2011 神戸・週末ボランティア
News and Reports
We love KOBE Weekend Volunteer

阪神淡路大震災の被災地・神戸で今なお復興住宅への訪問活動を続ける「神戸・週末ボランティア」の活動報告です。
Blog This is 神戸・週末ボランティアもよろしく!

(年別に古い記事から順に番号をつけていますが,新しい記事が上になるように配置しています。)
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第544(新生102)回訪問活動

毎度「役立ちと学びのネットワークThis is 神戸・週末ボランティア」をご覧下さいまして,まことにありがとうございます。

実質3連休の中日となった,今2011年最後にあたる,12月24日の復興住宅訪問活動は,常連参加者と久しぶりの参加者7名で,HAT神戸・脇の浜住宅を廻りました。

訪問活動に先立って,事前にもミーティング(初参加者がいればレクチャーも)をしていますが,そこでは前回の訪問活動のまとめを読み合わせるようにしています。ところが今回,先にレポートした内容に,尾ひれをつけたり,質問・確認のために発した言葉をうかがった内容と混同したものを付け加え,実態と乖離したものが出されると言うことがありました。

もちろんこうしたことは,自らの快楽や都合・利害のために利用しようという,「傾聴」の基本的姿勢とは相容れない,相反するものであり,こうした受け止め方をするならば,お困りごとや相談事がある方が,話しにくくなってしまい,それ以前に,信頼関係も構築できず,期待に応えることもできなくなってしまうでしょう。厳に慎むべきものです。

こうした偏向や過ちを正した上で,この日の訪問活動に向かいました。

年末近いこの時期,留守宅やご都合が悪い方も目立ちましたが,そうした中でも有意義なお話し伺いをさせていただけたと思います。そうした住民の方々のご厚意や信頼に応えるべく,私たちも,いっそうの精進を重ねていきたいと思います。

訪問活動は早めに終わったため,ながくお世話になっている方のお見舞いに行きました。体力も回復し元気になっている姿に,安心と元気を戴きました。

今回の訪問活動には,来2012年の「1.17」に向けてでしょうか,神戸新聞の取材が入りました。「高齢化」という観点からのものだったようですが,お役に立てたでしょうか…。

終了ミーティングは,この日のまとめとともに,この1年の役立ちと学びをふり返る場ともなりました。もちろん無謬・絶対などということはあり得ず,時としてもたらされた偏向や失敗,錯誤の中から,教訓をもたらし,次なる飛躍へと結びつけてゆく機会としました。

まず,相手のためにという基本的な姿勢と思いを強く持ち続けることが,基本であり,何にもまして大切であること,その積み重ねが,訪問活動のスキルアップと資質向上をもたらすことが,参加者の姿を通じて,教えられるものでした。自身が難儀している情況にあっても,常に参加者や住民の方に笑顔を絶やさず接している参加者の姿にも敬意をもってしたいと思います。

そうした姿勢・態度で臨むことで,訪問先の方が,最初は話すことに消極的であっても,お困りごとを抱えていても,話していく中で,笑顔になり,同時に,お話しを伺うボランティア参加者もまた,元気をもらい,喜びと充実感をもつことができ,それが活動の醍醐味となるものです。

この1年あまり,新たに参加して下さった方には,これまで活動してきた私たちが,教えを乞い,その話し方,聴き方,表情その他一挙手一投足をお手本として見習うことも多いものでした。その清新にして篤実な姿勢は,訪問先の方からの期待と信頼をさらなるものにしていただきました。厚くお礼申し上げます。

そうした初参加者のほとんどが20〜50代でしたが,お年を召された方も参加・活動しています。また被災者−住民の方も高齢化が進んでいます。阪神淡路大震災当時現役世代だった方も少なからず高齢者の仲間入りをされていることについては,既に述べたとおりですが,そうした現状にあって,高齢のメンバーが,それまでの人生経験を活かして活躍しやすくなるような環境整備は,同時に被災者−住民の方との円滑なコミュニケーションと信頼関係の構築にも寄与するものであり,これを機会に改めて進めていきたいと思います。

参加者各々の持ち味を活かし,丁寧な傾聴の姿勢を定着させることが何より必要であることを,この1年の総括から確認したいと思います。

最後に,「希望の灯り」とケーキなどの茶菓で,ささやかなクリスマス会をして,この1年を締めくくりました。

弊サイトThis is 神戸・週末ボランティアをはじめ,MixiコミュニティMixiページFacebookページtwitter - welove_kobeを通じて,交流いただいた皆さま,この1年間,見守ってくださり,時に叱咤激励下さいましたことに,深く御礼申し上げます。このご縁と絆を,来る年にさらなるものと致したく存じます。皆さまにとって新たな年がよき年でありますよう,お念じ致します。


この日うかがったところの概略です。

・80代女性,夫婦2人暮らし。灘区で全壊。被災当初は市内の息子さん(今も時折この復興住宅へ来てくれている)のもとに避難したが,程なく県外へ。仮設住宅はポートアイランドだった。夫婦ともにお元気で,ご主人は今も車の運転をしている。「生きている以上は人のために何かしたい」と,ボランティア活動をしたことも。ご主人は今もしているという。

・60代女性,一人暮らし。東灘区で全壊。区内の公園で避難生活を送った。故郷の親戚から送ってもらった米を炊き出しに供出して配ったりした中で,大学生のボランティアが組織だって動いてくれて助けられたりした。震災後に職を失わずに済んだことから,仕事が何より大切と,最近まで長く製造業で働いてきた。男子高校生も同じ職場にいたとのことで,身体にはきつかったのか,震災以来の負担も相まって,腰や肩を痛め,たくさんの湿布を貼っている。避難生活で行政の的確な対処が行き届かず,「自助努力」を強いられた経験から,「力のない人は何年かかってもはい上がれない」と,痛切に感じた。また,「東日本大震災に比べれば,阪神淡路大震災はまだマシ」との思いも。

・男性。「都合が悪いのでお断りします」と,メモを貼り付けて外出。帰宅されたところに出会い,あいさつなど交わす。

・男性。「今日は元気がない…」とのことで,安否うかがいのみ。

・「しんどくて,もの言うのもイヤ」とのことで,安否うかがいのみ。

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第543(新生101)回訪問活動

毎度「役立ちと学びのネットワークThis is 神戸・週末ボランティア」をご覧下さいまして,まことにありがとうございます。

今2011年も残すところあと半月ほどとなりましたが,弊サイトThis is 神戸・週末ボランティアをはじめ,MixiコミュニティMixiページFacebookページtwitter - welove_kobeを通じて,交流させていただいております皆様方は,いかがお過ごしでしょうか。

12月10日の復興住宅訪問活動は,常連参加者6名で,20戸程のお宅を廻って「お話し伺い」の傾聴ボランティアを行いました。

時節柄,また住民の方々の生活パターンからして,訪問に応じていただける割合は決して高くはありませんが,そうした中にあっても,貴重な成果と,これからの訪問活動にも活かすべき,傾聴にあたっての方法や姿勢に関する,教訓・反省点を得ることができました。

阪神淡路大震災から17年目を迎えようとする現在,震災や被災経験についてのそれぞれの経験はもちろん,意識や思いもいっそうさまざまになっています。被災経験がない住民も増える中にあっても,災害に対する思いはそれぞれにあることは言うまでもありません。

そうした多様な情況にある一人一人に寄り添うべく,丁寧で信頼感のある「お話し伺い」を心がけ,傾聴それ自体を「心のケア」とするにふさわしく,基本に立ち帰り,言動に注意と心がけを怠らないようにしたいものであると,改めて思いました。

12月14日は赤穂義士討ち入りの日で,赤穂市や墓所のある東京高輪の泉岳寺などで赤穂義士祭が行われていますが,私たちの訪問活動でお世話になっている倉谷さんの誕生日でもあります。例年この日の直近にうかがった際にはHappy Birthdayを歌っていましたが,今回は訪問活動終了後に病室を訪ね,小声でお祝いしてきました。


また,来2012年1月14日には,通常の訪問活動に替えて,神戸市勤労会館の一室で,ボランティアの集いを予定しています。そのための準備についても若干話し合いました。


この日うかがったところの概略です。

・60代女性,一人暮らし。灘区で全壊。九州から神戸にやってきて半年後に阪神淡路大震災に遭った。そのときは,身を守るために布団をかぶり,揺れがおさまってから家から脱出したものの,何が起こったか解らず頭の中は真っ白。神戸市内の仮設住宅に申し込んだが当たらず,大阪府で3年ほど過ごす。10年前にやっと当たったこの復興住宅へ。現在は年金で生活している。食品にだけは消費税をかけないでほしい,政治家は私たち貧しい人のことをもっと考えてほしい…。

・60代女性,夫(70代)・娘(20代)と3人暮らし。東灘区で全壊。私たちが訪問したところに,買い物から帰宅,「週末ボランティアって本物?」が第一声。この3年の間に脚や胸の手術を受けた。娘さんはヘルパーで,1級の取得を目指しているが,ある利用者宅に週5回入っていたところ,身体をこわしてしまった。利用者と同じ公営住宅の住民にも多く同様の症状が出ていたという。

・30代女性,夫・娘と3人暮らし。3年前,留学生の夫とともに神戸にきて,この復興住宅へ。人と防災未来センターを見学して,阪神淡路大震災は非常に怖いと思った。祖国・ベトナムでは毎年台風に見舞われており,小さい頃,怖い思いをしたが,震災はそれを遙かにしのぐ。ここに来てから生まれた娘を保育園に預けて,スーパーの仕事に。ボランティアに教わって日本語を勉強している。夫は大学院で研究に明け暮れている。

・女性。震災は経験していない。週末は子どもがいるので,世話がたいへん。

2011/12/17 ↑TOP


第542(新生100)回訪問活動

毎度「役立ちと学びのネットワークThis is 神戸・週末ボランティア」をご覧下さいまして,まことにありがとうございます。

このたび,神戸・週末ボランティアは,2011年11月26日の復興住宅訪問活動をもちまして,2007年夏,決意も新たに生まれかわって以来100回目の復興住宅訪問活動を迎えました。

このかん参加されたボランティアの皆さん,受け入れてくださった被災者・住民の皆さん,温かく見守り励ましを戴きました,弊サイトThis is 神戸・週末ボランティアをはじめ,MixiコミュニティMixiページFacebookページtwitter - welove_kobeを通じて,交流させていただいております皆様方などなどの,ご縁の賜と,深く感謝いたします。

これからも引き続き,阪神淡路大震災の被災地にあって,被災者に寄り添い,あるべき地域社会を創造するパートナーシップをさらなるものとすべく,初心を忘れず,虚心坦懐に耳を傾け,共に歩んでいきたいと思います。

関西では紅葉が見頃となりつつあった,11月26日の復興住宅訪問活動は,快晴の好天のもと,7名の参加で行いました。

これまで培ってきた,相手を思い,伺ったお話しをしっかり受け止める姿勢が,参加者の中でさらなるものとなり,それが,お話し伺いに応じてくださる被災者・住民の方々の間に,通じ浸透していることを,有り難く感じました。

近況・現状をお話し下さるのみならず,何度かの訪問を通じて懇意にしていただいている方からは,私たちの「お話し伺い」〜傾聴ボランティアのあり方について,意見・アドヴァイスも戴きました。こうして活動の資質向上を図り,協働の輪を創り出すうえで,貴重で,ありがたいものでした。

これからも「心のケア」を担うにふさわしい,優しさと品格を心がけていきたいと思います。


この日うかがったところの概略です。

・70代女性,夫婦2人暮らし。中央区で全壊。西区の仮設住宅を経てこの復興住宅へ入居して11年。これまで何度かの訪問で,ボランティア参加者とも親しくされ,神戸・週末ボランティアの行事にも参加されている。「何人死にましたか?」などと,「死」という言葉は,胸に刺さるので,使わないでほしい。(東日本大震災もふくめて)被災者に「お元気ですか?」,「よかったですね」といった言葉をかけてくれるとうれしい。漠然と「話を聞かせてください」よりも「一緒にお話ししてくれませんか」とか,具体的に「何か教えてください」と言われた方が話しやすい…。この日の訪問では,被災者として体験を語ってきた立場から,お話し伺いに臨むボランティアへのアドバイスや意見をいただいた。

・70代男性,北区で被災。停電や断水はなかった。家が古くなったので,昨年夏,県営住宅を申し込んだところ,1回で当たって,この復興住宅へ。家賃も安く,何も言うことはない。化学関係の会社を退職し,今は年金生活。時間をもてあまし図書館に通っている。ボランティアにも感心がありそう。

・50代女性,東灘区で全壊。近くの小学校に2〜3日避難した後,大阪の親戚宅のマンションで1ヶ月ほど過ごした。足腰を痛め車いす生活だが,内蔵などに悪いところはない。

・90代女性,東灘区で全壊。北区の仮設住宅で4年間過ごした後,この復興住宅へ。身体はどこも悪いところはなく,血圧も安定している。食事も掃除も自分でしている。週4回ほどゲートボール(公認ジャッジの資格も持っている)に行っており,これが元気の源のよう。

・女性。この復興住宅に入居して2年,ここで2人の子どもが生まれ,子育ての最中。インターホン越しに近況をうかがう。

・「何も云うことはありません。ごくろうさんです。」と,自ら支援シートに記入。

2011/12/05 ↑TOP


第541(新生99)回訪問活動

毎度「役立ちと学びのネットワークThis is 神戸・週末ボランティア」をご覧下さいまして,まことにありがとうございます。

11月12日の復興住宅訪問活動は,天候も落ち着き,この時期としては比較的暖かななかで,6名の常連参加を中心に行いました。

前回・前々回の訪問活動では,コレクティヴハウス棟への「お話し伺い」を並行しつつ,従来通りの巡回訪問と,次回訪問予定先への「予告チラシ」の投函を行うなど,慌ただしい環境にありましたが,今回は従来通りの訪問に集中できるよう,環境整備に留意しました。そうした結果,一人一人の「お話し伺い」に,腰を落ち着けて取り組むことができ,落ち着いてしっかりと,どのような話題も受け止める真摯な姿勢を,参加者のなかに,さらに創り出すことができました。

明るい話題だけを話していれば,楽しいでしょう。しかしそれではボランティア活動にはなりません。辛いこと・悲しいことなども話してもらうことで,それを私たちと分かち合うことで「心のケア」にすることや,お困りごとや相談事をうかがって,役立つことが、まずもって必要であることを忘れてはならないでしょう。

もちろんそのためには,信頼関係構築が必要です。そのうえで,用いられることに喜びをもってし,お役に立てる機会が与えられることに感謝をもってしたいと,改めてかみしめるこの頃の訪問活動です。

これを根底で支えているのは,参加者のなかに芽生え育っている,相手を思う,相手のためにという気持ちにほかなりません。スキルアップも,回をおって,そうしたなかから必然的に,産み出されています。WEB上で紹介できることは限られますので,これからは,訪問活動後の集約や終了ミーティングで,共有していきたいと思います。

今回は訪問活動を終えてから,平素お世話になっている方を入院先に見舞いました。参加者一同でのお見舞いは久しぶりですが,その間の回復ぶりに,私たちが元気をもらったように思われました

また,来2012年1月14日の活動・行事についても若干話し合いをもちました。弊サイトThis is 神戸・週末ボランティアをはじめ,MixiコミュニティMixiページFacebookページtwitter - welove_kobeを通じて,ご縁を戴き,交流させていただいております皆様方にも,追ってご案内させていただきます。


この日うかがったところの概略です。

・70代女性。西宮市で全壊。夫が退院して1年ほどで被災。大阪へ避難しているときに夫を亡くし,被災した家の取り壊し費用を負担したままに。大阪も気に入っていたが,子どもたちがこの復興住宅へ入れるように申し込んでくれていたので,神戸にきた。明日は子どもや孫たちと墓参りに行く予定とのこと。先端医療センターのおかげで早期発見早期治療ができた。

・70代男性,一人暮らし。中央区で全壊。壊れた家にしばらく住んでいたが,取り壊すことになり,近くの学校の避難所へ行き1週間過ごす。ポートアイランドの仮設住宅で3年あまり過ごし,この復興住宅へ。ここにはずっといられそうで安心している。一人暮らしが長いので,人が訪ねてくると緊張し,人と話していると息苦しく感じる。

・80代男性,夫婦2人暮らし。中央区で全壊。避難所では中心になって世話をしている人が支援物資を横流ししているのを眼にした。加古川市の仮設住宅に5年近くいた後この復興住宅へ。自治会長をしていたとき,近隣の人に電話番号を教えたら金を貸して欲しいとの電話が相次いで困った経験から「あまり入り込んではダメだ」と。「年寄りは生きていたらあかんのか!?」と,政治への不満をもらす。階下で私たちの到着を待っておられ,そのままお話し伺いに。

・80代女性,一人暮らし。中央区で半壊。近くの学校の避難所で5ヶ月ほど過ごした。この復興住宅へは竣工当初から入居。夫は震災前に亡くした。駅で新聞を売る仕事をしていたが,震災のために中断したのは1ヶ月間ぐらいだった。近くに住む息子さんが時折やってきて,夕食を共にしたり,泊まっていったりする。あまり病気はしておらず,不自由もない。お部屋に上がらせていただいてのお話し伺いに。

・70代女性。中央区で全壊。神戸で自立して生きていかねばと,そば屋の仕事に。はじめはパートであったが,勤め先を変えながら仕事を覚え,商店街で自分の店を開くに至った。店内はいつも満席状態の繁盛ぶりで,最盛期には6人もの男性従業員を雇った。そうした面白いように店が廻っていった,忙しかった頃が懐かしい。私たちが来意を告げると,歩くのに不自由を覚えるなかで,時間をかけながら玄関まで出てこられて,お話し伺いに応じてくださった。

・70代女性,東灘区で全壊。被災時は6時間生き埋め状態だった。北区の仮設住宅を経てこの復興住宅へ入居して10年以上。「入居の時も,北区の仮設住宅からここまで,ボランティアの方々が助けて下さって,本当にに有り難かったです。神戸だから,はじめて,ボランティアの基礎が固まって,人々を,今たくさん助けて下さっているのに,心から有難うといいながら,神戸に住んでいて,誇らしく,感謝しながら,生きて居ます…」と,手術後の不自由な手で支援シートに記入し,リハビリにいかれたため,お話し伺いはできず。(留守宅に投函する「留守シート」に,感謝とともにもっと暖かな言葉を添えればよかったと反省。)

・男性。「(夕食の準備で)火を使っているところなので」と,短時間で切り上げ。

・女性。若いので(震災のことは)解らない。

2011/11/22 ↑TOP


第540(新生98)回訪問活動

毎度「役立ちと学びのネットワークThis is 神戸・週末ボランティア」をご覧下さいまして,まことにありがとうございます。

10月22日の復興住宅訪問活動は,一時好転した天気が再び崩れたりするなか,6名の常連参加を中心に行いました。

前回同様,今回もまた,従来通りの巡回訪問に加えて,コレクティヴハウス棟へも「お話し伺い」に入りました。どれだけの方が「お話し伺い」に応じてくださるかの予想が難しかったため,通常の2倍に当たる40戸に「予告チラシ」を投函して臨みましたが,皆さんの協力のもと,予定時間内に全戸の訪問を終えることができました。

そうしたところから,かなり慌ただしい訪問活動になりましたが,そうしたなかにあっても,相手のためにという姿勢と相手を思う気持ちが,参加者一人一人になかに芽生え育ちつつあることは,喜ばしい限りです。「お話し伺い」に応じてくださる,一人一人の方のためにも,腰を落ち着けて傾聴し,しっかりと受け止め,共感を深めるという,活動の内実に関わる資質の維持・向上のための,環境整備に努めていきたいと思います。

弊サイトThis is 神戸・週末ボランティアをはじめ,MixiコミュニティMixiページFacebookページtwitter - welove_kobeを通じて,交流させていただいております皆様方とのご縁に深く感謝しますとともに,天候・気温の変化が大きい時期ですので,ご自愛下さい。


この日伺ったところの概略です。

・50代男性,一人暮らし。東灘区で全壊。文化住宅の2階にいて,ケガはなかった。同じ建物の住人を皆で助け出し,負傷者はいたが死者はいなかった。若い頃は,電器店,自転車店,菓子店など,さまざまな仕事に。きつい仕事も多く,無理がたたったのか,近年はさまざまな病気になり,養生に努めている。糖尿病のため白内障が進み,両眼とも手術したが,この復興住宅の人のあいだでも評判のいい病院にしたおかげで,よく見えるようになった。障碍者の外出補助のボランティアをこともあるが,体調を考慮してやめた。仕事で身につけた技術や道具類を活用して,自転車の修理や組立,エアコンなどの電器製品の修理を,ボランティアでしている。

・70代男性,一人暮らし。灘区で被災。被害は特になかったが,補償もないまま住んでいた家が解体された。そうしたところから「人間は土壇場で知らんぷりする」と,人間不信をおぼえた。九州から神戸に出てきて,長く製鉄会社で働き,今はその年金で生活しているが,数年前に減額され,楽ではなくなった。以後,政治家への不信を強めた。心臓の手術をしたばかりで,体力も弱っている上に脚も悪く「もうあまり生きられない」とのことであったが,穏やかな表情をしていた。

・60代男性,一人暮らし。東灘区で全壊。避難所や仮設住宅には入らず,勤務先の社宅で3ヶ月ほど過ごした後,民間マンションへ入居するなど,被災後の住居は独力で確保した。この復興住宅へ入居した際,当初は旧公団(UR)の棟であったが,家賃が上がる一方,退職して年金暮らしとなり収入が少なくなったことから,県営住宅であるこの棟に移った。2度目の手術を受けたが成功し今に至っている。

・80代女性,90代夫と2人暮らし。兵庫区で全壊。被災後しばらく壊れた家で過ごし,「お墓が近く,火の玉をよく見た」と,当時の恐怖を語った。この間転んで脚が悪く弱っているとのことで,歩行器を押して歩いている。インターホンで来意を伝え,玄関前に来ていただいてのお話し伺いに。

・「(本人は)入院している」と,留守番の方がインターホンを通じて返答。

・女性。「来客中で…」と,インターホンを通じて返答。(2軒)

・男性「被災していないので…」と,インターホンを通じて返答。

・訪問は断られたが「食事と運動で健康です」と,自身で支援シートに記入。

・「今とくに困っていることはない」と,インターホンを通じて返答。

2011/10/29 ↑TOP


第539(新生97)回訪問活動

毎度「役立ちと学びのネットワークThis is 神戸・週末ボランティア」をご覧下さいまして,まことにありがとうございます。

10月8日の復興住宅訪問活動は,秋晴れの3連休の初日,神戸ビエンナーレをはじめ,KOBE トアロード・クラフトアートフェア2011神戸ジャズストリートといった恒例行事が行われるなか,弊サイトThis is 神戸・週末ボランティアやtwitter - welove_kobeを通じて,神戸市内からきた2人の初参加者を交えて,7名で向かいました。こうした参加者が,訪問先の方にも,訪問活動への参加やtwitter - welove_kobeへのフォローを勧めてくれるなど,ともに手を携えて,その輪を広げていってくれたのは,喜ばしい限りです。

あわせて,MixiコミュニティMixiページFacebookページを通じて,交流させていただいております皆様方とのご縁に深く感謝いたします。

今回は,従来通りの巡回訪問に加えて,コレクティヴハウス棟へも「お話し伺い」に入りました。この棟へは8年前に伺って以来となりましたが,予想以上の手応えを得ることができました。

こうしたところから,次回訪問予定戸数を決めることが難しかったため,訪問活動の進捗情況をふまえてから,この日の訪問活動がおおかた終わる頃に,参加者で手分けして,次回訪問予定のお宅への「予告チラシ」の投函を行いました。2週間前に「予告チラシ」が投函されるようになってから,私たちの訪問にあわせて,話したいことをまとめたり,相談したいことなどを予め伝えてくださるなどといったケースが目立ってきました。そしてこうした作業を通じて,私たちが「宗教や政党など全く関係のない民間のボランティア団体」としての自覚を高め,それを住民の皆さんと共有することで,交流が生まれ,信頼関係が構築されていっていることに手応えを感じるところが,誠にありがたく思われます。

今回次回は,従来通りのそれに加えて,コレクティヴハウス棟への訪問活動を並行させることになり,訪問予定戸数も多くなり,準備やまとめも含めた活動全体もたいへんになるかと思いますが,そうしたなかでも,一戸一戸の訪問,一人一人の「お話し伺い」を,大切に,腰をすえて向き合って,着実に行うべく,改めて心がけたいと思います。


この日伺ったところの概略です。

・80代男性。灘区で全壊。小学生まで長田区で過ごして灘区へ。震災後が近くの電気会社に避難,この復興住宅には竣工後間もなく入居。40年前に奥さんを亡くし,叱るのではなく温もりをもって接するように心がけて,2人の息子さんを男手で育て上げた。私たちの訪問に先だって,皆お互いに優しかった,気遣いあった,若干の不正は許しあうべきなど,被災経験を通じて伝えたいことをまとめて書き留めて準備されていた。四国の高校生が10人ほど来てくれ,今も交流があることを,掲載された新聞記事や一緒に撮った写真を見せながら,うれしそうに語った。

・80代女性,一人暮らし。中央区で被災。終戦後間もない頃,兵庫県庁で復員・引揚者に関する事務の仕事に就いていたつてで入居して以来,住み続けてきた住宅は,震災で屋根が損壊し,床や絨毯が水浸しになり,肺を患うに至った。年金生活では築百年近い住宅を修理する費用を捻出できず断念。この復興住宅に入居して13年目。一人で暮らすには充分な広さだ。最近は脚が悪いとのことだったが,インターホンで来訪の旨を伝えたところ,階下に降りてきて,1時間ほどにわたって,震災時や近況にとどまらず,さまざまお話し伺いに応じてくださった。

・10代女性。加古川市で被災。被害はなかったが,幼いときのことなので,震災のことは覚えていないし,親からも教わっていない。両親の離婚後,この復興住宅へ入居して11年。母・祖母ら家族5人暮らし。近くに友人はいるが,あまり接触はない。人見知りする,人付き合いが苦手とのことだが,学校から足が遠のいていき,アルバイトの応募も躊躇していることなどを,話してくれた。自身や子どもの年齢に近いボランティア初参加者が,一緒にボランティアしませんかと進める場面も。

・20代女性。垂水区で被災。被害はなかったが,小さいときのことなので,震災のことは覚えていない。この復興住宅に入居して5年。2人の娘さんと出かけるところだったため,短時間のお話し伺いに。

・30代男性。明石市で被災。子どものときのことなので,震災のことはよく覚えていない。この復興住宅に入居して5年。3人の子育て中。

・女性。インターホン越しに「病気で寝ている」とのこと。

2011/10/13 ↑TOP


第538(新生96)回訪問活動

毎度「役立ちと学びのネットワークThis is 神戸・週末ボランティア」をご覧下さいまして,まことにありがとうございます。

暑さも和らぎ心地よい秋らしい好天に恵まれた,彼岸の中日を過ぎた9月24日の復興住宅訪問活動は,「神戸新聞」で神戸・週末ボランティアの活動を知って,初めて参加された方とともに,7名の参加者で,行いました。

前回同様,訪問活動に先立って,次回訪問予定のお宅の確認と「予告チラシ」作成・投函作業も,行いましたが,なれてきたメンバーが多くなったこともあって,手際よく進みました。

今回は秋の彼岸の3連休にあたりましたが,留守宅は少なく,長時間にわたってのお話し伺いとなるケースも多く,平均的なケースの3倍近い内容になりました。訪問活動及び終了ミーティングも遅くなり,参加された皆さんの体力的・時間的負担も予想以上になってしまったところについては,今後こうした情況になった場合,集約方法を工夫して,負担軽減に努めたいと思います。

弊サイトThis is 神戸・週末ボランティアをはじめ,MixiコミュニティMixiページFacebookページtwitter - welove_kobeを通じて,交流させていただいております皆様方とのご縁に深く感謝しますとともに,これからも宜しくお願いいたします。


この日伺ったところの概略です。

・70代女性,70代夫と2人暮らし。灘区で全壊。近くの原っぱに,家にあった食料をもってきて,テントを張って,5家族で生活した。娘婿が迎えに来てくれたので,自分一人でいったん西区に行ったが,夫が心配でテントに戻った。3ヶ月ほどしたところ,神戸市から立ち退きを要求されたので「どうしたらいいのか?」と詰め寄った。おかげで東灘区の仮設住宅に入り,2年過ごした。去年,腎臓を患うまでは,この復興住宅の自治会でお世話したり,東灘区にボランティアに行ったりしていた。

・60代男性,一人暮らし。尼崎市で全壊。罹災証明をもらうのが遅くなり,義捐金などは受け取れず,自力でアパートを探して入居。ついで西宮の市営住宅で10年過ごしたが,呼吸器系の内部障害のため,酸素が手放せなくなり,エレベーターがなく4階まで階段で上るのもたいへんになったため,この復興住宅へ。近隣とコミュニケーションが取りにくく,大気汚染や騒音で身体の調子がいっそう悪化しないか心配。2週間前「予告チラシ」を投函してから連絡を取ってこられ,訪問当日も私たちを出迎えてくださるなど,訪問を心待ちにしてくださった。

・70代女性,一人暮らし。中央区で一部損壊。高齢者向けの募集でこの復興住宅に入居したのは昨年。40代で離婚して以来,最近まで,百貨店の販売員などの仕事を続けてきた。震災直後,ライフラインが止まり余震の不安もあって,近くの公園で野宿のような避難生活をしていたところへ,北摂から娘夫婦が迎えに来て,一緒に公園のベンチで夜明かしした後,荷物を運んだり,片付けなどをしてくれたりした。包丁で左人差し指の先を切ったところ,神経を傷つけていて,左手にしびれが来るようになってしまった。

・70代女性,夫婦2人暮らし。中央区で全壊。当時働いていた夫が仕事に行けるような場所にある仮設住宅を申し込んでも当たらず,収入もあったため市営住宅にも当たらなかった。灘区のマンションで5年過ごした後,この復興住宅へ入居。ここへ来てから夫が脳出血で倒れたが,奥さんがいたおかげで大事に至らず,今ではリハビリのおかがで歩けるようになった。

・70代女性,80代夫と2人暮らし。長く尼崎で総菜店を営んできたが,再開発に絡んで借金を背負わされ苦労した。先にお父様が別棟に入居していたことから,自身も7年前にこの復興住宅へ。肺を患っているご主人の介護をしながら,1日2〜3時間,清掃の仕事をするほか,高齢者が多いこの復興住宅の棟の住民のための活動もしている。

・70代女性,一人暮らし。中央区で全壊。同区内の仮設住宅を経てこの復興住宅に入居して13年目。ここに来てしばらくして母を看取ったが,100歳を超えるまで世話ができてよかった。読書が趣味で,同好の友人も多いと,楽しそうに話された。

・20代男性。東灘区で半壊。被災当時は小学生だったが,震災のことは鮮明に覚えている。近くの中学や高校で避難生活を送った。この復興住宅には,一般募集で入居して3年,2人の子育て中。

・80代男性,夫婦2人暮らし。灘区で全壊。奥さんは元気だが忘れっぽくなって困っていると笑いながら,お話し伺いに応じてくださった。

2011/10/01 ↑TOP


第537(新生95)回訪問活動

毎度「役立ちと学びのネットワークThis is 神戸・週末ボランティア」をご覧下さいまして,まことにありがとうございます。

9月10日の復興住宅訪問活動は,は,3名の常連参加者で,予定された20個を廻ってのお話し伺いとなりました。あわせて,前回始めたように,次回訪問予定のお宅の確認と「予告チラシ」投函作業も行いました。

そうすることで,私たちが,「予告チラシ」でうたっている通りの存在であることを,住民の方々に認識してもらうとともに,私たちボランティアもまた,ヨリいっそうそれにふさわしい存在たるべく,自覚を深めるという効果も,浸透しているといっていいでしょう。これまた役立ちと学びへの前進となるものです。

神戸・週末ボランティアの訪問活動では,複数名で1グループとして訪問先を廻りますが,今回は1グループ編成で,すべての参加者がすべての訪問先を廻りました。体力的にはかなりたいへんだったと思いますが,それ以上に充実した,意義あるものであったことは間違いないでしょう。

訪問活動〜お話し伺い〜傾聴ボランティア,いずれにしても,相手のためを思って,相手に寄り添うことが,大前提です。自分の都合のいい言辞を取るべく,相手を利用するようなことがあってはなりません。

また,自分にとって都合の悪い,聞きたくないことが話される場合もあります。その場合も,極力忍耐をもって臨み,聞き流すことはもちろん,相手の言葉を遮ったり,話の腰をおったり,別の話題にそらしたりするなど,避けたいものです。こうした「受苦」とその共有が,信頼関係と絆を生み出すのです。

一方,話したくない場合にも思いを致す必要があります。その原因が私たちにあるのであれば,それを改めることで,対応できます。東日本大震災から既に半年が過ぎましたが,そうした中でも,それを機にしての心身の不調を覚える人は,依然後を絶ちません。そうした中では,傾聴・対話に臨む姿勢に,いっそうの注意を払い,そうした現状に,思いを致さなければなりません。

相手が話すことで元気になり,聞き手もまた楽しくなれば,それに超したことはありません。しかしそうした情況をつくり出すことが目的化するならば,そうしたお話し伺いは,傾聴とは名ばかりの上滑りな浅薄なものか,もしくはそれとはほど遠い,自己満足のために相手を利用して創り出した虚構・虚像,端的には,ニセモノといわねばなりません。

そうしたことを,反省・教訓として,これからに活かしたいものです。

弊サイトThis is 神戸・週末ボランティアをはじめ,MixiコミュニティMixiページFacebookページtwitter - welove_kobeを通じて,交流させていただいております皆さんにも,ご意見・ご感想をお寄せいただければ幸甚です。


この日うかがったところの概略です。

・80代男性,夫婦2人暮らし。中央区で全壊。大阪の妹宅に一時身を寄せたが,同区内の民間アパートで8年過ごした後,この復興住宅へ。普段の買い物は奥さんが。警察に40年勤め,主に交通違反者の処分に関する仕事をしていた。7年前,顔の筋肉が化膿し,手首の筋肉を移植した。そのため,話すのもたいへんな中,お話し伺いに応じてくださった。

・80代・50代女性,宝塚市で被災。タンスが倒れてきて頭に当たり,14針縫うケガを負い,怖い思いをした。当時居住していた県営住宅は倒壊せず,ガス・水道・電気もすぐに復旧し,仮設住宅にも入らなかったのは,不幸中の幸いだった。職場にも復職でき,生活には困らず今に至っている。(自身で支援シートに記入)

・40代女性。震災時は北区。高校生の子どもが2人おり,上の子はこの日も自宅で受験勉強中。同じ復興住宅に父親がいるため,何度も申し込んで,3年前に入居。

・女性。2週間前,予告チラシを投函した際にお目にかかったところ,フラッシュバックであろうか,東日本大震災以来,血圧が上下してしんどいとのことだった。今回,体調を尋ねたら,「前よりは少し元気になった。薬たくさん飲んだから。出かけなあかんし…。」と,出がけにお話し伺い。

・女性。東灘区で全壊。震災時は仕事の関係で奈良にいたが,かなり揺れた。テレビを観て神戸がたいへんなことになっていることを知り,在宅していた息子を心配した。ポートアイランドの仮設住宅を経てこの復興住宅に入居して13年目。膝が悪く歩くのがたいへんと,インターホン越しにお話し伺い。

・80代女性,一人暮らし。灘区で全壊。文化住宅の2階にいたので自分は大丈夫だったが,階下の住人は亡くなった。身内のもとや近くの高校の避難所に身を寄せた後,ポートアイランドの仮設住宅に4年過ごし,この復興住宅に入居して13年目。夫は,阪神淡路大震災の前年に亡くなったが,震災を知らず幸せだった。震災の時まで,Yシャツの縫製の仕事をしていて,7人ぐらいの女性を雇用して,百貨店などに納めていた。息子が月に1回は訪ねてきてくれる。今はあまりであるかないが,友人がたくさん集まってきてくれるので淋しくない。

・70代女性,60代夫と2人暮らし。灘区で一部損壊。実家で母を看ながら5年過ごしたが,壊れたキッチンで家事をするのがたいへんだった。今のご主人と再婚し,県営住宅に入居したが,家賃がたいへんだったので,何度も申し込んで,4年前にこの復興住宅へ。趣味も多彩で,フラワーアレンジメントは,腕を活かして教えたりボランティアしたりしている。刺繍の作品は玄関周りにも飾っている。この他にも,子育て支援の有償ボランティアもしており,児童館に連れて行っている。ご主人は最近安定した仕事に就き,定年まであと2年勤められるとのことだが,訪問時は,お酒を飲んで休日を過ごしているところだった。

2011/09/20 ↑TOP


第536(新生94)回訪問活動

毎度「役立ちと学びのネットワークThis is 神戸・週末ボランティア」をご覧下さいまして,まことにありがとうございます。

8月27日の復興住宅訪問活動は,ゲリラ豪雨の晴れ間をぬって,常連参加者を中心に行いました。

毎回の訪問活動〜傾聴ボランティアは,訪問予定のお宅に「予告チラシ」を,予め投函した上で行っています。そこには,訪問活動を毎月第2・4土曜日の午後2時半〜5時の間に順次行っていることや,訪問者が「宗教や政党など全く関係のない民間のボランティア団体」であることを記しています。本来であれば訪問前のレクチャーや参加者募集の段階から,参加者の間に,そうしたことを周知徹底すべきところですが,今回は,こうしたことを私たちボランティア参加者と,訪問予定の被災者−住民の方々との間での約束ととらえ,そこに記されているように行動し,それにふさわしい存在となることを,実践ををもってする上で,大きな意義がありました。

それは,従来,特定の在神メンバーに委ねていた,予告チラシの投函と,その前提となる入居状況の確認を,訪問活動に入る前に,参加者全員で行ったことでした。1〜2人で行っていたことをわざわざ10人ですることに,作業効率の点で,効率化が図れるわけではありませんが,またこれを通じて,訪問活動に臨む姿勢が共有されることに意義があるというべきでしょう。もっとも,この後訪問活動に臨む際,落ち着きない雰囲気になった面もあったことを,反省するべきでしょう。

こうした作業をしている中で,住民の方との新たな対話が実現し,交流も生まれます。私たちの活動を理解してくださり,茶菓の差し入れも戴きました。まさにありがたいことです。そこで一同で記念写真を撮影しました。後日訪問活動の際に差し上げようと思います。

今回の訪問活動では,留守宅や,「忙しいので…」と,安否確認程度の対話に終始したケースが多く,まとまったお話し伺いとなったところは1軒にとどまりました。天候や,夏休み中の子どもが遊びに来ているなどといった事情も,前回同様,考えられるところです。

お話し伺いに応じていただけない最大の理由が,東日本大震災によるものであることを,銘記しなければなりません。訪問先でも,予告チラシを配布している中でお会いした方からも,そうした声や反応をうかがうこととなりました。

阪神淡路大震災その他,自身が体験した災禍を思い出して,フラッシュバックを起こしたり,そこまでいかなくてもなにがしらの体調不良に及ぶ方は,東日本大震災から半年近く経った中でも,依然として後を絶ちません。それだけにいっそう慎重な態度で臨まねばならないでしょう。

己の都合のいい言質とるべく無理に聞き出そうとしたり,落ち着きのない態度で接したりすれば,そうした症状に棹さすことになってしまいます。これは「心のケア」とは全く逆の,相手の心をかきむしり傷つけるもので,傾聴の基本と言うべき,寄り添う姿勢とも相反します。

今こそ改めて,訪問に臨むに当たっての,前提となる,基本的な姿勢を徹底していきたいものです。

訪問活動の後は,大安亭商店街を通り抜け,お世話になっている倉谷さんを入院先に見舞いました。力強い回復ぶりに,私たちの方が元気をもらったような感じでした。ここでも記念写真を撮影しました。

再び豪雨となった中,勤労会館に戻り,終了ミーティングとしました。限られた結果からいかに多くを学ぶかが,問われたといえるものでした。

このような活動の報告を,弊サイト・This is 神戸・週末ボランティアやMixiコミュニティを通じて,させていただいておりますが,それらをご覧くださり,twitter - welove_kobeFacebookページ,を通じて,交流の輪を広げ,ご縁を深めさせていただいておりますことに,深く感謝いたします。

最近では,各地で傾聴ボランティアや,各種の支援活動をなさっている皆さまのお目にとまっておりますことを,励みとしております。

このたび,Mixiページ・This is 神戸・週末ボランティアを始めました。Facebookページ同様,御高覧賜りますよう,よろしくお願いいたします。


この日うかがったところの概略です。

・70代女性,東灘区で全焼。震災時は,朝5時からの仕事で,六甲アイランドにある勤め先の豆腐屋にいた。行政が認めた避難所でなかったため,避難先を次々と移動させられた。同じアパートにいた身体障害者の住人と一緒に移動したことも。やっとのことで垂水区の仮設住宅へ。被災時に気づかないうちに強打していた後遺症であろうか,背骨を痛め(脊椎狭窄症),通院を続けており,今日も病院に行ってきた。週1回ヘルパーに来てもらっている。

・女性。「(東日本大震災以来,阪神淡路大震災のことを)思い出すのが辛く,話したくない」と,インターホン越しに。今とくに困っていることはないとのことだが,健康状態を尋ねるとやや声の調子が下がった。

・「忙しいので…」とインターホンを通じて応答するも,安否確認程度のお話ししか伺えず。(3軒)

・支援シートに「お断りします」と大書して貼り付けた玄関ドアは,風通しのため少し開いていた。

2011/09/03 ↑TOP


第535(新生93)回訪問活動

毎度「役立ちと学びのネットワークThis is 神戸・週末ボランティア」をご覧下さいまして,まことにありがとうございます。

弊サイトやMixiコミュニティFacebookページtwitter - welove_kobeを通じて,ご縁をいただいております皆様方に,残暑お見舞いを申し上げます。

お盆休み真っ最中のこの日,神戸では猛暑日となりました。そうした中,平素から参加しいるメンバーが中心になって,訪問活動を行いました。この時期特有の事情もふまえながら,一定の成果を上げることができたと言えるでしょう。

訪問活動を比較的早めに終えたため,この日の参加者4人全員で,この数年来お世話になっている倉谷さんを病院に見舞いました。前回お見舞いにうかがったとき以上に回復されていました。

毎回の復興住宅訪問活動の前には,訪問予定のお宅に「予告チラシ」を投函するなど,復興住宅の住民の方々に,安心して「お話し伺い」に応じていただけるよう,準備をしています。また,今後訪問を予定するところの居住情況などを確認するなどの作業をしています。これらを従来,一部のメンバーが,訪問活動とは別の時間帯に行ってきましたが,これからは,訪問活動の時間帯に,その日の参加者で手分けして行うようにしたいと思います。これを,訪問活動後の終了ミーティングで東條代表と確認しました。

それを通じて,訪問活動に臨む心構えを創り出し,訪問先の住民の方々との事前の約束とも言うべき「予告チラシ」にあるように,自覚し,行動したいと思います。

それは「宗教や政党など全く関係のない民間のボランティア団体」と書かれているとおりですが,参加者同士はもちろん,また住民の方々との間での,信頼関係構築のために,不断に求められることです。

今,参加者の中で芽生え育っている「相手のために」という,心を大切にしていきましょう。


この日うかがったところの概略です。

・70代男性。一人暮らし。中央区で全壊。被災当時は母と妻との3人暮らしだったが,この復興住宅に入居する前に相次いで病気で亡くした。ポートアイランドの仮設住宅を経て,ここに入居して12年目。震災からしばらくした頃,糖尿病のため仕事を続けられなくなり,現在は生活保護で暮らす。3年前,脳梗塞で倒れたが,素早く自分で医者に連絡した甲斐があって,軽くて済んだ。足や手もリハビリの成果と努力で回復し,来てもらっていたヘルパーも不要になるほどに,自立生活している。通院や買い物のため外出して運動し,食事療法に気を遣うなど,健康維持に努めている。

・40代男性。東灘区で全壊。両親と3人で住んでいた,3階建てのマンションの1階がつぶれて2階建てのようになり,5人亡くなった。近くの公園内に建設中の施設を避難所代わりにして過ごした後,同区内の仮設住宅を経て,この復興住宅に入居して12年目。バリアフリー化された部屋だが,軽度の障碍者が自立生活するには便利だが,介助する立場から不便を感じるところが多い。お盆にあわせて介助施設から帰宅する母を迎えるため在宅していた。長距離トラックの運転手を20年していて,うちにいることは非常に少ない。阪神淡路大震災の時は,舞鶴で激しい揺れに遭い,やがて神戸が震源らしいことを知り,火の手が上がっているのを見るや「帰る家がなくなった」と思った。支援物資の輸送も手がけ,中越地震の被災地にも行ったことがある。8日に東日本大震災の被災地,宮城県女川町に行ったら,津波で流されていて「何(なん)もあらへん」,「神戸よりひどい」。3月11日の東日本大震災の時はポートアイランドにいたが,人工島で地盤がゆるいせいか,かなり揺れた感じがした。

・70代女性,一人暮らし。中央区で全壊。震災前に夫を亡くし,子どもも1人は独立していたので,震災時は母子2人暮らしだった。近くの公園で炊き出しを手伝うなどしたが,早くに公営住宅に入居できたので,仮設住宅には入らず。震災の時は布団の中でふるえていたが,上から落ちてきた物に足を挟まれ,動けずにいたところ,息子さんが引き出してくれた。何日かして挟まれていたところが変色してきて,現在も痛みが。調理師の仕事を今も続けながら,この復興住宅に入居して10年,3食しっかり食べるのが元気のもとと,一人暮らしを続けている。

・男性。今年家族を亡くし初盆を迎えた。悲しみで話しをするよう気にならない。

2011/08/17 ↑TOP


第534(新生92)回訪問活動

毎度「役立ちと学びのネットワークThis is 神戸・週末ボランティア」をご覧下さいまして,まことにありがとうございます。

弊サイトやMixiコミュニティFacebookページtwitter - welove_kobeを通じて,ご縁をいただいております皆様方に,暑中お見舞いを申し上げます。

7月23日の復興住宅訪問活動は,例年より早い梅雨明けの後続いた猛暑もやや小康を得た観があるなかで,ちょうど大阪では天神祭ギャルみこしが天神橋筋商店街を練り歩いているのと同じ時間帯に,行いました。

訪問成果としては,前回の訪問活動の際に情況把握をしていましたが,予想されたように,留守宅が多く,また在宅されていてもあまり話したがらない雰囲気のところも少なくありませんでした。

そもそも訪問活動〜「お話し伺い」に廻る時間帯は,訪問予定宅にあらかじめ投函する「予告チラシ」で「午後2時半〜5時」と記してあることから,それより早い時間帯から訪問を始めたことも一因といえるものでした。これまでも遅い時間帯の方が訪問に応じて下さる率が高いことは解っていましたが。

これについては,訪問先現地及び終了もミーティングの場で,これからは現地に早着しても,開始時間の2時半を待って始めることを確認しました。これは,「予告チラシ」の内容が,ボランティアと住民との間であらかじめ交わす約束であること,そこに記されているように行動することの大切さを改めて確認するものでした。

そして何より,そうした議論の中で,「相手のことを思って」との言葉が,メンバーから出たとき,着実に役立ちと学びの場が[再]構築されていることを,ありがたく頼もしく思われました。


この日うかがったところの概略です。

・70代男性,一人暮らし。中央区で被災。この復興住宅へ入居して10年。足をはじめ身体は悪い。近くのスーパーへ行って,食事は自分で作っている。(理由・事情は解らないが)後2年半でこの部屋を出なければならないと市から言われているとのこと。

・男性。インターホン越しに「自分は大丈夫です」との返答。障碍者で,家族の留守中に誰が来てもドアを開けないように言われているとのこと。

・女性。インターホン越しに「体調崩して休んでいる」とのこと。

・女性。インターホン越しに,多忙とのこと。(2軒)

・投函した予告チラシの「ご都合が悪いときは,どうぞお断り…」に赤線を引いて,不在の旨お知らせいただいた。


なお,7月9日に行われた2011年週末ボランティア総会については,ウェブサイトの新世紀の「週末ボランティア」行事・イベント篇・3にて,レポートを掲載しています。

2011/07/28 ↑TOP


第533(新生91)回訪問活動

毎度「役立ちと学びのネットワークThis is 神戸・週末ボランティア」をご覧下さいまして,まことにありがとうございます。

弊サイトやMixiコミュニティFacebookページtwitter - welove_kobeを通じて,交流させていただいております皆様方に暑中お見舞い申し上げますとともに,ご縁に深く感謝いたします。

7月9日の復興住宅訪問活動は,例年より早い梅雨明けをむかえた,晴天と猛暑の中で行ないました。

三宮駅近くの神戸市勤労会館での訪問前のレクチャーでは,今春以来仲間に加わったメンバーが,急な転勤で神戸を離れることになったとのことで,お別れのあいさつと記念写真撮影となりました。

今回の訪問予定のお宅は,留守にされている方の他,空き部屋と思しきところも散見されるといった情況で,お話し伺いができたところは限られました。このほか,次回以降の訪問予定のお宅の確認に慎重を期すなどの対処を行いました。

訪問活動終了後に2011年週末ボランティア総会を予定していたことから,今回は訪問活動自体を早めに切り上げる予定にしていましたが,終了ミーティングを省略したため,訪問状況の確認に若干時間を要することとなりました。

総会についてはウェブサイト新世紀の「週末ボランティア」行事・イベント篇・3にて,別途詳細をレポートしたいと思います。

この日うかがったところの概略です。

・80代女性,中央区で被災。自宅は大した被害はなく,そのまま住める状態だったが,近くの小学校に避難。7回申し込んでこの復興住宅へ。入居8年目。いつも友人や姪がきてくれる。足がやや不自由とのことで,インターホンを鳴らしてからしばらく時間が経ってから玄関に出てこられ,元気な様子でお話し伺いに応じてくださった。週1回ヘルパーにきてもらっているが他に身体の具合が悪いところはない。節電のため,エアコンを使わないようにしていたら,気分が悪くなったことも。

・40代男性。結婚前の妻が灘区で被災していたが,自分は阪神淡路大震災のことは解らない。訪問時は夜勤明けで寝ていたところを,インターホンで起こされたとのことで,たいへん眠そうな様子だったので,手短にお話しを伺った。

2011/07/19 ↑TOP


2011年週末ボランティア総会提案(草案・私案)

2011年週末ボランティア総会提案(草案・私案) 2010年7月8日

総括

 神戸・週末ボランティアの復興住宅訪問活動は、積年の弊を根本的に取り除き、解体的再生を図り、再出発した2007年から2008年にかけて、活動の資質向上と、住民・市民との信頼関係[再]構築において、一時は現状維持的レヴェルや若干の後退もあったが、劇的な成果を収めた地平にふまえたものとなっている。
 また、新聞や新たなメディアの活用により、情報発信や問題提起の質が高まり、被災者に限らず広範な市民の中で、以前とは違ったクオリティでの関心と理解を得ることができ、その中から問題点を発見し、それを活動にフィードバックさせる課題も克服しつつある。

方針

「お話し伺い」の原点に立ち帰り、「傾聴」の基本〜「寄り添う」〜を大切に

以下、2007年以来毎年確認しているものを再掲;

活動の目的・趣旨の確認−役立ち学ぶ、尊厳を見いだす<確認>
・週末ボランティアの活動は、お話伺いを起点として、コミュニティーの創造・構築や住民の主体性発揮のサポート、行政監視、政策提言などに及ぶものである。
・週末ボランティアの活動の目的は、被災地の復興と被災者の生活再建に貢献・寄与することであり、そのために情況に自らを投入することによって、被災者の中に尊厳を見いだす姿勢が求められる。
・週末ボランティアの活動に当たってもっとも必要とされる基本的姿勢は、言語コミュニケーションを通じて学びの機会とすることである。
・週末ボランティアとしての活動の目的・趣旨を確認し、その達成と増進に寄与するにふさわしい姿勢で参加することを求める。あわせて、参加者が活動を通じて得られる学びと充実を増進できる環境を整備する。
・具体的には、訪問予定の住民宅に投函される「予告チラシ」に記されているような言動と姿勢(不偏不党の原則、独立した主体的立場)を堅持することが、個々の参加者とグループとしての週末ボランティアのいずれにも必要不可欠であることを確認する。

 そもそも神戸・週末ボランティアの仮設住宅・復興住宅訪問活動においては、「お話し伺い」と呼んできたが、近年では、参加者の「聞く姿勢」の徹底を求めるべく「[積極]傾聴」というようになった。また、今日では、多くの質の高い傾聴ボランティアが活動していたり、「傾聴」の手法を活用する職業人も増えている。そうしたところから、一般的な、方法としての「傾聴」及び傾聴ボランティアのあり方、あるべき姿などからすれば、いまだ異なるところ、不足するところが少なくなく、これらを改め補う必要がある。
 そのためには、かかるスキルや見識をを持った方から学ぶのが早道であろうが、それ以前に、その前提・基礎となるべきものを、参加者各自が徹底するとともに、グループとして共有しなければならない。すなわち、寄り添う姿勢を徹底し、尊重することが求められる。

 永きにわたって、阪神淡路大震災被災地の復興と被災者の生活再建に貢献・寄与してきたものとして、今後も活動を続けようとするなら、この地にあって最後の一人まで残さないことを目指すべきだ。
 しかしながら、活動の継続が自己目的になってはならない。その時々の実情から、ニーズにあった活動やあり方が求められることと、それにふさわしいものたらしめることを、ニーズとのマッチングを図ることを、常に銘記しよう。  

お世話役
 学び役立つグループとしてふさわしく、参加者の資質向上と便宜に期するためためにおくものであって、「指導部」や「体制」ではない。参加者は「お話し伺い」を通じて現実の情況から学び、それを共有・深化させるのが、グループのあり方である。またこれまでのあり方から教訓を得、検証する姿勢が必要である。訪問先住民・被災者の前では、一人一人がグループの「顔」であり、みんなが「代表代行兼監査役」だ。
・代表・会計を常置(再任)。
 「副代表」その他の役職等は不要、設置しない。
・必要なときは代表が代行を指名(委任)できるものとする。

新規の活動について
 通常の訪問活動に志を持って新たに参加される方もいれば、かつて神戸・週末ボランティアで仮設住宅・復興住宅への訪問活動を行った地域近隣の方から、近くの被災者にできることはないか、被災者との交流の機会ができないか、他の復興住宅への訪問活動はしないのか、といった問い合わせも頂戴している。それへの対応については、有志の個人もしくは、これまでのグループとしての活動とは別個に行うものとする。
 また、阪神淡路大震災被災地・被災者以外に関する活動についても、有志の個人もしくは、これまでのグループとしての活動とは別個に行うものとする。
 これは、神戸・週末ボランティアの、活動の資質維持・向上、信頼関係の構築、各自の自由意志の尊重および、各々のボランティア保険への対応のためである。

※東日本大震災に関しては、個々人がそれぞれに取り組むか、既に活動実績や信用のある団体等のもとで参画することが、各人の実情に応じて参画し、能力を最大限に発揮するとともに、被災地・被災者へのヨリいっそうの貢献が期待できるため、もっとも望ましい。

ボランティア保険
 この数年来、年度をまたいで継続して参加する参加者に「ボランティア保険」(Bプラン、天災特約なし、1人あたり年間500円)を会計支出してきたが、近年、保障内容や一般的意味でのボランティア活動の実情が変化しており、それへの対応が求められる。すなわち、保障対象の明確化と、加入プランの再検討である。
 活動を保障対象とするためには、「団体等の会則に則り、企画立案された活動」、「社会福祉協議会の委嘱を受けた、または社会福祉協議会に届け出た活動」のいずれかに該当することが求められている。そのため、従来の通常の訪問活動以外の活動を新規に行う場合は、その都度、しかるべき手続を踏んで行うか、別個の活動・団体として社福協に届け出る必要がある。今後はしかるべき対応をもってすることとする。
 「ボランティア保険」は日本国内どこで加入しても、保障対象の条件を満たす活動であればカヴァーされるが、とりわけ東日本大震災被災地などでの活動を行う団体等では、参加者に「ボランティア保険」加入を推奨したり義務づけたりするところも多いが、そうしたところでは「熱中症、地震・噴火・津波によるケガも補償」する「天災プラン」(通常各プランの2倍の保険料)への加入を求めるところがほとんどだ。そのため、改めて「天災プラン」への再加入が必要になり、通常プラン加入がムダになるケースも生じている。
 そのため次年度以降、継続参加者への「ボランティア保険」会計支出について、プラン変更、継続の是非について、諮りたい。

※現状では、これから東日本大震災被災地での活動を考えている参加者に、あらかじめ「天災プラン」への加入を推奨する、また従来、通常の訪問活動は、荒天時に中止としてきたため、これに限れば本来「天災プラン」は必要ないことになるが、「熱中症」が「天災プラン」の保障対象になっていることから、活動場所のいかんにかかわらず、あらかじめ「天災プラン」への加入を推奨してもいいだろう。

記録・広報
 地元での信頼関係の構築と交流・連携の促進を重視すべく、参加者募集とグループの活動に関する広報としては、その媒体の選択による信用度の向上を図るべく、このかん実績が上がっていることにふまえるものとする。広報・宣伝と記録の区別を明確にし、その資質向上を図るべく、「インターネット班」を、根本的に見直す。

その他

2011/07/08 ↑TOP


第532(新生90)回訪問活動

毎度「役立ちと学びのネットワークThis is 神戸・週末ボランティア」をご覧下さいまして,まことにありがとうございます。

4年前の2007年夏,ボランティアにふさわしい姿を取り戻すべく,再生への歩みをはじめて以来90回目を迎えた,6月25日の復興住宅訪問活動は,久しぶりに好天に恵まれたなか,初参加の3名の女性を含めた12名の参加者で行いました。

かかる旨を東條健司代表からの連絡を元にレポートしていますが,私は今回の訪問活動はお休みさせていただいています。毎年この時期抜けられない仕事があるためで,資金面でもやむを得ないことと言わねばなりません。自分自身の労働の成果によるものであっても,誰かからの寄付などによるものであっても,喜捨された浄財をもってするに値する,意義のある活動たらしめる必要性を,改めて痛感しています。

東日本大震災の被災地・被災者への支援活動が広範に行われる中,神戸・週末ボランティアの名前を使おうとするものもいるようですが,ここではそれに与するものではありません。その一方で,阪神淡路大震災の被災者に寄り添い,被災地に根を下ろしてとどまることに,共感と理解を戴いていることに,深く感謝いたします。

これはまさに,弊サイトやMixiコミュニティFacebookページtwitter - welove_kobeを通じて,交流させていただいております皆様方とのご縁の賜物であります。

これまで仮設住宅復興住宅への訪問活動を行ってきた地域にお住まいの方から,近くにいる阪神淡路大震災の被災者のために何かできることはないか,といったお問い合わせをいただくことが多くなりました。支援ニーズと照らし合わせてマッチングを図り,こうした新たな善意を活かすあり方を模索していきたいと考えています。

その節は是非よろしくお願いいたします。

2011/07/01 ↑TOP


第531(新生89)回訪問活動

毎度「役立ちと学びのネットワークThis is 神戸・週末ボランティア」をご覧下さいまして,まことにありがとうございます。

6月11日の復興住宅訪問活動では,東日本大震災からちょうど3ヶ月目の日に,大地震や津波が襲ったのと同じ時間帯にも,これまでと同じように,阪神淡路大震災の被災者に寄り添い,「お話し伺い」−傾聴ボランティア活動を行いました。

今回は11人の参加者で,3グループに分かれて訪問活動を行いましたが,経験豊かな初参加者を迎え,活動の資質維持・向上や参加者自身・相互のケアのあり方などについても,貴重なご教示を戴きました。これを一同で共有し,これからの活動に,活かしていきたいと思います。

東日本大震災の被災地・被災者への支援活動が広範に行われる中,阪神淡路大震災の被災者に寄り添い,被災地に根を下ろしてとどまることに,疑問を覚える向きがあることを,否定するものではありません。しかしながら,ほんとうにこれまでの被災者に寄り添い,被災地に深く根ざした活動を,基本に忠実に,地道に行うことが,何よりの力を生み出すことを,そしてその意義の大きさを,参加者一同で学び深めていく機会とできたことに,ありがたく感謝する次第です。

こうした姿勢に,新たに参加される方,新たな活動を思い立つ方などなど,弊サイトやMixiコミュニティFacebookページtwitter - welove_kobeを通じて,交流させていただいております皆様方とのご縁を通じて,共感し,その輪が広がりつつあることを,ひしひしと感じております。

この日のミーティングにおいて,今年度の週末ボランティア総会を7月9日の訪問活動後に行うことが東條健司代表から提案されました。これへの対応も追って準備することとします。


この日うかがったところの概略です。

・60代男性,一人暮らし。中央区で全壊。被災当初は屋内にいるのが恐ろしく,車の中や公園で3ヶ月過ごした。ポートアイランドの仮設住宅にいた頃に離婚,この復興住宅へ入居して13年目。仮設住宅ではいやなことが多かった。今もいやなことはあるが相手にしない。昔はリサイクルや解体などの仕事をしていた。いくつも病気をし,今も椎間板ヘルニアで腰が痛い。酒やタバコは止めている。料理も上手になって,近所の90代女性につくってあげたことも。今一番楽しいことは喫茶店に行くこと。オーナーが大切にしてくれるので1日1回は大安亭まで通っている。神戸ルミナリエは一部地域だけで盛り上がっているが,全体で盛り上がれるようなことをすべき。神戸と同じく,今の東北の被災地でも人間が復興していない。

・80代女性,一人暮らし。北区で一部損壊。前夜から泊まり込んでいた建設会社の倉庫で被災,資材が散乱したが,脚立を使って2階から出入りした。同区内の自宅では水道管が破裂して水浸しになったため,被災時にいた倉庫でしばらく生活した。こちらもガス・水道は止まったが,敷地内の井戸が飲み水にできたので,それほど不自由はしなかった。自宅は市営住宅なので,市に修理を依頼したが,何もしてくれず,自分で業者に頼んで修理した。その住宅が建て替えになるので,2年半余り前にこの復興住宅へ。当初3年で戻れると聞いていたが,建て替えは進んでおらず,いつ戻れるか解らない。本来据え置かれるはずの家賃も上がっている。永年いろいろな方のお世話をしてきた。私たちの訪問活動でもお世話になっている住民の方が,自室で倒れかけたところをこれまで何度か助けてきたが,救急車で運ばれたのを見て以来,ずっと心配していた。

・70代男性,一人暮らし。兵庫区で全壊。ポートアイランドの仮設住宅で4年過ごし,兵庫区内の県営住宅に1年住んだ後,この復興住宅へ。5年前に奥さんを亡くす。建築関係の仕事を退職した後,定時制高校に入学,3年修了。クラスメートが今も話し相手に。カラオケ,麻雀,グランドボール,将棋などが趣味で,身体はとくに悪いところはなく,困ったことはない。

・60代女性,中央区で全壊。この復興住宅へ入居して13年目。帰宅されたばかりのところだったが,「今はまだ健康です。この先体が悪くなった時が心配です。なやんでもしかたがないので今はがんばって生きて行きます。ありがとうございます。」と自ら記入された支援シートをもとにお話し伺い。

2011/06/20 ↑TOP


第530(新生88)回訪問活動

毎度「役立ちと学びのネットワークThis is 神戸・週末ボランティア」をご覧下さいまして,まことにありがとうございます。

弊サイトやMixiコミュニティFacebookページtwitter - welove_kobeを通じて,交流させていただいております皆様方とのご縁に深く感謝いたします。

東日本大震災から2ヶ月半あまりが過ぎる中,改めて,被災された方々にお見舞いを申し上げるとともに,犠牲になられた方の冥福をお祈りいたします。

実際のところでは,引き続き,阪神淡路大震災の被災地にあって,被災者に寄り添うという,活動の原点であり基本に,今こそ忠実に取り組み,そうした中から生まれる,役立ちと学びの輪を,より多くの方々と共有し,深めていければ幸甚と考えています。

去る5月28日の復興住宅訪問活動は,平年より早く梅雨入りした上に,台風2号が接近する中で行いました。従来,神戸市に警報が出されるなどの荒天時などは,参加者の安全と訪問先の住民の方の都合などを配慮し,訪問活動を中止してきましたが,今回は,訪問活動当日にはまだ近畿地方に到達せず暴風域にも入らないだろうということで,前夜まで熟慮した結果,決行としました。

訪問活動の案内(ボランティア募集)は,1週間前ぐらいに出していますが,荒天などによる中止はこれからもあり得ますので,前日夕方以降にご確認いただくか,お問い合わせいただければ確実かと思います。

今回もまた新たな参加者1名を加えた10名で,3グループで手分けして,あらかじめチラシを投函して予告しておいた20軒の被災者宅を訪問し,「お話し伺い」−傾聴ボランティア活動を行いました。訪問活動は午後2時半〜5時頃としていますが,ちょうどその時間帯,雨が小康を得たこともあって,快く,あるいは心待ちにして,私たちの訪問を受け入れていただきました。

そうしたことに感謝の気持ちを常に持って忘れないようにしたいものです。

これを前提として,傾聴ボランティアの基本である,お話しを伺う相手に寄り添う姿勢を堅持することの大切さを確認したいと思います。これなくして信頼関係の構築はあり得ません。その上で,どのようなことで役立ち,何を学ぶかは,各々の参加者次第です。

こうした前提や基本を,新たに参加した仲間が早くも身につける姿を頼もしく思うとともに,これを再確認し,襟を正して初心を改めて思い起こすことの重要性を感じました。

前回活動報告のなかで,Twitter上に「神戸・週末ボランティアの公式アカウント」なるものを詐称する者がいる件について、代表に確認したところ「あり得ない」とのことをお知らせしましたが,web上において,

週末ボランティアは、阪神・淡路の被災者がこの度の東日本の地震を自らの体験と合わせてどのような思いを持っているかを直接聴く中で、その心を共有して行きたいと思います。

などと称している者があることを遺憾に思います。こうした姿勢が,お話しを伺う相手に寄り添うという「傾聴」の基本をないがしろにしかねないばかりか,相容れないものですらあることを,賢明な読者の皆さんであれば先刻ご承知のことでしょうし,実際に参加される中で多くの方が気づいている姿を見て,頼もしく,ありがたく思います。

活動の内容とあわせて,その趣旨についても,ヨリいっそうのご理解を賜りたく,お願いいたします。


この日うかがった概略です。

・60代男性,一人暮らし,兵庫区で被災。居宅は傾いたが,2階が,自分がいた1階の上に落ちてこなかったため,怪我もせず助かった。震災の数年前から,脳梗塞で半身不随になった,寝たきりの同居人女性の介護をしていたが,避難した近くの公園でも,近所の人が助けてくれ,世間にはこんないい人がいると思った。この復興住宅に入居してからも介護を続け,一時はストレスから1升の酒を飲んで紛らわしたことも。4年前,同居人が亡くなったときには落ち込んだ。九州出身で,6歳で両親と離れ,孤児院で少年時代を送ったこともあり,たくさんの人のお世話になってきた恩返しにと,介護を引き受けたが,後は自分の人生を全うするだけ。予告チラシを見て気に入ったと,訪問を心待ちにされ,室内に入れていただいて,1時間あまりのお話し伺いに。

・60代男性,一人暮らし,中央区で半壊。両親宅は全壊で,父は,天井の梁が落ちてきて即死に近い状態だったが,近所の人の助けもあって,いち早く病院に運ばれたため,丁寧に扱ってもらえたのを感謝している。この復興住宅に入居して10年あまり。母(90代)は老人ホームにおり,時々様子を見に行っている。昨年脳梗塞で倒れ,1ヶ月ほど入院したが,倒れたのが12月28日で,幸運にもまだ病院が開いていたので自分には運がある。母のためには死ねないと,倒れたことはまだ言っていない。糖尿病を患っており,コンビニ弁当ばかりだった食生活を見直し,野菜をきちんと摂り,酢で味付けをするなどの工夫をし,適度な運動も心がけている。母が倒れたため59歳で退職し,60歳から年金をもらい始めたので,収入が少ないところに,入院費用や薬代が高く,生活は厳しい。テレビを地デジ対応にする費用も出てこないほど。

・50代女性,一人暮らし,長田区で被災。被害はほとんどなかったが,夫と別れ,子どもも自立したため,3年前にこの復興住宅へ。知り合いの高齢者が話を聞いて欲しいとよく訪ねてくる。ヘルパー養成の学校に通ったこともある。ガンの治療を11年続けている。手術もしたが身体がしんどい。「気で生きている」。

・40代男性,一人暮らし,灘区で全壊。近くの小学校に半年間避難,4年間の仮設住宅生活を経てこの復興住宅へ。この復興住宅に移ってよかった。糖尿病を患っており,週1回ヘルパーさんに来てもらっている。障害のためか話し辛そうな中,お話し伺いに応じてくださった。東日本大震災に関しては津波の怖さが印象に。

・70代女性,兵庫区で被災。とくに被害はなく,水道・ガスも止まらなかった。仮設住宅には行かず,この復興住宅に入居して10年あまり。ここの住み心地は悪くない。息子と同居。亡き夫は外国航路の船員だった。自分は年金をもらっているので,贅沢しなければ生活に問題はない。

・60代男性,灘区で全壊。「ボランティア ご苦労様です。今はなにも話す事はありません。」と支援シートに自ら記入。

2011/06/06 ↑TOP


第529(新生87)回訪問活動

毎度「役立ちと学びのネットワークThis is 神戸・週末ボランティア」をご覧下さいまして,まことにありがとうございます。

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毎回の訪問活動のレポートにある通算回数は,神戸・週末ボランティアが,阪神淡路大震災の被災者が入居する仮設住宅での訪問活動を開始して以来のもので,復興住宅に訪問活動の場を移してからも,毎週末から毎月第2・4土曜日へと活動回数を変更してからも,そのまま続けています。

もちろん永きにわたって活動の質を維持できるはずはありません。そうした中2007年,被災者・住民との信頼関係[再]構築すべく,旧弊を一掃し,新たに生まれ変わったつもりで,再生への道を歩むべく,不退転の決意をもってしてきました。そこで,それ以来の回数を附して,その決意を改めて想起しているのです。

こうした私たちの姿勢は,毎回毎回の積み重ねともに,住民の方々に浸透しています。そのため「1回だけでも,初めてでも」おいで下さった初参加の方も,安心して「お話し伺い」に参加していただけるとともに,そうしてつくられてきた信頼関係と雰囲気を大切にするべく,活動の案内やレポートも,それにふさわしい方に確実に届くよう,細心の注意を払っています。

今,これをご覧下さっている皆さんにも,きっとそのが伝わっていることでしょう。まさに,いただいたご縁と感謝するゆえんです。

5月14日の訪問活動は,神戸新聞をご覧になって知ったという方を中心に初参加の方3名を含めた10名で行いました。訪問前レクチャーの場では,前回の訪問活動でのお話し伺いの概略を通じて,阪神淡路大震災の被災地・被災者に寄り添う姿勢と,役立ちと学びの立場の必要性と意義を,ともに確認することができました。もちろん傾聴ボランティアのコツについてなどを説く以上のレヴェルの方ばかりであったことも,また嬉しい限りでした。

神戸まつりの各区の祭りが行われた好天のこの日は,留守宅が多く,本格的なお話し伺いに到りませんでしたが,短い時間でも応じてくださった方もおり,東日本大震災から2ヶ月半が過ぎた中での,先の被災地の現状の一端をうかがうことができたと言えるでしょう。

毎回の訪問活動では,予めボランティアが伺う旨を記した予告チラシを投函したお宅を対象としており,留守宅が多いと予定が早く終わります。そうした時間に,東條健司代表が,東日本大震災被災地への思いを語っていました。

今回も訪問活動後の終了ミーティングを行い,この日の集約とともに,今後の活動についての意見が出されました。訪問活動の案内で午後7時までとなっているのを6時までとしてはどうかという意見が出たほか,引き続きこれまでと同じくHAT神戸・脇の浜住宅での訪問活動を行うことなどが,話し合われました。

また,Twitter上に「神戸・週末ボランティアの公式アカウント」なるものを詐称する者がいる件について、代表に確認したところ「あり得ない」とのことでした。もちろんThis is 神戸・週末ボランティアとも関係ありません。当ネットワークのアカウントは @welove_kobe です。


この日うかがったところの概略です。

・20代男性,祖母(70代)と2人暮らし。祖母は元気で出かけているとのことであった。快くお話し伺いに応じてくれたが,阪神淡路大震災の時は幼かったため,何も覚えていない。

・80代女性。腰が痛くて立っていられないとのことで,「お大事に」と最後に言って,短時間でのお話し伺いに。

・中央区で全壊。家から出てきたところに声をかけたが,病院へ注射に行くとのことで,エレベーターに乗るまで短時間のお話し伺いに。

2011/05/25 ↑TOP


掲示板 OPEN

This is 神戸・週末ボランティア 掲示板 OPEN!

神戸の街 を楽しく、人々を元気にする、さまざまな話題について語り合いましょう。

支援情報の交換や交流にご利用下さい。

http://kobe-volunteer.bbs.fc2.com/

2011-05-10 ↑TOP


ブログ始めます!

役立ちと学びのネットワーク This is 神戸・週末ボランティア では,このたびBlogを開設しました。http://kobevolunteer.blog.fc2.com/です。

これからもよろしくお願いたします。

阪神淡路大震災の被災地・神戸で今なお復興住宅への訪問活動を続けているグループの記録とレポートを,こちらでも発信していきます。

これまでのウェブサイトNews and Reportsの記事などを過去ログとして,こちらでもご覧いただけるようにします。

2011-05-09 ↑TOP


第528(新生86)回訪問活動

毎度「This is 神戸・週末ボランティア」をご覧下さいまして,まことにありがとうございます。

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弊サイトは2011年5月よりhttp://kobevolunteer.web.fc2.com/に移動し,「役立ちと学びのネットワーク」として,その輪をいっそう広げていきたいと思っておりますので,よろしくお願いします。

去る3月11日に発生した東日本大震災およびその後の諸々の災禍に遭われた方々に,改めてお見舞い申し上げますとともに,犠牲になられた方々のご冥福をお祈りいたします。

今回の訪問活動の翌週はゴールデンウィークですが,この時期の関西では,福知山線脱線事故,朝日新聞阪神支局襲撃事件などについても,改めて想起し,その犠牲者の冥福を祈ることを忘れてはならないでしょう。

東日本大震災発生から4度目となった,4月23日の訪問活動は,参加者12名,うち初参加3名と,前回に続き2桁の実質参加者を数えることとなりました。神戸新聞を見て来られた神戸地元の方のほか,仙台での支援活動の準備にと,徳島から高速バスで来られた方もいました。いずれも,阪神淡路大震災の被災者・被災地に寄り添う,役立ちと学びの姿勢に,改めて感心させられるものでした。

こうした役立ちと学びの姿勢は,お話し伺いの結果にも現れているとともに,その真摯な姿勢が,同時にグループの雰囲気にも,落ち着きと和みをもたらしたといえるでしょう。

新たな参加者の気づきを通して,私たちもまた「お話し伺い」のあり方や方法にも,フィードバックさせていかねばなりません。傾聴ボランティアのコツについて震災状況の聞き取り(参考メモ)においても,情況によっては,相手を傷つけたり,心をかきむしったりするような,また,己の都合で人やその言辞を利用するような部分があることが解ります。そうしたものについては,慎重に運用するなり,改めたりしてゆくべきでしょう。

一方で,前々回まで2度にわたり,東日本大震災の被災者へのメッセージなるものをひねり出そうという者もいましたが,そうした,被災地・被災者を利用しようという立場からは,都合の悪い,ネガティヴな「お話し伺い」も多く聞かれました。

そもそも,自分の思いをぶつける対象として,楽しみの手段として,政治や宗教のためなどと,利用もさまざまでしょうが,いずれにせよ,役立ちと学びの立場とは相容れない,まさに正反対といっていいでしょう。これからも,いっさいの利用する立場・存在には,断固たる態度で臨みたいと思います。

そうしたお話し伺いが実現したのは,阪神淡路大震災の被災者に寄り添い,役立ちと学びの姿勢が理解され,受け容れられ,信頼関係が構築されたからにほかなりません。何ら都合が悪いところもなく,ネガティヴでもないばかりか,まさしく心を通い合わせた中での,ポジティヴなものにほかなりません。

なかでもとりわけ厳しい見方をしていた被災者・住民の方は,現在60代,まだ「高齢者」と呼ぶのはいかがかと思われるとともに,阪神淡路大震災当時は現役世代で,セイフティ・ネットから抜け落ち,ひたすら「自助努力」を強いられてきた世代であるといえます。

仮設住宅での「孤独死」が顕著でもあった,この世代に関する問題提起は,2008年1月5日の「訪問活動450回記念 追悼と討論の集い 13年目の被災地から 〜「高齢者」となった被災者のこれまでとこれからを中心に〜」において行ったものでもあります。

今回,そうした世代の率直な声に,改めて素直に耳を傾けることを通じて,ここでの役立ちと学びを,新たなメンバーと共有し,新たな,ヨリいっそう深めることができました。

まさに,「論語」學而篇の冒頭の有名な一節「子曰、學而時習之、不亦説乎 〔子曰(のたま)わく、学びて時にこれを習う、亦(ま)た説(よろこ)ばしからずや〕」です。

予定された訪問活動を終えた後,初参加のメンバーとともに,訪問活動に協力いただいている住民の方を訪ねてお話しを伺い,また併行して,参加者有志で,さらにこの2日後にも私を含めた参加者とともに,転院した倉谷さんを見舞ってきました。


この日伺ったところの概略です。

・60代女性,一人暮らし。一部損壊のため公的支援は受けられず。子どもが成人した後夫と別れた。3年前まで病院に勤めていたが,待遇が悪く,精神的苦痛もあって辞めた。労働条件・待遇は年々悪化している。東日本大震災の被災者には,神戸では津波はなかったが被災した人は我々と同じと思う,としながらも,過剰な支援がかえって働く意欲を削ぐ毒になるのではとの厳しい見方も。

・80代女性,70代夫と夫婦2人暮らし。中央区で全壊。避難所暮らしはあまりせず,宮崎県営住宅を経て西区の仮設住宅で2年ほど過ごす。友人もでき,気が休まった頃にこの復興住宅へ。今は腰痛でままならないが,少し若い頃は,この階下で盆踊りの練習をして神戸まつりに参加していた。同じ仮設住宅にいた者同士でここに入居したかった。4月から家賃が徐々に上がる。ご主人は,訪問時は,風邪とのことだったが,階下の花の世話を一人でしているとのこと。

・60代男性,夫婦2人暮らし。長田区で一部損壊。地震のとき,寝ていたところにグーという音がしてだんだん音が大きくなり,2〜3分後に縦揺れがきた。背中に本棚が倒れてきて,奥さんに助けられた。芦屋で経営していた雑貨店が入っていたビルが全壊したが,住民票を置いていなかったため義捐金などは出ず。商品などを取り出して仮設店舗で営業した。行政は冷たかった。6年前に仕事を辞めた。人間が信じられなくなり,ストレスから網膜剥離になり,一時は目が見えなくなった。東日本大震災の被災者には,頑張ってとはいえない,人の気持ちと絆を考えて,相手のことを大切にしてほしいと。

・60代男性,一人暮らし。長田区で全壊。近くの小学校がいっぱいだったので須磨区の体育館に避難し,六甲アイランドの仮設住宅へ。震災のストレスで脳梗塞に。7回倒れたが,意識がなくなり全身が動かなくなることも2回あった。少しろれつが回らないので喋りにくい。今は病院が通いの日々。タバコと酒はやめていて,そのおかげで少し不自由ながら生活できている。右手が少し不自由で字が書きにくい。震災後はトレーラーに乗って全国を走っていた。後にタクシー運転手を10年。当時は知らなかったが,この復興住宅に同僚が住んでいて,まだ仕事を続けているようだ。東日本大震災の被災者には,頑張れとよく言うがどうしようもない,頑張れと言えない,と。

・60代男性,夫婦2人暮らし。長田区で全壊。全壊した文化住宅からは自力で脱出した。近所の人を数人助けたが,新聞配達中の人が倒れた家の下敷きになって逃げられず,そのまま焼死したのが忘れられない。娘の知り合いも亡くなった。近くの小学校に避難,現在介護職に就いている娘とともに避難者を世話するボランティアをしていた。ポートアイランドの仮設住宅を経てこの復興住宅へ。近所つきあいはほとんどない。この住宅で清掃活動をしていたら「お金をもらっているのでは?」と言われたので辞めた。現在は夫婦で大学の清掃の仕事に行っている。安くていいと,昼食を学食で食べることも。お金に困る,ため息ばかりつく,国民年金だけでは食べていけない。東日本大震災の時は,震度2で,蛍光灯のヒモが揺れたぐらいだが,阪神淡路大震災を思いだしたようだ。

・70代?女性。「ちょっとしんどいので…」と,インターホンで簡単に安否・近況確認。

・「何も話したく有りません。体も健康ではありません。ごくろう様です。」と自ら支援シートに記入。

2011/05/06 ↑TOP


第527(新生85)回訪問活動

毎度「This is 神戸・週末ボランティア」をご覧下さいまして,まことにありがとうございます。

弊サイトやMixiコミュニティ,Facebookページ,twitter - welove_kobeを通じて,交流させていただいております皆様方とのご縁に深く感謝いたします。

去る3月11日に発生した東日本大震災およびその後の諸々の災禍に遭われた方々に,改めてお見舞い申し上げますとともに,犠牲になられた方々のご冥福をお祈りいたします。

東日本大震災発生から3度目となった,4月9日の訪問活動は,参加者12名,うち初参加2名と,前回に続き2桁の実質参加者を数えることとなりました。

東北被災地・被災者へのサポートが様々な形で広げられる中,あえて,16年前の被災地で,今なお呻吟する被災者の声を傾聴し,忘れることなくその立場に寄り添うという行動を選択されたわけで,そのこと自体が,今まさに,先の被災地たる神戸の地に在る人々に,ほんとうの意味で,力になり,役立つことであると,その意義を確認したいと思います。

これをやや具体的に言うならば,前回の訪問活動の報告において提起した課題への対応と言うことになりますが,今回の訪問活動を通じては,それ以前の,ファンダメンタルな次元において,復興住宅を,地域コミュニティーとして,その問題点を含めて,他用かつ広範脚点・立場から,見直す視点を得たという点で,意義あるものであったというべきでしょう。>

高齢者,とりわけ一人暮らし,高齢夫婦のみの世帯が,サポートのニーズが高いことは言うまでもありませんが,長期不況や雇用不安にある働き盛りや子どもの視点や子育て環境といった面からも,見直し,問い直すことが,やはり求められているわけで,それを改めて学ぶ上で,貴重なお話を伺うことができたと言うべきでしょう。

また,東條健司代表から「HAT神戸の倉谷さん、見舞い」(2011/04/06)と題して

HAT神戸の倉谷さんが、リハビリのため、4月中に転院予定です。
今は近くの日本赤十字病院入院中です。4階の病室に入院中です。

倉谷さんは右手が動くだけの不自由な体で、夜中に車いすから落ちて以来病状が悪く、横になったままで居ましたが、この度心臓手術を受ける為に、やや遠くのリハビリ病院にはいり、元の車いす生活にもどるための必死のリハビリに賭けることになりました。

どうかみなさん、倉谷さんを励まして下さい。4月中は日本赤十字病院にいます。4階です。 わたしたちも随分これまで、彼に励まされて来ました。

と報告されている,倉谷さんですが,前回同様,今回も訪問活動を終えたあと,初参加のメンバーをあわせて,交替でお見舞いしてきました。

終了ミーティングにおいて,参加された皆さんそれぞれの「お話し伺い」ぶりを拝見する中で,この時期に敢えて阪神淡路大震災の,神戸の被災者に耳を傾け寄り添うことの意義が,ハッキリとしてくるのを感じました。

その一方で,伺ったところから,東日本大震災被災者へのメッセージをひねり出し,それを宣伝にも利用しようという,一部の動きについては,懸念しなければなりません。そうした姿勢は,継続して一所に根ざした活動を継続しようとするうえで堅持すべき立場や,「傾聴」の本来あるべきところとは相反する危険があるもので,東北被災者への激励となる前に,誤ったメッセージとして,参加者の姿勢・態度をして,これまでの被災者に寄り添い,役立ち学ぶものから,己の都合で利用するものへと,転落せしめかねないものだからです。

もちろん,これまで続けてきたような復興住宅訪問活動以外のことを否定するものではありません。それはそれとしてやればいいだけのことですから。

これまでの被災地・被災者に寄り添い,役立ち学ぶ。今こそこれを大切にしましょう。


この日伺ったところの概略です。

・60代女性,中央区で全壊。親戚が住む東灘区の市営住宅までほとんど1日歩いて向かったが,そこも住めず,その前にテントを張って5人で肩寄せ合って一晩中座っていた。その後あちこち泊まり歩く中で夫と母を亡くした。1年後入居した仮設住宅は,冬は大変寒く,夏は格別な暑さの上に虫だらけ。ここで初めて支援物資をもらう。400世帯ほどあったが,自治会長さんがよくできた人だった。この復興住宅に入居12年目。自治会の仕事をしていて,話し好きで,コミュニケーションには困らない。食べていけるだけの年金はあるが,収入の1/3ほどまで家賃が上がることが不安で「家賃を上げないで」と何度も。被災時,水がいちばん不自由だったので,自分がもう少し若かったら,汲みに行けず家にいる人に届けてあげたい。東日本大震災の被災者に「がんばってくださいよ」と。

・70代男性,一人暮らし。灘区で全壊。ポートアイランドの仮設住宅で4年過ごした後この復興住宅に入居して12年目。仮設住宅でもコミュニケーションが足りないと感じていたが,この復興住宅に来てから4人もの孤独死を見た。3度も隣近所と引き離されるなど,市の施策の冷たさを感じるが,初めてのことだったので仕方なかったのかも。今この復興住宅にもかなりの空室があるので,東日本大震災の被災者を受け入れてあげてもいいと思いながらも,神戸の時より待遇がいいのではとも。東日本大震災の被災者にはがんばれとしか言えないのだが,原発は人災ですよね…。

・女性,一人暮らし。中央区で被災。足腰が痛いとのことで,玄関に出てくるのも時間がかかり立っているのも辛そうだったが,話すうちに表情も明るくなっていった。近所付き合いもうまくいかず,睡眠不足や高血圧で倒れたり,脚を捻挫したりして,食欲もなく,必要な通院も十分できず,最寄りのスーパーで買い物するのがやっと。身の回りのこともできなくなってきたが,他人をうちに入れたり,手伝ってもらったりするのに抵抗感が強い様子。初対面のボランティアとしては,傾聴を通じて,信頼関係を築き,抵抗感をやわらげてもらえれば,訪問した甲斐があろう。

・70代女性,80代夫と2人暮らし。中央区で全壊。近くの高校に避難,仮設住宅に4年いた後この復興住宅へ。訪問時ご主人の散髪をしていた。足腰がわるく,右膝は手術の予定。2カ所の病院に通っている。

・80代女性,一人暮らし。灘区で全壊。若い頃は見習い看護婦をしていて,戦中〜戦後は満州に。戦後現地で結婚しともに帰国した夫は,この復興住宅で10年前に亡くなった。現在特に身体に悪いところはなく,ほぼ毎日大安亭にお茶を飲みに通っている。時代の流れに逆らわず生活しているとのこと。

・80代女性,夫婦2人暮らし。中央区で全壊。島根県に5年ほどいた後,3〜5回の抽選で当たってこの復興住宅へ。胃を全摘出していて少量のそうめんしか食べられない。外出も困難なのに地域の役員を12年続けてきた。玄関先のつぼみを膨らませた鉢植えの話題でなごむ。

・40代男性。中央区で全壊。奥さん,不妊治療のおかげでようやっと授かった男女の双子と暮らす。訪問時は,この復興住宅で生まれ育っている子どもの友達が大勢遊びに来ていて賑やかな様子。運送業で夜の仕事だが,休みの前ということでお話し伺いに応じてくださった。被災後被害がなかった垂水区の実家に半年身を寄せてから仮設住宅に移り,この復興住宅へ。今特に困っていることはない。震災時に撮影していたビデオをいとこに貸したらなくされてしまった。子どもに阪神淡路大震災のことを話しても実感がわかないようだ。

2011/04/19 ↑TOP


新たなサポートのために

毎度「This is 神戸・週末ボランティア」をご覧下さいまして,まことにありがとうございます。

弊サイトやMixiコミュニティ,Facebookページ,twitter - welove_kobeを通じて,交流させていただいております皆様方とのご縁に深く感謝いたします。

去る3月11日に発生した東日本大震災に被災された方々に,改めてお見舞い申し上げます。犠牲になられた方々のご冥福をお祈りいたします。

弊サイトThis is 神戸・週末ボランティアでは、これまでもグループの活動に関する福利資料の収集と保存に努めて参りましたが、かつて避難所や仮設住宅での活動に参加された方に、当時の資料をご提供されたく、改めてお願いしたいと思います。

新たな被災地で、新たに支援活動に参画しようという方々のために、これからの支援に参考にしていただくことで、「役立ちと学びのネットワーク」を広げていきたいと思います。

宜しくお願いします。

 2011/04/14 ↑TOP


「かみひこうき」プロジェクトのご案内

神戸・週末ボランティアの仮設住宅訪問に参加したメンバーが15年前に結成した、ウェブサイトを通じて被災者やボランティアの交流の輪を作る「かみひこうき」プロジェクトに、東日本大震災の被災者・ボランティアの皆さんも参加してみませんか?

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第526(新生84)回訪問活動

毎度「This is 神戸・週末ボランティア」をご覧下さいまして,まことにありがとうございます。弊サイトやMixiコミュニティ,Facebookページ,twitter - welove_kobeを通じて,交流させていただいております皆様方とのご縁に深く感謝いたします。

去る3月11日に発生した東日本大震災に被災された方々に,改めてお見舞い申し上げます。犠牲になられた方々のご冥福をお祈りいたします。

今2011年に入ってから,神戸・週末ボランティアの復興住宅訪問活動や行事の参加者数において,事実と異なった記述をしたものが見受けられますが,
・被災者とボランティアによる追悼と考える会(2011/01/08);ボランティアと住民あわせて16名に,報道陣3名を加えた19名
・第524(新生82)回訪問活動(2011/02/26);8名,うち初参加1名 (他ミーティング時の来訪者2名)
・第525(新生83)回訪問活動(2011/03/12);7名,うち初参加2名
とすべきところです。

そうした中,東日本大震災発生から2度目となった,3月26日の訪問活動は,参加者11もしくは12名,うち初参加2名と,久しぶりに2桁の実質参加者を数えることとなりました。昨秋来,定着してきたところの,弊サイトやMixiコミュニティ,twitter - welove_kobeを通じて新たな参加者を迎えてきたのに続き,今回,神戸市社会福祉協議会のボランティア情報サイトを通じての初参加者をむかえました。

訪問活動では,新たな被災者へのメッセージという形でお話を伺わせてくださったところもありますが,前回ほどではなかったものの,依然として,東日本大震災のため阪神淡路大震災について語ることを躊躇する向きも見られることには違いなく,今後,これまでと同じような形で復興住宅への訪問活動を続けてゆくことについて,いっそうの慎重さと再考が求められるものであったことを,引き続き認識せざるを得ないでしょう。

関西圏,阪神淡路大震災の被災地においても,東北大震災の被災者の受入が行われていますが,その一方で,これまでの被災者や,長引く不況の中で困窮してきた人たちが,切り捨てられたり,さらなる辛苦を強要されたり,あるいはこうした様々な難儀した市民が対立・相克させられたりすることのないよう,その立場に寄り添い,共に在ることはもちろん,行政監視といった役割も一層求められると言わねばならないでしょう。

訪問活動後,平素から活動に協力いただいている倉谷さんの入院先を訪ね,初参加者を含めた有志でお見舞いしてきました。快復とリハビリが順調となることをお祈りしたいと思います。

終了ミーティングにおいて,毎回の訪問活動にあたって「宗教・政党など全くの関係ない民間の」「寄付要請や販売行為は一切行いません」としていることに鑑み,グループとしては募金活動や,物資・寄付の要請に従事しないこと,「東日本大震災用のカンパは100%上納として、必ず責任を持って納めます」としたものは削除することを確認しました。


この日伺ったところを紹介しておきます。

・80代女性,夫婦2人暮らし。中央区で半壊。電気は1月で復旧したが,水道・ガスの復旧には2月ほどかかった。それまでは公共施設のトイレを利用したり,水くみが重労働だった。ガスが復旧しても風呂が壊れていたので銭湯に。震災で東灘区の職場がつぶれ,定年まで残り少なかったこともあって退職。竣工間もないこの復興住宅に入居するまで同所に住み続けた。現在ご自身も少し脚がわるいが,介護を受けるつもりはない。リハビリ中のご主人は外出に車イスが必要。4月に家賃がまた上がるのが目下の心配事。月1回の清掃には出て近所付き合いを。阪神大水害,空襲,大震災をすべて経験。「あの年だったから乗り切れた」,「震災を思い出したら何でも辛抱できる」と。これらのうち何度も危険な目にあった空襲がもっとも恐かったとのことだが,東日本大震災の津波の映像で思い出したのか,少女時代に大水害で逃げたときのことをリアルに話されたりも。1時間近く玄関口でお話し伺い。

・60代男性,夫婦2人暮らし。中央区で全壊。ポートアイランドの仮設住宅で2〜3年過ごした後この復興住宅へ。「どうもコミュニケーションが下手で仲間ができないので,ここにいても面白くない」とのことであったが,被災体験を教訓化した備えなど,1時間ほどお話を伺う。「がんばってくださいと,被災地の方々に,神戸の被災者より伝えてください。神戸からエールを送ります」と,東日本大震災被災へへのメッセージも。

・女性。「お伺いありがとうございますが,具合がわるいので書くのはおことわりいたします。すみません」と支援シートに記入。

・男性。「おかげさまで元気で暮らして居ります。東北関東の皆様のことを思えば私たちはしあわせです。」と支援シートに記入。

・80代。「入院で るすです…」と支援シートに記入。

2011/04/05 ↑TOP


協力>東北に物資を送ろう「TASUKI PROJECT」

神戸・週末ボランティアの年頭行事では,3年前,「希望の灯り」を分灯して被災者に黙祷を捧げました。

その管理をになってきたNPO法人 阪神淡路大震災1.17希望の灯りが,東北に物資を送ろう「TASUKI PROJECT」を始めました。

また,今回の東日本大震災において,あわせて発生した福島原発事故に関して,市民の立場から,信頼できる情報を収集・発信してきたNPO法人環境市民も賛同・協力しています。

ということで,This is 神戸・週末ボランティア でも呼びかけてみることにしました。関西の方,よろしくお願いします。

くわしくはこちらをご覧下さい。

2011/03/20 ↑TOP


第525(新生83)回訪問活動

毎度「This is 神戸・週末ボランティア」をご覧下さいまして,まことにありがとうございます。弊サイトMixiコミュニティFacebookページtwitter - welove_kobeを通じて,交流させていただいております皆様方とのご縁に深く感謝いたします。

去る3月11日に発生した東日本大震災に被災された方々にお見舞い申し上げます。犠牲になられた方々のご冥福をお祈りいたします。

今回の訪問活動は,東日本大震災が発生してちょうど1日経った3月12日の午後に行いました。弊MIxiコミュニティなどを通じて初めて参加された方と共に,予定されたお宅に伺いましたが,前日に発生した未曾有の大惨禍が,日夜テレビで報道されている中であったことから,16年前の阪神淡路大震災を,改めて想起したのか,お話を伺えるような情況でないままとなりました。

こうしたなかで,今後,これまでと同じような形で復興住宅への訪問活動を続けてゆくこと自体について,再考が求められるものであったことを,認識せざるを得ないでしょう。

2011/03/20 ↑TOP


第524(新生82)回訪問活動

毎度「This is 神戸・週末ボランティア」をご覧下さいまして,まことにありがとうございます。弊サイトやMIxiコミュニティ,twitterを通じて,交流させていただいております皆様方の見識やセンスの高さに脱帽することしきりで,また励みにさせていただいているところです。

また,平素の訪問活動においても,昨年以来,「神戸新聞」とあわせて,弊サイトやMIxiコミュニティを通じて参加される方が続いていることは喜ばしい限りです。そうした役立ち学ぶ心温まる方々とともに担う訪問活動は,ボランティア参加者にとどまらず,訪問先の方々にも,好感と安心感をもってむかえられていることを,感謝の心をもって報告したいと思います。

私たちが復興住宅への訪問活動に向かう前や後の三宮あたりでは,この日行われていた「神戸コレクション」の袋を持った女性の姿が目立ちました。そうした中, 今回の訪問活動は,好天ながら午前中は肌寒さの残りながらも,午後には暖かさも戻る中で行われました。初めて参加した中3の男子生徒を交えて8人で行いました。既に進学先の高校が決まっているとはいえ,中学生の参加は非常に珍しいことで,学校の先生に紹介されてとのことでした。

平素から訪問活動に協力してくださっている,HAT神戸・脇の浜住宅の倉谷さんが,今週に入って体調を崩され,その見舞いを兼ねて,訪ねさせていただき,訪問活動を終えて帰途につく前には,力づけるべく歌を歌って激励しました。

在宅率が低い中でのお話し伺いでしたが,不自由な足で玄関口に出てくられ,遠い耳をそばだてて応じて下さった方もいれば,安否確認程度の短いお話しの中でも,現状や被災情況に関して重要なことをお話し下さる方もいました。こうした貴重な機会をいかに大切にするかが,改めて求められていることに,思いを致すべきでしょう。


この日伺ったところを紹介しておきます。

・80代男性,一人暮らし。中央区で全壊。ポートアイランドの仮設住宅で3年間過ごしたあと,この復興住宅へ。交通事故で妻を亡くしてから50年間一人暮らしなので慣れている。この4月からまた家賃が上がるので,今後が少し心配。脚に痛みがあり風呂に入るのが大変。交通費が面倒なものの,病院へは一人で行けるので,今のところはまだ幸せな方。
・80代女性。須磨区で全焼。自分は外へ避難できて無事だったが,地震後間もなく家はきれいに焼けてしまった。

・90代男性,一人暮らし。東灘区で全壊。ポートアイランドの仮設住宅を経てこの復興住宅へ。家賃が上がっていくのが困る。中国南部〜台湾に兵隊に行ったこともあり,戦後神戸に来て若い頃から長く配管工をしていた。病気は特にしたことがない。脚がやや不自由で,時間をかけて出てこられ,棒に掴まりながら玄関口でお話し伺いに応じてくださった。何度も危ない目に遭っているが,外出には自転車をよく使う。8万円もした補聴器のボリュームを上げて使っていて,時々ビーッという雑音が。部屋はかなり綺麗にしている様子。普段話し相手がほとんどなく「早く死にたい」と思うこともあるが,時折近所の人が話しに来てくれる。

・70代?女性,50代?男性。インターホン越しに女性の声がしてからしばらくして男性がドアを開け「母は今トイレに…」とのことだったが,安否確認程度のお話を伺う。

追記:Mixiコミュニティに続いてFacebookでも「This is 神戸・週末ボランティア」ページを開設しました。

2011/03/08 ↑TOP


第523(新生81)回訪問活動

神戸・週末ボランティア」の訪問活動通算500回をむかえたのは,ほぼ1年前の2010年2月13日でした。爾来1年間,「神戸新聞」や弊サイト,さらには附設したMixiコミュニティを通じて,新たに参加されたメンバーの協力のもと,被災者−住民の方からの期待と信頼がいっそう寄せられ,グループとしての役立ち学ぶ気風もさらなるものになっています。

この日は高齢者向けの特集記事を担当しているという新聞記者が同行取材しました。

訪問活動では,訪問先の方だけでなく,通りがかった方にあいさつしています。それ自体当然,自然なことですが,時にはそこから「お話し伺い」になることもあります。ちょうど私たちが通りがかったとき,高齢男性2人が話しかけてきました。市からの委託で住宅内にチラシを配布する仕事をしている途中で,現状の厳しさを憂いながらも,そこに生きる若者に,親の世代らしく厳しい眼を向けているのが印象的でした。


この日伺ったところを紹介しておきます。

・70代男性,一人暮らし。東灘区で全壊。1階の店舗では商品の自動車部品が散乱,2階にいた自分は何とか脱出したが「何もかもなくなった,グシャグシャ」。避難所に行ったら,仕切っている人が支援物資を公平に分配せず,その人間性に不信を覚えた。国道沿いだったので,食糧や支援物資を分けてもらうなど,通る人に助けられた。風呂屋がくみ上げている井戸から水をもらった。周囲で生き埋めになった人が多かったが,心臓が当時から悪く,助けてあげることができなかった。被災当時も一人暮らしで高齢者でもなかったため優先されず,この復興住宅に入るまで11回申し込んだ。ボランティア参加者みなでお部屋に上げていただいて,2時間にわたるお話し伺い。

・90代女性,一人暮らし。中央区で被災。震災の前年にご主人を亡くした。震災時まで中央区で一杯飲み屋をしていた。息子の嫁や孫が時々訪ねてきてくれ,この復興住宅の申し込みも嫁がしてくれた。食事は1日1〜2回来てくれるヘルパーさんにしてもらっている。月に1回往診を受けている。寒いからと,玄関の中に入れていただいてのお話し伺いに。
・80代女性,弟(70代)と2人暮らし。灘区で全壊。近くの小学校に避難したが,情報が入ってこないので高校の避難所へ。ポートアイランドの仮設住宅ではネズミがたいへんだった。この復興住宅へは同じ仮設住宅で過ごした人も一緒だったが,一人一人減っているので寂しい。

・70代,一人暮らし。中央区で全壊。地震の時は仕事に行っていた。近くの中学に避難した後仮設住宅で4年4ヶ月過ごし,この復興住宅へ。転倒して鎖骨を折っている。

・50代女性,70代夫と2人暮らし。灘区で被災。一旦尼崎に家を借りたが,灘区内の仮設住宅で長く過ごした後この復興住宅へ。震災時軽いケガで済んだと思ったが脊髄圧迫と解り,松葉杖1本が必要に。仮設住宅で知り合った今の夫と再婚してからは,うまくいっている。

・60代女性,70代夫と2人暮らし。長田区で全壊。灘区の実家は水道関係の仕事をしていて,商売道具が,すぐ後ろにまで迫っていた火を防いだり,近くの川から生活用水を確保するなどで役立った。灘区で家を借りたが,近隣の酒造工場の熱気で暑く間もなく引っ越し,この復興住宅へは早くに入居。夫(70代)は当女房で入退院を繰り返し,訪問時は人工透析から帰ってきて寝ていた。

・男性。風邪とのことで,安否確認程度の短時間のお話し伺いに。

・70代夫婦2人暮らし。中央区で被災。尼崎に避難した後この復興住宅へ。仮設住宅にはあたらなかった。2人の年金で暮らす。風呂の据え付けの仕事をしていたご主人は,震災後忙しさのあまり脳梗塞を患う。毎日笑顔でいたいという奥さんはカラオケ好きで,本やテレビで覚えた運動をしたりしている。

2011/02/22 ↑TOP


第522(新生80)回訪問活動

2011年の神戸・週末ボランティア News and Reportsは,記事がないまま1月が終わってしまいました。その間に「1.17」はもちろん,節分〜立春,あわせて春節も過ぎてしまいました。弊サイトをご覧の皆さんは,被災地・被災者に心を寄せ共に歩もうという気概のもと,それぞれ有意義な過ごし方をされたことと思います。

神戸・週末ボランティア2011年最初の復興住宅訪問活動は,1月の第2土曜日を被災者とボランティアによる追悼と考える会に充てたため,「1.17」から1週間を経て,平素の週末に戻った観がある,第4土曜日である22日に行われました。

4年近く前の2007年夏,新たな歩みを始めて以来の訪問活動も,今回で80回を数えるに至りました。その間の取り組みも,被災者・住民の方の中に浸透し,私たちの活動もヨリいっそう受け容れられてくるようになりました。

この日も,地域貢献への熱い思いやショッキングな出来事など,さまざまなお話しを伺うことができました。


・70代女性,一人暮らし。中央区で半壊。震災時から一人暮らし。ケガもなく助かった。この復興住宅へ入居して10年以上で,近隣とのコミュニケーションに努め,玄関前の通路でよく話しているが,それを向かいの棟の住民から覗かれているように思われると苦情を言われたこともある。1年半ほど前に近所の方が飛び降り自殺したときのことを話してくれた。

・60代女性,一人暮らし。中央区で半壊。身体が不自由であまり働くことができず,住居の確保に難儀した。この復興住宅に入居して3年目。年金は増えないのに家賃が上がってのが不安。ガスはいっさい使用しない。私たちの訪問を,早くから玄関前に出て待っていてくださった。

・80代女性,一人暮らし。灘区で半壊。地震の時,猫が知らせてくれたのか,布団をかぶったところ揺れがきて,戸棚が倒れてきたが助かった。避難所に入らず,一時身を寄せた身内の家も居心地悪く,程なく半壊のアパートに戻る。この復興住宅に入居するまで住み続けたこの家は今も残っている。

・70代男性,一人暮らし。中央区で半壊。経営していた店も被災したが,半壊の家に何とか住んだ。当たった仮設住宅(北区)があまりにも寒く住めなかった。この復興住宅に入居して10年以上だが,仲間を募って一人暮らしの高齢者を訪ねたり,近くの中学生に非常用水の使い方を教えたり,また遠方の中高生と被災者とが交流を持つ仲介をしたりといった活動をしている。

2011/02/08 ↑TOP


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