2012 神戸・週末ボランティア
News and Reports
We love KOBE Weekend Volunteer

阪神淡路大震災の被災地・神戸で今なお復興住宅への訪問活動を続ける「神戸・週末ボランティア」の活動報告です。
Blog This is 神戸・週末ボランティアもよろしく!

(年別に古い記事から順に番号をつけていますが,新しい記事が上になるように配置しています。)
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第567(新生125)回訪問活動 (2012/12/22) レポート

毎度「役立ちと学びのネットワークThis is 神戸・週末ボランティア」をご覧下さいまして,まことにありがとうございます。2012年最後となった12月22日の復興住宅訪問活動は,常連参加者5名で行いました。

この4年半にわたって続けてきた,HAT神戸・脇の浜住宅への訪問活動は,前回12月8日分で,一応二巡させたところをほぼ終えるところとなっており,この日は,直近に訪問した2棟で,この数ヶ月の訪問時にお留守であったお宅を再訪問しました。こうした形での訪問では,普段の何倍かのお宅を廻っても,全くお話し伺いが実現しない可能性も高いことから,新たな参加者をお誘いすることは控えました。ともあれ,これまでのような活動のあり方の意義と限界を確認するいい機会になったと思います。

かくして,一区切りにするにはいい機会ともなったことから,今2012年をもって,従来のような各戸を巡回して行う訪問活動の形態を終了し,来2013年は,これまでとは違った形態で,阪神淡路大震災の被災者への取組みの検証と仕上げにしていきたいと思います。

1995年の夏,仮設住宅への訪問活動を始めて以来567回目となるとともに,2007年の夏,ボランティア活動にふさわしい者たらんと再出発を期して以来125回目を数えることになりました。

この「125」という数字からは,早稲田大学創立者・大隈重信が唱えた「人生125歳説」を想い出します。「人間は本来、125歳までの寿命を有している。適当なる摂生をもってすれば、この天寿をまっとうできる」というもので,「凡ての動物は成長期の五倍の生存力をもって」おり「人間の成熟期はおよそ二十五歳というから、この理屈から推してその五倍、百二十五歳まで生きられる」と説いたものです。

この間の125回を,これになぞらえるならば,成長期や成熟期など,それぞれのステージにおいてベストを尽くしたかを,改めて顧みて問い直してみることで,これらをもとにした,もしくはこれを超克した,新たなものを生み出すことができることでしょう。

弊サイトThis is 神戸・週末ボランティアをはじめ,MixiコミュニティMixiページFacebookページtwitter - welove_kobeを通じて,交流させていただいております皆様方とのご縁に感謝し,新たな年がよきものとなりますよう御念じ致します。


この日伺ったところの概略です。

・70代女性。東灘区で全壊。もといた家はいいところだった。震災さえなければ…と今でも思う。2階建ての2階にいたので助かった。解体時に,押しつぶされた1階のつぶれ方のひどさを,改めて目の当たりにした。近くの中学の避難所から夏になって六甲アイランドの仮設住宅へ。この復興住宅へ入居して14年。長く母と2人暮らしだが,震災後のストレスからか認知症になり,自身も介護疲れで,10年前に心筋梗塞で倒れたことも。今は施設に入所している母が,まだ元気だった頃,法被を着て夏祭りを楽しんでいる写真を見せていただきながらのお話し伺いに。借り上げ復興住宅であるため,移転先の申し込みをしたところ,昨年は外れたが,今年は当たり,年明け早々に,この近くの市営住宅に移ることに。本当なら此処にずっと居たかったが,引越の手配や準備で頭がいっぱい。

・70代女性,一人暮らし。灘区で全壊。北区の仮設住宅を経て,この復興住宅に入居して15年目。子どもたちはもう独立したが,まだずっと勤めに出ている。うんでいるのは借り上げ復興住宅だが,期限まで5年もあるから,まだ大丈夫,ぎりぎりまで居続けたいと思っている。ちょうど帰宅されたところに出会ってのお話し伺いになったが,この後忘年会のため,再び出かけるとのことで,短時間で切り上げた。

・80代男性,一人暮らし。中央区で全壊。大阪府内の娘宅に避難した後この復興住宅へ入居して13年。身体に悪いところはないとのことだが,あまりお元気ではないのだろうか,出てこられるまでにやや時間がかかった。この部屋は借り上げ復興住宅で,2018年まで居られると聞いており,その後も継続して住めることを期待している。簡単に移転させられたらたまらない。

・40代?女性。今年入居したばかり。関東から来たので震災のことはわからない。<少年とともに>

・女性。この復興住宅には10年前に入居。「結構です」<インターホン越しに応答>

・60代女性。「何ですか? よろしいです。」<インターホン越しに応答>

・30代女性。「今,大掃除中ですので…。」<インターホン越しに応答>

・女性。「今忙しいので…。」<インターホン越しに応答>

・40代男性。「結構です。」<インターホン越しに応答>

・女性。「結構です。」<インターホン越しに応答>

・女性。体調が悪く寝ていた。


・50代?女性,一人暮らし。長田区で一部損壊。身体は特に悪いところはない。中央区内に一時住んでいたが,この復興住宅には,前に住んでいた人が引っ越したので,入居することができた。近所づきあいはほとんどなく,話す人もごく限られている。今一番不安なのは家のこと。4年前から毎年移転先の市営住宅の抽選を申し込んでいるが,不便なところには引っ越したくないし…。

・70代女性。足がやや不自由で,毎日病院通いが必要。2年前までは三宮で清掃のボランティアをしていた。毎日のように温浴施設へ半身浴に行っている。友人と喫茶店に行けるのは贅沢だとも。若い頃は赤十字などで仕事をしていた。(借り上げ復興住宅であるため期限が数年後に迫っているが)引越のことは考えたくない。

・女性。「開いているので(どうぞ)。」<一旦はお話し伺いに応じてもらえそうであったが,奥から夫と思われる男性が制止>

・20代?女性。「震災とは関係ないので,あまりよくわからない。」<小さな子どもを連れて応対>

・男性。「…。」<インターホン越しに応答。出てこられるかと待っていたが…>

・女性。「今から出かけますので…。」<インターホン越しに応答>

・「結構です。要りません。」<インターホン越しに応答>

・男性。夜の仕事があるので,寝ていますので…。

・女性。「来客があるので,またこの次に。」

・女性。「何も言うことはありません。」

・「…」<無言のまま再び鍵をかけた>

・女性。「震災に関係ないので…。」

・女性。「忙しいので…。」

2012-12-29 ↑TOP


第566(新生124)回訪問活動 (2012/12/08) レポート

毎度「役立ちと学びのネットワークThis is 神戸・週末ボランティア」をご覧下さいまして,まことにありがとうございます。12月8日の復興住宅訪問活動は,常連参加者5名で行いました。

今回は,前回に引き続いての高層階の訪問に加え,寒さと強風のため,お話し伺いを短時間で切り上げるなどの,配慮をもって臨むこととなりました。

12月に入ると,この1年をふり返ることが多くなります。

3日には,ユーキャン新語流行語大賞トップテン・年間大賞が発表され,「ワイルドだろぉ」に決まったとのことでした。あまりピンと来ないものですが,それ以上に問題であったことには,今年の候補語の中に生活保護を意味する「ナマポ」なるものが含まれていたことから,おりからの生活保護バッシングを助長し,生活保護受給者に対する差別・偏見を煽るものであるとの批判がなされました。

もともと関西では,生活保護(受給)のことを「ふくし(をもらう)」ということが一般的で,「生保」と略していうことは一般的ではありませんでした(もっとも行政関係者が内部用語として使うことはありましたが)。生命保険の略語として損害保険(損保)の対概念とする使い方が一般的でしょう。そうした,いわば「与える」側の用語である「生保」に合わせるところから,受給者の尊厳や主体性を没却することは,既に始まっており,それに2ちゃんねるなどから広がった「ナマポ」なる読み替えが,バッシングと相互作用的に棹さして,差別・偏見をも一気に助長するに至ったと,言わねばなりません。ともあれ,今日深刻化しつつある格差と貧困の問題からすれば,いかがなものかと思われるものです。

今年のベストセラーは,阿川佐和子「聞く力―心をひらく35のヒント」 (文春新書)とのことでした。12月初旬ではミリオンセラーではなかったものの,年末にいたって話題になって,100万部の大台に乗ったようです。曲がりなりにも傾聴ボランティアの看板を掲げている私たちにとっては,先刻承知であるべきなのでしょうが,個々で改めて虚心坦懐に,学んでみたいところです。またかかるものが求められている現下の状況についても,思いを致すべきでしょう。

弊サイトThis is 神戸・週末ボランティアをはじめ,MixiコミュニティMixiページFacebookページtwitter - welove_kobeを通じて,交流させていただいております皆様方とも,こうした学びの輪を広げ深めていくことができれば幸甚です。


この日伺ったところの概略です。

・70代女性。夫婦2人暮らし。中央区で全壊。タンスの下敷きになったが,その上にあったものが先に落ちてきたおかげで助かった。多くの人に助けてもらった。4時間埋まっていたため腰を痛めた。長く商店街で営んでいた店も被災し解体した。ポートアイランドの仮設住宅を経て,この復興住宅へ。今はあっちこっち病院通いをしている。しんどそうだったのに加え,寒い中での強風のため,お話し伺いを短めに切り上げた。

・40代男性。母(入院中)と2人暮らし。須磨区で全壊。西区の仮設住宅で3〜4年過ごす。もといたところの方が住みやすかった。友達もいたし…。被災当時まだ若かったので仮設住宅や復興住宅の抽選で優遇されず,やっと入ったこの復興住宅は借り上げ復興住宅。あと何年かで出て行かなければならないはずなのに,神戸市から移転に関する書類が来ていない。

・20代男性。中央区で半壊。避難所や仮設住宅には行かなかった。10年ほど前に母と2人でこの復興住宅に入居。母は元気。

・50代?女性。インターホン越しに応答はあったが,言葉が聞き取りにくく,しばらく待ってみたものの,玄関ドアを開けてはもらえなかった。

・50代男性。車いすで出てきたところ,ヘルパーが「スーパーへ行くところです」とのこと。

・「何もありません。ありがとうございます。」<ご自身で支援シートに記入>

・「被災者ではないので話すことはない。」<お電話をいただいた>

・女性。「今から出かけますので…。」<インターホン越しに応答>

・40代?女性。「今話すことはない」<インターホン越しに応答>

・40代女性。「今忙しいので…」<インターホン越しに応答>

・女性。東灘区で全焼。<インターホン越しに応答>

・50代。「結構です。」<インターホン越しに応答>

・50代女性。「人が来ますので…。」

2012-12-19 ↑TOP


第565(新生123)回訪問活動 (2012/11/24) レポート

毎度「役立ちと学びのネットワークThis is 神戸・週末ボランティア」をご覧下さいまして,まことにありがとうございます。11月24日の復興住宅訪問活動は,常連参加者を中心にした6名で,前回までに引き続いての「お話し伺い」を行いました。

今回も訪問活動自体は早めに終えたことから,これまでお世話になってきた方を,入所中の特養ホームに訪ね,お見舞いと歓談のひとときをもちました。そして,師走にはいると多忙になる参加者もいることことから,訪問活動の集約を行う終了ミーティングのあと,一足早く2012年の忘年会をもちました。

かつて,仮設住宅への訪問活動をしていた頃は,「望年会」として,多くの方を招いて行っていましたが,今回はささやかな慰労の機会としました。

私たちは「傾聴」ボランティアを名乗る以上,様々なお話しを伺います。もっとも,阪神淡路大震災の被災者支援を契機に始めたことから,一度は何らかの形で震災のお話しを伺うことにしています。そのうえで,一般的は訪問ボランティア同様,お困りのことや安否などのご様子を伺うことを大切にしています。

これまでの人生で,喜怒哀楽様々に積み重ねてこられたでしょう。楽しいこと,うれしいことをお話し下さることで,それが何倍にも大きくなるでしょう。悲しいこと,辛いことをお話し下さることで,自分一人で抱えるヨリも,気持ちを軽くなるでしょう。お困りごとを話してくださることで,何か解決の糸口を見いだすお手伝いになることもあるでしょう。

そうした形でお役に立ち,そこから学ぶのが,私たちのボランティアです。

ときには「?」なお話しを伺うこともあります。近隣や親しい間柄であるはずの方への悪口や,根拠がないかとぼしいと思われる批判的・ネガティヴな言辞などが出てきたらどうするべきでしょうか?

確認を取ることなく公表するなどはもってのほかであることは言うまでもありませんが,付和雷同して,その尻馬に乗っかって,一緒になって悪口を言い合うなどもまた,品性が疑われるものであるばかりか,その理性や良心を没却したものになってしまいますから,やはりあるまじきものです。

そうしたものでも伺います。時には記録する手を止めて。私たちに話してくださることで,自らの心の闇に光を灯し,心の汚れを掃き清めていくことになり,それが役立ちになるのですから。

そうした心のお掃除を,ともにさせていただくという姿勢で臨むことで,私たち自身もまた陶冶できるのです。

弊サイトThis is 神戸・週末ボランティアをはじめ,MixiコミュニティMixiページFacebookページtwitter - welove_kobeを通じて,交流させていただいております皆様方とも,そうした方法と成果を共有し,その輪を広げていければ幸いです。


この日伺ったところの概略です。

・70代女性,灘区で全焼。近所一帯は激しく燃え,もらい火で自宅を失った。いったん知人のマンションに行ったが,そこも全壊扱いとなり避難所へ。近くの中学校の音楽室で1年近くを過ごした。同区内の仮設住宅を経て,この復興住宅に入居して15年目。この部屋は借り上げ復興住宅なので,移転先の市営住宅の募集に申し込んだが,抽選に外れた。これからのことを考えると…。ボランティア活動の経験もあり,今もヘルパーとして働くいているとのことで,お元気そう。訪問時は,補修工事のため,ベランダに置いている植木を玄関前に移動させていたものを,戻し始めていたところだった。それらの多くは,お世話していた利用者が,自分で育てられなくなったものを引き取ったり形見にもらったりしたもので,中にはご自身より若い人も。このときかぶっていたベレー帽も友人の形見。翌日に予定されていた神戸マラソンの話題になり,ハイタッチをして別れた。

・70代女性,一人暮らし。灘区で全焼。近くの小学校に避難した後,六甲アイランドの仮設住宅へ。出かけるのに六甲ライナーの高い運賃が大変だったが,神戸市はそれにたいして何もしてくれなかった。被災当時はまだ若く優先されなかったため,やっとのことで入ったこの部屋は借り上げ復興住宅。一人暮らしとなった今では,URと直接契約して住み続けるのは大変。市営住宅の移転先を申し込んだが抽選に外れた。空いていて入りやすいところは山の方とか奥の方とかばっかりで…。足が不自由で,インターホンが押されてから出てくるまでに時間がかかるので,訪問者は留守だと思って去ってしまい,呼び止めても気付いてくれないことが多い。

・男性。尼崎市で全壊。両親と住んでいたため仮設住宅には入居せず,近くに家を借りた。両親は亡くなり,12年前に結婚し,この復興住宅へ。入居したばかりの頃,同じ階の人たちと話したが,今ではほとんどが転居してしまった。病気で足が不自由になり,車いすを使用。子どもは学齢期の育ち盛り。神戸市が,借り上げ復興住宅の住人に出て行けと言っているのはよくない,新たに住宅を建設すべきであった,今更期限を突きつけるのは酷い。

・50代女性,夫婦2人暮らし。兵庫区で被災。半壊と判定されたが解体された。被災後すぐに大阪に引っ越した。旧公団と直接契約して,この復興住宅に入居して12年。震災時に友人が亡くなっていた。子どもたちはもう独立したが,子育てで苦労したこともあり,ノイローゼになりそうだったが,愚痴っても仕方ないし,最後はやっぱり自分で決めるしかないと思うようになった。

・30代女性。2年前に入居したので…。震災のことは判らない。<インターホン越しに応答>

・女性。(お元気ですか? との問いかけに)「今,家の者が居りませんので…。」<インターホン越しに応答>

・男性。「お風呂に入るところです。」

・40代。(出会い頭に)「忙しいので…。」

・女性。「結構です。」<インターホン越しに応答>

・女性。(小さな消え入りそうな声で,聞こえにくそうな感じで)「何ですか?」<インターホン越しに応答>

・30代女性。「結構です。」<インターホン越しに応答>

・男性。(今お困りのことは? との問いかけに)「大丈夫です。」<インターホン越しに応答>

・男性。「…。」<インターホン越しに応答>

2012-12-04 ↑TOP


第564(新生122)回訪問活動 (2012/11/10) レポート

毎度「役立ちと学びのネットワークThis is 神戸・週末ボランティア」をご覧下さいまして,まことにありがとうございます。11月10日の復興住宅訪問活動は,常連参加者に,弊サイトをご覧になった方を始め2名の初参加者を迎えて,8名で行いました。

朝夕冷え込むようになりながらも,好天の日中はそれなりの暖かさというコンディションの中で行いましたが,残念ながら,お留守の方や,来客中などで,お話し伺いに応じていただけないところが少なくないという情況でした。

そうして早くに訪問活動が終わったため,参加者一同で,この数年間にわたって復興住宅内の自室を私たちの活動に提供していただいていながら,昨年来具合を悪化させ,今春期からは特養ホームに入所されている方を,見舞い,語らいのひとときをもちました。

終了ミーティングにおいても,集約すべきことが限られている中にあっても,学びに活かすことにおいては,大きな成果があったというべきでしょう。

通常お話しを伺うには,高齢者〜中高年といった年代層が多いのですが,時には阪神淡路大震災を経験していない,もしくはその記憶がほとんどない年代の方と話すこともあります。そうした場合でも,一度は震災のことをお尋ねするようにしている以上,何らかの形で話しを向けてみますが,自身の直接経験ではなくても,学校や保護者,地域においてどのように震災について教わり,理解しているかについて聞くことを通じて,参加者自身の震災に対する認識や,子どもの教育についての認識を深めるきっかけにすることもできるでしょう。

どのようなことを,いかに学ぶか,これは,私たち一人一人が,毎回問われている課題です。

今回もまた,活動に臨む姿勢について,有益な資料があったので,紹介しました。

有名な“ cool head but warm heart ”という言葉ですが,様々な領域で求められるべき資質や姿勢として説かれることが多いものです。もともとは経済学者のアルフレッド・マーシャルが,ロンドンの貧しい人々の姿を目の当たりにして経済学を修めようと決意したことを,

「冷静な頭脳と温かい心( cool head but warm heart )を持ち、周囲の社会的苦難と格闘するためにすすんで持てる最良の力を傾けようとする・(中略)・そのような人材の数が増えるよう最善を尽くしたい」

といった文脈で述べたものです。そのすぐれた解説を紹介し,名言を味わってみました。いやしくも難儀している人々に寄り添おうとする者にとっては,忘れてはならないものといわねばなりません。往々にしてこれに相反するどころか,それをも超えてほど遠い " Hot head and cold heart " で突っ走ったりするようなこともありましたが,かかるあるまじき愚に再び手を染めたりすることのないよう,肝に銘じたいものです。

そしてそうしたものを,活動に直接参加するメンバーだけでなく,弊サイトThis is 神戸・週末ボランティアをはじめ,MixiコミュニティMixiページFacebookページtwitter - welove_kobeを通じて,交流させていただいております皆様方とも,その輪を広げ,共有できればと考えています。


この日伺ったところの概略です。

・70代男性,夫婦2人暮らし。東灘区で全壊。被災後北区の仮設住宅に最後までいたので,4年間ほど住んだことになる。復興住宅の抽選になかなか当たらなかったので,神戸市から,この部屋をあてがわれたような感じだ。妻が緑内障で,入退院を繰り返している夫が,何でも杖代わりになっているような感じ。何より心配なのは,この部屋が借り上げ復興住宅であるため20年で出て行かなければならないこと。できたらここで最期を迎えたい。玄関扉を半分ほど開けてお話し伺いに応じてくださった。

・60代男性,夫婦2人暮らし。灘区で全壊。「現在通院中(2人)。この住宅は20年の借り上げで,残り7年,その後の事が心配です!(やっと,色んな面でなれたので)」

・10代女性。両親は外出中。学校で震災のことを少しは教わっている。両親から震災のことを詳しく聞いたことはないが,大変だったらしい。

・震災には遭っていない。越してきたばかりなので(特に話すことはない)。

・女性。「人が来ているので…」<インターホン越しに応答>

・男性。「結構です。」<インターホン越しに応答> (2軒)

・男性。「先々週,越してきたばかりで…」

2012-11-16 ↑TOP


第563(新生121)回訪問活動 (2012/10/27) レポート

毎度「役立ちと学びのネットワークThis is 神戸・週末ボランティア」をご覧下さいまして,まことにありがとうございます。10月27日の復興住宅訪問活動は,常連参加者5名で行いました。訪問活動後の終了ミーティングの場には,古い参加メンバーが,慰労に訪れ,感謝のひとときとなりました。日も短くなってきたものの,冷え込みもさほどでない,過ごしやすい天候の中,多くの貴重なお話しを伺うことができました。

中には切実なお話しも少なくありません。訪問させていただいている住宅には,借り上げ復興住宅が少なからず含まれており,それに関する不安・不満の声は,いっそう切実さを増しています。私たちに話すことで,或いは気持ちをぶつけることで,少しは気持ちを楽にしていただくと共に,こうした情況に学び役立つことが少しでもできればと思う次第です。

今回もまた,活動に臨む姿勢について,有益な資料となる新聞記事があったので,紹介しました。

神戸・週末ボランティアのあゆみをふり返れば,会社員や学生などが休みを利用して活動に継続的に参加しやすくなるようにということで,活動時期を決めていったのですが,そうした参加者が,そうした活動時期をとることで,いかにあるべきかという議論は,長らくされないままになってきたのみならず,そうした原点を忘れ,あるべき方向からいかに外れていったかについての否定感も,ないままになってきました。

2012年8月23日の毎日新聞の「ひと」で「週末に「シティー」をガイドする銀行員」が紹介されています。そこにある「見返りを求めないことこそ尊い」,「プロの技量をしのぐアマチュアリズム」を大切にする英国紳士的な姿勢や,仕事とボランティアが「互いにいい影響を及ぼし合っている」ような関係の構築などは,まさに,ボランティア参加者一人一人が目指し身につけ,そうしたメンバー同士がお互いの活動をリスペクトし賞讃しあえるグループの気風を樹立できるようにありたいと思います。

そしてそうしたものを,活動に直接参加するメンバーだけでなく,弊サイトThis is 神戸・週末ボランティアをはじめ,MixiコミュニティMixiページFacebookページtwitter - welove_kobeを通じて,交流させていただいております皆様方とも,その輪を広げ,共有できればと考えています。


この日伺ったところの概略です。

・80代男性。東灘区で全壊。壊れた家の下敷きになって,被災後4時間も埋まっていた。上からかけてくれる声はよく聞こえたのに,下から叫んでも聞こえていなかったようだ。近くで,5人並んで埋まっていたが,1人だけ助かったこともあった。交通が不便な中,大阪まで行って,手や腕に皮膚移植の手術をした。六甲アイランドの仮設住宅には4年以上いた。この復興住宅に入居して14年目。ここに来たばかりの頃は,自転車であちこちに出かけていたが,やがて脳梗塞で倒れ,あちこちがしびれたり,味がよく判らなくなっている。色々なお世話役をしてきて,先日,5名ほどの東京の女子高生が話しを聞きたいとやってきた。老人会も続けており,本当に女性の一人暮らしが多いと感じる。身体が動けば,友愛訪問活動などをもっとやりたい。例年1月17日には東遊園地で「1.17」のロウソクを立てていたが,来年は摩耶埠頭でしてみようと思っている。

・80代女性。東灘区で全壊。一人暮らし。六甲アイランドの仮設住宅に4年いて,ようやっとこの復興住宅へ。やっとの思いで入れたこの部屋だが,借り上げ復興住宅のため,数年後には出て行かねばならない。URと直接契約して住み続けるのは,年金暮らしでは難しい。今年の抽選に外れ,移転先は決まっていない。年を取って引越しするのはたいへん。今かかっている医者に通い続けたいので,遠くには行きたくない。近所で親しくしている人の中には,既に移転先が決まったという人も何人かいる。娘から同居をすすめられているが,婿が定年でずっと居るようになると気を遣いそうだし,一人暮らしの方がが気楽なので…。

・女性。中央区で全壊。この復興住宅には父(70代)が住んでいて,自分は時々やってくる。父はポートアイランドの仮設住宅に最後までいて,自治会役員としてお世話をしていたため,この復興住宅に入居して14年目になる今でも,色々な人が相談に訪れている。この部屋は借り上げ復興住宅で,移転先の申込書が届いている。最悪の場合,東灘区の公営住宅に入れるようになっているが,できればここにいたい。

・70代男性。灘区で全壊。夫婦共々元気で過ごしている。この復興住宅には早くから入居しているが,近くを通る高速道路や国道がうるさい。買い物は,スーパーも近くて便利。普段からなるべく歩くようにしており,この近くを3〜4km歩いている。訪問時もその準備をして出かけるところであった。生涯学習の色々な講座にも通っている。

・70代男性。中央区で半壊。夫婦共々元気で過ごしている。被災した自宅を修理して5年ほど住んだ。喘息のため,発作の時はたいへん。

・男性。長田区で全壊。比較的被害が少なかった垂水区に引っ越した。その後引越を繰り返して,やっとこの復興住宅へ。

・70代男性。中央区で半壊。妻・母と3人暮らし。かつては飲食店を営んでいた。

・30代男性。子どもと暮らしている。母は亡くなった。<インターホン越しに応答>

・女性。「話しはありませんし,話したくありません。」<インターホン越しに応答>

・女性。「忙しいので,すみません」<インターホン越しに応答>

・男性。「今,食事中なので…」<インターホン越しに応答>

・男性。「話したくない」

・50代男性。「何ですか?」<インターホン越しに応答>

・30代男性。お休みのところを出てきて「いいです」。

2012-11-02 ↑TOP


第562(新生120)回訪問活動 (2012/10/13) レポート

毎度「役立ちと学びのネットワークThis is 神戸・週末ボランティア」をご覧下さいまして,まことにありがとうございます。ようやっと秋らしくなり,好天に恵まれた10月13日の復興住宅訪問活動は,弊サイトをご覧戴いた方をはじめ,2名の初参加者を迎え,7人で行いました。

初めてお出でいただいた方にも,充実したお話し伺い〜傾聴ボランティアを経験していただけるよう,万全の準備をしたつもりではありましたが,あいにく今回はお留守の方が多く,お伺いできた内容には限りがあることを,率直に認めないわけにはいかないと思います。

そうした中にあっても,いやむしろそうであるが故にいっそう,役立ちと学びの姿勢やモチベーションを維持し高めあい,言動をヨリ品格あるものとし,論議を建設的なものとするにふさわしい態度を身につける上での,課題を見いだすことが,求められたと思います。

私たちが訪問活動から学ぶのは,何も被災者−復興住宅住民の方々から伺うお話しからだけではありません。毎回訪問している復興住宅がある場所それ自体からも,学ぶことはあります。

このHAT神戸は,もともと工場があったところですが,重厚長大型から軽薄短小型へと産業構造が転換し,日本経済の空洞化が進んでいったなか,バブル経済崩壊後,再開発が進められることとなり,阪神淡路大震災の発生をうけて,その多くの部分が被災者を優先入居させる公営住宅−復興住宅となったものです。

神戸市や阪神間に限らず,関西で学校教育を受けたかなりの世代においては,神戸港の発展や阪神工業地帯について,高度成長期そのままに,学んできていることが多いでしょう。「山,海へ行く」といわれた「株式会社神戸市」の開発行政の光の面が既に過去のものとなり,その影の部分や矛盾が今日もいっそう深化している中においてもです。

そうした自らが受けてきた教育について顧みる機会とすることも,有意義なことです。

そしてそれを,阪神淡路大震災の被災地・被災者が置かれた情況と重ね合わせることで,訪問活動を通じて伺うことについての理解を深めることにもなるのです。

こうした,学びの場に相応しい環境づくりは,学生・生徒の皆さんのOJTや,その基礎・前提となるべき人格陶冶はもちろん,あらゆる年代・世代の方の社会教育・生涯学習のために,大切なことです。

また,弊サイトThis is 神戸・週末ボランティアをはじめ,MixiコミュニティMixiページFacebookページtwitter - welove_kobeを通じて,交流させていただいております皆様方とも分かち合えればと思います。


PS:このほどtwitter - welove_kobeのフォロワーさんが1300を超えました。お陰様で,阪神淡路大震災の被災地・被災者の今を伝える最大のアカウントに育てていただきましたことに,深く感謝いたします。


この日伺ったところの概略です。

・80代女性,灘区で一部損壊。被災後は一時,近くの公園で避難生活を送ったが,またもとの借家に戻った。この復興住宅に入居して7〜8年。同居している高齢の母は,週3回のデイサービスを楽しみにしている。今特に困っていることはない。人に文句を言わないようにしている。家事は自分がしているが,買い物は近所の人や母にも手伝ってもらうこともあり,助け合って暮らしている。

・50代女性,灘区で全壊。娘(30代)と2人暮らし。近くの小学校に避難した後,同区内の仮設住宅で2〜3年過ごす。仮設住宅にいたときは自治会役員をして住民のお世話をしていたことも。この復興住宅に入居して14年近く。入居している部屋は借り上げ復興住宅だが,来2013年にも,この近くの市営住宅に移れることになった。

・60代?女性。一旦はドアを開けて,お話し伺いに応じて下さると思われたが,何故かすぐに閉められた。

・80代女性。「須磨から越してきましたが…」<インターホン越しに応答>

・20代男性。神戸市外から引っ越してきたので,何も話すことはない。

・60代男性。食事中で手が離せない。

2012-10-19 ↑TOP


第561(新生119)回訪問活動 (2012/09/22) レポート

毎度「役立ちと学びのネットワークThis is 神戸・週末ボランティア」をご覧下さいまして,まことにありがとうございます。秋分の日・9月22日の復興住宅訪問活動は,遅くまで続いた残暑もようやっとやわらぐ中,常連参加者5名で行いました。彼岸の中日で連休ということもあって,普段は離れて暮らす家族や親戚が訪ねてくるところにも出会いました。

私たちは,訪問活動〜傾聴ボランティアに向かう前に,事前の打ち合わせをしていますが,そこでは,活動の流れや手順,「お話し伺い」に臨む姿勢などについて説明するほか,前回の訪問をふり返って確認して,学びと情報の共有をしています。

今回は,次回訪問予定のお宅に「予告チラシ」を投函するにあたって,「宗教や政党など全く関係の無い民間の」と,そこに記されているに相応しい存在たるべきことの確認を,改めて強調しました。それは,お話しを伺わせていただく方々との約束であり,信頼関係構築の大前提となるものですから。

また,伺った内容については,その日の終了ミーティングで集約していますが,それをさらに集約してまとめています。その際他者の視点と時間をおくことで,一時の気分や感情に流されたり,なにがしらのバイアスが加わることを排する意味もあります。もっと簡単に言えば,夜書いた手紙を朝読み返してみたら…といったところですが。そのまとめを読み合わせてみることで,傾聴に臨む姿勢とスキルの向上を図ることができます。

前回,受け止める姿勢について学びましたが,それを確認することで,今回もさらにそれが求められる場面で,その必要性を実感し,活かすことができたと思います。

そして,私たちが陥りやすい偏向の一つに享楽の追求があります。震災でそれまでの人生で築き上げた一切合切を失った被災者を自らの享楽の具とすることが,言語道断であることは言うまでもありませんが,知らず知らずのうちに自分が楽しければそれでいいという陥穽に陥ることがあります。

お話しを伺う中で,自ずと楽しい話題が出てくれば,それはそれでいいことですが,辛いこと,悲しいこと,お困りごとなどが出てきたとき,また感情をぶつけてきたとき,それを遮ったり,話の腰を折ったり,話題をそらすなどといったことを,してしまったのでは,傾聴にならないばかりか,せっかくできた信頼関係も崩壊してしまいます。

これでは,お話しを伺わせていただく方にも,一緒に傾聴する参加者にとっても,迷惑です。

野球の指導法で,これに通じるものがあったので,前回これも参加者に紹介しました;「積極的にマイナス思考」満塁男、学生を指導へ(2012年9月5日 読売新聞)。

脱・気持ちよさ優先」「積極的にマイナス思考」と,大胆なフレーズが並んでいますが,「自分が気持ち良いだけでは試合に勝てない」というのも,まさにこれに通じます。「悪いことを考えちゃいけないとなると、それがストレスになる。逆にマイナスのことばかり考えて負けを覚悟すれば、開き直ってやれる」というのも,受け止める姿勢の徹底が,すなわち力に転化するものであることを,教えてくれているといえます。こうしたものを参考にすることも,あわせて紹介しましたが,これもやがて活かされてくることでしょう。

ちょうど台風が,中秋の名月を遮り,各地に大きな被害をもたらしていますが,弊サイトThis is 神戸・週末ボランティアをはじめ,MixiコミュニティMixiページFacebookページtwitter - welove_kobeを通じて,交流させていただいております皆様方の美辞をお念じいたします。


この日伺ったところの概略です。

・80代男性,夫婦2人暮らし。東灘区で全壊。自分も負傷せず,妻も倒れかかった仏壇の下の隙間にいて助かったが,近くでは倒壊した建物の下敷きや生き埋めになって,何人も亡くなった。被災後は同区内の息子や身内の家で暮らした後,六甲アイランドの仮設住宅で4年過ごした。周りが皆出て行った後も,最後までいた。初めは,年を取って震災のことは忘れてしまって…とのことだったが,しばらくして話し出した。妻は寝たり起きたりで,自分が家事いっさいをしている。訪問時は入浴介助するところだった。

・70代女性,一人暮らし。灘区で全壊。地震の時は中央区の職場にいて無事だった。外に出て,野営しているような被災者の姿を見て,被害の大きさを知った。何とか30分ほど歩いて帰宅したら,自宅が倒壊していた。その日は一日中外にいて,近くの小学校に避難,迎えに来てくれた大阪の親戚宅へ。おかげで困らなかった。この部屋は借り上げ復興住宅なので,数年後には出なければならないが,その後は近くの市営住宅に行く予定だ。此処より狭くなるが,掃除も楽になって家賃も少し安くなるようだ。

・90代女性,一人暮らし。東灘区で全壊。この復興住宅に入居する前,六甲アイランドの仮設住宅に3年いた。人工透析のため週3回,4時間半かかるのがしんどい。手がしびれ,足腰も痛く,あまり出歩くことができないので,ヘルパーに買い物を頼むが,食事は自分で作る。訪問時,息子(60代)が訪ねてきて,母親を気遣う姿が見られた。

・70代女性。東灘区で全壊。近くの公園に避難した後,仮設住宅で4年過ごし,この復興住宅へ。借り上げ復興住宅の期限のことが一番心配。神戸市からは1回しか説明がなかった。高齢の母もおり,引っ越すのは厳しい。訪問時,息子夫婦が訪ねてきた。

・40代?女性。中央区で被災。今一番の悩みと不安は,借り上げ復興住宅のこと。お年寄りがいる世帯では今更引っ越すのも大変。全ての問題がここに行き着くのでは?

・80代女性,一人暮らし。地震の時は中央区にいた。ポートアイランドの仮設住宅に4年いた。

・50代?女性。「しんどいので…」と,とりわけ震災のことについて話すのが辛そうな様子。

・男性。ちょっと取り込んでいるところ。

2012-10-01 ↑TOP


第560(新生118)回訪問活動 (2012/09/08) レポート

毎度「役立ちと学びのネットワークThis is 神戸・週末ボランティア」をご覧下さいまして,まことにありがとうございます。9月8日の復興住宅訪問活動は,弊サイトなどをご覧下さって初めて参加された方1名をあわせ,6名で行いました。

また,久しぶりに読売新聞の同行取材が加わりました。取材の趣旨は今ひとつよく解りませんが,例年であれば,「1.17」に向けて,特集記事のための取材を始める時期になりますので,その一環でしょう。

例年,1月17日前後に行われる記念行事も,前年の夏頃から準備に入ります。私たちでは今年,新年会を兼ねたようなささやかな会を持ちましたが,それに加えて今年は「1.17を忘れない〜カーナ写真展…1日だけのJAZZ喫茶」をお手伝いしました。こちらは好評につき来2013年も企画していますので,是非ご期待下さい。

今回は,8月の訪問活動よりも,お陰様で,お話し伺いに応じていただけるところが多かったように思われます。また,お話し伺いに応じていただけなくても,率直に近況をお伝えいただけるところが多いことにも,感謝したいと思います。

それだけによりいっそう,私たちにも受け止めようとする姿勢が求められることになります。受け止めようとするる姿勢とは,理解力や受け止める力が高い方がいいことはもちろんですが,それだけではありません。理解力や受け止める力を超えたものに遭遇した場合,それに向き合う姿勢のことです。

理解できなくても,受け止めきれなくても,いかに向き合い続けるかが,問われることになります。

昨2011年3月11日の東日本大震災の後,自らも被災する中で,安否を尋ねる知人からのメールに返答している中から,Twitterで時々の心情や思いを発信してきた,和合亮一の作品「詩の礫」を紹介しながら,それを鑑賞する態度からも学べることを,また学ぶべきことを,ともに確認しました。

こうした学びを,弊サイトThis is 神戸・週末ボランティアをはじめ,MixiコミュニティMixiページFacebookページtwitter - welove_kobeを通じて,交流させていただいております皆様方とも共有できれば幸いです。

This is 神戸・週末ボランティアでは,こうした皆様方とのご縁を大切にいたすべく,平素の訪問活動とともに,お互いが安心し信頼できる間柄での交流ができるよう,心がけています。そうした趣旨に照らして不適切と思われる方につきましては,遺憾ながらブロックなどの形で,お断りさせていただいています。あしからずご了承下さい。


この日伺ったところの概略です。

・70代男性。中央区で半壊。被災後妻は実家に避難したが,自身は六甲アイランドで仕事をしていたため,離れることができず,近くの宗教施設や壊れた自宅で寝泊まりし,さらには壊れた家を賃借したりして,避難所には行かなかった。この復興住宅へ入居して13年半。入居にあたっては。被災者として旧公団と直接契約したので,当初の家賃は安かったが…。長く神戸に住み,70歳まで働いてきた。企業年金に支払い上限が設定されたので,長い間掛けた割には,それほど多くない。かつてはたくさん吸っていたタバコも数年前にやめた。仕事仲間と連れだって遅くまで飲み歩いたが,みな高齢になってきたので,体調を慮って,最近はあまり行かなくなった。1945(昭和20)年の神戸空襲では,3月に経験,6月には自身は疎開したが,妻は経験したとのこと。神戸中心部を襲った1967(昭和42)年の水害では,近くの家や人が流されたのを覚えている。きれいにされたお部屋に上げていただき,さまざまなお話しを伺った。

・70代女性,中央区で一部損壊。液状化現象のため住めなくなったが,全壊・半壊の認定が受けられなかったのと,当時まだ年齢が若かったこともあって,仮設住宅・復興住宅の抽選で優先されずに,後回しにされたため,やっとこの復興住宅に入居して13年。住んでいる部屋は旧公団(現UR都市再生機構)から神戸市が20年契約で借り上げたところで,数年後に期限が迫っているが,市に言っても,お役所仕事で埒が明かない。今さら新しい家に行きたくない。たとえ津波で流されても,死ぬまで此処にいたい。白内障がある他は元気。健康法は近くの温泉に行くこと。友人関係はあるので淋しくはない。

・70代女性,一人暮らし。灘区で全壊。西区の仮設住宅で4年過ごしたり,三田市で避難生活を送ったりした後,この復興住宅へ。夫を2年前に亡くした。趣味の多い夫とは,車いすで釣りに出かけてストレス解消するなどしていたこともあって,12年に及んだ看病も苦にならなかったが,それだけに今は心細い。ボランティア参加者の1人と,同じ仮設住宅で過ごした知り合いと判り,夫を亡くしたとき,涙もあまり出なかったのに,こんなに涙が出たのは初めて,と言うほどに涙を流した。

・70代女性,灘区で全壊。ポートアイランドの仮設住宅で4年過ごした後,この復興住宅に入居して14年目。訪問したときは夫を亡くして11日目。肝臓ガンが見つかって2ヶ月ほどの,突然の別れだった。息子(40代)にも先立たれていて,娘(最近あまり来てくれない)と2人女だけが残された。心細いが,49日までは元気でいなくてはと思っている。杖をついているのは最近転んだため。近所づきあいはあまりない。

・40代男性,須磨区で一部損壊。ガスも電気も異常なかったが,妻の家は半壊だった。子どもはこの復興住宅に入居してから生まれた。仕事があるので…と,あまりお話しはできなかった。

・50代?男性。「今,手が離せないので…」と,ハサミを持って何かを切っている真っ最中に,お返事だけ戴く。

・男性。「何を今更話せって言うねん」と,震災のことを話したくない様子。

・10代女性。「家族が仕事なので…。」<インターホン越しに応答>

2012-09-17 ↑TOP


第559(新生117)回訪問活動 (2012/08/25) レポート

毎度「役立ちと学びのネットワークThis is 神戸・週末ボランティア」をご覧下さいまして,まことにありがとうございます。8月28日の復興住宅訪問活動は,弊サイトをご覧になって初めて参加された方1名を含めた6名で行いました。今回は,住宅の戸数の関係で,普段より若干少ない戸数の訪問としましたが,前回同様,猛暑のためと,子どもたちの夏休みが終わり近いといった事情もあるのでしょうか,お出かけになることころも目立ち,お話を伺えたところは多くはなかったのですが,そうした中でも,訪問に応じてくださった方々に感謝したいと思います。

また,そうした中にあって,私たち参加者が,役立ちと学びの姿勢とモチベーションを維持してゆくことを,反省から導き出すべき課題としたいと思います。

猛暑といえば,この夏は,節電が昨年以上に求められているからでしょうか,冷房を使わず,玄関扉を開けたまま休んだりしているところも散見されましたが,熱中症などの予防や防犯などの対策は,していただきたいところです。

関西では,子ども向けの夏の行事として,地蔵盆が行われることが多い時期です。本来は旧暦の7月24日を中心に行うものでしたが,新暦に移行するところはあまりなく,それに近い,夏の終わり近い,この週末かその前の週末に行ったところが多いようです。子どもたちは,自分の町内だけでなく,何カ所かの地蔵盆を回って,あちこちでたくさんのお供物のお菓子をもらってきて,中には,サンタクロースや大黒様のような大きな袋に入れてくる猛者も,いるものです。そうした子どもがやがて大人になって行事を担うわけですから,そのあたりは,寛容の連鎖が受け継がれていいるといえるでしょう。

こういった寛容ぶりは,他の地域ではほとんど見かけないものです。また,高齢者の単身世帯が多い復興住宅では,地蔵盆が行われることはまずなく,盆踊りや餅つきなどといった行事も,中にはボラティアの手を借りて維持してきたところもありますが,やがては住民の高齢化から,年々小規模化したり,行われなくなっているところが多いようです。

関西はもとより関東でも,まだまだ暑い日が続いています。一方,東北では既に秋の便りもきかれ,朝晩の冷え込みにもできてているようです。弊サイトThis is 神戸・週末ボランティアをはじめ,MixiコミュニティMixiページFacebookページtwitter - welove_kobeをご覧戴いている皆様方も,季節の変わり目近く,それぞれの地でご自愛下さい。


この日伺ったところの概略です。

・80代男性。中央区で半壊。被災後2〜3ヶ月娘宅に避難したが,被災した住宅に戻って住み続け,この復興住宅に入居。妻を震災後3ヶ月目に亡くし,息子が心配して時々来てくれる。買い物も自分でして,食事はほとんど,できあいのものを食べる。高血圧のため,2〜3度倒れたことがあり,月1度通院するほか,薬は毎日飲んでいる。介護保険が高すぎると思う。足腰が弱っていて,医師からは1日1時間は歩くように言われているが,しんどくて,とてもできない。

・50代女性。兵庫区で被災。仮設住宅で訪問した際のことを覚えていて「当時幼かった子どもも大きくなりました」と言って程なく,母娘一緒に自転車で外出。夏休みの最後の週末にお出かけする後ろ姿を見送った。

・10代男性。生まれる前からここにいたらしい。ここが(被災者を優先入居させる公営住宅である)復興住宅であることは,何となく知っている。高齢者が多いが,友達もいるので,淋しくはない。

・女児。震災の時のことや今お困りのことなどを伺っているといった,訪問の趣旨を説明したところ「何のことか解らない。」<インタ−ホン越しに応答>

・40代女性。「出かけるところなので,ごめんなさい」と言って,自転車で外出。

・10代男性。僕は解らないので,話はできない。

・30代男性。暑さをしのぐべく,玄関扉を開けてお休み。

・「けっこうです。」<インタ−ホン越しに応答>

2012-08-29 ↑TOP


第558(新生116)回訪問活動 (2012/08/11) レポート

毎度「役立ちと学びのネットワークThis is 神戸・週末ボランティア」をご覧下さいまして,まことにありがとうございます。8月11日の復興住宅訪問活動は,常連参加者を中心とした5名で行いました。前回同様,猛暑とともに不安定な天候の中で,体調維持も大変だったことと思いますが,節電でエアコンを使用せず,玄関扉まで開放して,週末の午後の休息をとっているところも目立ちました。あるいは,ロンドンオリンピック観戦の疲れもあったでしょう。

そうした中で,お話し伺いに応じて下さった方に,感謝したいと思います。

私たちは,訪問活動の後,終了ミーティングを行い,その日伺ったところを集約しています。決して聞き流したりはしません。一人一人の方から伺ったところを書き出してまとめています(それを支援に結びつけることから,記入用紙を「支援シート」と呼んでいます)。そうした過程を経て,伺った際に理解不足であったり誤解していたりしたことに気付くこともあります。そうした率直な反省が,参加者間で,またグループとして共有され,次の活動へ,フィードバックされて活かされていくことになります。

今日8月16日は,京都五山の送り火の日です。お盆に戻ってきていた先祖の霊を再び送り出すものですが,東日本大震災の被災地では昨年,被災後4ヶ月で,多くの行方不明者が残る中で,初盆を迎えていますが,とてもそれどころではなく,今年やっと少しは落ち着いて,お盆を迎え,実質的に初盆のようなものになっているところもあるようです。

弊サイトThis is 神戸・週末ボランティアをはじめ,MixiコミュニティMixiページFacebookページtwitter - welove_kobeを通じて,交流させていただいております皆様方の中にも,東日本大震災で被災したり,被災者・被災地支援に携わったりしている方が少なくないようです。そうした皆さんにも,この活動レポートが,なにがしかのお役に立てればと思います。


この日伺ったところの概略です。

・30代女性。灘区で全壊。火災も発生したが,近くで焼け止まった。通っていた小学校が避難所になっていたので,こぢんまりとしたところで授業を受け,体育館での卒業式もなかった。須磨区の仮設住宅を経て,この復興住宅へは,竣工して間もない時期に入居。冬場など六甲おろしのすきま風が吹き込んで寒いので,ドアポストを塞いでいる。隣近所には声かけするようにしている。今特に困っていることはない。

・80代女性,一人暮らし。長田区で全壊。あちこち避難先を移動した後,西区の仮設住宅で1〜2年過ごす。この復興住宅に一緒に入居した息子は,夫と同様,糖尿病が悪化して若くして亡くなった。大きく腰が曲がり,歩くのもたいへんな様子で,時間をかけて玄関まで出てきて,お話し伺いに応じてくださった。

・60代女性,一人暮らし。長田区で全壊。「今は勤めていますのでお話し聞いて頂く時間がとれないかもわかりませんが,今後お世話になるかと思います。直後は,どうしようかと思いましたが,主人も一緒でしたので心強かったですが,その年末にひとりになり引越しをくり返しやっとこちらの住宅でおちつきました。仕事が出来なくなった時の事を考えると心細いです。」と,自身で記入した支援シートを,玄関外の廊下まで持ってきて「元気です」と。

・60代女性。「右片側マヒで,不自由を感じますが現在のところ出来るだけ自分で頑張ろうと思っておりますが…具体的には家具の移動の時などは苦労します。毎週土曜日は遠方まで理学療法に通っており留守をします。」<自身で支援シートに記入>

・女性。玄関扉が少し開いていたので声をかけたが,自転車で外出するところだった。奥の方から男性が「結構です」。

・男性。「別に言うことはありません。」<インターホン越しに応答>

・男性。「大丈夫です。」<インターホン越しに応答>

2012-08-16 ↑TOP


第557(新生115)回訪問活動 (2012/07/28) レポート

毎度「役立ちと学びのネットワークThis is 神戸・週末ボランティア」をご覧下さいまして,まことにありがとうございます。7月28日の復興住宅訪問活動は,常連参加者5名で行いました。

この7月28日は,4年前の2008年,灘区の都賀川が増水して起こった水難事故の日で,川近くの公園で「都賀川水難事故犠牲者を偲ぶ会」が開かれていました。急激な増水をもたらした局地的豪雨が「ゲリラ豪雨」と呼ばれるようになったのも,一つにはこの事故によるものでした。

そもそも,六甲山南麓の急峻な山地から一気に海へと流れ下る大小の河川が集中する神戸〜阪神間の防災において治水は大きな課題です。近代初頭に,神戸港と外国人居留地への被害回避のために,生田川・湊川を現在のように付け替える大工事をしたことにも象徴されていますが,大小の水害が数年に一度は発生する現状からは,いまだ自由ではありません。その中でも,都賀川水難事故の70年前,1938(昭和13)年7月に起こった阪神大水害は,歴史的な被害を広範囲にもたらしました。

今日でも,阪神大水害・神戸大空襲・阪神淡路大震災の全てを経験し,生々しく記憶している高齢者は、少なくありません。私たちの訪問活動〜傾聴ボランティアにおいても,時折接するものです。そうした語り部となって下さる方々に感謝を忘れず,寄り添い続けることも,役立ちと学びの一環と言うべきでしょう。

弊サイトThis is 神戸・週末ボランティアをはじめ,MixiコミュニティMixiページFacebookページtwitter - welove_kobeを通じて,交流させていただいております皆様方のなかには,関西で育ち,こうしたことを学校教育で教わった方もいれば,東日本大震災など,最近の被災者支援に携わっている方もいるでしょう。かつて受けた教育を現下の状況に照らして問い直したり,被災地・被災者が置かれている情況を,断片的な情報からのみ知るのではなく,それを歴史的・地理的位相の中で理解を深めたりすることも,大切なことでしょう。


この日うかがったところの概略です。

・70代女性,一人暮らし。中央区で全壊。仮設住宅は,神戸市内ながら一旦は遠方に行ったが,同区内に移り,4年過ごした。娘をこの復興住宅から嫁がせ,夏休みには孫が遊びに来る。長年家政婦の仕事をしていたが,リウマチのため辞めた。薬を飲んでいるほか,最近人に勧められて,機械で電気をあててみたところ,血流がよくなって元気になり,友人もできて外出が楽しくなった。

・70代女性,一人暮らし。中央区で全壊。今さら男の人に気を遣うのはしんどいので,女友達が一番気楽。一見元気そうだが,2年前にインフルエンザの注射をしたあとに下痢をして以来,痩せて臓器も悪くなってしまった。暑いので,百貨店の食品売場でもらってきた保冷剤を入れて,タオルを首に巻いている。

・70代女性,夫婦2人暮らし。中央区で全壊。近くの小学校に8ヶ月避難した後,ポートアイランドの仮設住宅で4年過ごし,この復興住宅に入居して14年目。1年半前に,夫が脳梗塞で倒れて以来,リハビリに行くのと家事をヘルパーに手伝ってもらっている。ここで骨を埋めるつもり。不足を言ったらきりがないので,これで満足と思うようにしている。

・70代女性,一人暮らし。中央区で全壊。長く立ち仕事をしていたせいか,5年ぐらい前から足腰が弱くなり,ヘルパーに買い物をしてもらっているが,近くのスーパーがなくなって不便に。一人で寂しくはないと言うが…。

・60代女性,一人暮らし。中央区で被災。子どもを育て上げたのを機に,かなり以前から患っていた病気の治療に専念しようとしたところ,心身の負担が重く,副作用に苦しむことになった。

・10代女性。家族は外出中。震災の時に生まれた。

・男性。元気です。<インターホン越しに応答>

・男性。元気にしている。<インターホン越しに応答>

・男性。元気でいます。<インターホン越しに応答>

・男性。玄関ドアを開けたまま,室内でお休み。

・女性。「忙しいので…。」<インターホン越しに応答>

・女性。玄関ドアは開いていたが,「結構です。」

2012-08-06 ↑TOP


第556(新生114)回訪問活動 (2012/07/14) レポート

毎度「役立ちと学びのネットワークThis is 神戸・週末ボランティア」をご覧下さいまして,まことにありがとうございます。7月14日の復興住宅訪問活動は,常連参加者を中心に,実質5名で行いました。

この日は3連休の初日で,関西では夏祭りが行われるところが多く,それへの参加や観光に行かれた方も多いでしょう。そうしたものも,復興住宅に住む方々には余り縁がないものであるともいえます。それ以前に,この日の神戸は,六甲山系の麓にやや怪しげな雲行きが見られたものの,蒸し暑い天気で,不快指数が高い状態でありました。蒸し暑さから来る体力的な負担から,お話し伺いの応じていただけないところも目立ちましたが,そうした中にあっても,貴重な,有意義なお話し伺いをさせていただきました。改めて感謝したいと思います。

祭つながりで言うなら,7月14日は,日本では「パリ祭」と映画のタイトルで呼ばれることが多いですが,フランス革命記念日です。革命の発端となったバスチーユ監獄襲撃を記念して行われた建国記念日が,式典という以上にお祭りとして定着して,今日に至っているものです。フランス革命の理念として知られる「自由・平等・友愛」は,今日でも普遍性をもったものとして,希求されているもので,私たちも,これを機会に,思い起こしてみるのもいいでしょう。

弊サイトThis is 神戸・週末ボランティアをはじめ,MixiコミュニティMixiページFacebookページtwitter - welove_kobeを通じて,交流させていただいております皆様の中には,既にお気づきの方も多いでしょうが,今日7月23日で,東日本大震災と,それにともなう福島原発事故から,500日となります。改めて犠牲になられた方を悼むとともに,こうした,離れた場所での活動のレポートであっても,なにがしかの支援の一助になればと思っています。

昨年夏の後半には,台風による豪雨のため紀伊半島南部に多大な被害をもたらしましたが,今年は梅雨の大雨によって,九州地方に多大な被害をもたらしています。西日本での支援活動も,少なからずこうした方面に向けられている現状があります。また,30年前の今日7月23日は,300人近い犠牲者を出した長崎大水害が発生した日でした。こうして,時に及んで想起し,歴史に学ぶことも大切でしょう。


この日伺ったところの概略です。

・80代女性,夫婦2人暮らし。東灘区の自宅を未明に出て,中央区から,ご主人が運転するトラックの助手席に乗り込んで,大阪方面に向かっていたところ,尼崎市内を走行中,地震に遭った。上下に激しく揺れて怖かった。ラジオで被害の大きさを知る一方,積荷の電機部品は落下も荷崩れもしていなかった。9年前に脳梗塞で倒れ半身不随に。訪問時,片足を引きずるように玄関口へ。ボランティア参加者の一人と年齢が近いと判ると「お元気ですねぇ」と,暑さの中の訪問をねぎらっていただく。ご主人は睡眠中とのことで,小声でお話しを伺った。

・70代男性。この復興住宅への,外部からの訪問者に不信を募らせ,警戒を強めてきたことから,友愛訪問活動(一人暮らしの高齢者など,見守りが必要な世帯に,地域住民のボランティアが訪問し,安否確認や話し相手などをする)を行うグループをつくるなど,地域住民自治に積極的に取り組んでいる。暑さの中,まさに入浴しようとしているところに,お話し伺いに応じていただく。

・男性。「忙しいので…。」<インターホン越しに応答>

・女性。「今,具体が悪いので…。」<インターホン越しに応答>

・女性。「何も話すことはありません。」

・女性。「今寝ていたところなので,ごめんなさい。」<インターホン越しに応答>

・男性。玄関のドアを開けていたが「何も言うことはない」と,室内に戻っていった。

・男性。「元気だから結構です。」<インターホン越しに応答>

・女性。「何も言うことはありません。結構です。」<インターホン越しに応答>

2012-07-23 ↑TOP


第555(新生113)回訪問活動 (2012/06/23) レポート

毎度「役立ちと学びのネットワークThis is 神戸・週末ボランティア」をご覧下さいまして,まことにありがとうございます。復興住宅訪問活動を行った6月23日は,沖縄慰霊の日でもありました。1973年の返還前後を通じて,神戸や大阪には,沖縄から多くの人がやってきて,高度経済成長期以来,関西の経済を支えてきました。復興住宅の住民の方はもちろん,私たちの参加者の中にも,沖縄出身者がいますが,そうした人たちの故郷への思いや,戦後67年,さらには近代を通じて,沖縄やその地の人々に強いてきた犠牲の数々について,思いを致したいものでした。

この日は,6名の参加者を中心にして,普段より若干少ない戸数で行いました。次回以降はまた,このところ毎回の標準的なペースに戻すべく,訪問予定のお宅に配布する「予告チラシ」の投函数も20戸とし,その全戸を参加者全員で廻り,次回のお話し伺いの準備を共有する機会としました。これは,初めてや久しぶりの参加者に,なるべく広く現状に触れてもらい,あわせて,これまで[再]構築してきた信頼関係の現状への理解と協力を求めることを目指したものでした。

物的支援や介護といった活動においては,必然的に担い手と受け手の関係は,非対称的な権力作用を持ったものになってしまいます。そうした物質的に規定されたところから切り離して「お話し伺い」をもっぱらにすることは,両者の関係を対称的な対等なものとする上で,貴重な機会です。そうした関係の構築を通じて,相手の中に尊厳を見いだすことが出来ます。何かの視察のような,上から目線の態度になれば,そうした関係は崩れてしまいます。かかる尊大な姿勢・態度は,厳に慎みたいものです。

私たちの訪問活動では,老若男女織り交ぜた参加者の構成で行うことで,なるべく多くの方から広くお話しを伺って受け止められるようにしてきました。もちろん,同じもしくは近い境遇や年代,性別であった方が,理解し共感しやすいこともあります。それを参加者の持ち味として発揮しつつ,同時に,そのシンパシーが,独善や思いこみによるものでないかを確認する視点もまた,望まれるでしょう。

今回は,同日に総会を予定していたため,訪問活動を早めに切り上げることにしましたが,そうした中でも,毎回の一戸一戸の訪問活動を大切にするべく,終了ミーティングを確保し,成果の共有を図りました。やや拙速になったところは,若干時間をおいてふり返っての,このレポートで補いたいと思います。


この日伺ったところの概略です。

・70代男性,長田区で全壊。同区内で営んでいたケミカルシューズの工場は全焼,機械に当たった息子は,その後遺症で亡くなった。息子の死でやる気を失った上,費用も膨大になることから工場の再建は断念,借金返済に追われる,マイナスからのスタートになった。タクシー運転手になり,今のタクシー業界はたいへん厳しいが,人間やはり働くのが一番と,今も週2回ハンドルを握る。仮設住宅への入居はやめて借家住まいに。この復興住宅に入居して13年,高層住宅に住んだのは初めて。長田には人情があり,皆で助け合って生きていたが,ここにはそれがない。

・80代夫婦。訪問時在宅していた奥さんが,杖で身体を支えながら,やっとのことで玄関口へ。しんどそうだったので,お話し伺いを切り上げた。それから程なく,帰宅してきたご主人と出会い,お話しを伺った。背筋がまっすぐに伸びた姿は「予科練帰りだから」と,さらに「まだ走れます」と走る格好をして,元気ぶりをアピール。

・70代女性,夫婦2人暮らし。東灘区で被災。自宅近くの阪神高速道路の高架が倒れた。震災まで長く牛乳店を営んでいたが,当時既に牛乳配達の需要が減っていたことに加え,60歳前後の年齢で再建するのは難しいと,再建を断念した。仮設住宅には入らず,この復興住宅には竣工当初から入居。入居間もなく,自転車を階下に置いていたら盗難に遭ったので,家の中に入れている。商店街や最近新たにできたスーパーでまとめ買いした帰りは,自転車に積んで押して帰ってくることが多い。

・30代女性,中央区で一部損壊。震災の時はまだ十代だった。身体がしんどそうだっらので,お話し伺いを早めに切り上げた。

・女性。体調が悪いので…。<インターホン越しに応答>

・「せっかくですがお断りします。」<自身で支援シートに記入>

・「具合が悪くて出られませんのであしからず。」<自身で便箋に記入>

・80代女性,灘区で全壊。「ぼちぼちすごしています。有がとうございます。」<自身で支援シートに記入>

2012-07-09 ↑TOP


第554(新生112)回訪問活動 (2012/06/09) レポート

毎度「役立ちと学びのネットワークThis is 神戸・週末ボランティア」をご覧下さいまして,まことにありがとうございます。近畿地方までの西日本が梅雨に入って2日目となった6月9日の復興住宅訪問活動は,このところなじみになってきた参加者6名で行いました。

訪問活動〜「お話し伺い」自体はもちろん,訪問予定のお宅の確認や,「予告チラシ」の配布などの作業も,手際よく進められるとともに,相手を思う気持ちから,さらなる工夫や改善を模索する参加者の姿からもまた,学ぶべきものがあるといえるでしょう。

前日の雨が上がって,梅雨の晴れ間ともなったことから,留守宅も多く,お話し伺いに応じてくださったところは多くはありませんでしたが,その分じっくりと伺う機会となり,中でも,3年前の 訪問時も好意的に迎えてくださったお宅では,今回も参加者一同で,きれいに掃除されたお部屋に上げていただき,楽しく充実したひとときを過ぎさせていただきました。

じっくり腰をすえてお話しを伺うことで,その直接的内容にとどまらず,これまで,とりわけ最近の,傾聴ボランティアとして,訪問活動にに臨む姿勢・方法などについて,お互いが顧みて,望ましものへと向かうべく,終了ミーティングも,貴重な学びの機会となりました。

阪神淡路大震災被災者支援として始めたことから,必ず一度は阪神淡路大震災について伺うようにしているのですが,阪神淡路大震災から17年,東日本大震災から1年以上が経った今,時間が経ったから話せるという人もいれば,もう話したくないという人もいます。また,同一箇所に再訪問すると,繰り返し話したくないというところも目立ちます(この場合,体力・体調による負担が重いことが多いのですが)。

「(阪神淡路大)震災のことや,今お困りのことはございませんか? ということを伺っています」といったような,訪問時の趣旨説明のあり方について検討を加えるのに始まり,震災を一つの起点にしつつも,今の現状について伺うことを重視し,短時間のお話し伺いや安否確認に終わった訪問の意義も大切にすることが,提起されました。

お話しを伺う時点での現状を大切にすることは,一般的に広く「傾聴」に臨む姿勢として求められるもので,その大切さに改めて気付くことは,貴重な学びといえるでしょう。

こうした「傾聴」に関わる基本的姿勢については,「心のケア」の観点からも,改めて顧みるものでなければなりません。阪神淡路大震災の頃から盛んにいわれるようになった「心のケア」ですが,そのあり方についても,現在の情況にふさわしいものとしてゆくものでなければならないでしょう。

確かに,かつては,ただ話しを聞きさえすれば「心のケア」になるとか,悲惨な体験を,早くに語らせることで吐き出させることが「心のケア」になるといったことが,言われていました。確かにトラウマ的ストレスを長期にわたって溜め込んだり,その中で深化させたりするのを防ぐという効果や意義はあったでしょうが,その一方で,人の心の中に土足で踏み込んでいくような,粗暴な「心のケア」なるものも横行していました。

その後,さまざまな事件・事故・災害での経験を通して,臨床心理士やカウンセラーといった専門家や,職業やボランティアで「傾聴」に関わる人たちなど,「心のケア」に携わる人たちの間では,かかる偏向は克服されていき,被災者・被害者らに寄り添うこと,,それにふさわしい存在たらんこと,無理に吐き出させるのではなく,自ら話そうとするのを待つことなどが,求められるようになっています。

1年前の今頃,東日本大震災が発生し,神戸においてもその報道映像などから,かつての被災体験を想起し,PTSDを発症する人も少なからずいました。そうしたところに,かつてと同様の,吐き出させるやり方で,訪問活動に臨んだ参加者も一部にはいましたが,そうした時代錯誤的な拙速で粗暴な方法・態度についても,まさに改めて,再び繰り返してはならないものであることを,銘記しておかねばならないでしょう。

次回,6月23日の訪問活動のあとには総会を行います。こうした学びの成果を,さらなるものへと共有し高めていきたいと思います。

あわせて,弊サイトThis is 神戸・週末ボランティアをはじめ,MixiコミュニティMixiページFacebookページtwitter - welove_kobeを通じて,交流させていただいております皆様方にも,さらなるご指導・ご鞭撻の程をお願いいたします。


この日うかがったところの概略です。

・70代男性,夫婦2人暮らし。中央区で半壊。地震の時は,早朝6時に仕事に向かうのにあわせて,朝食の準備をしていた奥さんが,沸かしていた湯を浴びて火傷を負ったが,コタツの下にいて,揺れのために動けず,そばに行ってあげられなかった。西宮市出身の奥さんの身内では犠牲者が出た。ダンプカーを持って運転していたが,高齢で仕事が来なくなり,5年前に辞めた。3年前に訪問してお話しを伺ったときのことを覚えていて,今回もきれいに掃除されたお部屋に上げていただいてのお話し伺いに。そのときは元気だった奥さんは,今回はしんどいと,休んでいた。この復興住宅は,高齢者が多いので,活気がなく,静か過ぎる感じだ。参加者の一人と出身地(九州西部)が近いと解ると,話しが話が弾んでいった。

・70代女性,中央区で半壊。山側の小学校に避難したが,港に近い住居が半壊認定となり帰宅した。訪問後程なく電話がかかってきたため,お話し伺いを切り上げたが,元気そうな様子。

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2012年週末ボランティア総会提案(私案)

2012年週末ボランティア総会提案
(私案) 2012年6月23日
総括
 神戸・週末ボランティアの復興住宅訪問活動は、解体的再生を図り、再出発した2007年から2008年にかけて、活動の資質向上と、住民・市民との信頼関係[再]構築において、劇的な成果を収めた地平にふまえ、一時は現状維持や若干の後退・偏向もあったが、そのなかから再び資質向上を勝ち取り、それを深化・拡大することができるようになった。
 阪神淡路大震災の被災地・神戸にあって、地域に根ざし、被災者・市民との関係をさらなるものすることで、協力・協働関係もつくられるなど、その定着・浸透と、それに基づく成果のフィードバックと共有・拡大も進んだ。
 成功はもとより、失敗や誤りからも学ぶ率直で謙虚な姿勢は、個別具体的な教訓にとどまらず、やがては視野をも広げてゆく。そうしたところから、現状にふさわしいあり方や姿勢を求める上で、活かせるようになりつつあるといえるだろう。

方針

「お話し伺い」の原点を忘れず、現在の出会いと対話を大切に
今日の情勢にふさわしい「傾聴」の基本〜「寄り添う」〜を大切にして「心のケア」に

以下、2007年以来毎年確認しているものを再掲;

活動の目的・趣旨の確認−役立ち学ぶ、尊厳を見いだす<確認>
・週末ボランティアの活動は、お話伺いを起点として、コミュニティーの創造・構築や住民の主体性発揮のサポート、行政監視、政策提言などに及ぶものである。
・週末ボランティアの活動の目的は、被災地の復興と被災者の生活再建に貢献・寄与することであり、そのために情況に自らを投入することによって、被災者の中に尊厳を見いだす姿勢が求められる。
・週末ボランティアの活動に当たってもっとも必要とされる基本的姿勢は、言語コミュニケーションを通じて学びの機会とすることである。
・週末ボランティアとしての活動の目的・趣旨を確認し、その達成と増進に寄与するにふさわしい姿勢で参加することを求める。あわせて、参加者が活動を通じて得られる学びと充実を増進できる環境を整備する。
・具体的には、訪問予定の住民宅に投函される「予告チラシ」に記されているような言動と姿勢(不偏不党の原則、独立した主体的立場)を堅持することが、個々の参加者とグループとしての週末ボランティアのいずれにも必要不可欠であることを確認する。

 そもそも神戸・週末ボランティアの仮設住宅・復興住宅訪問活動では、「お話し伺い」と呼んできたが、近年、参加者の聞く姿勢の徹底を求めるべく「[積極]傾聴」といったのに続き、昨2011年途中からは「重要語を聴き逃がさない。その方の言葉で繰り返す」といってきたが、後者については、その姿勢・立場・資質などを没却することで、両刃の剣となることを、注意・確認し、姿勢・態度の徹底と共有をその前提としたい。そうして一般的な、方法としての「傾聴」及び傾聴ボランティアのあり方にふさわしくなることを、さらに追求したい。グループ内外から、かかるスキルや見識をを持った方から学ぶことは、謙虚で率直な姿勢をもつことを含めて、有効であったので、これからも続けていきたい。
 およそいかなる活動であれ、ニーズとのマッチングを図ることが必要で、それなくしては単なる独りよがりになってしまう。またあわせて、同じ分野・対象とした活動であっても、そのあるべき方法も、時代の変化や、地域性の差異などによって異なってくる。
 阪神淡路大震災を一つの契機として「心のケア」が盛んにいわれるようになり、当初は、早くに悲惨な体験を語らせることでPTSDを溜め込まず吐き出させることが追求された。だがそのような粗暴で拙速なものは、やがてなりを潜め、昨今では、自ら語りたくなるのを待つことや、寄り添うことの必要性が重視されている。そうした趨勢にふまえ、粗暴で拙速な「心のケア」もどきと訣別し、寄り添う姿勢を徹底し、尊重すること、これまで以上に大切にしたい。
 17年にわたって、阪神淡路大震災被災地の復興と被災者の生活再建に関わってきたものとして、今後も活動を続けようとするなら、この地にあって最後の一人まで残さないことを目指すべきだ。しかしながら、活動の継続が自己目的になってはならない。その時々の実情にふさわしいものたらしめるべく、現状でで実現した対話や出会いを大切にすることを、心がけたい。

お世話役
 学び役立つグループとしてふさわしく、参加者の資質向上と便宜のためにおくものであって、「指導部」や「体制」ではない。訪問先住民・被災者の前では、一人一人がグループの「顔」であり、みんなが「代表代行兼監査役」だ。
・代表・会計を常置(再任)。
 「副代表」その他の役職等は不要、設置しない。
・必要なときは代表が代行を指名(委任)できるものとする。
・会計監査の後任は置かない。

ボランティア保険
 常連参加者を対象にグループの会計から保険料を支出している「兵庫県ボランティア・市民活動災害共済」は、昨年度に比して補償額が低下しているほか、地震・津波などによる傷害補償を含めた「天災プラン」が別であり、人格権侵害についての賠償責任が補償対象外である。次年度以降への継続に際しても、補償内容を慎重に確認する。
 そうした補償対象外の活動等については、グループから切り離し、免責されたものとした上で、それに関わる者が別途、それをカヴァーする保険に加入することを推奨する。

記録・広報
 地元での信頼関係の構築と交流・連携の促進を重視すべく、参加者募集とグループの活動に関する広報としては、その媒体の選択による信用度の向上を図るべく、このかん実績が上がっていることにふまえるものとする。広報・宣伝と記録の区別を明確にし、その資質向上を図るべく、独立性の高い運営主体からの情報発信が望ましい。
 以前からの「インターネット班」になるものについては、発言者・原著作権者などの許諾なき掲載、根拠なき、事実に違背する内容への改竄、不適切なリンク誘導などを通じて、グループとその活動についての誤った印象を与え、その信用を失墜させ、享楽的・政治的利用へと歪曲する態度・姿勢が改まらないことに鑑みて、根本的に見直す。

その他
・借り上げ復興住宅問題−住民の主体性を尊重し、それをヨリ発揮するお手伝いのスタンスで。
・東日本大震災・福島原発事故の広域避難者−復興住宅などにも散在。遠方への避難にはそれなりの事情も。宗教・政党など全く関係ない民間ならではのスタンスで。

2012-06-20 ↑TOP


第553(新生111)回訪問活動 (2012/05/26) レポート

毎度「役立ちと学びのネットワークThis is 神戸・週末ボランティア」をご覧下さいまして,まことにありがとうございます。5月26日の復興住宅訪問活動は,このところ慣れ親しんできた参加者4名を中心に行いました。心と腰を落ち着けて,被災者・市民に寄り添い,ともに歩もうとする姿勢が,受け入れられ,さらに定着してきたのでしょう,充実したお話し伺いを実現することが出来ました。

弊サイトThis is 神戸・週末ボランティアをはじめ,MixiコミュニティMixiページFacebookページなどは,不偏不党の原則を堅持すべく,独立性を徹底的に高め,コンテンツのクオリティと信頼性を,維持・発展させてきました。

もちろんお話しを伺った中にあっても,聞き手の主観も入ります。それを持ち味として活かすこともまた求められます。そうした中であってはならないのは,なにがしかの目的のために,実態と乖離した,浅薄な,明るいものや暗いものに作りかえてしまうことです。ここではそうしたバイアスを排するとともに,グラデーションを,短くまとめ直す中にあっても,極力再現することに,努めています。

これはすなわち,伺ったお話しの中に込められた,人生や心のひだを,いかに受け止めたかを,示すもので,私たちの活動の資質を示す観点にほかならないからです。

今回の訪問活動を終えて月の変わり目にさしかかる頃には,twitter - welove_kobeのフォロワーさんが1200アカウントを超え,阪神淡路大震災の被災地・被災者の今を伝える,最大のアカウントとして,さらなるご理解・ご支持を頂戴しておりますことに,感謝いたします。

フォロワーさんたちのプロフィールを拝見していると,関西以外,とりわけ東日本大震災被災地やその支援に関心のある方々が目立つようになりました。「息の長い支援」が求められる中,これからの被災地・被災者に起こるであろう問題への対処にも,何らかの形でお役にたてていただければ,ありがたいことと思います。

あわせて,神戸の街を楽しく元気にする,さまざまな話題を語り合う場としても,お引き立て下されば,さらに幸甚です。


この日伺ったところの概略です。

・70代女性,一人暮らし。中央区で全壊。文化住宅の1階で被災,タンスが倒れてきて,首の骨がずれた上,腰もやられて動けなくなり,どうやって逃げようかと思った。ひとまず車に避難した。神戸市内や西宮市に住んでいる息子たちが,単車や自転車で来てくれたので,心強かったが,所帯を持っている子どもたちに期待し続けるのは難しいと思った。近くの小学校に避難している頃,あちこちで仮設住宅が建ち始めたが,何度申し込んでも当たらなかった。震災から今までずっとリハビリを続けている。白血病ながら土木の仕事を続け,震災時は入院中だった夫は10年ぐらい前に亡くなった。震災のことは聞いてほしくない,あのとき死んでいたらよかったと,今でも思う。

・70代女性,中央区で被災。企業の寮で寮母の仕事をしていて,震災にもそこで遭った。食料などにも困らず,社員たちをみな無事帰すまではと頑張ることが出来た。あの頃は若かったので,不眠不休で頑張れた。震災のおかげで自分は成長したと思う,人の気持ちが解るようになったと,時折涙ぐみながら話した。この復興住宅に入ってからは,人との関係がよくなるようにと努力している。若い人には,人に感謝する気持ちをもってと伝えたい。以前の訪問時には話せなかったが,今回は話したいと思えるようになり,話すことが出来た。

・50代男性,長田区で全壊。近くの小学校の避難所がいっぱいで困っていたら,どこかのお坊さんが交渉してくれたおかげで,神社に避難でき,今でも感謝している。冷たいながらおむすびをたくさん戴くことができ,雑炊も振る舞ってもらった。仕事もなくなり頭が真っ白になる中,大阪府に避難先と仕事を見つけて移った。妻が神戸に帰りたいというので,ハローワークに行ったら,自分にあった仕事を選べず,いろいろなパートをしていたが,ひどいものだった。夫婦それぞれが糖尿病などの病気を抱えていて,車の運転をひかえ,仕事も余り出来ない中,家事を引き受けている。

・60代女性,灘区で全壊。被災後は実家に避難した。元気です。昼寝の途中だったところを訪問。程なく電話がかかってきたため,お話し伺いを切り上げた。

・60代女性,中央区で被災。区内の小学校に避難し,この復興住宅には入居して13年。「病気なので…」とドアを閉め,短時間のお話し伺いに。

2012-06-05 ↑TOP


第552(新生110)回訪問活動 (2012/05/12) レポート

毎度「役立ちと学びのネットワークThis is 神戸・週末ボランティア」をご覧下さいまして,まことにありがとうございます。訪問活動から1週間が過ぎた神戸の街では神戸まつりでにぎわっている様子が伝わってきますが,弊サイトThis is 神戸・週末ボランティアをはじめ,MixiコミュニティMixiページFacebookページtwitter - welove_kobeを通じて,交流させていただいております皆さんいかがお過ごしでしょうか?

5月12日の復興住宅訪問活動は,常連参加者に加え,前回から参加したメンバーの6人で,暖かな好天の中,行いました。「お話し伺い」の前に,次の訪問先をリストアップし,来意を告げる「予告チラシ」を投函する作業も,手慣れてきたのか,スムーズに進みました。そうした姿が,行き交う住民の眼に触れることによって,好感を持って迎えられ,安心感をもって応じてくださる,手応えを感じました。

今回は,前回前々回より,やや多くのお話しを伺うことが出来ました。体調がすぐれなかったり,用事があったりされた方も,自ら「支援シート」(伺ったことを支援に結びつけるとの趣旨から,私たちは記録用紙をそう呼んでいます)に記入して,その声を私たちに託してくださることが,今回もまた目立ちました。

先4月からは,東京の司法書士法人が運営する,「3.11東日本大震災からの復興に向けて、ボランティア・物資を必要とする人たち、参加したい人たちのマッチングをするサイト」・都道府県災害ボランティアセンターに,阪神・淡路大震災 傾聴ボランティアとして,ご紹介いただきました。早速これをご覧になって,新たなメンバーとなる方が続いています。

昨2011年の東日本大震災以来,参加に当たってボランティア保険に加入を求めるケースが多くなっていますが,これは毎年3月末で期限切れとなり,4月1日からは新たに加入・継続の手続を取る必要があります。そうした時期には若干遅れましたが,ボランティア保険の概略から,都道府県別の補償内容を概観した,ボランティア保険について (2012年版)を,ウェブサイトに掲載しました。東日本大震災などの被災地支援 のほか,皆さんが参加する,様々な活動に適したプランを選択・加入するうえで一助となれば幸いです。


この日うかがったところの概略です。

・70代女性,夫婦2人暮らし。灘区で全壊。近くの学校に避難した後,加古川市の仮設住宅へ。仮設住宅にいたときは,駅まで歩いて20分もかかるので,しんどかった。民間賃貸住宅を経て,この復興住宅へは竣工間もなく入居,以来13年に。まあまあ近所づきあいはある。

・70代女性,一人暮らし。兵庫区で全壊。出勤途中,高速神戸駅で地震に遭い,陥没したところや周囲から倒れてきそう建物がある道路を歩いて家まで戻った。近くの小学校の避難所に8月まで居た後,ポートアイランドの仮設住宅へ。大規模な仮設住宅で,隣の物音も筒抜けで,とくに暑さ寒さは仮設住宅の方が辛かった。仕事はポートアイランドでしていて,震災後1月ぐらい休ませてもらった後,再開した。この復興住宅には竣工間もなく入居。住宅の北側には,高速道路が走っているほか,入居当初は貨物列車も走っており,うるさく寝られなくなった。震災前に居たところが静かだっただけに,かなり心身にこたえた。その他は特に身体の具合は悪くない。

・80代女性,一人暮らし。灘区で半壊。近くの学校に避難した後半年ほど長男宅に。夫は大工で,自分が手掛けた被災家屋の修理に忙しく,過労のためか,震災3年で亡くなった。この復興住宅に入居して12年ほどになるが,ここにいる人とは,だんだん交流を広げている。最近,足腰が痛いが,こけたら誰かの世話にならないといけないので,何とか一人で頑張っている。

・70代女性。灘区で全壊。早朝勤務のため4時半に家を出て,震災の時は大阪の勤務先に。すぐに家に戻ろうとしたが,国道2号線を歩いて,8時間以上かかった。大阪に1年居るなどした後,この復興住宅に入居して13年。今では近所の方とコミュニケーションを取って,カラオケを楽しんだりしている。

・70代女性,一人暮らし。灘区で全壊。東灘区の公共施設の避難所で4ヶ月過ごした。ポートアイランドの仮設住宅を経て,この復興住宅へは竣工当初から入居。8年前に夫を亡くし,一人暮らしに。心臓の手術をした後は,ほとんど寝て過ごしていた。「自分で今が一番いいと納得しなくては生きていけませんね」と前向きに。

・70代女性,一人暮らし。灘区で全壊。近くの集会所に避難した。高血圧だが,身体に合う薬を飲むようになって,今ではかなり下がってきた。普段はこむら返りがよく起こり,歩きにくくなる。出かける前に自転車を止めて,立ち話をさせていただく。

・「ボランティアご苦労様。元気に過ごして,今日はハイキングに出かけております。」<自身で支援シートに記入>

・「全員,健康は良好です。子供(小・中学生)もだんだん慣れてきて,学校へも楽しく通っています。」<自身で支援シートに記入>

・70代女性。ドアは開いたが,体調が悪いとのことので,「今,起きていられない。ごめんなさい。」と,閉められた。

・「ちょっと忙しいので…」<インターホン越しに短い返答>

・男性。ドアは開いたが,「もういい」と,閉められた。

2012-05-20 ↑TOP


第551(新生109)回訪問活動 (2012/04/28) レポート

毎度「役立ちと学びのネットワークThis is 神戸・週末ボランティア」をご覧下さいまして,まことにありがとうございます。弊サイトThis is 神戸・週末ボランティアをはじめ,MixiコミュニティMixiページFacebookページtwitter - welove_kobeを通じて,交流させていただいております皆様方は,このゴールデン・ウィークをどのように過ごされたでしょうか?

東日本大震災の被災地支援のボランティアに,関東や関西からはるばる向かわれた方も多いとのことですが,とくにその後半は,豪雨やそれに伴う増水・土砂崩れ,さらには北関東の竜巻までもがあって,二次災害防止のため,所期の目的を断念したり,期間や規模を縮小された方もおいでのようですが,人智を越えた自然が相手のことゆえに,ときには引き返す勇気,撤退する勇気も必要になることも,率直に学び受け入れることも必要でしょう。

自分の勝手な,一方的な思いをぶつけるべく,被災地に向かい,被災者に接することは,有害無益なものにほかなりません。どのようなものであれ,常に自分の行動をふり返って,フィードバックさせることは,必要でしょう。そしてその結果を,広く共有することで,さらなる役立ちと学びの輪が広がることと信じます。

猪突猛進は蛮勇をもってするものにすぎず,引き返し撤退することは,真の勇者のみが適切になしうるものといっていいでしょう。そこから学ぶことは大きいはずです。

この時期の関西では,1986年に起こった朝日新聞阪神支局襲撃事件や,7年前のJR福知山線尼崎脱線事故といった,忘れてはならない事件・事故が起こっており,犠牲者を追悼し,忘れることなく語り継ぎ,教訓を得るべく,今日もさまざまな取り組みが行われています。

また,かつては,私たちのグループでも憲法記念日にあわせて学習会をもったこともありましたが,今日ではこうしたweb上でのレポートや情報交換も,その代わりの役割を果たしうるのではと考えています。

ゴールデンウィークにまさに入ろうとする4月28日の復興住宅訪問活動は,新たなメンバーを迎えて6名で行いました。好天の連休とあって,お留守の方や,在宅されていてもお話し伺いに応じていただけない方も目立ちましたが,阪神淡路大震災以来17年,遅くに竣工したこの復興住宅の入居開始から13年経った今の,被災地・被災者の置かれている情況の一端を,うかがうことは出来たと思います。


この日うかがったところの概略です。

・40代男性,一人暮らし。須磨区で全壊。7年前にこの復興住宅へ。一緒に入居した両親は亡くなり,現在は一人暮らし。夜の仕事をしているとのことで,訪問時は寝ており,起こしてしまって申し訳ないと思ったが,柔らかな物腰で応じてくださった。

・80代女性,一人暮らし。中央区で半壊。同区内の仮設住宅に5年程居て,この復興住宅には竣工当初から入居。70歳まで現役で働いた。3年前に夫を亡くし,一人暮らしに。今は膝が悪く,歩行器(手押し車)で買い物に行く。玄関先の通路に出てこられてのお話し伺いに。

・50代男性。長田区で半壊。中央区の親類宅に身を寄せ,仮設住宅には入っていない。この復興住宅には,被災後かなり経ってから入居し,10年ほどになる。60歳前で,病気とかはないが,周りは年寄りばかりなので,近所づきあいはあまりない。お休みのところ,ドアを少し開けてお話し伺いに。

・80代女性。灘区で被災。「今は血圧が高い,コレステロールが高い等,通院中。今日は用事あり。不在かも知れません。元気で何とか買物も行けます。」<自身で支援シートに記入>

・80代女性,一人暮らし。灘区で被災。本人は4月に病院で亡くなり,訪問時は遺族らが後片付けに。

・女性。「寝ているので…」。<インターホン越しにお断りに>

・来意を告げると,一旦は開けた扉を閉めてしまった。

2012-05-07 ↑TOP


第550(新生108)回訪問活動 (2012/04/14) レポート

毎度「役立ちと学びのネットワークThis is 神戸・週末ボランティア」をご覧下さいまして,まことにありがとうございます。4月14日の復興住宅訪問活動は,仮設住宅への訪問活動を始めて以来,通算550回目,また,ボランティアにふさわしいものたるべく,再生への歩みを始めて以来108回目ともなりました。前週末以来の桜の見頃が続く中,神戸及び阪神間から,新たに3名の初参加のメンバーを加え,11名で行いました。

暖かな好天とも相まって,お留守のお宅も多かったのですが,普段不在がちながらも,たまたま在宅されていた方,3年前の訪問でお話し伺いをさせていただいて以来,再度の訪問を心待ちにして下さった方など,お陰様で,清新さと充実をもって,現状のお話し伺いをさせていただくことができました。

新たなメンバーとともに活動することで,基本的・原則的な姿勢やあり方の確認をする機会ともなりました。そうしたことは,弊サイトThis is 神戸・週末ボランティアをはじめ,MixiコミュニティMixiページFacebookページtwitter - welove_kobeを通じて,交流させていただいております皆様方とのご縁の中においても,共有することで,役立ちと学びの輪を広げる機会にできれば幸いです。


この日うかがったところの概略です。

・50代男性。東灘区で全壊。新聞配達のアルバイトをしながら大学で国際協力を専攻し,日本の企業に就職した。留学生だったときに被災し,近くの小学校に避難した後,ポートアイランドの留学生住宅に4年居た。この復興住宅に入居して13年目。近所とはあいさつ程度の付き合い。日本人はなかなか心を開いてくれないと感じることも。それぞれの国や人々の,いいところを伸ばして,交流していけばいいのではないか。

・70代,夫婦2人暮らし。灘区で全壊。同区内の幼稚園の避難所で8ヶ月,同区内の仮設住宅で4年過ごし,この復興住宅へ。高血圧で寝込んでいる状態で,家の中を歩くときはフラフラしているとのことで,私たちの訪問時も時間をかけて出てこられた。心臓のため入院したことも。夫は神経痛を患っている。たいへん優しくしてくれる。

・70代女性,一人暮らし。長田区で半壊。周囲では大きな被害に見舞われたが,奇跡的に少ない被害で済んだ。地震の揺れでテレビが布団の上に落ちてきたが,暗くて判らず,引っ張ってみたら何か重いなぁと感じたくらいだった。地震に気付かず,嘘のような気がするほどで,被災して難儀した人に申し訳ない思いがする。8年前に90代の母を亡くして以来一人暮らし。白内障などで眼を悪くしたため辞めたが,最近まで長く洋裁で身を立ててきており,部屋には使い込まれたミシンが。今回と3年前に訪問した際の「予告チラシ」をあわせて大切に取っているなど,訪問を心待ちにされ,新たな参加者を中心とした顔ぶれで,お部屋に上げていただいてのお話し伺いに。

・60代女性。「車イス生活です。(せきずいそんしょうしている)」<自身で支援シートに記入>

・「現在はボランティア様を必要とは致しておりません。毎週,訪問リハビリを受け,毎月末,ケアマネージャーの訪問と,翌月のケアプランを行っています。必要時,ヘルパーさんも来てもらっています。」<自身で支援シートに記入>

・90代女性,一人暮らし。中央区で全壊。「地域の方に,助けられ,がんばっています。ボランティア見回り,デイサービス,ショートステイ,ヘルパーさまなどに,介護されています。家族が週末見てくれます。」<自身で支援シートに記入>

2012-04-25 ↑TOP


第549(新生107)回訪問活動 (2012/03/24) レポート

毎度「役立ちと学びのネットワークThis is 神戸・週末ボランティア」をご覧下さいまして,まことにありがとうございます。イカナゴの釘煮を炊く甘辛い香りが街中に立ちこめる季節を経て,桜もようやく咲き始めた中,「爆弾低気圧」による暴風が吹き荒れていましたが,弊サイトThis is 神戸・週末ボランティアをはじめ,MixiコミュニティMixiページFacebookページtwitter - welove_kobeを通じて,ご縁をいただき,交流させていただいております皆さまは,いかがお過ごしでしょうか?

3月24日の復興住宅訪問活動は,新たな参加者2名を含む9名で行いました。人生の先輩らしく紳士的に,訪問先の方にも,優しく頼もしく接する姿は,私たちも見習いたいものだと感心しました。

今回は「受苦可能性」と,それへの対応について,貴重な教訓を得られたように思います。

このところ,お話しを伺うだけでなく,それを通して,阪神淡路大震災以来,これまで十数年にわたっての,労苦を分かち合って,楽な気持ちになってもらうのが,「心のケア」であるという,一つの基本に改めて立ち帰るべき機会も増えているように思います。

訪問するボランティアにとって,楽しい,明るい話題を用意してくれているわけではない以上当然ですが,中には,不信感や嫌悪感からではないながらも,わざと怒らせたり嫌がったりするようなことを言う人もいます。それを恐れる必要はありません。怒らされたら怒るというのも正常な反応でしょう。相手が意図したように反応するのは,何も間違っていません。それをこらえればヨリ立派ではありますが。

要は,どのような形であれしっかり受け止めることが,まずもって必要なことで,それをこなしさえすれば,傾聴の目的・意義も半ば達成したといっていいぐらいではないでしょうか?

もちろんそれを受け止めることで,聞き手のストレスになることもあります。それは活動後に,参加者の間で話すことで,相互ケアとするべきで,これも訪問活動後の終了ミーティングの役割の一つでもあるのです。そうしたものを含めてのチームワークが,ヨリいっそうできるようにしてゆくことが,これからの目標であり課題であるといえるでしょう。


この日うかがったところの概略です。

・60代女性,夫婦2人暮らし。中央区で全壊。ポートアイランドの仮設住宅で3年7ヶ月過ごした後,この復興住宅へ入居して13年目。夫(60代)は,糖尿病を患っており,体調が悪い。隣近所との付き合いはあまりない。市営住宅であるこの棟には自治会がないが,共益費は家賃とともに支払っている。

・女性,灘区で全壊。インターホンを鳴らすと,すぐに出てきたのは,無邪気な笑顔が可愛い,小さな女の子。続いて,未知の訪問者にたいして無防備にドアを開けたことをたしなめつつ,母親である若い女性が「母(少女の祖母)は元気です」と。短いやりとりの中でも,少しは信頼関係が出来たのか,別れ際に少女がバイバイをしてくれた。

・60代男性,東灘区で全壊。被災以来長年の労苦のためであろうか,体調は思わしくなく,ストレスも高じている模様。そうした現状への憤懣や不安な気持ちを,誰かに向けたかったのであろう。私たちの訪問においても,うかがう内容を正確に理解することも必要だが,そうした気持ちをぶつけてもらって受け止めることが,「心のケア」の基本であり,対話の出発点となるものであることを,改めて学ぶ機会となった。

・50代女性,中央区で全壊。文化住宅で被災し,仮設住宅になかなか当たらず,遠方への避難を余儀なくされた。借金返済のために,大阪府南部の仮設住宅から遠距離通勤しながら,百貨店での催事販売の仕事を続けた。そうした無理がたたったのか,透析が必要とされる寸前まで,腎臓が悪化していた。体調が悪くなったとき,救急車を呼んで待つより早いと,自転車で病院の救急受付に駆け込んだことも。この日も貧血気味でしんどく,用事を切り上げて帰ってきた。訪問予定のお宅を順次訪ねた際はお留守だったが,帰宅されたのを見て再訪問し,玄関口でのお話し伺いに。しんどいと座り込みながらも,ほとんど初参加のメンバーを前に,30分近くにわたって話し続けた。

・50代男性,一人暮らし。兵庫区で全壊。2階建てアパートの2階に居住,1階は全滅。「加齢の影響が一昨年より出現しました…95年を境に人生観・価値観が全く劇的に変わり,生きてる喜び,実感,将来を見つめる視点が失われました。人との交流が苦手になり…閉じこもりがちになりました…欲しいものや目標がなくなりました。過去17年を振り返ると,避難所時代以外,記憶に残るものがありません…このインターネットの時代,スマホの時代に,インプットがほとんどなくなり,それでも平凡に生きています。震災後の苦労はありません…」<自身で支援シート一面にぎっしり記入>

・60代。「あなたたちのことは,よくわかっています。元気でやっています。」<インターホン越しに簡単なお話し伺い>

2012-04-03 ↑TOP


第548(新生106)回訪問活動 (2012/03/10) レポート

毎度「役立ちと学びのネットワークThis is 神戸・週末ボランティア」をご覧下さいまして,まことにありがとうございます。3月1回目の復興住宅訪問活動は,3月10日,大阪からの新たな参加者,前回に続いての神戸市内の参加者とともに8名で行いました。

3月10日といえば,1945年,敗戦の5ヶ月余り前,東京の下町を焼き尽くし,多大な犠牲をだした東京大空襲の日です。また,同じ空間にその20余年前関東大震災が襲っていたことも忘れてはならないでしょう。そしてその同じ空間に2度の惨禍がもたらされたことを,前者が天災で後者が人災であるにしても,後者がどのようにしてもたらされるに至ったのかを,まさに想起すべきでしょう。そうした,歴史から学ぶことの大切さを,訪問前レクチャーでお話しさせていただきました。

もちろん,昨2011年3月11日の東日本大震災を忘れてはならないことは,言うまでもありません。しかしながら,この日はあえて深く触れませんでした。個人的には,地震が発生した11日の14時46分はもとより,圧倒的多数の犠牲者を呑み込んだ津波が襲ってきたであろう時刻にあわせて,一周忌の気持ちを向けさせていただきました。

17年前の阪神淡路大震災を経験した被災者の中に,東日本大震災の映像などを見て,体調を崩すなど,PTSDの症状を発する方が少なくないという,現状に鑑みてのことでもあります。それ以降,品に被災者に寄り添い,「心のケア」を担うにふさわしい,傾聴をはじめとした,活動の姿勢・方法を,ふり返り,改めるべきを改めて,今日に至りました。

その過程で,新たに参加された皆さん,お話し伺いに応じてくださった皆さん,弊サイトThis is 神戸・週末ボランティアをはじめ,MixiコミュニティMixiページFacebookページtwitter - welove_kobeを通じて,交流させていただいております皆様方とのご縁から,多くを教わってきましたことに,感謝いたします。


この日うかがったところの概略です。

・40代女性,一人暮らし。中央区で全壊。同区内の仮設住宅で4年過ごした。数年前に脳梗塞で倒れ,療養施設で2年過ごした。年来の糖尿病もすすみ,半身不随となって,車いす生活。薬はちゃんと飲んでいる。成人・独立した娘(20代)が近くに住んでいるが,あまり訪ねてこない。毎日,交替でヘルパーに来てもらって日常生活を送っており,私たちボランティアが訪問した際も,ヘルパーの助けを得ての応対だった。赤いマニキュアが印象に。

・30代男性。兵庫区で全壊。近くの学校に避難した後,父の会社の寮で避難生活を送り,仮設住宅には入っていない。被災当時は高校生だった。飼っていた小鳥が,いつも早朝に鳴いていたのに,その日だけ鳴かなかったのを不思議に思ったことを覚えている。自分は大丈夫だったが,周囲には,震災のため就職や進学に影響が出た人も。長く派遣でいろいろなところで仕事をしてきた。なかなか採用されないところにもチャレンジして採用されたこともあったことで,前向きに明るくなれた感じ。東日本大震災の後,一時は鬱のようにもなったが,宮城県の知人に何度も電話して無事を確認したり,水を送ったりする支援をした。

・「手が離せないが,元気です。」<インターホン越しに簡単な応答>

・「うちの人に聞いたら,何も用事がないとのことなので結構です。」<インターホン越しに簡単な応答>

・単車で出かけるところだったので,あいさつ程度のお話し伺い。

2012/03/17 ↑TOP


第547(新生105)回訪問活動 (2012/02/25) レポート

毎度「役立ちと学びのネットワークThis is 神戸・週末ボランティア」をご覧下さいまして,まことにありがとうございます。朝方の冷たい雨も上がった中での,2月25日の復興住宅訪問活動は,常連参加者を中心に,8人で行いました。そうしたなかで,2人の初参加者を迎えました。私たちの活動には初めて参加したものの,播州に地方長く住み,阪神淡路大震災後は,避難所や仮設住宅で,炊き出しなどの支援活動に参加した経験があるとのことでした。神戸市中心部にも近い,復興住宅と,そこでの被災者の今は、どのように映ったことでしょう。

今回もまた,留守宅が多かったものの,訪問の予告チラシとともに投函した記入用紙「支援シート」に,近況をお書きいただくケースも増えました。体調が悪い中,必死でお書きいただいた方,相当の準備をされて丁寧にお書きいただいた方など,さまざまで,お話を伺えなくても,そうしたところから理解と交流を深める必要性を,強く感じました。

もちろん,復興住宅の住民・被災者の方々には,私たち以外にも多く伸びオランティアや支援活動を担っている方のサポートや交流を続けてこられた方も多くいます。こうしたところも「息の長い支援」の例として,私たちも学ぶところが多いものだと,改めて思いました。私たちもまた,参加者全員とともに記念写真を撮影して,そうした交流の輪に加わっていく契機にしました。


この日うかがったところの概略です。

・40代男性,母(60代)と暮らす。須磨区で全壊。家族はみな無事だった。自宅は取り壊すことになり,母宅(中央区で半壊)へ一時身を寄せた。この復興住宅へ入居して4年。自身は隣近所とあいさつする程度だが,母は上や下の階の人ともよく話している。きょうだいらも時々訪ねてくるので,母は寂しくないようだ。献血をよくする。何かの役に立っているかも。東日本大震災のことは,気の毒で,たいへん心が痛む。

・70代女性,一人暮らし。長田区で全壊。築数十年の古い借家で被災。襖などが倒れてきた下に埋まり,夫と交替で助けを呼び続けた。垂水区へ避難。避難生活は不自由なかった。家族とも無事で,母は90歳以上の天寿を全うした。この復興住宅へ入居して13年。夫を此処で亡くし七回忌を迎える。離れて暮らす息子さんからのバースデーカード,長く交流を続けている香川県の高校生からのプレゼントや一緒に撮った写真などを見せてもらった。長く地域で被災者支援に携わっている教員の指導のもと,大学生も訪れている。私たちも参加者全員でおじゃまさせていただいてのお話し伺いと交流に。

・80代男性,一人暮らし。灘区で全壊。「現在のところ私は見守り推進員ボランティアの訪問などを受けており,特に困ったこともありません。国が悪いのか,そういう世の中が悪いのか,私にも悪いところがあったのか。私には何も分かりません。成るようにしか成らないというのが,私の本音なのかもしれません。人に頼らず,自分で行けるところまで行ってみます。どうも有難うございました。」<自身で支援シートに記入>

・70代。中央区で全壊。「現在はまだ生活の為仕事をやっていますので今のところは特になにもありません。御苦労様でした。」<自身で支援シートに記入>

・70代(?)女性。今から医師が往診に来るので待っている。話すのは苦手なので勘弁してほしい。脳梗塞をやったので気をつけている。<インターホン越しに簡単な応答>

・今,病院から帰ってきたところ。<インターホン越しに簡単な応答>

2012/02/29 ↑TOP


第546(新生104)回訪問活動 (2012/02/11) レポート

毎度「役立ちと学びのネットワークThis is 神戸・週末ボランティア」をご覧下さいまして,まことにありがとうございます。この数年来あまりなかった寒さのなか,インフルエンザの流行なども見られますが,皆さんいかがお過ごしでしょうか?

「建国記念の日」のため連休となった,02月11日の復興住宅訪問活動は,久しぶりの参加者と初めての参加者を,神戸市内から迎え,常連参加者とともに9名で行いました。

連休になると,普段は高齢者のみのお宅でも,別居している家族が訪れたり,あるいはその逆であったり,ということで,お話し伺いに応じていただけなかったりすることが少なからずあるほか,現役世代の方の不在も目立つようになり,お留守にされるところも多くなります。

そうした中であっても,定点観測的に巡回訪問を続けていくなかで,そうした情況もひとつの見守り続けていくことで,地域に定着し,受け入れられていくものであるといえるでしょう。

今回久しぶり&始めて参加してくれたメンバーは,いずれも普段高齢者向けのボランティアをしているとのことで,そのあり方について学び,今後も交流・交換を続けていきたいと思いました。

阪神淡路大震災の被災者支援として始まった私たちの訪問活動も,高齢者のお話し伺いが多くなりますが,彼らが平素関わっているところでは,同じ高齢者といってもその年代は,私たちが関わるところより,平均して十数歳以上高いものでした。90歳以上の高齢者からの傾聴や,以前は楽しく想い出を話してくれた方が,認知症が進み,その想い出すら語れなくなったということもあったそうです。

そうした高齢者向け施設の中とは違って,復興住宅の高齢者は,自立生活をしている分,明るく前向きな印象をもったとのことでした。

私たちは,希望者からの申し出に応じてではなく,無差別に巡回訪問しての傾聴ボランティアをしているところから,自覚的にせよ,無自覚的にせよ,相手の方に負担をかけている面があることを否定できません。そうした負担をおさえるべく,私たちの態度・方法を,注意すべきを注意し,改めるべきを改めて,相手を慮り、寄り添うにふさわしい者たるべく,努めていきたいと思います。

もちろん,そうした努力には限界もあるでしょう。それが,私たちがとってきた方法自体の限界になるなら,そのことを率直に受け止める必要があるでしょう。

弊サイトThis is 神戸・週末ボランティアをはじめ,MixiコミュニティMixiページFacebookページtwitter - welove_kobeを通じて,交流させていただいております皆様方とのご縁に深く感謝するとともに,ご指導・ご鞭撻の程をお願いいたします。


この日うかがったところの概略です。

・70代女性,一人暮らし。灘区で全壊。壊れた家に閉じこめられ,やっとのことで這い出た。避難時は水が得られず苦労した。5回の抽選でやっと当たった北区の仮設住宅で4年過ごした後,この復興住宅へ入居して13年目。若い頃は豆腐屋を営んでいたので,朝早くから仕事をしていた。白内障・緑内障を患い,片眼はほとんど見えないほど。耳も遠い。高血圧のため,血圧を下げる薬を飲んでいる。立って歩くにも,何かに掴まらなければ危なっかしい状態で,リハビリのため通院を続けている。ヘルパーや孫娘に家事を手伝ってもらっている。年金が少なく生活がたいへん。お部屋に上がらせていただいてのお話し伺いに。

・60代女性,夫婦2人暮らし。長田区で全壊。同区内にいた母のもとへいち早く駆けつけ,近所の人のおかげで無事であることを確認,2〜3日一緒に過ごした後,大阪府の弟に委ねたことも。その後も長く介護を続けてきた母も,昨年亡くなり,今は気が抜けたような感じ。介護からの気分転換を図ろうと,習字・絵手紙・俳句などの趣味の集まりに行くようになった。親しい友人も出来たが,年長者がほとんどで,気を遣うところも。東日本大震災の後,繰り返し流される映像を見て,気分が悪くなった。これからは夫と旅行に行きたいと,前向きに考えている様子。

・70代女性,一人暮らし。中央区で被災。この復興住宅に入居して7年。夫を30年前に亡くし,4人の子どもを女手ひとつで育て上げた。その子どもたちが時々来てくれるので寂しいことはない。今は何も言うことはない。身体に悪いところはなく,元気とのこと。

・今寝たばかりで…。ありがとう。ごめんなさい。<インターホン越しに簡単な応答>

2012/02/18 ↑TOP


第545(新生103)回訪問活動 (2012/01/28) レポート

毎度「役立ちと学びのネットワークThis is 神戸・週末ボランティア」をご覧下さいまして,まことにありがとうございます。2012年に入って1月あまりが過ぎたものの活動報告がないままになり,ご無沙汰しておりましたが,皆さんいかがお過ごしでしょうか?

新暦でのお正月は過ぎたものの,南京町では春節祭が行われ,節分が過ぎ立春を迎える時期で,東アジアの農耕社会における,伝統的な年の変わり目を迎えたところといっていいでしょう。1月14日は阪神・淡路大震災17年目の週末ボランティアの会を行い,そうした時期に向かっていく中で,2012年最初の復興住宅訪問活動を,晴天ながら寒さも厳しい1月28日に行いました。

今回は,常連メンバーに加え,米寿を迎える人生の先輩も一緒に参加しての訪問活動となりました。訪問先の住民の方々も高齢化が進んでいる今日この頃,高齢者同士ならではのうち解け方があるようです。いやむしろ高齢者の中にあってもやはり人生の先輩であることが多く,そうした姿に励まされているのでしょう。

現実には,訪問に応じることに負担を感じる方も目立っていることも事実です。決して寒さだけのせいではありません。そうした方も,何年か前に訪問したときには,元気にそれまでの人生を語っていたのですが….。

阪神淡路大震災の被災者を優先入居させた復興住宅も,年月の中で,被災者以外の一般の市民・県民が入居することも増えています。罹災証明を持っているという意味での被災者でなくても,被災経験があって,何らかの形で難儀したことがある人は少なくありません。

また,阪神淡路大震災当時生まれていなかったり,幼少であったりした人も,保護者や学校から震災について,どのように教わっているかを聞くことも,震災とその経験を語り継ぐ一端を担う,私たちの活動において,欠かせないものといえるでしょう。

さらには,東日本大震災やその後の福島原発事故のために,遙か遠くから避難してきた,新たな被災者も,加わっています。そうした方のお力になることも課題です。

そうした現状をふまえ,これからの活動を展望していきたいと思います。


この日うかがったところの概略です。


・70代男性,一人暮らし。兵庫区で全壊。ポートアイランドの仮設住宅を経てこの復興住宅へ。「終の棲家は此処だね」。近隣の方々のお世話をしたり,1日2時間歩くようにしたりと,お元気そうな模様。東日本大震災について訊いたところ,津波があった分,大変だったろうが,最初の地震への対応は後手に回ったのでは,と思ったとのこと。

・80代女性,一人暮らし。中央区で全壊。同区内の仮設住宅に4年いた後,この復興住宅へ。一昨年,病院で置き引きに遭い,「日本でこんなことがあるなんて考えられない」。以後,鍵交換に1万円かかったりと大変な思いをしたり,表札に名前を書かないなど警戒心を強めたりしている。

・60代女性,東灘区で全壊。西区の仮設住宅で4年過ごす中,東灘区の両親の介護に通い,入退院を繰り返した母の治療費のためお金を使い果たし,弟の援助を受けた。いったん別の仮設住宅に移った後,この復興住宅へ。心臓に異常を抱えながらも隔日で仕事を続けている。「話しを聞いてくれてありがとう」と涙ぐまれた。

・70代男性,一人暮らし。兵庫区で全壊。被災時,文化住宅の2階にいて無事だったが,隣の建物が倒れかかってきて,もたれかかったため,損壊した。ポートアイランドの仮設住宅に4年間いた後,この復興住宅へ。何種類もの薬を間違わず飲むのも大変な模様。タバコが好きで,院内で喫煙できる,ヘビースモーカーの院長がいる病院まで,自転車に乗って行く。暖かな室内に上がらせていただいてのお話し伺い。

・70代女性,70代夫と2人暮らし。兵庫区で全焼。被災時,文化住宅の2階に住んでいた。着替えなどの準備をする余裕はなく,パジャマ姿,素足のままで脱出,近くの小学校へ避難した。垂水区の仮設住宅で3〜4年過ごす。その間も長田区まで靴製造のアルバイトに通っていた。この復興住宅に入居して13年目。年金が減って困っていると,現在も午前中3時間ほど清掃の仕事に。震災時の辛さを思い出して時折涙ぐんだが,ボランティア参加者と被災場所が近いことが判ると,うち解けて元気になっていった。

・80代男性,一人暮らし。東灘区で全壊。被災後妻を亡くし,他の公営住宅を経て,この復興住宅へ入居して3年。ヘルパーに週2回来てもらっている。歩行器に手をかけながら玄関に立ってお話し伺いに応じてくださったが,しんどいとのことで,短時間で切り上げ。

・70代男性,一人暮らし。東灘区で被災。震災後は商売が不振で閉店。数年間勤めた臨時の職も昨2011年で退いた。この10年近く,さまざまな病気の進行で医療費が嵩んでいるので,市に相談したが,年金支給額とのかねあいで補助はできないと言われた。「迷惑にならぬ余生を送りたいと思います」,「孤独な人々に支援をお願いします」とのメッセージも。<自身で支援シートに記入>

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