2010 神戸・週末ボランティア
News and Reports
We love KOBE Weekend Volunteer

阪神淡路大震災の被災地・神戸で今なお復興住宅への訪問活動を続ける「神戸・週末ボランティア」の活動報告です。
Blog This is 神戸・週末ボランティアもよろしく!

(年別に古い記事から順に番号をつけていますが,新しい記事が上になるように配置しています。)
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第521(新生79)回訪問活動

神戸・週末ボランティア2010年最後の興住宅訪問活動は,第2・第4土曜日の午後に行うという原則を通す中,クリスマスの日に行いました。例年,年の瀬を控えての訪問活動では,住民の方々も年お越しの準備や,普段は他所で暮らしている家族や親類が訪ねてきたり,あるいはそうしたところに訪ねていって留守であったりといったように「お話し伺い」ができないことも多いのですが,そうした中にあっても,お部屋にあげていただいたところもありました。

今年の後半期から弊サイト「This is 神戸・週末ボランティア」をご覧くださった方が復興住宅訪問活動に参加されるようになったのに加え,先11月開設のMixiコミュニティをご覧くださった方も続いていましたが,今回も当日の未明に知って初めて参加された方をむかえました。

これまでの参加者も,新たな参加者を歓迎するとともに,学び役立つ姿勢を新たにして,ともに初心を大切にしていきたいとの思いを新たにしました。

また,この間の課題であった,活動にの資質向上についても,これまで訪問前レクチャーで採り上げていた,訪問活動のコツについて」を,前回から手直しするなど,一定前向きな姿勢が見られるようになりました。

また今回の復興住宅訪問活動には,朝日放送テレビのクルーが同行取材し,訪問活動終了後にはアナウンサーもあいさつに見えました。この間の活動の資質向上と住民の方との信頼関係構築の成果を紹介してもらいたいところですが,「お話し伺い」中については,これまでの新聞のように,住民の方からの承諾を得るのが難しいのはやむを得ないところでしょう。

新たな年を,被災地・被災者と共に歩みましょう。では皆さんよいお年をお迎えください。

この日伺ったところを紹介しておきます。

・90代女性,中央区で半壊。震災前にご主人を亡くし一人暮らし。この復興住宅へは1回の申し込みで入居。人に気を遣うより一人の方が気楽。背筋も伸びてしっかりした様子で,若い頃の仕事の話しをされた。息子さんが2日に1度訪ねてきてくれるので何も心配はない。この日もそれに備えて冷蔵庫にケーキを入れていた。ヘルパーには頼っていない。腹部にガンがあるが,進行が遅いので手術はせず点滴で抑えている。お部屋にあげていただいて40分にわたってお話しを伺ったが,訪問当日がちょうど誕生日だったので,最後にハッピーバースデーを歌ってお祝いした。

2010/12/31 ↑TOP


毎度ご覧くださいましてありがとうございます。

このたび「This is 神戸・週末ボランティア」では、附設のtwitterについて、アカウントの趣旨及び公序良俗にふさわしくないと思われるフォローをお断りさせていただきました。あしからずご了承ください。

これからも神戸の街を楽しく、人々を元気にする、さまざまな話題について語り合いましょう。よろしくお願いします。

2010/12/20 ↑TOP


第520(新生78)回訪問活動

師走に入って第1回目の訪問活動は,阪神淡路大震災犠牲者の鎮魂のため始められた神戸ルミナリエが最後の週末に入り,やや寒く雨が時折ぱらつく中で行われました。

今回も,この11月から,弊サイトに附設して始めたMixiのコミュニティの案内を見たという女性が初めて参加し,傾聴ボランティアへの造詣に,私たちも改めて学ぶ必要性を感じるなど,まさに学び役立つ姿勢を新たにしました。

11月28日付「産経」記事「若者にも被災者支援の輪 神戸市民グループ「週末ボランティア」」のコピーなどを差し上げたところ,励みになったとの感想をいただき,私も力づけられる思いです。直前まで仕事だったため,皆さんに差し上げる資料の準備が行き渡らず,一部ご不便をおかけしたことをお詫びします。

寒い中,やっとのことで出てこられ,始めは話すのがしんどそうだった方も,やがて次々と話し出すなど,楽しく和やかに,充実した中でのお話し伺いとなりました。

この日伺ったところを紹介しておきます。

・70代男性,中央区で全壊。震災当時はまだ50代で,建設業で働いていたので,震災後の後片付けばかりしていた。会社の量やテント生活を経て,2ヶ月してから新築のマンションに入居,家賃補助があったので助かった。その後,身体の故障が相次いで見つかり,大腸ガンの手術は成功したものの,腰椎に入っている6本のビスが中枢神経に当たって非常に痛いと訴える。最近福祉タクシー券や印鑑など大切な物をなくし不便をした。
・70代女性,灘区で被災。被災後1週間は神戸高校に避難したが,岡山県に移ったため,申し込んでもなかなか当たらず,この復興住宅に入居して8年。目と足が不自由で,毎日必死で生活している。頭がフラフラするので,おせちは百貨店のものを買うつもり。めまいがして救急車で搬送されたことも。ケースワーカー週2回が廻ってくる。最近2度自転車事故に遭ったが,それでも自転車を歩行器やショッピングカート代わりに使っている。
・90代女性,長田区で全壊。息子さん(60代)と2人暮らし。息子さんは今も働いている。自身も女性で賃金が安かったからと,50〜70歳まで土建屋で働いた。神戸で生まれ育ち,大阪の女学校ではスポーツが得意。百貨店に勤めたあと,神戸に戻って劇場勤務に。戦時色が強まる頃で,スターに会う楽しみはなくなり,最後にはニュース映画だけに。夫の故郷・熊本へ子どもと疎開,戦後神戸に戻り,倉庫や焼け跡に住み,間借り生活になっても炊事は台所を使えず外でした。今は目が悪くテレビも見ない。10年前膝関節を手術したが,足も悪くあまり外出しなくなった。週1回のショートケアが楽しみ。
・90代女性,中央区で全壊。震災では家族全員無事だったが,戦争のときの神戸大空襲や学童疎開,避難所生活などのたいへんさも想い出される。10年前にご主人を亡くす。かつて30年にわたり神社の奉仕に出ていたが,今は足が悪く,掃除が出来ず,買い物も手押し車を押していく。週2回ヘルパーが来てくれている。子どもさんが時折弁当をもってきてくれるのがうれしい。田舎育ちで身体を使って働くのが大好きで,持病もないとのことで,年齢の割には元気そう。

2010/12/19 ↑TOP


第519(新生77)回訪問活動

ウェブ上でのレポートがたいへん遅くなり申し訳ありません。

訪問活動のかたわら目に入る六甲山系の山並みもようやっと色づいてきた中で,11月27日の訪問活動は,この時期としては暖かな,好天の中で行われました。

今回は,この11月から,弊サイトに附設して始めたMixiのコミュニティの案内を見たという女子大生が初めて参加し,神戸に赴任して間もない新聞記者が,フレッシュな視点から取材し,締め切りぎりぎりまで頑張ってくれた結果,翌朝の神戸版トップに掲載されました。

若者にも被災者支援の輪 神戸市民グループ「週末ボランティア」 2010.11.28 産経新聞

 ■SNS通じ初参加、住宅訪問

 阪神大震災の直後から被災者との対話を続けている神戸市の市民グループ「週末ボランティア」(東條健司代表)が今月から、ソーシャルネットワーキングサービス(SNS)やツイッターによる情報発信を始めた。27日には、SNSで活動を知った大学生が初めて参加し、神戸市中央区のHAT神戸・脇の浜住宅を訪問。若者にも被災者支援の輪を広げる兆しが見え始めた…

留守や来客中のお宅が多く,お話し伺いが出来たところは限られましたが,これも被災地・被災者が置かれている現状の一局面といえるでしょう。この日伺った概要です。

・60〜70代(?)男性,一人暮らし。中央区で被災。被災後も同じところに住んでいたが,やがて同区内の知人宅へ。そこに居続けることが困難となったため公営住宅入居を申し込み,5〜6回申し込んで,3〜4年前に,やっとこの復興住宅へ。5級の障碍者なので障碍者枠での入居とのこと。
・80代女性,一人暮らし。灘区で全壊。被災時はケガもなく元気だった。北区でご主人(2年前に亡くなった)・息子さんと暮らし,5年前にこの復興住宅へ入居。家賃減免を受けている。訪問時は来訪してきた友人との麻雀の真っ最中だったため,お話し伺いは短時間で切り上げた。
・とくに困ったことはない。震災当時は大阪に住んでいたので被災者として入居したのではないといったことを,インターホン越しにお話し伺い。声の様子ではお元気そうな印象。
・70代女性。足が悪く出てこられないとのことで,インターホン越しにお話し伺い。
・訪問時お留守だったが「本日急用が出来ましたので…」と書かれたメモがドアポストに。

2010/12/07 ↑TOP


Mixi始めました

このたび「This is 神戸・週末ボランティア」でMixi始めました。アカウントをお持ちの方はどうぞ。コミュニティ名は「This is 神戸・週末ボランティア」です。

2010/11/05 ↑TOP


twitter始めました

このたび「This is 神戸・週末ボランティア」でtwitter始めました。アカウントは「welove_kobe」です。グループの活動や情勢の記録とレポートにとどまらず、神戸の街を楽しく、人々を元気にする、さまざまな話題について、広く皆さんと情報交換し、語り合いましょう。 We love KOBE!

2010/11/01 ↑TOP


第517(新生75)回訪問活動

前回に続いて秋らしい気候の中行われた10月23日の訪問活動は,神戸・週末ボランティアが仮設住宅への訪問活動を始めて以来通算517回,2007年7月15日の総会を契機に新たな歩みを始めてから75回目となるものです。

今回は,2人の新たな参加者とともに,このところなじんできた参加者らとともに,学び役立つという,活動の原点と注意点を確認し合うべく,貴重な機会となったというべきでしょう。また,訪問活動,終了ミーティングとも,早めに終わることとなりましたが,その直後,私たちがうかがった際に不在であった方からお電話を戴き,お話し伺いをしました。

参考:震災遺族 15年たっても半数に心的影響 2010/10/23 神戸新聞

この日伺った概要です。

・70代女性,一人暮らし。灘区で全壊。近くの小学校へ避難。寒さはこたえたが,水や食料には不自由しなかった。中にはテント生活していた人も。大倉山近くの仮設住宅を経てこの復興住宅へ。仮設住宅の方が楽しかった。仮設住宅のときの友人も亡くなり,1人だけ残った友人のところに遊びに行った。いろいろな病気をしている上,今夏は熱中症でいっそう弱った。困ったことがあると電話をすればすぐ駆けつけてくれるという優しく頼もしいお孫さんの話などで話が弾んだ。
・70代女性,夫婦2人暮らし。長田区で全壊。六甲アイランドの仮設住宅を経てこの復興住宅へ。震災までは自営だったが震災後は働きに出た。2年前,パーキンソン病が発症,転びやすくなるなど脚が思うように動かなくなり退職,現在では転んで頭を打って何針も縫うケガをしたり,トイレに行くのも大変に。夫婦で交替でデイサービスに出かけている。訪問時も5分以上かけて手すりを伝って玄関に出て,お話し伺いに応じてくださった。
・70代男性,一人暮らし。兵庫区からこの復興住宅に移り住んで3年目。ギャンブルが好きで,午前中は在宅しているが午後は外出している。今度来たときは寄ってください。訪問時お留守だったが,夕方,電話で連絡をくださった。

2010/10/28 ↑TOP


借り上げ復興住宅 「返還」控え市・県の動き活発化

猛暑の期間をはさんで,このかん神戸・週末ボランティアが訪問活動を行ってきた復興住宅は,主にUR都市機構(独立行政法人都市再生機構,旧・住宅都市整備公団〜都市基盤整備公団。阪神・淡路大震災では約2万戸の復興住宅を建設)から神戸市が借り上げて市営住宅として,被災者を中心とした市民に提供してきたもので,その賃借期間が20年となっていることから,その残り期間が数年〜10年弱となった現在,神戸市当局(都市計画総局住宅部)は,第2次市営住宅マネジメント計画をたてに,住民にその後の移転を求める動きを活発化させています。これとあわせて,やはり借り上げによって復興住宅を供給してきた兵庫県も動き始めています。

借り上げ復興住宅 返還控え、県が近く意向調査 2010/09/29 神戸新聞

阪神・淡路大震災で供給された約4万2千戸の復興住宅のうち、自治体が民間などから借り上げた住宅(借り上げ住宅)約6700戸が、2015〜23年度に借り上げの満了時期を迎える。それに向け、兵庫県が10月にも、入居者に対し住み替えについての意向調査を始めることを決めた。県は「返還を円滑に進めていく」とした上で、「どういう意向があるかを踏まえ、必要な対応を検討する」としている…

そうしたものへの対応も課題となっています。お話し伺いの検討とあわせて,発言していきたいと思います。

2010/10/15 ↑TOP


第516(新生74)回訪問活動

季節は秋になったはずながらも依然暑さが続き,ようやっと落ち着いてきたと思われる今日この頃ですが,神戸では,今回で29回目をむかえた神戸ジャズストリートをはじめ,恒例となったさまざまな秋のイベントが行われており,神戸元町ミュージックウィークや,震災復興イベントとしてはじめられたKOBEトアロード・クラフトアートフェアも定着したものといえるでしょう。

そうした,秋の3連休のはじめ行われた,10月9日の訪問活動は,HAT神戸・脇の浜住宅で,朝からの雨が残る中,このところ馴染んできた,人生経験豊かな参加者を中心に行われました。雨のため外出されず在宅された方が多かったほか,人生経験から信頼関係の構築がはかりやすかったことから,お話し伺いも充実したものになったといえるでしょう。

あわせて,8月14日の訪問活動の際,参加したボランティアとともに記念写真を撮った方と再会し,この2ヶ月間や被災当時のことなどを,少し伺ったりしました。

2010/10/15 ↑TOP


第513(新生71)回訪問活動

神戸コレクション 2010 AUTUMN/WINTERを翌日に控えた8月28日の訪問活動もまた,依然衰えぬ猛暑の中行われました。今回もまた,前回同様,到着が遅くなり,現地での合流・参加となったのに加え,所用のため終了ミーティングに参加できず,一足早く神戸を離れることになりましたが,限られた中であっても,いやむしろ限られた中であればこそ,活動の資質とお話し伺いにおける信頼関係の構築を,大切にすることの重要性を,改めてかみしめたいと思います。

2010/09/01 ↑TOP


第512(新生70)回訪問活動

このところ続いているように,8月14日の訪問活動もまた,猛暑の中行われました。お盆休みの時期でもありましたが,ちょうどその時期在宅されていた方から,貴重なお話し伺いをすることができました。今回初めて参加した方は,ホームページを見てという方もいましたが,真摯に耳を傾け,指摘や問題提起も,しっかり受け止めようとしていたように思われます。

・80代女性,一人暮らし。中央区で全壊。仮設住宅で3〜4年暮らした。地震のことは思い出すのもいや。今の楽しみは近所でやっているラジオ体操に通うことで,もう10年続けている。自分の身体さえ元気なら,今心配なことはない。住宅内にある住宅にある福祉センターから時々来てくれる人がいる。
・60代男性,一人暮らし。兵庫区で全壊。現在無職だが被災当時は建設業。ポートアイランドの仮設住宅に少し住んだ。お母さん(中央区で全壊)の介護が必要になり同居。9年8ヶ月介護を続けたが,今年6月に大腸ガンで亡くなった。生前,ユニセフに寄付をしたり,人に何かをするとき見返りを求めてはならないと説いていたことなどを,涙ぐみながら語ってくれた。
・80代男性。中央区で被災。現在入院中で近日退院予定である旨を,同居の方(60代女性)が支援シートに記入してくださった。
・30代男性,一人暮らし。中央区で全壊。ポートアイランドの仮設住宅に一時いたが,会社が借り上げた住宅に長く住み,この復興住宅に入居して2年半。建設業に従事して,給料を多くもらっていたこともあったが,現在は無職。
・70代女性,一人暮らし。東灘区で被災。親族宅や生まれ故郷近くの島など,北区の仮設住宅を経てこの復興住宅に入居するまで5カ所を回った。40代で亡くしたご主人も昨年33回忌。働き続けてきた長年の無理がたたり,多くの病気を抱えていて,体重も28kgしかない。ケアハウスに入っていて,帰宅したばかりのところへの訪問となり,うち解けたボランティア参加者と握手,一同で記念写真を撮影した。

2010/08/24 ↑TOP


第511(新生69)回訪問活動

前回に引き続いて酷暑の中での訪問活動への参加となりました。

2007年から,活動のあり方を,ボランティアとして,ボランティア団体としてふさわしいものへとつくりかえるべく,努力を重ねてきたわけですが,とりわけ,同年夏の総会で新たに出発して以来まる3年となり,その間の訪問活動も69回を数えるにいたりました。

初めての参加者,数年ぶりの参加者,このところなじんできた参加者とともにまわった中で,留守宅が多かったことで,初めての参加者や久しぶりの参加者が,活動の意義を疑問視する感想を述べるのもしかたないのではという感も拭えません。

このところ,住宅内で野良猫をあまり見かけなくなっています。もとからエサになるものが限られまるまる太ったのはあまりいませんでしたが,エサやりにたいする規制が厳しくなったからなのでしょうか,その理由はわかりませんが。

こうした猫を通じて情況の一端を知ることもできますが,猫と接する姿を通して,その人の人柄や人となりを知ることもあり,これまた猫に教えられるものであるともいえます。住民の方やボランティア参加者がもつ優しさをそこから垣間見せてくれることもあります。それと同時に,私たちの人となりも伝わっていくわけですが。

参加者の一人によるひげそりが済んだばかりの倉谷さんを囲んで記念撮影の後,総会の準備のため,早めに訪問活動を終え,HAT神戸・脇の浜住宅を後にしました。三宮・勤労会館に戻って,訪問活動の集約を簡単に行った後,総会を行いました。これについては新世紀の「週末ボランティア」行事・イベント篇・2にて述べることとします。

2010/07/30 ↑TOP


爽怪・虚々実々

「週末ボランティア掲示板」に以下のような投稿があった。笑いと怒りを抑えてしばし見ていこう。

中山です。
本当に久しぶりの投稿です。
今日の総会、先ほど無事に終わりました。
今年から参加したという人が何人もおり、新鮮で活気に満ちた総会でした。総会の書記も学生の方が行いました。
東條代表の提案に基づいて論議され、総会初参加の人も含めて、今後の活動に生かされる論議だったと思います。そのような感想を多くの人が述べていました。
今後の活動場所の設定でいろいろと意見が出て、HAT神戸脇の浜の残り戸数がほぼ今年一杯なので、それまでに決めることになりました。
昨日、HPを覗いて驚きました。原さんが総括案(私案)を書かれていますが、活動参加者にとって、異質で、まったく理解できない代物です。少なくとも私はそう思って参加したのですが、総会でも東條代表をはじめ発言者の全員が原私案に反対のものでした。
特に以下の
”平素の活動のあり方についても「監査」すべきではないか?”
の箇所には批判続出で「平素の活動を監査するなど、ボランティア団体の域を超えている」「普通の人が参加できなくなる」という意見でした。私は「原君がこのような基準を設ける団体を想定しているのであれば、原版ボランティア団体を作ったらいいのではないか。すべての基準は原君で、自分以外は間違いという印象だ。このようなことを主張されたら参加者が迷惑する」と発言しました。
当HPを覗かれている方、このような私案がまかり通るような団体ではないので、安心して参加してください。
お待ちしています。
それでは。

この投稿者についてはすでに別稿で触れたとおりであるから繰り返さないが,投稿者自身にとって不都合な提案にたいして大声をあけて反対したものの,心ある参加者でこれに同調する者はなく,自らの願望を虚実ない交ぜにしてこねくりあげたのが,この「感想」なるものだといっていい。

週末ボランティア総会と相前後して,東京地裁では,秋葉原連続殺傷事件の裁判が行われているが,その中で加藤智大被告は犯行動機について,「帰る場所、自分が自分でいられる場所」と言うほどにのめり込んだ「インターネットの掲示板を荒らされ」たと思いこみ,かかる行為への報復であったとを述べた。

また「掲示板は同じ場所を共有するという思いを得られた。私が立てた掲示板に来てくれる人は、私の部屋に来ておしゃべりをしてくれる人という感覚でした」と話したとされるが,件の投稿者もまた然りだろう。それを求めてやってきてはこうした投稿をしているわけだ。

現実の世界ではないところに,自分の思い通りになる場を求めること自体は自由というか勝手であるが,現実にまかり通ることはないし,あってはならない。

同じ7月24日の訪問活動は続稿にて,総会については新世紀の「週末ボランティア」行事・イベント篇・2にて,それぞれ述べることとしよう。

2010/07/30 ↑TOP


2010年週末ボランティア総会提案

2010年週末ボランティア総会提案(私案) 2010年7月20日

総括

 神戸・週末ボランティアの2009年から2010年にかけての復興住宅訪問活動は、積年の弊を根本的に取り除き、解体的再生を図り、再出発した2007年から2008年にかけて、活動の資質向上と、住民・市民との信頼関係[再]構築において、劇的な成果を収めた地平にふまえながらも、現状維持的レヴェルとなっているといえる。
 住民・被災者や市民のあいだで、訪問活動の意義の理解浸透は進んだが,それに伴い,活動及び参加者の姿勢や資質にたいする要求は高くなり,それにこたえることが責務となっている。
 また、学び役立とうという気持ちにあふれた誠実な新規参加者をむかえたことで、活動の資質向上とともに良好な雰囲気ができあがったことは、何よりの成果といえる。向上した資質と良好な雰囲気にふさわしい情報発信が求められる。

方針

活動の目的・趣旨の確認−役立ち学ぶ、尊厳を見いだす<確認>
・週末ボランティアの活動は、お話伺いを起点として、コミュニティーの創造・構築や住民の主体性発揮のサポート、行政監視、政策提言などに及ぶものである。
・週末ボランティアの活動の目的は、被災地の復興と被災者の生活再建に貢献・寄与することであり、そのために情況に自らを投入することによって、被災者の中に尊厳を見いだす姿勢が求められる。
・週末ボランティアの活動に当たってもっとも必要とされる基本的姿勢は、言語コミュニケーションを通じて学びの機会とすることである。
・週末ボランティアとしての活動の目的・趣旨を確認し、その達成と増進に寄与するにふさわしい姿勢で参加することを求める。あわせて、参加者が活動を通じて得られる学びと充実を増進できる環境を整備する。
・具体的には、訪問予定の住民宅に投函される「予告チラシ」に記されているような言動と姿勢(不偏不党の原則、独立した主体的立場)を堅持することが、個々の参加者とグループとしての週末ボランティアのいずれにも必要不可欠であることを確認する。

お世話役
 学び役立つグループとしてふさわしく、参加者の資質向上と便宜に期するためためにおくものであって、「指導部」や「体制」ではない。参加者は「お話し伺い」を通じて現実の情況から学び、それを共有・深化させるのが、グループのあり方である。またこれまでのあり方から教訓を得,検証する姿勢が必要である。訪問先住民・被災者の前では、一人一人がグループの「顔」であり、みんなが「代表代行兼監査役」だ。
・代表・会計を常置(再任)。
 「副代表」その他の役職等は不要、設置しない。
・必要なときは代表が代行を指名(委任)できるものとする。
・2009年度に設置した「会計監査」の効果・成果の検証。
 「会計」だけでなく,平素の活動のあり方についても「監査」すべきではないか?

取材等の受入<確認>
 メディア等の取材に際しては、媒体の種類、取材趣旨が、活動の趣旨にふさわしいかを精査したうえで、受入の可否を判断する。参加者・住民その他関係者のプライバシーはもとより、グループとしての信用、住民・被災者の尊厳を守り尊重する上で、慎重な取り扱いを要する。参加者・記者・住民三者それぞれに有意義なものであることが望ましい。
媒体の種類による適否の例;
○新聞
△ラジオ、市民記者(WEB版ニュース)、雑誌など
×テレビ、宗教団体機関誌・紙、党派機関誌・紙、マンガなど。
ジャンルによる適否の例;
○報道、ドキュメンタリー、その他社会問題として扱う上でふさわしいもの
△ノンフィクションなど
×娯楽、バラエティーなど

活動の継続
グループとしての活動を継続する上で,活動にたいするニーズがあることと,活動を担う側がそれにこたえる資質を備えることの両者が不可欠である。毎年1度以上,グループとしての活動の継続の適否について検証する。活動の継続が適切でない状態になったときは,総会の決議もしくは代表の判断によって,活動の休止・停止を決するものとする。

記録・広報
地元を中心とした参加者募集とグループの活動に関する広報としては,その媒体の選択による信用度の向上を図るべく新聞を重視するものとし,広報・宣伝と記録の区別を明確にし,その資質向上を図るべく,現状の「インターネット班」による体制を,根本的に見直す。

その他

2010/07/21 ↑TOP


第510(新生68)回 訪問活動

体調不良と多忙のため間が開きましたが,今回は約3ヶ月ぶりの復興住宅訪問活動への参加となりました。

西日本各地で,梅雨末期の豪雨による被害が報じられ,神戸でも時折不安定な天候となる中,新たに生まれかわった週末ボランティア第68回目となった7月10日の訪問活動は,夏間近らしい暑さの中で行われました。この春から参加するようになった新たなメンバーも,その真摯な姿勢と豊かな人生経験を活かし,グループと訪問先の住民の方々と馴染み,理解を深めつつある姿に,神戸・週末ボランティアにおいて,ボランティア団体らしい雰囲気が熟成されつつあることを感じさせました。

この日うかがった概略です;

・70代女性,弟さん(60代)と2人暮らし。東灘区で全壊。同区内の避難所・仮設住宅を経て,旧公団からの借り上げであるこの復興住宅へ。仮設住宅よりここの方が住みやすい。足が悪いが,一緒に暮らしている弟さんが買い物をしてくれるので助かり,今となってはあまり不便はない。
・60代男性。中央区で全壊。地震が起こったときは,急な仕事のため出勤する準備をしていた。近くの公園に張られたテントで8月まで避難生活をしたあと,ポートアイランドの仮設住宅へ。その頃は建築関係の仕事をしていた。この復興住宅ではコミュニケーションがなく,仮設住宅の方がよかった。玄関先でお話を伺う中で,参加者の一人と出身地,さらには出身中学校まで同じと解り,ふるさとの話題で話が弾んだ。
・80代男性,一人暮らし。中央区で被災。クモ膜下出血や脳梗塞を患い,とても対話できる状態でないからと,「神戸在住50有余年/健康は一応順調/仕事は神戸港が主」など,自ら支援シートに記入してくださった。

2010/07/17 ↑TOP


第504(新生62)回 訪問活動

体調が思わしくなく,訪問活動への参加が1回あいてしまいましたが,新生週末ボランティア第62回目となった4月10日の訪問活動は,ちょうど桜が満開をむかえ,好天のお花見日和の中で行われました。

初参加者は前回同様3人でしたが,参加のきっかけでもっとも多かったのは「神戸新聞」掲載の参加案内とのことで,新聞に掲載されていることで信用と安心をもたらすのでしょう,それにみあった活動を心がけてゆくことで,地元からの真摯で着実な参加に,今後ともつなげていきたいと思います。

こうしたお花見日和の好天のおかげで,訪問予定となったお宅の過半数がお留守であったほか,最近になって入居してきたばかりの被災者でない方のお宅もいくつか含まれた中での訪問活動でしたが,意義あるお話し伺いを実現することができました。その概略を紹介しておきます。

・70代男性,一人暮らし。兵庫区で全壊。近くの公園に1月ほど避難。一番困ったのはトイレ。あちこちに穴を掘ったり,水道が復旧していない水洗トイレに給水車からもらってきた水をほとんど費やしたりした。こうした情況にたいして市職員は衛生が悪いと文句を言うだけだった。その道の組の人が肉を差し入れてくれた。水道が復旧した娘さんのマンションへ移ったが,電気・ガスがまだ復旧していなかったので自衛隊の風呂に入りに行った。高層住宅ではなく地面に接したところに住みたいと思うが…
・70代女性,夫婦2人暮らし。芦屋市で全壊。近くの小学校に避難したが,トイレ掃除がたいへんだった。西宮市内の公営住宅を経てこの復興住宅へ。テレビが楽しみ,介護保険料が高くなってたいへん,今では地震のことを笑って話せるようになった。夫婦仲良く元気で暮らしている印象。
・40代男性,一人暮らし。灘区で半壊。近くで何人か亡くなった。港湾の仕事をしている。ビールが友達。訪問に向かうボランティアの姿を見て待っていてくださった。

2010/04/17 ↑TOP


第502(新生60)回 訪問活動

新生週末ボランティア第60回目となった3月13日の訪問活動は,前回以上の暖かさの中で行われました。今回もまた不在のお宅が多く,お話し伺いができたところは限られていますが,限られた機会を最大限活用する姿勢を大切にしたいものです。また,予定していた訪問活動が早く終わったあとの過ごし方についても,ときには自重が求められるものであることを,心得ておく必要があるでしょう。

この日うかがった概略です;

・40代?男性。被災しておらずこの復興住宅へ入居したのは去年とのことであったが,各戸をまわって「お話し伺い」を続ける訪問ボランティアの趣旨をを理解していただけるよう,短いやりとりの中でも留意した。
・兵庫区で半壊。訪問時お留守との連絡をあらかじめ戴いていたが「有難うございます。今のところ元気です。(あんしん)すこやかセンターでお世話になっていますので…」と,自身で記入した支援シートを戴いた。介護予防生活支援サービスを利用されている模様。
・60代男性,灘区で全壊。訪問時お留守だったが「健康状態は良好です。心遣いありがとうございます」と,自身で記入した支援シートを戴いた。
・40代女性,母が須磨区で全壊,近くの私学で避難生活を送った。区画整理のためもといた場所に戻れず自分がいる大阪へ。復興住宅入居で不利になり,ここへ入居したのは4年前。

2010/03/14 ↑TOP


第501(新生59)回 訪問活動

新生週末ボランティア第59回目となった2月27日の訪問活動は,神戸ファッションウィークのメイン行事・神戸コレクションが行われるなど,町にはひときわ華やいだ雰囲気のところもありましたが,真摯な姿勢を改めて確認した参加者の協力のもと実現されました。

今回もまた暖かな天候の中,留守宅が多かったにもかかわらず,すべての参加者が「お話し伺い」を実現し,真摯な姿勢がもたらす充実した内実とあわせて,参加者自身の心地よい緊張感の意義を確認することができました。

この日うかがった概略です;

・70代男性,中央区で全壊。自宅は全壊したが,経営していたアパートは残ったので,そこに住んだあとこの復興住宅に。被災してテント生活を送っていた80人ほどの近隣住民に早朝から届けられる食糧の仕分けをしていた。初め16人はで作業していたが最後は自分一人に。テントを閉めたあとはみなバラバラになった。

・60代女性,中央区で全壊。おしどり夫婦で永年理髪業を営み,ご主人は朝刊配達もしていた。震災の時,ご主人が配達し終えて外に出たばかりのビルが倒壊,帰宅して埋まっていた奥さんと娘さん,お孫さんを救出。奥さんは以来腰痛に悩まされ,最近は頭部できた腫瘍を除去する手術を受けた。震災後一時親類宅に身を寄せたが,ポートアイランドの仮設住宅に最後までいたあと,最後の抽選でやっとこの復興住宅に。震災後間もなく仮設店舗を経て営業再開したが,2年4ヶ月前,配達中にご主人が倒れ,ほとんど意識がない状態に。店も閉め,自身の入通院のとあわせてご主人の入院先に通う。会話ができなくなったと涙ぐみ悲しんだが,夫を亡くした参加者の一人が,声かけをしてみるよう勧めたりする中で,気持ちが晴れたと,表情も明るくなっていった。

2010/02/28 ↑TOP


第500(新生58)回 訪問活動

2010年の第2回目であり,新生週末ボランティア第58回目となった2月13日の訪問活動は,阪神淡路大震災が発生した1995年6月に仮設住宅への訪問活動を始めて以来,通算500回目となりました。

既に1月9日のつどいを「訪問活動500回記念プレ企画」として行ったこともあり,この日は特別な行事を特に用意しませんでしたが,訪問前レクチャーの場において,黙祷をするとともに,ある参加者の音頭取りで「しあわせ運べるように」を歌いました。また,前回の訪問活動前に議論した,ハイチ地震に関して支援団体に週末ボランティアの予算からカンパを行う件については,事情により中止することとしました。

早くも梅の花が満開になろうとする暖かさの中,予想外に留守のお宅が多かったのですが,平素から私たちの訪問活動に協力してくださっている住民の方々のご協力により,初めて訪問活動に参加された方に,復興住宅とそこに暮らす被災者の現状を理解していただく機会を得ることができました。

こうした住民の方々の最近の意識としては,復興と生活再建に続き,成熟した市民社会をともに担うパートナーとしての役割を期待していることを,さらには,そうした期待が,参加者の資質向上をいっそう求めるものであることを,強く感じました。「来たい人より来てほしい人を」求めて動き出そうとしています。旧くからの参加者の一部諸君には,参加に関する姿勢を今一度顧みてもらいたいところです。

お世話になっている倉谷さん宅で訪問活動の集約を簡単に行ったあと,勤労会館に戻って終了ミーティングを行いました。この日の参加者を10名とした報告もありますが,実際には他用での参加者への面会のためミーティングの場に現れた人を数えているため,実際には9名とすべきところです。

活動と参加者の資質向上が今こそ求められています。それなくして今後の継続はあり得ません。

またミーティング終了後,訪問活動の記録活用をめぐって問題提起がなされましたが,その中で一部の参加者が,自らの主観性に無自覚なまま,以前理解を得られなかった議論を蒸し返したことは,非生産的なものといえますが,支援に結びつけるための集約という点では,さらなる議論が求められるところです。

1年半あまり前から制作してきたウェブサイトThis is 神戸・週末ボランティアが,Yahoo! JAPANカテゴリ登録されました。これも,「阪神淡路大震災の被災地・神戸で今なお復興住宅への訪問活動を続けているグループの記録とレポート」としての内容・手法もさることながら,データ修復に始まり,校訂と再整理を行った,訪問活動の記録が,被災者・被災地からの広範な声を届けるものとして,理解を得たものと思われます。

2010/02/27 ↑TOP


オドレイ・フーシェ監督「メモリーズ・コーナー」続報

先にここでも紹介した,オドレイ・フーシェさんの監督作品「メモリーズ・コーナー」ですが,「神戸新聞」と相前後して「読売新聞」でも紹介されています。

映画、阪神大震災描く…1・17のつどいで撮影スタート 2010年1月12日 読売新聞 大阪本社版

 阪神大震災をテーマに、神戸市を舞台としたフランス映画「メモリーズ・コーナー」の撮影が17日、神戸市内で始まる。震災15年を機に、神戸を取材に訪れた仏女性記者の目を通して、復興した街や被災者らを描く。2011年のカンヌ国際映画祭に出品する予定。
 オドレイ・フーシェ監督が07年に神戸を訪れた際、震災に興味を持ち映画化を進めていた。「ある子供」(2005年)や「譜めくりの女」(06年)に出演した仏女優デボラ・フランソワさんが記者を演じる。日本からは俳優の西島秀俊さんや阿部寛さんらが脇を固める。
 撮影は17日〜2月20日。17日に神戸市中央区の東遊園地で開かれる追悼行事「1・17のつどい」で撮影するほか、復興住宅が立ち並ぶ同区の「HAT神戸」や大火に見舞われた長田区、淡路島などでもある。
 日本側の制作会社「Twenty First City」は「監督が3か月間日本に滞在し、自ら取材もした。主人公を通し、監督が震災について感じたものを表現するはず」と見所を紹介していた。

東遊園地での撮影を見かけた人もいるのではないかと思いますが,象徴的・印象的なシーンは,淡路島で撮影されているようです。

震災復興テーマの仏映画、淡路でロケ始まる 2010年01月30日 朝日新聞

 阪神淡路大震災からの復興をテーマにした日仏合作映画「メモリーズ・コーナー」の撮影が神戸市や淡路島で進んでいる。29日には淡路島ロケが始まり、淡路市野島貴船の山中に俳優の阿部寛さん、西島秀俊さんら約100人が集まった。2011年のカンヌ国際映画祭への出品を目指し、フランスなど世界各国で公開される予定という…
監督はフランス人女性のオードリー・フシェさん(29)で、黒沢清監督が脚本監修を手がけた。…オードリー監督は「震災で亡くなられた方々や心や体に大きな傷を負われた方々のことを絶対に忘れない、というメッセージを伝えたい」と話している。

震災で亡くなられた方々や心や体に大きな傷を負われた方々のことを絶対に忘れない

こうしたことは,被災者の生活再建と被災地の復興のために役立とうとする全ての人が当然にも堅持していなければならないもので,あわせてそれを広げてゆくことも責務なのですが,これを彼女と作品に託したいと思います。

2010/02/11 ↑TOP


訪問活動概略;2009年 ほか

昨年1年間の訪問活動における「お話し伺い」をまとめ,再編集して,「訪問活動概略;2009年」をまとめました。

先にも少しお知らせしたように,2008年までの訪問活動のまとめは,OoCities.comのプロジェクトの一環として,海外サイトでの永久保存が行われています。復元の過程で行った再編集により,グローバルスタンダードに照らして,保存価値を認められるようになったといっていいでしょう。

このほか,ふるい参加者の手になる貴重な資料を合わせて,神戸・週末ボランティア アーカイブズにまとめました。新サイト This is 神戸・週末ボランティア 〜すべての「不都合な真実」に捧ぐ トップページからもご覧いただけます。

2010/02/11 ↑TOP


第499(新生57)回 訪問活動

2010年の第1回目であり,新生週末ボランティア第57回目となった1月23日の訪問活動は,「1.17」からほぼ1週間が経ち,落ち着きを取り戻したなかで,常連となった参加者に加え,新たな参加者,久方ぶりの参加者らを加えて,2グループで20戸の被災者宅を訪問しました。

参加者の訪問活動に臨む姿勢,被災者−住民への共感を持って接する態度が,「お話し伺い」のあり方以前に,問われていることを,またそれが活動の資質の前提であることを,痛切に感じさせるものでした。

おおきに!oocities! HARA Hideki's Blog

以下,この日うかがったもののいくつかを紹介しておきます。

・70代男性,一人暮らし。東灘区で全壊。糖尿病のため週3回ポートアイランドまで通院したり,2日に1回買い物をしたりする以外はあまり外出しない。行政にたいしてもあまり期待していない。政権が変わっても私たちのような者のことは考えてくれていないと思う。だから人に迷惑をかけないよう,一人で前向きに生きるしかない。
・60代男性,夫婦2人暮らし。灘区で全壊。「テント村1年,仮設住宅4年」の後この復興住宅へ入居したが,旧公団から神戸市が20年契約で借り上げた部屋なので,「その後の住まいが心配!」,「今の住宅に住み続けたい!」と,自ら記入された支援シートをもとに,切実な訴えを伺った。
・70代女性,一人暮らし。灘区で全壊。退職後移り住んで1ヶ月で被災,近所では火災も発生し,何人か亡くなったが,同じ建物に住んでいた男子学生に助け出された。最後くらいに当たった西区の仮設住宅で4年あまりを過ごしてこの復興住宅へ。長く住み込みで働き一人で生きてきたため,近所づきあいが苦手とのこと。はじめは震災のことは想い出したくないとのことだったが,話しながら表情が明るくなっていき,40分にわたるお話し伺いに。
・20代女性。中央区で被災。被災後両親と加古川市の親戚宅へ身を寄せた。震災のときは9歳だったのであまり覚えていない。1月17日に男児を出産したと聞き,思わず「おめでとうございます」と言った。
・60代男性。中央区で被災。下着の中に食料品が入っていたりするなど,支援物資は使えなかった。近くの私学での避難生活をしていた間,住所がなく仕事ができなかった。やっと当たって入居したポートアイランドの仮設住宅は「人間のゴミ捨て場」。まるで「貧乏人は要らない」,もとのところへ帰りたければ自力で,といわんばかり,とのこと。地震でも震災に関する資料を集めてアルバムにまとめている。
・30代女性,家族3人暮らし。中央区で自宅・店舗とも全壊。仮設住宅になかなか当たらなかった上,この復興住宅へは旧公団に申し込んで,家賃の減免が全くない条件で入居。

2010/02/05 ↑TOP


Re: 仏映画、震災15年目の1.17から神戸でロケ

東條さんが紹介してくださっている件ですが,

監督のオドレイ・フーシェ氏が平成19年に神戸に来日した際、私たちと一緒に復興住宅を訪問して歩き、多くの人たちと話をした。後に倉谷さん宅に多くの時間を割き、倉谷さんを撮りまくったという。

このオドレイさんは,2007年4月14日の訪問活動に同行したほか,倉谷さんらに引き続きインタビューや撮影を行いました。訪問活動参加の様子やその後の報道については,弊サイトThis is 神戸・週末ボランティア新世紀の「週末ボランティア」訪問活動篇・2に掲載していますので,ご覧ください。

またこれに先立って神戸新聞でも紹介されています。

日仏合作で復興を映画化 17日神戸でクランクイン 2010/01/10

 阪神・淡路大震災後の被災地を舞台にした日仏合作映画の撮影が、地震から15年となる17日、神戸市内で始まる。外国人記者の目を通し、復興に向けて歩む被災地と、そこで暮らす人々のドラマに光を当てる。脚本・監督のフランス人女性オドレイ・フーシェさん(28)は「知人が当時神戸で暮らしていたことや、自分の誕生日が1月17日であることから関心を持っていた」と話す。

 震災15年の追悼行事を取材する若いフランス人女性記者が主人公の劇映画「メモリーズ・コーナー」。主演は、映画「ある子供」「譜めくりの女」などで知られる女優デボラ・フランソワさんが務め、西島秀俊さん、阿部寛さんら日本人俳優も出演する。

 フーシェさんは2003年、国立映画学校「ラ・フェミス」に進学し、脚本技術などを学んだ。両親と親しい日本人が神戸で被災し、以前から話を聞かされていたこともあり、震災を題材にした映画を作りたいと思うようになったという…

以来約3年の間,映画化実現の過程で,震災15年や上映時期を考慮して,シナリオも手直しされているかも知れませんが,配役も豪華なものになっているようです。

結果として,いち早く制作に協力した私たち神戸・週末ボランティアも,世界に向けて,被災者−市民とともに,成熟した市民社会をともに築く,文化創造の担い手にふさわしい,矜恃と,活動の資質をもって,平素の活動に臨みたいと思います。

2010/01/22 ↑TOP


Re: 朝日新聞に載ってましたね。

1月9日に行われた「16年目の大震災被災者とボランティアのつどい」のもようは,「朝日」のほか「神戸新聞」でも掲載されています。いずれも地方紙面のみで,web版には掲載されていません。紙面の写真複写をとっていますので,後日あわせて報告したいと思います。

なお「朝日」紙面の写真で,私が変な姿勢で移っているのは,記事でも紹介されていた被災者の方のお名前を確認していたからです。訪問活動では「お話し伺い」ですが,ここでは「お名前伺い」でした。蛇足ながら付け加えると,ほかにも同じようにお名前を確認させていただいた方の一人は,私の母と同じ名前でした。

また,昨年11・12月,訪問活動に同行取材して作成された記事が,「読売」・「神戸」・「日経」・「毎日」に掲載されていて,こちらは紙面・web版ともに見られます。

被災者に耳傾け500回…神戸の「週末ボランティア」3万2500戸訪問
http://osaka.yomiuri.co.jp/volunteer/news/vo91226b.htm

震災被災者訪問500回に 神戸の市民団体
http://www.kobe-np.co.jp/news/kobe/0002606522.shtml

被災者慰問3万軒――神戸の震災ボランティア活動、来月500回に
http://www.nikkei.co.jp/kansai/news/news007028.html

共に生きる・阪神大震災15年:訪問ボランティア、来月500回
http://mainichi.jp/kansai/news/20100109ddf041040026000c.html

この約3年間,解体的再生を図って訪問活動に取り組んできた成果が,その内実への関心として,大きな扱いになったといえるでしょう。

「つどい」の場でも,被災者−住民の方からも,こうした訪問活動の資質向上への取り組みの成果を評価する声が次々と上がったことは,何よりありがたいものでした。同時にそれは,安易な参加者獲得へ走ることなどによって,再び低下することへの危機感や不安を,強くにじませたものでもありました。このことを深く受け止めたいと思います。

この「つどい」報告は,弊サイト・This is 神戸・週末ボランティア http://kobe.cool.ne.jp/weekend-volunteer/ の新世紀の「週末ボランティア」行事・イベント篇・2 http://kobe.cool.ne.jp/weekend-volunteer/event/wev2008a.html で,後ほど報告したいと思っています。

ということで,今年も被災地・被災者と週末ボランティアを温かく見守って,ときには叱咤激励してください。

このつどいの後,大阪へ移動しましたが,「1.17」頃には再び神戸に来るつもりです。そのときは宜しく。

2010/01/12 ↑TOP


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