2007 神戸・週末ボランティア
News and Reports
We love KOBE Weekend Volunteer

阪神淡路大震災の被災地・神戸で今なお復興住宅への訪問活動を続ける「神戸・週末ボランティア」の活動報告です。
Blog This is 神戸・週末ボランティアもよろしく!
(このサイト制作開始以前の日付のものは既出分の再録です。再録にあたって一部修正・編集したものもあります。)

(年別に古い記事から順に番号をつけていますが,新しい記事が上になるように配置しています。)
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第453(新生第11)回訪問活動(速報版)

今年最後となった12/22(冬至)の訪問活動は,上がり込んで2時間のお話し伺いを実現するなど,今年の最後を飾るにふさわしい充実したものとなりました。

・70代女性,一人暮し。灘区で全壊。裸足で火の近くも通って離れた避難所へ。エアコンが効かない夏の暑さや冬のすきま風に苦しめられた3年間だったが,人間関係があって「仮設の方が住みやすい」,復興住宅は「ドアひとつ閉めたら,一日中口聞かないことがほとんど」で「10年住んでいても上にどんな人が住んでいるか知らない」と。 部屋で放し飼いの手乗り文鳥と一緒に遊んだり,クリスマス前ということもあって,参加者の一人が「きよしこの夜」などを歌う中での2時間にわたる今年最後のお話し伺い。

訪問活動終了後,倉谷さん宅にうかがい,来2008年1月5日の行事についての趣旨説明と協力要請を行い,あとは前日のビラ入れと当日の準備を待つばかりとなりました。

> > 車輌はセレガのスタンダードを使用しているので、青ドリくらいだと思えばよいでしょう。
> > 安全面においても信用のおけるバス会社を利用しているようです。
> >  (中略)
> > ということで、なかなか素晴らしいツアーバスだと思います。

こちらにも少し書いたけど, http://blog.livedoor.jp/harayuan/archives/51134240.html

行きに乗ったのが初回だったようで,既述のツアー主催会社社長・N氏自ら全行程添乗していました。 しかしやってきたバスは20余人乗りのマイクロバスというか中型バスというかのもので,座席も大型バスほど広くはありませんが,何とかそれなりに休みました。

主要経路は,山手通り〜東名高速〜名阪国道で,途中足柄と御在所で休憩でした。 走行距離・高速料金・所要時間をうまく節減する設定であることが解ります。

行きはほぼ満員でしたが,同日夜大阪発の帰りの便は空いていたので,N氏(今度は乗車案内と見送りのみ)の案内で2座席確保して休みました。

> >> >> あからさま訪問拒否はほとんど絶無になったことでしょう。
> >
> > それは素晴らしいですね。
> > 本来あるべき姿なのかもしれません。

これぐらいで「本来あるべき姿」に到達したとはいえないでしょうが, このかんの信頼関係回復に向けての不断の努力があってのことです。 これをさらなるものにするか,ぶちこわして以前のようなものにするかは, 参加者一人一人の姿勢と自覚にかかっています。

>> >> 今の,そしてこれからの週ボラは以前の週ボラとは別のものと思ってください。
>> >> 初心に返っての参加をお願いします。
> >
> > 了解です。
> > 10年前、初めて仮設住宅を訪問した時の気持ちで参加させて頂きます。

「一回だけでも,初めてでも」は「初心忘るべからず」でもあります。 すべての参加者がそうした姿勢と自覚を堅持していくことが不可欠です。

2007/12/25 ↑TOP


第452(新生第10)回訪問活動(速報版)

新生第10回となった12/8の訪問活動は,集合場所の勤労会館の部屋が取れず,寒風の中訪問に向かうこととなりましたが,少数精鋭の参加者の熱意で,お話し伺いを実現できました。

12月8日は,真珠湾攻撃とジョンレノン暗殺の日ですが,お話し伺いの中でも,震災の焼け跡から戦災を想起されたという方に出会いました。 また,ジョンに限らずビートルズのメンバーも,08/01/05集会で焦点を当てる年代ということになります。

夕方,終了ミーティングの前に,年末のカンパ依頼の発送準備作業を無事終えました。

終了ミーティングでは,お話し伺いの報告・集約も充実し,同行された記者さんからも,その視点を活かした有益な示唆を戴くことができ,相互に学びあうという点でも前進したものでありました。

・60代男性,震災前から一人暮らし。灘区で全壊。近くの小学校に避難したら,玄関ホールしか場所がなく,コンクリートの上に敷物と毛布だけで寝て,電気コンロで暖をとった。 三田の仮設から長時間かけて仕事に。出勤途上に見た長田の焼けあとが戦災みたいですごかった。 椎間板ヘルニアのため退職,退職金もほとんどなかった。 震災の時の政府の対応の遅さ,行政機関の安閑とした態度に不満をおぼえる。
・60代女性,一人暮らし。灘区で全壊。故郷を思い出すのだろうか,ハイビスカスの植木を育てている。 強い警戒感から部屋の鍵をいくつもつけて厳重にしている。 ここでの生活は「おもしろくない」,「仮設の方が良かった」と。

(ほか1件長時間のお話し伺い)

08/01/05集会については,
テーマと趣旨は,既報の通り,
「神戸・週末ボランティア」訪問活動450回記念 追悼と討論の集い
「13年目の被災地から〜「高齢者」となった被災者のこれまでとこれからを中心に〜」
時間については,今年の情況に準拠して,
13時:三宮・勤労会館前付近に集合して,倉谷宅へ移動し,準備,
14〜16時:集会開始・終了予定,
17時:倉谷宅解散,
とし,準備に関する分担等を決めました。

2007/12/10 ↑TOP


訪問活動記録その他データ保全・編集,一応の完成

すでに,「訪問活動記録データ保全・編集」で紹介した件ですが, このほど一応の完成を見ました。

3年目の声(1997年)・4年目の声(1998年)・5年目の声(1999年)・ 6年目の声(2000年)・7年目の声(2001年)

これらは主として若菜さんがまとめてくれた,通称ワカナシートをもとにしたもので, それ以外は当時の参加者数人の協力の下に作成されたものです。

お話し伺いメモ 2001・お話し伺いメモ 2002・お話し伺いメモ 2003・お話し伺いメモ 2004

これらは東條さんをはじめ幾人かの手によるもので,私が担当したものも含まれています。

訪問活動概略;2004年・訪問活動概略;2005年・訪問活動概略;2006年・ 訪問活動概略;2007年暫定版

2004年中途から「お話し伺いメモ」が週ボラサイトに掲載されなくなったため, 主として週ボラ掲示板に残されている,毎回の訪問活動案内に附されている 前回活動分の報告を集め,報告・記録にふさわしい形に編集しました。

いずれも,その当時の情況と内容を尊重した上で,表記・表現の統一, 一般に理解困難と思われるものや不適切な表現の置き換えや注記を行う形で, 編集しました。

訪問活動概略;2007年暫定版については,今月から従来通りの案内を行わないことにしたため, 前回分以降について,暫定的に私が作成しました(青字部分)。 皆様御高覧の上,ご意見を戴き,それをフィードバックして作成したいと思います。 次回以降は,終了ミーティングの運営を工夫し, 皆さんの協力の下で簡単に作成できるように,仕組みと方法を整えていきたいと思います。

訪問お話し伺いのコツ・震災状況の聞き取り

「今週の資料」に収録しているものを校訂の上2ページにまとめ,利用しやすくしました。 訪問前レクチャーなどで活用をはかっていきたいと思います。

PS:闘いとしての資料保存 http://blog.livedoor.jp/harayuan/archives/51084924.html もご参考まで。

2007/11/17 ↑TOP


訪問活動450回記念報道(!?)〜報道関係者への対応について

このところ報道関係者の同行・取材が多くなっています。 これについていくつか注意すべき点,対応が必要なことが出ています。

一昨日,「第450(新生第8)回訪問活動(速報版)」で

> > 記者さんたちも,訪問活動に同行して取材するとともに,私たち参加者にも質問・取材されていますが,
> > それにあたっては,社会実践の活動に携わる者にふさわしい姿勢と品格をもって対応するよう,
> > 参加者一人一人に,改めて呼びかけたいと思います。
> >
> > 記者さん相手にダベっていたり,自らの享楽のために参加しているような印象を与えることは,言語道断です。

と述べましたが,これは同時に記者さんの仕事の邪魔でもあります。厳に慎みましょう。

これとあわせて,もうひとつ。11/10当日の訪問活動時および終了ミーティングでも集約しましたが, 訪問する参加者に複数社の報道陣が加わって,1グループ数人がお話し伺いをしたりすること以前に, かかるものが住宅内を移動すること自体に威圧感を感じるとの住民の声が寄せられています。

これについては,訪問グループ編成を細分化したり,同行に制限を加えたりするようなことは極力避け, 団体行動を取っているのは,お話し伺いを通じて被災者・地支援を行う週末ボランティアの訪問活動であり, これに報道陣が同行して取材しているものであることなどを,住民の方へ丁寧に説明し, 理解を得ることを第一にしたいと思います。

疑問やクレームであっても,それをきっかけに理解と信頼を勝ち取るための機会ととらえたいと思います。

被災者の中に尊厳を見いだし,被災者生活再建,被災地復興に寄与するという 社会実践としての週末ボランティアの趣旨にてらして, ふさわしい記者・機関だけに,同行取材をしていただいています。

逆に,たとえば,被災者・被災地を笑いのネタにし,その尊厳を蹂躙するといったような, 取材の趣旨や態度がふさわしくないものへの対応について, 今更ここで繰り返す必要はないでしょう。

私たちが,記者さんたちの取材方法・技術などを学び,あわせて, 通常の報道では得難い,ヴォランティアならではの,おなじ市民としての視点から お話を伺う機会を提供することで,各々の特性を活かし,相互交流の中から, それぞれの発展を図っていきたいと考えています。 詳細は http://blog.livedoor.jp/harayuan/archives/51062812.htmll 参照。

一昨日(11/10)の訪問活動に,来られた「毎日」記者さんが,早速記事にしたようです。

阪神大震災:対話で力づけ450回目 「週末ボランティア」復興住宅を訪問 /兵庫
http://mainichi.jp/area/hyogo/news/20071111ddlk28040002000c.html

 阪神大震災の被災者が住む復興住宅を訪問し、話を聞き続けている「週末ボランティア」 (東條健司代表)の訪問活動が10日、450回目を迎えた。震災があった95年に仮設住宅の 訪問を始めて以来続いており、孤立しがちな被災者に寄り添う活動となっている。
 世間話をしながら被災者が抱える課題を掘り起こすとともに、 近所付き合いが希薄になりがちな復興住宅のお年寄りと交流を深める効果もある…

今回が450回の節目ということで,何か特別なことをやるのかと期待していたようでしたが, 週末ボランティアの正常化−清浄化が着実に成果を上げつつある現状以上に特別なものを 用意しなくてもいいでしょうし,それを理解されてのことでしょう。

活動からもらった力と学びを,これからにつなげていきましょう。

2007/11/12 ↑TOP


第450(新生第8)回訪問活動(速報版)

本日(11/10)の訪問活動は,参加メンバー10名に,新聞3社4名が加わる形で行われました。

7月の総会の時にも来られた「毎日」記者さんが,今回は450回の節目だということで再び来られました。

記者さんたちも,訪問活動に同行して取材するとともに,私たち参加者にも質問・取材されていますが,それにあたっては,社会実践の活動に携わる者にふさわしい姿勢と品格をもって対応するよう, 参加者一人一人に,改めて呼びかけたいと思います。

記者さん相手にダベっていたり,自らの享楽のために参加しているような印象を与えることは,言語道断です。

今回は,予想されたとおり,留守宅が多かったのですが,その中でも1軒で1時間あまりにわたるお話し伺いを実現しました。

70代男性,一人暮らし。灘区で被災,自宅の文化住宅は全壊。2Fがつぶれた1Fにのしかかった。着の身着のままで避難。 最寄りの避難所はいっぱいで入れず他へ。3日間食料支給なかった。 仮設住宅はなかなか当たらず,市役所で「当たらなければ首吊るぞ!」といって最後にやっと入れた。HATには建ってすぐに入居。 ベルを鳴らしてしばらくしてから,身繕いをして出てこられ,お話しのはじめは「頭のてっぺんから足の先まで悪いところだらけ」……医者に行くべきところいっぱいはあるが,内科・整形外科に通っているのみで「死ぬの待たなならへん」。 16歳の時から働き……とくにきつかった力仕事は,溶接用のボンベを担いで足場に登ったこと。 今の住居は文化住宅よりは良い。 ここでも入居当初は四方山話するつきあいはあったが,他の人がシルバーパスで外出することが多くなって疎遠になった。 文化住宅のときにあったような近所づきあいはない。

一人暮らしで,普段あまり人と話す機会が少なく,私たちの訪問で話したい気持ちが強くなってきたように見受けられ,訪問が歓迎された,私たちにとってありがたいものでした。

もちろん震災や被災体験,現在おかれている情況を伺うことが,活動の趣旨として重要なことは言うまでもありませんが,こういった年代の方は,敗戦の焦土の中から,戦後の復興,高度成長を担ってこられており,そういった体験・経験を伺うことは,その後の,とりわけ若い世代にとって,貴重な社会勉強となるものだと,改めて感じさせるものがありました。

学校の教師などは,解らないことを解らせるように話すことをトレーニングされてきていますが, 普通の人はそういったトレーニングは受けていません。 相手の年代や性別から,自分の話を理解できそうにないと思えば,話そうとしないことが多いです。

そのままにしていれば,お話し伺いは成立しませんし,会話が成立しても話し手・聞き手双方にとって意義のあるものとはいえません。聞く側が経験したことのないこと,知らないことを引き出してこそお話を伺う意味があります。

不断に聞く姿勢を堅持しするとともに,一緒に訪問するメンバーが協力して,各々の持ち味を活かし,話を引き出すきっかけをつかむことも重要です。

今回の場合,そのきっかけは,話すことに消極的になったり躊躇したりするようなことと表裏一体であったといえるでしょう。

一生かけてやってきた仕事の話しを,若輩者や女性では充分理解できないか,関心を持たないかのいずれだと思われたのでしょう,お話しのはじめはネガティヴなトーンでしたが,途中,理解不十分を承知で一番きつかった仕事について聞いたみたところから,内容のリアリティーが伝わってくるだけでなく,内容とトーンもポジティヴなものになりました。

ほかに,訪問対象外の,通りがかりの住民の方と若干のお話し伺いをしたり,はじめ留守だったお宅を時間をおいて再訪問し,安否確認程度のお話し伺いをしたりしました。

この間訪問中の棟は,週ボラの訪問活動と重複する時間帯に行われているふれあい喫茶に,少なからざる住民が出かけていることから,今回,これが終わる頃に留守宅を再度訪ねてみる試みをしてみました。 次回も,今回の続きのお宅に,同様の方法を交えて,訪問活動を行うことを,終了ミーティングで確認しました。

ともあれ,私たちへの不信感による,あからさまな訪問拒否はほとんどない状態で,今夏以来の信頼回復という,週末ボランティアの正常化が,着実な成果を上げつつあるといえるでしょう。

2007/11/10 ↑TOP


訪問活動記録データ保全・編集/被災者再建支援法改正案関係

既述の通り,今月は従来のような形での案内を出しませんが,訪問活動は通常通り行います。 お誘い合わせの上ご参加ください。

この何年か,訪問活動の記録が集約されないままになっています。また消失しているデータもあります。 そこで,データを集め,閲覧しやすい形でまとめました。 これまでの活動を顧み,運営効率と活動資質の向上に活用したいものです。

2004年以降は「訪問活動概略」としました。07年は暫定版です。

また,現在週ボラサイトから消失している「4年目の声」・「5年目の声」・「6年目の声」 (主として若菜さん作成分)についても,順次データの復元をしています。 「3年目の声」・「7年目の声」とあわせて,でき次第順次公開していきます。

あわせて,2001年から2004年までの「お話し伺いメモ」も,編集のうえ保全してあります。

大連立密談発覚とそれにともなう小沢民主党代表の“辞任”騒動のどさくさに紛れるような形で, 被災者再建支援法改正案が成立しました。 これについてはさまざまな意見があるでしょうが,政局と党利党略に翻弄され, 被災者をはじめとする人民の声を十分に反映させたものでないことだけは確かでしょう。

そ及適用めぐり論戦 被災者生活支援法改正、衆参質疑 2007/11/03 「神戸」
http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/0000728179.shtml

与党が衆院に、民主党が参院にそれぞれ提出している被災者生活再建支援法の改正案で、衆参の災害対策特別委員会は二日、異例の同時質疑を行った。週明けに予定される与野党協議を視野に、支援金の支給方法や過去の災害にさかのぼるそ及適用の是非などの争点が明らかになる一方、今国会での成立に向けて歩み寄りを模索するやりとりもあった…

被災者生活再建支援法改正、今国会成立へ 与野党が合意 2007/11/06 「神戸」
http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/0000731658.shtml

 与党と民主党は六日、それぞれが提出している被災者生活再建支援法改正案を一本化し、自民、公明、民主三党の共同提案で今国会中に成立させることで合意した。被災世帯に支給する支援金は使途を限定しない定額渡しきり方式とし、現行法で認めていない住宅本体の建設費用にも使えるようにするほか、年齢・年収要件を撤廃、受給手続きを大幅に簡素化する。ほぼ与党案に沿った合意内容だが、民主党が強く求めていた今年一月以降に起きた災害にさかのぼる遡及適用を能登半島地震、新潟県中越沖地震など四災害に限って実質的に認めており、被災地の実態に配慮して与野党が歩み寄った…

被災者支援法改正案が成立へ 自公民協議まとまる 2007年11月06日13時12分
http://www.asahi.com/politics/update/1106/TKY200711060095.html

 地震や台風などの大規模災害に被災した住宅本体の再建支援を認めるための被災者生活再建支援法改正案が、今国会で成立する見通しとなった。別々に改正案を提出していた与党と民主党が6日、国会内で修正協議し、衆参両院いずれかの災害対策特別委員長提案か共同提案の形で提出することで一致した。「逆転国会」の中で、最低賃金法改正案など労働関連法案に続いて成立への道が開けることになった…

住宅再建まず一歩、被災者支援法見直し 県内の声 2007/11/07 「神戸」
http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/0000731882.shtml

与野党が六日に合意した被災者生活再建支援法の改正案。阪神・淡路大震災から約十三年間、国が拒み続けてきた「住宅建設への現金支給」がようやく実現することになった。現行法にある年齢・年収要件も撤廃され、阪神・淡路の被災地では「大きな前進」と評価する声が相次いだ。一方、支給上限額は現行の三百万円の枠にとどまり、半壊世帯も対象外。「今後、被災者支援策全体の見直しが必要」との指摘も出ている…

被災者支援法を可決 あす本会議通過 参院特別委 2007/11/08 「神戸」
http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/0000733410.shtml

 参院災害対策特別委員会が八日開かれ、大規模自然災害の被災者に対する現金支給を規定した被災者生活再建支援法について、自民、公明、民主の三党が共同で改正案を提出、可決した。九日の本会議で通過、衆院に送付される見通し…

改正被災者支援法が成立 衆参ねじれ国会で初 2007/11/09 「神戸」
http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/0000734408.shtml

 大規模自然災害の被災者に対する支援金を住宅の建設や購入にも使えるようにする被災者生活再建支援法改正案が九日、衆院本会議で全会一致で可決、成立した。自民、公明、民主三党の共同提出で同日午前の参院本会議を通過し、衆院本会議に緊急上程された。参院で与野党勢力が逆転した「ねじれ国会」は召集から二カ月を経過し、初めて法を成立させた。
 施行日は公布から一カ月以内に政令で指定する。ただし、今年発生した能登半島地震、新潟県中越沖地震など四災害の被災者に限って改正法施行後に申請した場合、新制度を利用できる特例措置を付則に盛り込んだ。
 改正法は、全壊世帯に百万円、大規模半壊世帯に五十万円を支給したうえで、住宅再建の方法に応じて、建て替え・購入に二百万円▽補修に百万円▽賃貸入居に五十万円を支給する。支給限度額は現行の三百万円に据え置くが、使途を制限しない定額渡しきり方式にすることで、これまで対象外だった住宅本体の建設費用に使えるようになる。また、年齢・年収要件を撤廃するなど受給手続きを大幅に簡素化し、使いやすさが格段に増す。
 同法をめぐっては、民主党が参院に、与党が衆院にそれぞれの改正案を提出したが、被災者の早急な救済を優先し、与野党協議で一本化された。民主党が主張していた支給限度額や国の補助割合の引き上げなどは、付帯決議で四年後をめどに総合的に検討するとした。
 泉信也防災担当相は九日午前の閣議後会見で「このような政治状況の中、与野党が被災者の立場を考えて結論を出したことに大変感謝している。被災者に元気を出してもらい、地域の復興が一日も早く進むように、制度をきちんと実行していく」と述べた。

「簡素、迅速」念頭に 被災者支援法案、赤羽議員に聞く 2007/11/09 「神戸」
http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/0000734335.shtml

被災者支援法改正案成立 国会の会期は35日間延長へ 2007年11月09日13時22分 「朝日」
http://www.asahi.com/politics/update/1109/TKY200711090223.html

 地震や台風などの大規模災害に被災した住宅本体の再建費用を支給する被災者生活再建支援法改正案が、9日午前の参院本会議、同日午後の衆院本会議で相次いで全会一致で可決され、同法が成立した。今臨時国会での法律成立は初めて。また、10日までの臨時国会の会期の35日間延長が9日の衆院本会議で自民、公明両党の賛成多数で議決された。会期は12月15日まで…

2007/11/10 ↑TOP


第449(新生第7)回訪問活動(速報版)

本日の訪問活動は,週ボラになじんできた「読売」記者に加え,2人の「神戸」記者が加わり,正常化−清浄化途上の新生週末ボランティアにたいする,マスコミの注目ぶりをうかがわせるものでした。

次回以降も,特に連休の間になる11/23には,留守が多くなることが懸念されますが, 件数や時間といった「量」ではなく,一期一会にふさわしい内容「質」を大切にしていきましょう。

訪問戸数の半分以上が留守もしくは空き家という中,玄関先で1時間近く,上がり込んで2時間近くといった内容豊富なお話し伺いを実現できました。

後者では,波瀾万丈の人生に,ヴォランティア・新聞記者共々,時間を過ぎるのも忘れて聞き入りました。

・70代男性,一人暮し。灘区,阪急岩屋の上で被災,自宅は全壊。近所の友人で亡くなった人も。 (以下略)

2007/10/27 ↑TOP


第448(新生第6)回訪問活動(速報版)

本日の訪問活動に参加された皆さん,おつかれさまでした。 あるメンバーから頂戴したコーヒー無料券を利用し,元町のマクドから,取り急ぎ送信しています。

本日の訪問活動もまた,精鋭の観をなす常連参加者に加え,このところなじんできた写真記者さんに加え,もう一人の「読売」記者さんが,訪問前にやってきました。来年の「1.17」に向けて,震災ヴォランティアのその後をおっているのでしょうか?

灘区内で祭り(行政主導のイヴェントのよう)のため,留守宅が目立ったものの,充実したお話し伺いができました。 また,予定した訪問活動を終えようとした頃,この住宅の自治会長さんと出会い, 震災以後今日までの自治会運営やまちづくりにかんする取り組みについてのお話を伺い, 最後は一同で恒例の記念写真撮影となりました。

今年米寿を迎えられた一人暮らしの女性方では,45分ほど玄関口でお話を伺い,うち解けてきて, 手作りのキーホルダーを戴きました。

・80代女性,一人暮らし,灘区で被災,全壊。八百屋を営んでいた。 地震のあと4時間ほど埋まっていたが少し怪我した程度で済んだ。 (以下略)

また年齢が近い,やはり一人暮らしの女性は,昨日入院先から帰ってきたばかりで, 近くまた胃を切る手術のため入院しなければならないとのことで, 私たちの訪問に玄関先に出てこられるのも大変そうでした。 上げていただき,ベッドに横になられての,45分ほどのお話し伺いとなり, 最後には,元気で戻ってきてくださいと,一人一人と握手しての辞去となりました。

・80代女性,一人暮らし,灘区で被災,全壊。地震の時は1Fに寝ていて「ゴォー」っと言う音がして,何かしらと思った。2Fが落ちてきて,1Fの床も抜け,床下の閉じこめられた。近所の人に助けてもらって外に出てみると明るくなっていた。 道ばたでぼーっとしていたら,近くに勤務先がある息子さんが様子を見に来てくれ,北区鈴蘭台の息子さん宅へ。 「家族に連れられ,苦しい思いしたことない」。 仮設住宅には入らず,HATには竣工後すぐ1回の抽選で入居,約10年居住。 震災までは大阪の会社に勤めていたが,阪神電車の不通で通えなくなり,そのまま退職。 近所づきあいは積極的。「まわりが大事にしてくれて幸せ」,「辛い思いしていないから(住民同士のトラブルなどのことは)解らない」。

2007/10/13 ↑TOP


Re: 448回の訪問募集

今日の天気のようにさわやかな訪問活動を実現しましょう。

↓の内容ですが,これは「第447(新生第5)回訪問活動(速報版)」で報告したものですが,かなり実態と違ったものになっています。

> > 80代女性、灘区で被災。灘区で被災。明石の親戚宅に避難の後ここへくる。訪
> > 問を宗教の勧誘と勘違いされ、くり返し説明する中でドアが少し開きドア―チェーン
> > が外れ、最後はドア―も大きく開いて話しが弾んでいった。大阪で生れ、実家も職
> > 人、ご自分も調理学校に学ばれ小さいころは淀川で泳いだ。結婚して神戸へ。市営住
> > 宅に20回もの抽選を経て入居。くじ運が良く早く入れた人で震災の犠牲になった人
> > もいる。運命はわからない。ここは買い物に便利で店の人も良い人でと話しがはずん
> > だお話し伺いであった。

修正私案はこちら;

・80代女性、灘区で被災。訪問を宗教の勧誘と勘違いされ、訪問の趣旨を繰り返し説明する中で、 少し開いたドア―のチェーンが外れ、やがてドア―も大きく開いていった。 大阪で生れ、小さいころは淀川で泳いだ。実家も職人、ご自分も調理学校に学ばれ、結婚して神戸へ。 市営住宅に20回もの抽選を経て入居。くじ運がよく早く入れた人で震災の犠牲になった人もいる。 運命はわからない。 ここに来て3年になるが、買い物に便利で店の人もよい人で、と話しが弾んだお話し伺いであった。

2007/10/13 ↑TOP


第447(新生第5)回訪問活動(速報版)

新生週末ボランティアの第5回目となった本日(9/22)の訪問活動は,精鋭の観をなすメンバーに,すっかり新生週ボラになじんだ「読売」写真記者の里見さんが加わって,前回から入り始めたHAT灘の浜8番館をまわりました。

彼岸に入っての3連休とあって,留守宅も多く,新たなお話し伺いは限られましたが,その中でも,当初,宗教の勧誘の類と勘違いされ警戒心を持っていたものの,週末ボランティアと訪問の趣旨を繰り返し説明したところ,ドアを開いてくださり,玄関口ながら30分近いお話し伺いを実現できました。

80代女性,灘区で被災,修繕中明石の息子さん宅に一時避難,同住宅の建て替えによりHATに入居して3年。(以下略)

高齢者にとってヴォランティアという未知の訪問者が,宗教の勧誘はもとより詐欺師やペテン師以上に得体の知れない存在であることは,一定程度不可避なものであり,マイナスからの信頼獲得が課題となってしまうわけですが,そこからゼロをも超えてプラスに至らしめ,心を開いてもらえるところに,週ボラのお話し伺いの達成感と醍醐味があるといえるでしょう。

また,前回以来課題となっていた,7番館におけるこれまでの訪問者への具体策フォローも実現し,これまでに築いた信頼関係をさらなるものにすることができた点でも意義深いものであったといえるでしょう。いつも住宅前で草引きをされていて,前々回活動時には一緒に記念写真を撮影した住民の方が,検査入院のためしばらく姿が見られなかったのですが,今回再びお姿を拝見することができ,近況などをうかがいました。

訪問活動を早めに終えたため,久しぶりに脇の浜住宅の倉谷さん宅を訪ね,対話と交流を深めました。

今回は,活動開始時刻頃に,集合場所である三ノ宮の勤労会館に,活動参加全面禁止中の××邦彦が乱入し,東條健司代表らに言いがかりをつけるなど,異臭と騒音をもって活動を妨害するという事態が発生しました。

これについて弾劾するとともに,かかるものによって,週末ボランティアの正常化−清浄化の歩みが,いささかも停滞・後退するものではなく,むしろこれを梃子としてヨリ鞏固なものへとうち鍛え,さらに前進させてゆくものであることを,断乎として表明しておきます。

2007/09/22 ↑TOP


第446(新生第4)回訪問活動

一昨日9月8日の第446(新生第4)回訪問活動は,台風一過の青空とはいかなかったものの, 一応好天に恵まれ,限られた時間で現地に集合して訪問活動に加わってくれたメンバー, 終了ミーティングのみの参加ながら勤労会館に足を運んでくれたメンバーの協力を得て, 実現できました。

今回もまた前回に続き,読売新聞の写真記者さんが同行取材に加わり,終了ミーティング後, 東條さんと私とで,これまでの週ボラの活動について,1時間ほど時間を取って話す時間をもちました。 正常化に取り組む週末ボランティアに,関心と期待を持ってくださるのはありがたいことです。 またあわせて,記者さんの企画・構想についても聞き,よりよいものができるよう協力していける体制が できた点でも,有意義であったといえるでしょう。

訪問活動の情況についていえば,このところの趨勢通り,今回も早い時間から長時間のお話し伺いとなる ケースが続き,最後には皆で上がり込んで45分ほどのお話し伺いが実現しました。 (中略)

訪問場所については,最上階を残していた7番館の訪問を終え,8番館の訪問に入りました。

終了ミーティングでは,訪問戸数・箇所等の確認および, 訪問活動における注意点・改善すべき点についての認識を共有することに集中しました。

これは,遅くまで神戸に滞在できない参加者が複数いたことと, 記者さんから時間を取って欲しいとの要望があったことによるものですが, 訪問活動・お話し伺いの成果の共有・学習という点からは,その機会にできず, 現地で荷物番を引き受けてくれた方,終了ミーティングにのみ参加された方に申し訳なく思います。

現地集合場所が,訪問先住宅棟に囲まれたところになるため,上下左右あらゆる角度から, 参加者の姿や言動が,住民の方に見られるとともに,話し声もよく聞こえてしまいます。 また逆に,お話し伺い中の内容が丸聞こえになることもあります。そこで,現地集合場所付近では, 私語とあわせて,お話し伺いの内容や訪問先に関することを話すことなども,慎みたいものです。

訪問先でインターホンを鳴らすとき,「こんにちは。週末ボランティアです」というのが普通でしょうが, その際,ゆっくり,ハッキリと話すよう心がけたいものです。 そうすることで,相手に聞き取りやすくなるとともに,安心感を与え, お話し伺いの実現と充実,さらには信頼関係の構築につながるものです。

今回の訪問活動中,遺憾な事態が発生しました。

久しぶりに訪問活動に参加した,以前「副代表」の一人に名を連ねていた,ある女性参加者が, お話し伺いの際,何の脈絡もなく突然「地震に遭ってよかったと思うことは?」と,住民の方に言いました。 躊躇するでもなく,言い直そうとするようでもなく,確信犯的に出たと言わざるを得ないものでした。

こうした一言は,単に心ないものだと片付けられるものではありません。 その参加者の姿勢を疑わせるものでした。

それまでの人生でもっとも難儀した体験を話してくれている以上, それを受け止めようとする姿勢を堅持することは必要不可欠です。 この一言は,かかる姿勢の放棄を宣言するに等しいものです。それだけで, 被災者−住民との信頼関係を失わしめるに充分なものといわねばなりません。

まさに,お話し伺いを台無しにした一言です。

もちろんそのような誘導尋問ならぬ誘導尋問で,お話し伺いの内容もまた, 歪曲された,悲劇を喜劇へとすりかえたものとなっていることは,言うまでもありません。 よってこのお話し伺いの内容は,報告しないでおきます。

このようにお話し伺いを歪曲しすりかえることは,単に内容の受け止めを拒むのみならず, 被災地・被災者を自らの享楽の具たらしめるべく利用せんとの意図も透けて見えてくるものです。

他者への共感という点から言えば,まったく相反するものです。

自分が被災者・住民だったら,このような訪問活動やお話し伺いを受けて どのように思うのでしょうか?

こうしたことに思いをいたすことから,参加者個々人の姿勢と,グループとしての週ボラを顧みることを 忘れてはならないことを,週末ボランティアの正常化の一環として,改めて訴えます。

2007/09/11  ↑TOP


第445(新生第3)回訪問活動

第445(新生第3)回訪問活動は、初参加者は見られなかったものの、前回同様少数精鋭の観がある体制での訪問活動となりました。

今回は、「読売新聞」の同行取材がありましたが、これまでのマスコミ取材と違って、内容的に突っ込んだ質問も多く、13年目の被災地の現状とともに、新生週末ボランティアの活動の質をも合わせて問うものであったといえるものです。この取材は、来年の「1.17」にむけての準備のようです。

訪問活動としては、留守宅が目立つ中でも、玄関口および上がりこんでの長時間のお話伺いを実現し、インターホン越しの会話であっても、一応の現状確認・安否確認的な対話は実現でき、これまたあからさまな訪問拒否にあうことはなく、週末ボランティアの訪問活動への期待と信頼が築かれつつあることを実感させるものでした。

酷暑の中での訪問活動への参加は、体力的にきついものがないといえばうそになります。また以前も述べたように、お話くださる住民の方への配慮も必要です。しかしながらかかる充実感を伴った疲労は心地よいものでもあります。

この酷暑は、週末ボランティアの再生と正常化への試練のひとつであるといえるでしょう。試練は必ず乗り越えられると、『新約聖書』は説いていますが、それならばいかに乗り越えるかが問われることになります。「艱難汝を玉にす」ということばもありますね。もっとも無理を勧めたり強要したりする箴言は、管見の限りありません。

次回もまだ残暑が続くことが予想されますが、決して無理することなく、充実した訪問活動を実現しましょう。

2007/08/26 ↑TOP


Re: すごい写真

今年分を改めてご覧くださりありがとうございます。

無料提供といっても,提供する側は顧客を獲得して利益に結びつけていくわけで, 化粧品のサンプルや薬の試供品と同じことです。 自分にあったもの,本当に必要なものを見つけ出し, ムダやミスマッチからくる不利益・不幸を未然に防止するための機会であるのです。

決してタダだから,もしくは安価だからというだけの理由で使っているわけではありません。

この数ヶ月来,とりわけ急増していた,在宅していてあからさまに訪問活動を拒否するケースが, 週ボラが新たなスタートを切った前回(7/28)訪問活動いらい,皆無であることもまた 「すごい」ことであるといわねばならないでしょう。

今回(8/11)分について言えば,「すごい」のは, 無料利用可能なツールの機能でも,カメラやレンズの性能でもなく, 写っているみんなの表情をおいてほかにはないでしょう。

前回(7/28)訪問の際,癌での検査入院を控えていながら草引きに余念がなかった住民の方と 2週間ぶりに再会してみたところ,前回以上にやつれた感じで心配したのですが, できあがった写真を見るといい表情をしてくださっていて,少し安心しました。

もちろん,訪問活動に参加したすべての参加者についてもいえることです。

落ち着きとともにすがすがしさを備えた,前回および今回の訪問活動は, 信頼関係の構築という点でも重要ですが,それ以前に, かかる場と雰囲気が,参加者・住民おのおのに癒しをもたらし,心のケアとなり, そこから生まれる活動の質が力をもたらす点で,有意義なものであることを 確認しなければなりません。

かかるものが,社会実践としてのヴォランティア活動とは相容れないものを持ち込み, こじつけることでは,決してもたらされないことは,もはやいうまでもありません。

かかる場を創造し,かかる関係を構築することにまさる楽しみは, およそ社会実践の中ではないでしょう。

しかしながら,参加者が楽しみを求めることを目的とすれば, かかる楽しみは得られず,活動もまた歪められてしまいます。

中国宋代の政治家范仲淹が,政治に関わる者の心構えとして説いた有名な言葉に 「天下の憂に先んじて憂え,天下の楽に後れて楽しむ」というのがあります。

縮めて「先憂後楽」ともいわれるこのことばを,すべての社会実践に関わる者に不可欠な, 基本的な心構えとして,私たちの週末ボランティアにおいても,確認し共有し, 自戒と前進の糧としたいものです。

こうした正常化の中で切り開かれた地平を,新生週末ボランティアの第3回目とそれ以降につなげ, さらなるものへと高めていきたいものです。

2007/08/22 ↑TOP


Re: 第444回訪問活動報告

日曜日の夜に帰宅し,今日はお盆休みでいつもより人が少ない都心で仕事です。

訪問活動の通算回数は,前回(7/28)が443回,今回(8/11)が444回にあたりますが, 質的には,新生週末ボランティアの第1回目と第2回目であるといえるでしょう。

> > 「今週の資料」に小田実さんの追悼の記事を載せたのですが、

「今週の資料」掲載の『神戸新聞』の小田実追悼記事は↓です;
「行動する作家」貫く 公的支援求め続け 2007/07/30
http://www.kobe-np.co.jp/kobenews/sg/0000499200.shtml

> > 神戸新聞一面トップに、「被災者生活再建支援法」「住宅本体にも支給」「臨時国
> > 会、民主、改正案提出へ」とありました。

こちらもweb版で見られます;
民主、被災者支援法改正案提出へ 住宅本体に支給拡大 2007/08/11
http://www.kobe-np.co.jp/kobenews/sg/0000530077.shtml

自然災害の被災者に最高三百万円を支給する「被災者生活再建支援法」について、 民主党は十日までに、改正案を秋の臨時国会に提出する方針を決めた。 現行法では認められていない住宅本体の建築・補修費用も支給の対象とするなど、 二〇〇五年の通常国会に共産、社民と共同提案し廃案となった改正案とほぼ同じ内容。 七月に起きた新潟県中越沖地震にさかのぼっての適用を目指す…

また住宅への支援については,全国知事会が要望を出しています;
被災住宅本体を支援対象に 知事会が防災相に要望 2007/08/09
http://www.kobe-np.co.jp/kobenews/sg/0000525212.shtml

全国知事会は八日、内閣府が見直しを検討している被災者生活再建支援制度について、 住宅本体の再建・補修費を支給対象とするよう求める緊急要望を 溝手顕正防災担当相に提出した…

> > 今こそ週末ボランティアは、
> > 民主・共産・社民が昨年協同提案し廃案となったこの改正案を、国会や県会や
> > 市議会においてこれに賛同すべきことを陳情し、行動を起すべきことを」提起しました。
> >
> > これはただちに行動をおこします。待ちかねた時がようやく訪れています。

先の総会において↓を確認しました。

週末ボランティアの活動は,お話伺いを起点として,コミュニティーの創造・構築や住 民の主体性発揮のサポート,行政監視,政策提言などに及ぶものである。 週末ボランティアの活動の目的は,被災地の復興と被災者の生活再建に貢献・寄与する ことであり,そのために情況に自らを投入することによって,被災者の中に尊厳を見いだす 姿勢が求められる。

したがってこれも重要な週ボラの活動の一環です。 正常化の一過程として,不偏不党の原則をふまえつつ,是非取り組みましょう。

> > 建物の南西すみの段差にひっかかりほとんど転げそうになったため、
> > 危険であるとの問題提起をしたのですが、
> > (中略)
> > 公団借上げの県住とのことですが、構造上の大問題です。これまでも事故が多かった
> > と思われます。放置された経過も問題であり、改善のためのきっかけをつくるつもりです

こういうところは写真に撮っておきたいものです。デジカメや携帯で充分です。 その部分の拡大写真(ペンやたばこの箱など,大きさが判るものを一緒に写し込むとヨリ判りやすい)と 周囲の情況が判るよう引いたものとがあればいいでしょう。 「構造上の問題」なのかその場所固有の問題なのかによって対応は異なるにせよ, 情報を共有することによって,的確な議論と行動ができるでしょう。

訪問活動終了時に,記念写真を撮りましたが,今回は前回訪問時に住宅の前で草引きをされていて, その後検査入院され再び自宅に戻ってこられた,訪問先住民の方を囲んでの撮影となりました。 今度は,お元気な姿でまたお会いしたいものです。

※これらの情報共有の試みはいずれも,インターネット上に無料で提供されているものを 利用して行っているもので,週ボラサイトとは独立した別個のものです。

2007/08/13 ↑TOP


第444回訪問活動報告

今回の訪問活動には,途中からの参加となってしまいましたが, 久しぶりの訪問活動参加で,HAT灘の浜への訪問活動は初めてという ふるいメンバーの復活を得て,やはり精鋭の観がありました。

今回はお盆休み期間とあって,不在の世帯も多く, お話し伺いができた戸数は少なかったものの, 一時期のようなあからさまな訪問活動拒否といったものはなく, 週ボラの活動にたいする,住民の受容・浸透はもとより, 期待と信頼を勝ち取りつつあることを,随所から感じ取ることができるものでした。

そうした中でも,戸口での長時間のお話し伺いと,上がり込んでのお話し伺いが各々1件ずつと, 充実した成果がありました。詳細は各々に参加したメンバーからの報告を待ちたいと思います。

前者では,はじめお話し伺いに拒否的な反応をされたところから,参加メンバーの機転と粘りで, 対話を実現し,震災のみならず,旧制中学時代の戦争体験等もお話しくださるに至ったのもでした。

後者では,上がり込んだメンバーとの連絡のため,お話し伺いの途中,少しだけのぞかせていただきましたが, 住民の方は私の分まで茶菓子を用意されたとかで,恐縮です。

今回は,私が途中からの訪問活動参加となったほか,終了ミーティングのみの参加となったメンバーもいました。 こうした充実した訪問ときっちりした集約がなされると,終了ミーティングの内容も充実し, 訪問活動に参加できなくても,終了ミーティングのみの参加であっても, 学びの姿勢を活かし,意義あるものになったといえるでしょう。

2007/08/12 ↑TOP


7/28訪問報告

7月28日の訪問活動は, 先の総会後初めての,まさに週末ボランティアの再生と再出発にあたるものでした。 常連メンバーの参加がやや少なかったものの,まだ前期試験を残しているという 女子大生一人の初参加を得て,少数精鋭の観がありました。

訪問先住民の方にもさわやかな印象をもって受け入れられたのでしょう, 訪問拒否のごときは少なく,充実したお話し伺いも多くできました。

既に報告にありましたように,途中東條さんが身体に異状をおぼえ, バス停2つ分離れた日赤病院での検査に臨むという事態がありましたが, 病院への付き添いをも含め,各参加者が協力し,役割分担を柔軟且つ効果的に担うことで, 上がり込み中のお話し伺い1カ所を,30分余で切り上げた以外は,予定をクリヤーすることができました。

終了ミーティングについては,東條さんの体調に配慮し早めに切り上げました。 そのため訪問内容の詳細な報告や訪問状況の確認等に一部不十分な点もありましたが, これについては,この報告と並行して,私の方で補っています。

折りからの猛暑は,週ボラ参加者も訪問先住民の方にも分け隔てなくふりかかるもので, 我々参加者のコンでゅションとともに,訪問先住民の方々の負担もあわせて 配慮し思いやることの必要性を,教訓としておきたいと思います。

これまで訪問活動については,お話を伺うのではなく周囲を見回しているだけとか, ただひたすら詳細な記憶を求めるといったような姿勢を問題にしてきましたが, それ以前から,お話し伺いの時間の長さや上がり込みの回数を,その内容や質, さらには訪問先住民の事情をいっさい顧みず,偏重して要求する風がありました。 こうしたものは,これを機に見直し,改めたいと思います。

いかに心を開いてもらうとか,いかにお話しを引き出すかと言ったことも重要ですが, 最後の1滴まで搾り取るようなところまでやるとか, 耐久レースやデスマッチのような姿勢で臨むのが「積極傾聴」ではないでしょう。

今回,1時間を優に超える玄関先でのお話し伺いが2カ所ありました。 これらについても,話のきりのいいところで「ありがとうございました」と言って, せっかくではありますが,切り上げる方向にもっていきました。 暑さや夕食準備といったことへの配慮です(前述の東條さんの一件とは別です)。

今回は,諸般の事情が許すぎりぎりのところまで,私と初参加の女子大生で, 17時近くまで訪問活動を続けました。

また以前にも指摘しましたが,柔軟に対処して,初参加者にできる限り, 充実したお話し伺いを経験してもらい,今回はそういうことはありませんでしたが, 最低でもお話し伺いがまったくできないままで終わることのないよう, 配慮することも,心がけていきたいものです。

初参加での充実した体験が次の参加につながるとともに,グループとしての週ボラの チームワークと活動の質の向上につながっていくことになるでしょう。

「べ平連」以来,長年にわたって平和運動に取り組むとともに, 被災者への公的支援要求運動に尽力された,作家の小田実さんが 本日未明,亡くなりました。ご冥福をお祈りします。

訃報:反戦運動の旗手、作家の小田実さん死去
http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/fu/news/20070730k0000m040186000c.html

 元「ベ平連」(ベトナムに平和を!市民連合)代表で、ベトナム反戦運動など 市民運動の先頭に立った行動派の作家、小田実(まこと)さんが30日午前2時5分、 胃がんのため東京都内の病院で死去した。75歳…

公的支援要求運動や日独学生交流でお会いしたのは10年近く前になりますが, 旺盛な行動力に頭が下がる思いでした。 また私ぐらいの年代では,大学受験指導でも知られた存在でした。

7/28訪問報告の続きに入りましょう。この日最大最後のお話し伺いを報告しましょう。

90代男性,灘区北通りで被災,自宅は全壊,王子公園の南西の仮設住宅を経て姫路の親戚宅へ。 HAT灘の浜居住は5年,月1万円の家賃負担。 (以下略)

訪問活動の進め方についての意見は先に述べましたが,それ以外に今回の訪問活動の感想としては, 当たり前のことができることのありがたさを実感したと言うことでしょう。

このところの初参加者の活躍ぶりに感心させられます。今回もそうでした。 人の話を素直にきく,さわやかな印象と誠意を示して,心を開いてお話しを引き出す… こうしたごく基本的な,通常の社会通念で当然のことをちゃんとする, ここでわざわざ改めて言うほどのことではないでしょう。

まして人生経験豊富な方や,一流大学の学生であれば,なおのことできて当たり前のことでしょう。

長年にわたる,「歩く機関銃」による,異臭と騒音,「いいわけ・こじつけ・すり替え」のため, いかに正常な感覚を失ってきていたかを,改めて思い知らされるとともに, 当たり前のことができるありがたさを,それへの感謝の気持ちをもつことの必要性を 深く思い知らされました。

週末ボランティアの正常化は,おのずからやってきたり,与えられたりするのではなく, 多くの労苦と犠牲の上において,初めて勝ち取られるものといわねばなりません。

単なる回復や目標達成の実現にとどまらず,その過程において, より多くのものを学び,発見し,身につけて,自らの糧とし, それを共有しさらなるものへと高めていきたいという思いを,新たにしました。

2007/07/30  ↑TOP


Re: 28日の訪問は参加します

週ボラ総会関係でこの1週間あまり,ほとんどかかりきりのような状態でしたが,一段落ついたところで私の感想を。

週ボラの活動が被災地・被災者に役立つとともに,参加者が学び成長する場であるべきところですが,現状ではどうでしょうか?

総会に先立ってある参加者に,今のような週ボラの訪問活動で,君が住民だったら来てほしいと思うか,と尋ねてみたところ,答えは否でした。このことに気付くだけでもまだましな方です。自己点検の第一歩です。こういった方面の議論が十分できなかったことが,今回の総会の問題点だったといえるでしょう。

××君の,極端・非現実的な事例を一般化するコジツケ・すり替えは,ただ相手の消耗を図ったもので,まともに議論をする姿勢ではありません。それに障碍者や心の病をもった人をダシに使うにいたっては,およそヴォランティア活動の場にふさわしくないのはもちろん,人間として許せないものを感じます。

また2ちゃんねるや週ボラ掲示板への中傷書き込みについての追及もなされましたが,かかるものに対応していては,対応する側の意識までもが,かかるレヴェルに落とさねばならなくなるという点で,消耗をもたらすものであるといわねばなりません。糾弾する側の姿勢が問われるものであったといえるでしょう。

また,活動の質を低下させることで自らの居場所と地位を確保しようとする,××君の土俵に乗ってその目的達成を下支えすることになるものであることも,忘れてはならないでしょう。

活動の点検と質の維持・向上のための議論は,今後も不断に続けていく必要があるでしょう。

既報の通り,総会で××君活動参加全面禁止2年,新年度の副代表選出せず,を決定しました。

これは,週ボラが,その活動の目的である,被災地の復興と被災者の生活再建に貢献・寄与することと,そのために情況に自らを投入することによって,被災者の中に尊厳を見いだす姿勢で臨むという原点に立ち返り,解体的再生を図る一環です。

××君の活動禁止について,期間だけで言うなら甘いという人も,厳しいという人もいるでしょう。問題の本質は期間ではありません。

××君のこれまでの姿勢・態度は社会実践のヴォランティア活動にふさわしくなく,相容れないものであったわけで,その点では,彼の考えと活動のあり方の間がミスマッチであったわけです。

もっとも望ましいことは,××君が自らにふさわしい活動の場を見つけることです。週ボラに執着している間はそれを見つけることはできません。週ボラに他のものをこじつけることによって生み出せるものでもありません。

そういった意味では,週ボラ以外のものに目を向けさせることが,××君の今とこれからにとって,もっとも必要なことです。

「罪を憎んで人を憎まず」ということばもありますが,それ以上に,もし真に××君にたいして友情をもって接するならば,彼にとってふさわしい他の場所を彼自身が見つけるためのサポートをすべきではないでしょうか??

××君に他に目を向けさせることは,ミスマッチの解消という点において,彼自身と週ボラの双方にとって有益であり,幸せなことです。

また,参加者の学びや成長という点では,「副代表」のあり方に根本的な問題があったことを看過できません。「副代表」となってから,自らの学びや成長どころかそれに反する情況となったり,あまっさえ自らつぶれていったり人をつぶしていったりしたのは,何も××君一人ではないからです。これは「副代表」の呼称を悪用する以上の問題です。

オフィシャルな報告が待たれるところですが,あわせて総会についての意見や感想,今後の週ボラのあり方についての議論をお寄せいただきたいと思います。

2007/07/21  ↑TOP


総会続報

15日の総会に参加された皆さん,また総会に向けてご意見をくださった皆さん, 改めてお疲れ様でした。

総会では,まず東條健司代表から,HAT神戸灘の浜住宅に入るようになってからの,この1年間の訪問活動について, 訪問戸数や参加者数などの報告がなされ,2月以降の試みで,活動の質の向上と参加者の定着がみられることが報告されました。 次いで佐治さんからの会計報告がなされました。

これらをうけて各参加者による,活動の総括・感想に関する発言を通じて,今後の活動の向上のための討論を行いました。

あらかじめ発表した「2007年週末ボランティア総会提案」は,配付資料に組み込まれたため, 「活動の目的・趣旨の確認」・「活動の質の維持・向上」については,寄せられた意見と合わせて報告とし, 「お世話係・役割分担の適正化」・「××××君について」については議案としました。

また,××君の問題については,本提案にそったような趣旨の何人かの発言がありましたが,これとは別に, 東條さんから,2ちゃんねるや週ボラ掲示板への,週ボラや参加者を中傷する書き込みに関して, ××君の関与についての追及がなされました。

その結果,××君の活動参加全面禁止2年,新年度の副代表を選出しないことを決定しました。

今回の総会については,
新世紀の「週末ボランティア」行事・イベント篇・「週末ボランティア」正常化闘争の軌跡
に,私からの報告を上げました。こちらもあわせてご覧ください。

7/14は中止になりましたが,その前までの訪問活動についても,追加しました。

2007/07/19  ↑TOP


総会速報

本日の総会で長船君活動参加全面禁止2年,新年度の副代表選出せずを決定。

2007/07/15 ↑TOP


6/23の訪問活動ほか

このところの多忙により昨23日の訪問活動には,神戸泊なしの夜行バス往復での参加となりました。 本来であれば,体調とともに気持ちの余裕を持って活動に臨みたいところですが。

今回もまた新たな参加者ととももに,ヴォランティアらしい姿勢と行動で行われたと言っていいでしょう。 現地での集合場所は,訪問棟に囲まれた中庭のような公園にしました。 訪問先までの往復に至便で,訪問活動中の各班の様子が見られ, 割り振りや柔軟な連携が行いやすいものでした。

もちろん住民の方から,あらゆく方角から見えるとともに,声なども反射して響きやすいところで, 参加者の姿勢がとりわけ問われるところであるといえるでしょう。

また公園で遊んでいた子どもとのコミュニケーションをとった参加者もいました。

今回は,留守宅以上に訪問拒否者が多かったことが印象に残ります。 原因としては,未知の訪問者一般にたいする警戒感や不信感によるものが最も大きいのでしょうが, 異臭と騒音に満ちた従来の週ボラの活動情況からして,週ボラにたいするそれがないとはいえません。

インターホン越しであれ玄関先であれ,いったんは応答してくださったからには,お話伺いとしては不十分でも 少なくとも不審者のごときではないことだけは解っていただくよう努力したいものです。 マイナスからの対面をプラスに持って行ければいいですが, 少なくともゼロのレヴェルにまで持って行くことで,お互いの不幸のままに終わることを解消したいものです。

お話伺いとともに,週ボラとしての信頼関係の構築が課題であることを,改めて感じました。

従来訪問活動をしていて,いったんは玄関先なりインターホン越しで応対してくださりながらも, お話伺いに消極的な反応をされることはあっても,近況を尋ねたりするところから出発して, 震災に関してのお話伺いとなるケースがほとんどでした。 長時間のお話伺いに至るケースも珍しくありません。

今回訪問した中では,こうしたお話伺いを引き出しながらも, あるところからはお話を再び拒むというケースもありました。 話せることと,話したくないこと/話せないこととの境界線に立ち至ったということでしょう。 このことが持つ意味についても,受け止めて考えていきたいと思います。

4/14の訪問活動に参加してくれたオードリー・フッシェさんの記事が一昨日の『日経新聞』に出ています。
紙面では白黒でオードリーさんの写真がありますが,web版ではありません。また本文は同一のようです。

震災と生 被災者ら20人体験基に描いたシナリオ──映画学ぶ仏女性が完成(6月22日)
http://www.nikkei.co.jp/kansai/news/40639.html

 パリの国立映画学校に通うフランス人女性が、卒業制作で阪神大震災をテーマにした脚本を書き上げた。知人の日本人男性の孤独死をきっかけに4年前から構想を温め、この春に初めて被災地の土を踏んだ。復興から取り残された長田区の実情を目の当たりにする一方で、前向きに生きる多くの人たちに出会った。「地震と無縁のフランス人にも、KOBEの12年を伝えたい」と話す。
 「Memories coner(震災の記録)」(仮題)の脚本を書き上げたのは、オードレー・フッシェさん(26)。今年4月、神戸に約2週間滞在し、被災者だけでなく、復興住宅を設計した建築工学の専門家や、被災者の心のケアに取り組んだ保健師ら20人にインタビューした(以下略)

2007/06/24 ↑TOP


オードリーさん記事

4/14の訪問活動に参加してくれたオードリー・フッシェさんの記事が昨日の『神戸新聞』に出ています。

フランス国立映画学校生、震災テーマに脚本執筆中 2007/05/06
http://www.kobe-np.co.jp/kobenews/sg/0000325946.shtml

 とてつもない災害に遭遇したとき、人はどう生きていくのか-。そんな疑問と関心を抱いたフランス国立映画学校(パリ)の女子学生が、阪神・淡路大震災をテーマにした映画の脚本を執筆している。四月には神戸市内の復興住宅や区役所を訪れ、被災者から話を聞いた。日仏共同制作での映画化を目指し、「神戸で上映したい」と夢を語る。(徳永恭子)
 オードレ・フッシェさん(26)。多くの監督や俳優を輩出している同校脚本科四年生で、六月に卒業する。
 数年前、震災の報道に接したとき、「コドクシ(孤独死)」の言葉が耳に響いた。誰にも看取(みと)られずに亡くなっていく高齢者が増加-。テレビはそう報じていた。「日本社会は連帯感が強いと思っていたのに、どうして」と衝撃を受けた。 (以下略)

写真は,うちのサイト内「新世紀の週末ボランティア 訪問活動篇・2」 で見られます(4/28訪問活動分まで)。

4/28訪問活動時の記念写真は,次回訪問活動(5/12)のときに差し上げます。 次回もまた,住民の方から好感と信頼をもたれるよう,さわやかで質の高い活動を実現していきましょう。

2007/05/07 ↑TOP


第438回、訪問活動

昨28日の訪問活動は,連休初日で好天であったことから,在宅率が低く, 若干の安否確認を除いては,新規の「お話伺い」はほとんどできませんでした。

しかしながら,訪問活動に参加した全員が訪問活動にたいする熱意と姿勢において, すばらしいものがあり,まさに精鋭の感がありました。

新規の訪問活動ではほとんど収穫がなかったものの,前回訪問したお宅のうち, 斜視をとらせてくださったお宅を訪問して,写真を差し上げ,感謝の気持ちを伝え, コミュニケーションをさらに深めていきました。

また,訪問対象の棟に向かう途中,前回,長時間にわたってお話しくださった住民の方と, 井戸端会議中のところに,偶然お会いし,ここでもコミュニケーションを深めることができました。

従来も訪問箇所に向かう途中,住民の方と挨拶するように心がけてきましたが, 少しでもこうした例ができると,他の住民の方との信頼関係の構築においても, 手応えを感じることができました。

これはわざわざ報告するほどでもない些細なことかも知れません。 しかしながら,その些細なことの積み重ねを続けることは重要です。

このときのちょっとした表情や言葉の調子や雰囲気から, 訪問活動にたいする私たちの姿勢が,どのように伝わり, またどのように見られているをうかがい知ることができます。

私たちの訪問活動にたいする姿勢を向上させる取り組みは, 住民の方に伝わりつつあり,信頼関係の構築にも, やがて寄与していくでしょう。

2007/04/29 ↑TOP


第437回の訪問活動(続)

すでに次回第438回の訪問活動が明日に迫っており,東條さんからその案内が出されていますが, 第437回の訪問活動のお話伺いの内容を,報告しておきます。

初参加者とまわった最初のお宅では,「体調が悪く,お話ししたくない」といわれましたが, それでも玄関先で10分ほど,現在の生活情況や,体調などについての, ある程度具体的なお話をうかがうことができました。

眼が白内障で眼科にかかっており,最近終わったものの歯科にも通っていて, 病院通いが外出の中で大きなウェイトを占めていたようで,買い物は週1回程度。 この間HAT内のダイエーに行ったら,近所の人に「死んでいたのか?」と言われたとのこと。

次いで,東條さん・オードリーさんらのグループと合流してお話伺いさせていただいたのが 2カ所あり,そのうち1カ所は,私たちが合流し,最後に記念写真を撮影しました。

もう1カ所は,1時間ほどお話伺いさせていただいたところで,東條さんらが合流。 はるばる海を越えてやってきた参加者のために,それまでうかがったお話をもう一度してくださいました。

この70代の女性の方は,50年あまり住んだ灘区(HATのお宅から見える場所)で被災しました。 震災前は自営業で,鉄工所を経営し,最盛期には30人もの人を使って,手広く仕事を手がけていたそうです。 (以下略)

「どん底の生活」なので震災前からの人間関係は絶っているとのことですが, 時々,六甲道まで震災前から行きつけの喫茶店に行ったりしています。

一緒にお話伺いしたメンバーは「10年経ってやっと話せるようになった」 という言葉が印象に残っているようですが,話す側,聞く側それぞれが, 前向きになれるような気がしました。

2007/04/27 ↑TOP


Re: 3/24初参加者の感想

「3/24初参加者の感想」として,矢萩さんが掲載してくれました。

★小田敏夫さん(神戸市):震災13年を経過し、被災者の気持ちも、今更ボランティア訪問を受けても意味がないという雰囲気を感じた。被災住宅にも友愛訪問等サービスも徹底して、ボランティアへの依存度が低下しているのではないか、という感じを受けた。

人生経験豊富な初参加者の率直な感想です。

住民間の支援体制ができることは,それ自身評価されるべきものです。他のヴォランティアも活動していれば,それとの比較の上で評価されるのは必然で,それだけ信頼を得てニーズに応えることがヨリ厳しく求められます。

ヴォランティアによる支援・サポートのニーズや依存度が低下すること自体は,それだけ生活再建と復興が進んでいるのであれば,問題のないことであり,活動の成果でもあるといえるものです。

しかしながら,生活再建や復興が達成されていないばかりか,震災以降時間が経つにしたがって,あらたな問題が生み出され,問題が潜在化させられていることもまた忘れてはなりません。

そうであるが故に,これまで以上にしっかりと「お話伺い」をしないと,問題を見つけ出し,必要なニーズを発掘することが難しくなります。

考古学の発掘調査や,井戸・温泉・天然ガス・石油…,およそ地下資源の掘削も同じことです。深く掘るほどコストや難度が要求される点もまたしかりです。

訪問活動における「お話伺い」においても,潜在化したものをいかに引き出すかが問題になります。潜在化の度合いが深くなっていることを,また問題点などを見つけにくくなっていることを,
理解しておかなければなりません。

もっともスキルの類が第一義に問題なのではありません。これは,主に引き出されたお話を確実に記述し,ニーズの現実化・具体化において求められるものだからです。

最も重要なのは「お話伺い」に臨む姿勢にほかなりません。訪問先の方に,関心を持ってきていること,話されることを聞いて受け止めようとしている姿勢が伝わることが必要です。そして,心を開いて話せるだけの信頼関係を築くことが必要です。

週ボラの活動では,一人一人でお話伺いをするわけではなく,グループでするわけですから,必ずしも全員が聞き取りや書き取りに高いスキルを持つ必要はありません。

スキルがなくても,お話を聞き引き出そうとする姿勢があれば,それがよりよいお話伺いのための,呼び水・導火線・触媒の役割を果たします。

逆にスキルがあっても,かかる姿勢がなければ,マイナスであり,最悪の場合ぶちこわしです。

お話伺いとして訪問しながら話を聞く姿勢をもたないのは,訪問先住民の方ににウソをつき騙しているのと同じです。そのようなものは社会実践としてのヴォランティアにふさわしいものではありません。ヴォランティアを騙るニセモノです。

これまでの活動に臨む姿勢を顧み,よりよいお話伺いのために各自がなすべきこと,できることを考えていきましょう。

2007/04/18 ↑TOP


第437回の訪問活動

4/14の第437回の訪問活動は, フランスからきた女性と通訳の方が同行参加してくれました。 ほかに初参加者として神戸出身の岡山大の女子学生が加わりました。

好天による低在宅率の中,「お話伺い」が実現したところでは, 玄関先ながら長時間に渡っての充実したものになり, こうしたところでは,特定のグループのものにとどめず,途中から相互に合流して, 実質的に訪問活動に参加した全員でのお話伺いになりました。

この合流しての訪問活動のうち1件については, 私は最初からいなかったので,東條さんの報告を待ちたいと思います。

もう1件については,私と初参加の女子大生とまわっていたところでしたので, 改めて報告したいと思います。

これは,各グループ間の協力と,訪問先住民のご厚意で成立したものです。 これからの訪問活動のあり方を考える上で,大いに参考になるものです。

その前に,彼女がしっかりと支援シートを書いてくれたので,それを紹介しておきます。 まとめ直す余裕などほとんどない中で作成されたものです。 しっかりとお話を聞いていた姿勢と,重要なことを漏らさずとどめておいてくれたことを, 大変ありがたく思います。

「1回だけでも,初めてでも」これだけのことをしてくれたことを,またできたことを, ともに確認し,各自の訪問にたいする姿勢を顧みてほしいと思います。

このため終了ミーティングが実現しなくても,情報・経験の共有と交流はでき, 実質的にその代わり以上のものが果たせたといえるでしょう。

初参加者を始めほとんどの参加者が現地から帰ったため, HAT灘の浜現地で記念写真を撮影し,お別れとなりました。

彼女らのおかげで,訪問活動それ自体は充実したすばらしいものとなりましたが, もちろんこれが何もせずに自然に実現するものでもなく, この日の週ボラ及び全参加者にとってそうだったといえるものではありません。

××君は,いつにもまして異臭を放ち異様な風体で,勤労会館にやってきました。 今回のように,遠来の同行参加者などが多く参加するなかにあって, 週ボラの活動の質がいつにもまして問われる中にあっては, かかる状態での参加しないのが,そもそも一般的な社会常識でしょう。

しかしながら,参加強行しようとするため,レクチャーが行われている室内に入れず, 移動中においても極力他の参加者から隔離しました。

その過程で,私自身がこの異臭のため気分が悪くなってしまいました。 ××君の異臭により気分が悪くなった人がこれまで何人もいるのみならず,吐きそうになった人もおり, この日の参加者にもかかる経験をした人がいることを知らなかったわけではありません。 その場合でも,××君の異臭だけでなく,気分が悪くなった人の体調などの要素もあるだろうと思い, (私の場合は,夜行バスの車内が寒く,疲労感以上に体力を消耗していたことが原因と思った) ××君を一方的に問題にすることはしてきませんでしたが,すべての人に問題があるわけではありません。

もはやこの異臭は暴力・兇器も同然です。 それにたいする言い訳・こじつけ・すり換えからなる騒音もまたしかりです。 こうしたことを繰り返してきながら,××君自身には加害者意識も済まないという気持ちもないのです。

また××君は,「現場監督」を僭称し「仕切り」をしようとしましたが, ここでも,××君の「仕切り」が無用かつ,活動の質を向上させる上で妨げになるものであることが 明らかになったといえます。

他の参加者が訪問活動などをしている間,いつものように,すぐ側にいる人に話すには不必要な大声で, 取り立てて必要性に乏しいことを話すということを続けていました。これまた騒音というべきものです。

異臭とともに,こうした騒音も,他の参加者の正常な感覚や注意力・判断力・思考力を低下させたり奪ったりするもので, ××君の「仕切り」や「安全管理」なるものは,こうした状態に他の参加者を追い落としておくのみならず, 自らもまたかかる状態に陥っていることに無自覚なものである中でなされるものにほかなりません。

××君の不条理な言動のすべてが,いいわけ・こじつけ・すり替えによるものではありません。 自己正当化のための悪意がなくても,自らの異臭と騒音によって自爆している面もあります。

これまた有害無益なばかげたものです。 まさにかかるものには「スクラップ&スクラップ」するほかありません。

このことは,××君を隔離しておけば,その範囲で, 参加者があるべき姿勢で臨み,能力を発揮し,週ボラとしての活動の質が向上するものであることを, ハッキリと示していると言って過言ではありません。

2007/04/17 ↑TOP


3/24の訪問活動(続)

3/24の訪問活動では,女性参加者2人とともに3人で,5戸のお宅をまわりました。

うち2つは「来客中」・「取り込んでいる」とのことで,インターホン越しの会話にとどまりました。

事情があってお話伺いできないのはしかたないですが, 最近,わざわざあらかじめ訪問拒否の旨を連絡してくるお宅があるというのは, どういったことなのでしょうか? 週末ボランティアの訪問活動自体を拒絶するものなのでしょうか?

はじめにお話伺いの応じてくださったのは,夫婦2人暮らしの奥さん(70代)でした。 はじめ,支援シートに記入したり,自分から話したりするのは……とおっしゃっていましたが, こちらから質問すると被災時の情況や現在の暮らしまで,さまざまなことをお話くださり, 玄関先の訪問ながら45分ほどにわたりました。 自宅は全壊ながらも焼けなかったにもかかわらず,隣の3階建て住宅が焼け, 近所の人に託して幼子を投げ落とした母親とおばあさんが焼死したとのお話でした。 修羅場を見たということでしょう。

続いては70代男性。お話伺いの最初は「ワシ肝臓ガンや」と,大手術をした後も再発し カテーテルを利用して除去するもいたちごっこ状態が続いていることから始まりました。 港湾倉庫の労働組合の役員をしたり,数百戸の大所帯の仮設住宅の自治会長をしたり, 最近も3棟の自治会の役員をしたりといったように,長年にわたって多くの方をまとめるような 活動・活躍をされてきたことを話してくださいました。 「元気になればまた…」ということで,週ボラの活動にも協力してくださりそうです。 玄関先の訪問ながら25分ほどにわたりました。

最後は60代男性。部屋の中に自転車が4台もあり,1台はママチャリですが あとはMTBでうち2台はフルサスペンションのものでした。 これを手がかりにお話伺いを始め,続いて趣味の釣り道具を出してきて, つりや釣った魚の話などをお話くださいました。 うちの中にある家具も,少なからずご自身で手を加えたりつくったりしたものだとのことでした。 神戸に出てきた10代からの波瀾万丈の人生をお話くださり, 震災後身体を悪くして以来あまり仕事はしていないとのことでしたが, リタイヤするには早い年齢ながらもそのあたりはお話になりませんでした。 気になるところですが,話したくないことがあるのかも知れません。 あげていただいて50分ほどの訪問となりました。

いずれもこの復興住宅からそう遠くない場所で被災し,避難所生活と, 慣れない不便な遠方での仮設住宅を経験された点で共通していましたが, もう一つの共通点は,震災時に自分自身よりも周囲に,もっと大変な目に遭った, なかには凄惨ともいうべき,方がいたことが,震災の記憶に重くのしかかっていることでした。

週ボラの訪問活動における「お話伺い」では, 被災体験,特に修羅場を見たというような重いものを話すことで, 気持ちを和らげ軽くすることも,「心のケア」の一環として,ひとつの役割です。 それを聞いて受け止める側には,その重さにたいする心構えと勇気が必要になります。

また,ヴォランティアである以上,サポートの必要性や問題点を抽出することが重要です。 自ら話したり訴えかけたりすることで判るものもあれば,逆に, その重要なところを話すことを躊躇することもあります。 いかに信頼して心を開いてもらえるかが問われるところです。 これについて,十分というレヴェルはないでしょうが, 不断の努力でそれに近づいていこうとすることが求められます。

ヴォランティア活動としての「お話伺い」に求められるものが何か,また, 活動に臨む姿勢として要求されるものが何か,ここから判るはずです。

これは何も特別な能力も資格もいりません。ひとえに姿勢の問題です。 そのことを改めて思い知らされました。

知的障害があるとされながらも,他のメンバーのお話伺いのしかたを学習し, 理解力の不足を補うとともにかかる姿勢を身につけていった参加者もいます。

またある参加者について,心の病があるからとか,薬の副作用があるからとかの理由で, お話伺いした内容が信用できないという人がいますが,これは誤りといわねばなりません。 件の参加者と一緒に訪問活動したところ,病や薬が認知能力をそいで, 訪問活動に適さないと考えられる情況は確認できませんでした。

本人の名誉のためにいっておくと,認知能力自体は働いていました。 マンガのネタになりそうな視覚的対象はしっかり追求していたのですから。 その方向性と対象が,訪問ヴォランティアとしての活動の趣旨や意義に それ反しているだけのことです。

逆にいくら能力があっても,それにふさわしい姿勢で臨まなければ, 何らの成果も意義もなく,自他双方に有害無益なものとなります。

週ボラの訪問活動に求められるべき姿勢と, 興味本位的自己満足や自己の享楽・趣味に供せんとするようなもののごときとは まさに相容れないものであることを,改めて確認しておかねばなりません。

その最大の原因をつくっておきながら改悛の情がない特定の人物については,もはや 副代表を辞任し週ボラの活動からも離れてもらう以外に,責任のとりようはありません。 しかしながら彼に全責任を負わせれば済むものではありません。

週ボラに参加するすべてのメンバーが 今一度,訪問活動の趣旨・意義について顧みる必要があろう。

2007/03/29 ↑TOP


3/24の訪問活動

3/24の訪問活動に参加された皆さん,お疲れ様でした。

当日はあいにくの雨でしたが,それほど寒くもなく,在宅率も高かったことから, 訪問できたお宅のいずれも充実したお話伺いができました。

勤労会館での訪問前レクチャーでは,初参加者の自己紹介をしっかり聞くことから始まりました。 初参加者を温かく迎えるとともに,本番となる訪問活動でのお話伺いに臨む心の準備を しっかりする上でも有意義なものであったと思われます。

もちろん訪問前レクチャーとしては,この日の参加者が,初参加か常連かにかかわらず, 実際の訪問活動に臨む前に共有すべき連絡事項と心構えなどの確認が本題ですが, その点ではまだ内容の精選が求められるところでしょう。 せっかく屋内でまとまった時間をとっているのですから,有効活用したいものです。

現地HAT灘の浜住宅への移動,訪問グループ分けなど, 参加者の協力と自覚でいずれもスムーズに進み, また,これまで何度も問題が指摘され,一部参加者がその改善を拒んできたところの, 移動中及び現地での待機休憩中の態度も改善が見られたことは, ようやっとヴォランティア活動らしさを取り戻したといえるものでした。 これは訪問先住民からの信頼を得て充実したお話伺いを実現する上で 必要不可欠なことは言うに及びませんが, そうした姿勢で臨むことが遅かれ早かれ成果となって反映されるでしょう。

今回も終了ミーティングが形式・内実ともなって成立したといえるものでした。 在宅率も高く,時間をかけての訪問が多く実現したにもかかわらず, 訪問を行ったメンバーからの報告には,訪問活動の趣旨からして理解に苦しむ内容のものもみられ, 活動に臨む姿勢にも大いに疑問に思わざるを得ないものがあったことが残念です。

お話をうかがった方についての基本的情報を確認しなかったり, うかがったお話の重要な部分 (サポートの必要性を判断したり問題点を抽出するために必要なもの)に触れなかったり, それ以前にうかがったはずの内容にふれずじまいの「報告」すらありました。 しかもその一方で,お話とはほとんど関係がない情況や,玄関周りの情景など, 視覚的に確認できることだけを一定程度詳細に「報告」したり, かかるものを興味本位でとらえる参加者がいたことは遺憾といわねばなりません。

これではヴォランティア活動としてのお話伺いにはなっていません。 単なる興味本位の自己満足のためのものです。

たとえば,マンガのネタ探しのために訪問活動に参加しているのであれば, かかる方面に着目することになるのでしょうが,これではヴォランティア活動とはいえません。 社会実践としてのヴォランティア活動とは相容れない姿勢です。

いったい何のために訪問活動をしているのでしょうか? ヴォランティアとして訪問をするとはどういうことなのでしょうか? 今一度考え直してもらいたい!

次回4月14日の訪問活動も,今回の成果と反省点を活かし, さらに充実した意義あるものにしていきたいものです。

なお,次回はフランスから震災について研究されている方の同行参加が予定されているとのことですが, 週ボラで見聞きしたことが,週ボラのみならず被災地における運動・活動全体の評価となりうるものです。 その点でも次回の活動はこれまでにない極めて重要なものであるといわねばなりません。

そこで,活動の質と信用を維持し,それを損なうような事態の発生を予防するため, 本来であれば参加が許可されている第2週の活動ではありますが, ××君にはこの回の参加を見合わせてもらうべきであると考えます。

2007/03/26 ↑TOP


Re: 435回訪問活動への参加ご案内

先月22日,都心を自転車で走っていたところ,バイクとの接触事故に遭い, 長時間の列車での移動が辛いため,残念ながら,今回は参加できません。

> > 前回2月24日は、参加者14名による訪問となりました。

参加者が増えたことはもとより,参加者の態度・姿勢の向上が住民の方に通じれば, 「お話伺い」の質もそれを反映して充実してゆくでしょう。

> > 1、 第2土曜日、第4土曜日のお世話係担当者について。都合により、当面のお世
> > 話係は、第2土曜日は東條代表、××副代表が参加・担当し、第4土曜日は東條代表
> > のみの参加・担当になります。

前回の情況からして,××君が「副代表」・「お世話係」として参加するべきか大いに疑問だ。 参加するにしても週ボラの活動の支障にならない形ですべきだろう。

2007/03/10 ↑TOP


Re: 皆さん、お忘れでしょうか!!!

「心得」〜「訪問お話し伺いのコツについて」については, これがつくられた当初は,わざわざ周知徹底させるまでもなく, その内容を具備した参加者が集まるのが普通であった。

しかし以後今日に至るまで, その内容を具備していないにもかかわらずその周知徹底をはかることを放棄し, あまっさえ「副代表」でもある××君自身が,反面教師となってきていることについて 本人及び,グループとしての週ボラが,遅きに失したとはいえ,今まさに 毅然とした姿勢で臨む必要がある。

今回の決定に関していうなら,××君の第4週の訪問活動への不参加ではなく, 副代表解任などといった形を取るのがふさわしいことになるのではないか?

この東條代表への誹謗中傷も以前の事案同様,××君の関与が疑われるものである。

週ボラの「安全管理」のためという言い分は週ボラの費用を使ってバスに乗るための口実に過ぎない。 しかも車内で大声を出して騒ぎ,住民から注意を受けても居直った時期から, 盛んに言うようになったことも忘れてはならない。

週ボラ参加者の中には,交通・運輸労働者,警備員,消防士など 「安全管理」の職業に従事した経験がある者が少なくない。 そうしたものに照らして,××君の言う「安全管理」なるものが その名にふさわしく,必要かつ適切なものか,意味のあるものか, 検討のうえ意見を伺いたい。

「最後にすごいお方に出会い、お部屋へ入れていただき、感涙の1時間のお話しを伺」ったとのこと,久々に有意義な訪問活動ができて何よりです。 心を開いてもらえたことに感謝の心を忘れず持ち続けたいものです。

訪問活動に必要な人数については単純な人数の問題ではなく,参加者の資質と意識によって違ってくるものなので, 一概に言えないのではないか。 むしろ参加にあたっても資質や心構えの内実として, いかなるものが必要か,また望まれるかを整理すべきだろう。

第3土曜日17日の「予告チラシ」は週ボラ名で入れたのでしょうか? もしそうなら,××君に週ボラの名前を勝手に使わせるに「等しいではないか?

週ボラとは関係なく,××君が個人的に活動を行うのであれば,個人の自由だが, かかるものをいくら「回数はカウントしない」といっても, 週ボラの活動として行うのはいかがなものか?

「終了ミーテイング」の復活と,週ボラ活動の正常化につながることを期待したい。

定例の総会の議事に「お世話役」の人事がある以上,それが通常の姿だが, ××君に関する問題だけであれば,「暫定運用」もひとつの選択肢だろう。 臨時に総会を開いて解任するなり,本人に辞任勧告するなりの方法もあろう。

定例の総会で議論するなら,現状の「お世話役」の人事,なかんずく 「副代表」のあり方そのものにまで踏み込んでの議論が必要だろう。

グループとしての週ボラの活動実態や,参加者の実情にあわせた人事のあり方を, 議論するべきではないか。

2007/02/11 ↑TOP


Re: 433回訪問活動ご案内

> > 前回1月27日は、参加者7名による訪問となりました。

「お話伺い」はできたのでしょうか?

> > 1、 前回、終了後の交流タイムで、××氏の参加しない日をつくろうとの提案があ
> > り、1週間かけて検討することとなりました。その後××氏からは「自分が来ない事
> > で参加する人が増えるなら、それは週ボラにとって良い事だ」と了承のご返事があ
> > り、第2土曜日はこれまで通りだが、第4土曜日には、××氏は訪問活動に「参加し
> > ない」ことを確約いただきました。

まず,活動参加を自粛するという××君の節度ある決断を評価したい。

だが問題は,××君が「来ない事で参加する人が増える」か否かにかかわらず, 参加者一人一人の活動に臨む姿勢ではないだろうか。

人の話を聞くことがまず,活動参加にあたっての最低条件ではないか。
被災者の中に人間の尊厳を見いだし尊重することを学ぶ姿勢を 不断に持ち続けることが,求められているのではないか。

それを欠く者の参加は適切であるとはいえず, かかる者の参加をお断りするのは何ら誤ったことではないし, グループとしての週ボラの対外的信用を維持してゆくためには, 時として必要であり,結果として参加者が減少してもやむを得ない面がある。

すなわち問題は,参加者の数ではなく,参加する一人一人の姿勢だ。
これから再び参加する人も,参加を自粛する人も,それぞれに, 参加するにあたっての態度・姿勢が,活動にふさわしいものか否か, 不断の自己点検と相互研鑽を求めたい。

その上で新たなメンバーを迎えようではないか。

2007/02/09 ↑TOP


「限界集落」(Re: 432回、ご案内)

> > 前回1月13日は、参加者11名による訪問となりました。
> > ・ 60代女性、長田区で被災全壊。家族を連れて生活に追われっぱなしだった。今
> > は余計悪い。

前回は「お話伺い」が成立していたようで,何よりです。

今日の神戸新聞にこのような記事が出ています。ご参考まで。

県内の限界集落200カ所 郡部で顕著、都市部にも 2007/01/28
http://www.kobe-np.co.jp/kobenews/sg/0000226438.shtml

 六十五歳以上人口が50%を超え、社会的共同生活の維持が困難になるとされる「限界集落」が、兵庫県内で二百カ所に上ることが二十七日までに、兵庫県立大学経済学部の木村良夫教授(人口学)研究室と神戸新聞社の共同調査で分かった。神戸・阪神間のような都市部でも下町などで、高齢化が急速に進んでいる実態が浮かび上がっている。……

 神戸、阪神間では、集合住宅や駅前商店街など、局部的に50%を超える地域が生まれつつある。
 神戸市内の50%以上は、古くからの住宅地など百三十一カ所。東灘区七▽灘区八▽中央区十六▽兵庫区十二▽長田区十四▽須磨区二十四▽垂水区六▽西区三▽北区四十一カ所だった。単純集計のため高齢者施設が含まれている地域もあるが、二〇〇一年と比べると、50%以上は十二カ所増加。40%台は四十七カ所から百五カ所に急増している。……

限界集落
 65歳以上人口が50%を超えた集落。長野大学の大野晃教授(地域社会学)が1991年に提唱した。冠婚葬祭や生活道路の管理、区長など集落運営の中核を担う役職者の確保など、社会的共同生活の維持ができなくなる、とされる。55歳以上の人口が50%を超えた地域は「準限界集落」。

暮らし限界、集落悲鳴 “ムラ”が崩壊の危機 2007/01/28
http://www.kobe-np.co.jp/kobenews/sg/0000226440.shtml

 「深刻なんて通りすぎた。もう末期だ」。65歳以上の高齢化率が50%を超す「限界集落」の住民が険しい表情で語った。学校が次々に廃校になり、子どもたちの声が消えた。祭りはもちろん、雪かきでさえ続けることが難しい。採算がとれないバス便が減り、高齢化の悪循環に拍車がかかる。都市部も例外ではない。支え合って暮らしてきた兵庫県内の“ムラ”が崩壊の危機にさらされている。……

 高齢化は利便性の高い都市部でも進む。神戸市兵庫区西出町はJR神戸駅から徒歩十分だが、高齢者の割合は高い。
 南海、東南海地震に備え、避難誘導のあり方を検討するが、「年寄りばかりでは成り立たない」と自治協議会役員、吉田友之さん(78)が懸念する。西出町は海に近く、津波被害がよぎる。「夜なら、あの重い防潮堤をだれが閉めるのか」。自治協議会で真剣な論議が続くが答えは出ない。
 限界集落という概念を提唱した長野大学の大野晃教授も「大都市部でこれほど高齢化が広がっているのは驚きだ。葬式や生活道路の維持が難しくなることはないだろうが、防犯、防災への影響が心配」とする。

2007/01/29 ↑TOP


Re: 12年目の被災地を考える、完了

> > 昨日、週末ボランティアの「12年目の被災地を考える、追悼と討論の集い」が完了しました。

参加された皆さんお疲れ様でした。 1/6撮影の写真を見られるようにしておきました。ただし今のところデジカメ撮影分だけです。また,昨年までの分についても,従来利用していたフォトアルバムサービスが近日終了するため, 別の場所に移しました。

> > ボランティア13名がハット神戸脇の浜住宅の被災者宅で、取材マスコミ5社さんの
> > 知恵も借りながら午後2時〜5時、12年目を深く見つめるひとときを成功裡にもつ
> > ことが出来ました。

早速の報告ありがとうございます。

> > 22頁にわたるこの日の配布資料は極めて貴重なもので、文頭15枚にわたり、この
> > 3年間に新たに参加されたいわゆる「新人ボランティア」さん132名の方が残され
> > たひとことアンケート(ホームページ掲示板に掲載)を、全集しました。

今回に限らず,最近様々な集会に行った際,すでにwebページ等に掲出してあるものを プリントアウトしただけの「資料」を渡される(有償の場合も少なくない)ことがあります。 それではせっかく足を運んでやってきた意味がないではないかと思わされることが少なくありません。

こうしたものを配布資料とすることについては検討の余地があったのではないか。 他にも必要性の高い課題なり資料はたくさんあるでのはないか。 これを今回の反省点としてもらいたいと思います。

> > 「黙祷」の長い時間では亡くなられた人達のさまざまなことが想い起され、顔を上げ
> > たボランティア達の目には涙がにじんでいました。

こうした姿勢こそ大切にしなければならないと改めて思いました。
亡くなられた方も,生きながらえている方も,震災以降今日までに亡くなられた方も, それぞれに忘れてはならないのです。

> > 5時半から早速サンテレビのニュースに集会の様子が放映され、みんなでテレビを囲
> > みその報道の早さに驚きの喚声を上げました。また翌日の朝刊には神戸と日経の2社
> > さんが写真入で報道して下さったとのこと。

日経と毎日はweb上でみられます。
ともに復興住宅の家賃問題にウェイトをおいています。
日経記事:「復興住宅、問題今も」──訪問支援の市民グループ、HAT神戸で意見交換(1月7日)
http://www.nikkei.co.jp/kansai/news/37603-frame.html
毎日記事:阪神大震災:12年目の被災地の課題などを討論 週末ボランティアが市民集会 /兵庫
http://www.mainichi-msn.co.jp/chihou/hyogo/news/20070107ddlk28040057000c.html

報道としては↓もありますが,これも復興住宅の家賃問題にウェイトをおいています。

「復興住宅で被災者らと課題話し合う 週末ボランティア」 (神戸新聞 2007/01/07)
http://www.kobe-np.co.jp/chiiki/kt/0000209242.shtml

うちのHPも更新し,「12年目の被災地を考える追悼と討論の集い」を追加しました。乞御高覧。

今週末の訪問活動&「1.17」前後にまた来神予定です。その節はよろしく。

2007/01/08 ↑TOP


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