新世紀の「週末ボランティア」
訪問活動篇・3

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マスコミ報道と訪問活動 > 復興住宅訪問活動の内実を紹介訪問活動500回へむけて
週末ボランティア訪問活動500回訪問活動500回を過ぎて借り上げ復興住宅問題

HAT神戸・脇の浜住宅

2006年夏以来約2年間にわたって続けてきた,HAT神戸・灘の浜住宅での2度目の訪問活動に,2008年6月で一応の区切りをつけた,神戸・週末ボランティアは,その後の訪問活動をHAT神戸・脇の浜住宅で行うことにした。

HAT神戸・脇の浜住宅での訪問活動

HAT神戸・脇の浜住宅での訪問活動 (2008.12.27)

3度目の訪問活動

阪神・淡路大震災後に東部副都心として,工場跡地を再開発してつくられた高層住宅群であるHAT神戸は,この数年間の神戸・週末ボランティアの主たる訪問活動先となっているが,中央区の神戸製鋼所の工場跡につくられた脇の浜住宅への訪問活動は約5年ぶり,3度目となる。ひとつところに腰を落ち着け,地域に密着し,被災者・住民からの信頼関係を深化させ,一定の期間をあけたことで情況の変化を知ることができるというのが,この復興住宅への3度目の訪問活動を決めた理由であった。

すれ違った方に声をかけたところ訪問活動中の参加者

すれ違った方に声をかけたところ,「自転車は釣りに行くのに便利」とのこと (左,2008.12.27),
訪問活動中の参加者 (右,2008.7.12)

新たに見えてきたもの

HAT神戸の復興住宅は,灘の浜・脇の浜とも竣工10年となることから,長く住む住民はすでにこの地でそれだけの年月を過ごしてきている一方で,被災者・高齢者・障碍者などといった優先入居者世帯であるか,その他一般の市民・県民であるかを問わず,新たにやってきた住民も増えている。そのことが地域コミュニティー構築のあり方への,同時に私たちの訪問活動への,新たな問題提起となっている。

住宅北側。かつてこの場所が工場であった名残の貨物線跡はほとんどが未利用訪問活動中の参加者訪問活動中の参加者

住宅北側。かつてこの場所が工場であった名残の貨物線跡はほとんどが未利用 (左,2008.12.13)
訪問活動中の参加者 (中・右,2008.12.27, 10.25)

景観上もっとも大きな変化は,訪問活動を行っている復興住宅を含めた公営住宅群(市営住宅,県営住宅,旧公団住宅。あと2者には市営借り上げも)の南側に新たに建設されていた住宅が竣工し,それまで見えていた海も見えなくなり,代わって公営住宅群とは異なった層の住民からなる高層住宅が,海側の視界を独占するにいたった。これを格差社会を象徴する「南北問題」と報じた新聞もあった。

所々にあるモニュメント猫よけに水を入れたペットボトルを並べる

所々にあるモニュメント(左),猫よけに水を入れたペットボトルを並べる(右) (2009.2.14)

こうした復興住宅は,機能一辺倒で,いかにもコンクリートジャングルといった趣の,高度成長期に造られた団地の類とは異なって,住民のアメニティへの配慮がなされている。それが直ちにすべての住民にとっての利便性向上に結びつくわけではないが…。

「お話し伺い」をまとめる初参加のボランティア被災体験を聞く初参加のボランティア

新たな体制の中で

すでに述べたとおり,神戸・週末ボランティアでは,2007年以来,解体的再生を図り,活動の資質向上と住民・被災者との信頼回復に不断の努力を重ねてきた。その成果を披露するとともに,以前・従来のお詫び行脚の意味もあることを肝に銘じての,復興住宅訪問活動を展開している。

倉谷さんの被災体験を聞く (左,2008.8.9),
「お話し伺い」をまとめる(右,2008.12.27),
初参加のボランティアたち

新たな仲間とともに

2008年に入り,新たにやってくる参加者も増えた。役立ち学ぶことへの熱意や誠実さにおいて頭が下がる思いがすることも少なくなく,こうした姿を鑑とし,初心にかえり姿勢を正すなかで,活動を継続している。

そうした姿勢は,おのずと訪問先の住民・被災者につたわり,これまでにない充実した「お話し伺い」ができるようになった。そこから新たな問題発見がなされ,ボランティア参加者と被災者・住民との交流もさらなるものへと広がり深められていった。

誕生日を前祝いする参加者2008年最後の訪問のあとで

「赤穂義士討ち入りの日が誕生日」という倉谷さんの誕生日を前祝いする参加者 (左,2008.12.13),
2008年最後の訪問のあとで (右,2008.12.27)

以前から私たち神戸・週末ボランティアの訪問活動を見守り,協力してくださっている住民の方の存在が,このHAT神戸・脇の浜住宅での復興住宅訪問活動の大きな支えになっている。訪問活動にとどまらず交流を持つ,以前からの参加者もいる。さらに最近になって新たにやってきた参加者も交え,さらなる交流の輪を広げ深めている。

東條健司代表に取材するTV局クルー

マスコミ報道と訪問活動

以前から神戸・週末ボランティアの活動がマスコミに採り上げられることはあったが,そのあり方が,この1〜2年変化してきた。これはこのかん取り組んできた,解体的再生をともなった活動の資質向上が成果をあげ,評価されるようになったことによるものだろう。

東條健司代表に取材するTV局クルー (右,2009.2.14)

あわせて被災者の生活再建,被災地の復興に役立ち学ぶという私たち神戸・週末ボランティアの活動の趣旨にてらしてふさわしい趣旨・媒体のものを受け容れるようにしたことで,被災者・住民とのさらなる信頼関係を構築している。

復興住宅訪問活動の内実を紹介

すでに述べたとおり,この何年か,神戸・週末ボランティアについてマスコミ報道がなされるのは,毎年「1.17」に先立って開いている集会がほとんどであったが,2007年後半以降,新聞各紙が,復興住宅訪問活動に同行取材し,活動の様子を紹介したり,記者自身がその過程で見つけたものをもとに独自に取材して記事を作成したりするといったように,平素の訪問活動に注目したものが目立ってきた。これもまた,このかん取り組んできた活動の資質向上が評価され,定着したものといえるだろう。

神戸・週末ボランティアでは,以前から訪問活動参加の案内を各紙にプレスリリースしてきたが,近年では紙面に掲載されることがほとんどない状態にまでなってきていた。そうした中,2008年11月には,久しぶりに訪問活動の案内が掲載され,その扱いも,一般的な情報提供・案内の域を超え,独立した記事となっていた。

「毎日新聞」週末ボランティア、被災者の聞き役に 一人暮らし女性「寂しい」

それが掲載された日には,別の記者が訪問活動に同行取材し,翌日の地方面トップに,復興住宅のお部屋の中にあげていただいての長時間にわたる「お話し伺い」の様子が,その内容とともに,写真入りで紹介された。

平素行っている訪問活動それ自体を,その内実にわたって紹介することで,ありのままの神戸・週末ボランティアの姿とその活動の意義が広く伝えられることになろう。

(2009.1.7)

住民自身やボランティアの活動ぶりが判る掲示板復興住宅より灘区〜摩耶山方面を望む

住民自身やボランティアの活動ぶりが判る掲示板(左),復興住宅より灘区〜摩耶山方面を望む(右) (2009.3.14)

市街地にある,この復興住宅は,かつて工場だったところを再開発したもので,周囲の地域コミュニティと隔絶されている面もある。一方で,被災前に居住していたところと,そう離れていないために,依然としてつながりを持ち続ける人もいる。また,住宅内の近隣で,交流やつながりをつくり出そうとする人もいる。高齢世帯が多いことから,訪問看護・介護拠点が,住宅内部に設けられている。

住民が憩うカラオケ喫茶訪問看護ステーション

住民が憩うカラオケ喫茶(左),訪問看護ステーション(右) (2009.7.11)

訪問活動500回へむけて

訪問先へ向かう参加者HAT神戸・脇の浜住宅の東端部に他の棟から隔てて建つ棟訪問先へ向かう参加者

訪問先へ向かう参加者 (左・右) HAT神戸・脇の浜住宅の東端部に他の棟から隔てて建つ棟(中,2009.12.12)

「神戸新聞」震災被災者訪問500回に 神戸の市民団体

年末近くなる前に翌年の「1.17」向け記事のために,取材にやってくるマスコミの姿が目立つようになる。

特に2009年末は,年頭の予想では同年末か翌2010年初めに訪問活動通算500回をむかえることになっていたが,新型インフルエンザの流行などのため,住民や参加者への影響を考慮し,5〜6月には,念のため訪問活動を2回にわたって中止したことから,2010年の「1.17」を前にして500回をむかえることはできなくなった。それでも,平素の訪問活動の内実に着目するようになっていたこともあって,訪問活動500回を控えた神戸・週末ボランティアの平素の訪問活動をもとにした記事をいくつか掲載した。

いずれも各紙記者が,2009年11〜12月に,訪問活動に同行取材してできたもので,これに記者の独自取材とあわせて震災記事としたものもあった。

震災被災者訪問500回に 神戸の市民団体 2009/12/27 神戸新聞
被災者に耳傾け500回…神戸の「週末ボランティア」3万2500戸訪問 2009/12/26 読売新聞
被災者慰問3万軒――神戸の震災ボランティア活動、来月500回に 2010/01/08 日本経済新聞
共に生きる・阪神大震災15年:訪問ボランティア、来月500回 2010/01/09 毎日新聞

共に生きる・阪神大震災15年:訪問ボランティア、来月500回被災者慰問3万軒――神戸の震災ボランティア活動、来月500回に

共に生きる・阪神大震災15年:訪問ボランティア、来月500回 2010/01/09 毎日新聞 (左)
被災者慰問3万軒――神戸の震災ボランティア活動、来月500回に 2010/01/08 日本経済新聞 (右)

インターホンを鳴らし,出てこられるのを待つ参加者 (下,2009.12.12)

インターホンを鳴らし,出てこられるのを待つ参加者

2009年に入って参加者数が少なくなっていることを問題にする向きもあるが,それはとんでもない間違いだ。確かに現象的・数量的側面においてそういえなくもないが,一人一人の参加者の資質や姿勢においてはこれまでにないものがあったといわねばならない。

初参加者の真摯な姿勢や役に立ちたいという熱意には,訪問先の住民に好意的に受け容れられたのみならず,従来の参加者をして,初心にかえり襟を正せしめるものがあった。もちろんボランティア団体らしい雰囲気もヨリいっそうできあがっていった。こうした報道はそうした有形無形の成果に立脚したものであるといってもいい。

週末ボランティア訪問活動500回

「神戸・週末ボランティア」は,バンクーバー冬季オリンピックが始まった2010年2月13日の訪問活動をもって,仮設住宅・復興住宅を通算して500回目をむかえた。

500回目の訪問活動に参加したメンバーと

500回目の訪問活動に参加したメンバーと (2010.2.13)

既に1月9日に「大震災被災者とボランティアのつどい」を「訪問活動500回記念プレ企画」として行ったこともあり,この日は特別な行事は用意せず,訪問前レクチャーの場において,黙祷をするとともに,ある参加者の音頭取りで「しあわせ運べるように」を歌った。

訪問活動前の黙祷ラジオ番組のインタビュー風景

訪問活動前の黙祷 (左),ラジオ番組のインタビュー風景 (右) (2010.2.13)

この日は,早くも梅の花が満開になるほどの暖かさもあってだろうか,予想以上に留守宅が多く,まとまった内容の「お話し伺い」が実現しなかったが,平素から訪問活動に協力してくださっている住民の方の協力で,初めての参加者に,自身の被災体験や,復興住宅の住民が置かれている現下の情況などについて語っていただいた。

冒頭でもテレビの取材が入ったが,時間的制約のためか留守宅が続く中で帰ってしまった。また,終了ミーティング後,訪問活動にも同行した在阪AM局のラジオ番組のレポーターが,被災し仮設住宅生活を経験した参加者と東條健司代表にインタビュー収録した。

阪神淡路大震災が発生した1995年以来,基本的な活動スタイルをそのまま継続している稀少な存在となっている神戸・週末ボランティアだが,今後の継続にあたっての課題は多い。それは決して数量としての参加者の獲得ではないし,またあってはならない。被災者−住民の声に耳を傾ける「お話し伺い」の基本に立ち帰り,これを堅持し,成熟した市民社会の成就をともに担うパートナーとしての役割が期待されていることを自覚しなければならない。

これこそが阪神淡路大震災から16年目の被災地にあって,被災者と共に歩もうとする者に課せられた使命だ。

(2010.3.4)

訪問活動500回を過ぎて

真摯な表情で「傾聴」に臨む参加者

真摯な表情で「傾聴」に臨む参加者 (2010.10.23)

2010年の春頃から,真摯な参加者が新たに加わることが顕著になってきた。しかも神戸市内及び近辺と,比較的近いところで,かつて自らも阪神淡路大震災で被災した経験を持つ人も多い。そうしたところから,人の痛みを我がことと受け止めようという,誠実な態度は,これまでの参加者もまた,倣うべきものであった。そうしてつくり出された雰囲気は,訪問先の住民の方にも,好感と共感を持って迎えられ,それが,信頼関係の構築とともに,さらなる励みとなっていった。

神戸新聞」の案内で私たちの活動を知るようになったというメンバーが目立つ。地元密着メディアが,信頼関係をも媒介してくれたわけだ。もちろんそれ以上に,平素の私たちの活動を知る被災者・市民の間で,この間の資質向上の取り組みへの評価が,結実しつつあるものでもあるといっていいだろう。

また活動紹介・案内や参加者募集にあたって「傾聴ボランティア」という呼称を用いるようになったことも奏功しているようだ。

SNSを通じての初参加者を笑顔でフォローする常連参加者SNSを通じての初参加者と取材する新聞記者とともに倉谷さんを囲んで

SNSを通じての初参加者を笑顔でフォローする常連参加者 (左),
SNSを通じての初参加者と取材する新聞記者とともに倉谷さんを囲んで(右) (2010.11.27)

次いで目立ってきたのが,弊サイトThis is 神戸・週末ボランティアを通じての参加だ。もともとは「阪神淡路大震災の被災地・神戸で今なお復興住宅への訪問活動を続けているグループの記録とレポート」との趣旨で始めたが,参加への問い合わせが寄せられるようになってきたことから,「神戸の街を楽しく、人々を元気にする、さまざまな話題について語り合」う場として,地域に根ざした,双方向的な交流を進めるべく,「役立ちと学びのネットワーク」として,SNS - MixiコミュニティやTwitter - welove_kobeの積極的活用と展開を進めた。

それらを通じて,ヨリ深く地元に根ざすとともに,新たな参加者も続いたのみならず,教わることが多いのが何よりだ。詳しくは新世紀の「週末ボランティア」情報・コミュニケーション篇を参照。

倉谷さんについて語る摩耶埠頭方面を望む

初めての参加者に,日頃お世話になっている倉谷さんについて語る東條健司代表(左),
復興住宅の通路から,海側に摩耶埠頭方面を望む(右) (2010.10.23)
ペット飼育厳禁の張紙(下) (2009.12.26)

ペット飼育厳禁の張紙この何年かの間での,復興住宅の住民生活としては,目に見えるところでは,海側に民間マンションや公務員住宅などの高層住宅が建ち,復興住宅から海や港が見えるところが限られてきたといったこともあるが,他にも,さまざまな局面での変化がある。いわゆる「孤独死」の増加など,高齢化一般に還元されるものもあるが,かかるものを強調することに終始していては,既成メディアの後追いにしかならない。

訪問活動を通じて浮かび上がってきたところでは,被災当時はまだ高齢者でなかったがために,ひたすら「自助努力」を強いられ,十数年の歳月を生き抜いてきた被災者の姿を目の当たりにし,積極的に,その声に耳を傾け,早くから訴えてきたことと,その意義を,改めて想起したい。

住宅を管理する自治体である神戸市や兵庫県及びUR側も,竣工後10年の大規模な検査や修繕などを経たあたりから,維持・管理費用削減のため,アウトソーシング化を図ったり,規制強化を進めたりしている。そのため全般的に,滞納家賃取り立て強化−明け渡し請求の早期化といったところから,身近なところでは,従来であれば黙認されてきたペットの飼育や野良猫への餌遣りなどへも,締め付けが厳しくなり,世知辛いものになりつつある。

阪神淡路大震災から15年を経たなかで,新生週末ボランティアとしても数十回の訪問活動を行ってきた。活動を継続するからには,活動の資質の維持と,新たな問題発見と情況への対応力が,課題となっていよう。

借り上げ復興住宅問題

言うまでもなく,復興住宅における住民生活で,とりわけ切実なのは家賃だ。仮設住宅では無料で,復興住宅においても,入居当初は低廉におさえられていたが,やがて段階的に引き上げられ,最終的には被災者でない住民と同等の負担が求められることになり,近年では,そうした水準に達しつつある。

さらに,2010年頃からは,それ以上に深刻な,借り上げ復興住宅問題が浮上してきた。

阪神淡路大震災後,住居を失った被災者に公営住宅を,早期に大量に供給すべく,旧・住宅都市整備公団(都市基盤整備公団〜現・都市再生機構(UR都市機構))や民間が所有・建設した賃貸住宅を,神戸市などの自治体が借り上げたものが借り上げ復興住宅といわれるもので,賃借期間は竣工から20年に設定されているため,2016年頃から順次,期限をむかえる。それを控えて,借り上げ復興住宅の住民にたいして,神戸市側が移転を前提とした動きを見せるようになったことから,不安が広がってきた。

ちなみにHAT神戸は1999年頃からの竣工のため,期限は早いもので2019年となり,借り上げ復興住宅は,UR賃貸住宅である棟に,部屋単位で設定され,両隣で借り上げ復興住宅の世帯が並ぶことはほとんどなく,被災者ではない通常のUR賃貸住宅の住民世帯に囲まれて居住している。多くの被災世帯にとっては,期限後URと直接賃貸契約を締結し,通常の家賃を負担するのは,困難だろう。高齢者にとって移転は困難が伴う。かといって,格差の中での地域社会の現状を肯定するわけにもいかない…。

2010年4月,神戸市は「第2次市営住宅マネジメント計画(案)」を示し,これについての意見募集(パブリックコメント)を行った。復興住宅の借り上げは延長・更新しないというものであったことから,5月,「訪問活動概略;2010年」にあるような,平素の訪問活動で聞いた内容を盛り込みながら,東條健司代表らが「神戸市の「第2次市営住宅マネジメント計画(案)」の意見募集について」を,神戸市に持参した。

この問題については,別稿借り上げ復興住宅問題で述べてゆくことにしよう。

(2011.2.9, 2012.2.22)

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