新世紀の「週末ボランティア」
訪問活動篇・4

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訪問活動はいかにあるべきか東日本大震災からの試練と教訓借り上げ復興住宅問題をめぐって
役立ちと学びの大道へエピローグ

HAT神戸・脇の浜住宅

神戸・週末ボランティアでは従来,訪問先の選定については,巡回型を基本とすることから,訪問活動を一巡させた復興住宅群を,そのまま繰り返し訪問することはしてこなかったが,2011年当初において,三たびの訪問活動を,HAT神戸・脇の浜住宅において継続している。

訪問活動は


3〜4人のグループに分かれて訪問 (左,2011.5.14),最期に見た風景は? (右,2011.1.22)

2011年の初め,読売新聞から,高齢者−お年寄りを主たる読者層にした記事作成のための取材を受けたが,グループの活動とその対象は,必ずしもそうした枠組にとどまるものではない。

少なからざる住民と同年代,近い年代の参加者が,もっともよき理解者となりうることの意義を再確認し,そうした参加者が,持ち味と能力を発揮しやすくなるような環境整備が課題だ。腰を落ち着け,じっくりと,話しを受け止めることが,丁寧な接遇はもちろん,「心のケア」の前提だ。

2011年途中から,訪問予定のお宅に前もって投函する「予告チラシ」を,参加者で協力して,訪問する前の回に投函することにした。2〜3週間前の予告は,訪問先の住民の方にも受け容れられ,予めお困りごとや相談ごとを話す準備をされるなど,訪問内容も充実したものになったほか,「宗教や政党など全く関係の無い民間のボランティア」との自覚を深め,住民の方との共有を進め,信頼関係構築に寄与している。


宛名書きをする参加者(左,2011.12.10)。「予告チラシ」準備中に出会った住民の方と(右,2011.8.27)

HAT神戸・脇の浜住宅における前回の訪問活動では敬遠した,コレクティブハウス棟に,約8年ぶりに入ることにした。早めに「予告チラシ」を投函したこともあってか,住民・ボランティア双方の準備が出来たためであろうか,充実した対話が実現した。


コレクティブハウス棟(右,2011.10.22)と,同棟へ「予告チラシ」投函の準備をする参加者(左,2011.9.24)

そうして,これまで以上に「お話し伺い」〜傾聴に臨む,ボランティア参加者の姿勢と資質が問われている。阪神淡路大震災を初めとする幾多の惨禍・困難を経験してきた方からの「お話し伺い」が,その「心のケア」にふさわしいものにすることを,活動の原点に立ち帰る意味でも,今一度想起したい。

相手のためを思い,寄り添い,受け止める基本に忠実にするところから始まり,それが相手に通じたことに手応えを覚えれば,用いられることへの喜びと,役に立てることへの感謝の気持ちが生まれてくる。これこそがボランティアの醍醐味だ。

(2012.2.22)

いかにあるべきか

訪問活動における態度・姿勢の改善・向上によって,被災者−住民との信頼関係の構築もさらなるものとなり,その中でスキルアップも図られてゆく。そうすればコミュニケーションも進んでいく。

豊かなグラデーションと傾聴の態度

コミュニケーションが進んでいけば,そこにおいて語られる内実も,必然的に喜怒哀楽様々なものとなり,それが豊かなものとなってゆく。

豊かな内実とは,グラデーションが豊かな写真や絵画と同じことだ。ハイライトからシャドーまで,さまざまな彩りをもって構成されるものだ。ハイキー調といっても,一点でもシャドーがなければ,単なる調子のとんだものにしかならず,逆にローキーといっても一点はハイライトがなければならない。

そうしたものをいかに引き出し受け止めるかが問われる。聞き手の好悪や利害によって,その一部を無視・矮小化したり,逆に誇張したりして取り出すこともあるまじきことだ。

もちろん,聞き手との関係において,話し手の心中にも変化が生じる。暗かった表情が明るくなる,気持ちや心の整理がつきスッキリする,考えや認識がまとまり論理化される,といった形で,おのずからなされることが望ましい。

こうしたことは,聞き手が聞きたいこと,聞いて楽しいこと,都合のいいことだけを聞き出すとか,教えてやるといった姿勢で臨んでは,もたらされることはない。そのようなものは,まったく「傾聴」というに値しない。明後日の方向に傾いた心で聴くから「傾聴」とでもいうのだろうか? あるいは,尊厳を見いだすべき相手を軽んじて,軽い気持ちでいい加減に聴く「軽聴」とでも書くのであろうか?

そうした,多様・多彩なグラデーションをもった内容は,短くまとめてお伝えするのは容易ではない。場合によっては,空疎浅薄なものへとつくりかえてしまう危険もある。そうしたものを情報発信すれば,誤った印象を与えるだけでなく,活動内容の空洞化,存在理由の否定にもつながってしまう。

時として,ネガティヴとの印象を与えるような内容すらも,率直に向き合い,受け止め,それを伝えていくことも,わがボランティアの責務のうちだ。ポジティヴとかネガティヴとかといったような,低次元で浅薄・空疎な見方でとらえられても,説得力を持つだけでなく,これを契機・媒介に,ともに高め合うような関係性を構築していけることを,自らに課している。


訪問活動の顔ぶれは毎回かわる(左,2012.4.14,右,2012.4.28)

積極的マイナス思考

こうしたことは「傾聴」における一般的なことだが,それだけに,聞き手の「受容」のあり方を,いかに広げ深めるかが求められる。その中で,自らが落ち込んだり傷ついたりすることを恐れてはどうしようもないが,それをセルフケアもしくは聞き手間で相互ケアできるようにしたいものだ。

そのための心がけや,心のもちようとして,たまたま目に着いた「脱・気持ちよさ優先」「積極的にマイナス思考」という野球指導法を紹介した。

「自分が気持ち良いだけでは試合に勝てない」「悪いことを考えちゃいけないとなると、それがストレスになる。逆にマイナスのことばかり考えて負けを覚悟すれば、開き直ってやれる」

というものだ。こうしたものに対するもっともシンプルで確実性の高い対処法と言える。考えられる限りの最悪の情況を想定内にすることで,最大限に受け止められるということだ。

紳士的なアマチュアリズム

ひと 週末に「シティー」をガイドする銀行員ボランティア(volunteer)という語のもともとの意味は「義勇兵」,すなわち職業軍人でもなければ徴兵などで強制的に集められたものでもない存在を指すもので,その自発性によるものであることが第一義だ。また,「義」という字のもともとの意味は,自発的にといったところだ。

社会実践・貢献としてのボランティアにおいても,その自発性が第一に問われることは当然だが,そのあるべき姿勢・態度はいかにあるべきだろうか?

そうしてふと目に留めた新聞記事中にそれが端的に示されていた。そこで説かれている,「見返りを求めないことこそ尊い」,「プロの技量をしのぐアマチュアリズム」を大切にする英国紳士的な姿勢や,仕事とボランティアが「互いにいい影響を及ぼし合っている」ような関係の構築などは,一人一人が目指し身につけ,そうしたメンバー同士がお互いの活動をリスペクトし賞讃しあえる気風を樹立できるようにありたいものだ。

「聞く力」

同名書がベストセラーになった背景には,コミュニケーション能力に対する広範な関心が高まったことがある。これは,「お話し伺い」〜傾聴においても,当然求められるとともに,それを担う者へも高度化の要求が注がれるものでもある。これは,該書の著者・阿川佐和子が,作家としての取材のスキルを公開したとともに,人生経験を踏まえて,それを活かしてゆく道を説いていることから,学ぶべきところが多いものだ。

紳士的なアマチュアリズムを追求していけば,その帰趨のひとつとして教養主義に行き着くことにもなるが,それはとりわけ「読む力」によってなされるものだ。言語コミュニケーションとしては,「聞く力」・「読む力」とあわせて「書く力」・「話す力」も求められ,それら4者のバランスを大切にしているという,ある参加者の姿勢に倣うことを心がけた。

cool head but warm heart

“ cool head but warm heart ”は,様々な領域で求められるべき資質や姿勢として説かれることが多い。もともとは経済学者のアルフレッド・マーシャルが,ロンドンの貧しい人々の姿を目の当たりにして経済学を修めようと決意したことを,

「冷静な頭脳と温かい心( cool head but warm heart )を持ち、周囲の社会的苦難と格闘するためにすすんで持てる最良の力を傾けようとする・(中略)・そのような人材の数が増えるよう最善を尽くしたい」

といった文脈で述べたものだ。いやしくも難儀している人々に寄り添おうとする者にとっては,忘れてはならないものだ。往々にしてこれに相反するどころか,それをも超えてほど遠い " Hot head and cold heart " で突っ走ったりするようなこともあったが,かかるあるまじき愚に再び手を染めたりすることのないよう,肝に銘じたいものだ。


神戸市勤労会館ロビーで訪問前の打ち合わせ(左,2012.4.28),「予告チラシ」投函の準備をする参加者(右,2012.11.24)

ホンモノを求めて

こうして,あるべき内実と,そのための方法・姿勢について,考えられるようになったことは,これまでの取り組みによって開かれ,到達し,築かれた地平であるといっていいだろう。内実が豊かになる一方で,それを巡って,好悪や利害が渦巻く情況が顕在化する。これによって,役立ち学ぶ方と,利用する者との違いを,すなわち,ボランティアのホンモノとニセモノの違いを,際だたせることになっていった。

これまでの取り組みの中で,用いられることへの喜びと,役に立てることへの感謝の気持ちが生まれるようになってきた一方で,それをキープし,さらに高め,あわせて新たな参加者と分かち合い,その輪を広げてゆく努力を惜しまなかった。

しかしながら,それらは,東日本大震災以降の活動に臨む姿勢をめぐる問題や,借り上げ復興住宅問題に関する政治的利用といったところから,危機に直面した。それらの偏向や引き回しとの闘いの中で,とりわけ腐心したのは「宗教や政党など全く関係の無い民間のボランティア」としての原則を確立することであり,その成就はもとより,その一点において,共有し守ることすらも,最後までまさしく,悲願となった。

東日本大震災からの試練と教訓

2011年3月11日,最大震度7,マグニチュード9以上という,有史以来未曾有の惨禍といっていい,東日本大震災が発生した。地震やその後の津波,及びそれに関連した被害は,東北地方の太平洋岸一帯から内陸部にかけてはもとより,関東地方・首都圏にも及ぶものであった。被害があった地域は南北に広がり,東京から神戸までの距離にも匹敵しよう。

その神戸においても若干の揺れを感じた。揺れはわずかでも,阪神淡路大震災から16年を経た中にあっても,心の揺れは決して小さくなかった。その後テレビなどで繰り返し流された地震被害や津波の映像が,PTSD(心的外傷後ストレス障害:Posttraumatic stress disorder)を惹起せしめ,心身の不調を訴える人が,神戸の地にあっても,現れたのだった。

震災に続いて発生した福島原発事故とも相まって,関東地方を中心に,広くは西日本一帯にまで,多くの広域避難者を出すに及んだ。こうした遠距離避難者にたいしては,当該地域での災害発生時に地域住民に供されるべく準備されていた避難所や支援物資をもって,避難者の受け入れにあたったほか,遊休施設や公営住宅をもって仮設住宅の代用とした。神戸など阪神淡路大震災の被災地では,復興住宅の空室もまた,それに充てられるようになっていた。


東日本大震災後,引き続き阪神淡路大震災の被災地にあって被災者に寄り添い,「心のケア」を担うにふさわしい,活動のあり方をともに模索(左,2011.5.28,右,2011.5.14)

同年の夏近くなってくると,訪問活動でお訪ねした中にも,東日本大震災の被災地からの避難者が入居されていることが解ったが,お役に立てたかといえば,大いに顧みなければならないところがある。とりわけ,避難者にとって不慣れである一方,ボランティアの多くにとっては,もっとも身近なところにおいて,お役に立つべきところであったことに鑑みれば,「灯台もと暗し」であったといわざるを得ない。

この原因は,東日本大震災から間もなく,生み出されていた。

東日本大震災が発生した翌日の3月12日,訪問活動日である第2土曜日にあたっていたことから,訪問活動を行ったところ,訪問先の住民の方々から「こんな時に話したくない」と,ことごとく「お話し伺い」を拒否されてしまった。これは,東日本大震災の一報をうけて,浮き足だった気持ちになってしまい,心ここにあらずといった状態で,阪神淡路大震災の被災者への訪問活動に臨み,そうした己れの勝手な思いならぬ思いをぶつけたことによるものであった。

そうした中,東條健司代表(当時=2012年7月承認撤回)ら一部妄動分子は,復興住宅に暮らす被災者に,己れの勝手な思いをぶつけ、東日本大震災について無理矢理言質を取ってはそれをダシにして,東日本大震災の被災者に押し売りし,「交流」を造りだそうとしたのであったが,いずれの地の被災者の誰にも相手にされないままであった。

さらには,通常の訪問活動の参加者とは異なる一部諸君と「東北・週末ボランティア」を僭称し,浮き足だった姿勢と物見遊山気分のまま,東北の被災地に赴き,被災者や支援者とトラブルを起こし,拒絶されてきたという,恥ずべき事態までもたらされた。

こうした妄動を一貫して糾弾するとともに,神戸の地に在って深く根ざし,基本に立ち帰り,原則を尊重する姿勢を追求した。

これと並行して,東北の被災地に向かう前に,神戸で準備と経験を積もうという参加者も現れた。かかる情況からすれば,反面教師になりかねなおものであった。そうした中,心ある参加者と議論を創り出し,問題意識を覚醒させる働きかけを行い,さらには,これを内部にとどめることなく,ウェブサイトやSNSをも通じて,共有の輪を広げる取り組みを行った。

浮き足だって,思いをぶつけたり,利用すべく言質をとろうとしたりするならば,拒否されるだけならまだしも,PTSDを発症させたり,年月を経てようやっとおさまりつつあったものをぶり返させたりすることが,引き起こされてしまった。これは,訪問先においてだけではなく,被災経験があるボランティア参加者やその周辺の人にも及ぶものでもあった。そうした者が一部にいるだけで,迷惑を超えて有害・危険なものですらあった。これに至っては,阪神淡路大震災を機に,さかんにいわれるようになった「心のケア」と,まったく相反するものでもあった。とりわけ「心のケア」に関しては,これまでの認識を,今日の情勢を踏まえて,根本的に問い直し,やり直しの覚悟をもってすることを課題とした。

こうした情況にあって,これを試練と受け止め,教訓を掴み取り,それを活かすことを追求してきた。

借り上げ復興住宅問題をめぐって

2012年の秋季は借り上げ復興住宅を訪問した。この数年来,訪問活動を続けてきたHAT神戸・脇の浜住宅は,UR賃貸住宅・兵庫県営住宅・神戸市営住宅の3つの運営主体があり,それらは棟単位で分れているが,そのうち,高層棟などをのぞいた,UR賃貸住宅の一部の棟については,神戸市が借り上げて被災者を優先入居させた部屋を含むところがある。すなわち棟ごとではなく,同じ棟の一部に借り上げ復興住宅となっている部屋があるという形だ。


外壁補修工事中の借り上げ復興住宅を含む棟(左,2012.11.24)を訪問する参加者(右,2012.9.8)

ひとつの棟を下層階から部屋番号順にお訪ねすると,URと直接契約して入居している方と,借り上げ市営(復興)住宅として入居されている方が,混在していることとなり,暮らし向きや置かれている情況も各々異なっている。

もっとも,URと直接契約して入居している方の中にも,少なからず被災経験はあり,罹災証明を持ち,入居や家賃において優先されたり配慮を受けたりした方もいる。

約3年前にも同じ場所をお訪ねしているが,そのときはまだ,返還期限まで10年ほどあったことから,差し迫った問題であるという意識は少なかったように思われるが,やがて,他の被災自治体との間で,借り上げ復興住宅問題を巡る「温度差」や格差が明らかになってくると,にわかに切実な問題と認識されるようになってきた。

一方で神戸市では,借り上げ期間の延長などを求める被災者−住民の声を無視し,これを拒み続け,早々に住民に対して,移転ありきの高圧的態度で,「意見」聴取やアンケートなどを行ってきた。

そのため,どうせ移るなら少しでもいいところを,と考えた住民が,早々に移転先の市営住宅の募集に応じざるを得なくなり,2012年には秋季の抽選で当たった方が,翌2013年の年明け早いうちに転居することを決めていたりする一方で,抽選に外れた方は,さらなる不安を募らせていた。この住宅の返還期限までにはまだ数年あることから,あくまで住み続けるべく頑張るという方も。或いは市営住宅以外の選択肢を模索する方も…。

いずれにせよ,終の棲家とともに最期まで在るべき地域コミュニティへの展望が開けぬまま,それぞれの年の瀬を迎えようとしていた。

2013年に入ると,神戸市内の借り上げ復興住宅の住民の転出か加速した。そうした中にあっては,借り上げ期間の延長や自治体による買い上げを要求するなど,単に住み続けられる保障を求めるだけでは,住民自身が最後まで主体的に生きる展望は開けない。またそうした展望が開けないことが流出の主因といわねばならない。

こうした中で「請願運動への切り縮めを乗り越え,翼賛運動への歪曲を弾劾し,主体的市民としての居住権とコミュニティを守り抜こう!」と訴えたが,この段階に至っては,空疎な,時機を失したスローガンになってしまったことを否めない。

ここで「週末ボランティア」の名において犯された過ちについて,率直に向き合わねばならない。

復興住宅の住民が主体になるものでは全くない請願署名の取り組みに,グループの名前を使わせてしまったのだ。これについては,政治的介入に屈し,利用を許したことについて,深く恥じ入る次第である。

借り上げ復興住宅に住み続けたい,高齢になっての移転はたいへんといった声が上がる中,住民自身による主体的取り組みもなされてきたところもある中にあって,あろうことにか,そうした声を,請願運動へと切り縮め,行政当局への翼賛運動へと歪曲するという,背任行為に手を貸してしまった。しかのみならず,それをあたかも自らの活動の成果であるかのごとく虚偽宣伝する者まで現れた。

これについては,主体性における取り組みをされたすべての皆さんに,お詫び申し上げるとともに,訪問活動における「お話し伺い」の内容を,「訪問活動概略;2012年」などにおいて,そのようなバイアスから自由な形で公開することと,かかる政治的・党派的利用をした者及びこれを許した者らと袂を分かつことをもって,責任を全うしたい。

役立ちと学びの大道へ

予告チラシ宗教や政党など全く関係の無い民間のボランティア」という文言は,かなり以前から,訪問予定のお宅に,訪問に先立って投函する「予告チラシ」に書かれているものだ。通常の社会通念をもってすれば,活動のあらゆる場面において,このことを大原則として堅持し,尊重することが,まずもって求められるはずだ。

だが実際,これまでの活動のさまざまな局面において,そうしたあるべきものへと作りかえ,その現実化を求めることは,不断の努力にもかかわらず,きわめて難しいものであった。

そうなれば,この文言は,浅薄皮相なキャッチコピーにすらならないもので,入れたチラシの枚数分のウソを重ねてきたに等しい。これは,その度ごとに,訪問するボランティアが,それにふさわしい存在として臨むものであるという,心構えだけでなく,何よりも,約束事の基本と位置づけなければならないものだ。

単なるヤリカタやスキルの次元においてではなく,その基本・根底において,人間性誠意を問われるものだ。

こうした問題に関しては,「役立ちと学びのネットワークThis is 神戸・週末ボランティアを通じて,この活動を知り参加された方々は,先刻承知のこととして理解していただいた一方で,別なルートからの情報から知って参加された方や,一部の参加者の中には,その不適切さを不適切と理解しないばかりか,利害・享楽のために,これを利用する特殊参加者というべき者につられてしまうという情況を,根絶できなかった。

そうした中で生まれた重大な問題は,相手を思いやる心・姿勢が失われていったことだ。そのような欠落や喪失に対して,何らの問題意識も否定感も抱かないまま,自らの独善性をいっそう肯定してしまった。そのようなあるまじき態度・姿勢のまま活動に臨むことができるという,とんでもない錯誤をするに至ったのだ。

せっかくの善意を無にするどころか,マイナスにすらしかねない情況がなくならない中,かかる部分に対して,自己変革を促し続けることに限界を感じ,倶に天を戴くことあたわざるものとの認識に至った。

「新しき酒は新しき革袋に盛れ」ではないが,阪神淡路大震災から18年を経た現状にふさわしい新たな活動あり方と主体が求められる。そこで,2013年1月,役立ちと学びの大道につくべく神戸・週末ボランティア 新生を誕生させた。

(2013.11.30)

エピローグ 「週末ボランティア神戸」の虚像と虚構

自らの政治的・党派的利害,或いは,頽廃的享楽のために,神戸・週末ボランティアを利用した者が,その後どうしたか,エピソード的に紹介しよう。

新たな活動主体・神戸・週末ボランティア 新生が,まさに新たな場に訪問活動を始めて1年,かかる者たちは,「19年目のボランティアの会」なるものをでっち上げようとしたものの,名前のごとき実態がないことを看破されたが,1者が「釣られ」たようだ。

例年「1.17」が近付くと,他の部署から応援要員が送り込まれ,震災関連記事を作成することが少なくないが,そうした者が騙されてしまっ たわけだが,これは社としての取材体制の制約によろう。

全国紙の大阪本社において,神戸市を中心とした兵庫県下を管轄するのは,朝日新聞読売新聞産経新聞では神戸総局,日本経済新聞では神戸支社だが,今回も引っかかってしまった毎日新聞では,それより格下の神戸支局だ。それだけ恒常的な不足しているということだ。

裏付けもとらず,事情・背景を理解しないまま記事にしてしまったことは,まったく基本的なミスだが,そうした中にも「不都合な真実」が,浮かび上がってくる。

一連の震災関連記事において,異様なことには,この「週末ボランティア神戸」なるもののくだりでは,虚構だらけの参加者数など,もっともらしく数字を並べて「5月で600回に」などというだけで,活動の具体的内実をまったく紹介していないのだ。

これによって,かかる者が,一面では当ボランティアと紛らわしい体を装いつつも,内実がない,行政の下請け・走狗に成り下がることで延命を図ろうとする,ボランティアのニセモノの,胡散臭い吹きだまりであることを,ストレートに暴露することになった。 こんなのが「ずっと寄り添う」なんて…,という,被災者の悲嘆の声が聞こえてきそうだ。

ボランティアのホンモノとニセモノの違いはどこにあるだろうか? 

それは何より「宗教や政党など全く関係のない民間のボランティア」との原則を堅持するか否かにある。これは,自らが示した約束を守るという,誠意と信頼関係構築の基本だ。

そしてもうひとつ。自分が相手の立場だったらどうするか?」と,自らに問うことにある。情況に自らを投入し,自己の認識を深め広げる契機となる,役立ちと学びの姿勢の前提が,まさにそれだ。

これらを尊重しないで,何を尊重するのだろうか?

かかるボランティアのニセモノとは,決然として袂を分かったことを,今一度明らかにしておく。

(2014.1.31)

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