は,日本海豪雨・中越大地震にとどまらず,広範なアジア・アフリカ諸国・地域に未曾有の被害をもたらしたスマトラ沖地震と津波にいたるまで,多くの自然災害に見舞われた,まさに「災」の年であった。いかに人智・人力をもってしても自然を征服・支配することが可能でないことは,認めざるを得ないことだ。可能性を展望できる課題はやはり自然との共生だろう。これもまた相互尊重のなかから相手を知り,尊厳を見いだすことから始まるという点では,被災者との関わりと共通している。

 自然災害そのものをなくすことはできないが,それによる被害を回避したり小さくしたりすることは可能だ。このことが現状においては,天災に続く人災という,ヨリ低いレヴェルでネガティヴな形で問題になっている。このことの一端は,阪神淡路大震災と中越地震との比較からうかがい知ることができる。そのなかでも特にヴォランティアと行政との関係および自衛隊の既成事実化は看過できないものだ。

 中越地震被災地に関する報道を見聞するなかで,この10年近くの間に,行政当局によるヴォランティアの下請け化,上からの組織化がいかに進んだかを知るにつけて愕然とさせられた。こうしたなかでは,自発的・主体的活動の余地は少なくなり,活動内容も直接的・機能的なものに限定され,心に響く,理性へ働きかけるような活動は大きく制約を受けることとなる。学校での「奉仕活動」の強制の流れも,こうした情況に対する批判の芽を摘み取る形で,下支えするものであるといえよう。

 自衛隊に関しては,被災自治体の首長が出動要請することが当然であるかのごとくされており,軍隊が出動する一方で自治体自身が管轄する消防・救急の役割が十分に顧みられていないことに,疑問を覚える余地を封じているかのごとくであるといわねばならない。このことはなし崩し的に,カンボジアやイラクへの自衛隊の海外派兵を正当化してきたものであるとともに,「国民保護法」下の危機管理体制づくりを先取りするものであることを,忘れてはならない。

 こうした情況の下で,主体的・現状変革的ヴォランティアへの道を改めて模索していきたい。


かつて訪問活動で訪れた仮設住宅があった場所 (2005.1.16)

(2005.1.1)

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