新世紀の「週末ボランティア」
行事・イベント篇・2

訪問活動450回記念 追悼と討論の集い 13年目の被災地から2008年週末ボランティア総会
震災被災者とボランティアの集い2009年週末ボランティア総会
大震災被災者とボランティアのつどい2010年週末ボランティア総会

訪問活動450回記念 追悼と討論の集い 13年目の被災地から
〜「高齢者」となった被災者のこれまでとこれからを中心に〜  (2008.1.5)

既に述べたとおり,神戸・週末ボランティアは,2007年11月10日に訪問活動450回目をむかえたが,正常化に集中するあまり,節目の記念行事を準備しなかった。そこでやや遅ればせながら,恒例となった1月の集会に,訪問活動450回記念を冠して行うこととした。

訪問活動450回記念 追悼と討論の集い後の記念撮影

集会後の記念撮影。HAT神戸・脇の浜8棟108号室,倉谷さん宅 (2008.1.5)

会場となったのは,2004年,2006年,2007年と同じく,海岸近くの工場街の跡地に建てられた復興住宅であるHAT神戸・脇の浜住宅の倉谷志之武さん宅だ。今回の集会開催にあたっては,過年度とのかねあいでマンネリ化を避けるのはもちろんのこと,週末ボランティアとしての活動趣旨にふまえ,正常化を達成しつつある平素の訪問活動に立脚し,その中から見いだした課題をもってテーマとすることとした。予定された集会の概要は以下のようなものだ。

 週末ボランティアは,去る2007年11月10日で訪問活動450回となりました。「1.17」恒例の行事とあわせて,これまでの訪問活動を顧みて問題提起を行うとともに,被災者・市民・ボランティアの交流の機会をつくりたいと思います。

・黙祷

 私たちの活動で忘れてはならないのは被災者の中に尊厳を見いだすことです。それは,生きている方からのお話し伺いを通じて,犠牲となった方に思いをいたすことでなされるものであることを,はじめに一同で確認したいと思います。

・基調報告

2007年週末ボランティアの活動報告:昨2007年は活動体制刷新についての抜本的な取り組みを行い,7月15日の総会を経て,原点に立ち帰り,新生週末ボランティアとして再出発しました。虚心坦懐に「お話し伺い」を続ける中で得た,今日的意義と課題について考えていきたいと思います。

被災地・被災者をめぐる情勢〜被災者生活再建支援法改正を中心に:昨2007年は,3月25日の能登半島地震,7月16日の新潟中越沖地震と大規模災害が続き,11月9日には被災者生活再建支援法が改正されました。阪神淡路大震災の被災者・被災地からの声を出発点につくられ,政局の混迷する中で改正された同法を通して,現在の被災者・被災地ついて考えていきたいと思います。

・問題提起

〜「高齢者」となった被災者のこれまでとこれからを中心に〜

 高齢化社会といわれて久しいですが,「高齢者」の多様化,格差拡大が進むだけでなく,近年新たに「高齢者」となった世代を,既成の枠組に当てはめて理解することが困難となっています。阪神淡路大震災の被災地に即していえば,被災当時彼らは,現役世代,「中高年」が主で,まだ「高齢者」といわれる年代ではありませんでした。

 セイフティーネットから漏れ,「自助努力」を強いられながらも,そのための環境・手段も失われ,奪われたまま,今日に至った人も多いことを,想起しなければなりません。仮設住宅での「孤独死」や,支援の必要性が充分認識されないまま放置されたケースが多い年代でもありました。

 ある意味で,もっとも矛盾や歪みの中に身を置いてきた年代の被災者との交流を通じて,公的支援や私たちボランティアのあり方を顧みるなかから,被災地・被災者のこれからを展望し,13年目の被災地からのメッセージとしたいと思います。

・自由討論と交流

 高齢者となった被災者のナマの声を伺い,被災者間,被災者とヴォランティア,その他参加者との交流をつくり出したいと思います。

13時に三宮に集合してバスで現地に向かったメンバーは,現地集合したメンバーとともに早速準備にかかった。予定された14時には,ヴォランティアをはじめ被災者・市民ら約10名に加え,マスコミ関係者数名の参加のもと,集会を開始した。

はじめに参加者一同で黙祷し,犠牲者を決して忘れないことを,またあわせて,平素の活動の中で,被災者から「お話し伺い」をさせていただくなかで,そのかたわらや背後に必ずと言っていいほどいるであろうかかる存在に思いをいたす,すなわち生ける者の声を通して死せる者の声に思いをいたすことを,改めて誓った。

次いで自己紹介に移る。訪問活動参加者や,その知人である被災者・市民が,各自の被災情況や,活動参加のきっかけやそこから得た思いなどを語った。今回は,遠方の参加者もさることながら,被災地からの,また自らも被災者である参加者が多数を占め,週末ボランティアの活動が,被災地・被災者に理解・支持を広げていることを示すものであった。また年代的には,老・壮・青各層にわたったが,中でも多数を占めた高齢者の活発な発言が,討論と交流を充実させていった。

黙祷討論と交流

黙祷(左),討論と交流(右) (2008.1.5)

いよいよ本題にはいる。まずは2007年の活動報告だ。HAT神戸灘の浜住宅にはいるようになってからの活動報告は既に昨2007年7月の総会でもなされているが,ここでは,活動体制の刷新の取り組みについて,多角的に検証し,その成果と意義を確認した。

活動体制刷新にともなう住民との信頼関係構築の意義が,新規参加者の感想からもうかがえることを確認したり,昨春3週間にわたって来日し4月の訪問活動にも参加した,フランス国立映画学校女子学生に関する紹介を通して,週末ボランティアの活動が,被災地のナマの姿,被災者のナマの声に直接に触れる窓口としての役割を果たしていることを報告した。

またここからは主に,予め作成しておいた資料をもとに,報告をする形を取ったが,その中で,最近の「お話し伺い」から,震災から10年以上経ってやっと話せるようになったという声が聞かれることや,震災当時はまだ現役世代,中高年であった世代が高齢者の仲間入りをする時期になり,それまでもっともセイフティーネットや公的支援策から漏れ,苛酷な自助努力を強いられ呻吟してきた姿が,いっそうハッキリと浮かび上がってきたことを,これまでの仮設住宅・復興住宅を通じた「お話し伺い」の記録の中から,かかる情況に近いものをピックアップしたものをあわせることをも通じて,明らかにし,これをもって問題提起とした。

かくして本集会の問題提起が,今まで積み重ねてきた「お話し伺い」の中からなされたものであることを明らかにしたわけだが,この集会が,平素の活動に立脚し,その中から生まれた,まさに地に足をつけたところから出発したものであること自体が,これまでの週末ボランティアの行事としては画期的というべきものであり,今回の集会の最大の意義であるといわねばならない。こうしたものはある意味では至極当然なことと言ってしまえばそれまでかも知れないが,実際のところ,最大にして喫緊の課題であった,被災者・住民との信頼関係の構築・恢復が,着実に成果を上げつつあり,それによって可能になったものであることを示すといえよう。

被災地・被災者をめぐる情勢については,被災者生活再建支援法改正を中心に触れた。今回の同法改正は,昨夏の参院選における自民党大敗によるねじれ国会,安倍首相辞任などの政局に翻弄され,充分な論議が尽くされないまま,妥協的・見切り発車的になされたものであり,今回の見直しにあわせて総務省が募っていたパブリックコメントも,もとより法的拘束力を持つものではないが,その結果が集約・反映されないままにされたというような,背景をふまえた上で,参考として東條健司代表が個人として提出したものを紹介した。

準備風景休憩中の一齣

準備風景(左),休憩中の一齣(右) (2008.1.5)

前半の報告と問題提起のあと休憩をはさみ,正月らしく乾杯したあと,後半は自由討論と交流を中心としたフリートーキング的な時間とした。そうした中でも,貴重な報告・発言が少なくなかった。また被災者・震災経験者が多く,お互いの被災体験やその後の苦労などを率直に述べあう中でおのずから交流の端緒がつくられていった。

これまでも集会の場所を提供し,自らの被災体験を語ってきた倉谷さんには,週末ボランティアの訪問活動の記録を皆で見ながら,出会ったときのことをふり返り,寒い日に屋外で訪問に向かう参加者のグループ分けなどをしていたのを見て,自宅の利用を申し出られたことや,北区の気候の厳しい場所にある,夏の酷暑や冬のすきま風に悩まされたつくりの悪い仮設住宅での苛酷な生活で体調を崩し,半身不随の車いす生活を余儀なくされる身になったため,復興住宅入居に際しては他に選択肢がなく,ここに入居するに至ったことなどを話してもらった。

また,現在も復興住宅で住民の方の相談に乗ったりお世話をしたりされている倉谷さんだが,それに至るには,自らも経験し,身近で見てきた避難所や仮設住宅での被災者間の人間関係があるという。そうしたものについてもいくつかエピソ−ド的な事例を話してもらった。

こうして予定された16時頃まで活発な発言が続き,さわやかで暖かな雰囲気の中で終えることができた。最後の倉谷さんの「採り上げてもらって光栄」,「感無量」という言葉は,テーマを設定して呼び掛けた者にとって,実にありがたいものであった。集会の最後は,参加者(終了間際に滑り込み,辛うじて間に合った方も)に取材に来たマスコミ関係者を交えた一同で恒例の写真撮影となり,充実した意義あるひとときをともに過ごした記念とした。

この集会を総括するならば,予定されたものをどれだけ現実化しえたが,まずもって第一の規準となろう。またその前提として設定したテーマなどのプログラムの妥当性も問われよう。この点については,週末ボランティアの平素の訪問活動に立脚して実現されたこと自体の意義をもってこたえておこう。

第一の規準ではそれなりの達成度はあろう。被災地・被災者をめぐる情勢については,毎回の訪問活動に集中するあまり充分注意を払ってこなかった面もある上,中越・能登など他の被災地での活動・取材を経験した参加者からの発言・意見を求めることで,阪神・淡路の被災地のおかれた情況をヨリ広範で多角的な視点で捉えることができたのではと思われる点が残念だ。

またテーマに即して言うならば「「高齢者」となった被災者のこれまで」については,さまざまな発言・意見が出たことから,集会としての意義自体を確認することはできよう。その一方で「これから」については,展望しようという思いは参加者の間に共有されていたであろうが,ヴォランティアとしての活動方針の展望について若干の意見や提起がなされたものの,「高齢化」が進む現下の高齢者の「これから」を展望するという,文字通りの意味では,問題の難しさ・深刻さを浮き彫りにすることとなった。

かかる前提からすれば,集会の成果を平素の活動に,また一人一人の参加者が,役立ち学ぶという参加に臨む姿勢に還元するための要素と方法をいかに導き出すかという点からも問われるべきであろう。今回焦点を当てた年代層である,「高齢者」の中でも比較的若い世代を今まで,いわば置き去りにしてきたことへの自覚を通じて,難儀している人々,とりわけその難儀さに充分思いをいたし理解してこなかった存在に,改めて思いをいたすことが求められる。

決してただ見守るべき対象と言った,受動的存在として位置づけることがあってはならない。彼らの尊厳を見いだそうとするならば,彼ら自身がいかに声を上げ要求を実現できるようにするかが問われる。被災者自らが声を上げることのサポートも,仮設住宅訪問以来の週末ボランティアの活動の要素だ。また学ぶ姿勢やその成果は,ヴォランティアのみが享受するものではない。彼ら当事者においてもその主体性をさらなるものにするため,ともに学び,その成果を共有することも,課題であると言っていい。あわせて,多様な被災者間の交流をいかにつくり出していくべきかもまた,改めて課題としなければならない。

マスコミの反応を見ていこう。

阪神大震災:孤立化防止訴え相次ぐ 神戸で市民団体、高齢被災者テーマに集会 /兵庫
  (毎日新聞 2008/01/06)
被災者との対話大切に 週末ボランティアが討論会」 (神戸新聞 2008/01/06)
昨年同様マスコミの取材があり,記事になった。恒例行事だけに昨年の記事をもとにした雛形や予定稿を準備したのではと思われる記述もあるが,かかる枠内であっても,今回の集会の趣旨を理解し,意義を認めて,おおむね好意的な記事となったことはありがたい。

阪神・淡路大震災の被災者への訪問活動(お話し伺い)450回、「神戸・週末ボランティア」記念行事に参加して」 (ライブドア・ニュース 2008/01/08)
阪神・淡路大震災から13年、「高齢者」となった被災者、倉谷志之武さんの場合」 (ライブドア・ニュース 2008/01/12)
今回は市民記者(パブリック・ジャーナリスト)による紹介記事も見られる。前者の記事は,読みようによっては神戸・週末ボランティアの不偏不党の立場やグループとしての週末ボランティア及び代表者の活動に臨む姿勢について誤解を招きかねない記述も見られたが,後者は倉谷さんを中心に,週末ボランティアの活動と本集会の趣旨をよく理解し,丁寧に作成されたもので,倉谷さんではないが「感無量」の思いだ。

以上のように,これまで公的な支援策やセイフティーネットから漏れ,自助努力を過酷に強いられて来た被災者と交流し,彼らがこれまでおかれてきた情況について討論し学び,彼らが今後あるべき情況について展望することを目指した本集会の意義は大きい。またこの意義をさらなるものにするためには,平素の週末ボランティアの活動に,一人一人の参加者の学び役立つ姿勢にいかに還元し現実化するかが問われよう。

 (2008.1.30)

2008年週末ボランティア総会 (2008.7.13)

年一度の週末ボランティア総会が梅雨明け間近の7月13日に行われた。昨年の総会において解体的再生を図った神戸・週末ボランティアの正常化の成果と地平を確認し,さらなる前進を目指す上で,今回の総会は重要な意味を持つものであるので,2008年週末ボランティア総会提案を準備した上で参加した。

2008年週末ボランティア総会後の記念撮影

総会後の記念撮影。神戸市勤労会館にて (2008.7.13)

HAT神戸・灘の浜住宅への訪問活動を行った前日同様猛暑の日に行われた総会は,東條健司代表から活動報告,佐治会計から会計報告が行われた後,この1年間の活動の総括と向こう1年の活動方針についての議事に進んだ。

ここからは主に私が準備した「提案」に沿って進められた。まずこの1年間の活動の総括としては,東條代表からの報告とも重複するところも多かったが,「提案」とともに用意した「資料」において,そのほとんどを割くかたちで,2007・2008年のお話し伺いの概略や,訪問活動や行事を掲載した新聞記事などを示しつつ,この間の活動の質・量の向上,住民・市民からの信頼関係の回復・構築が順調に進んでいることなどを明らかにするとともに,そうした成果とそれらについての認識を共有することを目指した。

とりわけ,昨2007年11月に訪問活動450回を迎えたこと,その記念も兼ねた今2008年1月の恒例行事が,こうした訪問活動の中から見いだした問題を採りあげてテーマとするなど,まさに平素の訪問活動の質と,それに立脚してなされたことの意義が大きいことを示した。

総括に続いて,これからの活動方針の提起に移った。ここではまず,「活動の目的・趣旨の確認」を行った。「週末ボランティアの活動は、お話し伺いを起点として、コミュニティーの創造・構築住民の主体性発揮のサポート行政監視政策提言などに及ぶものである」こと,その「活動の目的は、被災地の復興と被災者の生活再建に貢献・寄与することであり,「被災者の中に尊厳を見いだす姿勢が求められる」といった,もっとも基本的なことから始め,「宗教や政党など全く無関係の民間のボランティア団体」と,訪問予定の住民宅に投函される「予告チラシ」に記されているよう,政治党派や宗教団体とは無関係・中立で,行政の下請のごときでもない言動と姿勢を堅持することを確認した。これは,信頼関係構築・回復において必要不可欠であるのみならず,さまざまな形で「神戸・週末ボランティア」の活動を利用しようとするいっさいの存在にたいする,断固たる態度を示したという点で,きわめて大きな意義があったといえよう。

基本的な「活動の目的・趣旨の確認」を行った上で,「連絡・広報」のあり方や「取材等の受入」についての判断基準についての共通理解はできたものの,「他団体などとの交流・連携」,「さらなる資質向上のために」の提案項目を見送るなど,具体的次元での活動の方向性は今ひとつの感が拭えない面があることも否めない。

グループとしての活動を担っていくにあたっての役割分担については,「固定せず回り持ちにすることが望ましい」が,各人の負担過重にならぬよう,実務面の役割を固定的に分担することにした。

昨2007年の総会で,積年の弊の要因であった「副代表」を廃止・解任し,常置の「お世話役」を代表と会計のみとしたが,今回,新たな役職をひとつ加えて,「お世話役」を「新指導体制」なるものとする提案がなされた。これは形を変えた「副代表」の復活であり同様の弊が懸念されるのみならず,「ボランティアに「指導部」も「体制」も要らない」との意見がだされたため,代表・会計(満場一致で再任)に「事務局」を加えたものも「役割分担」であって,「指導部」でも「体制」でもないことを確認した。これはチェック・アンド・バランスの観点と,情況から学ぶというグループの趣旨にかなうものである点から,一定の意味を持つものであるといえよう。

最後に,順調に活動が継続すれば,2010年春には訪問活動500回をむかえることになるが,その際には,被災者・住民とヴォランティアがともに楽しめるような企画を実現しようとの意見も出された。

以上のように,2008年の週末ボランティア総会は,昨2007年以来の解体的再生への取り組みの中で切り拓かれた地平として,その成果を確認・共有する機会となった。ただ,今2008年に入って新たに活動に加わった新たな参加者の姿が見えなかったことが残念だ。これからは訪問活動やその他の行事に参加するにとどまらず,清新な視点から意見と知恵を出し合い,ともにグループとしての神戸・週末ボランティアの活動を担い参画することを願うものである。

(2008.7.22)

震災被災者とボランティアの集い (2009.1.10)

神戸・週末ボランティアでは,「1.17」当日に先立って行事を行うことが定着しているが,今年もまた1週間先立つ形で行った。通常の訪問活動日にあたることから,この日の訪問活動にかえて行ったものであるといってもいい。

1.17を記憶して、今は亡き人を偲び
今日までの犠牲者と帰らぬ人を思い
 明日からの被災者をみんなで考える

  もうあれから14年が過ぎました。
いろいろな事があったこの14年を、ゆっくりと想い起してみましょう。皆さんのお出でをお待ちしております。
  お喋りをしに来て下さい。気軽にお越し下さい。普段着でお出でください。

このような案内が2008年末近くになって出された。(一部引用略)

震災被災者とボランティアの集い後の記念撮影

集会後の記念撮影。HAT神戸・脇の浜8棟108号室,倉谷さん宅 (2009.1.10)

今年は,年月の中で次第に遠い存在になってゆく震災犠牲者にたいする慰霊の気持ちを改め,原点にかえるべく,集会に際して新たな趣向をこらすこととした。東遊園地の一角にある「慰霊と復興のモニュメント」のそばにある「1.17希望の灯り」を分灯して,会場に運び,この灯りを囲んで,黙祷を初めとする,この日の集いを行うこととした。

「1.17希望の灯り」採火「1.17希望の灯り」採火黙祷のあとに乾杯

「1.17希望の灯り」採火 (左・中),黙祷のあとに乾杯 (右) (2009.1.10)

この「1.17希望の灯り」は,1月17日近くになると,行事などのために分灯してもらえるのだが,私が行った1月10日午前10時が今年の最初の回であったため,報道陣のカメラが一斉に向けられているところでの採火となった。常連の参加団体とおぼしき中高生や市民らがすでにやってきているなか,神戸・週末ボランティアは今年初めての参加ということで新聞記者の取材を受け,同日の夕刊に掲載された。
阪神大震災:犠牲者を追悼 希望の灯り分灯始まる 神戸 2009/01/10 毎日新聞

集い冒頭での黙祷 体験を語る被災者

集い冒頭での黙祷 (左),体験を語る被災者 (右) (2009.1.10)

集会の冒頭では,持ち運んできたランタンのままの「希望の灯り」を囲んで黙祷し,震災被災者とボランティアがともに犠牲者に思いを致した。この日の会場は昨年同様,平素から訪問活動のために,HAT神戸・脇の浜住宅の自室を活動場所に提供している倉谷志之武さん宅であるが,この集いを正月の恒例行事として楽しみにしていることから,年長の常連参加者の音頭で乾杯となった。

この日参加したのは,神戸・週末ボランティアに平素参加しているメンバー,激務・多忙の中をぬって時折顔を見せてくれるふるくからの参加者に加え,HAT神戸・灘の浜住宅でふれあい喫茶「神大喫茶」や足湯のヴォランティア活動をしている神戸大生,現在の訪問先の復興住宅であるHAT神戸・脇の浜住宅の被災者・住民の方々であった。まさに新生週末ボランティアの活動の浸透ぶりをうかがわせるものであったといえよう。

震災被災者とボランティアの集い会場風景震災被災者とボランティアの集い会場風景

会場風景 (2009.1.10)

この集いの当日突如として参加者に以下のような1枚の紙片が配布された。(重複部分引用略)

1.開会
2.黙祷
3,参加者紹介

4.被災者と被災地の現状について

5.ボランティアの状況について

6.その他問題提議

7.私たちの決意

8.閉会

集いの中心をなすべき4〜7がこのプログラム通り行われたとはいえない。実際は,参加者の自己紹介からなし崩し的に,被災者である参加者が自身の体験を語ったのをはじめ,自らを取り巻く現状を語ることが中心となった。被災者・住民のナマの声を改めて聞き,しっかり受け止めるという点では,一定の意義はあった。

一方で,このかん不退転の決意で解体的再生を図り,資質向上に努めてきた平素の訪問活動の成果に立脚して問題提起をするという,神戸・週末ボランティアの活動のもっとも根幹をなすところからは,昨年に比べ,後退したといわねばならないことを率直に認めよう。かかる後退を許したことについては,平素の復興住宅訪問活動において「お話し伺い」をさせていただいた,すべての被災者・住民の方々に申し訳なく思う。

この日は2新聞社が取材に訪れ,翌日付で記事になった。いずれも集会の内実には深く触れることなく,「希望の灯り」を囲んで黙祷したことをもって体裁を整えた感がある。
週末ボランティアが感じる復興住宅の問題」 2009/01/11 神戸新聞
阪神大震災14年:希望の灯り「分灯」囲み黙とう 市民団体、被災者と集い」 2009/01/11 毎日新聞

 (2009.1.27)

2009年週末ボランティア総会 (2009.7.11)

1年に1度,活動の総括をし,展望を切り開き方針を決定する週末ボランティア総会は,6月終わりに行うことが恒例となっていたが,再生への取り組みを始めた2007年から,7月にずれ込んだ形で定着したことはすでに述べた。また従来,訪問活動その他の行事とは別の日に,単独で行われていたにもかかわらず,今2009年は,7月第2週の訪問活動の後に,同じ日のうちに行うという,異例な強行スケジュールでの開催となった。

2009年週末ボランティア総会後の記念撮影

総会後の記念撮影。神戸市勤労会館にて (2009.7.11)

同日の訪問活動と集約もそこそこに,異例の短時間の予定のもと始められた総会においては,議論を充分尽くせぬままで結論を急いだり,課題の積み残しや消化不良が予想されることは言うまでもない。また,なにがしらの意図をもって恣にせんとする者の意図を許すこともできない。これらにたいする断固たる姿勢を示すこともあわせて,2009年週末ボランティア総会提案を用意して臨んだ。

冒頭,東條健司代表により,同日の訪問活動にあわせて配布された「今週の資料」の末尾に収録されたものを読み上げる形で,以下のようなあいさつが述べられた。

     2009年7月11日 18時〜20時
   2009年度 週末ボランティア 総会
 皆さん。今年1年頑張って頂いて、又この1年に限らず震災後の15年を温かく被災地とこのボランティアを見守って下さってありがとうございます。
 今年も継続の中で、どのように無理なくこのボランティアを続けて行けるかを考える事を主題とすることが大切なのは、急には成果が上がらないながら、手を緩めればたちまち被災地が視野から抜け落ちるからです。
 何人かの強力なサポートと何人かの自由な参加。それが現実となった時、毎回の訪問がある。今年もその輪を作っていく工夫をしよう。
 今年は、過去のデータを整理してみた。その結果、今年6月の486回で、参加者総数16,001名、訪問戸数32,376戸である事が分かった。今日を入れると何人だろう。
 そしてそれは何処へゆくのか。
 この2年間の成果の上に立って、過ボラの総括をしてみよう。

続いていくつかの数字が列挙される形で議事が進められた。会計報告や予算的議論に関するものもあったが,「事務局」を名乗る参加者から,2007年以降,訪問を拒否される戸数が少なくなったことを示す数字を示し,これをもとに,ニーズに沿った活動をしているなどとする報告がなされた。データ作成の努力は評価するとしても,かかる結論を導き出すことは大いに疑問だ。数値を改めて示すまでもなく,訪問拒否の激減は2007〜08年において顕著で,これは週末ボランティアにたいする不信感の払拭が進んだことを意味する一方,実現した「お話し伺い」の内実をはじめとする活動の資質向上を示すものではないからだ。マイナスからゼロへと,いわば穴埋め的な次元における成果を再確認するものではあるが,それ以上ではない。むしろ,内実にたいする評価・点検の視点を欠き,そのことに無自覚となる危険をもたらすことに注意しなければならないものであった。

あいさつする東條代表2009年週末ボランティア総会会場風景

あいさつする東條代表 (左),会場風景 (右) (2009.7.11)

続いて前述の提案(私案)及び資料を基に総括と方針に関する議論が進められた。まず総括に関しては,活動の資質に関する自己点検については,訪問活動概略とあわせることで,その内容の充実度が明らかになることを示した。しかしながら総括の冒頭でも示したとおり,2007〜08年の急成長ぶりとは違って,2008〜09年は現状維持的水準にとどまっていることを示し,あわせて,活動の内実の向上についての課題をネグレクトしたり,外部勢力の利害に供せんとしたりする一部参加者にたいしては,断固たる姿勢で臨んだ。

昨年同様,「役立ち学ぶ、尊厳を見いだす」ことを基本とする活動の目的・趣旨の確認を行ったが,新生週末ボランティアの基本的なあり方を,盤石かつ広範なものとしたことで,新たな参加者とともに確認したことの意義は大きい。

昨年の総会で,「お世話役」を「指導部」としようとする策動がなされたが,今回,選出に先立ち「お世話役」に復することを確認したうえで,代表と会計を全会一致で再任した。グループとしての資質低下と信用失墜をもたらした「副代表」の復活をとなえる者こそいなかったが,形を変えたそれともいえる「事務局」については,連絡係としての役割分担であることを確認したうえで多数決に供し,グループとしての教訓を共有する機会とした。これに加えて会計監査2名の設置を,反対・辞退がなかったため,提案通り決した。

500回記念行事も議題のひとつだった。昨年の総会から話題に上っていたが,2009年に入ってからの訪問活動が行事と新型インフルエンザの影響により3回少なくなったため,現状では,次の「1.17」を過ぎた2010年1月23日かそれ以降となることから,かかる現状をふまえての意見がまとまらず,事実上継続審議となってしまった。このほかにもいくつかの課題が議論された。

この2年余りの正常化−清浄化および再生の取り組みの成果が,一定程度着実に浸透し,この過程で新たにむかえた仲間とこれを共有する機会となったことが,この日の総会の意義といえよう。一方で内容の充実化をおろそかにしたり,マスコミ−メディアに媚びようとしたりする動きがあることについては,引き続き警戒しなければならない。この日結論が出なかった案件同様,今後の課題だ。

(2009.7.18)

16年目の大震災被災者とボランティアのつどい (2010.1.9)

阪神淡路大震災から丸15年,16年目の「1,17」に先立つこと1週間,神戸・週末ボランティアの訪問活動500回を1ヶ月余り先に控えた中で,恒例の行事が行われた。


集会後の記念撮影。HAT神戸・脇の浜8棟108号室,倉谷さん宅 (2010.1.9)

昨2009年末の多忙の中,練られた呼びかけは以下のようなものであった。

今年で16年目。すさまじい「1.17」の記念の日がやってきます。
この日は、大震災被災者とともに、ボランティアも襟を正して、深く考えなければなりません。
あれから丸15年。一体どういう事が起こったのでしょう。

日時:2010年1月9日(土)午後2時半〜5時
集合場所、時間:「神戸市勤労会館」(三宮から徒歩5分)12時半に、前庭に集合の後、13時10分のバスで現地へ向います。

会場:神戸市中央区 HAT神戸・脇の浜住宅 8番館108号室 倉谷志乃武さん宅(直接来られる方は、会場へおいでください。)
(ご連絡は電話078-795-6499、ケイタイ090-8121-9709の週末ボランティアの東條健司まで。)

 週末ボランティアは、1995年の1月から活動を開始し、5月まで避難所の炊き出しのボランティアを続けてきましたが、被災者の方々が本当に求める活動を目指して、お話し伺いボランティアに方向を切り替えて更に活動を続けてまいりました。仮設住宅では、たくさんの相談とお話しを伺い、須磨区と西区の膨大な仮設住宅群を廻り、4年目と5年目には復興住宅に移り行く人々を見守りつつ、お話し伺いはついに震災復興住宅に移って行きました。

  復興住宅訪問活動は、西区の西の端から東の井吹台まで、須磨区の全てと垂水区のベルデ名谷までと行った後、中央区・灘区のHAT神戸などを廻ってまいりました。現在はHAT神戸・脇の浜住宅の3回目を廻らせていただいています。

  総数で訪問した戸数は32,556戸、訪問参加人数は16,056人、訪問回数は498回になります。(2009年12月26日まで)

  今では月2回の訪問活動で、少ない参加人数にもかかわらず、必要性は増すばかりだと思います。訪問活動は、カンパなどに励まされて、頑張って継続しております。年に一度のつどいに、是非ご参加ください。

12時半頃,三宮の勤労会館前庭には,訪問活動への常連参加者,仮設住宅訪問時代の参加者,最近新たに加わった参加者などに加え,最近の平素の訪問活動とはいささか趣を異にする顔ぶれも加わっていた。ほとんどがバスでつどいの会場に向かった。到着後,手分けして準備にかかり,おおかたできあがったところで,予定の2時半に若干先だって,なし崩し的に始まっていった。


ミナト神戸の海と空をイメージした手作りキャンドルを囲んで黙祷 (2010.1.9)

そうした中で,いったん年始らしく乾杯した後,仕切り直しをする形で,震災犠牲者への黙祷を行った。昨年は「1.17希望の灯り」を分灯したものをもってきたが,今回は採火のスケジュールが合わないことから,人気若手作家Candler☆Akiによる手作りキャンドルを囲んで,犠牲者の冥福を祈った。


会場風景 (2010.1.9)

このつどいは「大震災被災者とボランティアの」と銘打っているように,また通常であれば訪問活動を行う第2土曜日に行っていることもあって,被災者−住民のお話しを伺うことも大切な要素だ。日頃ボランティアがお世話になっている方,地域住民のためにさまざまな活動をされている方などが,例年以上に発言された。いずれもこの間の訪問活動とそれに臨む参加者の姿勢についてよくご存じの方々だけに,資質向上への取り組みとその成果にたいして,肯定的に評価することを前提としつつ,それをふまえた現状認識や問題提起といった内容であったが,一方で,安易な参加者獲得へ走ることなどによって,再び低下することへの危機感や不安を,強くにじませたものでもあった。このことを深く受け止めたいと思う。


会場風景 (2010.1.9)

今回は,震災15周年と訪問活動通算500回を近くに控えての開催であったことに加え,仮設住宅訪問を経験した懐かしい顔ぶれが加わったことから,活動や参加体験をふり返り,あわせて新たな参加者や復興住宅住民の方々との交流を創り出すことに重点を置いた。10年以上前の仮設住宅訪問や郊外の復興住宅を廻っての訪問活動など,さまざまな形でこれまでの活動を顧み,それを共有することは,今まさにもっとも必要なものであったといわねばならない。

このところの参加者数が少ないとして,安易な参加者獲得にはしるような議論もなされた。「少ない参加人数にもかかわらず」やってきた参加者の資質や姿勢において,この数年来もっとも良好な情況であったことを顧みないばかりか,「必要性は増すばかりだと思います」というのが,活動の資質向上と,信頼関係の構築に取り組んできた成果を前提とするものであることを没却したのみならず,このかんの取り組みに敵対し罵倒する言まで出たのは遺憾であった。資質向上のための建設的議論であれば大歓迎だが,それとはまったく相反するものであった。そして何より,かかる言の前提として,被災者−住民の声が,まったく耳に入っていないこと,それを聞くという,訪問活動の「お話し伺い」に臨むべきもっとも基本的な姿勢にまったく相反するものであったことこそが,まことに遺憾であった。

恒例の記念写真を撮影し,つどいを終了たあとも,後片付けのかたわら,住民の方と話した。この間の活動の資質向上の取り組みへの評価と期待,それと紙一重の資質低下への不安はともかくとして,被災者−住民とボランティアが,成熟した市民社会をともに創造するパートナーとしての役割が求められていることを,強く感じさせるものであった。

6000人の声にうんうん 神戸・週末ボランティア 阪神大震災から15年「朝日新聞」(上)
被災者とボランティアの集い 訪問活動の大切さ確認「神戸新聞」 (下) (2010.1.10)

今回の「つどい」については,サンテレビの撮影(1月17日に放映された模様)が行われたほか,「朝日新聞」・「神戸新聞」各紙の,いずれも地方面にカラー写真入りで報じられた。

恒例行事それ自体の扱いとしては特別大きくはなく,むしろweb版での配信対象とならなかった点では,実質的にローカルなものに限定されたといわざるを得ないが,一方で,例年にも増して,この時期に,通算500回を控えていることもあって,訪問活動に関する報道が重きを占めることで,平素の活動の資質向上をその定着ぶりが,評価されている反映であるといっていいだろう。

(2010.1.23)

2010年週末ボランティア総会 (2010.7.24)

2010年週末ボランティア総会が開催されたのは,7月24日の訪問活動の後,本来であれば終了ミーティングに充てられるべき時間においてだ。

日程と時間という内容以前の段階から累積的課題を負っている。このところ1年に1度という形が定着している週末ボランティア総会であるが,いったんは6月の訪問活動日の翌日に開催することが定着したが,それも7月に遅れることが続き,しかも昨2009年には単独の日程とはせず,訪問活動終了後に行い,今年もそれを踏襲した。しかも今年は同じ7月にずれ込んでも,2度目の訪問活動日,すなわち第4土曜日となり,おりしも大阪では天神祭の宵宮が行われるまさにその日となった。

新しい参加者も交え和やかな雰囲気で行おうと,会計担当者の提案で夕食を摂り,この日の訪問活動の集約を行ってからの総会開催となった。

2010年週末ボランティア総会東條代表が出した紙面

会場風景 神戸市勤労会館にて(左),東條代表が出した紙面(右) (2010.7.24)

総会にあたってて提出されたのは,東條代表のメモのほか,会計担当者のバランスシート,私の2010年週末ボランティア総会提案(私案)及び関連資料であった。今回は,いずれもが諸般の事情を抱えての準備であったため,その説明に議事の少なからざる部分を費やすこととなったのは致し方のないものであった。

前2009年の総会以来約1年間の訪問活動が順調に行われたこと,1月9日に16年目の大震災被災者とボランティアのつどいを行ったことなどに触れた後,会計報告に入った。財政が順調・健全であることが,会計担当者から報告されたが,会計監査1名が,健康状態がすぐれず出席できず,事前の監査もできないままであったことから,参加者のさまざまな質問に,会計担当者や,残る1名の監査が,それぞれが準備した資料を基に回答・説明にあたり,グループとしての活動をふり返る中で,その内容に問題がないことを参加者一同で確認するという形となり,監査やそのあり方に関する案件については結論が出ないままとなった。

訪問活動に関しては,内容的に問題がなかったこともあって,そのあり方や内実に関する議論はなされず,半年あまり先以降の訪問先住宅の選定について議論され,各地からの参加が容易な現状での集合・移動体制を取る中で,極力選択肢を広げるという方向で,議論を継続することとした。現状に安住し,復興住宅群のうち未訪問箇所を残すことになるという問題もあるが,時期を隔てて同じ箇所の訪問活動を行うことで,情況の変化に対応したり,グループとしての活動の資質向上−回復ぶりを知ってもらったりする上では有効であろう。

「6月に入って、住宅借り上げの問題が出、市に実情を伝える」としたことに関連して,NHK神戸放送局が「震災いのちのきずな」の24回目として制作した「“聞き取り”が語る 復興住宅の課題 〜あの日から5614日〜」(2010年6月1日放送)を資料としながら,東條代表が神戸市に提出した意見に関する報告と,それをめぐっての議論が行われた。この議論がなされたこと自体,グループとしての活動のあり方やメディア対応の適否判断を自己点検する機会を勝ち取ったものである。

また東條代表から出された訪問活動への参加情況の集約には一見して疑問を覚えるものがあった。私が同年及び前年の総会に出した集計との誤差からして,仮設住宅訪問活動開始以来の延べ参加者数の累計が16000名を超えたのは,2009年の前半ではなく,訪問活動が500回をむかえた頃であると推定されること,「2009年には、かつてない少人数の訪問が続き、問題を残した」とする認識が誤りであることなどを指摘した。昨2009年の訪問活動は,新型インフルエンザ流行のため休止したことを斟酌すれば,前半期の初参加者の「勢い」に大差ないことなどだ。参加者呼びかけは,少子化で絶対数が減少している上長期化する就職活動などで多忙化する学生,長期不況下で自らの雇用維持に呻吟する労働者の現状を顧みないまま,安易に趨るものであっては決してならず,新聞を通じてなされるのがもっとも着実であることなどを訴えた。

監査のあり方にとどまらず,活動の資質や姿勢についての議論がおろそかになったばかりか,あまっさえかかるもの自体に難癖をつける心ない参加者がいたことは遺憾であった。被災者−住民との信頼関係の上にグループとしての活動があることを忘れてはならない

この3年あまり,神戸・週末ボランティアは,ボランティア団体としてふさわしいものたらしめるべく,不退転の決意をもって正常化−清浄化,さらには再生への取り組みを続け,その初年度から画期的な成果を挙げ,以後もその地平を維持してきたといえる情況にあったが,残念ながら今2010年に入り,そこから後退させようという動きが見られるようになったことを看過することはできない。

(2010.7.31)

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