神戸・週末ボランティア再生プロジェクト
2009

2007年に不退転の決意のもとで始まった,神戸・週末ボランティアにおける正常化−清浄化の取り組みは,続く2008年に再生プロジェクトとして着実に歩みを続け,2009年にもさらなる成果をもって継続されてきた。

2009年のたたかい〜「ヴ・ナロード」

「ヴ・ナロード」(人民のなかへ)は帝政ロシアの末期,変革を求めるインテリゲンチャによって取り組まれた闘いであり,そのスローガンであった。人々の声に耳を傾けるところから始まるのは,私たちの活動の根本であり,真に根本的な変革を目指そうとすればするほど,その重要性はいっそう高まるものだ。それとともに,自らの活動にたいするセルフチェックとフィードバックにおいて欠かせないものであり,新たな方向性も,かかるものから出発するものだ。

被災地・被災者に心を寄せる多くの人の声に耳を傾ける上でとりわけ有効な方法は,共に歩みながらすることである。私はこの取り組みが本格化する以前から,神戸・週末ボランティアの活動や存在が,被災者によって,被災地においてどのように見られ評価されているか自覚するべく,外の視点から見つめ直し検証することを訴えてきた。

2009年も「1.17」に向けてさまざまな行事が行われた。継続しているもののほか,一旦途絶えたものが復活したものもあれば,新たに始められたものもある。阪神淡路大震災1.17のつどいはもちろん,1.17震災メモリアルサイクリングこうべiウォークなど,そうしたもののいくつかに一参加者として参加し,ともに参加した市民・被災者と歩みをともにしながらその声に耳を傾けた。

仮設住宅への訪問活動に始まり,現在も復興住宅訪問活動を,不断に続けていること自体については,肯定的に,ときには驚きをもって受け入れられている一方,その内実・資質については,充分な理解と評価がされていないというのが,その総合したところであることを,知らしめられた。

かくして,私たち神戸・週末ボランティアの活動とこの再生プロジェクトの現地平を確認し,今2009年の課題と方向性を見いだした。

こうした取り組みも平素の訪問活動を続ける中でなされた。もっとも今2009年は,さまざまな要素が訪問活動に影響を及ぼした。

訪問活動から

昨2008年夏よりHAT神戸・脇の浜住宅への訪問活動を続けている。ここへの訪問活動は3度目となるが,以前の訪問活動のときとは違った,活動の資質向上ぶりが好印象を与え,信頼関係の構築に寄与したのであろうか,おおむね好意的にむかえられている。

これは,前回の訪問活動が,神戸・週末ボランティアの資質低下が決定的になる前であったことが幸いしている面もあろうが,どの時期,どの場所であるかにかかわらず,一部の参加者が,自らの頽廃的享楽のために被災者・被災地を笑いのネタにするという,およそヴォランティア活動としては不適切な行為に及んだことにたいする,お詫び行脚の気持ちを忘れず,毎回の訪問活動に臨んでいることが,謙虚さをもって真摯な姿勢として反映しているといえよう。これからもこれを基本として続けてゆくべきだ。

昨年・一昨年見られたような,急激な向上ぶりこそなかったが,限られた参加者の中で,その水準を維持することはできたといえよう。そのなかで,かかる現状へ安住したり,介入・利用の余地を残すべく,かかる水準にとどめておこうといった思惑が見られたりすることに,警戒してゆかねばならない。

仮設住宅への訪問活動を初めて以来,通算回数が500回に近づいてきたが,その中にあっても,活動の資質と信頼関係構築を維持する上で,無理することなく,グループとしての力量にてらして適切なスケジュールを,結果として選択できたことも,自己点検能力の向上を表したものであるといえよう。

毎回の訪問活動を集約したものは,最終的に年別にまとめて神戸・週末ボランティア アーカイブズに収録している。その前に,新たな活動の案内とともに付されているが,人目を引こうとの気持ちに駆られ,ふくれさせてしまうこともある。こうしたものは情報としての価値を低下させるものであるとともに,それによって引きつけられる層をも低下させることになってしまう。宣伝と記録が異なるものであることを銘記し,真摯な姿勢で臨む必要も,今一度確認しなければならない。

震災被災者とボランティアの集い

2009年に入って最初に取り組まれた行事が,1月10日に行われた震災被災者とボランティアの集いだ。本来であれば2009年の第1回目の訪問活動に当てる日であるが,訪問活動は行わず,訪問して行う「お話し伺い」のかわりに,住民・被災者に集会に参加してもらって,これに替えるとの位置づけでなされた。

しかしこれは,このかん不断に行ってきた再生への取り組みの鈍化を追認し,現状に甘んじるものへとおとしめる危険性を孕んだものであった。実際,一部参加者によって,それまでの活動と資質向上の成果を報告し共有する機会が失われるという面もあった。

こうした中で,マスコミの取材を受けたのは,この日から始まった「慰霊と復興のモニュメント」のそばにある「1.17希望の灯り」を分灯して,この灯りを囲んで,黙祷を初めとする,この日の集いを行ったことで,形と絵ができる環境が成立したことによるもので,,前年のような内実がないと見透かされていたことを,自覚しなければならない。

内実を伴った活動の成果を反映させ共有する機会とすることが,神戸・週末ボランティアにおける行事・イベントの存在理由であり意義であることを,改めて確認し,その現実化を課題としたい。

2009年週末ボランティア総会

株式会社の株主総会ではないが,神戸・週末ボランティアにおける総会も,1年に1度6月下旬に,通常の訪問活動とは別の日に設定して行ってきた。しかしながら2007年,正常化−清浄化への抵抗勢力もってする者がこじつけていたところの頽廃的享楽的趣味を口実に,その開催を遅らせるという挙に出て以来,7月に開催されるようになってしまった。しかも今2009年は,通常の訪問活動と同じ日に,本来であれば,その日の訪問活動の成果を集約し共有するための終了ミーティングに充てるべき時間に,強行されるというスケジュールが組まれた。

遠方からの参加に宿泊を伴わずに済むという点では経済的メリットはあるが,本来費やすべき時間と労力を惜しむという点ではマイナスだ。かけるべきところにしっかりコストをかけないと,いいものはできない。こうした設定は,1月のつどいとともに,再生への取り組みの鈍化を追認し,現状に甘んじるものへとおとしめるものであることを指摘し,厳しく臨んだ。

今回の総会は,再生の過程であたらに参加してくれたメンバーを交えて,今後の方向性をめぐって話し合えたことに,最大の意義を見いだすことができよう。その一方で,「事務局」を僭称し,資質向上の取り組みをネグレクトし,無内容化して,マスコミに媚びへつらおうとする,一部参加者もいたが,その場においてはもちろん,その後の活動の過程で,かかる専横と偏向をただす取り組みを行い,実において,本来のあるべき活動の方向性を,再び現実化していった。

2009年の総括と2010年への展望

今2009年を代表する言葉をいくつか選んで,2009年の総括と,来2010年への展望をしていこう。まずは,「現代用語の基礎知識」選 2009年ユーキャン新語・流行語大賞のトップテンに選ばれたものから。

政権交代

政治関連の入賞候補が多かった中で,その代表的存在であり,年間大賞に選ばれたのが政権交代だった。もちろんこれは夏の衆議院総選挙の結果民主党鳩山由紀夫政権が誕生したことをさしてのものだ。

これは,それに先だったアメリカ大統領選挙における,共和党から民主党への政権交代とともに,初の黒人大統領となったバラク・オバマ政権の誕生に際してさかんにいわれた「change」,「Yes, we can」があってのことだ。こちらの政権交代は,単なる2大政党間の政権交代ではなく,民主党内の大統領候補指名選挙(予備選挙)において,ヒラリー・クリントン女史との,どちらが勝ってもアメリカ史上初となるであろう熾烈な闘いをくぐり抜けてのものであったことが,いやがおうにも期待感を高め盛り上げたのであった。

今回の日本の政権交代は,アメリカ大統領選挙におけるそれに比べると,政権交代に伴う政治の「change」(これも候補に含まれた)が,必ずしも大きいとはいえないが,旧弊の終焉を望む世論の高まりはアメリカのそれに寄せられた以上のものがあったといわねばならない。

こうした大情況下で10月に行われた神戸市長選挙は,助役経験者が,国政では与野党に分かれるはずの各党の相乗り支持と,市役所ぐるみの支援を受け,共産党をも含めたオール与党体制で市会を翼賛化するという,戦後半世紀以上続いた構図が,政権交代にあと1歩のところまで迫られるに至った。結果として現職が再選されたものの,この現職は民主党に泣きついて公認・支援を求めて辛勝する一方,泡沫候補と思われたIT企業経営者に脅かされたことで,脅威を背に受けて新たな任期に入っていった。

かくして神戸市政は政権交代には至らなかったものの,「change」を求める市民の声を無視して,今後の政権運営も議会対策も困難となるところへ,至らしめるうえで一定の効果はあったといえよう。

私たち神戸・週末ボランティアでは,こうした趨勢に先立って,情況と自らを「change」する取り組みを行ってきたことを,今まさに誇りを持って,ここに明らかにできるのである。

新型インフルエンザ

梅雨に入る前の春のうちから新型インフルエンザをめぐってパニックのごとき情況がつくられてしまった。季節外れであるだけでなく,その感染力の強さが異常な対応を生み出していった。神戸においても県立高校における感染拡大が報じられたのみならず,1人の行員から感染者を出しただけの銀行や,駅構内コンビニが,過剰反応的に報じられたりしたことから,市民間の警戒心をいたずらに高め,街ゆく人々の姿が減るに至った時期もあった。

学校の休校は神戸のみならず各地に広がったが,神戸市内で新型インフルエンザのため休校にした学校では,夏休みを短縮して酷暑の中授業を行ったり,学校行事を中止するなどして,年度を通じての学事日程に影響を及ぼし続けている。その一方で大阪・心斎橋のそごう百貨店閉店セールや奈良・唐招提寺のうちわまきのように,予定通り行われ,予想通りの人出を得てつつがなく行われたものもあった。

こうした中,神戸・週末ボランティアにおいても,かかる時期の訪問活動を,来2010年はじめに訪問活動500回をむかえるべく,当初はこれと関係なく行うことも考えたが,万一の感染以上に,このかん培ってきた住民との信頼関係の構築を尊重する観点から,念のため2回にわたって中止した。その結果から考えれば,中止が過剰反応の一環をなすことでパニックや風評被害の拡大再生産をもたらすという問題点もあったが,信頼関係を尊重した行動決定をした点で,肯定的に総括していいだろう。

草食男子

草食男子とは「コラムニストの深澤真紀が2006年に命名。協調性が高く、家庭的で優しいが、恋愛やセックスには積極的でない、主に40歳前後までの若い世代の男性を指す」とのことで,それと対にして肉食女子(命名者自身もその一人である)なるものとともに語られるものだが,これとあわせて「肉食系」・「草食系」という言葉(これらも候補に含まれた)が各々「positive・aggressive/offensive」・「passive・defensive」の意味,もしくはイメージをもってして使われたところから,広まったものといえよう。

神戸・週末ボランティアの訪問活動−「お話し伺い」は,「passive」な,「草食系」なと言っていいスタンスで臨むものだ。ときとして「積極傾聴」という言葉が誤解をもたらすが,これは「passive」な姿勢を徹底するというように理解すべきものだ。これは,訪問活動を自らの享楽的趣味や政治的利害などのために利用し歪曲することを防止するために徹底したもので,正常化−清浄化の過程で必要なステップであった。

一方,マスコミ取材などは「positive」な,「肉食系」なと言っていい姿勢で行われる典型だ。ヴォランティアのスタンスとしての「passive」−「草食系」な姿勢は,「positive」−「肉食系」な姿勢で得られるものとは異なった視点と質の成果を得られることで,自らの存在意義としてきた。

同行取材受け入れの中で,何社ものマスコミ記者にヴォランティアならではの視点を提供する一方,彼らの取材手法を学んできた。今後はその経験を活かし,passive」−「草食系」な姿勢を基本にしつつ,「positive」−「肉食系」な姿勢・方法をも適宜取り入れ,両者の特性を活かした手法を確立し,さらなる成果をもたらす,活動の資質向上に努めていきたい。

派遣切り

2008年秋のリーマンショックに端を発した世界同時不況は,日本においても急激な雇用情勢の悪化をもたらし,とりわけ派遣切りという言葉を生み出したほど派遣労働者の解雇は深刻な問題となった。派遣労働者に限らずいわゆる非正規労働者の解雇,新卒内定者にたいする内定切りまで生み出されたことは記憶に新しい。

私たち神戸・週末ボランティアの訪問活動のような社会実践を長期的に継続してゆくためには,ある程度時間が自由に使えることが望ましい。専業主婦や年金生活者,生活保護受給者,学生のほか,非正規雇用や,自営業・自由業といった職業の参加者が目立つことになる。またかかる趨勢のもとでは,会社員や公務員が余暇利用やインターンシップ,社会貢献といった形で参加してくれることも期待しにくい。こうした情勢は参加者獲得・維持継続の点で非常な困難をもたらしている。もっともヴォランティア活動どころではないというのが大勢であろう。

基本的にかかる情況にたいしては守勢に回らねばならない現状ではあるが,そういった中でも,かかるものにたいするたたかいを果敢に行ってきたことも忘れてはならない。既に述べたとおり,昨2008年,生活保護の運用を大義名分にして,神戸市当局者が民間団体を装って作成した「要望書」への賛同を求めるという事件が発生,これを通じて神戸・週末ボランティアに介入しようとする者も現れた。これが,市民の自主的・自発的活動を,市当局の利害のもとに糾合し,翼賛運動へと変質させていこうというものであることを喝破し,断乎としてこれを退けた。その過程でこの策動が,問題の本質から市民の耳目をそらし,問題の所在を隠蔽するものであることを明らかにしたのであった(弱者イジメの現状固定化策動を許さない!〜ここがおかしい!「生活保護の運用に関する要望書」参照)。

そのたたかいの意義と先見性は,後世の歴史家の評価を待つまでもなく,すでに明らかになっていると言っていいだろう。現下の情勢を,根底からつくりかえる力は残念ながら持ち得ない。しかしながら「人民のなかへ」深く入り,ひたすら耳を傾けるところから,問題をいち早く見いだし,それに立ち向かうことは可能であり,活動の資質を高めることで,参加する一人一人とグループとしての神戸・週末ボランティアの,かかる力量と見識を高めることができると言わねばならない。

財団法人日本漢字能力検定協会が,阪神淡路大震災が起こったのと同じ1995年以来,毎年発表している「今年の漢字」で,2009年の世相を反映する一文字として選ばれたのは「」だ。

昨2008年より1日早く発表され,例年通り清水寺の森清範貫主が力強く揮毫(きごう)する姿が報じられた。米日両国の政権交代に伴う変革・刷新への期待とともにイチローの新記録などを象徴したとされる。応募者がこの文字に込めた願いとともに,同協会と,協力してきた貫主自身がまずもってその改革・刷新を行わねばならないという情況の中で,その成果を世に問うという側面もあったといえよう。

新たな情況に対応する中で,自らの中にある旧弊をただしていくことは,まさに神戸・週末ボランティアが2007年以来取り組んできた正常化−清浄化,さらにはこれに続く再生への取り組みに通じるものがあるといえる。

新しいものへの対応は不断に求められる。だが新しいものがすべてよいものであるとかすぐれたものであるというわけではない。時には有害・危険なものもある新型インフルエンザがその一例だ。中途半端なワクチン投与や治療を行えば,かえって耐性をもったウィルスを発生させ,手に追えなくなってしまう。

そのあたりの事情は,コンピューターウィルスとその対策ソフトも当てはまろう。新たなウィルスを予測・類推してスキャンする機能を持ったものが,今や一般的になっているが,なかには作動に必要なファイルをウィルスと勘違いして削除してしまったり,作動に多くのリソースを消耗するあまり,本来必要なOSやアプリケーションの作動に支障をきたすものも少なくない。軍事力や警察力に国家予算をつぎ込みすぎて民生をおろそかにする軍事独裁国家のようだ。新しいものへの対策が過剰になることでマイナスが生じる例だ。

こうしたものは,必要にして充分なもので,的確になされなければならない。それにはこれまでを虚心坦懐に顧みて,その中から教訓を引き出すことが必要だ。このあたりのあるべき方法を説いたものが,秋艸道人こと會津八一の『学規』だ。

一 ふかくこの生を愛すべし
一 かへりみて己を知るべし
一 学藝を以て性を養ふべし
一 日々新面目あるべし

これらを一体のものと見れば,新しいものへの対応がフィードバックによってなされるとともに,自他の尊厳を見いだすこと,学びの姿勢もあわせて説かれていることが解る。神戸・週末ボランティアの活動に携わるすべての皆さんが心がけ,共有することを呼びかけたい。これはもともと学生に向けて説かれたものであるが,あらゆる年代・立場の人に求めたい。それによって老・壮・青の三結合が可能になる。

また,「新約聖書」にはこういったことが説かれている。

新しいぶどう酒を古い革袋に入れたりはしない。そんなことをすれば、ぶどう酒は革袋を破り、ぶどう酒も革袋もだめになる。新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れるものだ。

以上のように,神戸・週末ボランティアは,被災者の生活再建と,被災地の復興のために役立ち,その中で学び,自他の尊厳を見いだす活動を続けるグループとしてふさわしいものとなるために解体的再編取り組むべく奮闘してきた。その中でかつてのよいところを取り戻すとともに,新たなグループへと生まれ変わり,まさに新生週末ボランティアとなりつつある。そしてこれからは,真に地域社会の創造に必要とされ,受け容れられ,ともに活動を担っていきたいと思われるようなグループをめざすことを,確認しておこう。

そして,これに取り組むべく,心ある,志ある皆さんに,ともに歩むことを呼びかけたい。

(2009.12.11)

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