神戸・週末ボランティア再生プロジェクト
東日本大震災からの教訓と課題

姿勢と態度の再生へ > 浮き足だって思いをぶつける失策ブートキャンプコジツケと交流の破綻「東北・週末ボランティア」の妄動と破綻広域避難者へのサポート放棄SNSでお手伝い
「津波てんでんこ」の真の教訓は?ほんとうの「郷土愛」とは?真のミッションは?

2011年3月11日午後、東日本大震災が発生、遠く離れた神戸でも若干の揺れを感じるほどであった。地震から丸1日たたないうちに、現地や関東甲信越地方では余震が続く中、先の被災地・神戸においては、震災翌日が第2土曜日であったことから、復興住宅訪問活動を行った。

姿勢と態度の再生へ

だが、これをひとつの転機にして、以降の活動にあたって、少なからざる問題が生じ、その克服が課題になった。これまで不断の努力によって創り出されてきた、訪問活動に臨むべき姿勢や態度が、ないがしろにされ、ややもすれば失われてしまった。

浮き足だって思いをぶつける失策

東日本大震災発生翌日の訪問活動いて、訪問先の住民の方々から「こんな時に話したくない」と、ことごとく「お話し伺い」を断られてしまうという事態が発生した。これは、まずもって、東日本大震災の一報をうけて、浮き足だった気持ちになってしまい、心ここにあらずといった状態で、阪神淡路大震災の被災者への訪問活動に臨み、そうした己れの勝手な思いならぬ思いをぶつけてしまったことによるものであった。

ブートキャンプ

しばらくすると、東北の被災地に向かう前に、神戸で活動に参加することで、その準備と経験を積もうという参加者も現れた。ブートキャンプ(新兵訓練)のごとき機会にしようというのだろう。かかる情況からすれば、形態・現象としての活動を学ぶことはできたとしても、心ある人は看取したであろうが、かかる姿勢や態度で臨む参加者と共にあることでは、反面教師になってしまい、これでは、学習にも、準備にも、訓練にも、増して支援になどなるものではない。

そうした中、心ある参加者と議論を創り出し、問題意識を覚醒させる働きかけを行い、さらには、これを内部にとどめることなく、共有の輪を広げる取り組みを行った。

ここでは、自ら基本に立ち帰ることから始めた。人に何かを学ばせるには、まず自らが率先して謙虚な姿勢をもって、多くを取り入れることを示すのが有効だ。これに応えるかのように、学びの糧となるべきものが、多々寄せられたことに、感謝したい。

コジツケと交流の破綻

そうした中、東條健司代表(当時=2012年7月承認撤回)ら一部妄動分子は、このかん続けてきた、正常化−清浄化再生への取り組みに対し、粗暴かつ稚拙な敵対を試みたが、あろうことにか、有史以来の大惨禍とされる東日本大震災を、これに利用しようとしたのであった。

神戸の復興住宅に暮らす、阪神淡路大震災の被災者に、己れの思いをぶつけ、東日本大震災について無理矢理言質を取ってはそれをダシにして、東日本大震災の被災者に押し売りし、「交流」を造りだそうとしたのであったが、いずれの地の被災者の誰にも相手にされないままであった。

浮き足だった姿勢で、心ここにあらずと言った状態で、いったいどこで何をするつもりなのだろうか? そうしてなされたことを、誰が受け入れるというのだろうか? またそうしたことに、いかなる意義があるというのだろうか?

少しでも理性的な判断をもってすれば、おかしなものであることが解るはずだ。

これは、これまでも難儀をし続けてきた阪神淡路大震災の被災者にも、新たな東日本大震災の被災者にも、迷惑なものでしかなかった。

自分が被災者の、難儀する人の立場であれば、到底受け入れがたいものであることなど、すぐ判るものではないだろうか?

「東北・週末ボランティア」の妄動と破綻

そうした中で、もっとも痛苦な、恥ずべき事態は、「東北・週末ボランティア」の妄動と破綻の顛末であろう。東條氏のほか、そのほとんどが通常の訪問活動参加者とは異なる者(以前にボランティア活動を頽廃的享楽的オタク行為にこじつけ、その利用を謀った者)からなる一部諸君が、かかるものを僭称して、浮き足だった姿勢と物見遊山気分のまま、東北の被災地に赴き、被災者や支援者とトラブルを起こし、拒否されてきたものだが、これについては、一貫して、これに関わった者に対して、糾弾し、総括を迫り、自己批判を求めてきたのとあわせて、神戸の地における活動の中で、その教訓を活かすことを追求してきた。

東日本大震災の被災者・支援者の皆さんに、ご迷惑をおかけしたことを、深くお詫びする。

広域避難者へのサポート放棄

かかる浮き足だった姿勢ゆえに、顧みないままとなったのが広域避難者の存在だった。まさに「灯台もと暗し」というほかない。

東日本大震災後、福島原発事故の影響も重なって、関東地方のみならず全国に広域避難者が広がる中、阪神淡路大震災の被災地においても、多くの避難者がやってきていた。訪問活動で訪ねた中にも、そうした新たな被災者も含まれていた。

兵庫県・神戸市などの自治体による、広域避難者への支援策としては、公営住宅、とりわけ、阪神淡路大震災の被災者向けの復興住宅の空室を、彼らに提供することが多かったが、その一方で、わずかな滞納などのために退去を求められることが増えるのではといったような類の心配を抱く、これまでの被災者も少なからずおり、それは、近年の情勢からして、決して杞憂ではなかった。

広域避難者にたいする公的就労などの雇用創出策が劣悪な条件であることによるワーキング・プア化のために生活再建が困難になる一方、リーマン・ショック以降深刻化していた、これまでの被災者・求職者などの就労環境悪化が進む事態も、これまた広範にみられていた。

放射線やがれきに関する情報・政策など、行政に対する不信は根強いがゆえに、「宗教や政党など全く関係の無い民間のボランティア」への期待も大きかったが、それに応えるには充分ではなかった。

それ以前に、神戸をはじめとする関西地方への広域避難者にあっては、阪神淡路大震災以来の支援活動の実績・蓄積に期待するところが少なくなかったと思われる。それに応えられなかったことは、痛恨の極みである。

それぞれの被災者が、安心して暮らし、生活再建を果たしていくまで、「息の長い支援」が、まさに求められるのであるが、そうした諸問題のいずれに対しても、十分な取り組みが出来ないままとなり、後々まで克服できない課題となって残ってしまった。

SNSでお手伝い

現状のグループでは適切で有効な支援活動が出来ない中、ウェブサイトThis is 神戸・週末ボランティアやはじめとした、これまで発信してきたさまざまなコンテンツを、これから新たに支援活動に取り組もうとする方々に、活用してもらうことから、取り組みを始めた。

ここでは、享楽的虚飾や自己宣伝、大言壮語などを断乎として排したのみならず、方法を提示し、失敗や反省・教訓もあわせて、余さず伝えてきたことで、コンテンツのクオリティを高め、利用・活用しやすい、真に価値あるものとしてきた。こうしたものは、なかなか教えてもらえないために、得てして同じ過ちや失敗が繰り返されてしまうものだ。

さらには、ブログのほか、FacebookMixiコミュニティMixiページTwitter -welove_kobeなどのSNSを活用し、一方的な情報発信にとどまらず、媒介となることで、双方向的な交流の場を創り出し、「息の長い支援」に向けての、新たな活動の創設や拡大のお手伝いをさせていただくことが出来た。

神戸をはじめとする阪神淡路大震災の地に深く根ざすとともに、遠く離れた地にあっても交流の輪が広がっていったのは、まことに嬉しい。これにこたえるべく、情報発信と交流のあり方を、さらなるものにすることを、目指していった。

こうして、情報・コミュニケーションの取り組みを、「役立ちと学びのネットワーク」たるにふさわしいものへと、自らを成長させていく、貴重な機会を頂戴したことに深謝する。

「津波てんでんこ」の真の教訓は?

東日本大震災を機に広く知られるようになったことのひとつに、「津波てんでんこ」がある。津波の被害に何度も遭ってきた三陸地方の言い伝えだ。「てんでんこ」は「てんでばらばらに」の方言で、津波の時は家族さえ構わずに、1人でも高台に走って逃げろという意味で、コミュニティの全滅を防ぐために語り継がれてきた。

これはとくに、同名書「津波てんでんこ」の著者で、少年時代に昭和三陸地震津波・昭和東北大飢饉を体験し、在野で防災活動の研究・普及に取り組み、最晩年には東日本大震災で辛うじて難を逃れた山下文男の功績に負うところが大きい。

山下は、行政や権力による上からの組織化、アカデミズムや近代的学校教育、さらには自身が永年属した党の無力、無意味を悟っていた。

これはまた、さまざまな方面の防災・避難・危機管理に応用すべきものでもあった。

直接的には、自助・共助のあるべき姿を説いたものだが、そのソースは、近代的学校教育でも、アカデミズムでもなければ、それらから全くほど遠く、顧みられることのなかった、だがしかし、一方、住民にとっては、もっとも身近な、古くからの言い伝えであった。そのことが持つ意味の大きさにこそ、単なる[再]評価を超えて、敬意を払って、学ぶべきだった。そこから立ち帰って、問い直すことが必要だ。

付け加えるなら、山下はまた長年、日共の文化運動を担ってきた人物だが、防災・避難といったことには、党内で取り組もうとはしなかった。宮本顕治ら指導部・代々木官僚の顔色をうかがうなかで、ひとつ間違えば粛清が待っているようなスターリニストの党が、かかる情況に、助けになるものでないことを、その内部にあって痛感していたからに違いない。その一方で、党派的利害のために執拗に介入してくる存在を、どのように思っていただろうか?

それへの対応を、行間・言外から学ぶのも、教訓をつかみ取る手法のひとつであろう。

(拙稿池田小事件の教訓、やっと(1):行き過ぎた管理と劣悪な見守りがもたらす危険池田小事件の教訓、やっと(2):粗暴な「心のケア」から自分で判断できる安全教育へ 参照)

ほんとうの「郷土愛」とは?

一般的なレヴェルにおいては、被災地・被災者を思う素朴な心情としては、災害によって変わり果てた姿に悲憤慷慨するというのがあろう。それはまた広範に共感を呼び、共有されやすい次元であるといってもいい。実際、阪神淡路大震災にあっては、そうしたレヴェルの言説や表現などが、広く受け入れられ、多く産み出された。

だが、東日本大震災にあっては、もちろんその被災地自体が広範であるからひとくくりにはできないが、厳しい自然と向き合って、貧困をも少なからず経験しながらも、踏みとどまって代々生きてきた中で培われた、ヨリ深いものがあると言わねばならない。

たとえるなら、親が子にもつような、無条件・無償の愛のような深さと、言えるだろう。

それがあるからやってこれると言うだけでなく、誇りを産み出す源でもある。

それまでの浅薄さを顧みて、それによる軽挙妄動を反省するだけでなく、その深さを共有できないまでも、共感・理解する努力が必要だ。

真のミッションは?

東日本大震災の後、さまざまな情報や言説が流布される中で、とりわけ危機感をもったのは、ナショナリズムの高揚であった。

阪神淡路大震災においては、少なからざる抵抗感や問題意識をもって受け止められた、自衛隊の派遣が、東日本大震災においては、正当化のみならず礼賛一辺倒のトーンで、あたかも「大本営発表」を彷彿させるがごとく、報じられたのみならず、早い時期に天皇までもが利用されるに及んだ。

大情況からみて、かつて関東大震災で、救援活動に携わった軍隊に親近感を持ったことから、大正デモクラシーから昭和ファシズムへの、協調と軍縮の時代から軍国主義への転機となったことを、彷彿させるものであった。

(拙稿No More 「がんばろう日本」!(2)(3)参照)

こうした抽象的で一方的な言説を大量に流布することは、マインド・コントロールの常套手段だ。それによって、受け手個々人にある理性の働きによる疑問や抵抗感を麻痺させ、即ち洗脳状態へ落とし込むのだ。

「お話し伺い」〜「傾聴」には、そうした鈍らされ麻痺させられようとしている理性の働きを喚起せしめ、かかるマインド・コントロールの浸透と貫徹を阻む効果がある。いったん浸透・貫徹してしまったマインド・コントロールを、外的働きかけで解くのは、論理的説得やカウンセリングをもってしても難しいが、その前段階においては、自らの理性という自然治癒力をもって、可能ならしめることができる。

その可能性を現実化することが、まさに真のミッションであった。

またそれ以前に、阪神淡路大震災をきっかけにさかんに言われるようになり、取り組みが広がった「心のケア」であるが、その求められる方法も、時代や地域性などといった情況に応じて、変化していった。当時主流であった、悲惨な体験をいち早くはき出させるごとき稚拙で粗暴なものは、もはや時代遅れのものであることを、いやがおうにも自覚しなければならなかった。

身近な、個々人レヴェルにあっては、勝手な思いをぶつけられては、命からがら難を逃げ延びて、精一杯頑張っている被災者にとって迷惑至極なことは、かつての被災者はもちろん、被災者とともに在らんとする者は、当然にも顧みるべきことだ。

まさに、「冷静な頭脳と温かい心cool head but warm heart」が求められる。

(2013.6.20)

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