2015 神戸・週末ボランティア 新生
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We love KOBE Weekend Volunteer

阪神淡路大震災被災者支援を続ける、神戸・週末ボランティアは、2013年、
新たな活動主体神戸・週末ボランティア 新生のもと、リフレッシュ・スタートしました。

Blog This is 神戸・週末ボランティアもよろしく!

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第68(新生193)回訪問活動 (2015/12/05) レポート 〈「震災ボランティア、二十歳の原点。」仮設・復興住宅訪問通算635回〉

神戸市営住宅 ベルデ名谷 色づく晩秋毎度This is 神戸・週末ボランティアをご覧くださいましてありがとうございます。神戸・週末ボランティア 新生では,引き続いての取り組みをさせていただいています。

垂水東口 いかなごのモニュメント新たな活動主体のもとでの取り組みとなった2013年以降,既に1600戸をお訪ねしてきましたが,最後の復興住宅訪問活動は,年の瀬の慌ただしさが押し寄せる前の,12月に入って最初の週末に行うようにしています。

2015年も,3年続けて1年の最後の訪問を,垂水区の復興住宅,神戸市営住宅・ベルデ名谷において,させていただきました。

前日(12月4日)に,準備として現地をお訪ねしたほか,同日の「神戸新聞」朝刊紙面でもご紹介いただきました。

神戸新聞「掲示板」 20151204 神戸・週末ボランティア 新生 復興住宅訪問活動のご案内 まだまだやります。「息の長い支援」は神戸から訪問活動では,午後2時〜5時の間に,あらかじめ「予告ビラ」を入れて,お知らせしたお宅を,順次回って「お話し伺い」をさせていただくのですが,この日は,諸般の事情により,早めに終了させていただきました(予定したお宅は一通り回らせていただきました)。

いつもは遅い時間帯に、充実した貴重な「お話し伺い」となることも多く,そうした時間帯の方がご都合がよく,お待ちくださった方もいらっしゃったかも知れませんが…。申し訳ありません。

今季のテーマは「まだまだやります。「息の長い支援」は神戸から」としました。

予告ビラ 20151205訪問分今2015年は,阪神淡路大震災20年ということで,これを「節目」として,例年以上に追悼・記念行事を拡充させて行われ,それに足を運ばれた方も多かったことと思います。

神戸・週末ボランティア 新生では,「震災ボランティア、二十歳の原点。」を,2015年の年間テーマとしました。初心と原点を忘れず,しかもその一方で,新たな課題に取り組み,ニーズとのマッチングをはかることを,目指してきました。

既に震災から21年目となっていますが,来2016年には,中止・縮小される行事等も目立っています。そうした中,例年より早めに,当ボランティアでは,来たる年の準備に入らせていただきたいと思います。

ご協力いただいた皆さんをはじめ,Yahoo! JAPAN 登録純正サイトThis is 神戸・週末ボランティアや,MixiコミュニティMixiページFacebookページTwitter - welove_kobeを通じて,ご縁をいただきました皆様に改めて感謝いたしますとともに,新たな年がよき年となりますことをお祈りいたします。。


この日伺ったところの概略です。

・少年。この復興住宅で生まれ育ったわけではないが,10年以上はすんでいる。親が被災して入居したようだが,地震の時の詳しいことは聞いていない。震災のことについては,学校でもあまり習っていないが,1月17日が近づけば多少は教わることもあるかもしれないし,追悼行事のつどいに出るかも。

・70〜80代女性。デイサービスから帰ってきたところ。この復興住宅に入居して長い。困った時には電話しますのでよろしく。<当初訪問時は留守。訪問中にエレベーターでヘルパーとともに帰宅するところに出会い,ボランティアの趣旨を説明>

・50〜60代男性。(震災の時にことは)だいぶ前のことなので,もう忘れたことも多いし,忘れたいこともあるので,インタビューなどはお断りしています。身体悪いところや,困っていることなどはありません。<インターホン越しに応答>

・少女。(お困りのことは?)「ないです。」(地震のことは?)「わからない。」<インターホン越しに応答。ドアポストの予告ビラが残されたままだったので,ボランティアの趣旨を説明>

・50〜60代女性。「何のボランティア?」,「(ビラ)見とくわ。」<後から出てきてお尋ねになったので,予告ビラを入れた旨やボランティアの趣旨を説明>

・60代(?)女性。(お困りのことは?)「ないです。」(お身体はいかがですか?)「大丈夫です。」<インターホン越しに応答>

・70代男性。今朝めまいがした。医者の帰りや。<エレベーターに乗り合わせた際,お話し伺い>

・70〜80代男性。「けっこうです。」<インターホン越しに応答>

2015-12-31 ↑TOP


第67(新生192)回訪問活動準備 (2015/12/04) レポート 〈神戸ルミナリエの初日ですが,仮設・復興住宅訪問通算634回〉

阪神淡路大震災1.17希望の灯り&神戸ルミナリエ2015毎度This is 神戸・週末ボランティアをご覧くださいましてありがとうございます。神戸・週末ボランティア 新生では,引き続いての取り組みをさせていただいています。

神戸市営住宅 ベルデ名谷 晩秋約1ヶ月半ぶりの,今2015年最後の復興住宅訪問活動に向けて,準備のため現地に足を運びました。

旧グループで訪問させていただいた頃には,まだ小さかった植栽も,いつしか生長し,季節ごとの彩りをみせるようになりました。

予告ビラ 20151205訪問分好天に恵まれた中での取り組みでしたが,師走ともなれば冷え込みもあり,お会いした方から「寒いね」との声も聞かれました。

この日の「神戸新聞」でもご案内させていただきました。

新たな活動主体のもとでの取り組みを始めた2013年以来,続けてきましたが,阪神淡路大震災20年の本年も,年の瀬の慌ただしさの前に,伺うことにしました。

神戸新聞「掲示板」 20151204 神戸・週末ボランティア 新生 復興住宅訪問活動のご案内 まだまだやります。「息の長い支援」は神戸からこの日はまた,21回目となった,神戸ルミナリエの初日でもありました。犠牲者の鎮魂という,もともとの趣旨から,東日本大震災以降,「節電」が求められる中,白熱電球が多く用いられてきましたが,今回は,「復興」にかえて集客が全面に押し出され,経費の節減から,オールLED化された,青白い光になりました。

会場の東遊園地の一角にあって,こころのぬくもりをもたらし続ける「希望の灯り」に足を運んだのはもちろんです。

そうした趨勢にあっても,被災者に寄り添うにふさわしい姿勢を常に追求することを忘れないで,望みたいと思います。


この日伺ったところの概略です。

・70〜80代女性。「こんにちは。寒いね…。」<ボランティアの趣旨を説明>

・70代男性。「寒いね。これでも風がないだけ,体感温度だいぶぬくい。」

・70〜80代女性。エレベーターで乗り合わせ,降りる時にごあいさつ。

・少女。エレベータに飛び乗ってきて,まもなく降りた。<2人>

2015-12-31 ↑TOP


第66(新生191)回訪問活動 (2015/10/25) レポート 〈今,改めてミッションを問い直す,《新生》復興住宅訪問1600戸〉

垂水東口 20151025毎度This is 神戸・週末ボランティアをご覧くださいましてありがとうございます。神戸・週末ボランティア 新生では,引き続いての取り組みをさせていただいています。

神戸新聞「掲示板」 20151022 神戸・週末ボランティア 新生 復興住宅訪問活動のご案内 まだまだやります。「息の長い支援」は神戸から前日(10月24日)に続いて,復興住宅訪問活動をさせていただきました。場所は垂水区の神戸市営住宅・ベルデ名谷です。前日分とあわせて,23日夕方に「予告ビラ」を投函し,さらにその前日,22日の「神戸新聞」でご案内させていただきました。

予告ビラ2015102425この復興住宅は,1000戸近い,7棟からなる高層住宅群ですが,回を重ねる中で,高層階や奥まったところへの訪問の機会が増えました。

そのため,毎回の訪問戸数は,今2015年に入ってから抑え気味にしています。その分,じっくりと,その時,その方ならではの「お話し伺い」をさせていただいています。

最近では,この地で育っていきつつある子どもも増えていますが,阪神淡路大震災前,またこの復興住宅の竣工前から,この地に住んでいた方は誰もいません。そして,自ら希望して来た方もいません。

やむを得ない,ここしかないという状況下での「選択」を強いられてきた方ばかりです。

ベルデ名谷 20151025 1番館 空き家が目立つポストベルデ名谷 20151025 1番館当ボランティアが「お話し伺い」〜傾聴ボランティア〜をさせていただくことで,どのような役立ちと学びがあるでしょうか。それは,どのようなミッションかということと同じ問いとなります。直接には,地域や人々の心の風通しをよくする,ことになりますが,その先はそれぞれです。

この地における生活をヨリよいものとしていくためであることもあれば,ヨリよい地と状況のもとでの生活をしていくためであることもあります。

ベルデ名谷 20151025 1番館ベルデ名谷 20151025 3・4番館からの夕暮れそれぞれの,自らがありたいと望む状況の実現に,少しでも,気持ちの上だけであっても,近づけるようにお手伝いをさせていただくことといえるでしょう。

それが「宗教や政党などまったく関係のない民間のボランティア」としてのミッションです。

ご協力いただいた皆さんをはじめ,Yahoo! JAPAN 登録純正サイトThis is 神戸・週末ボランティアや,MixiコミュニティMixiページFacebookページTwitter - welove_kobeを通じて,ご縁をいただきました皆様に改めて感謝いたします。


この日伺ったところの概略です。

・80代女性。須磨区で一部損壊。この復興住宅に入居して14年。これから出かけるところ。近くの山を2時間ほどウォーキングしている。笠が杖代わり。木の根に日かかって転倒しそうになったこともあったが,笠があって助かった。ここに転居してくる際,家具を処分しようとしたが,買い取り価格が安くて業者と折り合わず,粗ゴミにすると高く撮られるので,そのままもってきた。定期島な業者を探しているのだが…。
「(震災後ご苦労されたことは?)お水,お風呂,連絡が取れない。(今心配なことは?)突然死,葬式費用(直葬の場合)。現在一番困って居る事:家財道具の整理…。」<自身でシート記入,玄関前でお話し伺い>

・80代女性。長田区で被災。この復興住宅に入居して2年。長田区内の,神戸市がURから借り上げた借り上げ復興住宅に住んでいたが,年金暮らしで,家賃が高くなってたいへんになってきていたので,ここへ移ってきた。ここへ来たばかり時は,毎日,こんなところへ来るんじゃなかったと思った。自分からは,人に話しかけるように心がけているのだが。この住宅の人は,あまり近所づきあいがない人が多い。いろいろなボランティアとかも来たりするが,心を開いていいかどうかよく分からなかったりする。<住宅内の坂道のベンチで座っているところでお話し伺い>

・70〜80代女性。長田区で被災。大きな家を建てて10年で地震に遭った。この復興住宅に入居して14年。ここへは一般入居で,仮設住宅にも入っていない。週1回ヘルパーに来てもらっているが,トイレは人に任せたくない…。病院に通うにもタクシー代がたいへん。往きは(下り坂だから)バスでもまだいいけれど,帰りはダメ。年金暮らしでたいへん。ウソつく人は大嫌い。割のいい金儲けの話をする人は信用できない。人に迷惑を欠けないように生きていきたい。<ボランティアの趣旨を説明しつつ,玄関内でお話し伺い>

・40代男性。中央区で全焼。妻の出産が近づいていた時期だったので,大阪に避難,出産に。その後神戸に戻り仮設住宅に。この復興住宅に入居して16〜17年。この日は休みだった。仕事に行くときはいつも単車で。3年ほど前に,階下の駐輪場に置いていたらイタズラされたりしたので,i以来ずっと玄関内で保管している。震災の年に生まれた子どもはもう就職しているし,一番下の子は高校生だがバイトしている。子どもたちはみんな,ちゃんとあいさつして,明るく前向きに育ってくれた。<玄関近くでお話し伺い>

・50代男性。中央区で被災。仮設住宅はポートアイランドだった。この復興住宅に入居して16年。ここはお年寄りばかりなので,近所づきあいはほとんどしていない。被災するまでは,生まれ育った地域で過ごしてきた。そこには今でも友達が居るし,つきあいも続けている。地元へ帰りたい気持ちは今でも強い。かつて住んでいたあたりの公営住宅にも空室があると聞くが,なんとか移れないものだろうか? <玄関内でお話し伺い>

・40代女性。この復興住宅に入居して3年。他所から来た。神戸に住んで5年しか経っていない。震災の経験はない。とばしといて。<インターホン越しに応答>

・70代男性。「ちょっと具合悪いので…。」<ドアを開けて応答。予告ビラの連絡先電話番号などを示し,ボランティアの趣旨を説明>

・40代?女性。「うちは(被災者ではなく,震災に)関係ないので,いいです。」<インターホン越しに応答>

・40〜50代女性。「いいです。」<インターホン越しに応答>

2015-12-30 ↑TOP


第65(新生190)回訪問活動 (2015/10/24) レポート 〈急なお願いにもかかわらず,仮設・復興住宅訪問通算632回〉

神戸市営住宅・ベルデ名谷 20151024毎度This is 神戸・週末ボランティアをご覧くださいましてありがとうございます。神戸・週末ボランティア 新生では,引き続いての取り組みをさせていただいています。

神戸新聞「掲示板」 20151022 神戸・週末ボランティア 新生 復興住宅訪問活動のご案内 まだまだやります。「息の長い支援」は神戸から残暑が続いた9月から1月半あまり,すっかり秋らしくなった中での復興住宅訪問活動となりました。

一足早く「神戸新聞」でご紹介いただきましたが,前日遅い時間になってから,この日伺うお宅へ「予告ビラ」を投函させていただきました。

予告ビラ2015102425これまでの活動の中では(おそらくは旧グループでの仮設復興住宅訪問を含めて),お知らせから実際の訪問までが最短となるものでした。急なお願いにもかかわらず,訪問に応じてくださったことに,また,貴重な「お話し伺い」をさせていただいたことに,感謝いたします。

阪神淡路大震災で被災されて,この復興住宅(神戸市営住宅・ベルデ名谷)に入居された方が,かつて過ごしたであろう市街地よりも,厳寒酷暑となる郊外にあっては,お出かけに好適な時期はいっそう限られてくるでしょう。また,そうした中にあっては,お身体の苦痛もやわらぎやすい時期かも知れません。

ベルデ名谷 20151024 住宅入口ベルデ名谷 20151024 4番館裏ベルデ名谷 20151024 坂道の紅葉急峻な斜面という地形も相まって,やはり気軽に外出という環境ではないでしょうし,年々それがこたえるという方も多いでしょう。

そうした中で,当ボランティアのような「よそ者」が敢えてお訪ねする意義は,一人一人との出会い,一つ一つの「お話し伺い」を通じて感じる手応えから,うかがい知ることができます。

役立ちと学びの原点を,改めて想起させていただく機会となりました。


この日伺ったところの概略です。

・70代男性。兵庫区で被災。地震の時は出先にいたので,ケガや被害はなかったが,出先でテレビを見て,被害の大きさに驚き,うちへと引き返した。一日がかりだった。戻ってみると,古い建物はみな倒壊していて,電気なども全部止まっていた。その日のうちに近くの学校の避難所へ垂水区内の仮設住宅で3〜4年過ごした。海に近く,強風もよく吹いてきた。買い物するにしても駅前まで歩いて行かねばならず,たいへんだった。この復興住宅へ入居して16年。ここにはまだ慣れない。急な坂道の上にあるし,すべてにおいて。最初はイヤで出たかった。最近は病院やスーパーもできても便利になってきたが,それでもスーパーにはバスで行かなければならない。シルバーパスがあるから出かけられる。近所づきあいはあまりない。それでも自治会の役員などが,何年に一度かは回ってくる。最近は若い人が入ってくることが多くなった。宗教の勧誘も同じ時間に回ってくることが多いので,(ボランティアや他の訪問も)よく断っている。身体はまだ健康。食事も自分で作れる。普段はテレビを見ていることが多い。先月初めて行われた住宅での「まつり」には行かなかった。以前,この住宅で行われていた盆踊りの時には,提灯や出店の準備などをしていた。多くの人と一緒にやった。住宅近くのコンビニがなくなって不便。買い物に行く人も少なかったから仕方ないかも。

・30代女性。被災時は大阪にいた。揺れたことは覚えているが,特に被害はなかった。当時夫は神戸にいて,地鳴りのような音がして,起きたのを覚えているという。この復興住宅に入居して6年。近隣に被災者がいることは知っている。今は子育てが何といってもたいへん。朝,子どもを起こして学校に行かせるだけで一苦労。子どもに好きなものをたくさん買ってあげられるよう,もっと働きたいのに働けない。近くに支援してくれる施設があれば…。<インターホン越しから,ドアを開けて応答。被災経験という感覚はないようで,「訪問されても何のことか分かりません」とのことだったが,ボランティアの趣旨を説明してお話し伺い>

・80代女性。娘が(一緒に)震災の話を聞きたいと,さっきまでいましたが…。普段は夫の介護に。ショートステイを利用し,子どもに迷惑かからないようにと頑張っている。身体は(年齢相応に)悪いところはある。通院もしている。<ドアを開けて応答>

・70代女性。中央区で被災。特に大きな被害はなかったので,そのまま住み続け,仮設住宅などには行かなかった。この復興住宅に入居して10年以上。困っていることは特にない。<インターホン越しに応答>

・10〜20代男性。この復興住宅に入居して2年。以前はよそで暮らしていて,それから,ここへ来た。困っていることは特にない。<ドアを開けて応答>

・30〜40代女性。「困っていることは特にないです。ありがとうございます。」<ドアを開けて応答>

・70〜80代男性。この復興住宅に入居して10年くらい。<インターホン越しに応答>

・70〜80代男性。「ちょっと具合が悪いので…。」<インターホン越しに応答>

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第64(新生189)回訪問活動準備 (2015/10/23) レポート 〈一夜漬けの準備で,仮設・復興住宅訪問通算631回〉

訪問準備をおえて・ベルデ名谷 20151023毎度This is 神戸・週末ボランティアをご覧くださいましてありがとうございます。神戸・週末ボランティア 新生では,引き続いての取り組みをさせていただいています。

予告ビラ2015102425猛暑が続いた間,しばらくお休みさせていただいた復興住宅訪問活動ですが,暑さもおさまった9月に再開,前回9月6日の訪問活動は,旧グループが避難所での取り組みを始めて以来,650回目の支援活動となりました。

今10月は,さらに過ごしやすい時期を選んでの取り組みをと思ってきました。

訪問準備・ベルデ名谷 20151023引き続き,テーマは「まだまだやります。「息の長い支援」は神戸から」としました。そして,2015年年間テーマは「震災ボランティア、二十歳の原点。」です。

都合により準備は,これまでになく遅くなりましたが,一足早く,10月22日の「神戸新聞」でご紹介いただきました。

神戸新聞「掲示板」 20151022 神戸・週末ボランティア 新生 復興住宅訪問活動のご案内 まだまだやります。「息の長い支援」は神戸からこれまで,前日までにさせていただいていた,訪問活動の準備ですが,夕刻を過ぎて現地に到着,24・25日にお訪ねする垂水?区内の復興?住宅に,訪問の「予告ビラ」を入れてきました。冷え込みもあって,行き交う方々の姿も少なく,現地を離れる頃には,月も高く昇りつつありました。

これまでにない,直前になっての準備で,まさに一夜漬け,といったところですが,ご協力いただいた皆さんをはじめ,Yahoo! JAPAN 登録純正サイトThis is 神戸・週末ボランティアや,MixiコミュニティMixiページFacebookページTwitter - welove_kobeを通じて,ご縁を戴きました皆様に改めて感謝いたします。

2015-11-15 ↑TOP


第63(新生188)回訪問活動 (2015/09/06) レポート 〈究極の「防災力」とは?,おかげさまで支援活動通算650回〉

ベルデ名谷20150906雨の中毎度This is 神戸・週末ボランティアをご覧くださいましてありがとうございます。神戸・週末ボランティア 新生では,引き続いての取り組みをさせていただいています。

ベルデ名谷20150906雨の中の訪問まだまだやります。「息の長い支援」は神戸から」のテーマのもと,猛暑が収まってから,3ヶ月近くぶりに,再開させていただいた復興住宅訪問活動ですが,この日は,前日(9月5日)分とあわせて,前々日(9月4日)に,訪問予定のお宅への「予告ビラ」を投函させていただきました。

場所は,垂水区のベルデ名谷です。前日までと違ってこの日は天気も崩れ,この時期としては冷たい雨が,時折強く降る中での訪問活動になりました。

新たな活動主体のもとリフレッシュスタートした2013年の,ほぼ同じ時期からお伺いしていますが,回を重ねるにしたがって,高層階への訪問が多くなっています。じっくりとお話しを聴かせていただこうと,最近は,毎回の訪問戸数を抑え気味にしています。

ベルデ名谷2015090506予告ビラ午後2時から5時の間に順次伺いますと予告していますが,遅い時間帯までお待たせすることも心苦しいので,なるべく早くとは思っているのですが…。

今回もまた,貴重なお話し伺いの機会となりましたことに感謝いたしますとともに,予定時間を過ぎての訪問となりましたことに,お詫びと反省をしたいと思います。

例年,9月1日の「防災の日」を含む1週間を「防災週間」として,防災訓練や行事が行われることが多くなっていますが,今2015年の「防災週間」は,8月30日(日)から9月5日(土)までとなっていて,今回はそれを過ぎての訪問活動となりました。

ベルデ名谷20150906訪問を終えて「防災の日」は,1923(大正12)年,日本近代史上最大の都市型災害ともなった,関東大震災が発生した日に因んだもので,目下のところ,現代の日本では最大の都市型災害である,阪神淡路大震災の被災地にあり続け,被災者に寄り添い続けようとする者として,今なお教訓とすべきことはたくさんあります。

防災はもとより,避難,救助,支援などについての,方法,方向性,あるべき姿などは,その後の社会情勢や環境といった要因から,変化して,今日に至っています。それらはいずれも,災害への備えや被災時・被災後における,具体的行動や,救助・救護,物質的支援のニーズについてです。

「防災力」といわれるもののほとんども,そうした次元のものです。しかしながら,そうしたものだけでなり立つものではありません。それらに先だって,根底にあり,基礎となるものがあります。

繰り返すまでもなく,避難すること,救助されること,支援を受けることなどは,いずれも権利というべきですが,そのためにも,先だって,知ることが重要であり,これまた権利といわねばなりません。

災害時には,物質的なライフラインとともに,情報も遮断されるのみならず,不正確な,誤った,さらには,被災者・支援者にとって有害無益な,情報も流れます。その出所や経路を確認したとしても,必ずしも的確な判断にはなりません。

判断は,時には即座に求められることもあれば,熟慮したからといって必ずしも最善のものに至るとは限りません。訓練やトレーニングで,ある程度スキルアップできるところもありますが,それには限りがあります。

判断や思考を根底的に支えるのは,感覚や感性ではなく,理性です。その理性の力やはたらきを高めることが,本質的に求められるといわねばなりません。

どのようなことが求められるかわからないにしても,可能であろうことは何でも取り組んでおこうという姿勢の人文科学的な知,あるいは教養といわれるものの蓄積によって,それは支えられます。直接機能し役立つことはほとんどありませんが…。

浅薄な言い方をすれば,「お話し伺い」〜傾聴を通じて,話し手の言語コミュニケーション力が高まる機会になることはもちろん,聞き手においてもまた然りでしょう。

これを単なるスキルや情報コミュニケーションといった次元にとどめてしまうのであれば,その意義も,本質的次元には至らないままになってしまいます。

その時々には実感がなかったり,理解できなかったとしても,後々ににふり返ってみたとき,理性のはたらきに何らかの寄与ができたならば,それにまさる意義はありません。

本質的・根源的に求められるべきは,理性の力にほかならず,それがすなわち,究極の「防災力」になるとの,確信をよりいっそう深めております。


蛇足ながら付け加えますと,今回は,仮設・復興住宅訪問通算630回にあたりますが,同時に,「週末ボランティア」(旧)の前身となるグループが,避難所での取り組みを始めて以来,650回目の支援活動でもありました。もちろん当時の記録に残されていない取り組みもあったでしょうから,実際はそれ以上でしょう。

阪神淡路大震災の被災地・神戸で被災者支援に取り組む者として,仮設住宅復興住宅においては,市街地・被災場所から遠く離れた郊外で不便・難儀されている被災者のお役に立とうというのが,活動の原点でした。またこれとあわせて,物質的な支援と切り離し,もっぱら「聴く」ことを基本にすえるスタイルを原則としました。

取り組みを通じて,こうした原点・原則を,どれだけ尊重し,活かしてきたか,常に自らを省みて,検証しなければならないでしょう。そうした姿勢を持ち続ける者こそが,真に継続・継承しているといえるでしょう。


ご協力いただいた皆さんをはじめ,Yahoo! JAPAN 登録純正サイトThis is 神戸・週末ボランティアや,MixiコミュニティMixiページFacebookページTwitter - welove_kobeを通じて,ご縁を戴きました皆様に改めて感謝いたします。


この日伺ったところの概略です。

・40代男性。長田区で全壊。生まれも育ちも長田で,新開地や三宮へ出るのも便利なところだった。垂水区の仮設住宅を経て,この復興住宅に入居して16年。ここの生活にはもう慣れた。気にしないようにと心がけてはいるが,物音が気になる。寝るときには音楽を聴きながら寝る。ドアを開ければ,蚊・ハエなどの虫が入ってくる。網戸をしてもダメ。ムカデも入ってくるので,粉の薬を撒いている。身体はあちこち悪く,しょっちゅう病院通い。通院のタクシー代がたいへん。補助などは出ないし,バスでは行きにくい。隣近所の人とはあいさつするが,別の階の人は,顔も名前も知らないし,姿を見かけることも少ない。何かあったら,この棟の会長さんに言うか,管理会社に言う。最近は住宅で若い人や子どもの姿を目にすることが多くなった。食料品や日用品など,住宅から少し離れたスーパーまで行かなければならないので不便。住宅近くのコンビニがなくなって不便。同じ場所がリサイクルショップになっても関係ないし…。通販とかもあるが,面倒くさいので,あまり利用しない。以前,もっと元気な頃には,三宮までよく行った。単車に乗っている頃は,長田までよく行った。将来が不安…。<玄関前でお話し伺い>

・90代男性。東灘区で全壊。家はペシャンコになってしまったが,焼けなかったので,取り出すことができた。近くの学校に避難した後,六甲アイランドの仮設住宅へ。「あんなところに居ろなんて…。」気を遣いすぎたのか,胃ガンになって入院。退院後にこの復興住宅に来た。妻は,引越ボランティアの助けも借りながら,できてすぐに,先に,この住宅に来ていた。この復興住宅に入居して16年。15歳で神戸に出てきて,製鋼所に勤め,戦中には一時従軍。新兵としてビンタを食らった。神戸空襲なども体験し,20歳で終戦に。終戦といってもほんとうは敗戦,天国と地獄ほど違う。戦後は鉄鋼の仕事がなくなり,大工に。子どもたちを育て上げ,職務永年精励で表彰。相楽園で行われた授賞式に娘とともに出席,市長から直接表彰状を受け取った。<お部屋に上げていただいてお話し伺い>

・50〜60代女性。尼崎市で被災。全壊したわけではなかったが,裏の家が倒れてきて,住めなくなった。家財が多く,持って行けなかったので,仮設住宅への入居はあきらめた。県外に避難しながら,復興住宅を申込み続けた。この復興住宅に入居して17年。膝が痛いので,住宅から少し離れたシーパーへ買い物に行くことができないので,タクシーで名谷まで行く。バス停がもっと近くにあれば便利なのに。この住宅内で仕事をしているが,きつい坂はなるべく避けていく。

・80代夫婦。この復興住宅に入居して17年。ここができてすぐに入った。<ドアを開けて応答。予定時間を過ぎての訪問>

・40〜50代女性。「とくに何もないです。ご苦労様です。」<インターホン越しに応答。予定時間を過ぎての訪問>

・60〜70代男性。「どういった御用ですか? けっこうです。」<インターホン越しに応答>

・30〜40代女性。「時間がないのでけっこうです。」<インターホン越しに応答>

・80代女性。「何ですか? いいです…。」<インターホン越しに応答>

2015-11-28 ↑TOP


第62(新生187)回訪問活動 (2015/09/05) レポート 〈高層階へ,仮設・復興住宅訪問通算629回〉

ベルデ名谷 20150905毎度This is 神戸・週末ボランティアをご覧くださいましてありがとうございます。神戸・週末ボランティア 新生では,引き続いての取り組みをさせていただいています。

まだまだやります。「息の長い支援」は神戸から」のテーマのもと,猛暑が収まってから,3ヶ月近くぶりに,再開させていただいた復興住宅訪問活動ですが,この日は,前日に,訪問予定のお宅への「予告ビラ」を投函させていただきました。

予定された時間いっぱい,貴重な「お話し伺い」をさせていただきました。ありがとうございました。

ベルデまつり20150905ビラベルデ名谷20150905また,この日は,外部との連携で新たな行事が行われていましたが,予定より早く終えたのか,私たちが訪問に向かう頃には,後片付けも終えようとしていました。

神戸市営の復興住宅としては,最後に竣工した,「最後の復興住宅」と呼ばれることもある,垂水区の山中を切りひらいて建設された高層住宅群・ベルデ名谷ですが,当ボランティアで順次訪問させていただく中で,どうしても高層階への訪問を残すことが多くなっています。

今回も,棟の最上階を含む,高層階への訪問となりました。

早期に竣工した棟や低層階には,高齢の被災者を優先し,比較的若かったり,優先度が低いとされた方や,被災者ではない一般入居者を中高層階にと,割り振りが行われました。

ベルデ名谷2015090506予告ビラしかしながら,十数年を経た今,中〜高層階に高齢となった方がお住まいになっているという,現状を目の当たりにすることが多くなっています。

不定期でささやかな活動ではありますが,引き続き,訪問活動を続けさせて戴きたいと思います。これからもよろしくお願いいたします。


この日伺ったところの概略です。

・70代女性。垂水区で全壊。妹さん宅に一時身を寄せたあと,西区の仮設住宅に行ったときは,住めて眠れたのが有難かった。この復興住宅に入居して16〜17年。ここに入居したばかりの頃は治安が悪かった。表札を盗られたり,車上荒らしがあったり,ガラスを割られたりした。もっと住みにくいかと思ったが,暑さ寒さにはもう慣れた。家の中にいれば,外の音は聞こえない。ムカデが出るので,玄関前には砂のような薬を撒いている。ここには,話は通じない人など,色々な人がいる。生活していくのに一生懸命だったのに,復興住宅に来てから,ありがたみを忘れて,ワガママになっている人がいるのが気になる。近所に友だちはいる。住宅から少し離れたスーパーへ買い物に行く。年を取って出にくくなった。じっとしていて,動けなくなると行けないので,動くようにしている。廊下の手すりが助かる。ばすとかの乗り降りも不便を感じる。外出にはカートが欠かせない。スーパーのカートが,(押し車の歩行器の代わりには)ちょうどいいのだけれど…。住宅のすぐ側のコンビニがなくなって不便。ちょっと要るもの買いに行くのによかったのに。ヘルパーは頼まず,妹さんに風呂や網戸の掃除をしてもらっている。植物好きで,花が咲いて,みんなもうれしい気持ちになってもらえればと,住宅そばの花壇に植えていたこともある。<玄関前でお話し伺い>

・60代女性。須磨区で半壊。一時県外に避難したあと,住めるようにして,もとのうちに戻った。その後復興住宅に入居できたが,そこがURから神戸市が借り上げた,借り上げ復興住宅だったため,再度の移転を求められ,その際,さらに不便な場所である西神か,この復興住宅しかないと言われた。こちらは一応バリアフリーになってるし…。この復興住宅に入居して5年近く。この日行われた祭りには行かなかった。行事とかは好きではない。近所づきあいはあまりない。掃除はちょっとたいへん。けっこう一人でいても楽しい。趣味とかないし,これといって,別に何もしていないが,ただテレビを見て過ごしているだけのことが多い。身体は概ね元気だが,以前住んでいいたあたりの病院に行くことも。<玄関前でお話し伺い。予告ビラの最後にある「2011年3月11日の東日本大震災を機に「息の長い支援」が求められています。被災されたみなさんのお話しを伺うことで、お役に立たせていただき、これまでの災害から学ぶことはもちろん、新たな、さらには将来の災害に備える一助になればと思っています。」を示しつつ,ボランティアの趣旨を説明>

・60代男性。灘区で被災。震災時は連休明けで,早朝4時半から仕事の準備に取りかかっていた。トラックに荷物を積もうと向かう途中で,地面が揺れるのを感じた。,1月末に会社が倒産したが,その後も三木や三田に救援物資を運ぶ仕事をしていた。避難生活はテントで。1張のテントに3人が寝泊まり,畳の支援物資提供もあった。公園から,電気や水道などを引き込んで使えた。雨がよく降ってたいへんだった。近くの公衆浴場にもお世話になった。入院したこともあったが無料だった。仮設住宅は,近くでは入れるところがなく垂水区へ。神戸市から,とにかく入ってくれ,と言われたので仕方なく入居した。この復興住宅に入居して16年。この住宅は好きではない。近所づきあいもない。同じ仮設住宅から来た人も,当初は14人いたが,今は3人に。ずっと長距離トラックの仕事をしてきたので,震災後にした軽トラックでの仕事などは割りが悪いのでたいへん。

・60代女性。垂水区で一部損壊。壁にヒビが入った程度だった。結局持ち家を手放して,市営住宅に一般入居することに。それまで家賃を払って住むという経験はしたことがなかった。この復興住宅に入居して5年。今は夫を亡くして一人暮らし。近所づきあいはなく,今年まで行われていた震災の追悼行事や,この日行われていた祭りにも行ったことはない。身体は悪いところはない。このままからだがどこも悪くなくならずに生きたい。部屋の掃除がたいへんなのはしゃあない。趣味とか楽しみとは特にない。テレビをよく見て過ごしているけど…。かつて車をもってた頃は,車を運転していた。今は単車に乗って買い物に出かける。坂が多くてたいへん。若い頃ならまだいいが,仕方ないか…。バイクが楽しみといえば楽しみかな。

・80代女性。長田区で全壊。避難所には5ヶ月ほどいたが、仮設住宅には行かなかった。この不幸住宅に入居して17年。左手マヒで曲がらない。療養しないと禁断症状が。それ以外は,身体は大丈夫。あまり外出はしない。<ドアポストに予告ビラが残っていたが,ボランティアの趣旨を説明しつつお話し伺い>

・30代女性。尼崎で半壊。夫は神戸で被災し,この復興住宅にも17年前から住んでいる。自分は結婚してからここに。困っていることといえば,妙法寺方面行きのバスがないこと。坂道を降りなければいけないのがたいへん。子どもが生まれて1ヶ月。<インターホン越しに応答>

・80代?女性。けっこうです。<玄関横の窓越しに応答。ドアポストに予告ビラが残ってITらので、ボランティアの趣旨を説明しながらお声がけ。>

・70〜80代男性。「体調悪いので…。」<インターホン越しに応答。ドアポストに予告ビラが残っていたがお声がけ>

・50〜60代女性。今,忙しいので…。<インターホン越しに応答。ボランティアの趣旨を説明>

・30代女性。お出かけのところにお声がけ。

2015-11-25 ↑TOP


第61(新生186)回訪問活動準備 (2015/09/04) レポート 〈安保関連法案と防災週間のはざまで,仮設・復興住宅訪問通算628回〉

ベルデ21050904毎度This is 神戸・週末ボランティアをご覧くださいましてありがとうございます。神戸・週末ボランティア 新生では,引き続いての取り組みをさせていただいています。

ベルデ名谷201509042015年夏季は,例年以上に厳しい猛暑の時期を避け,復興住宅訪問活動をしばらくおやすみしていましたが,8月下旬,急激な気候の変化で,暑さがおさまったものの,相次ぐ台風や大雨の合間をぬっての,スケジュール設定となりました。こうして,春季,5・6月に伺って以来,垂水区の神戸市営住宅・ベルデ名谷へ,約3ヶ月ぶりに伺うことにしました。

9月5日・6日に伺うお宅には,この4日,ボランティアの趣旨を記した「予告ビラ」を,ドアポストに投函してきました。やや過ごしやすい気候になったことから,住宅内外で,お出かけになる方お会いする機会も若干増えました。ごあいさつ方々,ボランティアの趣旨説明などもさせていただきました。

ベルデ名谷2015090506予告ビラこれまでにお訪ねさせていただいた方,訪問の時のことを覚えていて下さった方とも,出会いました。励みになります。感謝です。

7・8月に訪問を見送った今ひとつの理由は,さまざまな方,とりわけ若い年代層からも,安保関連法案(戦争法案)への反対・抗議の声を上げ行動の輪が広がりつつある,現下の社会情勢です。

リフレッシュ・スタートして以来,「神戸・週末ボランティア 新生は、宗教や政党などまったく関係のない民間のボランティアです。」と,高く掲げてきていますので,これについて直接,発言したり行動したりはしませんが,こうした時期だからこそ,有為・有志の方にボランティア活動にお運びいただくよりは,各地でさまざまに取り組まれている,反対・抗議の取り組みに行っていただきたい,との思いからでもありました。

ベルデ名谷20150904このようなものがまかり通ってしまえば,海外,とりわけ紛争地での民間の支援活動に支障と危険をもたらすのみならず,飛躍的に増大します。そうした問題意識や危機感から,反対の声を上げる民間支援団体もあります。

しかしながら,こうしたことは,日本の中でも例外ではなくなってしまうでしょう。いやむしろ既に先行している面もあるといわねばなりません。

9月1日の「防災の日」を含む1週間,「防災週間」ということで,その少なからざる部分が,いわば「上から」の組織化で行われており,その内実や方法についても,かかる問題意識と危機感をもってしなければならないものが顕著になっています。

ベルデまつり20150905ビラ予測困難なさまざまな状況に対応するための工夫を凝らした訓練も行われるなど,備えること自体についても,豊富で実効性を高めたものも生み出されつつあります。

そうした中から,避難する権利救助される権利支援を受ける権利など,一人一人が,主体的市民としての自覚と覚醒の機会になればと思います。そして,「復興」とは,こうした市民としての主体性の回復,もしくは獲得,であると考えます。

それらの前提として,知る権利が不可欠です。これは情報を知ることはもちろん,それにアクセスすることも含めたものと理解すべきでしょう。

ここは,そうした問題意識を,より身近なものとする機会にしたいところです。

こうした問題意識のもと,これまでの被災地に根ざし,これまでの被災者に寄り添うべく,よりいっそうふさわしいものたらんと,「まだまだやります。「息の長い支援」は神戸から」のテーマを,さらなる内実を伴ったものとしていくことが,今季のミッションでしょう。

ご協力いただいた皆さんをはじめ,Yahoo! JAPAN 登録純正サイトThis is 神戸・週末ボランティアや,MixiコミュニティMixiページFacebookページTwitter - welove_kobeを通じて,ご縁を戴きました皆様に改めて感謝いたします。


この日伺ったところの概略です。

・80〜90代女性。坂道をゆっくりと,押し車の歩行器を押しながら登っていた。登り切った後でお声がけしたところ,「期を知りて蟬はその国へ行く」と一句。前にもお会いしましたね。覚えてますよ,とのこと。私は宗教に関心や関係はないけど,ボランティアって,感謝の心とか,何かいいこと教えてくれるの? しばらく住宅の苗で話していたら,弁当配達の男性が戻ってきたところで,受け取ることが出来た。17時に配達することになっているものだが,他の利用者に届けた後,もう一度廻っても留守だったとのこと。<住宅前の通路でお話し伺い>

・70代〜80代男性。「お身体はあれからおかわりございませんか?」とお声がけ。この夏の暑さはたいへんだった。この3日ほどは雨のおかげで水やりを休めたけど。今は何も造っていない。あるのは青j基礎ぐらいかな?<屋上緑化された植木に水をやっているところにお声がけ,お話し伺い>

・母親&少女。予告ビラ投函後にであう。「こんにちは,ボランティアの者です」とお声がけしたところ,初めは「ボランティアって?」不思議そうな感じだったが,ボランティア参加者と笑顔でバイバイして別れた。

・小学生男女。翌日の行事のための動員・準備のためであろうか,夕方近くまで,体操服姿の子どもたちが,いつにもなく多数。

2015-09-25 ↑TOP


第60(新生185)回訪問活動 (2015/06/14) レポート 〈《新生》訪問1500戸超,仮設・復興住宅訪問通算627回〉

神戸市営住宅・ベルデ名谷 花と蝶毎度This is 神戸・週末ボランティアをご覧くださいましてありがとうございます。神戸・週末ボランティア 新生では「まだまだやります。「息の長い支援」は神戸から」というテーマのもと,引き続いての取り組みをさせていただいています。

神戸市営住宅・ベルデ名谷 3番館裏前日6月13日に続いて,webを通じて参加して下さった方に,「神戸新聞」での案内をご覧になって参加して下さった方を加え,垂水区の復興住宅・ベルデ名谷への復興住宅訪問を行いました。

同住宅へ伺う際には,垂水東口の駅前広場を,各方面からやってくる参加者の集合場所にしています。ボランティアが集まりつつある中,前日に「お話し伺い」させていただいた住民の方とお会いしました。この日の参加者が揃ったところで,バスで現地に向かいました。

神戸新聞2015/06/12 神戸・週末ボランティア新生 復興住宅訪問 まだまだやります。「息の長い支援」は神戸から訪問活動の手順やボランティアの趣旨の説明は,集合場所のほか現地に向かう途中などに随時しています。新たな参加者が加わるときは,住宅で,もっとも見晴らしのいい場所に向かい,現地やその周囲の環境,被災地・被災者をめぐる情況に,理解を深めた上で,「お話し伺い」〜傾聴ボランティアに臨めるように心がけています。

2015/06/13・14 予告ビラこの日の訪問の準備は,前々日の6月12日に,伺うお宅を決めて,ドアポストに「予告ビラ」を投函して行いました。毎回の訪問先の選定は,その時期・その場所ならではのニーズや状況を考慮するとともに,参加者とのマッチングも配慮しながら,行っています。

また,「1回だけでも,初めてでも,お気軽に」とご案内しているように,1回の参加でも,なるべく多くの視点から,さまざまな状況について,知っていただきたいと思い,訪問先は,一ヶ所・一続きなどとはせず,訪問先の棟・ブロック・階などを複数にし,各々について数戸〜十戸余りを,お訪ねするようにしています。その移動の間に休憩をはさんでいます。

神戸市営住宅・ベルデ名谷 亡くなった住民の後片付けそうした中で,亡くなった方のお部屋を,近隣の住民の方が後片付けをされているところに遭遇しました。

ほぼ予定時間のうちに終え,最後に,住宅入口で記念撮影をして,バスで垂水東口に戻って解散としました。今回もまた貴重で有意義な役立ちと学びの機会となりましたことに感謝いたします。

あわせて報告させていただきますと,旧グループでは,阪神淡路大震災が発生した1995年に,仮設住宅への訪問活動を始め,1999年からは,復興住宅に活動の場を移し,2012年までに延べ2万戸余りをお訪ねしました。重複なしの実数ベースでは,仮設住宅1.1万戸,復興住宅4千戸ほどでしょう。

このたびは,2013年に,新たな活動主体,神戸・週末ボランティア 新生のもと,リフレッシュ・スタートして以来,60回目の訪問活動となったのとあわせて,訪問戸数が1500戸を超えました。もちろんこれは重複なしの実数ベースです。

最後に,ご参加・ご協力いただいた皆さんをはじめ,Yahoo! JAPAN 登録純正サイトThis is 神戸・週末ボランティアや,MixiコミュニティMixiページFacebookページTwitter - welove_kobeを通じて,ご縁を戴きました皆様に改めて感謝いたします。


この日伺ったところの概要です。

・80代女性。長田区で全壊。住んでいたマンションが,階下のガレージの上に落ちて,住めなくなった。まっすぐドスンと落ちて,夫が「変だな」と言ったが,タンスが傾いているぐらいで,なんともなかったようにも思われた。近くの学校に避難。子どものところに2ヶ月いたが,お嫁さんに気を遣い,仮設住宅を申し込んだが,なかなか当たらなかった。やっと西区の仮設住宅に。ムカデが出たりしてたいへんだった。ボランティアが訪問してきたことを覚えている。仮設住宅にいるときに夫を亡くし,一人で,急いで,復興住宅を探した。この復興住宅に入居して17年。市の人の勧めに従って,この住宅一本に絞って申し込んだら,すぐ入ることが出来た。この住宅の坂の上り下りはたいへん。この住宅に来たばかりの頃は,まだ若いつもりで,まだそんなになるとは思わなかった。住宅からやや離れたスーパーに行くのに,初めは坂を下りてバスに乗っていったが,裏道を歩いて行った方が楽なことに気付いた。帰りは坂の途中の公園で休憩する。重いものはコープの個配も利用するが,魚や肉など,それで足りないものを買いに行く。週1回は通院。病院が近いので助かっている。遠いとバスに乗っていくのがたいへん。腰が痛いが,近道の抜け道を通って,病院に行ける。この住宅では,住民同士の交流が少ない。近所でも,1ヶ月会わない人もいる。家でじっとしていると,誰とも会わない。ヘルパーには掃除のみ頼んでいる。元気なうちはなるべく自分で,ダメなら病院入れて,といっている。<玄関でお話し伺い。ボランティア参加者と医療や薬のことについて情報交換した>

・40代女性。垂水区で被災。ケガや被害などは特になかった。しばらく水やガスなどが止まった。給水車に並んだりしてたいへんだった。ガスはカセットボンベを代わりにしてしのいでいた。この復興住宅に入居して2〜3年。被災者としてではなく,市営住宅の一般入居で入った。2〜3回申し込んでやっと当たった。この住宅は空室が多いのに何で外れるの?と思った。この部屋は,東に山が迫っているので,見晴らしが…。夏場は,風が通って,ベランダあたりこそ熱いが,玄関近くは涼しく,玄関まで風が抜けるので,エアコンがなくても過ごせるほどだが,冬場は結露が多い。入居時点でコンセントにヒビが入っているなどしていたが,修理は自己負担でせざるを得なかった。近所づきあいは,同じ棟の住民のお世話をされていた方がよくしてくれたので,初めから,被災入居した人とも,つきあいができている。近所のトラブルは,直接にはない。エレベーターでのマナーの悪さにビックリしたり,夜中でも上下の階の物音が響いてくるのがたいへん。エレベータで乗り合わせたときや,バス停でバスを待っているときなど,顔なじみなら,あいさつしてくれる。住宅そばのコンビニがなくなったので,どこへ行くにもバスに乗らなければいけない。安いスーパーにいくのもたいへん。震災のことを娘に話すことはある。小学生の頃,震災について教えてあげた。家族で野島断層に連れて行った。学校では「しあわせ運べるように」を歌っていた。震災の記憶がまだない,小さい頃だったので,トラウマとかにならなくて,よかったかも。

・70代男性。一人暮らし。兵庫区で全壊。ケガなどはなかった。北区の仮設住宅で4年過ごした。仮設住宅でも希望が認められなかった。この復興住宅に入居して16年。この住宅が出来た最初から住んでいる。他の復興住宅も申し込んだが,なかなか当たらなかった。最後にここだけが当たった。定年後,まだ働こうと思ってタクシーの運転手になって5〜6年。身体を壊して入院したが,復帰できた。<自身で記入されたシートをいただき,お話し伺い>

・70〜80代女性。この日予定していた訪問を終えて住宅入口に戻っていたところ,「さっきのボランティアの方?」と声をかけてくられた。住宅近くに数年前に出来たスーパーの大きなカートを押しながら,これから買い物に行くところとのこと。まとめ買いをしているという。カートは押し車の歩行器代わりに貸してくれている模様。

・70〜80代男性。今,入浴しようとしたところ。何のボランティア? 住宅の方によくしてもらっているので,困ったことはない。自分でもこまめに動いているので…。<インターホン越しに応答。ボランティアの趣旨を説明>

・70〜80代女性。震災のときは,家の中のものはわやになったが,怪我などはなかった。この復興住宅に入居して16年。ここにはもう慣れた。今忙しいので…。<インターホン越しに応答。ボランティアの趣旨を説明>

・70〜80代女性。これから入浴するところ。着替え中なので…。<ドアポストに予告ビラが残っていたので,安否確認とボランティアの趣旨説明に,インターホンを鳴らした>

・70代?女性。垂水区で被災。震災ではとくに被害や怪我はなかった。震災以前からずっと,足・腰が悪い。手術もしたが…。<インターホン越しに応答>

・80代男性。「今忙しい。」<玄関横の部屋の窓から,続いてドアを開けて応答>

2015-09-30 ↑TOP


第59(新生184)回訪問活動 (2015/06/13) レポート 〈継続のなかに,仮設・復興住宅訪問通算626回〉

神戸市営住宅・ベルデ名谷 6番館から明石海峡方面毎度This is 神戸・週末ボランティアをご覧くださいましてありがとうございます。神戸・週末ボランティア 新生では,引き続いての取り組みをさせていただいています。

2015/06/13・14 予告ビラ今回は,梅雨本番を前にしての復興住宅訪問活動となりました。前回,伺ったのが,ゴールデンウィーク終盤の5月9日でしたので,約1ヶ月ぶりになります。

場所は同じく,垂水区の郊外の,神戸市営住宅・ベルデ名谷です。引き続いて「まだまだやります。「息の長い支援」は神戸から」というテーマを掲げています。

神戸新聞2015/06/12 神戸・週末ボランティア新生 復興住宅訪問 まだまだやります。「息の長い支援」は神戸から翌14日の分とあわせて,今回の訪問活動については,前日の6月12日の「神戸新聞」神戸版紙面で,案内していただきました。また,訪問予定のお宅への「予告ビラ」投函も,12日の午後に行いました。

この日は,ウェブサイトを通じて参加してくださった,初参加の男性メンバー中心で伺いました。

神戸市営住宅・ベルデ名谷 参加者みんなで記入シートへのお返事を書く直接お会いして,震災のときのことや今お困りのことなどの「お話し伺い」をさせていただく傾聴ボランティアが本来のスタイルですが,それ以外に,インターホンでのやりとり,記入していただいたシートへのお返事を書いたりするなどの場合もあります。

神戸市営住宅・ベルデ名谷 7番館前いずれの場合でも,どうやって信頼関係を築いて,心を通わせるかが,課題になります。

お訪ねしていく中で,それぞれにスキルを身につけ,心を通わせていくことが出来ました。貴重な機会,有意義なひとときとなりましたことに感謝いたします。

継続の中にも,常に基本に立ち帰り,「日々新面目あるべし」と,改めて思いました。


この日伺ったところの概要です。

・70代男性。垂水区で被災。被害やケガなどはなかった。仮設住宅にも行っていない。この復興住宅にも,出来た最初からいたわけではない。玄関に出てくるのもしんどい。歩くのもエライ。身体以外では困っていることはない。ここでの生活はけっこう気を遣う。周囲の物音も気になるし…。この部屋は夏は暑く,冬も寒いのでたいへん。周囲の人は,ちょっと年上の人が多いが,話が合わないことも。新しく来る人にも,気を遣わされる感じ。隣近所とはよく話しをするので,ここに入って新しいことで,気にしなくて済んでいる。ここに入ったばかりの頃は,まだ周囲もあまりできていなかった。この住宅に来たばかりのときは,坂を登るのがこんなにたいへんになるとは思わなかった。この住宅が出来る以前,住宅の下の道を行ったり来たりしていたことがあったが,まさかここに入ることになるとは思わなかった。買い物は,住宅から少し離れたスーパーに,毎日行く。住宅のすぐ近くにあったコンビニは,いいものがなかった。少しはマシになったかなぁと思ったらなくなっていた。<玄関でお話し伺い>

・80代女性。長田区で全壊。ケガなどはしなかったが,近くの学校に避難した。避難所では,毛布とか食料などの物資をもらうためにあちこち探して並んだりしているうちに,身体をこわした。息子が迎えに来てくれたので,身を寄せることにした。仮設住宅には入っていない。仮設住宅に入っておけば,それだっけ早く復興住宅に入れたかもと思うことも。この復興住宅に入居して16年。できてから1年ほどして入った。この並びはみんな仲がいい。高齢者や一人暮らしが多いが,空室も目立ち,友だちがいない人も多いが,ここは悪いことをする人はいない。何かと心強い。ここはずっと居れて安心。ここは病院が近いので助かる。先日も入院して退院してきたところ。伺った日は,住宅から少し離れたスーパーに買い物に行ってきた。

・70代女性。須磨区で全壊。「ありがとうございます。そしてご苦労様です。私は今…友愛さんのご協力のもと,助け合い支えあっていて,感謝しています。ただ,年金生活(少ないのに)でギリギリの生活なのに,介護保険は…引かれています。これって多いのでは? ぜいたくは言えませんので,健康には気をつけて,おかげ様で,元気に過ごしております。震災当時の全国からの支援は,今も胸あつくなります。が,世界の被災地や,東北への支援金が,少ししか出来ないので心苦しく思っています。これからも若い方々の力が必要です。どうぞ,「継続は力」ですので,よろしくお願いしますね。」<自身でシートに記入。参加者みんなでお返事を書いた>

・60代男性。兵庫区で全壊。住んでいたアパートが全壊した。仮設住宅は西区だった。この復興住宅には最初から住んでいる。地震で生活ダメになった。年金だけでは生活はたいへん。いっぱいいぱいや。これまでもらっていた企業年金がこの夏で切れる。病院にはいっているが…。<自身で記入したシートをいただいた上でお話し伺い>

・70〜80代女性。兵庫区で全壊。この復興住宅に入居して7年。こわれた家を修繕して住み続けたので,仮設住宅に入っていない。今とくに困っていることはない。<ドアポストに予告ビラが残っていたがお声がけ,ボランティアの趣旨を説明しながらお話し伺い>

・70〜80代女性。中央区で被災。ポートアイランドにいる時地震に遭った…。ドアが開いていたのでお声がけしてみた。元気でやっている。困ったことはない。

・70〜80代男性。(身体は)どこも悪いところはない。けっこうです。<インターホン越しに応答。ボランティアの趣旨を説明>

・60〜70代男性。気になったから出てきた。「何かあったら下いけや!」<ドアを開けて応答>

・30〜40代女性。「今ちょっと忙しいので…。」<ドアを開けて応答>

・70〜80代女性。「けっこうです。」<インターホン越しに応答>

・「困っていることはない。」<インターホン越しに応答>

・70〜80代女性。お出かけのところにごあいさつ。

2015-09-27 ↑TOP


第58(新生183)回訪問活動準備 (2015/06/12) レポート 〈梅雨の晴れ間に,仮設・復興住宅訪問通算625回〉

神戸市営住宅・ベルデ名谷 初夏の入口附近毎度This is 神戸・週末ボランティアをご覧くださいましてありがとうございます。神戸・週末ボランティア 新生では,引き続いての取り組みをさせていただいています。

同じく6月12日の午後,垂水区の復興住宅・ベルデ名谷に,13日・14日に伺う予定のお宅に,訪問予告のビラを投函させていただきました。

2015/06/13・14 予告ビラこの日は先に,今後の訪問に向けて,北須磨の名谷地区に寄ったため,午後もやや遅い時間となりました。

梅雨の合間の蒸し暑さが,依然として続く中,住宅内でお会いした方は,多くはありませんでしたが,ごあいさつかたがたお声がけし,ときには当ボランティアの趣旨なども説明させていただきました。

神戸新聞2015/06/12 神戸・週末ボランティア新生 復興住宅訪問 まだまだやります。「息の長い支援」は神戸からこの日,6月12日の「神戸新聞」朝刊でも,案内を掲載していただきました。

今回も復興住宅訪問活動自体は,5月分とあわせて,早めに決めていましたが,今回も直前になっての準備・お知らせとなってしまいました。毎度のことながら申し訳ありません。

ウェブサイトやビラ,フライヤーなどに「神戸・週末ボランティア 新生は、宗教や政党など全く関係のない民間のボランティアです。寄付や署名の要請、投票依頼、販売行為などは一切行いませんので、ご安心下さい。」と大書して,常にかくあることに努めてきました。

神戸市営住宅・ベルデ名谷 7番館低層棟屋上「秘密の花園」そのため,選挙投票日にかかる週末やその直近には活動を控えてきましたが,4月に統一地方選挙の日程にあわせて選挙が行われた神戸市会議員の,新たな任期は6月11日から始まったばかりです。

そうした中,継続の中にも,「日々新面目あるべし」と心がけ,一回一回の訪問,ひとりひとりとの出会いを,大切にしていきたいと思います。

ご協力いただいた皆さんをはじめ,Yahoo! JAPAN 登録純正サイトThis is 神戸・週末ボランティアや,MixiコミュニティMixiページFacebookページTwitter - welove_kobeを通じて,ご縁を戴きました皆様に改めて感謝いたします。


この日伺ったところの概要です。

・50〜60代女性。「おむかえですが?」・「いいえ。」<小児を連れてエレベータに乗り合わせたところにお声がけ>

・70〜80代男性。ビラ入れ時,ドアを開けてこられたのでお声がけ。ボランティアの趣旨などを説明。

・ビラ入れ時,弁当配達(20〜30代)の女性が声かけるも反応なし。確認して引き上げていた。

・50〜60代男性。「こんにちは。」<住宅入口附近で犬を連れているところにお声がけ>

・40〜50代女性。「こんにちは」。<犬を連れているところにごあいさつ>

2015-06-20 ↑TOP


復興住宅訪問準備@須磨区 (2015/06/12) レポート〈原点に近いところから改めて〉

神戸市営名谷駅東住宅毎度This is 神戸・週末ボランティアをご覧くださいましてありがとうございます。神戸・週末ボランティア 新生では,6月13日・14日の復興住宅訪問活動準備に先だって,かつて旧グループで訪問した復興住宅の現在の様子を拝見してきました。

神戸市営地下鉄名谷駅・春の風場所は神戸市須磨区です。

須磨区には,関西圏都市部に最も近い海水浴場である須磨海岸に近い地域や,隣接する長田区に近く,阪神淡路大震災で大きな被害を受け,区画整理などもあって,生活再建が遅れたり断念されたりした地域もありますが,今回,また,かつての活動で,訪ねたのは,北須磨の郊外,西神ニュータウンの東に当たるところで,神戸市営地下鉄名谷駅が最寄りとなるところです。

市街地よりも厳寒酷暑なのは,かつて多くの仮設住宅が造られ,巡回しての訪問活動〜「お話し伺い」を始めた地域に共通したもので,その一端ともいうべき北須磨・名谷地区は,復興住宅が建設されてからも活動を続けていたところです。

地下鉄名谷駅前から落合住宅方面同駅前には,ショッピングセンター須磨パティオを囲むように,住宅街となっており,周辺には,戸建て住宅や民間マンションも開発されていますが,震災前からの公営住宅・高層住宅に加え,復興住宅として建設・運用されたところもあります。

かつては,同駅を集合場所にして,離れた場所へも訪問活動を展開していましたが,今回は,駅から徒歩圏内にある名谷駅東住宅にまいりました。

当時より木々は大きくなり,緑も豊かになりましたが,住宅は,被災されて入居された方が,現在も少なからずおられる様子がうかがえました。

神戸市営名谷駅東住宅この住宅は神戸市営住宅ですが,これに隣接しているUR賃貸住宅(旧公団住宅)の中には,借り上げ復興住宅となっているところもあり,数年後に20年の期限を控え,被災入居された方の今後が心配されます。

また,この北須磨の地は,かつて連続児童殺傷事件が発生したところです。もっとも残忍な現場は,この駅や住宅から南に離れたところでしたが,それに至る大小の事件の中には,この近くで発生したものもあり,仮設住宅への訪問活動をする中では,住民・近隣の方々から不安の声が聞かれることもありました。

神戸市営名谷駅東住宅・集会所また,事件後,「見守り」といいながらも,監視強化が図られることに疑問を覚えたものでした。

折しも,事件に当たって「酒鬼薔薇聖斗」を名乗り,今日なお「少年A」と呼ばれ続けている者によるとされる「絶歌」なる手記が出版されたことに対して,批判・非難の声が上がるなど,物議を醸しています。

阪神淡路大震災を機に「こころのケア」の重要性が説かれるようになり,訪問活動〜「お話し伺い」の,基本的な意義のひとつとしてきた者として,当時の問題意識を想起しつつ,今日的観点・課題として,とらえ直して,活かしていきたいと思います。

2015年は,年間テーマ「震災ボランティア、二十歳の原点。」を掲げています。阪神淡路大震災の年以来の活動の原点に近い場所・環境でもありますので,リフレッシュ・スタートした新たな活動主体ならではの活動の展開を検討したいと思います。

2015-06-19 ↑TOP


第57(新生182)回訪問活動 (2015/05/09) レポート 〈ネパール大地震から2週間,仮設・復興住宅訪問通算624回〉

神戸市営住宅・ベルデ名谷 休日を利用して訪れる毎度This is 神戸・週末ボランティアをご覧くださいましてありがとうございます。神戸・週末ボランティア 新生では,引き続いての取り組みをさせていただいています。

神戸市営住宅・ベルデ名谷 彩られるエントランスこの日は,神戸市の郊外,垂水区の山中にある復興住宅・ベルデ名谷への,約4ヶ月ぶりの訪問活動となりました。

1月伺った際は,阪神淡路大震災1.17「希望の灯り」の分灯をもって伺いましたので,通常のスタイルでの訪問は,昨2014年12月以来になるでしょう。

ウェステ垂水前の広場にて4月25日に発生したネパール大地震をうけて,神戸からもさまざまな支援の取り組みがなされる中,垂水駅前では,県立舞子高校防災科の生徒さんらが,募金活動に取り組んでいました。その姿に頼もしさを覚えた方も多いでしょう。

遠く離れた,新たな被災地・被災者に,思いを致し,支援の輪を広げることとあわせて,これまでの被災地に根ざし,これまでの被災者に寄り添う取り組みも,改めて,その意義が問われます。そうした中で敢えて「まだまだやります。「息の長い支援」は神戸から」というテーマを掲げています。

神戸・週末ボランティア新生の復興住宅訪問活動予告ビラ 2015/05/09分神戸市営住宅・ベルデ名谷 仲のいい住民同士が集会所に集ってカラオケ大会ゴールデンウィーク後半・終盤という,日も長くなり,過ごしやすい時期,久々の「お話し伺い」〜傾聴ボランティアをさせていただきました。今回は,予定した時間のうちに,お伺いできました。前日(5月8日)に「予告ビラ」を投函させていただくだけの、簡単な,急なお願いにもかかわらず,充実した,貴重なひとときとなりましたことに,心から感謝いたします。

神戸市営住宅・ベルデ名谷 2番館前の花壇神戸市営住宅・ベルデ名谷 今は亡き人から受け継いで育てているご協力いただいた皆さんをはじめ,Yahoo! JAPAN 登録純正サイトThis is 神戸・週末ボランティアや,MixiコミュニティMixiページFacebookページTwitter - welove_kobeを通じて,ご縁を戴きました皆様に改めて感謝いたします。


この日伺ったところの概略です。

・80代女性。長田区で全壊。震災前に夫を亡くし,子どもも,とうに独り立ちして,ずっとひとり暮らし。震災後,1年ほど子どものところにいたが,こちらにいないと家を探すのが難しいと思い,ひとり暮らしを始めた。垂水区の仮設住宅に入居,2年半ほど過ごした。3つに分かれていて,大きなところで,建売住宅のようだった。仮設住宅でひとり暮らしをしているとき,入院した。自分でエアコンを入れたが,その後,神戸市が入れてくれるようになった。自分で入れたエアコンは,よく冷えて,電気代もあまりかからなかったので,ここへ持ってきた。仮設住宅では,ボランティアにはあまり会わなかった。引越ばっかりでたいへんだった。知人の助けもあって何とかできた。この復興住宅に入居して16年。最後にここがやっと補欠で当たった。1DKで家賃も安いので助かる。頑丈に造られているようで安心。夏は暑い。西日もよくさして,冬などは,反対側の玄関口まで延びてくる。湿度が低いのはいいが,乾燥がきつい。周囲はうるさくなく,静か。ベランダから隣近所の物音が聞こえるぐらい。タンスや水屋などは,ここへ来てから買って入れたもの。ここに来てから,いくらか離れたところまででも買い物に行っていた。まだ若かったから…。腕は辛いが,腰や膝はまだ大丈夫。土曜日は午前中に通院。昨年,1週間入院した。今年になってからひどくなった。ヘルパーに掃除などに来てもらっている。昔から歩くのは速い。自転車に乗れないし,よく遅れるので,バスにも乗らなかった。
「震災のときは,●●に住んでいましたが,1ヶ月後,取り壊しときまり,荷物は取り出す事は出来ませんでした。…病気になったときは,仮設住宅でしたので,友人も少なく,一人で何もかもするのが大変でした。。今年に入って,体調もよくなり,元気でおりますが,病気したときは困ると思います。」<自身で記入されたシートをいただき,お話し伺い>

・80代女性。兵庫区で全壊。誰も怪我などはなかった。避難所に行ってみたが,居れる場所がなく,とりあえず実家へ行こうと考えた。娘に1ヶ月の赤ちゃんがいたので,世話に来てほしいと,娘の嫁ぎ先へも。つぶれた家から,取り出せtルものは取りだしたが,移動する際に積み込めず,テレビなどを下に置いておいたら,翌日なくなっていた。仮設住宅にも行かなかった。この復興住宅に入居して16年。4回目の申込みでやっと当たった。ここではあまり近所づきあいがない。気の合う人とはカラオケに行ったりすれるけど。絵画かわるとつきあいもないし,新しく入居してきた人がいても顔も知らない。この住宅では棟ごとに自治会があって,この棟では一応活動している。長年服の仕事をしていて,最近も毎年繁忙期にちょこっと出ている。年を取って迷惑をかけないようにと思っている。音楽を聴くのは好きだが,歌うのは苦手。自分は足腰は大丈夫。親に丈夫に産んでもらって感謝している。医者通いはせず,健康診断もちゃんと行っている。ひとりでいると何かあったら困る。ヘルパーは頼んでいない。これから先どうなるか不安…。住宅に近くにバス停があって便利で,たすかるが。4月で,住宅前のコンビニがなくなってしまい不便に。この日は午前中,名谷にまで買い物に行ってきた。寂しいときはちょくちょくで歩いている。私はまだ歩けるからいいが,亡くなった夫はたいへんだった。亡くなった御主人が使っていた杖を今も玄関に置いている。<玄関でお話し伺い>

・80代女性。夫婦2人暮らし。帰宅で被災。とくに被害はなかった。この復興住宅に入居して16年。早いうちからの入居だが,被災者としてではなく,一般入居。地震で家も何もなくしてしまった人よりはマシ。取りあえず家財はあるから。もう慣れた。要介護になった夫は,倒れてからやせたが,今も時折,仕事に行く,といって動き出そうとする。週2回デイサービスに行ってもらい,その間に買い物をしたりひとりで過ごしたりする時間にしている。ここはみないい人ばっかり。高齢になって認知症の人もいるが…。ここは見晴らしもいい。いいところに引っ越してきた。前のエイより景色がいい。<玄関でお話し伺い>

・80代女性。東灘区で被災。とくに被害はなかった。この復興住宅に入居して4年。シルバーハイツ棟ということで,ここに単身で入居することにした。ここでは不自由することはないが,隣近所で会ってもあいさつしなかったり,人気がなかったりして,怖かったり,淋しいことも。夫を亡くしてから,何もいいことはない。身体は何も悪いところはない。自分で何でも出来る。不自由はしていない。何でも自分でしている。名谷まで行ッたり,住宅から少し離れたスーパーまで行くこともあるが,コープの個配も利用している。雨が降ってきたら,軒先の植木,どうしようかしら…。

・70代女性。中央区で被災。被害やケガなどはなかった。水や電気も止まらなかった。近くの病院に被災者が集まるようになっていた。この復興住宅に入居して16年。それまで住んでいた住宅の家賃が高かったので,安いところに移ろうと,探してここへ。出来てすぐぐらいに入居したが,他の棟はまだ工事中だったのを覚えている。身体悪いところはない。ヘルパーは頼んでいない。身の回りのことは全部自分でする。震災の追悼行事には毎年行っている,今年も行った。

・70〜80代女性。東灘区で被災。家が傾くような被害やケガなどはなかった。この復興住宅に入居して16年。地震の後,手を尽くして,安く入れるところを探した。この住宅が出来てすぐに入った。ここの暮らしにはもうなれた。10年も経てば…。娘もこの近くに住んでいるし,ヘルパーに週1回きてもらっている。受悪近くのコンビニが閉店して不便に,住宅から少し離れたスーパーまで行くのはムリだし…。<訪問時,テレビで野球中継を観戦中とのことで,切り上げ>

・少女。学校では地震のことについて習ったりするが,あまり印象に残ってはいない。親からは,震災のことや被災経験などを,聞いたりしたことはあまりない。留守番中とのことだったが予告ビラを読んでくれていた模様。<インターホン越しに応答>

・60代?女性。「うち要らないので…。」<予告ビラをご覧になった,近隣の方とお話し伺い中にお声がけいただいた>

・70〜80代男性。「体調が悪いので…。」<インターホン越しに応答>

・70代。この復興住宅に入居して2年。<自身でシート記入>

・70〜90代女性3人男性1人,住宅前でお声がけ,お話し伺い。

・70〜80代女性。住宅側でお声がけ,お話し伺い。

・60代女性,犬の散歩中にお声がけ。

2015-09-22 ↑TOP


第56(新生181)回訪問活動準備 (2015/05/08) レポート 〈新緑と彩りの中で,仮設・復興住宅訪問通算623回〉

ツツジが咲く神戸市営住宅・ベルデ名谷4番館前の坂道毎度This is 神戸・週末ボランティアをご覧くださいましてありがとうございます。神戸・週末ボランティア 新生では,引き続いての取り組みをさせていただいています。

ゴールデンウィーク終盤ともいえる時期ですが,翌週末には神戸市内では神戸まつりが,大阪市では大阪市廃止,区設置に関する住民投票が予定されていることから,5月の復興住宅訪問活動を9日に,準備を前日の8日に行うことにしました。

噴水がやさしく涼やかな垂水東口いかなごのモニュメント Plaza fishこの日は,垂水駅前で地元メンバーとともに準備をしてから,現地に向かい,翌9日にお伺いするお宅へ,訪問予告のビラをドアポストに投函させていただきました。

神戸・週末ボランティア新生の復興住宅訪問活動予告ビラ 2015/05/09分復興住宅訪問活動としては,ほぼ1ヶ月ぶりになりますが,1月末〜4月上旬は,長田の借り上げ復興住宅をお訪ねしたため,この住宅へは,1月中旬に,「希望の灯り」とともに伺って以来,4ヶ月近くの間が開きました。

暖かな好天の中,現地にまいりますと,植え込みのツツジが見頃を迎え,季節の彩りを添えてくれました。

4月25日に発生したネパール大地震に関心が向きつつある中,むしろそうしたときだからこそ,これまでの被災地に根ざし,これまでの被災者に寄り添う,「まだまだやります。「息の長い支援」は神戸から」というテーマの意義が問われているのだろうと,いっそう思われました。

神戸市営住宅・ベルデ名谷 5・6・7番館今回は,1月中旬の訪問時の状況や,ボランティアの負担等も考慮し,これまでより1回の訪問戸数を抑えて,一人一人の方にじっくり伺えるように心がけました。

そうした中でも,お声がけさせていただいたのみならず,その場で「お話し伺い」になることもあり,夕方近くなって,現地をあとにしました。

おかげさまで実り多い1日になりました。ありがとうございました。

ツツジが咲く神戸市営住宅・ベルデ名谷4番館前の坂道からご参加,ご協力いただいた皆さんをはじめ,Yahoo! JAPAN 登録純正サイトThis is 神戸・週末ボランティアや,MixiコミュニティMixiページFacebookページTwitter - welove_kobeを通じて,ご縁を戴きました皆様に改めて感謝いたします。


この日伺ったところの概要です。

・90代女性。この復興住宅に入居して16年。区役所へ行ってお願いしてみたら,1回目で当たった。補欠だったが,すぐ入れてもらえた。この棟は,自治会もあって,しっかりお世話する人がいるので安心。ありがたく感謝している。80歳の時,新聞を取るのをやめた。以前は投稿した短文が掲載されたことがある。短歌や俳句を,今も色紙に書いたりしている。手芸も趣味。年をとると,なんぼ頭よかったとしても追いついていけへん。80は和解,70は青年。この住宅は,地図にちゃんと載っていないので,何かあったとき,親戚などに,遠くから駆けつけてもらうのに困る。自分は最後までここでお世話になりたい。足がむくむ,腰が痛いので,立ち続けるのはたいへん。上がってコーヒーでも…とすすめられたが,遅くなっていたので辞去した。

・70〜80代男性。お出かけになるとき,近くの住民の方とお話し伺いになったときに出会う。「あっ,ツバメが巣つくっとう。薬撒いとかななぁ…。まだ暑いかなぁ…。」とおっしゃったので,もうすぐ陰ってくるでしょうから,(陽が暮れないうちに)お早めに,と見送る。

・70〜80代女性。4番館前のベンチで座っているところに出会う。ラジオを聴きながら休んでいた。「今さっき座ったところ…。」エレベータまで案内していただいた。

2015-06-08 ↑TOP


第55(新生180)回訪問活動 (2015/04/04) レポート 〈長田の借り上げ復興住宅へ,仮設・復興住宅訪問通算622回〉

フレール長田そばの新湊川沿いの桜毎度This is 神戸・週末ボランティアをご覧くださいましてありがとうございます。神戸・週末ボランティア新生では,この春先,引き続き新たな取り組みを展開していました。

まだまだやります。「息の長い支援」は神戸から」のテーマのもとでの,長田の借り上げ復興住宅への訪問活動も,この日で一巡し,一応の終了とすることができました。

予告ビラ2015/03/28,29,2015/04/04阪神淡路大震災20年の1月末に,「希望の灯り」の分灯とともにお訪ねして以来,主宰者個人が協力する恒例行事のサポートをはさみ,厳冬期の2月を避けて,春先からは,周囲の桜が満開になる頃に訪問を一巡できるよう,続けてきました。

この日の訪問活動の準備は,前の週2回分とあわせて,予告ビラの投函などを行ったほか,前日の「神戸新聞」朝刊紙面でも,ご案内いただきました。

神戸・週末ボランティア新生2015/04/04分案内「神戸新聞」掲示板:まだまだやります。「息の長い支援」は神戸からその際,蕾だった桜も,ふくらみ,咲き始め,この日には周囲一帯で満開になっていました。

おかげさまで,今回もまた,貴重な,充実した「お話し伺い」〜傾聴ボランティアの機会となりました。今回は,予定された時間のうちに,予定したお宅を回らせていただきました。その後,参加者一緒に記念撮影してくださった方に,写真を差し上げてきました。

フレール長田から見た満開の桜神戸市が借り上げ復興住宅として運用している,UR賃貸住宅である,この100戸あまりの住宅・フレール長田は,2割の方が建て替え前からの従前入居者,8割が,復興住宅として被災入居された方,というところから,建て替えによって,スタートしました。

やがて住民の方の顔ぶれも変わる中,被災入居された方には,借り上げ復興住宅としての20年の返還期限が迫りつつある中で,不安の中で日々過ごされています。そうした方々との対話を深め,寄り添い,お力になるためには,まだまだ至らないところが多く,顧みて,これからの課題として,活かしていきたいと思います。

これまでの被災地に暮らす方々の,地域とこころの風通しをよくし,役立ちと学び,さらには,交流の輪を広げるという,当ボランティアのミッションとしては,新たな境地を開く成果を得ることができました。

ご参加,ご支援,ご協力くださった皆さんをはじめ,Yahoo! JAPAN 登録純正サイトThis is 神戸・週末ボランティアや,MixiコミュニティMixiページFacebookページGoogle+Twitter - welove_kobeを通じて,ご縁を戴きました皆様に改めて感謝いたします。


この日伺ったところの概略です。

・80代女性。震災後の仮住まいを経て,この住宅に入居して16年。この住宅を建て替える前から,30年ほどこのあたり住んでいる。地震のときはドーンと突き上げられたのを覚えている。水や電気がしばらく止まったが,それでも水は思ったより早く復旧した。以前は近所の世話とか,湊川の清掃・美化のボランティアをしていた。今は年金暮らし。年金の目減りや減額,介護保険料の値上げがたいへん。おかげさまで,身体悪いところはない。特に困っていることはない。このあたりは,買物や病院が近くて便利な方。ヘルパーには来てもらっていない。これまで近くで亡くなった人も少なくない。近頃は葬式をせず,火葬場へ行って焼いてもらって埋葬するだけの「直葬」が増えているので,亡くなっても解らないことが多い。この住宅はURから神戸市が借り上げ復興住宅としているところがほとんどだが)「借り上げ」の人は出て行っている。移転先に行って聞いてみたら? 移転先から市バスでこのへんまで来てる人もいる。あとに新しい人が入っている。近頃は若い人も見かけるようになった。それまで見たことのない人とエレベーターで会ったりする。最近はURの人がたまに来てくれているみたいだが…。なんやかんやいっても,ここに居られたらええ…。

・80代女性。長田区で被災。この住宅に入居して10年以上。2〜3年,垂水区へ避難したが,息子が,あちこち手を尽くして,また,見て回りに連れて行ってもらって,移転先を探してくれたので,この住宅に入居することが出来た。夫婦2人暮らし。夫の介護が必要だが,以前は病気もしなかった人だったのに…。ここは病院なども近いので,一人で気楽に過ごす余裕もある。この住宅は,管理人がいない。(インターホン)ピンポン押されても,出ないようにしている。売りに来たって買うものないし…,変なものを買って,トラブルになったりしたら,息子に怒られるし…。今日のランチは,住宅からやや離れた,スーパーの近くの肉屋で。ここはぼっかけもおいしい。買い物は,住宅近くの市場に。カートに入れて買ってくる。この住宅はお年寄りが多いので,物売りに来てくれると助かる。何かあったら息子2人がすぐに来てくれる。同じフロアでも,離れたところとは,つきあいもないし,会ってもあいさつしない。週2回,デイサービスに行っている。送迎もあるので。近所づきあいはあまりなく,近隣でも,入居してた来たときにあいさつされたこともなく,出て行くときにあいさつなどはなかった。<玄関前でお話し伺い>

・<インターホンを押したら,留守電FAXにつながっていた。「こんにちは。ボランティアの者です。地震のときのことや,今お困りのことはございませんか? といったことなどの「お話し伺い」をしています…」と,あいさつなどを,メッセージに残す>

・70〜80代男性。長田区で被災。この建物ができる前から,ずっt-このあたりに住んでいる。今,困っていることはない。身体は具合悪いところはない。(被災者向けのことなら)けっこうです。ありがとう。<ボランティアの趣旨を説明,玄関内でお話し伺い>

・80代女性。ありがとう。デイサービスにいったら,またみんなに見せて話します。<玄関前で帰宅時にお会いしたので,参加者と撮影した記念写真をお渡し>

2015-08-14 ↑TOP


第54(新生179)回訪問活動 (2015/03/29) レポート 〈借り上げ復興住宅の現在,〈新生〉復興住宅訪問1400戸〉

フレール長田前の兵庫県会・神戸市会議員選挙掲示板毎度This is 神戸・週末ボランティアをご覧くださいましてありがとうございます。神戸・週末ボランティア新生では引き続き新たな取り組みを展開しています。

まだまだやります。「息の長い支援」は神戸から」のテーマのもとでの,長田の借り上げ復興住宅への訪問活動も,前日に続いて,またここでは初めて日曜日にさせていただきました。

予告ビラ2015/03/28,29前々日に予告ビラを入れさせていただきましたが,既にご都合がつかなくなっていた方からもご連絡をいただきました。お電話でも,元気な声を聴かせていただきましたことに感謝です。

お訪ねした住宅のあたりではまだまだでしたが,桜の開花も伝えられるなど,暖かく過ごしやすい時期になりました。予定より遅れてのスタートとなりました。

UR賃貸住宅・フレール長田:閉ざされた集会所市街地にあって,交通アクセスが便利な中でも,活動が容易なわけではありません。2015年に入って初めての,やや久々の,土日連続しての取り組みとなると,決して楽とは言えません。

また,阪神淡路大震災の借り上げ復興住宅を巡る情勢・問題が,いっそう深化する中,私たちが「宗教や政党などまったく関係のない民間のボランティア」として,いかに向き合い,被災者・住民の方にいかに寄り添い,信頼関係を構築できるかが,問われています。

また,先般の,西宮市長による報道介入弾圧に示されるように,採り上げただけで「偏向」呼ばわりされる,この問題は,行政や首長のあり方・姿勢を問う,政治的問題・メルクマールでもあります。

そうした中,敢えて今,借り上げ復興住宅の問題に関わることは,それ相応の覚悟が必要とも言えるでしょう。

その一方で,それと併せて,さまざまな状況・立場の住民の方々にも,自然体で向き合い,寄り添うことが求められます。

こうした,場合によっては相反するファクターを伴う中で,私たちもまた,成長していくことができるでしょう。ある意味,前日とこの日の活動は,ひとつの試練かも知れません。

新湊川沿いの桜はまだ蕾「お話し伺い」の成果それ自体は,一定順調に続いていると言えるでしょうが,ただ続けていくのではなく,質的には,新たな見方を,その中から獲得していく機会としたいと思います。

今回の訪問活動で,新たな活動主体のもと,リフレッシュスタートして以来,重複なしの実数ベースで,1400戸を超えました。

神戸・週末ボランティア新生2015/03/28・29分案内「神戸新聞」掲示板:まだまだやります。「息の長い支援」は神戸から今回も,前日分とあわせて,訪問活動に先立ち「神戸新聞」でもご案内戴きました。ご参加,ご支援,ご協力くださった皆さんをはじめ,Yahoo! JAPAN 登録純正サイトThis is 神戸・週末ボランティアや,MixiコミュニティMixiページFacebookページTwitter - welove_kobeを通じて,ご縁を戴きました皆様に改めて感謝いたします。


この日伺ったところの概略です。

・80代女性。東灘区で全壊。この住宅に入居して2年目。被災後は近くにいた息子さん宅に寄せた。夫婦とも気を遣っておいてくれた。「自分がちゃんとみたる」といってくれた,息子も夫も,先に逝ってしまったが,嫁や娘がよくしてくれるので感謝している。ヘルパーに頼らず,身の回りのことは自分でしている。高血圧で,何日も眠れなくなって,病院に行ったが,足が悪く,歩けなくなって通院が…。眼も悪くなって,耳も聞こえにくくなってきたので,人が来るときには,チャイムが聞こえるように,玄関近くにいるようにしている。あまりで歩かないので,近所付きあいはない。<ドアを開けて応答,玄関内でお話し伺い>

・60代女性。長田区で一部損壊。「震災時,集合住宅に住んでいて,大丈夫でしたが,仕事場が…焼けてしまいました。身内で亡くなった者もなく,不幸中の幸いでした。子どもを育てる為,必死でした…。その為,日曜日ですが,仕事に出ていますので,お目にかかる事が出来ません。今は子どもも成人し,ホッとしています。とりあえず,人様にご迷惑をおかけすることなく,ここまで来れた事で,日々の暮らしは心配ありません。あの時,たくさんの方々に,助けていただいたことは,今も忘れず感謝しております。」<自身でシート記入>

・70代?。被災して,この住宅に入居して10数年。(同居する)家族もいなくなって,今は自分一人暮らし。,娘が時々来てくれて,色々してくれているので大丈夫。身体は何とか…。(借り上げ復興住宅の入居期限の問題については)自分で市役所に電話したりして,何とかしている。<インターホン越しに応答。ドアポストに予告ビラが残されていたため,ボランティアの趣旨を説明しながらお話し伺い>

・女性。長田区で被災。ほとんど毎日,病院に通う。悪いところはないといわれたが…。病因の帰りに行きつけの肉屋で買うコロッケが楽しみ。油っこくない揚げあがりが気に入っている。店の兄ちゃんと顔なじみ。週末は,入院先から帰ってくる夫の介護に。話すとぼけない,元気になる。<住宅前のベンチに腰掛けているところにお話し伺い>

・60代?女性。被災経験なし。この住宅に入居して6年。被災者としてではなく,UR賃貸住宅として入居。特に困っていることはない。<インターホン越しに応答。「どういったご用件ですか?」とのことだったので,ボランティアの趣旨を説明してお話し伺い>

・70代女性。長田区で被災。この住宅に入居して16年。ヘルパーに来てもらっているので,特に困ったことはない。(借り上げ復興住宅の入居期限の問題については)ずっといられるように,解決しているところ。<ドアを開けて応答>

・女性。ここの人は,デイサービスとか行って,週末にいない人も多い。家の中にいると一人。ここに出ていると誰かいる。<住宅前のベンチに腰掛けているところにお話し伺い>

・60代?男性。高齢者(母)は一人暮らしではないので,子ども(ご自身)も一緒にいるので,ボランティア,訪問は不要とのこと。<お電話>

・60〜70代男性。チラシを見たが,訪問は結構です。訪問されても話すことがないので困る。<お電話>

・「いいです。」<インターホン越しに応答,ボランティアの趣旨を説明>

2015-07-17 ↑TOP


第53(新生178)回訪問活動 (2015/03/28) レポート 〈長田の借り上げ復興住宅へ,仮設・復興住宅訪問通算620回〉

フレール長田北側駐車場(再開発前の旧公団住宅)毎度This is 神戸・週末ボランティアをご覧くださいましてありがとうございます。神戸・週末ボランティア新生では引き続き新たな取り組みを展開しています。

まだまだやります。「息の長い支援」は神戸から」のテーマのもとでの,長田の借り上げ復興住宅への訪問活動も,早くも中盤にさしかかってきました。

1月末,寒風吹き下ろす中,「希望の灯り」の分灯とともにお訪ねし,3月上旬には,冷たい雨の中,研修旅行で来神したグループのメンバーとともに,お訪ねするなど,「お話し伺い」そのもの以外のファクターや性格も併せ持ってのミッションの中での,取り組みとなりました。

フレール長田これもまた,阪神淡路大震災20年という節目の年の1月,そして,4年が過ぎた東日本大震災の3月とあって,様々な行事の合間をぬってのスケジュール設定となったのですが,今回は,少し落ち着いた頃に,また,寒さもやわらぎ,過ごしやすくなった時期に,あわせて,当ボランティアならではの「お話し伺い」〜傾聴〜に集中できるように,心がけました。

新たな活動主体のもと,リフレッシュスタートして以来,神戸市営の復興住宅をメインに訪問活動を続けてきましたが,ここでは,借り上げ復興住宅への本格的な訪問となりました。

訪問先住宅そばの喫茶店でちょっと休憩以前,旧グループでお訪ねした住宅のうち,借り上げ復興住宅であったお宅数十戸に伺ったことはありますが,ほとんどが借り上げ復興住宅となっている住宅を全戸訪問するのは,初の試みです。

20年の借り上げの期限が迫りつつある中,神戸市側の対応はもちろん,支援活動に対しても,様々な思いや評価があるでしょう。そしてそれらの少なからざる部分が,厳しいものであることは,十分予想できるものでしら。

そうした中,あとからやってきて,直前に投函された1枚のビラとベルを押した(或いはドアをノックした)際の,第一印象だけで,どれだけ心を開いていただき,信頼関係を構築するという課題に,困難と制約を自覚しつつ,毎回チャレンジしています。その心をアピールしつつ,自然体で受け止めるという,相反する面もある課題でもあります。

そうして,対話を実現すること以外でも,さまざまなかたちで,現状について,知り学ばせていただく機会となりました。

予告ビラ2015/03/28,29前日の夕方近くに,予告ビラを投函するという,直前になってのお願いにもかかわらず,「お話し伺い」に応じていただいたことに感謝したいと思います。

この住宅への訪問では,長田神社前商店街に集合してから向かい,途中,住宅近くの喫茶店で休憩したり,終了後,長田中央市場に立ち寄らせていただくなどして,古くからの街の中にあることを,学び味いながら,続けさせて戴いています。

神戸・週末ボランティア新生2015/03/28・29分案内「神戸新聞」掲示板:まだまだやります。「息の長い支援」は神戸から今回も,訪問活動に先立ち「神戸新聞」でもご案内戴きました。ご参加,ご支援,ご協力くださった皆さんをはじめ,Yahoo! JAPAN 登録純正サイトThis is 神戸・週末ボランティアや,MixiコミュニティMixiページFacebookページTwitter - welove_kobeを通じて,ご縁を戴きました皆様に改めて感謝いたします。


この日伺ったところの概略です。

・80代男性。一人暮らし。長田区で全壊。この住宅に入居して16年。近くの学校の避難所で1ヶ月ほど過ごす。避難者が連れてきた犬やねこが,たまらなかった。仮設住宅には行かず,地方に避難し,しょっちゅう連絡を取って,ここを申し込んだ。勤めている頃はあちこちに出張に行った。あちこち飛び回ってほとんど日本中行った。身体はしんどい。年やから…。医師に往診に来てもらっている。ヘルパーに買い物や掃除など,身の回りの世話を頼んでいる。土日はほとんど誰も来てくれない。息子がたまに来てくれるが。外出はめったにしないが,昔から行きつけの店に散髪に行く。仕事のストレスからたくさん吸っていた若い頃よりはだいぶ少なくなったが,今もヘビー・スモーカー。医者の許可をもらって吸っている。テレビはよく見ている。夜通し観ていることもあるが,面白いとか,面白くないとか,いうものではない。楽しいことはひとっつもない。みんなお互い高齢でたいへんなのだろう,近所づきあいもない。復興住宅は,ちょっと行っただけでも,他人の世界。誰も来ないが淋しくはない。人に迷惑かけたくない。(住んでいるところは借り上げ復興住宅で,20年の期限が迫っているが)ここから動きたくない。家賃が上がっても住み続けたい。今さら映りたくない…。

・40代女性。この住宅に入居して10年以上。長田区で被災。この近くで被災して,10年以上ここに住んでいる。特に困っていることはない。地震のことは話したくない。<予告ビラに心当たりなく,インターホン越しに「いいです」とのことだったが,ボランティアの趣旨を説明,お話し伺いに>

・50代?女性。この住宅に入居して10年以上。留守番でよく解らない。神戸のどこかで被災して,地震で,仮設住宅を経て(?),ここに来て10年以上になるが,震災のときのことや,今お困りのことなどは解らない。また本人がどう思っているかも解らない。<インターホン越しに応答>

・80代男性。この住宅に入居して6ヶ月。「(震災のときのことや今お困りのことなど)全(すべ)てなし。」<自身でシート記入>

・30〜40代女性。この住宅に入居して2〜3年。地震のことは経験がない。うちは結構です。<インターホン越しに応答>

・60代女性。「けっこうです。」<インターホン越しに応答>

2015-07-16 ↑TOP


第52(新生177)回訪問活動準備 (2015/03/27) レポート 〈長田の借り上げ復興住宅へ,仮設・復興住宅訪問通算619回〉

阪神淡路大震災犠牲者慰霊碑毎度This is 神戸・週末ボランティアをご覧くださいましてありがとうございます。神戸・週末ボランティア 新生では,引き続き新たな取り組みを展開しています。

3月27日の午後,予定していた時刻より遅れましたが,翌3月28日からの復興住宅訪問活動で,伺う予定のお宅に訪問予告のビラをお入れしてきました。

ブロンズの神様へ今回の訪問先も,1月31日に初めて伺って以来,1月余りの間をおいて3月7日も伺ったフレール長田です。100戸余りのUR賃貸住宅で,その8割ほどが借り上げ復興住宅となっているところです。

3月の訪問からは,1回の訪問で平均20戸近くとし,従前居住者か被災入居者かに関係なく,全戸を廻らせていただくべく準備しました。

なるべく早くからの準備を心がけていましたが,取りわけ翌28日訪問予定の方には,直前の,しかもお遅い時間になってからの,急なお願いになってしまい,申し訳なく思います。

毎度のことですが,お入れするビラには,
神戸・週末ボランティア 新生は、宗教や政党などまったく関係のない民間のボランティアです。
寄付や署名の要請、投票依頼、販売行為などはいっさいしませんので、ご安心ください。

とあります。

神戸・週末ボランティア新生2015/03/28・29分案内「神戸新聞」掲示板:まだまだやります。「息の長い支援」は神戸から統一地方選挙前半の期間が近づくなど,時期的にもいっそう重要性が高まる中,私たちの誠意とともに伝わることを願っています。

あわせて,地元紙「神戸新聞」でも,この日の朝刊で,案内を掲載していただきました。

桜の開花も伝えられましたが,この住宅の近くではまだまだといった感じでした。

予告ビラ2015/03/28,29春分や春の彼岸も過ぎ,日も長くなり,この時期としては暖かかったこともあって,外に出ておられる方もおられ,お会いした方々との対話のひとときももちました。


この日伺ったところの概略です。

・70〜80代女性3〜4人。住宅正面入口前の花壇横のベンチに腰掛けて,夕方近くまで歓談していたので「寒くなってきましたね」とお声がけ。その一人「心の中は暖かです(笑」。

・40〜50代女性。エレベーターで乗り合わせたところ「お買い物ですか?」とお声がけ。「これから変えるところです」。

2015-04-14 ↑TOP


第51(新生176)回訪問活動 (2015/03/07) レポート 〈「3.11」から4年を控えて,仮設・復興住宅訪問通算618回〉

UR賃貸住宅/借り上げ復興住宅・フレール長田 新湊川沿いから毎度This is 神戸・週末ボランティアをご覧くださいましてありがとうございます。

神戸・週末ボランティア 新生では,梅が咲き,桜が咲く時季にかけて,「まだまだやります。「息の長い支援」は神戸から」のテーマのもと,引き続いての取り組みをさせていただきました。

前回1月は「希望の灯り」の分灯とともに「お話し伺い」に参りましたが,1ヶ月余り経って,今回からはまた,通常のスタイルでの訪問としました。訪問先は,1月31日に続いて,長田のUR賃貸住宅(借り上げ復興住宅)・フレール長田です。

2015.3.7予告ビラまた今回は,午前中,広島で傾聴ボランティアの活動を続けているグループの皆さんと研修&交流をもち,引き続いて,有志のみなさんと,常連参加者,主宰者とともに,現地へ移動し,長田での復興住宅訪問活動を行いました。

東日本大震災が発生した3月11日に近い週末とあって,阪神淡路大震災が発生した1月に並ぶほどに,神戸でも関連行事やイベントが多く行われており,そうした中,敢えて,これまでの被災地にあり続け,これまでの被災者に寄り添い,ともに歩み続ける意義はさらなるものとなっているでしょう。

神戸新聞 2015/03/07 神戸・週末ボランティア新生 お話し伺いボランティア案内 まだまだやります。「息の長い支援」は神戸からそうした中で,新たな交流の輪を広げることで,心の「風通しをよくする」という,当ボランティアの「お話し伺い」〜傾聴ボランティアのあり方も,さらなるものとなったことでしょう。

昼頃降り出した雨が激しくなる中,住宅階下のスペースで,訪問の趣旨や手順を説明した後,前日に訪問予告のビラを投函したお宅に伺いました。

神戸・週末ボランティア新生の復興住宅訪問の流れを説明今回も準備が直前になり,「神戸新聞」紙面でのご案内が,訪問当日の朝刊での掲載となりました。ご覧になった方から「もっと早くに」,「次はいつ?」とお問い合わせをいただきました。ご案内が遅くなり申し訳ありません。こうして,身近にいる被災者の方々に,こころを寄せていただき感謝です。「息の長い支援」に取り組む私たちの励みになります。

リフレッシュスタートして以来の当ボランティアの訪問活動では,安否確認と防犯の観点から,訪問時にドアポストに残されていた「予告ビラ」は,記入の有無にかかわらず,すべて回収しています。そして,記入があった方には,お返事を書いています。

シート記入のお礼を投函この返事の書式・フォーマットは,特に決めてこなかったのですが,お書きくださった内容を踏まえ,そのお返事として,その場でできる限りのことをと心がけています。

玄関のドアは開かなくても,心のドアが開き,少しでも心を通いあわせるきっかけになれば,と思っています。

訪問を続ける中で,一同を室内に招き入れてくださり,「お話し伺い」とともに,交流の機会として,楽しく,充実したひとときを過ごさせていただきました。話しが弾んだ後,玄関前で一同で記念撮影をしました。

訪問先の住民の方を囲んで,神戸・広島のボランティアと交流の記念にスケジュールの都合で,広島のグループの方々とは,途中でお別れとなりましたが,常連メンバーとともに訪問を続け,充実した「お話し伺い」を実現することができました。夕方,終了後,長田駅前で,この日のまとめ・整理を行いました。

前日の準備,午前中の交流&研修に続いての訪問活動となりましたが,ご参加,ご支援,ご協力ありがとうございました。


この日伺ったところの概略です。

・70代男性。長田区で全壊。この住宅へ入居して15〜16年。最初の頃に申し込んだが,他の被災入居者より半年遅れて入った。周りが皆亡くなっていく。隣だけでも3回変わり,みな亡くなっていた。葬式もしょっちゅう。被災時は一人で居た。テレビが吹っ飛んだ。屋根にのぼって脱出した。ブレーカーを切って脱出したので,火災や延焼をまぬがれたのだろう。「1.17」関係のテレビはみたくない。今でも5時46分前後になったら目が覚める。震災のことは思い出したくない。仕事でケガした肩が,ちょっとマシにはなったが,今も痛む。調理は自分でする。野菜や魚をとるように心がけ,もともとあまり好きでない肉は週に2回ほどに。焼酎やビールもぼちぼち。今もかつての同級生と定期的に飲み会をしている。この住宅は,借り上げ復興住宅で,20年の期限が来たときに85歳以上か要介護3以上なら引き続き住めるが,市から移転の督促がきた。移転希望先の市営住宅も第3希望まであげさせられたが,いずれも抽選で当たらなさそう。残れるものなら残りたいし,そうしようとがんばっている人もいるが…。しんどい目して働いたのに(国保・介護保険料や税金で)ピンハネしておきながら,もらえたり利用できたりするのはちょっとだけ。取ることしか考えていない。国会や県会・市会議員あんなに要らん。<玄関内でお話し伺い>

・80代女性。長田区で被災。数十年にわたって,このあたりに住んでいて,震災前から,建て替える前の住宅に住んでいた。この住宅に入居して16年。地震の時,建物は壊れなかったが,長く水道が止まり,ボランティアさんが水運びをしてくれた。避難所になっている近くの学校で,食糧などの支援物資をもらってきた。今は週3回デイサービスにいっている。牛乳パックとはぎれでバスケットをつくった。楽しく,生きがいになっている。話すのが好き。この住宅からデイサービスにいく人は多い。1人でいるのがさみしい人が多いのだろう。それ以外の日は1人でいるので,寂しい。あたためものは電子レンジでして,(万一,火を出さないよう)ガスは止めている。この住宅は夜になると人気がなくなり寂しい。玄関前に椅子をおいて休憩に使っている。近くに娘さんがいて時々来てくれる,買い物などは息子さんの世話になっている。長く歯科医をして,「痛い」と言われたら「生きてるからですよ」と,子どもをうまくなだめていた。子どもの頃から,歯は大切にしていて,今も,入れ歯などはまったくなく,全部自分の歯。一度もケンカをしたことがなかった御主人は3年前に他界,ベッドからよく見えるところに遺影を飾り,今も見守っているよう。<参加者一同でお部屋に上げていただいてお話し伺い>

・70代男性。長田区で被災。この住宅に建て替える前から住んでいた。被害や怪我はなかったが,水屋(食器棚)がぶっ飛んだ。1月中はずっと水道が止まり,復旧まで長かった。ガスが通るようになったのは4月だった。その間,会社が用意してくれたマンションに移り,そこから仕事に通った。1年前まで勤めに出ていたので,あまりここのことは解っていない。身体は元気だが,仕事がない。年やしなぁ…。<インターホン越しに応答,予告ビラに見覚えがないとのことだったので,ボランティアの趣旨を説明しつつお話し伺い>

・80代女性。長田区で全壊。被災後は,倒壊した家から衣類などは取り出せたし,子どものところに身を寄せていたので,避難所や仮設住宅には行かなかった。この住宅に入居して16年。身体は悪くない。ひとり暮らしの方が気楽。ヘルパーに頼らず,自力でやっている。子どもが時々見に来てくれる。訪問時はテレビを見ていた。新聞を取っているが,配達されても読んでいないことが。ここは借り上げ復興住宅で,20年の期限が来た時85歳以上なら出て行かなくてもいいようだが…。<インターホン越しに応答>

・30〜40代男性。この住宅に入居したのは去年。まだ1年ほどしか経っていない。地震の時は神戸にいなかったから,被災は経験していない。地震のことは話したくない<ドアポストに予告ビラが残っていたが,インターホンでお声がけ,応答>

・女性。長田区で全壊。「身体の調子が悪いので余りお話ししたくないです。悪しからずお許し下さい。膝が悪くて歩けません。」<自身でシート記入。ボランティアがお返事をポストに投函>

・50〜60代女性。この住宅に入居して10年。困っていることはない。震災は経験していない。ここにはUR賃貸住宅として入居。

・<投函したビラを,記入はされていなかったが,きれいに折ってドアに残されていた。>

・「通院中につき留守多いです。」「墓参りで四国に参ります。」<ドアに貼り紙>

2015-07-02 ↑TOP


研修&交流 (2015/03/07) レポート

神戸市立地域人材支援センター(旧二葉小)毎度This is 神戸・週末ボランティアをご覧くださいましてありがとうございます。3月7日は,今春季第1回目の復興住宅訪問活動を行いましたが,それに先だって,午前中は,新長田にある神戸市立地域人材支援センター(旧二葉小学校)に,常連メンバーとともに伺いました。

おいでくださったのは,広島県 府中市で活動するグループ,傾聴ボランティア蝶々の皆さんでした。普段は,高齢者施設などで入所者の方からの傾聴活動を主にされていて,最近は,話を聞いてほしい人に来てもらおうと,「なごみの家」というスペースを設けたりもされているとのことでした。

また,昨夏の広島豪雨土砂災害を機に,被災者の「心のケア」にも関心を持つようになったとのことで,そうしたところから,阪神淡路大震災の被災地・神戸に研修旅行を計画されたとのことでした。

ここは長年,神戸市立二葉小学校として使われてきたもので,関東大震災の教訓から普及した昭和初期の耐震耐火建築で,阪神淡路大震災の時は,近くまで火が迫ったものの,辛うじて難を逃れ,地域の被災者の避難所として機能していたところで,後に少子化のため統廃合・閉校し,校舎が同センターとなって現在に至っているものです。

神戸市立地域人材支援センター(旧二葉小)にて。傾聴ボランティア蝶々メンバーと歓談震災時,周囲はほとんどが,全壊・全焼しており,数年前までは,いくらか震災前後の状況を残すところもありましたが,最近ではそれもすっかり姿を消し,人も街もすっかり変わってしまっています。そのあたりの事情は,1月に神戸・アイ・ウォークに参加しつつ確認していたのですが…。

かつての教室そのままの会議室で、皆さんの前でお話しさせていただきました。主宰者がかつて教員をしていたとは言え,小学校の教壇に立つ(?)のは初めて,また戦前建築の校舎は教育実習以来という,貴重な経験をさせていただくことになりました。

阪神淡路大震災が発生した1995年から,主宰者が,仮設住宅訪問復興住宅訪問に関わり,継続的な取り組みのなかで,とりわけ,東日本大震災後の情勢を踏まえ,新たな活動主体,神戸・週末ボランティア新生のもと,リフレッシュ・スタートして,今日に至る経緯を簡単にお話しさせていただきました。

基本的な姿勢をひとことで言ってしまえば,アマチュアリズムと在野精神ということになりますが,それを大切にしていることとあわせて,いち早く新たな被災地に駆けつけて取り組むのではなく,遅れてきても、後からきても,新たなニーズが見いだせ,物資や資金などがなくても,取り組めることがあり,それを日々発見し,現実化させるなかで,続けてきていることに触れました。

被災者の「心のケア」についていえは,阪神淡路大震災当時の「心のケア」は,悲惨な経験をいち早く吐き出させることを追求したもので,これは抱え込んでこじらせないようにするにはよかったかも知れないのですが,その後発生した事件や災害の被災者・被害者への取り組み方としては問題が多いことを認識しており,それは,当ボランティア以外で成功しているところが既に多くある中で,それを踏まえつつ,これまでの反省と教訓から,いかにあるべきか,常に課題としていることなどにも触れました。

そもそも,他所から来た人やものに対して寛容的で受け入れやすい,神戸の地域風土があって,可能になったものであることを前提としておかねばならないことは,説明とする前に,私たち自身が忘れてはならないことなのですが…。

訪問先の住民の方を囲んで,神戸・広島のボランティアと交流の記念に当ボランティアの復興住宅訪問の手順や方法具体的な現況などについては,お配りした資料に,予告ビラやフライヤーを添付し,1月に,「希望の灯り」の分灯とともにお訪ねしているのを,コストやリソースが無くてもイベント(のようなもの)が,工夫によって出来る例としたほかは,同日午後の訪問活動に,何人かの方に,同行参加していただくことことになっていたので,それで説明にかえました。

今回もとりあえず「「息の長い支援」は神戸から」という題目にしました。活動自体は長く取り組んできたものの,同じボランティアが,個々の被災者の方に継続的に携わったわけではありません。そうしたところでは,ひとつところで,長期に渡って,関係構築し,同じ方に関わっていくというスタイルとは,大きく異にします。それとの比較においては,浅薄なものに思われるかも知れません。

そうした関わり方によって,常に新たな問題発見と解決の必要性が高まるほか,そうしたスタンスならではの意義や,それによって可能になることもあります。

傾聴である以上,話してくださる方が,話すことでスッキリする,気持ちが晴れるように,気持ちの整理ができることが大切なのはもちろんなのですが,目標というか課題として,さらにそこから進んで,話し手が論理構築する手助けする「触媒」になるよう,展望していること,また,利害関係やしがらみのない「よそ者」としてのスタンスの中で,心を開いてもらい,信頼関係を構築することから,一人一人の心の中や,地域の,「風通しをよくする」ことが,もっとも素朴な形での「心のケア」になること,などをお話しさせていただきました。

神戸市立地域人材支援センター(旧二葉小)にて。傾聴ボランティア蝶々メンバーと質疑応答のあと,旧校舎をバックに一同で記念撮影しました。

お話しする機会を戴きましたことに感謝いたします。まとまらないところがあったり,どれだけ皆さんの問題意識や疑問にうまくこたえられなかったところもあったと思いますが,顧みて今後に活かしたいと思います。

一行は,Loveフェス311が行われている鉄人広場などを見て回ってお昼にした後,多くは人と防災未来センターを見学しましたが,うち4名の方には,当ボランティアの復興住宅訪問に同行参加し,傾聴と交流のひとときをともにし,夕方前に再合流して帰途につきました。

傾聴ボランティア蝶々の皆さんからいただいた備後府中銘菓・姫ゆり貴重な交流の一日になりました。ありがとうございました。




後日,感想をいただきました。今後の励みにしたいと思います。

参加者の感想○それぞれの活動を切り口をかえて日頃から取り組んでおられると思った。
 自分たちは、マンネリに陥っているところがあるので、勉強になった。

○復興住宅での傾聴ができてよかった。原さんのやり方は、すばらしかった。

〇遠くから来られて活動されていることに感動した。神戸の復興の対策は、地域のなじみの人と話せなくしている。市がバラバラにしていると思う。住民主体でないと思う。

○玄関先でピンポン鳴らしていく活動はこちらではできないと思った。数人でも長く続けていることがすごい。

○20年の重みを感じた。神戸だからできた活動だと思った。原さんらと実際に歩いて、ひとつひとつ丁寧に活動されていると思った。返事を書いてポストに入れるなど、心が伝わるやり方だと思った。

○こんなやり方のボランティアもあるのだと思った。しかし、相手の気持ちに寄り添う……自然体でというところは私たちと共通すると思った。

○いろんなやり方・地域によっても違った切り口があると思った。継続するエネルギーに感心した。自分たちもレベルアップしたい。

研修&訪問風景○研修会に参加して本当によかった。神戸で息子が震災にあっているので、より真剣に聞けた。

○実際に活動に参加させてもらい、傾聴には、忍耐が要ると思った。すごく辛抱強くされていると思った。
 ドアをあけてもらう技術など、辛抱強さが技につながっていると思った。

○いろんなタイプの傾聴があると思った。こころの風を通すという原さんの言葉に共感した。

○20年前に高齢者一歩手前だった人に、今問題を感じているというところが印象に残った。

○活動はすばらしい。でも、無理されているようにも思った。個人では大変だと思う。福祉の力を借りるのもいいのではないかと思った。

○20年ずっとかかわり続けているエネルギーがどこからきているのか気になった。時間がなくて開けなくて残念だった。

○原さんの前向きな姿勢と丁寧さに感動した。自助の心を享受する姿勢に共感した。

○一緒に活動させてもらい、ボランティアへの姿勢というより生き方に感銘を覚えた。チラシの回収というより、復興住宅のドアの向こうの住人の息遣いを感じながらの取り組みに感動するとともに自分の甘さを反省した。復興住宅の一人暮らしの女性がみんなを招き入れてくださり、お話ができたことは、研修の一番の宝物になった。

ありがとうございました。

2015-03-25 ↑TOP


第50(新生175)回訪問活動準備 (2015/03/06) レポート 〈長田の借り上げ復興住宅へ,仮設・復興住宅訪問通算617回〉

借り上げ復興住宅・フレール長田 大開通り沿い毎度This is 神戸・週末ボランティアをご覧くださいましてありがとうございます。阪神淡路大震災から20年の年となりました本年も,神戸・週末ボランティア 新生では,新たな取り組みを展開しています。

新たな活動主体のもとリフレッシュスタートして以来,1月には「希望の灯り」とともにお訪ねして「お話し伺い」をさせていただいておりますが,本年も,おかげさまで、これまで引き続いてお訪ねしたところと,新たにお訪ねしたところとあわせて,復興住宅訪問活動のスタートにできました。

借り上げ復興住宅・フレール長田 「私は移転しません」ステッカー1月が終わりましたので,今回からはまた、通常のスタイルでの訪問活動〜「お話し伺い」になります。

厳冬期の2月は見送り,まだ寒い中での,また悪天候も予想されるなかで,さらには,新たに参加・同行される方々にも配慮しながら,訪問先を決めていく作業にあてました。場所は、前回、1月31日に初めて伺った長田区内の借り上げ復興住宅です。

UR賃貸住宅・フレール長田 長田神社鳥居横復興住宅の多くは、神戸市営住宅などの公営住宅ですが,長田区兵庫区など,多くの被災者を出した市街地では,神戸市が旧公団(UR都市機構)や民間地権者から20年期限で借り上げ,被災者を入居させている借り上げ復興住宅も多く,早ければ今2015年のうちに,遅いところでも数年のうちに,期限が迫る中,退去・移転が求められています。

初めてお訪ねする中で,どれだけ信頼関係を築き,心を開いていただけるかは判りませんが,数度にわたって,全戸を回らせていただく中で,お役に立てるようになればと思っています。

今回も,訪問前日の午後に,お訪ねする予定のお宅のドアポストに予告ビラを投函するのとあわせて,通りがかった何人かの方とお話しさせていただきました。


この日伺ったところの概略です。

・70代女性。エレベーターで乗り合わせたところにお声がけ。ボランティアがエレベーターに乗ろうとしたところ,連れていた犬が出てしまい,みんなで連れ戻す。親しい友人がいるので,これから会いに行くところとのこと。

・80代男性。住宅前で小型犬を連れているところにお声がけ。寒くなる前に犬の散歩を終えて戻ってきたところだとのこと。ボランティアの趣旨を説明しつつごあいさつ。

・80代男性。犬を連れている方とご一緒のところにお声がけ。親しい友人とのこと。ボランティアの趣旨を説明しつつごあいさつ。

2015-03-21 ↑TOP


第49(新生174)回訪問活動 (2015/01/31) レポート〈阪神淡路大震災20年「希望の灯り」とともに,長田の借り上げ復興住宅へ〉

UR賃貸住宅/借り上げ復興住宅・フレール長田 訪問活動を終えて毎度This is 神戸・週末ボランティアをご覧くださいましてありがとうございます。神戸・週末ボランティア新生では,「1.17」を忘れない!「希望の灯り」とともに 2015の3回目として,はじめて長田区内の復興住宅に伺いました。

1月は,2013年2014年と同じく,東遊園地の一角に灯る「希望の灯り」の分灯を持って訪問させていただいていますが,なるべくなら,これまで伺っていない新たなところへと考えてきました。阪神淡路大震災20年の今2015年の年間テーマとして「震災ボランティア、二十歳の原点」を掲げ,継続の中にも,たえず新しい取り組みにチャレンジする姿勢を持ち続けることを心がけています。

リフレッシュスタートして以来,新たな活動主体のもとでの復興住宅訪問活動は,神戸市営住宅を中心にしてきましたが,2015年度中から数年のうちに,相次いで「返還期限」が迫りつつある「借り上げ復興住宅」への取り組みも,重要かつ喫緊の課題であると,かねてから準備はしていました。

2015.1.31予告ビラ早いところでは,既に大半の被災住民の方が転出したところも少なからずあり,取り組み開始に出遅れてしまったところがあることは,率直に認めざるを得ません。その一方で,まだ大半の被災住民の方が住み続けている住宅があることも解っています。

そこで,2013年12月に,旧グループで伺ったお宅への再訪問を準備する中で対話を実現し,2014年1月第2週に,やはり「希望の灯り」とともに廻らせていただきました。

今回は,まったく新規に,復興住宅に伺うことにしました。場所は長田区です。

阪神淡路大震災で炎上した映像で知られる長田区ですが,旧グループもふくめ,まったく訪問活動をしたことはありませんでした。

阪神淡路大震災20年で初めての長田区での復興住宅訪問活動となりました。

この日の訪問活動にあたっては,他の行事との兼ね合いや,主宰者の都合などから,事前準備が遅れ,詳細が直前まで決められなかったことから,プレスリリースも行わず,1月分のフライヤーでも概要を記したままになってしまい,このブログのほか,Yahoo! JAPAN 登録純正サイトThis is 神戸・週末ボランティアや,MixiコミュニティMixiページFacebookページTwitter - welove_kobeといったSNSから,案内させていただきました。

予告ビラの投函は,訪問前日の午後に,常連メンバーとともに行いました。

訪問活動当日は,さらにフレッシュなメンバーも加わり,ともに新たな場所へのチャレンジとなりました。

UR賃貸住宅/借り上げ復興住宅・フレール長田 寒風の中で高層階への訪問を続ける訪問した住宅,フレール長田は,全100余戸のUR賃貸住宅で,旧来の公団住宅を隣接地に建て替えて,従前入居者が引き続き入居しているほか,7〜8割が,借り上げ復興住宅として,神戸市が20年期限で借り上げて,被災者に提供しています。従前入居者,被災入居者,新規入居者のいずれにかかわらず,何度かに渡って,全戸に伺うことにしました。

そのうち,1月に当たる今回分は,「希望の灯り」とともに伺いました。

市街地にありながらも,近接する高層建築物があまりないことから,上層階へと進む中で,いっそう寒さが身に染みる状況になりました。そこで一時,近隣の喫茶店で休憩して,暖を取り、談笑しつつ,予定したお宅への訪問を続け,予定時刻をやや過ぎて,夕暮れ時になっての終了となりました。

終了後は,住宅近くに在る,長田中央市場の空きスペースで,暖を取りつつ,集約のミーティングを行いました。

新たな出会いに感謝です。

こうして,オープニングとして,1月10日に,「希望の灯り」採火式に臨んでスタートした当ボランティアの,1月のスケジュールは,11日18日のベルデ名谷(垂水区)への訪問に続いて,長田区での訪問を,成功的に実現できました。クロージングは,とくに行いませんでしたが,翌2月1日には,「伝えよう減災・絆 帰ってきた音楽喫茶」に,主宰者個人がお手伝いさせていただきました。


この日うかがった概要です。

・60代男性。一人暮らし。長田区で全焼。家屋が密集しているところだったので,焼けてしまった。震災直後に焼けたのではなく,風が吹いて延焼してきたわけでもなかったが,電気が通るようになってから,その製で発火したものだった。近所でたくさん亡くなった。焼けた人を次々見つけるところもあれば,シャッターが頑丈で開けられず救助できなかったりしていた。生き残る人は生き残る,つきのない人は死んでいった…。避難所になっている,学校の体育館に行ってみたら,近くの人が場所を占拠していたり,小便臭かったりした。子どもがところ構わず用を足していたようだ。カップ麺ぐらいの食事で帰ってきた。ボランティアは,自分は正義の味方で,何をしてもいいと思っているようなのがいた。NPOは,近くの人にきちんと分配していなかったり,苦労した物資の行方が気がかりで,あまり信用できない,いい加減だと思って来た。仮設住宅は,3月ぐらいから申し込んだりして,10月ぐらいにに入れた。須磨区内だが,被災場所やこの復興住宅からも遠くない場所だった。この復興住宅に入居して16年。同じ住宅に高齢男女の尊敬している友人がいて,それぞれ住居問題や,冠婚葬祭について,頼りにしている。職人には定年がないが,労基署や社会保険庁によく行った。被災後の生活再建支援について,神戸市長に上申書を送ったこともある。長くマジメに生きてきた。震災後人が変わったと言われる。震災で人生の目標が変わった。震災は悪いことではないと考えるようになった。何でも自分でするようになった。勉強になった。ウォーキング,腕立て,腹筋などをしていて,体調管理はばっちり。最期はコロッと死にたい。人間は追い詰められないと決心がつかない。仕事と寝るところがあれば立ち直れる。人は人,自分を持つと,自律することが大切。頭がぼけたら施設行きになるのはイヤだ。被災者が造る形で復興してほしい。この住宅は,旧公団(UR)から神戸市が20年期限で借り上げたもので,20年経てば出て行かなければならない。今のところまだ4年あるし,退去要請は特にないが,後2年ぐらいしたらいろいろ言われるだろう。身体が悪い人や高齢の人がこのまま。しがみついても仕方がない。また(新しいところへ)行ってもええことあるかも。支援物資で貰った古着のジャージを着て出てこられた。<玄関前でお話し伺い>

・80代女性。長田区で全焼。近所の9軒が全焼した。震災ではたいへんな思いしてるから…。運動場で一晩過ごした。その後,兄弟の家に身を寄せた。風邪をこじらせ,肺炎になって入院したことも。この住宅に入居して10年以上。震災後,腰痛が悪化し,今では,普通の痛み止めでは効かない。デイサービスに2ヶ月ほど行ったが,行くのは難しいと,医者にも言われている。同じ年寄りに痛いとは言えない。長い道は歩けない。外出はあまりしない。行くのは病院ぐらい。ヘルパーは頼んでいない。買い物は押し車の歩行器で。楽しみはテレビを見たり,友達と電話したりすること。震災の頃は息子も元気で,運動場を一晩中巡回したりしていた。巡回したあと知人と横になっていたが,その人も後に亡くなった。息子もこの住宅に来た年の12月に亡くなった。みんな先に逝く。近くにいる娘が来てくれる。病院のついでに食事も買ってきてくれる。具合が悪いと,娘の家に行くとちゃんとしてくれるが気を遣う。やっぱり自分の家がいい。自由にできるし。この住宅は,旧公団(UR)から神戸市が20年期限で借り上げたもので,20年経てば返還期限になるが,自分の場合は,年齢条件から,出て行かなくていいようだ。若い人はたいへん。

・80代女性。長田区で一部損壊。「今日は体調悪く、休んでいますので…文書にて。○震災の時、当時病院勤務(介護職)していたので、搬送されてくる患者さんも多く、受入側の看護婦、介護は少なく…ずっと泊り込みで介護職として働きました。○家の方は、娘(1人)が、彼女の友達の助けで、片付けて、なんとか生活を取り戻しました。○この住宅は、災害復興住宅として、市がURから借り受け,市営住宅として、震災後20年契約で入居したものです。契約期間が過ぎた住宅で、転居問題(西宮市の方)が色々起きているニュースを見ると、とても不安です。○又、一昨年,交通事故に遭い、7ヶ月余り●●へ入院、又皮膚病で●●へ40日間入院と、色々ありました。○このマンションは管理人さんも無く、助けて欲しい時は、今迄友達に連絡を取って、助けてもらっていました。ボランティアの人に至急連絡をとり、急な時助けて貰うことは出来ないでしょうか、(勝手なことを云って済みません。」<自身でシート記入>

・70代女性。兵庫区で被災。とくに被害はなかった。民間賃貸住宅からこの住宅に入居して2年。もうここには慣れた。UR賃貸住宅として普通に入居した。市営住宅に入りたかったが,なかなか当たらない。地方に居る母を引き取りたいと思って申し込んでいたのだが。身体は大丈夫。困っていることと云えば,仕事が無くなったぐらい。年金生活になると,ここの家賃がたいへん。<ドアを開けて応答>

・70〜80代男性。一人暮らし。被災後,すぐ当たったという北区の仮設住宅で5年目まで過ごした。この住宅に入居して17年。ここの生活には慣れた。身体はがたがた。ヘルパーは頼んでいない。(ここには借り上げ復興住宅として入居しているが)市からはまだ何も言われていない。他に行くところはない。<インターホン越しに応答>

・30代?女性。この住宅に入居して5年。UR賃貸住宅として入居。地震の時は特に困ったことはなかった。いそがしいので…。<インターホン越しに応答>

・30代男性。この住宅に入居して3年。愛知出身で,就職して神戸にきた。<インターホン越しに応答>

・70代?男性。「忙しいので…。日を改めてほしい。」<インターホン越しに応答>

・40代女性。「けっこうです」<インターホン越しに応答>

・少年。「うちの人いない。解らない。」

2015-05-04 ↑TOP


第48(新生173)回訪問活動 (2015/01/18) レポート〈阪神淡路大震災20年を「希望の灯り」とともに,仮設・復興住宅訪問通算615回〉

神戸市営住宅・ベルデ名谷 最後の追悼行事が行われた翌日の集会所毎度This is 神戸・週末ボランティアをご覧くださいましてありがとうございます。神戸・週末ボランティア新生では,「1.17」を忘れない!「希望の灯り」とともに 2015の2回目として,前の週,1月11日に続いて,同じく垂水区の山中にある復興住宅・ベルデ名谷に伺いました。

2015.1.11&18予告ビラこの日伺ったのは,本来前週に訪問を予定していながら,廻りきれなかったところがほとんどでした。前回の訪問の後,伺えなかったことをお詫びし,この日の再訪を予告するビラを入れ直しての訪問でした。

今2015年の1月17日は,土曜日に当たるものの,他の行事との兼ね合いで,当ボランティアとしての訪問活動は行いませんでしたが,結果として,阪神淡路大震災20年の「1.17」をはさんでの「お話し伺い」を実現することになりました。

神戸新聞2015/01/09 神戸・週末ボランティア新生 復興住宅訪問 「1.17」を忘れない!「希望の灯り」とともに 2015震災20年の節目とあって多々行事がある中,前週分とあわせて地元紙「神戸新聞」で案内していただきました。

今年の「1.17」には,昨夏亡くなった黒田裕子さんの尽力もあって,市営地下鉄などの公共交通機関が,始発を繰り上げての臨時ダイヤでの運行を実現したこともあって,三宮・東遊園地には,例年の3倍近い人が訪れ,主宰者も参列しましたが,震災発生時刻である5時46分の黙祷のころには,園内に入るのがやっとという状況でした。

恒例となっている他にも,これが最後,或いは,震災20年を機に復活,大規模に,というような,追悼行事が,かつての被災地各所で行われていました。

いかなごのモニュメント@垂水東口×「希望の灯り」神戸新聞 2015/01/18 ベルデ名谷 最後の追悼行事この復興住宅・ベルデ名谷では,それでも早朝,東遊園地での集いに参列・参加するには困難であることに違いなかったのですが,1月17日早朝に,住宅内の集会所で追悼行事が行われました。高齢化と後継難のため,今回で最後にしたとのことで,ベルデ名谷連絡協議会の総力を挙げて,最後の力を振り絞るように開催され,それにこたえて例年より多い120名ほどの住民が参列していたと,地元紙が伝えていました。

今回も,垂水東口のいかなごのモニュメント前で,「希望の灯り」の分灯を灯して,ボランティアが待ち合わせ,予定時刻近くに開始できるよう,現地に向かいました。

2回続けて,繰り越しは出来ないことと,「1.17」を挟んでいることとに鑑み,今回訪問予定にしたお宅には,17時の終了予定時刻を過ぎても訪問を続行し,19時を過ぎての終了となりました。遅くなってからの訪問となりましたことに,重ねてお詫びいたします。

神戸市営住宅・ベルデ名谷1000戸近い大規模で,「最後の復興住宅」として建設され,現在も多くの被災経験者がいる中では,これへの参列者が多いとは言えません。それは,この復興住宅がある地やその近辺で被害に遭った人はほとんどおらず,距離的にも離れ,環境的にも異なった地で,各々,様々な状況のもとで,被災したもので,一括りに被災者といても,その内実や事情は,それぞれ異なるものなのです。

被災時まで長く住み慣れた地,長きにわたって,親しく,苦楽をともにした人々に,各々心を寄せ,しのび,それにあわせた行動をそれぞれが取ったり,或いは一人で静かに…,という方々が,もともと多数であったことを,改めて想起させられるものでした。

神戸市営住宅・ベルデ名谷 夜もともと,当ボランティア,神戸・週末ボランティア 新生が,1月に,「希望の灯り」とともに復興住宅訪問活動をするようにしたのは,高齢化が進む中で,行事への参加が困難になっているとの現状認識からでしたが,実際には,単なる追悼行事の「出前」にとどまらず,各々の状況に踏まえて,一人一人に寄り添うことの大切さと意義を,改めて強く認識させていただく機会となりました。

初心忘るべからずと,阪神淡路大震災20年の今年は,年間テーマ「震災ボランティア、二十歳の原点。」を掲げることにしました。

ご参加,ご協力いただいた皆さんをはじめ,Yahoo! JAPAN 登録純正サイトThis is 神戸・週末ボランティアや,MixiコミュニティMixiページFacebookページTwitter - welove_kobeを通じて,ご縁を戴きました皆様に改めて感謝いたします。


この日伺ったところの概要です。

・80代男性。兵庫区で半壊。水屋が倒れてきて,すき間が出来たので,上の方から外へ出た。近くでは,新しい家が真っ先につぶれていたが,自分が住んでいたアパートは,古かったものの,コンクリートの瓦で,屋根が軽かったので,全壊せずにすんで,助かった。土台とかずれていたので,もう一度何かあれば大変だったろう。被災後も何とか雨露をしのげたので,自分で何とかやっていくしかないと,そのまま15年住み続けた。ケガはなかったが,年取ってどこか悪くなっていく。この復興住宅に入居して5年。光陰矢の如しで,ここへ来て20〜30年経ったような気がする。その間とくに困ったことはない。地震のときに無事だった友だちもだんだん亡くなっていった。親しかった友人も15〜16人亡くなったし,この復興住宅に来てからも5〜6人亡くなった。去年も一人亡くなった。酒飲み多いし…。気が向いたときに墓参りに行く。家事などはヘルパーを頼まず,自分で。役所の人に笑われそうなので。今迄ほとんど医者にかかったことはない,頭がふらふらするときはアスピリンを飲んで済ませ,それでもダメなら医者に行くが。今は医者もかわった。血液検査してコンピュータでガチャガチャしてやっている。昔は木綿針みたいに太かった注射針も細くなった。今は特に困っていることはない。電球が切れたらLSAに頼んだり,よく相談に行ったりする。訪問前日の1月17日,住宅内の集会所で行われた最後の震災追悼行事は,寒いので行かなかった。これまでも追悼行事には行ったことがない。集会所に行くのは選挙の投票のときだけ。他の催し物があるときは行かない。人見知りするので,なじめないので,しゃあない…。80過ぎて,今から友だち作っても…。朝起きても退屈。ここは病院にしても何にしても遠いので大変。前,住宅内に路上販売が来ていたが,来なくなった。近くのお好み焼き店もつぶれた。足が丈夫なのでどこでも行ける。よく出かける。健康のために,エレベーターを使わず階段を上ることも。(一部自己負担になった,ICカードになった敬老パスを見せていただきながら)市バスの無料券があるのでそれを活用している。この近所はあいさつ程度のつきあいしかない。このあたりは何もないのでつまらない。ファストフードなども行かない。店員の若い女の子が,早口でハッキリしゃべってくれず,よく聞き取れないから。廻りも誰も注意しないので,注したことがあった。趣味は将棋で,60年前からやっている。時間つぶすのに兵庫まで行く。そうすれば誰か相手になってくれる人がいる。住宅から少し離れた敬老施設に行けば誰か居るが,この住宅の中ではそういうわけにはいかない。集会所があっても,いつでも誰でも自由に入っていける雰囲気ではないし…。山の向こうに行けば昔の友だちが居る。今もしょっちゅう以前住んでいたあたりに将棋をさしに行っている。若いときはパチンコに凝っていて,親に怒られてやめた。その頃近くのお年寄りが将棋をしているのを見て始め,60年来の趣味になった。昔は,他の遊びがあまりなかったからか,将棋を指しているとよく見に来たが,今の子どもは,のぞきに来ない。そうして覚えていくものだが,今では50〜60歳の人も見に来ない。自分の子どもの頃は,1〜6年制が同じグループになって遊んだが,今の子どもたちは同い年同士でしか遊ばない。

・70代男性。兵庫区で全壊。新築のアパートに入居したばかりのところで震災に遭った。階下の住人が亡くなった。長くトンネルやダムの工事に携わり,震災では十五年来の同僚も亡くなった。一緒に働いてきた仲間も,心配してきてくれたりして助けられた。消息がわからなくなったりした。2〜3ヶ月公園に張ったテントで暮らしたことも。阪神高速道路の復旧作業員向けのハウスに入り,昼夜ぶっ通しで働いていた。西区の仮設住宅で3〜4年暮らした。この復興住宅に入居して16年。身の回りのことは,2〜3年前,ヘルパーに頼んでみたら,冷蔵庫にまだ残っているのと同じものばかり買ってきたりして,気が利かず,余り役に立たなかった。自分で時折スーパーまで行く。それ以外は外出せずじっとしている。昨年秋大学病院に入院し手術,今月下旬に検査がある。半端な時間ダシ遠いので行くのが大変。別の病院にもかかっている。ここへは運動がてら歩いて行く。坂道はたいへん。病院は待ち時間が大変。仮設住宅のときは友人もいて,心配してくれたりもしたが,この復興住宅に来てから友だちは出来ていない。亡くなった友人や同僚の墓参りに行く。1月17日に行われる東遊園地の追悼行事には,毎年行こうと思って来たが,今年はとくに体調が悪く行けなかった。ほんとうにごめんなさい,忘れませんから,と思いながら…。この住宅の集会所で,訪問前日に行われた最後の追悼行事にも,寒いから行けなかった。震災のことを,若い人にももっと伝えたいと思う。<ドアを開けて応答。前週に訪問できずこの日改めて訪問>
「住居,●●町に入って2週間位で…。2階の人は無事でしたが,1階の人が2名なくなりました。当時は仕事で…工事中でしたが,震災時間早く無事でした。家具及び現金も見つからず,作業着のまま公園へ行きました。2週間ぐらいで,(建設業者の)ハウスで生活していましたそれから3ヶ月位で西神●●の仮設に入居して,(平成)11年5月当住宅に当りました。まず一番つらかった事は,友人・仕事仲間10人以上なくなりました。いまでも忘れることは出来ません。一番うれしかった事は全国からボランティアの方々が,高速道路工事等で,感謝の気持でいっぱいです。ありがとうございました。」<前の週の訪問予定に合わせて自身でシート記入>

・70代男性。夫婦2人暮らし。奥さんがもともと神戸の人だったので,北区の市営住宅に転入してきたが,老朽化したため,2〜3年して移転することになり,この復興住宅に入居して4年。ここも不便だが,前に住んでいた市営住宅はすごかった。よくこんなところに住んでいたなあと思うほどだった。それを思えばまだマシ。近所づきあいはない。奥さんと一緒に近所に買い物に行く。訪問前日の1月17日,住宅内の集会所で行われた最後の震災追悼行事は,早朝のため寝ていて行かなかった。震災に遭った人は,思いもそれぞれで,色々話すことがある人もいれば,そっとゆっくり過ごしたい人もいるのでは。ボランティアが訪問時に持参した「希望の灯り」の分灯を見て「これ何?」とお尋ねになったので説明した。<ドアを開けて応答。前週に訪問できずこの日改めて訪問>

・70代女性。須磨区で全壊。避難所には行かず,身内がいた病院で避難生活を送った。仮設住宅には長く居させてもらった。その間,(先日亡くなった)黒田裕子さんにもよくお世話になった。この復興住宅に入居して9〜10年。息子がいるので,今のところ困っていることはない。この住宅の坂道も大変だが,少しづつゆっくりでも上がれればいいか。運動になるかも。今日は風邪で寝ていた。先週も風邪を引いたが,インフルエンザではなく,薬を飲んで,ちゃんと食べている。特に困っていることはない。震災のとき生後1ヶ月だった孫娘も今では大学3回生。高校生のときにも東北に行ったり,1月17日に東遊園地の追悼行事に使う竹灯籠をもっていったりしている。<玄関でお話し伺い。前週に訪問できずこの日改めて訪問>

・90代男性。兵庫区で全壊。震災のときは入院していて,自宅に居なかったが,妻と娘を亡くした。西区の仮設住宅を経てこの復興住宅に入居して15年。ここではあまりつきあいはない。(ボランティア訪問の予告ビラについて)眼も悪いし,脳梗塞の後遺症で書いたりするのもたいへん。耳も遠く,話し声がガーガー行っているように聞こえ,いいたいこともうまく言えず,さみしい。買い物もたいへん。それでも去年おととしまでは,1000円で行ってくれるタクシーを利用して,自分で行っていた。2〜3年前までは,このへんでよく運動していたが,今はもうしない。今の外出は,近くの病院や薬局に行ったりするぐらい。

・80代女性。兵庫区で被災。山の上の方だったので,ケガなどはなく,被害はちょっとお皿が割れた程度だった。近く小学校に1泊避難した。人がいっぱいで,トイレに行くのも大変だった。何で校庭に仮設住宅を建てないのかと思った。この復興住宅には普通の市営住宅として一般入居。この復興住宅に入居してまだ3ヶ月。戦争のときの空襲の方が大変だった。1年前に夫を亡くしてさみしい。地震のことはあまり話すことはないし,話したくもない。借り上げ復興住宅に住んでいる人はもっと大変だろう。年寄りをもっと大事にする世の中になってほしい。<ドアを開けて応答。前週に訪問できずこの日改めて訪問>

・60代女性。垂水区で被災。「震災時就寝中でした。あのすごい揺れでも親子3人無事でした。一軒家に住んでいましたが,今,現在●●にいます。外壁塗装をしたばかりで,室内は壁は崩れていましたが,何の援助も受けず,今迄過ぎ,何とか現在過ごしています。近くのガソリンスタンドに,水を頂きに行ったのをよく覚えており,大変助かりました。お風呂も近く,天理教,友人,実家と,色お色お世話になりました。」<自身でシート記入>

・60代女性。長田区で全壊。子どもが小さかったので,避難所や仮設住宅には行かなかった。まだ大丈夫だったから…。馬国移転先を見つけた後,この復興住宅に入居して15年。この10年ぐらい体調はよくない。訪問前日に住宅内の集会所で行われた最後の追悼行事には行かなかった。これまでも行かなかった。時間も早いし,あまり震災を思い出したくないので。<インターホン越しに応答>

・50代男性。長田区で全焼。この復興住宅に入居して16年。「(震災のときは?)自宅は全焼。(震災後ご苦労されたことは?)避難所生活,仮設生活。(今お困りのこと,心配なことは?)将来のことが心配。(民間のボランティアなどについて)避難所,仮設の時,ボランティアの方によくしていただきました。ありがとうございました。」<前の週の訪問予定に合わせて自身でシート記入>

・80代女性。西宮市で被災。この復興住宅に入居して10年。「水:50日出ませんでした。瓦斯:57日出ませんでした。大変困りました。今日はお世話様です。脳梗塞にて手が震えて字が思うように書けません。あしからずお許し下さい。ご免なさい。」<前の週の訪問予定に合わせて自身でシート記入>

・少年。訪問の趣旨を説明すると「今,お母さんいないけど…。」学校で地震のことについて習ったり,避難訓練をしたりしている。「しあわせ運べるように」をうたった。<インターホン越しに応答。前週に訪問できずこの日改めて訪問>

・80代女性。「今日は寒いですねぇ。」,(お出かけですか?)「ダイエーまで。」,「行ってきます。」(行ってらっしゃい)。<住宅内の坂道でお会いしたところにお声がけ。すぐ側には,前日,最後の追悼行事が行われた集会所が>

・70〜80代女性。この復興住宅に入居して7年。「ごめんね。うちは震災関係ないので。困ったことはない。忙しいのでごめんね。」<ドアを開けて応答。前週に訪問できずこの日改めて訪問>

・60〜70代女性。この復興住宅に入居して2年。市営住宅の一般入居できた。今,手が離せないので…。身体悪いところはない。困っていることはない。<インターホン越しに応答>

・30代?女性。この復興住宅に入居して3年。地震のときは神戸にいなかった。申し訳ありません。すみません。<インターホン越しに応答。前週に訪問できずこの日改めて訪問>

・60〜70代男性。「困っていることはない。身体は大丈夫です。いいです。ありがとう。」<インターホン越しに応答>

・70〜80代女性。「風邪引いて寝てますので…。」<ドアを開けて応答。前週に訪問できずこの日改めて訪問>

・50〜60代女性。「うちはいいですよ。」<インターホン越しに応答。前週に訪問できずこの日改めて訪問>

・70代。この復興住宅に入居して1年。「震災時は「神戸」にいませんでした。」<自身でシート記入>

2015-04-18 ↑TOP


第47(新生172)回訪問活動 (2015/01/11) レポート〈阪神淡路大震災20年を「希望の灯り」とともに,仮設・復興住宅訪問通算614回〉

神戸市営住宅・ベルデ名谷×「希望の灯り」毎度This is 神戸・週末ボランティアをご覧くださいましてありがとうございます。阪神淡路大震災から20年の年となりました。

神戸・週末ボランティア新生では,今年も,三宮・東遊園地の一角に灯る,「阪神淡路大震災1.17希望の灯り」の分灯の採火式に参列し,翌日から「希望の灯り」とともに,新たな年復興住宅訪問活動のスタートとしました。

「1.17」を忘れない!「希望の灯り」とともに 2015のテーマのもと,今年最初の訪問先の復興住宅は,一昨年秋から取りかかり,昨年1年間を通じて行ってきた,垂水区の山中にある神戸市営住宅・ベルデ名谷です。ここには,昨2014年1月にもまた「希望の灯り」とともにお訪ねしているので,2年続けてとなります。「希望の灯り」の分灯をロウソクに移し,ランタンに入れて,一緒におじゃまする以外は,通常の訪問活動−「お話し伺い」と同じです。

神戸新聞2015/01/09 神戸・週末ボランティア新生 復興住宅訪問 「1.17」を忘れない!「希望の灯り」とともに 2015そこで昨年とは別の箇所をと思いましたが,被災された高齢者が比較的多いところをお訪ねすることにした関係上,一部は昨年と同じ棟になりました。

「希望の灯り」この日訪問させていただくお宅には,前々日1月9日に,「予告ビラ」を投函しました。主宰者ら参加者の都合で,夕方から夜にかけてになりました。また,同じ日の「神戸新聞」朝刊紙面の「掲示板」欄で,翌週分とあわせて,ご紹介いただきました。

翌12日を成人の日とする3連休の中日とあって,他にも震災関連の行事も少なくない中での訪問活動日設定となりました。11日は,午前中,主宰者が「こうべiウォーク2015」に参加したあと,午後から訪問活動に充てたほか,他の参加者の都合もあって,訪問開始を遅らせました。お待たせした中にあっても,貴重なお話を聞かせていただき,感謝に堪えません。

予告ビラ:未訪問をお詫びして翌週にあわせてお詫びしなければならないのは,この日に訪問を予定していたお宅のほとんどを廻りきれなかったことです。終了予定の17時を2時間過ぎた19時で,訪問を打ち切り,翌週の18日に改めてお伺いする旨を記した「予告ビラ」を投函し,現地をあとにしました。

近年,とりわけ東日本大震災以降,社会的関心が移っていく中で,あえて「「息の長い支援」は神戸から」と,歩みを続けてきた当ボランティアでは,阪神淡路大震災20年の今2015年は,年間テーマ「震災ボランティア、二十歳の原点。」のもと,初心を忘れず,これまでの被災地に根ざし,これまでの被災者に寄り添い続けたいと思います。

ご参加,ご協力いただいた皆さんをはじめ,弊サイトThis is 神戸・週末ボランティアや,MixiコミュニティMixiページFacebookページtwitter - welove_kobeを通じてご縁をいただいております,すべての皆さんとともに,成果を分かちあえますことに感謝したいと思います。


この日伺ったところの概要です。

・80代女性。須磨区で全壊。近くの学校の避難所に行ったのが遅くて,座る場所すらなく,北区の知人宅で1〜2ヶ月過ごした。北区の仮設住宅では5年目まで過ごした。冬は雪が積もって,通勤する人がよく転んでいた。屋根の傾きや凹みがハッキリ見えるようになった。住むところがないことが情けなく哀しくなった。仮設住宅にいる間に,色々な病気になった。医者も近くになく,頼る人もなく,ハイヤー呼んでいくのも…。テレビばっかり見て外出しなくなったから,足が弱った。普通にしていたら普通の身体だったのに。そうした中で,最後のお金で病院に行った感じだったのに。この復興住宅に入居を申し込むとき,見に来たが,入口の坂はたいしたこと無いと思っていたが,後々になってたいへんになってきた。まだきれいだったので,あとあと掃除がたいへんになるとは考えずに入居した。それで困っている人も多い。重くて大きな音を立てだけの掃除機ではキレイにならず,畳も汚れてきた。この復興住宅に入居して16年。昨年の夏,神戸市からの調査で,昔のことまで遡って,厳しく細かく,根掘り葉掘り聞かれて,いやな思いをしていたので,最初,予告ビラを見たときは,民間である当ボランティアの訪問も,無視しようかと思ったが…。特にこのフロアは近所づきあいがない。あいさつ程度で,何かあったときに宛にしていいのか迷っている。人とのつきあいがなくなると「耳が悪くなる」。歩かないとバランスが悪くなる。電話番号とか数字が覚えられない…。たくさんの人とつきあおうとしたが,友だちも少なくなってきた。長く神戸で暮らし,人に頼らないで,自分のお金で生活しようと色々準備して,がんばってきたが,震災で,そのためのお金を全部使ってしまった。返してほしい。考えに考えてやってきたが,足りないやろなぁ。今さら,震災のことを聞かれても腹が立つだけ。知人が体験していて,関心を持って原爆資料館を見学したことがあったが,広島の原爆などでもそうだろう。子どもの頃経験した戦争の方がもっと大変だった。また,戦中より戦後の方がたいへんだった記憶がある。初めあったものがなくなっていくのは心細い。若くして放り出されるのよりも,年をとってから少し残っているだけの状態で放り出されるのが辛い。もう少し若ければ何とか出来たのに。お金などが減っていくのが心細い。一人になるといっそう気持ちが塞ぐ。若い人に体験を聞いてもらってもしようがないのではと思う。情けなくなる。取り返しのつくことなら…。最低10年は経たないと復興できないと思っていたが…。字を読むのが好きで,新聞などは隅から隅まで読んでいたが,視力が低下してきたので,最近は読みにくい。この復興住宅の入口の坂もたいへんで,2〜3回転んだ。買い物は2〜3日に一度,まとめ買いする。1月に1度くらいは,垂水経由で明石まで知人に会いに行く。退院してから1年ほどになるが,最近もめまいがして,買い物の途中で帰ってきたことも。風邪と食事には気をつけている。なるべく歩いて,少しでも元気にと思っている。何でも一人でするようにしている。被災して入居した高齢者らが亡くなったあと,色々な人が入ってきた。東日本大震災は,こちらの阪神淡路大震災よりもっと大変だろうし,復興までもっとかかるのは分かるが,文句いうのはどうも…。福島原発事故には同情する。80にもなってこういう生活になるとは情けない。震災からこのかた使ったお金を返してほしい。話して少しはスッキリした。

・70代女性。灘区で全壊。マンションに住んでいたが,隣の家が倒れかかってきた。仏壇やテレビも飛んできた。タンスが倒れきて左足を2ヶ所骨折した。がれきを拾って杖にして避難所に向かっていたところ,途中で背負われていったが,みるみる晴れ上がり,ゾウの足みたいなっていた。病院にも連れて行ってもらったが,十分な処置してもらえなかった。今は大丈夫。娘が,普通なら3〜4時間で来られるところを,十数時間かけて,駆けつけてくれた。灘区内の避難所で4ヶ月ほど過ごした後,北区の仮設住宅へ。山上で坂がたいへんだった。新開地でうどん店を経営していたので,40分かけて通っていた。腰痛にも耐えて仕事していた。この復興住宅に入居して15〜16年。ここは,もう入れないと思っていたときに,4回目の抽選でやっと当たった。仮設住宅に入っていたからここへ来られた。引越には息子・無目が来てくれた。ここへ来てからも,車などが来て揺れたりすると,地震を思い出し,足の痛みや後遺症に悩まされた。最初はまっさらで気持ちよかったが,震災から20年目も経つと…。暑いのはダメ。寒さ,冬は大丈夫だが,外出時にはマスクをして帰宅したらキレイキレイで手洗いする。この復興住宅に来て脳梗塞になったとき,近くの病院に行ったら,たまたま週1〜2回しかいない専門医がいて処置してくれたので,後遺症もなく軽くてすんだ。入院中,「あんたがいたら明るくなる」といわれた。今もちゃんと薬を飲んでいる。「杖ついてへんのエライ」と医者に言われる。安心のため杖を備えている。いつも感謝している。ぼけないようにと思う。ぼけた生活できない…。買い物は住宅近くのスーパーへ。お米を5kg買ってきて2ヶ月もたせている。近隣とも親しくしているほか,階下に同い年の友人がいる。

・80代女性。垂水区で被災。被害は特になかった。この復興住宅に入居して13〜14年。一般で普通に抽選で入居したので,被災して入居した人より2年ほど遅れてここへ入った。暑さ寒さもあるが,注意しているので,80過ぎても医者いらずの生活ができている。朝はトーストとコーヒーを戴き,仏壇にお供えをし,「80過ぎて物忘れがひどくなって,書いておかないとダメ,困っちゃう」と,その日にすることを紙に書いて確認している。生ものや油ものは食べないようにしている。毎日1時間は歩くようにしている。この復興住宅の同じ棟に友人もいて,一緒に出かけることもあるが,わりと一人で行動していて,今でも一人は苦にならない。かつては22〜23年,三宮で喫茶店を経営していて,4〜5人のパート女性を雇っていたほか,子どもを背負って子連れで働いていた。立ち仕事な上,子どもができていっそうたいへんだったが,そのおかげで,今こうして元気でおらせてもらっていると感謝している。時々電話して,その息子と垂水まで食事に行く。親子で気持ちが安らぐ,安心。

・50〜60代女性。「よかったです。大丈夫です。」<インターホン越しに応答>

2015-03-01 ↑TOP


「阪神淡路大震災1.17希望の灯り」分灯採火式(2015/01/10)参列レポート

「希望の灯り」分灯風景毎度This is 神戸・週末ボランティアをご覧くださいましてありがとうございます。阪神淡路大震災から20年の年を迎えることになりました。

神戸・週末ボランティア新生では,今年も,三宮・東遊園地の一角に灯る,「阪神淡路大震災1.17希望の灯り」の分灯の採火式に参列するところから,新たな年の活動のスタートとしました。

震災20年 追悼と希望の灯り 2015/1/10 神戸新聞参列式に臨んだ前日の1月9日のうちに11日にお伺いする予定の復興住宅のお宅に「予告ビラ」を投函する作業を行いましたが,一般の方々の眼に触れるのは,採火式参列からということになるでしょう。

今年も初回の採火にあわせて参列しましたが,例年を上回る大勢の参加者でした。

「希望の灯り」採火式「希望の灯り」採火式そうした中でも,例年の参列で見慣れた方々とも再会したり,新たな姿を目にしては,震災と被災者に寄せる心が広がり受け継がれていることを、感じさせてくれるものでした。

初めに,「希望の灯り」をまもる団体の新たな理事長から,由来の説明やあいさつがあり,採火に移りました。

例年2度に分けての採火も,今回は3度に分けて行われました。



採火式の様子は,神戸新聞ほか,在阪・在神の各紙・各局のほとんどで紹介されているので,既にご存じの方も多いでしょう。

「希望の灯り」採火風景採火した分灯の灯りは,ランタンに入れて,復興住宅などを廻るのですが,あわせて,キャンドルに移して灯します。

「希望の灯り」キャンドルは,前年中に準備しておくのですが,今回は,主宰者が参列当日,湊川公園で行われていた神戸新開地アート縁日に出展していた,神戸市立神港高校の生徒さんが手作りした作品を購入し,これ使わせていただくことにしました。

採火式終了後,慰霊と復興のモニュメントの地下にある瞑想空間にもまいり,阪神淡路大震災20年の年の活動の初めにあたり,これまでの被災地に根ざし,これまでの被災者に寄り添うべく,決意を新たにしました。

「希望の灯り」と分灯したランタンとキャンドル市神港高生手作りのキャンドルご参加,ご協力いただいた皆さんをはじめ,弊サイトThis is 神戸・週末ボランティアや,MixiコミュニティMixiページFacebookページtwitter - welove_kobeを通じてご縁をいただいております,すべての皆さんとともに,成果を分かちあえますことに感謝したいと思います。

阪神淡路大震災20年となる今2015年も,宜しくお願いいたします。

2015-01-30 ↑TOP


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