2016 神戸・週末ボランティア 新生
News and Reports
We love KOBE Weekend Volunteer

2013年、管理人主宰の神戸・週末ボランティア 新生が新たな活動主体になりました。
Blog This is 神戸・週末ボランティアもよろしく!

(年別に古い記事から順に番号をつけていますが,新しい記事が上になるように配置しています。)
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第88(新生213)回訪問活動 (2016/12/11) レポート 〈山間から試される,仮設・復興住宅訪問通算655回〉

彩り残る名谷付近毎度This is 神戸・週末ボランティアをご覧くださいましてありがとうございます。

例年よりやや遅くなりましたが,神戸・週末ボランティア 新生では,今2016年最後の復興住宅訪問活動を,させていただきました。

テーマは,引き続き「埋もれさせない! 「息の長い支援」は神戸の山間から」としました。

神戸市営名谷駅東住宅12月は,例年早めに訪問活動を終えて,「1.17」への,また,1月に「希望の灯り」とともに伺うための準備をさせていただいています。

この日伺ったのは,須磨区北部の神戸市営名谷駅東住宅でした。桜が咲き始めようとする3月下旬からお訪ねしてきましたが,仮設・復興住宅訪問通算650回となりました,7月を最後に,しばらく「お話し伺い」をお休みさせていただきました。そのため,以来、5か月ぶりとなりました。

猛暑の7月とは違い,冬至も近い時期となってから伺いましたが,まだ,木々の彩りが残り,市街地よりは早いとはいえ,寒さもまだそれほどではありませんでした。

訪問活動当日は,好天に恵まれ,貴重なお話しを伺うことができました。ありがとうございました。

2016121011予告ビラ20161209「神戸新聞」 神戸・週末ボランティア 新生 復興住宅訪問活動のご案内 埋もれさせない! 「息の長い支援」は神戸の山間から準備に先だって,同9日の「神戸新聞」紙面で,10日・11日分あわせて,ご紹介いただきました。

今回も,予定時間を過ぎてからの訪問となったところがありました。申し訳ありません。

この住宅は,市街地中心部から隔てられた,郊外の山中としては,交通の便などはまだ比較的ましと思われる面もありますが,震災に遭うまで,長く慣れ親しみ,生活の基盤を置いてきた地から切り離され,戻ることもかなわないまま,歳月を経てきた中で,問題を深化させてきたといえるところです。

神戸市営名谷駅東住宅,訪問活動を終えて当ボランティア続けてきた,方法としての「お話し伺い」が,地域や人々の心の風通しをよくすることに,どれだけお役に立てるか,まさに厳しく問われ試されているものであることを,前日(12月10日)に,垂水区で行った訪問活動に続いて,考えさせられるものがありました。

ここから顧みて,教訓を活かしていきたいと思います。

ご協力いただいた皆さんをはじめ,(Yahoo! JAPAN 登録純正サイトThis is 神戸・週末ボランティアや,MixiコミュニティMixiページFacebookページGoogle+LINE@Twitter - welove_kobe)を通じて,ご縁をいただきました皆様に改めて,感謝いたします。


この日伺ったところの概略です。

・70代女性。明石市で一部損壊。この復興住宅に入居して7年。家の中がぐちゃぐちゃになって,壁にひびが入ったりしたので一部損壊ということになった。水が止まったりして,被災後しばらく困った。ここには一般募集で入居した。近所づきあいはほとんどなく,ここに入った時,隣近所の人にあいさつしようとしたが会えなかったりした。それ以来,毎年,知らない人が増えてくる。最初の頃はお声がけをしてくれている人がいたが,あまり会うことはなかった。最近は,月に一度,市から委託を受けた,この住宅の指定管理者と思われる人の「お伺い」はあるが,出かけていて会えないことが多い。元気はつらつで一人で何でもやってきたが,2〜3年前から,身体が弱ってきた。声だけだと元気と思われるが…。身体の調子がよかったら買い物に行ったりするが,そうしているうちにまた痛みが走ってきたりする。手もしびれたり痛くなったりで,字を書くのもたいへん。店の人の声をかけてもらうとうれしい。誘いにくるものといえば宗教とかぐらい。民生委員さんも忙しいみたい。具合が悪くなってすぐ救急車を呼ぶのもはばかられるので,福祉タクシーや移動補助を利用するようにしている。それでも住宅近くの坂がたいへんなのには違いないし,それなりに費用もかかる。(東日本大震災に続いて今2016年は熊本地震もあって)こう地震が続くとたいへん…。初めのうちはちゃんと(防災用品などを)用意して,避難する時の心構えもちゃんとしていたつもりでいたが,最近は何もしていない。それより,身体が痛い時に,薬を貼ったり飲んだりする方が大事になってきた。今日はたまたま家にいた。ヘルパーは頼まず,身の回りのことは全部自分でしている。<玄関内でお話し伺い>

・80代夫婦2人暮らし。長田区で全壊。この復興住宅に入居して18年。この住宅では,最近,友愛訪問活動も行われなくなり,市からもとくに何もしてくれない。10年以上前にボランティアの訪問活動がきたのを覚えている。その時は若い女性2人だった。地震のときは,夜明け前から仕事に向かって出ていたが,揺れを感じて引き返し,家に帰ってきたらこわれていた。隣の家がのしかかってきた状態で,(修理費用もたいへんで土地も)二束三文で売却した。この復興住宅にはできた当初から入居しているが,近所づきあいはほとんどない。新しい人が入ってくればつきあいもできるかと思ったら,そうでもない。震災前に住んでいた一戸建てのときは,つきあいがあった。ここでは病人も多いようだ。自身もよく入院や通院をするが,長田区内の病院が送迎してくれるので助かっている。娘が近くにいて助かっている。休みのときには孫も遊びに来る。毎日買い物に行く。押し車のカートを利用して,いい運動にもなっている。<玄関内でお話し伺い。はじめ奥さんが出てこられ,続いて御主人も出てこられた>

・80代女性。兵庫区で全壊。天井が落ちてきて,隣の家も倒れかかってきたようで傾いたが,何とか少しずつ繰り返し隙間をつくって玄関にたどり着き,外に出ることができた。西区の仮設住宅で過ごした後,この復興住宅に入居して17〜8年。こういうところ(鉄筋コンクリートの高層住宅)に入ったことがないので,小さな汚い文化住宅でもいいから戻りたいと思った。近くに相談できる人はいないし,近所とうまくやっていくのもたいへん。ボランティアの訪問を受けた記憶はないが,お世話になっている訪問看護師に,ここに居られるだけ居た方がいいと言われた。食事は,できあいのものを食べるのがいやで,自分で作っている。疲れや病気のため,ふらついたりすることもあるが…。身体もあちこち悪くなってきて,いろいろな病院にかかるようになった。どこの病院に行っても,そこですべて診てもらえることはないのがたいへん。ぜいたくと思われることもあるが,植木や花を作るのが好き。<玄関内でお話し伺い。ボランティアの趣旨を説明>

・60〜70代男性。何のボランティア? うちの階のときはよろしく。<買い物から帰ってこられたところにお声がけ。ボランティアの趣旨を説明>

・70代男性。須磨区で被災。自宅は倒壊後に焼失した。困っていることはとくになし。<自身でシート記入>

・70代女性。とくに困っていることはない。<予定時間より遅くなって訪問。ボランティアの趣旨を説明>

・50〜60代男性。こんにちは。おつかれさまです。<住宅近くを通りがかったところにお声がけ>

・70代女性。お客さんがきてるので…忙しい。チラシは読んだ。<インターホン越しに応答>

・70〜80代男性。病気なので,今,出られない。<インターホン越しに応答>

・60代男性。ごくろうさまです。<買い物に出掛けるところにお声がけ>

・70代女性。こんにちは。おつかれさまです。<住宅前でお声がけ>

・80代。<自身でシート記入>

2016-12-31 ↑TOP


第87(新生212)回訪問活動 (2016/12/10) レポート 〈彩り残る中,最高層部へ,仮設・復興住宅訪問通算654回

ベルデ名谷・裏山の彩色毎度This is 神戸・週末ボランティアをご覧くださいましてありがとうございます。

神戸・週末ボランティア 新生では,復興住宅訪問活動を,夏季以来,しばらくお休みさせていただいていましたが,阪神淡路大震災22年の「1.17」を控えて,やや久しぶりの取り組みをさせていただきました。

テーマは,引き続き「埋もれさせない! 「息の長い支援」は神戸の山間から」としました。

準備に先だって,同9日の「神戸新聞」紙面で,10日・11日分あわせて,ご紹介いただきました。

2016121011予告ビラ20161209「神戸新聞」 神戸・週末ボランティア 新生 復興住宅訪問活動のご案内 埋もれさせない! 「息の長い支援」は神戸の山間からこの日お訪ねしたのは,例年よりやや遅れてイカナゴの解禁日を迎えた3月以来となる,垂水区の神戸市営住宅・ベルデ名谷でした。

折りからの強風も収まり,比較的穏やかな晴天の中での訪問となりました。日も短くなりましたが,市街地より早い冬の訪れ地なった中でも,まだ木々の彩りが残っていました。

ここには,新たな活動主体となった2013年の,夏の終わりから秋の初めにかけての頃以来,不定期でささやかながら,少しずつ,続けさせていただいているところです。

この3年間あまりの中でも,情勢の変化もありました。続けさせていただく中で,さまざまな局面に出会うことも多々ありました。

阪神淡路大震災の復興住宅としては最大・最後とされるこの住宅ですが,「1回だけでも、初めてでも、お気軽に」を掲げてきたことから,毎回,一人一人の参加者が,さまざまなシチュエーションに出会い,幅広く豊かな経験と学びの機会を得られるよう,訪問の順序や手順などを工夫してきました。

神戸市営住宅・ベルデ名谷防災イベント告知すでにほとんどのお宅を廻らせていただきましたが,にもかかわらず,高層階の数十戸を,まだ伺えていない状況でした。

高層階のお部屋には,初めの頃に入居された方は,被災入居者としては比較的お若い方や,一般で入居された方など,さまざまですが,必然的に,外出もたいへんになり,孤立しがちです。そうした中に敢えて伺うことになりました。

別の行事が行われていたこともあり,予定時間を少し遅れて始めさせていただきました。また,予定時間を大幅に遅れてのお訪ねとなったところがありました。申し訳ありません。

毎回,初心を忘れてはいけないのはもちろんですが,当ボランティアの姿勢や方法が,ヨリ厳しく試されているものであることを,実感しました。

阪神淡路大震災にとどまらず,それまでの人生全般にわたる人生訓ともいうべき,貴重な「お話し伺い」をさせていただき,感謝とともに,改めて,自らを律し,これからも続けていきたいと思います。


この日伺ったところの概略です。

・70代女性。夫婦2人暮らし。垂水区で半壊。ここの棟の管理人をしています。ごくろうさまです。
「まず一番にこまった事は、水、トイレ。そして、食事が助かりました。これからは、近所の方と、少しでも良いですから、あいさつ、及びコミュニケーションが大切だと思っています。まずは、災害がおきれば、子供、お年寄りを、助けて上げる事が一番だと思います。書けば色々ありますが、ボランティアの方々も苦労がありますが、これからも頑張って下さい。よろしく。」<自身でシート記入の上,お話し伺い。予定時間に遅れて訪問>

・70代男性。須磨区で一部損壊。この復興住宅に入居して10年以上。避難所などには行かなかった。住宅の被害が意外と大きく,修理費用も嵩みそうで,住宅ローンも残っていたので,住み続けていいものか悩んだが,結局手放すことに。3年ほど前に来てもらったヘルパーにもう一度きてもらおうと,事業者に電話したら,既に辞めているというので,別の人にきてもらったら,仕事を途中で放り出して帰ってしまった。日本の福祉政策には感謝している。今までいい人に出会っていい人生だった。<お部屋でお話し伺い>

・30代?女性。「(阪神淡路大震災のときは)千葉にいて,震災は知らない…。」<インターホン越しに応答。ボランティアの趣旨を説明。予定時間に遅れて訪問>

・30〜40代女性。「困っていることはとくにない。」<インターホン越しに応答。ボランティアの趣旨を説明。予定時間に遅れて訪問>

・30〜40代女性。「忙しいので…。」<インターホン越しに応答。ボランティアの趣旨を説明。予定時間に遅れて訪問>

・70代女性。「風邪を引いて寝ている…。」<インターホン越しに応答。予定時間に遅れて訪問>

2016-12-30 ↑TOP


第86(新生211)回訪問活動準備 (2016/12/09) レポート 〈神戸ルミナリエの原点を念じつつ,仮設・復興住宅訪問通算653回〉

ベルデ名谷・ハート型の紅葉毎度This is 神戸・週末ボランティアをご覧くださいましてありがとうございます。

ベルデ名谷・名谷病院前神戸・週末ボランティア 新生では,年内の復興住宅訪問活動を12月始めに終え,翌年の「1.17」に備えてきましたが,今2016年は,やや遅れて,第2週の週末となりました。

不定期でささやかな活動となって4年になり,訪問活動自体は5か月ぶり近くになりますが,この日あわせて準備に伺った,垂水区の復興住宅へは,約9か月ぶりとなりました。

2016121011予告ビラ20161209「神戸新聞」 神戸・週末ボランティア 新生 復興住宅訪問活動のご案内 埋もれさせない! 「息の長い支援」は神戸の山間から実際の訪問の予定とは相前後しましたが,須磨区側から,続いて伺いました。以前には一時減少し,住民の方々の生活にも不便をきたしていたコンビニが,住宅近くや周辺に,増えていました。

神戸ルミナリエ2016&阪神淡路大震災1.17希望の灯りこの復興住宅でも,何とか,暗くなる前に,訪問予告のビラ入れを終えることができました。

準備に先だって,同9日の「神戸新聞」紙面で,10日・11日分あわせて,ご紹介いただきました。

神戸ルミナリエ2016この週まで,旧居留地や東遊園地では神戸ルミナリエが,行われていました。

東日本大震災後も,電球でぬくもりを残して続けてきましたが,集客を前面に押し出した,昨2015年からLED化が進められ,青白い光になりました。

阪神淡路大震災の犠牲者の追悼と被災地の復興という,そもそもの趣旨が,改めて想起されることを念じつつ,準備のあと,足をのばして,参りました。


この日伺ったところの概略です。

・70〜80代女性。郵便はいつも16時半から17時頃に届くので,下のポストに見にいくところ。(このボランティアは)いつあるの? どこかに行くの?<予告ビラ投函時に玄関前でお会いする。ボランティアの趣旨を説明>

・おつかれさまです。

2016-12-29 ↑TOP


85(新生210)回訪問活動準備 (2016/12/09) レポート 〈久しぶりになりました,仮設・復興住宅訪問通算652回〉

名谷駅東住宅毎度This is 神戸・週末ボランティアをご覧くださいましてありがとうございます。

2016年7月23日には,仮設・復興住宅訪問通算650回目を,続いて24日には,新たな活動主体,神戸・週末ボランティア 新生となってからの訪問戸数が1800戸を超えるにいたりましたが,8月からしばらく訪問活動をお休みさせていただきました。

そのため,今回はやや久しぶりに伺う準備となりました。

名谷落合方面の雲冬至に近く,日も短くなっていることから,早めに伺いましたが,それでも,小学生の下校時間と同じぐらいになりました。

寒いながらも好天に恵まれたと思われたのですが,復興住宅からやや離れたところに見えた雨雲が,翌々日の11日にお訪ねする予定のお宅のドアポストに,訪問予告のビラを入れているときに,ちょうどやってきました。そして,終わる頃には,離れていました。

まさに山の天気の変わりやすさと言ったところです。

2016121011予告ビラ20161209「神戸新聞」 神戸・週末ボランティア 新生 復興住宅訪問活動のご案内 埋もれさせない! 「息の長い支援」は神戸の山間から準備に先だって,同9日の「神戸新聞」紙面で,10日・11日分あわせて,ご紹介いただきました。

ご協力いただいた皆さんをはじめ,(Yahoo! JAPAN 登録純正サイトThis is 神戸・週末ボランティアや,MixiコミュニティMixiページFacebookページGoogle+LINE@Twitter - welove_kobe)を通じて,ご縁をいただきました皆様に改めて,感謝いたします。

2016-12-28 ↑TOP


第84(新生209)回訪問活動 (2016/07/24) レポート 〈《新生》訪問1800戸を超えて,仮設・復興住宅訪問通算651回〉

神戸市営名谷駅東住宅:暑さ和らぐ中で毎度This is 神戸・週末ボランティアをご覧くださいましてありがとうございます。引き続き,神戸の地にあって,取り組みをさせていただいています。

神戸・週末ボランティア 新生では,復興住宅への訪問活動を,させていただきました。今季は,埋もれさせない! 「息の長い支援」は神戸の山間からというテーマを掲げました。訪問先は,春季から取り組みを始めた,神戸市営名谷駅東住宅です。

新たな活動主体となってからは,不定期でささやかなものになりましたが,それまでは,もっぱら土曜日に行っていた「週末ボランティア」でしたが,土曜日と日曜日の訪問活動は,ほぼ半々となり,同一の住宅に連続して伺うことも多くなりました。

神戸市営名谷駅東住宅:252号棟前の花壇猛暑の中,仮設・復興住宅訪問通算650回目になった,前日(7月23日)に続いての「お話し伺い」(傾聴ボランティア)でしたが,前日と違って,今回は,曇り空のもとで伺いました。今回はまた,新たな活動主体となって以来,伺った戸数が,実数ベースで1800戸を超えました。

引き続いて,被災場所から離れた地に,移り,留まることを余儀なくされたなかで,歳月を重ねられてこられた方々ならではの,貴重な「お話し伺い」をさせていただきました。

この日は,京都では,祇園祭の「あとのまつり」の山鉾巡行が,大阪では,天神祭の宵宮などが行われるなど,夏祭りの時期ですが,ここでは,とくに変わりなく,日常が続いているように見えます。

予告ビラ20167.23-24この復興住宅と同じ北須磨・名谷地区には,高度成長期から市営住宅などが建設され,そうしたところでは,ニュータウン(住民)の高齢化などの問題が顕著になっており,それへの対策や活性化などの取り組みも始まっているようです。

「神戸新聞」2016.7.22神戸・週末ボランティア新生 埋もれさせない!「息の長い支援」は神戸の山間から今回の復興住宅訪問活動〜「お話し伺い」ボランティアは,前日分とあわせて,準備をさせていただいた7月22日の「神戸新聞」紙面でもご紹介いただきました。

この訪問活動と準備をさせていただいた週は,ウェブサイトやSNS(Yahoo! JAPAN 登録純正サイトThis is 神戸・週末ボランティアや,MixiコミュニティMixiページFacebookページGoogle+LINE@Twitter - welove_kobe)をご覧戴きにくい状況が発生したほか,使用しておりますIP電話(050-6863-1039)が,一時通じにくい状況が発生しました。皆様にご心配,ご迷惑をおかけしましたことを,お詫びいたします。

ちょうど相前後して,「ポケモンGO!」のダウンロードや利用に際し,回線利用が増大し,錯綜したことも一因と思われます。

たかがゲーム,されどゲームです。しかしながら,被災地に根ざし,被災者に寄り添うにふさわしい「宗教や政党などまったく関係のない民間のボランティア」たるべく心がけ,かくあることをめざす者として,これについて一言述べさせていただくならば,ユーザーのモラルにアピールする以上の,厳しい対処を求めざるを得ないものがあるでしょう。

すでに,また早くから,その功罪などの評価や問題点など,さまざまな指摘,意見,対応などが,なされています。

これは,「悪」でもない「ポケモン」の「狩り」をして,それを「戦わせる」というもので,まさに「殺生」を本質としたものに他なりません。

もちろん,「受容」とか「共感」といったものからは,真逆の,対極的なものであることは,言うまでもありません。

寺院・神社などの宗教施設が禁止するのは,それからすれば,まったくもって正しい対応というべきです。また宗教者には,毅然と禁止するにとどまらず,それが「殺生」であること,さらには,何の理由もなく酷い行為に及びうるものであることを,自覚してもらうこともまた,ミッションではないでしょうか。

神戸市では,いち早く,慰霊のための施設である「慰霊と復興のモニュメント」附近などでのゲームを禁止する旨を示していますが,これまた,当然といえるでしょう。

たいへん遺憾なことではありますが,その一方で,東日本大震災や熊本地震の被災地のなかには,「集客」や「活性化」のためと称して,ユーザーを「誘致」するところもあるようです。これは,その本質において,震災を風化させ,犠牲を忘れさせることに棹さすもので,被災者の生活再建や被災地の復興に,何ら役立つものではありません。

このような方法であっても,震災を忘れず,知るきっかけになれば…,という意見もあるでしょう。しかしながら,ゲームやマンガで得た知識や情報は,好戦性を助長し,享楽に資するものであって,それによって尊崇の念が生まれることはありません。やはり,それにふさわしい方法と姿勢は不可欠です。

来2017年の「1.17」の準備は,もう始まっています。まずは,何をするかよりも,それにふさわしい姿勢で在り,態度で臨むことを,心がけたいと思います。


この日伺ったところの概略です。

・80代夫婦。須磨区で全壊。住んでいた家はだいぶぺしゃんこになった。避難しようとする時に何かものが飛んできて,頭を打った。医者に行ったらタマゴ大の血の塊があって,命があまり保たないようなことを言われたが,後遺症もなく,いつの間にか治ったみたい。それでも友人が何度かきてくれたおかげで,家財などは何とか取り出せたが…。近くではかなり焼けたところもあった。焼けたところは,焼け跡がはっきり残って,すっかり焼き尽くされていたが,近くまで火が迫ってきたところで,風向きが変わり,道路で焼け止まった。避難所には7ヶ月半もいた。仮設住宅に入ったのは8月の末。仮設住宅に入るまでがしんどかった。北区の仮設住宅で3年間過ごした。その間に建物が曲がってきたりしていた。この復興住宅に入居して17〜18年。仮設住宅の時は,買物に行くのに15分もかかったが,ここは近くて助かる。この住宅では,知り合いがボランティアしていた。ここにいる同年代の人より元気と言われる。何年も過ごしてきたから,慣れっこになった。<風通しに開けた玄関ドア越しにお話し伺い>

・80代女性。兵庫区で全焼。地震の後間もないうちは残っていたのに,いったん避難したら,火の手が延びてきて類焼し,商売をしていたところも自宅も丸焼けになってしまった。支援物資や義捐金をもらうために,寒い中,公園で並んだ。熊本地震で被災した九州の人のことを思えば,まだ幸せだろう。仮設住宅は西区だった。バス代だけでも大変だった。不便な場所にあったが,もっと不便なところへも仕事でいっていた。この復興住宅に入居して17年。一緒に抽選に応募して,同じ仮設住宅から来た人もいる。就労支援策を受けて,ヘルパーの資格も取得した。入浴や食事の介助を実際にしてみて,これもいい仕事の経験になった。一時入院していて,今も食事や洗い物がたいへんだが,歩く練習をして,だんだん足が丈夫になってきたみたい。<玄関前でお話し伺い>

・90代女性。須磨区で被災。家が倒壊することもなく,ケガもしなかった。電気は早く復旧したが,水がちょっと不便だった。仮設住宅などには行かず,それまで住み続けていた市営住宅が建て替えになったので,ここへ移ってきた。ここは思ったほど不便ではない。買い物は近くでできる。杖は使わないが,押し車の歩行器を使って外出すると,何かと助かる。ヘルパーを依頼したりはせず,何でも自分でしている。<玄関でお話し伺い>

・少年。この復興住宅に入居して2〜3年。最近になってこの住宅に入居してきた。震災の時には生まれておらず,両親からも被災体験を聞いたことはほとんどない。学校で「1.17」が近くなると,いろいろ教わって,「しあわせ運べるように」を歌ったりした。<玄関前でお話し伺い>

・不明<ボランティアの訪問予告のビラのほか,多数のチラシなどがドアポストに残されていた>

・70代女性。「ちょっと用事がありますので…。」<インターホン越しに応答>

・70代?男性。「今,忙しいので…。」<インターホン越しに応答>

・50代男性。「今,お客さんいるから…。」<ドアを開けて応答>

・「補修しています。」<空家補修工事の施工業者の方が応答>

2016-10-01 ↑TOP


第83(新生208)回訪問活動 (2016/07/23) レポート 〈梅雨あけて夏きたりなば,仮設・復興住宅訪問通算650回〉

猛暑の名谷駅付近毎度This is 神戸・週末ボランティアをご覧くださいましてありがとうございます。引き続き,神戸の地にあって,取り組みをさせていただいています。

神戸・週末ボランティア 新生では,復興住宅への訪問活動を,させていただきました。今季は,埋もれさせない! 「息の長い支援」は神戸の山間からというテーマを掲げました。訪問先は,春季から取り組みを始めた,神戸市営名谷駅東住宅です。

猛暑の中でも木陰が;神戸市営名谷駅東住宅梅雨も明け,夏本番の暑さとなりましたが,同じ須磨区でも海水浴場などがある海岸近くとは違って,この復興住宅がある北須磨の内陸部のニュータウンは,いっそうの酷暑となる場所が少なくありません。そうした中,とりわけ暑い時間帯での訪問活動〜「お話し伺い」に応じてくださいましたことに,感謝いたします。

この日の訪問活動にあたっては,前日7月22日の夕方,涼しくなりゆく中で,お訪ねする予定のお宅への予告ビラ入れなどの準備をさせていただきました。同じ22日の「神戸新聞」紙面でもご案内いただきました。

「神戸新聞」2016.7.22神戸・週末ボランティア新生 埋もれさせない!「息の長い支援」は神戸の山間から今回は,旧グループ仮設住宅(応急仮設住宅)への訪問活動を始め,引き続いて復興住宅(復興公営住宅)への訪問活動に移行して以来,通算650回目となりました。

予告ビラ20167.23-24新たな活動主体のもとでも,そうした原点に立ちかえるべく,被災場所から離れた地に移り留まることを余儀なくされ,今日に至った被災者の方々の許をお訪ねすることを,大切にしてきました。

この日も伺った復興住宅では,かつて旧グループで,仮設・復興住宅訪問通算300回になった際,住民の方々が集会所で開いていた茶話会の場をお借りして,記念行事を行ったことがありました。

猛暑の中での訪問;神戸市営名谷駅東住宅今回も節目の回数になりましたが,特別なことはいっさいせず,敢えていえば,それを通じて,これまでの取り組みをふり返って顧みる機会とさせていただきました。

以来,ボランティアの訪問も,十余年の歳月を隔ててのものとなりましたが,その間に,蓄積され,深化し,あるいは新たに生じた問題・課題の一端であっても,改めて寄り添う中で,分かち合い,共有させていただければ,ありがたく幸いです。

ご協力いただいた皆さんをはじめ,Yahoo! JAPAN 登録純正サイトThis is 神戸・週末ボランティアや,MixiコミュニティMixiページFacebookページGoogle+LINE@Twitter - welove_kobeを通じて,ご縁をいただきました皆様に改めて,感謝いたします。


この日伺ったところの概略です。

・80代男性。この復興住宅に入居して17年。ここができてすぐに入居した。もっと便利なところに行きたかったが,ここが早くできたので仕方なく…。住民同士でのトラブルを防いだり,後始末をしたりするのに,ずいぶん苦労した。この住宅には,色々難儀している人も多い。一人暮らしの方も多く,姿を見かけなくなったと思ったら,亡くなっていたことも。最近は身体の具合も悪くなってきたので,なかなかお世話したりできなくなっている。近々入院して,手術する。借り上げ復興住宅だったUR賃貸住宅に入った人もたいへんそう。<玄関前でお話し伺い>

・0代男性。長田区で全壊。住んでいた2階建ての文化住宅の1階がつぶれた。ガラスが散乱したりしていたので,避難する時に不安だったが,ケガはしなかった。その後1か月ほどの避難生活がたいへんだった。この復興住宅に入居して17年。一度入院したことはあるが,今は大丈夫。仮設住宅にしても,復興住宅にしても,入るのに苦労した。坂の多いところで,きつい運動だった。定年までそこから仕事に通っていた。ようやっとここに落ち着いてきたところか。玄関の扉を開けておけば風が通るので,夏は暑くてもあまりエアコンは使わない。

・70代男性。垂水区で被災。地震で怖い思いをしたことはなかった。勤め先で風呂に入ったり,水や食料などの支援物資をもらったりできたので,助かったし,特に不自由はなかった。この復興住宅に入居して7年。きてみたら自分以上の高齢者が大勢いることに気付いた。年金問題をはじめ,昨今の社会情勢のなかで,自分たちが一番悪いめをしているとの思いを日々強くしている。最近は,病院通いも増えて,病気が見つかったり、治療や手術が必要になると不安。生ものやアルコールを控えることにした。<玄関前でお話し伺い>

・80代女性。この復興住宅に入居して17年。仮設住宅は西区だった、仮設住宅にいた頃は働きに出ていて,あまり在宅していなかったので,ボランティアの訪問などの支援活動を受けた覚えはない。困っていることはいっぱいある。もうすぐここを出て「ええとこ」へ行く…。<玄関でお話し伺い。ボランティアの趣旨を説明>

・「この猛暑の中、大変なお仕事を有難うございます。私方,今のところほとんど毎日のように,出掛けていますので,留守勝ちです。定期検診も受けていますので,ご安心下さい。」<自身でシート記入>

・10〜20代女性。この復興住宅には祖母が被災して入居している。母とともに祖母の介護のために訪れている。<ドアポストに予告ビラが残っていた,がお声がけ。ボランティアの趣旨を説明>

・80代?女性。「今頃震災のこと聞いてどうするの? 何かの利益になっているの?」<玄関前でお話し伺い。ボランティアの趣旨を説明>

・50〜60代女性。「わかる人いないので…。」<インターホン越しに応答。ボランティアの趣旨を説明>

・ドアに「立入検査通知」と鍵交換の貼紙。ドアポストはテープで覆われ,その上に「転出」。

・70代男性。この復興住宅に入居して8年。「別にはなす事はない。」<自身でシート記入>

2016-09-18 ↑TOP


第82(新生207)回訪問活動準備 (2016/07/22) レポート 〈夕暮れ空がきれいな日でした,仮設・復興住宅訪問通算649回〉

神戸市営名谷駅東住宅からの夕暮れ毎度This is 神戸・週末ボランティアをご覧くださいましてありがとうございます。東日本大震災・熊本地震といった,新たな被災地・被災者に思いを致しつつ,引き続き,神戸の地にあって,取り組みをさせていただいています。

神戸・週末ボランティア 新生では,復興住宅への訪問活動に向けての準備を,させていただきました。今季は,埋もれさせない! 「息の長い支援」は神戸の山間からというテーマを掲げました。訪問先は,春季から取り組みを始めた,神戸市営名谷駅東住宅です。

予告ビラ20167.23-24この住宅ではかつて,旧グループにおいて仮設・復興住宅訪問通算300回をむかえたとき,集会所で行われていた茶話会の場をお借りして記念行事をさせていただいたことがありました。このたび,同じ復興住宅650回目の取り組みをさせていただく運びとなりました。

ここは同じ須磨区でも,すでに海開きが行われている須磨海水浴場がある地域とは離れ,いっそう厳寒酷暑の気候となっているところです。

関西・東海地方までは梅雨が明けて数日経った夏空のもとでしたが,日が陰ってきたところで,7月23日・24日に伺う予定のお宅に「予告ビラ」を入れさせていただきました。猛暑もやわらいできた時間帯ということもあって,訪問予定の方々のほかにもお話しさせていただき,ボランティアの趣旨をご理解いただく機会となりました。

「神戸新聞」2016.7.22神戸・週末ボランティア新生 埋もれさせない!「息の長い支援」は神戸の山間から両日分の準備を終えようとした時,ふと西側の空をみると,きれいな夕焼けが見えました。この日の神戸各所での夕空は,このシーズンでもっともきれいだったともいわれています。

今月の取り組みにつきましては,同じ7月22日の「神戸新聞」紙面でもご案内いただきました。

当ボランティアで,お問い合わせ,ご相談,参加申し込みなどに使用しておりますIP(インターネッ・プロトコル)電話につきましては,ウェブサイト等のほか,新聞紙面や,訪問予定のお宅にお入れするチラシにも同じ番号050-6863-1039を記載しています。固定電話・公衆電話からは,市内通話とほぼ同じ料金でおかけいただけます。なお,回線の都合上,本番号ではFAXの送受信はできません。

今般の活動準備において,一時つながりにくい状況があったとの指摘をいただきました。ご迷惑・ご不便をおかけしましたことをお詫び申し上げます。

ご協力いただいた皆さんをはじめ,Yahoo! JAPAN 登録純正サイトThis is 神戸・週末ボランティアや,MixiコミュニティMixiページFacebookページGoogle+LINE@Twitter - welove_kobeを通じて,ご縁をいただきました皆様に改めて,感謝いたします。


この日伺ったところの概略です。

・70〜80代女性。震災の時のことで話したいことや,今困っていることはない。<近所の方同士お話し中のところにお声がけ。ボランティアの趣旨を説明。>

・70〜80代女性。ここは自治会がしっかりしているので,(任せておいて)大丈夫。<予告ビラを投函中にお声がけ。ボランティアの趣旨を説明。>

・40代男性・70代女性。「こんにちは。ボランティアです。」<エレベーターで乗り合わせたところにお声がけ>

・70〜80代男性。「こっちへおいで」<住宅前のベンチで夕涼み中,通りがかった猫に声をかけていた>

・70代女性・40代女性。「こんにちは。」<通りがかったところにお声がけ>

2016-08-07 ↑TOP


第81(新生206)回訪問活動 (2016/06/19) レポート 〈梅雨の止み間に,仮設・復興住宅訪問通算648回〉

神戸市営名谷駅東住宅 曇りの250棟毎度This is 神戸・週末ボランティアをご覧くださいましてありがとうございます。引き続き,神戸の地にあって,取り組みをさせていただいています。

神戸・週末ボランティア 新生では,復興住宅への訪問活動を,させていただきました。今季は,埋もれさせない! 「息の長い支援」は神戸の山間からというテーマを掲げました。

神戸市営名谷駅東住宅 251棟の集会所&花壇夏至に近い,日が長い時期,例年より早い梅雨入りとなった中での訪問活動となりましたが,幸いこの日も,雨に降られることはなく,曇り空のもとで,貴重なお話し伺いを実現し,終えることができました。

訪問予告ビラ 201606 名谷駅東住宅このたびもまた直前となりましたが,日が長い時期にあって,比較的早い時間帯に伺ったこともあって,前々日の準備の中で,久方ぶりとなった活動の趣旨を説明させていただき,ご理解をいただく中で,晴天に恵まれた前日に続いて,お訪ねさせていただきました。

宗教や政党などまったく関係ない民間のボランティア」という原則を堅持する姿勢を示す上でも,参議院議員選挙の期間にはいる前の週末に伺うことにしました。

神戸市営名谷駅東住宅 251棟前の集会所&花壇東日本大震災に続いて,今回の訪問活動の2か月前には熊本地震も発生した中で,新たな被災地・被災者に思いを致しつつ,引き続き阪神淡路大震災の被災地の深部にあって,これまでの被災者に寄り添い続ける「息の長い支援」を,不定期でささやかな活動となりつつも,させていただくことができました。

ご協力いただいた皆さんをはじめ,Yahoo! JAPAN 登録純正サイトThis is 神戸・週末ボランティアや,MixiコミュニティMixiページFacebookページGoogle+LINE@Twitter - welove_kobeを通じて,ご縁をいただきました皆様に改めて,感謝いたします。


この日伺ったところの概略です。

・70代女性。長田区で全壊。ゴム工場が多い地域で,十何人も犠牲になった。プロパンガスのボンベがよく爆発したが,ホースがボロボロで水が出せなかった。この復興住宅に入居して17年。ここができた当初から,西区の仮設住宅にいた母が入居していたが,7〜8年前に亡くなった。要介護度も重くなって,ヘルパーを頼んだこともあったが,自分で介護をし続けてきた。今も,自身の介護申請はせず,掃除など,身の回りのことは自分でする。震災後,初めのうちは,別に住んでいて,仕事をしながら,支援金も充てて,二重ローンを払っていた。義捐金は受け取っていない。残ったのは借金だけ…。生き残っても生き地獄。まだ命あるうちはいいのでは…。ここにきて認知症の方も,孤独死も多かった。みな男性だった。震災前に住んでいたような文化住宅と違って,この復興住宅では近所づきあいは少ない。友人と言える人は限られる。ほとんどあいさつ程度。最近は,市から委託された管理会社が,一人暮らしのお宅などを回っている。

・70代女性。長田区で半壊。ケガなどはしなかった。近くの小学校に避難したら,居場所も十分になく,トイレもたいへんだったので,別の避難先へ。その後,自宅マンションを修理して,そのまま住み続けた。この復興住宅に入居して7〜8年。ここへは市営住宅の一般入居で入った。普通に申し込んで当たって運がいいと,よく言われる。この部屋は,夏は涼しく,冬は寒い。けっこう冷えるので,たくさん着込んで冬を過ごしている。エレベーターもあって助かるが,買い物に行くとなるとたいへん。父の看病や孫の手伝いなどをずっとしていたので,仕事に行くことはできなかった。寂しいのか,ちょくちょく電話してくる人もいるが,お互い邪魔くさいのか,訪ねてくることはない。自治会役員などの役が回ってくると,引き受けるのもたいへん。自分が人の迷惑にならないようにしようと思っている。寝込んだりしたことはないが,身体の具合が悪くならないように気をつけているが,そうなった時のことが心配。

・80代女性。須磨区で全壊。借家だった。近くの仮設住宅が当たらず加古川市の仮設住宅へ。この復興住宅に入居して17年。娘が(情報収集や手続などを)よくしてくれたので,1回ですぐ当たった。ここを見に来た時,山が近くて良さそうな感じがした。入ってみると,いろいろな人がいると感じた。住宅横の花壇を,石を拾って,セメント流して,再整備して,「市民花壇」に指定された。今か育ちで土仕事が得意だった。住民同士でやりがいをもとうと始めて,きれいにしていったものだ。仲間もできたが,身体もきついので,身を引くことにした。夫の介護を続けている。自分も倒れたらと思うと不安。震災前にいたところでは,みんなやさしかった。そこで子ども3人を育てた。震災がなかったら,ずっとそこにいたかった。

・80代女性。北区で被災。ちょっと揺れたぐらいでケガなどはしなかったので,とくに被害はなかった。北区の市営住宅が建て替えになるので移ることになった。この復興住宅に入居して10年。ここには,(できた当初からではなく)途中から入ってきた。一般入居だった。垂水区に子・孫がいるが,本棚が崩れるなどの被害があったよう。震災後北区のうちに風呂に入りに来たこともあった。現在は,近くに孫やひ孫がいて,ひ孫が,日曜日も含め,毎日のように友だちを連れて遊びに来る。身体は悪いところはない。以前はずっとかかっていたところもあったが…。病院には孫が車で連れて行ってくれることもある。近くに色々あるので(買い物などは)間に合う。<訪問時もひ孫が友だちを連れてやってきた>

・80代女性。須磨区で全壊。家の中でタンスが倒れてきて,打撲傷を負ったが,すき間があったり,襖をあけられたりした。ちょうどその時,隣のお兄さんが上がってきてくれて,助けてくれた。この復興住宅に入居して17年。あちこちの病院に行くほか,今も月に1回,2時間ほどマッサージに行く。地震のときのケガだけでなく,それ以前の事故も原因のよう。

・70〜80代女性。(地震のときは?)主人がいたので大丈夫だった。(今お困りのことは?)ないです。大丈夫です。<インターホン越しに応答>

・30〜40代女性。「うちはそんなのけっこうです。」<インターホン越しに応答,ボランティアの趣旨を説明>

・60〜70代女性。「今日はお客さんですので,ごめんなさい。」<インターホン越しに応答>

・60代?女性。「子どもが来る。車のコインは?」<お出かけになるところにお声がけ>

・40〜60代女性。「けっこうです。」<インターホン越しに応答>

・60〜70代女性。「けっこうです。」<インターホン越しに応答>

・70代?男性。「ごめんなさい。」<インターホン越しに応答>

2016-08-16 ↑TOP


第80(新生205)回訪問活動 (2016/06/18) レポート 〈熊本地震から2か月が過ぎて,仮設・復興住宅訪問通算647回〉

神戸市営名谷駅東住宅 高層の251棟毎度This is 神戸・週末ボランティアをご覧くださいましてありがとうございます。引き続き,神戸の地にあって,取り組みをさせていただいています。

神戸・週末ボランティア 新生では,復興住宅への訪問活動をさせていただきました。今季は,埋もれさせない! 「息の長い支援」は神戸の山間からというテーマを掲げました。

神戸市営名谷駅東住宅 高層の251棟新たな活動主体のもとリフレッシュ・スタートして以来3年余り,不定期でささやかな活動となりましたが,そうした中で,活動の原点としての,被災場所から離れ,郊外に住まい続けることを余儀なくされた被災者に寄り添うことに,大きなウェイトをおいてくることになりました。その中で,新たな被災地・被災者に思いを致すことも,課題であり続けました。

訪問予告ビラ 201606 名谷駅東住宅東日本大震災については,旧グループにおける教訓を活かす観点から,当ボランティアの取り組みのあり方自体が問題提起や情報発信となり,遠く離れた地からであっても,何らかのお役に立ち,学びを活かすことができたでしょう。

阪神淡路大震災の「1.17」,東日本大震災の「3.11」にあわせ,さらに桜が咲く頃に向かって行っていた取り組みを,ひとまず終えたところに発生したのが熊本地震でした。そうした状況・時期であったことから,新たな取り組みをするリソースがなく,遠慮させていただくしかありませんでした。新たな被災地・被災者の方々に,改めてお見舞いを申し上げます。

名谷駅東住宅に続くペデストリアンデッキに参院選ポスター掲示場例年よりやや早く梅雨入りしましたが,前日に行った準備に続いて,幸い好天に恵まれた中で,貴重な「お話し伺い」の機会となりました。

参議院議員選挙の期間にはまだ入っていませんでしたが,お訪ねした復興住宅近くには,選挙ポスターの掲示板もつくられつつありました。


この日伺ったところの概略です。

・80代男性。兵庫区で全壊。奥さん共々ケガはなかった。朝早く起きて,仕事以降としたところだった。「あっぅ,地震やな」と思ったら揺れた。家はつぶれた。崩れてきたものをのけながら外へ出た。近くまで迫った火が,隣がガレージだったことから焼け止まった。古い家が密集しているところで,みなつぶれていた。近くの小学校に行ったら,たくさんの人がきていたので,運動場に避難した。兄が迎えにきてくれたので,身を寄せることにして,3か月過ごした。最初は兵庫区の仮設住宅を探したが,当たらなかったので,垂水区の仮設住宅を申し込んだら,一度で当たった。この復興住宅に入居して16年。できてすぐ、最初からの入居。ここへきたのは,お盆の18日。引越業者の都合でそうなった。同じ日に来た人も。ここも仮設住宅のときと同じように不便かと思ったが,何とか慣れた。神戸以外の他所からきたら慣れにくいだろう。こんな鉄筋の建物に入るのは初めて。ここにきたばかりの頃は,まだ仕事に行っていて,近所づきあいはあまりしていなかった。若い人や新しい人が入居しても知らないことも多い。最近はみんな年を取って,外に出てこないことも多い。杖はもっておらず,使わない。買い物は2人で行くか自分一人で行く。<玄関内でお話し伺い。ボランティアの趣旨と近況を説明>

・80代・70代夫婦。灘区で全壊。借家の2階建てだった。グニュっとひっくり返ったような感じがした。何とか脱出し,公園で野宿した。避難所では,トイレがたいへんだった。震災を思い出すのは辛い。早く忘れたい。忘れることができたら…。御主人は,被災・避難生活のときに傷めた首がまだ痛い。今も毎日リハビリに通っている。仮設住宅は北区だった。便利は悪かったが,住めるだけありがたいと思った。2年仮設住宅で過ごした後,市営住宅へ。仮設住宅のときも坂がきつくてたいへんだったが,入ることになった市営住宅も,急な長い坂のてっぺんだった。その住宅が建て替えることになったため,この復興住宅へ移って数年。まだ2〜3年かと思っていたら,もっと月日が過ぎていた。夫婦で買い物に行っても,少ししか持てない。コープの個配や弁当を利用している。(熊本地震から2か月になったが)九州も揺れないでと思う。かわいそう。自分たちは生かされていると思う。<自身でシート記入の上お話し伺い>

・80代女性。長田区で全壊。西区の仮設住宅を経て,この復興住宅に入居して17年。ここに入居したのは8月だった。ここでは夏の暑さも冬の寒さも関係ない。夏は,玄関を網戸にしておくと,よく風が通るので,クーラーはつけない。ここにきた時は夫と2人だったが今は一人。一人になって不便なことが多くなって,ヘルパーを頼んできてもらっている。血圧がちょっと高いだけで,ほかは悪いところはない。病院はあまり行かない。牛乳は飲めないので,ヨーグルトを配達してもらっている。<玄関扉の網戸越しだったが,途中から出てきてくださってお話し伺い>

・90代女性。兵庫区で全焼。地震のときは,火が出て,大切にしていたものをなくして,悲しかった。炎をみると,今でも身体が震える。仮設住宅は西区だった。仮設住宅では,隣の音が丸聞こえだった。テレビの音が大きいと,怒鳴られたり,洗濯機を使う時間帯も気を遣わされた。この復興住宅に入居して17年。方々の復興住宅を申し込んだが当たらず,やっとここに。年齢の割には健康状態はいい方だと思う。友人もたいへんだったのに,支援してくれて幸せ,有難い。今になって,助かってよかったと思うようになった。

・60代女性。須磨区で全壊。被災時にはちょっとケガをしたが,擦り傷程度だった。避難所では週1回ボランティアをしていた。仮設住宅ではボランティアをしたこともなければ,してもらったこともなかった。西区の仮設住宅で2年ほど過ごした。その後18年過ごしたところから,この復興住宅に入居して1年。震災以前から悪くしていた身体の治療に今も通院している。最近しんどくなってきた。ヘルパーなどは頼んでいない。その他は特に困っていることはない。<インターホン越しに応答>

・80代女性。長田区で全焼。西区の仮設住宅を経て,この復興住宅に入居して17年。せめて少しでも長田に近いところをと思ってここにした。1回目の抽選で入れた。山がちなところでの生活にも慣れた。若い時から患っていた腰の痛みがたいへんになったが,2年前に受けた電気の治療が効いたのか,今年になって病院に行っていない。息子が近いところに住んでいるので助かる。身の回りのことは自分でする。買い物にも行く。

・50代女性。長田区で全焼。「ボランティア活動,訪問ありがとうございます。3年前(借り上げ復興住宅)より引っ越して来ました。住宅の皆様には,とても親切で,明るく,仲良く生活させていただいています。健康状態も良好で元気です。駅からも近く,買物,病院、すべてにおいて名谷は生活が便利で,ありがたく毎日感謝して過ごしています。」<自身でシート記入>

・40〜50代女性。灘区で被災。この復興住宅に入居して1年。早くに入れたところが借り上げ復興住宅だったので移転することになった。この復興住宅に知人がいて,状況も知れて安心だと思い,ここにしようと思った。申し込んだらすぐ入れた。<インターホン越しに応答>

・50〜60代女性。垂水区で被災。ケガなどはしなかった。この復興住宅に入居して3年。ここへは市営住宅の空きが出るのを待って入った。一人暮らしだが,娘が近くにいるので助かっている。近所にも仲良くしてもらっている。もうすぐ息子が来る。<玄関でお話し伺い>

・60〜70代女性。「けっこうです。いいです。困ったことはないです。」<インターホン越しに応答>

・60〜70代女性。「(困っていることは)何もないでー。」<インターホン越しに応答>

・男性。「いいです。」<インターホン越しに応答,ボランティアの趣旨説明>

・30〜40代女性。「ちょっと忙しいので…。」<インターホン越しに応答>

・40〜60代女性。「けっこうです。」<インターホン越しに応答>

2016-08-15 ↑TOP


第79(新生204)回訪問活動準備 (2016/06/17) レポート 〈夏至を控えて,仮設・復興住宅訪問通算646回〉

神戸市営地下鉄名谷駅,妙法寺方面のトンネル毎度This is 神戸・週末ボランティアをご覧くださいましてありがとうございます。引き続き,神戸の地にあって,取り組みをさせていただいています。
 

神戸・週末ボランティア 新生では,復興住宅への訪問活動に向けての準備を,させていただきました。今季は,埋もれさせない! 「息の長い支援」は神戸の山間からというテーマを掲げました。訪問先は,春季,桜が咲くのを待ちながら伺ったのと同じ,神戸市営名谷駅東住宅です。

訪問予告ビラ 201606 名谷駅東住宅春季には,神戸市街地よりも厳寒酷暑な郊外の地にあって,残っていた冷え込みの中で伺いましたが,今回は,梅雨の晴れ間に伺えるよう,準備をしました。また,前2015年に,この地域への訪問活動の再開を展望していたのと,ほぼ同じ時期となりました。

この日は,6月18日・19日にお訪ねする予定のお宅のドアポストに,訪問予告のビラを入れさせていただきました。今回もまた前日になってのお願いとなりましたが,時間帯は早めにさせていただきました。

神戸市営名谷駅東住宅 配置案内翌週に夏至を控えた,梅雨の晴れ間の好天の日とあって,日も高く過ごしやすい時間帯となり,訪問予定以外の方々とも時折顔を合わせながら,ボランティアの趣旨をお伝えする,いい機会となりました。

垂水東口・イカナゴのモニュメント訪問準備の後は,名谷駅前からバスで垂水東口に戻りました。途中には,これまで3年近くにわたって伺ってきた復興住宅,神戸市営住宅・ベルデ名谷があります。こちらにはまだ伺っていないお宅が数十戸あり,時期をみて伺いたいと思っています。

熊本地震から2ヶ月が過ぎた時期でもあり,熊本・大分の被災地では,地震による被害に加え,一足早く梅雨に入った中で,豪雨による被害が懸念される状況で,とても,お見舞い申し上げますといった言葉で済ませられるものでないことに,思いを致しつつも,そうした中にあって,「息の長い支援」を掲げてきたものにふさわしく,これまでの被災地における取り組みを続けることにしました。

ご協力いただいた皆さんをはじめ,Yahoo! JAPAN 登録純正サイトThis is 神戸・週末ボランティアや,MixiコミュニティMixiページFacebookページGoogle+LINE@Twitter - welove_kobeを通じて,ご縁をいただきました皆様に改めて,感謝いたします。


この日伺ったところの概略です。

・70〜80代女性。予告ビラ投函時にお買い物から帰宅。「こんにちは。ボランティアです。」とお声がけ。

・少女。予告ビラ投函時に帰宅。「こんにちは。ボランティアです。おうちの人によろしく。」とお声がけ。

・70〜80代女性。「こんにちは。ご苦労様です。」<「こんにちは。ボランティアです。」とお声がけ>

2016-07-02 ↑TOP


第78(新生203)回訪問活動 (2016/04/09) レポート 〈再び埋もれさせない!,仮設・復興住宅訪問通算645回〉

神戸市営名谷駅東住宅 近くの桜満開毎度This is 神戸・週末ボランティアをご覧くださいましてありがとうございます。引き続き,神戸の地にあって,取り組みをさせていただいています。

神戸・週末ボランティア 新生では,復興住宅への訪問活動を,させていただきました。3月に引き続いて,「「3.11」から5年 「息の長い支援」は神戸の山間から」というテーマを掲げました。訪問先は3月26日27日と同じく,須磨区の神戸市営名谷駅東住宅です。

20160408「神戸新聞」掲示板「3.11」から5年 「息の長い支援」は神戸の山間から訪問予定のお宅のドアポストに「予告ビラ」を投函するなどの準備は,前日の8日にと,これまた直前なりましたが,先の反省から,少しは早めにさせていただきました。これに先立ち,4月8日の「神戸新聞」紙面でもご紹介いただきました。

この日はすでに,神戸の市街地では,桜も満開を過ぎ,散り初めにさしかかっていましたが,市街地より厳寒酷暑な,郊外のこの地では,寒さも残っていて,ようやく満開を迎えようとしていました。東日本大震災に遭遇した東北地方のなかにも,先を越されたようです。

20160409予告ビラこの附近の復興住宅への訪問に当たっては,旧グループ行っていたように,神戸市営地下鉄名谷駅としましたが,諸般の事情から,目立った宣伝活動などは行わず,また訪問先に近いこともあって,集合時刻も午後1時45分としました。

訪問予定時間は,2〜5時の間にとしましたが,4時過ぎに終了させていただきました。これまでは,予定したお宅を一巡したあと,お留守だったお宅にもう一度伺っていましたが,同住宅への訪問では行っていません。夕方の冷え込みとボランティアの体調の都合ということで、ご容赦いただきたいと思います。

神戸市営名谷駅東住宅 250棟今回も,前々週と同様に,好天に恵まれた中での訪問となりました。貴重な「お話し伺い」をさせていただきました。ありがとうございました。おかげさまで,この地の現在ならではの課題とミッションを認識することができました。

それは,埋もれさせないことです。

阪神淡路大震災後、それまで住み慣れた,生活の拠点を失い,それらから切り離されて,20年以上の歳月を超えることを,そしてその中で,深く抑え込まれてきた,さまざまなことがらについても,寄り添う中で,向き合っていきたいと思います。

神戸市営名谷駅東住宅 封鎖された駐輪場この地は,かつて神戸・週末ボランティア(旧)で,早くから取り組んだとともに,早くに活動を離れた地でもありました。それは,当初のミッションを完遂したからではありませんでした。その情況にたいして,余りにも未熟で無力であったばかりか,支援に携わる者としての在り方が,根本的に問われるものでした。

それらの教訓を踏まえ,今日的情況のもとで,新たな活動主体のもとで,活かし,十数年の間に深化・沈潜させられてきた問題に取り組んでいく出発点にしたいと思います。

今回の取り組みから1週間経たないうちに,熊本地震が発生しました。被害に遭われた方にお見舞い申し上げます。

当ボランティアでは,思いの外残っていた寒さの中で取り組みを行ったことや,その他の事情により,4月中旬以降,新たな取り組みができない状態にありますことを,ご理解くださいますよう,お願いいたします。

神戸市営名谷駅東住宅 252棟そうした中ではありますが, 「「息の長い支援」は神戸から」を掲げ,これまでの被災地に根ざし,被災者に寄り添ってきた者にふさわしく,引き続いての取り組みに備え,活かしたいと思います。

ご協力いただいた皆さんをはじめ,Yahoo! JAPAN 登録純正サイトThis is 神戸・週末ボランティアや,MixiコミュニティMixiページFacebookページGoogle+LINE@Twitter - welove_kobeを通じて,ご縁をいただきました皆様に改めて,感謝いたします。

このほど,2016年4月22日,神戸・週末ボランティア 新生の純正Twitterアカウント@welove_kobeの運営期間が2000日になり,4月30日,フォロワーさんが2100を超えました。4月26日,Mixiコミュニティ This is 神戸・週末 ボランティアの運営期間が2000日になりました。引き続き阪神淡路大震災の被災者に寄り添っていきたいと思います。これからもよろしくお願いします。


この日伺ったところの概略です。

・80代男性。須磨区で全壊。この復興住宅に入居して18年。この住宅では,孤独死もたくさんあった。自分が見つけて立ち会ったものも。あの頃はたいへんだった。今も身体が悪く,寝ていたところ。<自身で記入されたシートへのお返事・お礼を書いていたところに出てこられ,お話し伺い>
「(震災のときは? 震災後にご苦労されたことは?)突発的な出来事に,なすすべもなく,食べ物、水もなく,自分に返るまで日時を要した。云いしれぬ日々を過ごす。(今お困りのこと,心配なことは? ご健康状態は?)震災後,5月に身体を悪くして入院…2年過ごして,少し足を折り曲げられる様になり,現在に至る。(国・県・市などの政策について,助かったこと,行き届かなかったこと,言えなかったこと,これからも望むことは?)手当金、現在の住所、有難く感謝のみ。云うことはありません。(民間のボランティアなどについて,感謝していること,助かったこと,想い出に残っていること,行き届かなかったこと,これからも望むことは?)今想えば一番大変な時期で,様々な事がおこりました。上が押さえていましたので,表に出ることはありませんでしたが,心身共に休まる事のない時期でした。ボランティアの皆様も,大変だったと思います。(阪神淡路大震災から)20年を迎えて,入居者もずいぶんと変わりましたが,現在の入居者は,65歳以上の人が多いので,自治会の行事も大変で,私も体調が良くなく,手伝い出来ず残念です。」

・80代女性。中央区で被災。震災で,父が営んでいた事業が立ちゆかなくなった。自分一人で負債を背負ってきた。神戸で仕事させていただいたから…。人なみ以上の人生送らせてもらった。ここは65歳以上の一人暮らしの方が多い。お年寄りが安心して住めるようにしてほしい。お金があってもものが買えない時代を経験していると,今の時代がいっそう変に思えてくる。そんな番組ばっかりのテレビは見たくない。親や年長者の考えに,今の子どもたちには通用しない。親孝行ひとつしない者大人になってゆく。立てなくなって車イス生活にでもなった時のことを思うと不安。介護施設を改善してほしい。<玄関で,お出かけになるところにお話し伺い>

・80代女性。中央区で全壊。「震災後,私達の住んでいた所は,被災者も少なく,ボランティアの支援も全く無く,近所の方々と助け合ってしのいでいました。(被災状況が)大規模な地域では,ボランティアの方々の支援も報じられていましたが,行き届かなかったのでしょうね。その後も,身内の助けをかりてしのいでいました。今は残された命を大切に日を暮らしております。ありがとうございます。仮設住宅での4年余りの不自由な生活でしたが,御近所の良い方々にめぐまれ,心安らかに暮らして行けたのは幸いでした。」<自身でシート記入>

・80代女性。長田区で被災。西区の仮設住宅を経て,この復興住宅に入居して17年。仮設住宅にいる時にここを申し込んだ。一人暮らしなので1Kの部屋を申し込んだら,早くに当たった。ここの主や,私らは。ここら(同じ棟・階の御近所)の人は,みな最初からや。ここは夏暑く,冬寒い。お散歩して帰ってきたところ。冬に家にいて(足が弱って),歩かれへん。外出するときは杖で。買い物は,カートを押していく。(毎日だとたいへんなので)週2〜3回に。風が強い陽や雨の日は歩けないので外出しない。人に迷惑をかけたくないので,自分でいろいろ考えている。<帰宅されてきたところに,玄関前でお話し伺い>

・50〜60代女性。この復興住宅に入居して4年。それまで住んでいたUR賃貸住宅が建て替えになったので,ここに住まい変えることにした。ここにはもう慣れた。身体悪いところや困って居ることは,とくにない。<ボランティアの趣旨を説明。インターホン越しに応答>

・70〜80代男性。大丈夫です。ありがとう。<ボランティアの趣旨を説明。インターホン越しに応答>

・70〜80代女性。よろしいです。<ボランティアの趣旨を説明。インターホン越しに応答>

・70代?男性。これ,お断りします。<インターホン越しに応答>

・70〜80代女性。<ドアを少し開けてくださったが…>

・内装工事中です。<作業員の方が応答。空室>

2016-05-30 ↑TOP


第77(新生202)回訪問活動準備 (2016/04/08) レポート 〈ボランティア保険更新,仮設・復興住宅訪問通算644回〉

20160409予告ビラ毎度This is 神戸・週末ボランティアをご覧くださいましてありがとうございます。

神戸・週末ボランティア 新生では,復興住宅への訪問活動の準備を,させていただきました。3月に引き続いて,「「3.11」から5年 「息の長い支援」は神戸の山間から」というテーマを掲げました。

先週末のように,遅くなってからではありませんでしたが,今回も,諸般の事情により,夜になってからの準備となりました。

20160408「神戸新聞」掲示板「3.11」から5年 「息の長い支援」は神戸の山間から直前になってからのお願いが続いていることに,準備態勢を顧みて改めたいと思っております。

翌9日に伺う予定のお宅のドアポストに,訪問予告のビラを入れさせていただきました。

また同じ4月8日の「神戸新聞」紙面でもご紹介いただきました。

今回の準備に先立ち,年度替わりに当たって,ボランティア保険の更新を行いました。

当ボランティアでは,補償内容・範囲が充実した,東京都社会福祉協議会のボランティア保険に加入しております。

ご協力いただいた皆さんをはじめ,Yahoo! JAPAN 登録純正サイトThis is 神戸・週末ボランティアや,MixiコミュニティMixiページFacebookページGoogle+LINE@Twitter - welove_kobeを通じて,ご縁をいただきました皆様に改めて,感謝いたします。

2016-04-14 ↑TOP


第76(新生201)回訪問活動 (2016/03/27) レポート 〈初心と誠意が問われる,仮設・復興住宅訪問通算643回〉

名谷駅前バスターミナルに咲く毎度This is 神戸・週末ボランティアをご覧くださいましてありがとうございます。阪神淡路大震災から21年が過ぎ,東日本大震災からも5年が過ぎたなか,引き続き,初心に立ちかえり,そして,新たな役立ちと学びの姿勢をもって,神戸の地にあって,取り組みをさせていただいています。

20160324「神戸新聞」神戸・週末ボランティア新生案内「3.11」から5年 「息の長い支援」は神戸の山間から桜もそろそろ開花しようかというこの時期,神戸・週末ボランティア 新生では,復興住宅への訪問活動を,させていただきました。3月は引き続いて,「「3.11」から5年 「息の長い支援」は神戸の山間から」というテーマを掲げました。

訪問先は,昨26日に続いて,須磨区の神戸市営名谷駅東住宅です。3月25日の夜,もしくは26日の訪問終了後に,訪問予定のお宅に「予告ビラ」をドアポストに投函するという,直前になっての訪問のお願いをさせていただきました。3月24日の「神戸新聞」でご紹介いただきました。

北須磨地域の復興住宅は,週末ボランティア(旧)10年以上前に訪問させていただいた,神戸市郊外の復興住宅のひとつですが,昨2015年の初夏に,久方ぶりの再開に向けての準備をさせていただきました。

神戸市営名谷駅東住宅 20160326-27予告ビラ神戸市中心部とは違って,郊外は厳寒酷暑の地で,市街地では桜の花も満開近くになっていた頃ですが,この北須磨も名谷エリアでは,好天に恵まれながらも,まだ寒さも残り,彩りをみせてくれているのは,ごく一部で,ほとんどは膨らみつつはあったものの,依然として蕾のままでした。

神戸市営名谷駅東住宅 住民の手作り花壇また,こうした中,住民有志の方が丹精された花壇が彩りを添えていました。集会所横の一角は,神戸市市民花壇に認定されたとのことです。

そして,この地と神戸中心部を結ぶ,ほとんど唯一の交通機関神戸市営地下鉄西神山手線です。同線,とりわけ最寄り駅に近い地下線では,長らく携帯電話の電波が通じない「圏外」でしたが,年度末には通じるとされていたことも,3月下旬になってから,この地の訪問を始めた理由のひとつです。

名谷駅東住宅とUR賃貸住宅,落合住宅最寄り駅の名谷駅の西隣である総合運動公園駅(仮設住宅訪問のときは,ここに集合して現地へ向かったこともあります)は,長らく日本の地下鉄の駅としては,最も高いところにあるとされてきましたが,東日本大震災による工事中断を経て,昨2015年12月6日に開業した,仙台市地下鉄東西線八木山動物公園駅が,それに取って代わることになりました。

神戸市営名谷駅東住宅 ユキヤナギに映える奇しくも,その「陥落」の前日,すなわち「日本一」であった最後の日その前日(神戸ルミナリエの初日でもありました)に,当ボランティアでは,2015年最後の活動をしておりました。

前日の同住宅への訪問と同じく,当ボランティアの訪問の,ひいては傾聴ボランティア〜「お話し伺い」の趣旨と意義を,お伝えすることの大切さと必要さを,改めて感じさせられました。経験や蓄積などよりも,初心と誠意が問われているものでした。

ご協力いただいた皆さんをはじめ,Yahoo! JAPAN 登録純正サイトThis is 神戸・週末ボランティアや,MixiコミュニティMixiページFacebookページGoogle+LINE@Twitter - welove_kobeを通じて,ご縁をいただきました皆様に改めて,感謝いたします。


この日伺ったところの概略です。

・70代女性。長田区で全壊。この復興住宅に入居して1年。被災時は借家の文化住宅に住んでいた。住んでいたところの近くに井戸があったので,自分で水を確保できた。避難所で水や食料,弁当などをもらいに行ったこともない。芸能人の支援活動やボランティアの世話にはならなかった。一時,知人宅に身を寄せたが,それ以外はずっと一人でいた。一応仮設住宅に入ったが,長く居たくなかったし,仕事に行くにも不便だったので,小さな文化住宅を新たに借りた。仮設住宅でも,ボランティアの訪問を受けたことはない。この住宅に来てからも,ボランティアの訪問や取材を受けたことはない。身体は悪いところだらけ。自分のうちに歩いて帰れなかったことも。バスで通院したり,リハビリに行ったりしている。けっこう忙しい。薬もたくさん飲んでいる。普段はテレビを観て過ごす。人と話したりするのは好きでない。グループ行動は,小さい時からきらいだった。買い物は,駅前のスーパーに行くだけ。食事も総菜を買って済ませることが多い。ここは夏暑くて冬寒い。暖房の灯油代も高くてたいへんだが,ちょうどなくなったところ。今夜,この住宅の集会がある。けっこうみんな来ているみたい。<玄関内でお話し伺い>

・50代女性。この復興住宅に入居して18年。「須磨区被災した母も,10年前に他界しました。1日?がれきの下で,探しに行けた時は,小学校にいました。当事者である母の意見はきけませんが,仮設住宅から,この市住が当たるまで,2年?以上かかった記憶があります。」<自身でシート記入>

・70代女性。ボランティアごくろうさまです。<廊下でお会いしたところでお声がけ。「順次伺っていますので,その節は宜しく」と,お話し伺いボランティアの趣旨を説明>

・70代男性。この復興住宅に入居して2〜3年。お恥ずかしながら,お話しできるような状態ではない。被災して入居したのではなく,一般入居。<インターホン越しに応答>

・60代?女性。この復興住宅に入居して17年。民間の人に何で言わなあかんの?<インターホン越しに応答。ボランティアの趣旨を説明>

・90代男性。須磨区で全壊。この復興住宅に入居して18年。「急用ができ留守にします。御免なさい。」<自身でシート記入>

2016-05-09 ↑TOP


第75(新生200)回訪問活動 (2016/03/26) レポート 〈原点の地に立ちかえって,仮設・復興住宅訪問通算642回〉

神戸市営名谷駅東住宅 早咲きの一本毎度This is 神戸・週末ボランティアをご覧くださいましてありがとうございます。阪神淡路大震災から21年が過ぎ,東日本大震災からも5年が過ぎましたが,引き続き,初心を忘れず,また,新たな役立ちと学びの姿勢を忘れず,神戸の地にあって,取り組みをさせていただいています。

桜もそろそろ開花しようかというこの時期,神戸・週末ボランティア 新生では,復興住宅への訪問活動を,させていただきました。3月は引き続いて,「「3.11」から5年 「息の長い支援」は神戸の山間から」というテーマを掲げました。

神戸市営名谷駅東住宅 早咲きの一本から場所は,須磨区の神戸市営名谷駅東住宅です。須磨区といっても,須磨海岸があるあたりや,長田区に隣接し震災で甚大な被害を被った地域とは別の,北須磨と呼ばれる内陸部の地域です。これまで何度も伺ってきた垂水区の復興住宅と距離的にはそれほど遠くなく,神戸市西部の郊外の山中という環境でも共通しています。

北須磨の名谷(みょうだに)地域は,西区に続く,西神(せいしん)ニュータウンの東の入り口ともいうべき場所で,高度成長期以来の,「山,海へ行く」といわれた手法で,「株式会社神戸市」によって,最初期に開発された地域です。神戸市営地下鉄が神戸中心部へのほぼ唯一の交通アクセスとなっていて,名谷駅を中心とした地域は,高度成長期から,市営住宅や公団住宅などが多く造られ,民間に分譲された住宅地も広がっています。

北須磨や西区では,震災ではとくに大きな被害がなかったのですが,震災後は,公園やグラウンドなどに仮設住宅が造られ,これまで住み慣れた,暮らし続けた地から離れて,多くの被災者がやってきました。週末ボランティア(旧)は,そうした方々に寄りそい,「お話し伺い」を通して,他のさまざまな支援に結びつけたり,自らが声を上げるお手伝いをさせていただいたりすることで,お役に立たせていただき,またあわせて自らも学び,さらにそれを広く伝える情報発信をも担おうというものでした。

神戸市営名谷駅東住宅あくまで物質的な支援は行わず,ひたすらお話しを伺う,傾聴ボランティアですが,そのこと自体が「心のケア」になるとの考えによるものでした。さらに進んで,そうした対話を通して,自らのロゴス化や行動へ踏み切るお手伝いをすることも,可能性として展望できるものでした。

4年あまりにわたった仮設住宅訪問活動では,この地や,さらに西に分け入った地で展開されましたが,仮設住宅が「解消」され,多くの被災者・住民が復興住宅へと移っていく中で,引き続き郊外の地に残された方に寄りそうべく,復興住宅への訪問活動をさせていただくことにしました。

しかしながら,年月を経る中で,ニーズやあるべき姿も変化し,さらには,こういった地における活動を放棄し,神戸市中心部の復興住宅へと,半ば逃げ込むように,半ば追われるように,活動の場を移す中で,そもそもの被災地支援・ボランティアのあるべき姿からの乖離もまた,顕著になっていったといわざるを得ません。

20160324「神戸新聞」神戸・週末ボランティア新生案内「3.11」から5年 「息の長い支援」は神戸の山間からそうした中,「不都合な真実」をも真っ向から見すえ,阪神淡路大震災の地にあって,被災者に寄りそうべく,あるべき姿を取り戻し,あわせて今日的課題に取り組むにふさわしいものへと,自らをつくり替える取り組みを行ってまいりました。爾来,今回までに200回を数えるに至りました。

旧グループにおいて,そうした正常化−清浄化,さらには再生への取り組み続けてきましたが,その間に発生した東日本大震災への関わり方や,同じく顕在化してきた借り上げ復興住宅問題への取り組み関して,「宗教や政党などまったく関係のない民間のボランティア」を堅持するものと,それに非ざるものとの懸隔は如何ともし難く,2013年1月,新たな活動主体とした,神戸・週末ボランティア 新生のもと,よいところは引継ぎ伸ばしていくとともに,過ちは改め断ち切ることを固く誓い,リフレッシュ・スタートしました。それからもすでに75回を数え,その間に伺ったお宅も1600戸を超えております。

そのプロローグではありませんでしたが,阪神淡路大震災20年である昨2015年は「震災ボランティア、二十歳の原点。」という年間テーマを掲げました。かつてとは違って,少数での,不定期な,ささやかな取り組みとなりましたが,そうした地平にたって,改めて,文字通りの原点というべき場所に,今日的課題を担うにふさわしい問題意識をもって,伺うことにしました。

実際のところ,諸般の都合により,今回も,ここでもまた,直前になってのお願いとなりました。3月24日の「神戸新聞」でご紹介いただきましたが,前日3月25日の夜遅くになって,伺う予定のお宅に「予告ビラ」を入れさせていただいての訪問となりました。

20160326-27予告ビラシートご記入有難うございます。ドアポストに「予告ビラ」が残されたままのお宅も散見される一方で,10年以上ぶりの訪問にもかかわらず,近況などを丁寧にシートに綴ってくださった方もいらっしゃいました。貴重なお話しを伺わせていただいたこととあわせて,心から感謝したいと思います。


この日伺ったところの概略です。

・40代男性。垂水区で一部損壊。当時は一人暮らしで,壁に亀裂が入った。テレビのスピーカーが飛んできて頭に当たった。打ち所が悪ければ…。この復興住宅に入居して12年。一緒に入居した母が3年前に亡くなるまで,居宅サービスやデイサービスを利用したりして,介護をしていた。最期は特養にはいったが,亡くなったショックで,一時は,人が多いところに行くのが辛く,外出もままならなかった。地域の人や知人・友人らが親切にしてくれた。リラックスして癒されるようにした。人と関わる中で,治していこうと思っている。近所に限らず,色々な地域の人と関わっていきたい。以前住んでいたあたりの商店街に行ったら,懐かしくなって,店に入って話しかけたりした。時間があればもっと遠くへも行ってみたい。この時間は,吉本新喜劇のテレビを観ていることが多い。ほかには大相撲を観たり,音楽をいろいろ聴いたりする。<玄関内でお話し伺い>

・70代女性。この復興住宅に入居して17年。地震の特は学校へ避難した。仮設住宅には3年いた。この年になると,どこも雇ってくれない。安くなる時に買い物に行く。以前(旧グループで訪問活動をしていた頃)は,まだ若かったので,外で働いていたので、ボランティアの訪問を受けた記憶はない。<買い物に出かけるところにお声がけ。ボランティアの趣旨を説明>

・40代?女性。この復興住宅に入居して10年以上。特に困っていることはない。うちは結構です。元々ここには,父が被災して復興住宅として入居したもので,後に自分も同居するようになった。以前から父は耳が遠く,震災の時の話などはあまり聞いていない。<インターホン越しに応答>

・70代女性。垂水区で半壊。この復興住宅に入居して17年。「仮設(住宅)の時は,色々と,ボランティアの皆様方にお世話になり,有難うございました。現在,元気で頑張っております。又,寒い中,来て頂き,本当に感謝申します。」<自身でシート記入>

・少女。最近になって,この住宅に入居した。阪神淡路大震災のことは,学校で習っただけで,両親からも,被災経験などは,あまり聞いたことはない。<ボランティアの趣旨を説明。ドアを開けて応答>

・80代女性。須磨区で全壊。「3年間学校へ,そして仮設(住宅)に入り,国や県,市,又,ボランティアの皆様にお世話になりました。本当にありがとうございました。」<自身でシート記入>

・70代?女性。ボランティアごくろうさまです。うちは大丈夫です。もっと上の階の人もみてあげて。<玄関先でお話し伺い>

・30〜40代女性。この復興住宅に入居して2年ほど。一般入居で,被災者ではない。<インターホン越しに応答>

・60〜70代男性。「ああ,ええわ。」<ボランティアの趣旨を説明。インターホン越しに応答>

・60〜70代女性。「ちょっと手が離せないので…。」<インターホン越しに応答>

・70代女性。垂水区で一部損壊。「ご苦労様です。」<自身でシート記入>

2016-05-08 ↑TOP


第74(新生199)回訪問活動準備 (2016/03/25) レポート 〈街が眠りにつこうとする中で,仮設・復興住宅訪問通算641回〉

20160326-27予告ビラ毎度This is 神戸・週末ボランティアをご覧くださいましてありがとうございます。

神戸・週末ボランティア 新生では,復興住宅への訪問活動の準備を,させていただきました。3月に引き続いて,「「3.11」から5年 「息の長い支援」は神戸の山間から」というテーマを掲げました。

今回も,夜遅くなってからの準備となりました。最寄り駅前のショッピングセンター・須磨パティオが閉まろうとする時間帯と,これまでにない直前になっての御願いとなりました。

翌26日に伺う予定のお宅のドアポストに,訪問予告のビラを入れさせていただきました。

この復興住宅は,旧グループ10年以上前伺っていたところです。引き続き被災された方が多くお住まいと思われる中,その後について,あるいは改めて,最近のご様子なども,お聞かせいただこうというものです。

20160324「神戸新聞」神戸・週末ボランティア新生案内「3.11」から5年 「息の長い支援」は神戸の山間から最寄り駅は,神戸市営地下鉄の名谷駅ですが,同駅以西では地上区間が多くなる一方,都心方面の地下線では,長く携帯電話の電波が通じない状態でした。

それも2015(平成27)年度末に解消されるとのことで,それを待っての訪問活動の実行となりました。

準備に先立ち,3月24日の「神戸新聞」紙面でもご紹介いただきました。

ご協力いただいた皆さんをはじめ,Yahoo! JAPAN 登録純正サイトThis is 神戸・週末ボランティアや,MixiコミュニティMixiページFacebookページGoogle+LINE@Twitter - welove_kobeを通じて,ご縁をいただきました皆様に改めて,感謝いたします。

2016-04-07 ↑TOP


第73(新生198)回訪問活動 (2016/03/13) レポート 〈東日本大震災から5年が過ぎて,仮設・復興住宅訪問通算640回〉

神戸市営住宅・ベルデ名谷 早春の彩り毎度This is 神戸・週末ボランティアをご覧くださいましてありがとうございます。阪神淡路大震災から21年が過ぎ,東日本大震災からも5年が過ぎました。

神戸・週末ボランティア 新生では,復興住宅への訪問活動を,させていただきました。

神戸市営住宅・ベルデ名谷今季のテーマは,「「3.11」から5年 「息の長い支援」は神戸の山間から」です。伺ったのは,前々日である3月11日の準備,前日12日の訪問と同じく,イカナゴ漁のシーズンをむかえた,神戸市垂水区の市営住宅・ベルデ名谷です。急峻な斜面上に造られた高層住宅で,当ボランティアでの訪問も,回を重ねるごとに,必然的に,高層階へと集中していきます。

住み慣れた地を離れてやってきたまま歳月を重ねるなか,高齢化の進行とも相まって,どうしても人間関係が希薄化するだけでなく,外出そのものも困難になっていく姿がうかがえます。そうした中で,貴重な,また,切実なお話しをうかがうことができました。

阪神淡路大震災の被災地・神戸の中でも西にあるこの住宅は,距離的には,東日本大震災の被災地とは,もっとも離れたところにあるといえますが,高台への集団移転が求められている東日本大震災の被災地とは,非常に近い,また共通する点が多いことは,すでに述べたとおりです。

2016031213予告ビラ被災時点ですでに,過疎化や高齢化が進んでいた,東北の被災地は,阪神淡路大震災の被災地が,20年以上かけて徐々に深化してきた問題が,比較的早くから,場合によっては当初から,顕在化しているといえます。

新たな被災者を思いやる声の中にも,阪神淡路大震災の時は自分もまだ今より若かったから助かって,今までなんとかやってこられたものの,年老いての被災はもっとたいへんだろうといったものも目立ちます。

閉店したマクドナルド垂水名谷店こうした時期,東日本大震災の被災地・被災者に思いを致すことは,とりわけ,大切であり,忘れてはならないことです。そうした中,あえてそれまでの被災地にあり続ける中にあって,新たな被災地・被災者支援における教訓もまた,学び,取り入れていく必要があります。

常に「役立ちと学び」をリフレッシュさせていく姿勢と方法があればこそ,継続しての取り組みの意義があるといえるでしょう。

ご協力いただいた皆さんをはじめ,Yahoo! JAPAN 登録純正サイトThis is 神戸・週末ボランティアや,MixiコミュニティMixiページFacebookページGoogle+LINE@Twitter - welove_kobeを通じて,ご縁をいただきました皆様に改めて,感謝いたします。


この日伺ったところの概略です。

・80代女性。兵庫区で全壊。住んでいた文化住宅はペシャンコになっり,家財も持ち出せなかった。地震のときは2階にいたが,真っ暗になり,どこにいるのかわからなかった。布団の中にいたが,脱出する時に,電気が落ちてきてケガをした。夜が明ける頃、隣の人に「窓開けて!」と言われ,助けてもらった。西区の仮設住宅で4年過ごした。大勢の人がいるところで,自ずと怖い目に遭ったこともあったが,今となっては,仮設住宅にいた時の賑やかさがなくなったのが寂しい。同じ仮設住宅から来た人で,少し若い人たちとは,今でもつきあいがある。この復興住宅に入居して16年。こんなに高い建物の,てっぺん近くにいたことはない。近所づきあいもない。初めに一緒に入った人が亡くなっていった。そのあとに新しく入ってきた人に変わっていっている…。入居した頃は60代だったのに,今は80代。足が悪くなり,椅子つき押し車の歩行器で外出する。一人では不安。ヘルパーに週1回,買い物を頼んでいる。自分で選べないから,食べるものは,いつも同じに。ふれあい喫茶も行われるようになったが,いつも行く人が限られていて入っていきにくい。これも人生かとあきらめて,毎日を暮らしている。テレビと電気は24時間つけっぱなし。さみしいから。夜になるとさみしいし,朝になるとうれしい。外出しないから,日にちが分からなくなった。テレビで曜日を思い出す。ここは高いから,外を見ないようにしている。うちでテレビを見て過ごすことがほとんど。1日に1回も人としゃべらないことが多い。エレベーターを降りて,親しくしていた人と会った時は話しもするが。1〜4週間に一度は薬をもらいに行く。ヘルパーに入浴介助を頼んでいる。デイサービスにいっても,人と話さないことがほとんど。体操のインストラクターはよくしてくれる。どこへ行っても,,ボスみたいに偉そうにしている人がいて苦手なので。最近の医者が言うことはよく分からない。聴診器を当てたりすることはなく,パソコンに向かってるだけ。薬の能書きなどは,薬剤師さんに詳しく聞いている。時がたてば,つらい目に遭わせた人とも,仲直りできるかと思っていたが…。<玄関内でお話し伺い>

・70代女性。須磨区で被災。避難できる場所がなかなか見つからず,結局,近くの学校の体育館に避難した。仮設住宅になかなか当たらなかった。やっと入れた仮設住宅は西区だった。震災時勤めていた会社が早く復旧したので仕事はできたが,通勤には不自由した。この復興住宅へ入居して16〜17年。同じ仮設住宅から一緒に来た人もいる。ここへ来てからも,いろいろたいへんだった。(同じ被災者といっても)いろいろなところから,いろいろな人が来ているので,人間関係はたいへんだった。つきあいがあった,親しくしてきた人も,最近では,亡くなったり,出ていったりしている。初めのうちは,家賃を補助してくれたが,上がってきてたいへん。退職したあたりから,腰が痛くなった。今では,買い物をするのもたいへんで,ヘルパーを頼んだりしている。自分で外出する時は,カートを押して,住宅から少し離れたスーパーなどに行く。月1度、住民で掃除をしていたが,身体への負担が大きいのか,仲間も参加率も減ってきた。前は,たいがいのことは,自治会の役員さんに言えば,何とかしてくれた。今は近所づきあいもなくなった。1月からエアコンを入れた。この棟は,山が迫っているので,虫が上ってくる。下の階ではヘビも…。仮設住宅にいた時も,この住宅に来てからも,ボランティアの訪問を受けた経験はない。<玄関内・お部屋でお話し伺い>

・80代男性。須磨区で全壊。「私は仕事をしていますので,話し相手もいますし,淋しくは有りません。そして自分の事は自分で全部出来ますので今の処別に何も有りません。休みの日は外出で家に居ません。」<自身でシート記入>

・30代男性。「どういうふうに,回って(訪問)してるの?」<エレベーターに乗り合わせたところにお声がけ。当ボランティアの趣旨と方法を説明>

・70代女性。「ごくろうさまです。」<エレベーターに乗り合わせたところにお声がけ>

・70代男性。「風呂入ってんねん…。」<しばらく経って,ドアを開けて応答>

・50〜60代(?)男性。うちは大丈夫です。<インターホン越しに応答>

2016-05-06 ↑TOP


第72(新生197)回訪問活動 (2016/03/12) レポート 〈イカナゴのシーズンに,仮設・復興住宅訪問通算639回〉

神戸市営住宅・ベルデ名谷毎度This is 神戸・週末ボランティアをご覧くださいましてありがとうございます。

阪神淡路大震災から21年が,東日本大震災からも5年が過ぎました。神戸・週末ボランティア 新生では,復興住宅への訪問活動を,させていただきました。

今季は,「「3.11」から5年 「息の長い支援」は神戸の山間から」というテーマを掲げました。

前日遅くなってから,訪問の告知などの準備をさせていただいたため,急なお願いとなった中で,伺うことになりました。案の定,ドアポストに「予告ビラ」が残ったままのお宅も少なくなかったのですが,貴重なお話しを伺うことができましたことに,深く感謝いたします。

垂水東口・いかなごのモニュメント例年、2月の終わりから3月の初めにかけて,播磨灘と大阪湾での,イカナゴのシンコ漁の解禁日が設定されます。このところ2月終わり頃が多かったのですが,今2016年は,3月に入ってからの,今世紀になってからはもっとも遅い解禁日となりました。

当ボランティアでは,これまで何度も伺ってきたベルデ名谷など,垂水区内の復興住宅への訪問の際には,JR・山陽電車の垂水駅前を集合場所にしています。集合場所の広場には,イカナゴのモニュメントがあり,それを目印にさせていただいています。

駅前の商店街や市場では,この日水揚げされたイカナゴを買い求める人の,長い行列ができていました。

もともと,神戸・垂水や播州地方では,稚魚のうちに水揚げしたイカナゴを,みりんや醤油、砂糖などで,飴色に煮込んで,釘煮にしていました。阪神淡路大震災後,支援のお礼にと,全国各地に送ることが,いっそう広まったともいわれています。

2016031213予告ビラドアポストに残された予告ビラちなみに,イカナゴはコウナゴ(小女子)とも呼ばれますが,東へ,北へと,地域が変われば,それだけ成魚になったものを水揚げすることになります。東日本大震災の被災地でもある東北地方では,シラスのようにしていただいているようです。

そうした,同じ垂水区にある復興住宅ですが,被災されて,あるいはその他の事情で,入居された方の多くは,神戸市内の他の地域から,やはりそれまで住み慣れた地と離れた仮設住宅を経て,来られたので,こうした地元出身の方はむしろ少数で,地元ならではのカルチャーやライフスタイルとも,縁が深いというわけではありません。

そうした中で,年月を経ることの意味を,深く考えさせられるものがありました。


この日伺ったところの概略です。

・90代女性。一人暮らし。長田区で全壊。住んでいた文化住宅は倒壊した。知人がやっている文化住宅に入居し,仮設住宅には入らなかった。この復興住宅に入居して16年。市に申し込んだら,すぐに鍵を開けてくれて,入ることができた。不便なところへ来たものだなぁ…。(仮設住宅入居者が優先される中で)補欠ではなかった。一緒に入った人も,同じように年を取って,歩けなくなって,近所づきあいもたいへんに。最近はみなうちに引っ込んでいる。同じひとつの屋根の下にいたのだから,(亡くなる方がいると)わびしい。最期はちゃんと送ってあげたい。苦しんで死ぬよりは,早くても楽にとも。(ボランティアの訪問活動を)続けてきてくれたことは安心だが,「がんばろう」と言ってもらいたくない。ここに来た最初の頃は,いろいろな人が来て、よくしてくれたが,この4〜5年は,することがなく,来る人もなくなった。同窓会の仲間の友人が4〜5人いたが,2〜3人に。昨年10月に,市から訪問調査の人が来た。身体の調子が悪い時に不安になる。今困っているのは買い物。息子と娘がいて,どちらもよくしてくれて,いつでも来るようにと言ってくれるが…。テレビと新聞だけの知識だが,しっかりしているつもり。東日本大震災や常総水害のニュースをみると,かわいそう。明日は集会所でふれあい喫茶が行われるので,モーニングをいただいてくるつもり。週明けには通院…。住宅近くのコンビニがなくなって,古着屋になったが,百均かミニスーパーになってくれた方がよかった。マクドナルドのあとがミニスーパーになってくれれば…。介護保険で週1回、送迎つきでヨガ体操に行っている。10年ぐらい前からしていたが,ここでは高齢者向けにいろいろメニューがある。週1回,ヘルパーに来てもらって,掃除を頼んでいる。<玄関内でお話し伺い>

・80代女性。長田区で半壊。ケガなどはしなかった。避難しようとしたら,2階から下りる階段が落ちていた。近くの小学校に避難し,さらに船で避難。迎えに来てくれた娘の許へ身を寄せた。夫が震災前年の秋に手術をしたあとで,術後の体調がたいへんだったこともあり,仮設住宅には行かず。この復興住宅に入居して16年。ここは便利悪いところで,つくづく身にしみる。以前は住宅の下の出たところにコンビニがあって,まだ便利だったが…。16年も経てば,どこも変わってくる。人間関係も大きく変わってきた。後から入居してきた方の方も多くなったみたい。どこの人も,お歳をとって,亡くなっていく。グランドゴルフ,手芸など,いろいろ趣味が多い。夫は,この復興住宅にてから倒れ,車イス生活に。亡くなるまでいろいろ病気や手術をした。今は姉の介護がたいへん。震災に遭った時は,まだ若かったので,何とかなったが…。<玄関前でお話し伺い>

・90代女性。一人暮らし。須磨区で全壊。住んでいた家はペシャンコになった。避難所になっていた学校に行ったら,いっぱいだった。垂水区の仮設住宅に。避難所を経て,仮設住宅に入って,人間が変わったように思う。震災をきっかけに,それまで関わらなかった人とも関わるようになったので。この復興住宅に入居して16年。ここは山が近いと思って選んだ。ほんとうは歩くのもしんどいほど,身体が悪いが,身の回りのことは自分でするようにしている。ヘルパーには買い物だけを頼んでいる。ヘルパーも70歳になるので,たいへんそうで気の毒に…。<玄関前でお話し伺い>

・90代女性。長田区で被災。この復興住宅に入居して16年。西区の仮設住宅で4年過ごしたが,同じ仮設住宅から来た人もいる。被災した頃、あの時は若かったと思う。今の東北の人たちの方が気の毒。この1月末に入院して,この間退院したばかり。1月前まで元気だった。腕や腰などが痛い。歩行器をかりて使っている。<玄関前でお話し伺い>

・80代女性。兵庫区で全壊。「主人が昨年死亡致し,今は一人で頑張っております。年よりですが,体がじょうぶですから,今の所,何も心配いりません。ありがとうございます。そっとして下さいます様,宜しく御願いいたします。」<自身でシート記入>

・80代女性。この復興住宅に入居して16年。(被災はしたが)仮設住宅には入っていない。困っていることはないが,身体は…。<玄関前でお話し伺い。ボランティアの趣旨を説明>

・70〜80代女性。ごくろうさまです。<エレベーター前で「こんにちは。ボランティアの者です。」とお声がけ。>

・70〜80代男性。「うん…。」<住宅階下のエレベーター・階段付近でお会いしたところにお声がけ>

2016-05-04 ↑TOP


第71(新生196)回訪問活動準備 (2016/03/11) レポート 〈東日本大震災「3.11」から5年,仮設・復興住宅訪問通算638回〉

2016031213予告ビラ毎度This is 神戸・週末ボランティアをご覧くださいましてありがとうございます。阪神淡路大震災から21年が過ぎ,東日本大震災からも5年の日となりました。

神戸・週末ボランティア 新生では,復興住宅への訪問活動の準備を,させていただきました。

この日は,東北の被災地をはじめ,全国各地で,犠牲者追悼の行事が行われました。地震発生時刻の14時46分に合わせて黙祷をするところが多いのですが,犠牲になられた方々の圧倒的多数が,津波によるものであることから,被災地・被災者の中には,その地に,津波が襲ってきた時刻にあわせて黙祷を捧げるというところもあるようです。

神戸市内でも,14時46分に合わせて黙祷をする行事が行われていました。都合によりそうしたものに参列できなかったため,津波に襲われたであろう15時半過ぎに,黙祷させていただきました。

1月には,「希望の灯り」とともに伺った,神戸市内の復興住宅ですが,厳冬期の2月の訪問は差し控えさせていただきました。また,東日本大震災支援関係の行事が,3月11日の前の週末に集中することが多かったため,それとの重複を避けるべく,今2016年は,これに続く週末に復興住宅訪問活動をさせていただくことにしました。

今月は,「「3.11」から5年 「息の長い支援」は神戸の山間から」というテーマを掲げました。

諸般の事情により,今回もまた,訪問前夜になってからの「予告ビラ」投函となってしまいました。あわせて,12日・13日の訪問戸数も少なめにさせていただきました。

ご協力いただいた皆さんをはじめ,Yahoo! JAPAN 登録純正サイトThis is 神戸・週末ボランティアや,MixiコミュニティMixiページFacebookページGoogle+LINE@Twitter - welove_kobeを通じて,ご縁をいただきました皆様に改めて,感謝いたします。

おかげさまで,これに先立ち,3月3日,純正Twitterアカウント@welove_kobeのフォロワーさんが2000を超えました。引き続き,阪神淡路大震災の被災者に寄り添っていきたいと思います。これからもよろしくお願いいたします。


この日伺ったところの概略です。

・80代・60代女性。明日は都合悪いので…。困っていることはない。<帰宅途中,廊下であいさつした後,自宅に戻り,予告ビラを見つけてお声がけ。ボランティアの趣旨を説明。>

・80代女性。こんばんは。ごくろうさまです。<エレベーター前で>

・70代(?)女性。こんばんは。

2016-03-19 ↑TOP


「阪神淡路大震災1.17希望の灯り」分灯採火式 (2016/01/10) 参列レポート

「1.17」新ポスターとともに毎度This is 神戸・週末ボランティアをご覧くださいましてありがとうございます。阪神淡路大震災から21年の年を迎えることになりました。

「希望の灯り」分灯「希望の灯り」を前に新たな活動主体,神戸・週末ボランティア 新生のもと,リフレッシュ・スタートした2013年以来,2014年2015年に続いて,三宮・東遊園地の一角にある,「慰霊と復興のモニュメント」のそばにある「1.17希望の灯り」で行われる「分灯」の採火式に臨み,その分灯とともに,神戸市内の復興住宅訪ね,「お話し伺い」〜傾聴ボランティア〜をさせていただくとともに,慰霊と追悼のひとときをともにさせていただいています。

「希望の灯り」の分灯を囲んで犠牲者の鎮魂・慰霊をする取り組みは,もともと,旧グループにおいて,震災ボランティアとしての基本と原点をともにすることをめざして行ったものですが,このときは,形式的次元をもってすることが精一杯となってしまい,その趣旨と目的を達成する内実には遙か遠かったことから,これを教訓として,コンセプトと方法を根本的に改めました。

「1.17」新ポスター東日本大震災以降,いっそう忘れ去られることとなり,被災者の高齢化など相まって,追悼行事の継続・参加が難しくなりゆく中で,それならば,ボランティアの側から「出前」をしようと,新たなスタイルで始めたものでした。

1・17追悼の火、各地へ 希望の灯り分灯始まる 神戸新聞 2016/1/102016年は,初回の分灯式が午前中となり,急ぎ主宰者が参列させていただきました。

今年から,追悼行事の趣旨や実行主体,担い手が変わろうとする中,例年に続いて参列する方や団体の姿に,頼もしさを覚えるとともに,犠牲者の鎮魂と慰霊に思いを致し,原点を忘れず,「「息の長い支援」は神戸から」の取り組みを,引き続いて行っていきたいと思います。



阪神大震災21年・希望の灯り 「分灯」で全国につなぐ 産経新聞 2016/1/10ご協力いただいた皆さんをはじめ,Yahoo! JAPAN 登録純正サイトThis is 神戸・週末ボランティアや,MixiコミュニティMixiページFacebookページGoogle+Twitter - welove_kobeを通じて,ご縁をいただきました皆様に改めて感謝いたします。

1・17追悼の火、各地へ 希望の灯り分灯始まる 神戸新聞 2016/1/10
阪神大震災21年・希望の灯り 「分灯」で全国につなぐ 産経新聞 2016/1/10

2016-02-02 ↑TOP


第70(新生195)回訪問活動 (2016/01/09) レポート 〈宵えびすの日から,仮設・復興住宅訪問通算637回〉

夕焼けに染まる4番館毎度This is 神戸・週末ボランティアをご覧くださいましてありがとうございます。阪神淡路大震災から21年になりました。

関西では宵えびすに当たる1月9日,神戸・週末ボランティア 新生では,復興住宅への訪問活動を,「「「1.17」を忘れない!「希望の灯り」とともに 2016」として,行いました。

垂水東口・いかなごのモニュメント前で「希望の灯り」分灯を5番館高層階で、吹き込む強風にもま負けず新たな活動主体となった2013年以来,2014年2015年に続いて,今2016年も,1月の訪問活動では,三宮・東遊園地の一角に灯る,「阪神淡路大震災1.17希望の灯り」の分灯とともに伺っています。

これは,震災以来,年月が経つ中で,被災者の高齢化や資金不足など,諸般の事情から,追悼・慰霊行事が縮小・中止されるなか,それなら訪問するボランティアの側から「出前」をしようと,始めたものでした。

この日も伺った垂水区の神戸市営住宅・ベルデ名谷では,昨2015年まで,住民によって,集会所にて,1月17日の早朝に追悼行事が行われていましたが,今年は行われる予定はありません。また,震災後,被災地各所から集まった住民の方には,この場所においてではなく,震災の時まで暮らした場所で,それまでともにあった方と偲びたいと思わる方も,少なくないことでしょう。

神戸市営住宅・ベルデ名谷、最高層階から明石海峡方面を望む「希望の灯り」の分灯の採火は1月10日からなので,今回の訪問活動には間に合いません。そこで,昨2015年,阪神淡路大震災20年の年に,採火式参列と復興住宅訪問に使用したロウソクを,引き続き使用して伺うことにして,翌10日に改めて,採火式に参列しました。

訪問先への予告・準備は前日の8日にさせていただきました。また,それに先だって,7日の「神戸新聞」紙上でも,ご案内させていただいています。

この日は,垂水東口で「希望の灯り」の分灯を灯してから,現地に向かいました。

2016年1月9日訪問分、予告ビラ20160107神戸新聞記事:息の長い支援は神戸から前日の準備に伺ったときのような,強風が吹き抜けるようなこともなく,寒いながらも穏やかな天候の中での,訪問活動となりました。

阪神淡路大震災20年という節目を超えて,引き続き,貴重な「お話し伺い」とあわせて,慰霊と追悼のひとときをともにさせていただけたことに,心から感謝いたします。


この日伺ったところの概略です。

・60〜70代男性。兵庫区で被災。被災して10日ほど入院して,近くの学校の避難所へ行った。自身で知人をなくしたことを知った。ポートアイランドの仮設住宅を経て,この復興住宅に入居して10年以上。海のそばから山野中に変わって,たいへんだったが,もう慣れた。身体の具合のことで,市の職員に相談して,通所デイサービスなどを利用するようになった。利用する日は朝から出かけている。ヘルパーには週2回来てもらっていて,それでだいたい間に合っている。この復興住宅でも,昨年までは追悼行事があったが,ほとんど出なかった。行くのもたいへんで…。今年の1月17日は,普通に過ごすつもりだ。<ドアポストに予告ビラが残っていたが,ボランティアの趣旨を説明し,お話し伺いに>

・70代夫婦、2人暮らし。東灘区で全壊。仮設住宅は,グラウンドに造られ,100〜200戸もあるところで,そこでの生活は5年に及んだ。この復興住宅に入居して16〜17年。この住宅にはできた最初の頃から入っている。(復興住宅の申込・抽選で)ここしかないといわれて,仕方なくきた。入った時からここは不便だったけど,年齢がいくにつれてもっとたいへんに。特に買い物は不便。買い物は,まだまだ身体が丈夫というご主人が。<奥さんがドアを開けて応答,スポーツから帰ってこられたご主人と一緒に,玄関内・玄関前で,お話し伺いに。「希望の灯り」分灯とボランティアの趣旨を説明>

・60代女性。垂水区で被災。とくに被害はなかった。この復興住宅に入居して17年。避難所や仮設住宅には行かなかったが,ここができてすぐ入居した。身体の悪いところといえば,3ヶ月ほど前に腰の骨を折ったこと。まだ3割ほどしか骨がひっついていない…。<インターホン越しに応答>

・70代女性。これから出かけるところ。たいへんですね。がんばってください。これ何? (火は)消えないの?<インターホンを押そうとしたところにちょうど出てこられて,「希望の灯り」分灯のランタンをご覧になって聞かれた。「行ってらっしゃいとお声がけ」。玄関前でお話し伺い>

・40〜50代男性。垂水区で被災。とくに被害はなかった。この復興住宅に入居して6年。ここには一般入居で入った。特に困ったことはない。何の用事?<訪問予定のお宅の前で話しかけられた。ボランティアの趣旨を説明>

・80代女性。「具合悪くして寝込んでいるところ。」<ドアポストに予告ビラが残っていたが,ボランティアの趣旨を説明し,お身体の具合などを伺った。インターホン越しに応答>

・60〜70代女性。尼崎市で被災。身体は何ともない。まだ元気。今もっとも困っているのは,認知症の身内をみていること。

・子ども。「ボランティアって何?」<インターホンの向こうで,母親らしき女性に尋ねる>

・70〜80代男性。「あ,はい。」<ドアを開けて応答してくださったが,すぐ閉じた>

・40代?女性。「ありがとう。うちは結構です。」<インターホン越しに応答>

・70代女性。「すみません。今日,お友達なので…。」<ドアを開けて応答>

・30〜40代?女性。「いいです。」<インターホン越しに応答>

・80代女性。「けっこうです。」<インターホン越しに応答>

2016-02-18 ↑TOP


第69(新生194)回訪問活動準備 (2016/01/08) レポート 〈阪神淡路大震災21年の今年も,仮設・復興住宅訪問通算636回〉

神戸市営住宅・ベルデ名谷 入口附近毎度This is 神戸・週末ボランティアをご覧くださいましてありがとうございます。阪神淡路大震災から21年の年を迎えることになりました。

松の内を過ぎても残る「謹賀新年」新たな活動主体,神戸・週末ボランティア 新生の,2016年最初の活動は,復興住宅への訪問活動の準備からとなりました。

前日の7日には,1年間の無病息災の思いを込めて「七草がゆ」を召し上がった方も多いでしょう。かつて旧グループ仮設住宅訪問活動を行っていた頃には,年始最初の週末に,甘酒配りをしたこともありました。

震災20年を過ぎて,追悼・慰霊行事が縮小されていることは,周知の通りですが,実は,活動のスケジュールを設定するのは難しい面ができています。

今2016年は,1月17日が日曜日に当たることから,前日16日の土曜日とあわせて,限られた日にちや時間に,行事がかえって集中する面もあり,当ボランティアでは,第3週の週末には,独自の活動を行わないことにし,3連休となる1月第2週に,復興住宅への訪問活動を行うことにしました。

長期不在? ドアポストに残ったチラシなど空室が目立つ階下のポスト3連休に入る前日の1月8日の午後,このかん訪問活動を続けてきた垂水区の神戸市営住宅・ベルデ名谷に,翌9日に伺う予定のお宅に,訪問予告のビラを,ドアポストに入れさせていただきました。今回は,時折強い風が吹き抜ける中,冷え込む前の早めの時間帯にさせていただきました。

新たな活動主体となって以来,1月の訪問活動には,「希望の灯り」の分灯とともに伺ってきており,今回も「「1.17」を忘れない!「希望の灯り」とともに 2016」として,続けます。「予告ビラ」には,その旨も記しています。

2016年1月9日訪問分、予告ビラ20160107神戸新聞記事:息の長い支援は神戸からこれに先立ち,前日7日の「神戸新聞」紙上でも,ご案内させていただいています。震災関連行事に先だって,地域や文化活動のイベントが増えている中で,ご紹介いただきました。

初心と原点を忘れず,新たな年も「「息の長い支援」は神戸から」の取り組みを,続けていきたいと思います。

ご協力いただいた皆さんをはじめ,Yahoo! JAPAN 登録純正サイトThis is 神戸・週末ボランティアや,MixiコミュニティMixiページFacebookページGoogle+LINE@Twitter - welove_kobeを通じて,ご縁をいただきました皆様に改めて,よろしくお願いいたします。


この日伺ったところの概略です。

・70〜80代男性・女性。こんにちは。<エレベータでお出かけになるところにお声がけ>

・30〜40代男性。こんにちは。<電動車イスでお帰りのところにお声がけ>

・70代男性。こんにちは。<自転車でお出かけになるところにお声がけ>

・50代女性。こんにちは。<車でお出かけになるところにお声がけ>

・70〜80代女性。ご苦労様です。<犬を連れて散歩中にお声がけ>

・70〜80代女性。こんにちは。

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