東北・週末ボランティア

 東日本大震災被災者の皆さん、被災地で支援活動に従事された皆さん、先般は「東北・週末ボランティア」を名乗る者が、多大なご迷惑をおかけしたことを、お詫びいたします。

 阪神淡路大震災の被災地・神戸からやってきたことで、寄せてくださったであろう期待に添えなかったばかりか、信頼をも損ねる結果となってしまったことを、遺憾に思います。

 件の者たちは、神戸・週末ボランティア(旧)との関連をうたっていたようですが、その内実たるや、この間の神戸の被災地における取り組みとは相容れないものです。

 しかしながら、その少なからざる部分が、一度は何らかの形で関与していたことも事実でありますので、かねてより、この事態にたいして、率直に顧みて、深く反省したいと思っておりました。

 2013年1月、私が主宰する、神戸・週末ボランティア 新生を、新たな活動主体にした取り組みがスタートしました。

 それにあたっては、従来の活動のいいところは受け継いで発展させるとともに、過ちは正し断ち切ることを、固く誓いました。よって、「東北・週末ボランティア」に関与した者が、新たな取り組みに関与・参加することは、いっさいありません。

 あわせて、この教訓を活かすことを追求してきました。

 神戸・週末ボランティア(旧)が避難所での取り組みを始めて以来、通算600回目の支援活動となった2013年4月13日は、奇しくも早朝に淡路島地震に遭った中での復興住宅訪問となりました。これを教訓を活かす試練と受け止めることで、一定の成果を収めることができました。

 再び同じ過ちを繰り返さないために、自戒の意味も込めて、改めて経緯をふり返りたいと思います。

2013年6月 神戸・週末ボランティア 新生 主宰者

妄動と破綻の顛末

2011年3月11日に発生した東日本大震災は、このかん正常化−清浄化再生への歩み続けていた神戸・週末ボランティアに、ひとつの試練をもたらした。

震災発生の翌日である3月12日は、第2土曜日にあたっていたことから、予定通り復興住宅への訪問活動を行ったが、その日に訪問した住民の方から、「こんな時に話したくない」と、ことごとく「お話し伺い」を断られてしまった(簡単な安否確認程度の対話ができたところはあったとするものも)。

これについては、その際の、そしてそれ以降の、一部参加者の態度・姿勢に根本的な問題を惹起したといわねばならず、率直に顧みて改め、その反省と教訓を早急に活かすべきであった。

東日本大震災の一報に、千キロ以上離れた神戸の地に於いて接した参加者の中には、浮き足だった精神状態のまま、まる1日経たぬうちに、16年あまりが過ぎてもなお難儀し続けていた、阪神淡路大震災の被災者に、接した者がいた。現象として、顔や身体を向けていても、心ここにあらずで、その内実において既に背を向けた状態で、さらには、そうした己れの思いならぬ思いをぶつけるために、先の被災者の言質を取ろうとしたのであった。かかるものが、阪神淡路大震災・東日本大震災のいずれの被災地・被災者にとっても、迷惑なものでしかなく、何らの支援にもケアにもなるものでないことは、明らかであった。

そうした中、東條健司代表(当時=2012年7月承認撤回)が、そのほとんどが通常の訪問活動参加者とは異なる者(以前にボランティア活動を頽廃的享楽的オタク行為にこじつけ、その利用を謀った者)と騙って、「東北・週末ボランティア」なるものを僭称し始めたのであった。

事前準備とはほど遠い、興味本位の物見遊山的気分で被災地を見物した後、かつて神戸・週末ボランティアが、仮設住宅への訪問活動を行っていた頃にとった手法を模倣したような形態で、仙台市・石巻市近郊の最寄り駅(?)に集合した後、近傍の避難所をめぐって「お話し伺い」をするというものであったが、2011年4〜5月、破綻した。

これについては、現地での協力者がいなかったからとか、仮設・復興住宅と違って、避難所というプライバシーが保てない場所で傾聴しようとしたことに問題があったというような言い訳をしているが、このようなものは、総括でも反省でもなければ、実態の一部すらも反映していないものだ。

その実態たるや、避難所にいる被災者自身に拒絶されたのみならず、それ以前に、現地近くや遠方からも来ていた、他の支援者ともトラブルを起こし、行政・社会福祉協議会が運営する、現地のボランティアセンターからも拒否されたというものであった。もちろんボランティアが余っていたとか、受入体制が不足していたと言ったこともない。

実際のところ、避難所や避難先で活動する傾聴ボランティアは、他にいくらでもあり、かかる場所が不適切と言うことはなく、現地での協力者がなくても、信用を得るべく努力し、信頼関係の構築を図れば、何ら問題ないことだ。むしろそれまでの経験を活かすというのであれば、そのためのノウハウは確立されていて然るべきだが、そのようなものがないか、もしくは抛棄してしまったかのいずれかであることを、自己暴露してしまったのであった。結局のところ、根本的な問題は、参加に臨む態度に尽きる。

東北地方の地域性とも相まって、未知の外来者に対する不信感や警戒感は一定あろうが、ただ自分が行ってみたいだけとか、思いをぶつけるために人(やその言辞)をダシにするような姿勢が、その一挙手一投足に現れ、その内面もが見抜かれてしまっていたと言わねばならない。

その成果と称するものが週末ボランティア掲示板に投稿されていた。あろうことにか、揉め事を起こしてきたと言うことは、少なくとも現地には赴いて、被災者らと何らかの交渉をもったのであろうから、そのすべてが虚構・妄想であるとは言わないが、東條氏らが以前から宣伝や享楽のために記録に尾ひれをつけて虚飾を施すことが常態化していたのに加え、実際の投稿者に妄想症がみられていたことから、その内実たるや、甚だ疑わしいものであり、信憑性に乏しい。もはや、確認・検証を行うことは困難で、資料的価値はほとんどないと言わねばならない。

この「東北・週末ボランティア」なるものは、神戸・週末ボランティアにおいて、このかん続けてきた、正常化−清浄化、再生への取り組みに対し、東條氏ら一部諸君が粗暴かつ稚拙な敵対を試みたものであったわけだが、それを遠く離れた地にあった被災者・支援者らに、見透かされてしまったかのごとくであった。

こうした妄動と破綻の実態は、全国各地から東北地方の被災地にやってきた多くの支援者の間で,広まっていったにもかかわらず、東條氏は、2011年6月の週末ボランティア総会で、これ以上の妄動を取りやめることを表明したものの、翌2012年の総会に至っても、妄動と破綻の総括を拒み、これを「ミッション」などと言い張る始末で、囂々たる非難を超えて呆れさせるものであった。

こうした妄動と破綻の顛末を直視し、総括を迫る一方、その教訓を引き出し、活かすことが求められていた。これを神戸における訪問活動の中で、原則的な姿勢を取り戻し、堅持することを通じて、行っていった。

(2013.6.7)

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